第17話
『――では、深海棲艦のコアが存在することを、国は隠していたという事でしょうか?』
『隠していた……というよりも、あくまでも国民に不安を与えない為の考慮であって、隠ぺいとは……』
『しかしだね。コアの存在が確認されて、今でこそ艦娘には存在しないことが証明されたとはいえ、それまでイベント等で艦娘と人間が接触する機会はあったんだ。艦娘がコアを持っている可能性を否定できなかった時期にも関わらず、だ。その当時、コアの存在を国は把握していたんだろう? これは隠ぺい以外の何物でもないだろう』
『そうよ。それに、コアが無かったからと言って、深海棲艦にならない可能性は否定できないでしょ? コアだけじゃなく、別の要因だってあるかもしれないのに』
『それは貴女が無知なだけでは? コアがどういう形をしていて、何処に存在するのか……。また、どういう物なのか、貴女は知っているのかね?』
『無知ではなく、情報が十分に開示されていないだけで――』
テレビの電源を切り、俺はソファーに深く腰掛けた。
静かになった部屋には、クーラーの唸る音と、遠くに聞こえる蝉の大合唱だけが響いていた。
「よっと……」
立ち上がり、窓の外を見る。
一面に広がるソーラーパネル。
遠くに見える一台の風力発電機。
どれも、三年前にはなかった設備であった。
「意味があるとは思えんがな……」
「まあな」
そう言ってのって来たのは、山岡だった。
「よう。久しぶりだな。待たせて悪かったな」
久々に会った山岡は、昔のようにだらしのない恰好ではなく、きちっと制服を着ていた。
「馬子にも衣裳だな」
「はっ……俺に対する第一声がそれかよ。ったく、安心したぜ」
山岡は俺の肩を叩くと、窓の外に目をやった。
「設置費を考えると、赤字なのは目に見えてる。メンテもしなきゃいけねぇし、ソーラーパネルに限っては、カラスかなんかが石を落としたりして割ってくんだぜ? あれ一枚でどれだけかかると思ってんだか……」
「それでも設置したのには、やはり批判があったからか?」
「あぁ。電気代も維持費の内だからな。国の金を使ってる以上、その運用に対する批判は避けられねぇ。気休めにしかならねぇだろうが、電気代は自分たちで何とかしてますよアピールの為に、こうしている訳だ」
「結果は赤字なのにな」
「それでも納得して貰ってるのは、艦娘が世に出ることは無いと思っているからだろうな。未来永劫、ここから艦娘が出て行かなければ、いつかは黒字になるだろうしよ。本当、そう納得してもらえるのなら、安いもんだよなぁ」
そう言うと、山岡はニヤリと笑って見せた。
「まあ、そんな話は置いておいて……。お帰り。三年間、お疲れさん」
「ありがとう」
がっちりと握手を交わす。
ソファーに座るとき、ふと、制服のバッチに目が行った。
「本部配属になったというのは、本当だったのだな」
「まあな。給料は増えたが、色々と忙しくてよ。週に二三回はここ(本部)に来なきゃいけねぇし、その際にはこんな制服を着なきゃいけねぇし……早速辞めたいと思ってるぜ」
「お前らしいな。ここに来なきゃいけないって事は、第十軽巡寮の寮長は継続してやっているのか」
「あぁ。一応、本部所属ではあるが、第十軽巡寮常駐管理人兼務ってことになってる」
「そうか。本当、出世したな、山岡」
「お前に負けない一心で頑張ったんだぜ。お前はいつだって、俺も前に立っていたからな。今だったら、隣に立つくらいにはなれたと思ってるぜ」
「よせよ気持ち悪い」
「何だとぉ?」
そう言って、俺たちは三年前の空気を思い出すかのようにして、笑いあった。
「さてと。そろそろ仕事の話をしよう。報告書に目は通してあるか?」
「あぁ。ここ三年間の事について、事細かに書かれていたよ。多分、鹿島の仕事だろう」
「流石だな。その通りだ。見ての通り、この三年間で、ここはかなり変わっている」
「そのようだな」
再び報告書に目を通す。
この三年間の大まかな出来事が、月ごとにまとめられている。
「街」のルール変更、統括責任者の離任と就任、「独立試験」の満点取得者誕生……挙げ出したらキリがないほどに、色々な事が起こっていたようであった。
