絶華   作:雨守学

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第16話

「よう」

 

「山岡さん! 迎えに来てくださったのですね」

 

「あれ、言ってなかったか?」

 

「言ってませんよ。もう……ふふっ、びっくりしました」

 

検査を終えた香取は、特に疲れた様子もなく、むしろ本当にリフレッシュ休暇を貰ったかのように、元気であった。

 

「こんにちは」

 

「おう、鹿島。お前も乗って行けよ。送ってやるぜ」

 

「え、でも……」

 

鹿島は香取をチラリと見た。

 

「いいのよ。お言葉に甘えたら?」

 

「で、では……お願いします」

 

 

 

帰りの車内は、香取と鹿島の会話で盛り上がっていた。

主に俺の悪口で。

 

「そしたらこの人、床で寝ちゃってね? もう、起こして部屋に連れて行くの大変だったわ」

 

「へぇ、山岡さんって、意外とだらしないところがあるんですね」

 

「意外でも無いわ。可愛い子の前では、いい顔をするだけで……。そうですよね? 山岡さん?」

 

「あぁ、そうだな。俺はかわいい子が好きだからな」

 

「あ! 鹿島は駄目ですからね!? この子には、ちゃんと相手がいるのですから!」

 

「ちょ、香取姉ぇ……」

 

「そうだったな……。残念だ」

 

「山岡さんまで……むぅ……」

 

車内が笑いに包まれる。

何て愉快なドライブなんだ。

あー、楽しい。

 

「ハハハ……」

 

なんて、嘘だ。

不穏だ。

不気味だ。

不自然だ。

誰も検査の事に触れない。

まるで、何事も無かったかのように、こいつらは笑いあっている。

 

「…………」

 

まさか……。

そんな事を思っていると、香取と鹿島がミラー越しに俺を見ているのに気が付いた。

目が合うと、くすくすと笑っていた。

 

「…………」

 

あぁ、そういうことか……。

 

「お前ら、歩いて帰るか?」

 

「うふふ、ごめんなさい。だって、山岡さんの不安そうな顔、面白かったので」

 

こいつらはあえて何も言わずに、俺の反応を見て楽しんでいたようであった。

 

「ったく……。ま、それだけの余裕があるって事は、大丈夫なんだろ?」

 

「結果はまだ先ですけど、大まかなところでは、コアは見つからなかったようです」

 

「私も同じでした」

 

具体的にどんな検査が行われているのかは知らないが、検査を経験した本人達が満足しているところを見ると、本当にコアは見つからなかったのだろう。

 

「いよいよ私たちも人として認められるのね。そうなったら、鹿島、貴女の大切な人も、きっと……」

 

もし認められたとしても、実際にそうなるまでには、まだ時間がかかるであろう。

少なくとも、三年間という期間では――。

 

「うん……」

 

それを分かっているのか、鹿島は微笑んでやり過ごしていた。

 

「そうか……」

 

この結果を知ったら、あいつはどうするのだろうか。

どうもしないか、はたまた――。

ふと、ミラー越しに、香取がこちらを見ているのに気が付いた。

目が合うと、何処か嬉しそうに微笑んで見せた。

 

「…………」

 

きっと、寮に戻ったら、香取は――。

その時、俺は――。

 

 

 

先に香取を降ろし、鹿島を送ることになった。

寮を長い間空けるわけにはいかねぇしな。

 

「すみません……」

 

「いや、構わねぇよ」

 

寮に戻った香取を、皆は取り囲むようにして迎えた。

休養だと聞いていたから、お土産があるものだと思って群がったのだろうな。

本部もその辺りの気遣いが出来ていて、ちゃんとそれっぽいものを持たせてくれたようであった。

 

「…………」

 

「…………」

 

香取が居ないと、こいつと二人で何を話せばいいのか分からねぇな。

あいつの事を話すタイミングでもねぇしな……。

そんな事を思っていると、鹿島が何かを決心したように顔をあげて、話し始めた。

 

「あの……山岡さん……一つ聞いてもいいですか……?」

 

「ん、なんだ?」

 

鹿島は、どこか不安そうな目をして、俺を見た。

 

「山岡さんは……香取姉の事……どう思っているんですか……?」

 

 

 

車内のクーラーは効いているはずなのに、ダッシュボードが焼けていているせいか、少しだけ熱く感じた。

遠くに延びる一本のアスファルト。

その向こう側が、ゆらゆらと靡いていた。

 

「……香取姉から聞きました。山岡さんの事が……好きなんだって……」

 

「……そうなのか?」

 

「とぼけないでください……。香取姉は知ってましたよ……。「私の気持ちに、山岡さんは気が付いている」って……」

 

今更驚くことでもなかった。

あいつも龍田と同じで、俺の事をよく知っている。

分かっていて、俺にあんなことを言ったのだろう。

自分という存在を、意識させるために――。

 

「山岡さんは……香取姉の事……好きなんですか……?」

 

「……お前はそれを聞いて、どうするんだ?」

 

「え……その……」

 

意地悪な返しだったか。

 

「……心配してくれなくても、大丈夫だ。あいつと同じような事はしない」

 

答えになっているかどうかは分からないが、それを聞いた鹿島は、俯き、深く椅子に腰かけた。

 

「香取姉には……どう答えるのですか……? 本気でしたよ……」

 

「お前はどうさせたいんだ? 香取に止めるように言わなかったのか?」

 

「……言えませんでした。香取姉だって、本当は分かっているはずなんです……。それでも……その気持ちを抑えることが出来なくて……。きっと、今の香取姉に何を言っても……」

 

「あいつやお前がそうだったように……か……?」

 

「……はい」

 

見はしなかったが、鹿島の悔やむ顔が浮かんだ。

 

「……俺もこの数日間で、色んな事を考えていた。あいつの事をどう思っているのか、あいつに対して、どう答えを出すのか……」

 

「…………」

 

「……俺は、香取が好きだ。もちろん、ラブ的な意味でな……」

 

鹿島は少しだけ驚いた顔を見せた。

 

「……だが、それは香取の気持ちとは少し違うんだ。あいつは俺だけを想ってくれているようであるが、俺は違う。あいつに対して持っている気持ちを、ほかの連中にも持っている」

 

「……好きな人がたくさんいるって事ですか?」

 

「あぁ」

 

鹿島は複雑な表情を見せた。

分かるぜ。

それは間違っていると言いたいんだろ。

一人の異性を愛することが正しいと。

 

「選べるほどいい男でもないのは分かっているし、こんな状態のままでは、あいつらを不幸にしてしまうことくらい分かってる。だが、それが俺の気持ちなんだ。香取が抗えないのと同じで、俺も抗うことが出来ないんだ。受け入れるしかねぇんだよ。香取がそうしたように……お前達がそうしたようにな……」

 

「……だとして、どうするんですか? 不幸にしてしまって……それでいい訳ないじゃないですか……」

 

俺は車を停めた。

 

「山岡さん……?」

 

「鹿島……」

 

ハンドルに伏せ、鹿島に問うた。

 

「俺は……どうすりゃいいかな……」

 

感傷的な俺と違い、鹿島は冷静だった。

 

「本当は分かっているんじゃないですか……?」

 

「え……?」

 

「どうすればいいのか……。どうしようとしているのか……」

 

鹿島の目は、今まで見たどの目よりも深く、それでいて冷たかった。

 

「私も同じでした。その結果が……今の状況ですけど……」

 

「…………」

 

「山岡さんは……自信が無いんですよね……? だから……自分の考えに同調してほしいんですよね……?」

 

「――……!」

 

反論しようと口が動いた。

だが、言葉が出てこなかった。

 

「……すみません。意地悪しましたね……」

 

「いや……。その通りだ……。俺は……俺の選択に自信が無いんだ……。誰かを巻き込むことを恐れている……。何も変わらないままであれるなら……それが良いと思っている……」

 

「……また意地悪する様で悪いですけど……そう言えるということは……決まってるって事ですよね……?」

 

「…………」

 

俺は何も言わなかった。

 

「……そうですか。そう言うことですか……」

 

鹿島は何かを悟ったように、そう言った。

 

「分かりました。もうこの話は終わりにします」

 

「鹿島……」

 

「私が聞きたかったことは……もう答えをもらいましたから……。ただ……最後に一つだけ……」

 

「……なんだ?」

 

「それを受け入れられないほど……私たちは弱くは無いですよ……」

 

それが何を意味しているのか、俺には分かっていた。

だからこそ……。

 

「……優しいんだな」

 

「山岡さんには色々と助けていただきましたから……。今度は私が助ける番です……」

 

「……ありがとう。救われたよ……」

 

俺は再び、車を走らせた。

鹿島は、遠ざかる第十軽巡寮の方を、寂しそうに見つめた。

だが、すぐに視線を戻すと、ミラー越しの俺をはっきりと見つめ、小さく頷いた。

 

 

 

寮に戻ると、自室には香取が居た。

 

「お邪魔しています。今、夕張さんから仕事の引継ぎを受けたところです」

 

「あいつは?」

 

「「街」に行くとかで、ポーラさんと出て行かれましたよ」

 

あいつが「街」に。

しかもポーラと一緒に。

珍しいこともあるもんだな。

 

「帰りが遅かったようですけど、鹿島とやましいことでもあったのではないですか?」

 

「だとしたらどうする?」

 

「無いことくらい分かっていますよ。ふふっ」

 

珍しくはしゃいでるな。

まあ、気持ちは分からなくもないが。

 

「報告書見ました。山風ちゃん、元に戻ったようですね」

 

「あぁ。だが、以前よりはいい子になって帰って来たぜ」

 

その時、ちょうど山風が部屋にやって来た。

 

「パパ」

 

「噂をすれば何とやらだな。どうした?」

 

「見て。模擬テスト、満点取れたよ」

 

「「え!?」」

 

俺と香取は、二人して手に持ち、解答用紙を見た。

確かに全問正解のようだ。

 

「お前……マジかよ……。急にどうしたんだ? この前は合格点ギリギリだったはずだろ?」

 

「たくさん、勉強したの」

 

「たくさんって……たった一日二日だろ?」

 

「山岡さん」

 

質問する俺を、香取は止めた。

そして、何かを訴えるように、俺をじっと見つめた。

 

「…………」

 

俺は山風に目をやった。

あぁ、そう言うことか。

 

「――いずれにせよ、満点を出したのはマジですげぇことだぜ。よくやったな、山風」

 

撫でてやると、山風は嬉しそうに笑う反面、何処か遠慮がちにこちらを見ていた。

 

「それだけですか?」

 

香取のその言葉を聞いて、山風が何を求めて俺を見ているのかに、気が付いた。

 

「そういうことか。なら、ほら、来いよ」

 

手を広げてやると、山風はそっと、俺の胸に顔を埋めた。

 

「うふふ、甘えん坊なところは変わってないのですね」

 

「本当、これだけはな……」

 

「ふふ、その割には嬉しそうですけど?」

 

「……馬鹿言え」

 

嬉しい、か。

悔しいが、そうかもしれねぇな。

俺は、こいつらとこうしていることが、本当に――。

 

 

 

山風が部屋を出て行き、俺と香取の二人っきりになった。

 

「今日は静かですね」

 

「あぁ、ポーラが居ないからな。天龍も山風も、勉強に熱心なようであるし」

 

クーラーの効いた部屋の外で、風鈴の鳴る音が微かに聞こえた。

同じように、蝉の鳴く声も。

 

「検査の時……」

 

香取は書類を片付けながら、話し始めた。

 

「ずっと、窓のない密室で過ごしました。外の音も聞こえないので、その日が晴れなのか雨なのか……時計も無いので、朝なのか夜なのかも分かりませんでした」

 

「そりゃキツイな」

 

「えぇ。しかし、その代わりに娯楽はたくさんあって、中でも映画のDVDを観ることが、最大の楽しみでした」

 

それから香取は、どんな映画を観たのか、観てどう思ったのかを話し始めた。

動物映画やSF映画、ドキュメンタリーにアニメ映画。

様々なジャンルの映画が用意されていたようで、香取は夢中になってそれらを観たという。

 

「――中でも、やっぱり」

 

香取は鞄から小説を取り出した。

例のアンドロイドのやつだ。

 

「これを原作とした映画がありまして、三日間の内で三回も観てしまいました」

 

「気持ちは分かるが、三回は観すぎだろ」

 

「そうかもしれません。けど、とっても良い映画なんですよ。原作と違って、映像がある分、心情の変化などが凄く分かりやすくて、思わず同情してしまいました」

 

同情か……。

 

「……最後、アンドロイドと人間が恋人同士になって……非難されながらも共に暮らすのです。とっても素敵ですよね」

 

香取は俺をじっと見つめた。

 

「艦娘と人間も……この話と同じです……。香取がアンドロイドで、山岡さんは人間……」

 

俺は何も言わなかった。

 

「山岡さん……」

 

「なんだ……?」

 

「今では駄目でしょうか……?」

 

「何をだ?」

 

「貴方を……好きになることを……」

 

 

 

近くで鳴いていた蝉は、とっくにどこかへ行ってしまったようで、風鈴の美しい音色だけが、小さく聞こえていた。

 

「あの時……お互いに相手が見つからなかったら、一緒に暮らしませんかと言いましたよね……」

 

「……あぁ」

 

「香取は……変な意味ではないと言いましたが……やっぱり……変な意味であったようです……」

 

香取は困ったように微笑んで見せた。

 

「あったようです……とは?」

 

「気が付いてしまったのです。そう言う気持ちがあったのだと……。山岡さんも、なんとなくそんな気がしていたのではないですか……?」

 

答えずとも、香取は続けた。

 

「検査の時、ずっと考えていました。もしもシリーズ。もしも、香取が人間になったら……って……」

 

「…………」

 

「たくさん考える中で、どの道にも、必ず傍にいる人が居ました。山岡さん……貴方です」

 

俺は無理して笑って見せた。

茶化そうと思ったんだ。

だが、言葉が出なかった。

 

「まだ答えは出ていませんが……香取には分かります……。香取は……貴方と同じ人間です……。もう……アンドロイドと人間ではないんです……。ですから……香取は……」

 

今まで見たことも無いくらい、香取の顔は真っ赤になり、それでいて泣き出しそうな表情を見せていた。

 

「貴方と……恋人に……なりた……あぅ……」

 

そう言うと、香取は顔を両手で隠して見せた。

なんと可愛らしい仕草なんだ。

だが、それを楽しむ間もないくらい、俺はある感情に取りつかれていた。

 

「えっ……あ……」

 

動揺。

俺はこの日の為に、どう振る舞うべきか、考えて来ていた。

何度も頭の中でシミュレーションして、万全の態勢で臨んだつもりだ。

だが――。

 

「そ……そう……なの……か……」

 

夕張に告白された時とは違い、変な汗は出てくるわ、反して言葉は出ないわで、まるで想定外の事が起こったかのように、動揺している。

本音を言うと、俺は香取の告白に対して、断るつもりでいた。

鹿島もその事を分かっていたし、それを許してくれた。

断る理由として、香取は一過性の、所謂他の寮で起きている「恋の病」(とでも言っておこうか)に取りつかれているだけだと思っていたからだ。

本当の本当に、お互いに相手が見つからなかったら、その時に――ってな具合で落ち着いてもらおうと考えていたのだが……。

 

「…………」

 

俺は動揺している。

もっと言うと、俺はこの瞬間に、香取の事を……マジで……好きになってしまったのだ。

断ろうとする気持ちと、俺の本心が、ぶつかってしまったのだ。

故に……。

 

「駄目……でしょうか……?」

 

「い……いや……駄目っつーか……駄目ではないが……駄目というか……だな……」

 

何を言ってんだ、俺は……。

 

「山岡さん……」

 

香取はそっと、俺を抱きしめた。

心臓の音が、伝わってくるようであった。

 

「香……取……」

 

「貴方の事が……好きです……。大好きです……」

 

その時であった。

 

「失礼しまーす。香取さん、ここに財布無かった? さっき、忘れちゃったみたい……で……」

 

夕張と目が合う。

瞬間、まるで時間が止まったかのように感じた。

 

「え……あ……あ……あー……えと……なんか……邪魔……しちゃ……った……?」

 

香取は、最初こそ焦ったようであったが、すぐに平生を取り戻し、夕張に視線を向けた。

 

「…………」

 

何も言わずに、じっと――。

 

「……あ……そっか……香取さん……人……あ……えと……お……おめでとう……で……いいの……かな……」

 

俺は頭の中が真っ白になっていて、何も返せなかった。

 

「夕張~、財布、ありましたか――……」

 

次いで入って来たポーラが絶句したのも、無理は無かった。

香取は、俺に――。

 

「――……」

 

夕張と違い、静かで、鼻息も荒くなくて――。

ポーラとも違って、柔らかな唇で――。

俺は、その感覚に支配されていた。

 

「ポーラさん!」

 

夕張の叫ぶ声で、我に返った。

ポーラは部屋を出て行ったようであった。

それを夕張が追いかけていた。

 

「…………」

 

俺は、ただぼうっと、その光景を見ていた。

窓の外で、夕張がポーラを呼ぶ声が聞こえた。

外に出たのか。

何処へ行くのだろうか。

今――何が起きたのだろうか――。

 

「ごめんなさい……」

 

再び我に返る。

 

「こういう行動は……慎むべきでした……。でも……分かって欲しかったのです……。香取の……本気を……」

 

「香取……」

 

「改めて言います……。香取は……貴方の事が好きです……。まだこの恋が許されないことくらい……分かっています……。でも……お願いします……。どうか……貴方が香取の事をどう思っているのか……聞かせてください……」

 

そう言うと、香取は深く頭を下げた。

俺はどう答えていいものか考えていた。

だが、その余地を許さないというように、香取は頭を下げたまま、俺の手を握って離さなかった。

 

「お願いします……」

 

その手は、小さく震えていた。

それを感じた時、俺は自然と、言葉を発していた。

 

「俺もだ……」

 

「……え?」

 

顔をあげた香取の表情は、まるで予想に反していたというように、驚きに染まっていた。

 

「俺も……お前が好きだ……」

 

粒状の汗が、畳の上にぽたりと落ちる。

その音が、まるでエコーのかかったようにして、俺の耳に響いていた。

おそらく、香取も同じだろう。

俺たちは、何も言わずに、お互いの目をじっと見つめていた。

 

「……本当……ですか……?」

 

やっとの事で口を開いた香取の声は、擦れていた。

 

「……あぁ、本当だ」

 

「ウソ……本当に……」

 

香取はしばらく動揺していたが、やがて顔を真っ赤にして俺を見た。

 

「あの……その……間違っていたらいけないので……もう一度だけ……仰っていただけると……その……」

 

「も、もう一度か……?」

 

「はい……」

 

もう一度……。

 

「だからよ……なんつーか……俺も同じってことで……」

 

「それは……つまり……どういう事でしょうか……?」

 

「どういう事って……だから……」

 

香取は俯きながら、その言葉を待った。

 

「……お前の事が……好きだって……ことだろ……?」

 

「誰がですか……?」

 

「……俺が」

 

「山岡さんが……?」

 

「だから、そう言ってんだろ……」

 

「そう……ですか……」

 

「あぁ……」

 

「そう……なんですね……」

 

香取は顔を両手で覆うと、俯き、小さく震えていた。

 

「……なんだよ?」

 

「ごめんなさい……。とても嬉しくて……」

 

「……泣いてんのか?」

 

「その逆です……」

 

顔を覗き込むと、顔を覆うその手の中で、香取は笑っていた。

 

「今……とってもだらしない顔をしています……」

 

「……大げさだな」

 

「ふふっ……そうかもしれませんね。でも……」

 

顔をあげた香取の表情は、まさに照れという言葉が似合うように、赤く、そして、にやついていた。

初めてみる表情だった。

 

「はぁ……暑いですね……」

 

手をパタパタさせて顔を仰ぐ香取。

そんな小さな動作でさえ、今の俺には愛らしく感じた。

 

「……うぅ~……やっぱり駄目です……。どうしてもにやけちゃいます……」

 

再び顔を隠す。

はたから見たら、香取が一人で盛り上がっているようであるが、外に出ないだけで、俺も同じ気持ちであった。

 

「ちょっと、頭を冷やしてきますね。ごめんなさい」

 

そう言うと、香取は部屋を出て行った。

取り残された俺は、ただぼうっと、香取の居た場所を見つめることしかできなかった。

 

 

 

結局、香取が戻って来たのは、一時間も後の事であった。

 

「すみませんでした……」

 

今度は顔を青くしていた。

無論、俺も同じであった。

 

「雰囲気に流されたとはいえ……夕張さん達の前であんな事を……」

 

「あぁ……」

 

あれから夕張達の姿は見ていない。

予定通り「街」へ行ったのか、はたまた――。

 

「寮の管理人であるパートナーという立場でありながら……。模範とならなきゃいけない立場であるのに……」

 

俺は香取を慰めようとしてしまったが、なんとか口を噤んだ。

俺も、管理人としての立場がある。

恋の雰囲気に飲まれて、その役目を疎かにしちゃいけねぇよな……。

 

「……間違いがあったことは事実だ。それは認めなきゃいけねぇ……。だが……問題はこれからだぜ……」

 

「……はい、大丈夫です。分かっています……」

 

そう言うと、香取は呼吸を整えてから、まるで条文でも読むかのようにして、話し始めた。

 

「香取は……貴方の気持ちを知れただけで満足しました……。それ以上は求めません……」

 

それは、自分たちの立場をはっきりと意識するための宣誓と言っても良かった。

 

「……あくまで俺たちはパートナーだ。昨日も今日も、変わらずな……」

 

香取はそれに「はい」と返事をした。

だが、付け加えるようにして――。

 

「未来だけは……変わるものである……。それで……いいでしょうか……?」

 

「……あぁ」

 

沈黙が続く。

 

「……よし、終わりだ。この話題は終わりだ」

 

「はい……」

 

「仕事に戻ろう。とりあえず……俺は「街」に行こうと思う。あいつらが無事かどうか……確かめなきゃいけねぇしな……。お前は残って仕事を頼む」

 

「分かりました」

 

準備をしていると、部屋の中に見慣れない財布が落ちているのに気が付いた。

 

「あ、それ……夕張さんの財布ですよ」

 

そう言えばそんなことを言っていたな……。

 

「…………」

 

夕張の奴……動揺してはいたが……香取の事を祝っていたな……。

あれは人となったことを祝ったのか……それとも――。

 

「……行くか」

 

財布を持って、部屋を出ようとした時であった。

 

「山岡さん……」

 

「なんだ?」

 

「あの……その……」

 

香取は恥ずかしそうに何かを躊躇った後、意を決したように顔をあげて、微笑んで見せた。

 

「い……いってらっしゃい……。ちゅ……ちゅっ……です……」

 

そう言って、投げキッスをして見せた。

 

「…………」

 

俺が唖然としていると、香取は焦ったように早口で説明を始めた。

 

「あ、あのあの……だ、だから……キス出来ないから……こういう形で……気分だけでも……。検査中に見た映画で……こういうシーンがあって……恋人同士が……いってらっしゃいって……新婚が……」

 

ちぐはぐの言葉は、香取らしくなかった。

だが、それが却って、愛らしく感じた。

 

「……その……なんだ……約束したんだから……そういうことは……するなよな……」

 

「あ……ご、ごめんなさい……」

 

しゅんとする香取。

…………。

クソ……こういう気障なことは、絶対に言わねぇと思っていたんだが……香取を元気づけるためには仕方ねぇ……。

 

「……そういうことされると……困るんだよ……。で……出かけられなく……なるだ……ろ……」

 

あああああああああああああああ……!

最悪だ……!

きめぇ……!

吐きそうだ……!

こんな気障な台詞……よく吐けたもんだ……!

こんなの……笑うだろ……!

絶対に……!

おら……! 香取……!

お前……これで笑わなかったら……!

 

「え……あ……。そ……そういう……ことですか……。ご、ごめんなさい……」

 

俺の予想に反して、香取は照れるようにして俯いた。

 

「わ……笑うとこだぜ……。今の……」

 

「わ、笑いませんよ……! だって……とっても……嬉しかったから……。あぅ……山岡さんこそ……そう言うのは……反則ですよ……」

 

そうだった。

香取は、冗談も真面目にとらえるような奴だった。

――いや、そうでなくても、今の香取には通用しなかったんだ。

それほどに、「恋の雰囲気」が強いんだ。

 

「……クソ、こんな茶番を続けてたら……いつまでたっても抜け出せねぇ……」

 

「そうですよ……。だから……早く行ってください……」

 

「てめぇが止めたんだろ!?」

 

「そ、そうですけど……。貴方だって気障な事を……あ……」

 

香取は何かに気が付いたようで、言葉を止めた。

 

「なんだよ?」

 

「い、いえ……その……。なんだか……今のやり取り……夫婦喧嘩みたいだな……と……」

 

「夫婦喧嘩って……」

 

再び沈黙が続く。

香取も俺も、顔を真っ赤にして佇むことしかできなかった。

 

「……駄目ですね。私達……」

 

「……そうだな」

 

俺と香取は目を合わせると、小さく頷いた。

それから、一言も話さないというように口を噤み、振り切るようにして部屋を出た。

香取も振り返ることはせず、一直線に机の上にある書類に手を付け始めた。

 

 

 

車で駅へ向かう途中、俺は何度も香取とのやり取りを思い出しては、悶絶していた。

 

「クソ……! うぅ……!」

 

恥ずかしさで死にそうだとは、まさにこの事であった。

 

「ばっかじゃねぇの!? あんなくっせぇ台詞をよぉ!? あぁ!?」

 

きっと、今の俺を見た奴は、やべぇやつが来たと思うだろうな。

それほどに、俺は荒ぶっている。

だが、そうでもしなければ、この恥ずかしさが発散されることは無かった。

 

「はぁ……はぁ……暑ぃ……。ふぅ……よし……」

 

落ち着いたところで、俺は再び駅を目指した。

 

 

 

電車に乗る頃には、もうすっかり記憶から例の事は消えていた。

 

「ん……」

 

ふと、ポケットに入っている夕張の財布に気がいった。

改めて見てみると、どうやら手作りのようであった。

 

「へぇ……よく出来てんな……」

 

あいつ、こういうの作るの、本当に好きだったからな。

灰皿とかも作って貰ったっけか。

禁煙したから、結局使ってないけど。

 

「…………」

 

あいつらには……悪い事しちまったな……。

気持ちを伝えられて、俺は何も返すことが出来なかったのに、香取の気持ちにはああも簡単に答えられちまっただなんて……。

 

「はぁ……」

 

結局、俺はあいつと同じ道を進んじまってるんだな……。

これからあいつらに会って、俺は何を話せばいいのだろうか……。

 

 

 

「街」着いて、まず向かったのは、榛名の店であった。

「街」と言えばここだからな。

 

「いらっしゃいませ。あ、山岡さん、いらっしゃい」

 

「おう」

 

店内を見渡す。

だが、夕張やポーラらしき人影は無かった。

 

「なあ榛名。ここに夕張とポーラ、来なかったか?」

 

「いえ……。見ていませんね……」

 

「そうか……」

 

「何か……あったのですか?」

 

「まあ……ちょっとな……。見かけたら、連絡くれないか?」

 

「はい。大丈夫ですよ」

 

「悪いな。じゃあ……」

 

出て行こうとした時であった。

 

「あら~、協力してもらうのに、ただでっていう訳~?」

 

振り返ると――。

 

「龍田……」

 

「一杯くらい注文したらどう? 汗もかいているようだし、少しお話でもしましょう~?」

 

「……悪い、そんな暇はねぇんだ」

 

再び出て行こうとすると、今度は俺の腕を掴んだ。

 

「おい」

 

龍田は珍しく視線を逸らし、暗い表情で俯いていた。

 

「……龍田?」

 

「ちょっとでいいの……。貴方の時間……私に頂戴……」

 

何やらただならぬ雰囲気に、俺は助けを求めるがごとく、榛名を見た。

榛名も龍田と同じように、俯いていた。

俺の知らない、二人だけが知っている何かが、あるようであった。

 

「……分かった。ちょっとだけだぜ……」

 

「ありがとう……」

 

 

 

榛名は注文も聞かず、黙ってアイスコーヒーを出してくれた。

そして、驕りだというように、伝票は置かれなかった。

 

「……これ飲んだら、出ていくぜ」

 

「えぇ……」

 

龍田はずっと目を合わせず、ただ俺のアイスコーヒーが減ってゆく様を見ていた。

 

「…………」

 

「…………」

 

気まずいな……。

何か話したいことがあるのだろうが、こいつ、俺とかかわる時は、嫌味くらいしか饒舌になれないんだろうな。

……仕方ねぇな。

 

「で……? わざわざ俺の時間を欲するだけの何かがあるんだろ?」

 

龍田はコーヒーを飲み干すと、ため息交じりにこういった。

 

「実はね……ここを離れることになりそうなの」

 

「離れる?」

 

「えぇ……。――鎮守府への誘いが来ていて……。選ばれちゃったの」

 

龍田は俺の反応を見るようにして、視線を向けた。

 

「期間はどれくらいなんだ?」

 

「分からないわ……。ここに戻って来れるかどうかも怪しいわね……」

 

確かに、あいつは三年間ではあったが、吹雪たちの期限ははっきりと決まってはいなかった。

 

「一応……離れることになりそうだと言ったように……任意ではあるの……。行くか行かないか……迷っていて……」

 

こいつが迷うことなんてあるんだな。

何事もきっぱりと決めそうなもんだが。

 

「行くべきか行かないべきか……。貴方だったら……どうするかしら……?」

 

「そうだな……」

 

俺は少し考えた後、コーヒーを飲み干して言った。

 

「俺だったら行くだろうな。それが、艦娘と人の溝を埋める第一歩になるというのならな。ましてや、選ばれたと来たら、行くしかねぇだろ」

 

気を遣った言い方でないことは分かっていた。

だが、龍田が相手だからこそ、そう言えた。

 

「……そう。そうよね……。分かったわ……」

 

龍田は立ち上がると、伝票の上に小銭を置いた。

 

「もういいのか?」

 

「えぇ……。引き留めてごめんなさい。話、聞いてくれてありがとう」

 

そう言って、龍田は店を出て行った。

 

「…………」

 

そうか。

龍田の奴、――鎮守府へ行くのに選ばれたか……。

やっぱり、優秀な奴だったんだな……。

 

「……寂しくなるな」

 

そうあいつに言えたらよかったのかもしれない。

だが、あえて言わなかったのは、俺と龍田の関係が、そう言う関係であったからであった。

そして何よりも、そんなことを言ったら、きっとあいつは――。

 

「山岡さん……!」

 

顔を上げると、榛名が真剣な目で俺を見ていた。

 

「なんだ? 心配しなくても、もう出ていくよ」

 

「そうではありません……!」

 

「?」

 

「龍田さんは……山岡さんに――鎮守府行きを止めて欲しかったんですよ……!」

 

「え……?」

 

 

 

駅前で、龍田の背中を見た。

 

「龍田!」

 

龍田は振り向かず、ただ足を止めた。

 

「はぁ……はぁ……」

 

「……何か用かしら? お金ならちゃーんとはらったじゃない?」

 

「お前……」

 

俺が何かを言う前に、龍田は口を開いた。

 

「止めに来てくれたのかしら?」

 

俺は何も言わなかった。

 

「……なんて、貴方がそうしないことくらい、分かっていたわ。私は、貴方の事、なんでも知っているのだもの」

 

「…………」

 

「……ただね、私の知らない貴方が……もしかしたら存在するんじゃないかって……私がそれを引き出すことが出来たらって……思っていたの……。だから、貴方にあんなことを言ったの。笑っちゃうでしょ~?」

 

龍田は口元に手を持っていき、あたかも笑っているかのように振る舞った。

だが、笑ってないことくらい、俺にだって分かっていた。

 

「けど、貴方はやっぱり貴方だった。貴方を……気の迷いに誘い込むことは出来なかった……」

 

「龍田……」

 

「……夕張さんとポーラさんの話を聞いたわ。貴方と香取さんが……結ばれるかもしれないって……」

 

「……あいつらに会ったのか」

 

「えぇ……。黙っていてごめんなさいね……。その話を聞いた時、今回の話をしようと決意したの。きっと貴方は、香取さんの気持ちに対して、自分を忘れる行動をとったのだと思う。私も……貴方をそうさせたかった……」

 

それを聞いて、やっと龍田の言っていることを理解できた。

同時に、龍田の気持ちも――。

 

「貴方が好きだった。貴方の中に眠る……もう一人の貴方がね……。けど……それも今日限りにするわ……」

 

「…………」

 

その時、ちょうど駅に電車が入って来た。

 

「……そろそろ行くわ。お見送り、ありがとう」

 

「龍田……」

 

「さようなら」

 

龍田が駅の中に消えて、数十秒もすると、電車は発車した。

遠ざかる電車を、俺はただ、見つめることしかできなかった。

 

 

 

結局、「街」に二人はいなかった。

いや、既にいなかったというのが正しいだろう。

来てはいたようであるが、すぐに寮へと戻ったらしい。

 

「…………」

 

帰りの電車内にクーラーは無く、扇風機が回っているのみであった。

窓はいくつか開いており、風が入ってくる分、まだ涼しく感じた。

何処までも伸びる朱色の景色。

靡く草原が、いつか見た海の景色を思い出させ、俺の気持ちをより一層沈ませた。

 

「はぁ……」

 

俺は、今日一日に起こったことを、頭の中で整理していた。

香取が帰ってきたこと。

鹿島に香取の気持ちを聞かれたこと。

山風が満点を取ったこと。

香取に告白されたこと。

告白をOKしたこと。

夕張とポーラに、キスを見られたこと。

二人を探しに行ったこと。

龍田が異動になること。

 

「…………」

 

そして……これから起こること……。

 

 

 

寮に戻ると、丁度夕食の時間であったらしく、食堂に向かう奴らがついでにという感じで、俺を迎えてくれた。

 

「パパ、お帰り」

 

「おう、ただいま」

 

「山岡ぁ、どこ行ってたんだよ? ゲームやる約束だっただろー?」

 

「そうだったっけか。悪いな摩耶。また今度な」

 

「今度約束破ったらぶっ飛ばすかんな!」

 

そんなやり取りをしている後ろで、ポーラと目が合った。

 

「ポーラ……」

 

ポーラは微笑んで見せると、小さく手を振って、食堂へと向かっていった。

 

「…………」

 

「パパ? どうかした?」

 

「ん……いや……」

 

「早く、食堂に行こう? 席、無くなっちゃうよ?」

 

「あぁ……そうだな……」

 

無視でもされるものだと思っていたが、ポーラの奴、特に変わった様子は無かったな。

むしろ……どこか……。

 

 

 

食堂では、香取が気を遣ってくれたのか、山風と二人の席で飯を食うこととなった。

 

「えへ……美味しいね……」

 

「そうだな」

 

横目で食堂を見渡す。

ポーラは摩耶たちと楽しそうに食事をしていたが、夕張はいなかった。

 

「…………」

 

 

 

飯を済ませ部屋に戻ると、香取が待っていた。

 

「お疲れ様です」

 

「おう。どうした?」

 

「お仕事という口実で、来ちゃいました。ふふっ」

 

「口実ってお前……」

 

「仰りたいことは分かります。でも……これくらいは許されてもいいと思うのです。別に変な事をするわけでも無いですし……お仕事の話でもしながら、過ごすくらいは……」

 

そう言うと、香取は俺を上目遣いで見て、様子を伺った。

まるで、欲しいものを強請る子供のようで、これまたなんとも……。

 

「……まあ、そうだな。仕事だしな」

 

「そうですよ! これはお仕事です! ふふっ」

 

はしゃいでんな。

ま、俺もちょっとだけ、カップルみたいな雰囲気に、気分が浮ついてしまってはいるが……。

 

「そう言えば、いつの間にかあいつら帰って来たんだな」

 

「えぇ、山岡さんが出て、一時間くらいで帰ってきました」

 

ちょうど入れ違えた感じか……。

 

「あいつら、何か言っていたか?」

 

「いえ……特には……。いつも通りと言いますか……」

 

「そうか……」

 

なんつーか、逆に怖いな……。

夕張はどうか知らねぇが、ポーラはショックを受けたようだしな……。

それが何もなく、いつも通りってのは……。

 

「夕張はどうした? 食堂に居なかっただろ」

 

「工廠でやることがあるそうで……向こうで食べると……」

 

「……それを許したのか? 良くないとこの前……」

 

「ご、ごめんなさい……。その……あんなことがあった後でしたから……」

 

「気持ちは分からなくもないが……」

 

「すみません……」

 

「仕方ねぇ……。ちょっと行ってくるぜ」

 

「え……工廠へ行かれるのですか?」

 

「あぁ」

 

「どうして……?」

 

「どうしてって……管理人として注意しに行くついでに、様子を見てこようと思ってな」

 

そう言ってやると、香取は表情を曇らせた。

それを見て、俺は香取のらしからぬ感情を知った。

 

「心配しなくても、浮気はしねぇぜ」

 

「そんなのでは……」

 

「それとも、俺はそんなに信用無い男だったか?」

 

香取は首を横に大きく振ると、複雑な表情を見せた。

 

「これは仕事だぜ。それに、約束しただろ。未来はどうか知らんが、今の俺たちはパートナーだ。それ以上でもそれ以下でも無い。そうだろ?」

 

「分かっています……。すみません……」

 

いつもの香取であれば、そこんとこの住み分けはしっかりと出来るはずだが、まぁ今はな……。

 

「気持ちは分かるぜ。舞い上がっちまうよな。最初はそんなもんだ」

 

「……なんだか馴れてますね」

 

「まあ、恋沙汰を色々見てきたし、俺自身もそれに近い経験をしたことがあるしな」

 

「そうですか……」

 

まるで、そんな話には興味が無いと言わんばかりに、香取は冷たく返した。

 

「とにかく、様子を見てくる。すぐに戻るから心配すんな」

 

「はい……」

 

 

 

寮を出て、横目で俺の部屋を見ると、案の定香取が窓越しにこちらを見ていた。

俺の視線に気が付くと、何事も無かったかのようにしてカーテンを閉めていた。

 

「…………」

 

本当、こういうのって人を変えるよな。

この前までまじめだった奴が、こうも……。

悪いことではないのだろうが、ぼんやりとした不安が襲ってくるのはなぜだ。

 

「提督」

 

声のする方を見ると、ポーラがベンチに座っていた。

 

「こんばんは、です。えへへ」

 

「ポーラ……」

 

「夕張のところに行くんですよね。知ってます」

 

そう言うと、ポーラは珍しく、缶コーヒーを俺に渡した。

 

「好きですよね」

 

「あぁ……まぁな……」

 

「一緒に飲みましょう。缶コーヒーなら、提督も嫌じゃないですよね?」

 

俺が何かを言う前に、ポーラは手を引いて、隣に座らせた。

 

「えへへ~、たまにはこういうのもいいですね~」

 

こいつが酒以外を持ってくるなんてな。

言い方的に、俺に気を遣ってくれたのだろうが……。

…………。

気を遣う……か……。

 

「……別に酒でも良かったんだぜ」

 

「それでも、コーヒーの方が良いでしょう?」

 

「まあ、そりゃそうだが……」

 

コーヒーはキンキンに冷えてやがった。

 

「ポーラ、ずっと提督に我が儘言ってきましたから……」

 

「今度は自分の番だと?」

 

そう言うと、ポーラは俯き、頷いた。

 

「ポーラ、前に提督から好きって言われて、凄く嬉しくて、凄く舞い上がって、凄く……勘違いしちゃいました……」

 

「……勘違い?」

 

「はい。提督はポーラが好きで、ポーラも提督が好きで……えへへ……だから、我が儘をたーくさん言ってもいいし、お酒も楽しんでくれてるって。ポーラと一緒に居ることが、一番楽しいんだって」

 

「…………」

 

「でも、そうじゃなかったみたいです。えへへ……」

 

そこに、いつものポーラの笑顔は無かった。

何処か、悲しそうな――。

 

「ポーラ……」

 

「香取さんの事、凄くショックでした。でも、もう大丈夫です」

 

「え……?」

 

「ポーラ、提督と一緒にお酒を飲んだり、こうしてお話したりできれば、それで十分です。今までと同じように、お友達として。親友として」

 

嗚呼……。

 

「だから、これからもお友達でいて欲しいです。お願いします」

 

そういうことか……。

 

「……ああ、もちろんだ」

 

「えへへ……これからは、ちゃーんと提督の事も気遣うようにしますからね」

 

「おう……ありがとう……」

 

「じゃあ、戻りますね」

 

そう言うと、ポーラは寮へと戻っていった。

 

 

 

工廠に入ると、夕張はいつもと同じ反応を見せた。

 

「いらっしゃい。今、コーヒーを……」

 

「いや、今飲んできたところだ」

 

「そ。じゃあ、私はいただくわね」

 

ソファーに座り、夕張を待った。

 

「夏はアイスコーヒーだから楽だわ。紙パックはリサイクルできるし」

 

「……そういや、――鎮守府のイベントでも、子供たちに紙パックを使った工作をさせていたな」

 

「明石が教えてくれたことを真似てるだけだけどね」

 

氷がグラスを叩く。

その音は、この工廠中のどの音よりも、大きく聞こえた。

 

「お待たせ。それで? 何か用事? あ、香取さんと喧嘩したとか?」

 

「夕食の件だ。前にも注意しただろ」

 

指摘されても、夕張は平生を保っていた。

 

「ごめんね。でも、貴方と二人で話したかったし、こうでもしないと、ここに来れなかったでしょ。香取さん、ああ見えて嫉妬深そうだし」

 

「……よく知ってんのな」

 

「あ、やっぱりそうなんだ」

 

「んだよ……。鎌掛けかよ……」

 

夕張はいつものように隣には座らず、作った椅子を持ってきて、そこに座った。

 

「ポーラさんに会った?」

 

「ああ、さっきな」

 

「何か言ってた?」

 

「……何かってのは?」

 

「分かるでしょ?」

 

一瞬の静寂。

 

「……今まで通り、親友でいようと言われた」

 

夕張は返事もせず、ただ手元のコーヒーを見つめていた。

俺は構わず、ポーラと何を話したのかを伝えた。

 

「――ということだ。山風と一緒だ……。我が儘は言わないし、気を遣うんだってよ……」

 

「そっか……」

 

「要するにさ……」

 

俺は少し躊躇った後、零す様に言った。

 

「フラれたんだ。あいつにさ……」

 

それを聞いて、夕張は鼻で笑って見せた。

 

「フラれたって……。そこまで言うのなら、ポーラさんに伝えればよかったのに。好きだって。そしたらきっと、ポーラさんの気持ちも変わったと思うわ」

 

「…………」

 

「けど……そうしなかった。それって、やっぱり香取さんが好きだから?」

 

「……かもな」

 

夕張の持つカップの中で、氷の崩れる音がした。

 

「……私達ね、あれから「街」に出たの」

 

「ああ、知ってる……。追いかけたんだぜ……。入れ違いになったけどな……」

 

「そこでね……龍田さんに会った。ポーラさんが泣いてるものだから、声をかけてくれてね……」

 

「それも知ってる……。あいつに会ったからな……」

 

「……じゃあ、私たちがどんな事を話したかも知ってる?」

 

「大体はな……」

 

「そ……。あの人……本当に貴方の事をよく知ってるのね。私たちが何を見たのか話しただけで、貴方が香取さんをどう思っているのか、見抜いてた」

 

「…………」

 

「それを聞いて……私もポーラさんも……色々吹っ切れてね……。帰って来たって訳……。ポーラさん、私に語ってはくれなかったけど、貴方を諦める決心がついていたのね。意外と強い人なんだ……」

 

そう言うと、夕張は膝を抱えた。

 

「ね……。本音で答えてくれていいからさ……傷つかないって約束するからさ……貴方が香取さんの気持ちにどう答えたのか……教えて欲しい……」

 

その決意があると言うように、俺の目をじっと見つめた。

 

「……あぁ、分かった」

 

俺は事細かに全てを話した。

香取が人と認められる可能性があること。

告白されたこと。

それに対して……自分も同じだと答えた事……。

 

「俺は……断るつもりだったんだ……。けど……そうは出来なかった。同情だとか、そう言うのではない。単純に……そう出来なかった……」

 

「……それだけ好きだって事なんでしょ? 私が告白した時は……そうじゃなかったんだから……」

 

「龍田も言っていた……。俺ですら知らなかった俺を……あいつは引き出したんだ……」

 

「……そっか」

 

長い沈黙が続く。

俺も夕張も、何を言っていいのか分からなかった。

だが、一つだけ……。

たった一つだけ……出さなきゃいけない答えがあった。

 

「もし……」

 

「…………」

 

「もし……私が香取さんと同じように……人として……認められるようになっていたら……何か……変わっていたのかな……?」

 

俺は答えなかった。

いや、答えられなかった。

慰めようと思えば、そう出来たのかもしれない。

だが、夕張に対して、それはしたくなかった。

こいつとは、本音でぶつかりたかった。

 

「……かもしれねぇな」

 

俺の気持ちを知ってか知らないか分からないが、夕張は小さく「そっか……」と言った。

そして、それ以降、香取が遠くから俺を呼ぶまで、一言もしゃべることは無く、ただカップの中で解け行く氷を、じっと、見つめていた。

 

 

 

あれから数週間。

夏の終わりと秋の始まりを同時に感じることの出来るような、そんな季節を迎えていた。

 

「山岡さん、お仕事の休憩に、お菓子でもいかがでしょうか?」

 

「おう、貰おうか」

 

「はい、あーん」

 

「お、おい……自分で食うからやめろ」

 

「えー……? でしたら、香取に食べさせてください。あーん」

 

香取の奴、ここ数週間でマジに変わっちまったな……。

こんなに甘える声を出すやつだったか……?

 

「なあ香取……。お前、約束忘れてねぇよな……?」

 

「はい、忘れていませんよ。香取は山岡さんのパートナーですっ。ふふっ」

 

「……仕事のな?」

 

「分かっています。ほら、誰も見ていない内に、あーん」

 

「あーんは無しだ」

 

「それも無しですか!? それくらい……誰も見ていませんし……。山岡さん……NGが多くないですか?」

 

「以前はそんな事しなかっただろ。いつも通りって約束だぜ」

 

「そうですけど……。むぅ……。せっかく恋人になったのに……」

 

「なってねぇだろ……」

 

「……もういいです」

 

こうやって拗ねるのも、見慣れたもんだな……。

 

 

 

息が詰まる気がして、俺は外のベンチへと避難した。

数週間前、ここでポーラにフラれたんだよな……。

あいつは相変わらずではあるが、以前のように酒を飲もうと誘ってくることは無くなった。

食堂で会ったり、勉強を見てやったりすることはあっても、しつこく絡むことは無く、山風と同じように、遠慮して距離を保っているようであった。

 

「…………」

 

すっかり使われなくなった灰皿を手に取る。

夕張が作ってくれたものだ。

あいつも大きく変わりはしないが、俺との会話は最低限のものになっていた。

飯はちゃんと寮で食うし、消灯時間前にはちゃんと帰ってくるようになった。

だから、俺が工廠に行く理由も無くなったし、香取の機嫌が悪くなるもんだから、以前のように気軽には行けなくなった。

 

「はぁ……」

 

皆が離れて行く。

こんなにも寂しさを感じたのは、いつ以来であろうか……。

いつか……俺の目の前から誰もが消えて行き、独りぼっちにでもなったら……俺は――。

 

「……いや、大丈夫だ」

 

香取がいる。

今はこんな状態だが、いつか必ず……。

香取も同じ気持ちを持ち続け、仕事に励んでいてくれるはずだ。

 

「きっと……」

 

だが、そんな俺の想いとは裏腹に、香取の気持ちが落ち着くことはなく、とうとうそれが爆発する出来事が起こってしまった。

 

 

 

それは、夏最後に開催される、夏祭りのイベントの事について話している時であった。

 

「夏祭り、楽しみですね」

 

「あぁ、そうだな」

 

「浴衣も支給されるようですし、この日ばかりは皆さんはしゃいでいますから、監視の目も緩くなるでしょうね」

 

そう言うと、香取は俺をじっと見つめた。

 

「ですから、きっと二人っきりになっても……大丈夫ですよね?」

 

きっと、ここでそうだと言っておけば、何かが変わったのかもしれない。

……いや、或いは、いずれは起こることを、ここで起こしてしまっただけか。

 

「いや、いくら監視が緩いからと言って、気は抜けねぇだろ。二人っきりってのは難しいから、山風でも誘って――」

「――どうしてですか……?」

 

マジなトーンで言う香取に、俺は思わず閉口した。

 

「どうして……山岡さんはいつも……香取を避けるのですか……?」

 

「さ、避けてねぇだろ……。俺はあくまでも、将来の事を思って――」

「――香取は今がいいのです!」

 

そう言うと、香取は拳をぎゅっと握りしめた。

 

「か、香取……?」

 

「香取は……もっと……手を繋いだり……肩を寄せ合ったり……キスしたり……。もっと……お互いが好きであることを……感じていたいだけなんです……」

 

「…………」

 

「なのに……山岡さんは……NGばかりで……。香取の事……避けてます……」

 

「そんなことは――」

「――少なくとも……!」

 

呼吸を整え、今にも泣きだしそうな声で、零した。

 

「少なくとも……香取は……そう……感じてしまうのです……」

 

「香取……」

 

「山岡さんの気持ちは分かります……。我慢していることがあるのも知っています……。将来の事……約束の事……。それを守らなきゃいけない事も……」

 

「…………」

 

「でも……それにしたって……山岡さんは……あまりにもドライです……。香取は……こんなにも胸が痛くて……苦しくて……。何度も何度も……枕を濡らしてきました……」

 

そう言うと、香取はとうとう泣き出してしまった。

 

「……そうか。そうだったのか……。ごめんな……気付いてやれなくて……。ただ――」

「――分かっています……」

 

俺の言葉を遮ると、香取は涙を拭いて、俺に向いた。

 

「だから……もう……やめにします……」

 

「え……?」

 

「このまま貴方を好きになっても……苦しいだけで……お互いの為にはならないと思うんです……」

 

「香取……?」

 

「終わりにしましょう……。山岡さんの言う通り……あの日の事は無かったことにして……いつも通り……ただのパートナーとして――」

 

それは、約束と同じであるが、意味合いとしては、大きく違っていた。

 

「香取……今だけだろ……? 俺たちは将来があるだろ……? それまで、頑張ろうぜ……? その為の約束であって、俺はその為に――!」

「――そこが……そもそも違ったのかもしれません……」

 

香取は、今まで見せたことのないくらい、冷たい目を俺に向けた。

 

「香取は……ただ恋愛がしたかっただけなのかもしれません……。誰かを好きになって、小説や映画のように、甘い恋をして……甘い関係を持って……甘い日々を過ごす……」

 

「…………」

 

「そんなこと、出来ないことくらい分かっていました。それでも……やっぱり足掻いてみたくて……。けど……こうなってしまって……」

 

「……待てよ。それじゃあ……」

 

香取は躊躇ったあと、決心がついたようにして、俺を見た。

 

「山岡さんの思うような恋愛感情と……香取の恋愛感情は……全くの別物です……。香取は……いつになるか分からないその時を待てる覚悟も……気持ちも……ありませんでした……」

 

嗚呼……。

香取は深く頭を下げた。

 

「山岡さん……」

 

やめろ……。

 

「貴方の気持ちを抱えられるほど……香取は……強くありませんでした……」

 

やめてくれよ……。

 

「ごめんなさい……」

 

そう言って、香取は部屋を出て行った。

 

「…………」

 

俺は、足元がふらついて、そのまま落ちるようにして、床に座り込んだ。

 

「やめてくれ……」

 

俺を……。

 

「俺を……」

 

俺を……。

 

「独りに……しないでくれ……」

 

 

 

「えー! じゃあ、山岡君ってぇ、艦娘と暮らしてるんだ~。すごぉい!」

 

「まぁな! 俺くらいになると、勉強も教えちゃったりさー!」

 

「すごぉい!」

 

「ハハハ」

 

 

 

「ふぅ……」

 

久々に参加した合コン。

こんなにも楽しくなく、疲れるものだったか。

 

「山岡、今日は残念だったな」

 

同期の飯島は、帰り道を運転しながら、煽るようにして言った。

 

「いつもの事だろ……」

 

「ハハハ、違いないな」

 

あれから俺は、寂しさを埋めるようにして、同期と飲んだり、こうして合コンに参加したりしている。

 

「…………」

 

全ては身から出た錆だ。

因果応報とも言うだろう。

本来成すべき事を忘れ、一時の感情に流された結果だ。

その失敗を酒で誤魔化そうとしても、忘れるのは飲んだ記憶だけであり、虚しさだけはアルコールと共に残り続けた。

 

「山岡、お前、最近なにがあったろ」

 

「何かって?」

 

「いや、分からないけどさ。ほら、飯田にフラれた時と似てるからさ。好きじゃ無いのに飲もうと誘ったり、合コンセッティングしたりさ」

 

「そうだったか?」

 

「ま、そう言う時もあるだろうけどさ。あんまりだらけるなよ? 合コンでも大口叩いてたが、お前は艦娘の模範とならなきゃいけない立場なんだからさ」

 

「分かってる。いちいち言うな……。黙って運転してろってんだ……」

 

「ハイハイ。もうすぐ着きますよ、お客さん」

 

施設が近付くに連れ、赤い光がぼんやりと見えてきた。

そう言えば今日は、夏祭りが開催されるんだったな。

 

 

 

飯島と分かれ、気分転換も兼ねて祭りに参加することにした。

開催時間前にも関わらず、浴衣を着た艦娘達で溢れていた。

 

「あ、山岡さん」

 

「香取」

 

「いらしていたのですね。今日はお休みで外に出ていると聞いていたのですが」

 

「さっき帰ってきたところだ。誰もいない寮に戻るのもあれだし、様子でもと思ってな」

 

「そうでしたか」

 

「浴衣、似合ってるな」

 

「ふふっ、ありがとうございます」

 

そんなことを話していると、鹿島がやって来た。

 

「あ、山岡さん。こんばんは」

 

「おう。お前も浴衣、似合ってるな。あいつに見せたら、あまりの可愛さに腰でも抜かすんじゃねぇか?」

 

「もう、山岡さんったら。酔ってますね?」

 

「まあ、ちょっとな」

 

他愛の無い会話。

こうして話せるのも、俺たちがそこまで深い関係ではないからこそであろう。

 

「では、私たちはそろそろ」

 

「おう。楽しんでこい」

 

香取と鹿島は人混みに入り込むと、すぐに見えなくなった。

 

「…………」

 

本来、人と艦娘である以前に、繋がりってのはこの程度であるべきなのだろうな。

それ以上を求め、深く考えすぎているのが、今の俺なんだろう。

 

「はぁ……」

 

香取は俺をドライだと言った。

それは俺自身が香取という、言うならば絶対的な、将来を約束されたパートナーに依存し過ぎていたからこそ、出てきた態度なのだろう。

 

 

 

祭りが始まると、より一層賑わいだした。

我が不寮の艦娘たちは、俺を見かけると声をかけ、何か買うようにねだった。

買ってやると、用済みだと言うようにして、何処かへと消えていった。

別にかまいやしないが、今の俺には結構なダメージだ。

 

「うへへ~。お酒美味しいですね~」

 

テントに行ってみると、ポーラが那智や隼鷹たちと飲んでいた。

声をかけようかと思ったが、変に水を指す可能性があったし、とてもじゃないがこの面子のペースについて行く事が出来そうになかった。

 

 

 

それからも、山風や天龍、摩耶達にも会ったが、どいつもそれぞれ楽しんでいるようで、俺が入り込むと隙はなかった。

 

「……って、ここで何を期待したんだ……俺は……」

 

いつの間にか、誰かいないかと、人混みに目を凝らしていた。

つくづく思う。

俺は寂しい人間なんだと。

 

 

 

結局、人混みに一人でいることが耐えられなくなり、近くの小さな丘へと逃げてきた。

そこにはベンチが一つだけあり、祭りの様子が望めた。

 

「…………」

 

ここに来たのは初めてではない。

以前によく、香取に内緒で煙草を吸いに来ていた。

 

「煙草……」

 

久々に吸いたくなってきたな。

あれがあると、幾分か気が紛れたし、今の俺には――。

 

「はい、煙草」

 

目の前にくしゃくしゃの煙草の箱と、マッチ箱が。

それを持っているのは……。

 

「夕張……」

 

「驚いた? 隣、いい?」

 

「あ、あぁ……」

 

夕張は煙草の他に、たこ焼きやかち割りを持っていた。

 

「お前、この煙草……」

 

「盗んできたの。お偉いさんが泥酔してたから、こっそり……ね」

 

「なにやってんだお前……」

 

「さっき貴方を見かけてね。ここに向かっているようだったから、必要かなって」

 

夕張はなにが可笑しいのか、クスクスと笑った。

 

「……ったく、しょうがねぇ奴だな。ほら、寄越せ。共犯になってやる。証拠隠滅だ」

 

煙草を咥えると、夕張が火を着けてくれた。

 

「サンキュ……」

 

久々の煙草は、最高にうまかった。

 

「美味しい?」

 

「あぁ」

 

「そ。良かった」

 

気持ちも落ち着いた頃、改めて夕張を見た。

 

「お前は浴衣、着なかったのか」

 

「見たかった? 何なら着替えてくるけど」

 

「別にいいよ」

 

「見たくないんだ」

 

「そうは言ってねぇだろ」

 

「じゃあ見たい?」

 

着てほしいか着てほしくないか。

それだけを答えればいいだけであったが、落ち着いた事もあり、俺は自然と違う答えを出していた。

 

「着替える時間があるなら、その分ここに居てくれ……。その方がいい……」

 

それを聞いた夕張は、少し驚いたような表情を見せたあと、祭の方へと目を向けた。

 

「そっ……。そっかそっか……。うん……分かった……」

 

沈黙が続く。

 

「あ……たこ焼き食べる? まだ温かいわよ」

 

「いや、大丈夫だ」

 

「そ……」

 

再びの沈黙。

夕張は居たたまれなくなったのか、たこ焼きを静かに食べ始めた。

やがて、俺の煙草も燃え尽き、夕張のたこ焼きも無くなった。

 

「…………」

 

「…………」

 

遠くに聞こえる祭囃子。

それがより一層、今の沈黙を演出していた。

 

「……笑わないのか?」

 

「え……?」

 

「香取にフラれた俺を見てさ。お前の気持ちを余所にした結果が、こんなんだぜ。普通は笑うところだ。さまぁねぇって」

 

「そんなに性格悪くないわ」

 

「だったら、恨みの一つでも言ったらどうだ?」

 

「貴方が言って欲しいだけでしょ。聞いたところで、楽にはならないわよ」

 

夕張は分かっているというように、微笑んで見せた。

 

「確かにショックだったけど、私が香取さんの魅力に勝てなかったってだけだから」

 

「…………」

 

「……そう言えば、今日の合コン、どうだったの?」

 

俺が黙っていると、夕張は察したようで、それ以上は聞かなかった。

 

「艦娘にはモテるのにねー」

 

「フラれたけどな。それに、もう俺を好きな奴は誰もいないだろ。真の意味で、俺はモテない男となった訳だ」

 

「ふりだしに戻っただけじゃない」

 

「確かにそうだな。だが、持て囃された分の落差があるから、辛いもんだぜ」

 

艦娘にモテて、割と浮つき、調子に乗ってたんだなと、今になって思った。

 

「……悪いな。こんな話に付き合って貰ってよ。もういいぜ。遊んで来いよ」

 

「いいのよ強がらなくて。私が一緒に居てあげる」

 

「そんなんじゃねぇよ」

 

もう一本、煙草に火をつけると、夕張が近づいてきた。

 

「おい、煙いぜ」

 

「言ったでしょ。この匂い、案外好きだって」

 

「……変な奴だな」

 

「貴方にはお似合いでしょ」

 

そう笑う夕張に、俺は香取の影を見た。

 

「同情してんのなら、慰めは逆効果だぜ……」

 

「そんなんじゃないって」

 

「本当かよ……」

 

「言ったでしょ。ふりだしに戻っただけって」

 

「あ?」

 

「ふりだし。貴方がモテないモテないと嘆いていたころに、戻っただけ」

 

夕張はさらに距離を詰めると、とうとう密着した。

 

「お前……」

 

「……私はその頃から……貴方を想っていたのよ……?」

 

だから……ふりだし……。

 

「……馬鹿言うな。俺はお前の気持ちを余所にしたんだぜ!? 普通、そんな奴に……」

 

「うん……。ほら……私、変人だからさ……」

 

そんなのは屁理屈だ。

俺が理解できないでいると、夕張は続けた。

 

「私は……香取さんみたいに貴方の心を動かせないし……ポーラさんみたいに胸があるわけでも無い……。龍田さんみたいに貴方の事を理解してるわけでも無いし……飯田さんのように人であるわけでも無い……」

 

「…………」

 

「でも……私は……私にだけ出来ることが……一つだけあるって……思ったの……」

 

「お前にしか……出来ない事……?」

 

「うん……」

 

そう言うと、夕張は、膝を抱え、そこに顔を埋めて、小さく零した。

 

「貴方を……好きで居続ける事……」

 

遠くで、しょぼい花火が一発、低い位置ではじけ飛んだ。

小さな拍手と、玉屋鍵屋うらめしやと、なんとも語呂のいい言葉も聞こえてくる。

 

「……お前……マジで馬鹿じゃねぇのか……?」

 

「うん……。馬鹿かも……」

 

「だって……お前……」

 

俺は先ほどと同じ言葉を言おうとしていることに気が付いて、閉口した。

 

「分かってるわよ……。それでも……そうなの……」

 

「…………」

 

「こればかりは……仕方のない事なの……。貴方が香取さんに心を奪われたように……私も……貴方に心を奪われたままなの……。あんなことがあっても……どんなことがあっても……それは変わらなかった……」

 

「夕張……」

 

「私は……待てるわ……。どんなに時間がかかっても……必ず……貴方の傍にいる自身がある……」

 

そう言うと、夕張はそっと、俺の手をとった。

 

「私じゃ……駄目かな……? 私じゃ……貴方の寂しさを……埋められない……? 私じゃ――」

 

夕張の言葉を遮ったのは、他でもない俺だった。

 

「貴方……なんで泣いてるの……?」

 

俺にも分からなかった。

どうして俺は泣いて……。

 

「な……泣かないでよ……」

 

「わ、悪い……。どうしてか……。つーか、なんでお前まで泣いてんだよ……」

 

「貴方が泣いてるからでしょぉ……うぅぅ……」

 

それから、俺たちは訳も分からず泣き続けた。

幾度となく、しょぼい花火の光に照らされながら――。

 

 

 

涙も乾いたころ、俺たちは顔を合わせ、今度は大笑いをした。

 

「ぶっ……だっははははは! 訳分かんねー!」

 

「あっははははは! 本当ねー!」

 

「なーに泣いてんだって話だぜ、マジで」

 

「あーあ、本当、お腹痛いもん。あはははは!」

 

ひとしきり笑った後で、俺たちはベンチに深く腰掛けた。

 

「あー……久々にこんなに笑ったぜ」

 

「私もよ。こんなに泣いたのも久々だったけど」

 

「そうだったか? お前、いつも泣いてるイメージだがな」

 

「貴方の前では泣いたことないわよ」

 

「泣いてるのは事実なんだな」

 

祭りは終わりに近づいているようで、放送がそれを伝えていた。

 

「本当……お前が変なこと言うからさ……」

 

「別に変な事じゃないでしょ。事実なんだから……」

 

夕張は解け切ったかち割りを飲み干すと、むすっとした表情を見せた。

 

「……マジな話……本気なのか……?」

 

「そうだって言ってるでしょ……」

 

「……そうか」

 

長い沈黙が続く。

夕張は俺の方をちらりと見ると、お揃いた表情を見せた後、顔を真っ赤にして見せた。

 

「どうした?」

 

「ん……」

 

そして、顔を背けながら手鏡を俺に見せ――。

……嗚呼。

 

「……どうやら、俺の知らない俺が、勝手に返事をしてしまったようだな」

 

「……そのようね」

 

鏡を退け、俺は夕張に向いた。

 

「夕張」

 

「……なに?」

 

いくら俺の知らない俺が返事をしたところで、それは俺じゃない。

俺は、ちゃんと、俺として返事をしたかった。

 

「その……よろしくな……」

 

「…………」

 

夕張は小さく頷くと、これまた小さく鼻を鳴らした。

俺はその小さく震える小さな肩を、そっと、小さな愛情をもって、抱いてやった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ねえ、聞いた? 第二寮の寮長さん、こっちに帰ってくるんだって」

 

「そうか……。もうそんなに経ったのか……」

 

「あの頃の状態しか知らないんだから、今のここを見たら、きっと驚くわよ」

 

「ああ、そうかもな。」

 

「しかしまあ、本当に色んなことがあったわねー」

 

「俺が一番驚いてるのは、お前が未だにこうして俺と居てくれているって事だけどな」

 

「そんなのは当然すぎて驚きもしないでしょ。それとも、やっぱり信用していなかったって訳?」

 

「そう言う訳ではないが……」

 

「それよりも、もっと驚くことがあるでしょ」

 

「ああ、まあそうだな」

 

「……本当、ここまで待った甲斐があったわ」

 

「あぁ……」

 

感傷に浸っていると、夕張と俺は面接官に呼ばれた。

 

「入り給え」

 

「よし。行くぜ、夕張」

 

「うん」

 

そう言って、夕張と俺は、手を繋ぎ、面接官の居る部屋へと入った。

 

「本部所属、第十軽巡寮常駐管理人の山岡です!」

 

「第十軽巡寮、管理人パートナーの夕張です!」

 

「そう緊張しなくいてもいい。リラックスしたまえ。ささ、どうぞお座りください」

 

「はい、失礼します。夕張」

 

夕張が座るのを待ってから、俺も座った。

 

「それではただいまより、適正パートナー試験を開始いたします」

 

――続く




これにて山岡編は終了です。
次回からは、三年後編となります。
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