中でも――。
「「適正パートナー試験制度設立」……ってのはなんだ?」
そう聞いた瞬間、山岡はニヤリと笑って見せた。
「聞くと思ったぜ。まあ、口で説明するよりも、見てもらった方が良いだろうな。夕張、入れよ」
扉がノックされ、返事を待った後に夕張が入って来た。
「やっと呼んでくれたのね。廊下、冷房効いて無くて暑かったわ」
「そりゃ悪かったな」
山岡は立ち上がると、夕張を先に座らせた。
「お久しぶりです」
「お、おう……」
俺は、何故夕張がここにいるのか理解出来ていなかった。
それを見透かしてか、夕張はクスリと笑って見せた。
「どうしてこの人が私を呼んだのか分かりませんか?」
「あ、あぁ……」
「実はよ、今のパートナーはこいつなんだ」
「え!? 香取はどうしたんだ?」
「香取さんは別の寮でパートナーをしています。今は、この人と私の二人で、第十軽巡寮を管理しています」
「そうだったのか……。ということは、「適正パートナー試験」ってのは……」
「いや、それとは違う。「適正パートナー試験」以外に、「パートナー試験」ってのがある。パートナーになるのは、「パートナー試験」の方だ」
「じゃあ、適正パートナーってのはなんだ?」
「今説明する。夕張」
「うん」
二人は見つめ合うと、顔を近づけた。
「え……」
っと、驚く前に、二人は――。
「ん……」
離れると、夕張は手首に着いた装置を覗き、何か操作をしていた。
「データは取れたか?」
「うん、バッチリ。操作も慣れたわ」
俺が唖然としていると、山岡は説明を始めた。
「「適正パートナー試験」。俗称は「恋人試験」と言われている」
「こ、恋人……試験?」
「あぁ。艦娘にコアが無いと証明されたのは、流石に知ってるだろ? それに伴い、艦娘がどこまで人に近づいた存在なのか、という疑問が持ち上がった。艦娘の体の構造などについては、一応データは存在していて、人と大きく変わったところは無かった。だが、今まで禁止されていて、取れていなかったデータがある」
次に何が言われるのか、何となくわかっていた。
「ハードのデータではなく、ソフトのデータが無いんだ。所謂、心のデータというべきか」
「心のデータ……」
「その中でも、特に重要視されているのが……」
「恋愛か……」
「あぁ。お前がいなくなってから、艦娘が異性に対して恋愛感情を抱きだすという現象が起こった」
「昇華。飯田からそう聞かされている」
「昇華か……。今ではあまり使われる言葉ではないな。ま、とにかく、そういう現象が起きてよ。ちょっとした騒ぎになったんだ」
その予兆は、俺がいる時にも少しあったな。
鳳翔や鹿島がそれにあたるのかもしれない。
「調べた結果、生理などと一緒で、人と同じ感情というものが、一気に艦娘達に現れだしたのだと分かった。俺たちも学生の頃、好きな女がうんたらかんたら騒いでたろ。それと一緒だと思ってくれていい」
「人として進化している……と」
「そうとも言えるな。ま、要するに、一過性の感情なんだな。恋に恋をしている……的な感じだ。あの香取もそうだった……」
そう言うと、山岡は少しだけ寂しそうな顔を見せた。
「香取ですら……」
「まだすべての艦娘にコアが存在する可能性があった時期であるから、艦娘達にはより一層、そういった感情を抑制してもらっていた。が、今や人として認められた艦娘にとって、感情を抑制する枷は外された。再び、艦娘達の恋愛ブームが起きたんだな」
「……それがこの結果か」
夕張の方を見ると、どこか恥ずかしそうにしていた。
「さっきも言った通り、ソフトなデータは無かったし、コアが無いと確認された艦娘は、人として扱わなけれないけない。認めざるを得なかったんだな」
「だが、簡単には認めさせられないと」
「あぁ。だが、悪いことではない。「適正パートナー試験」は、国民に納得して貰う為の材料になるし、艦娘のデータを取れる。艦娘も好きな異性と過ごせる。国・国民・艦娘……その全てにメリットのあるものなんだ」
「なるほどな。そう言うことか」
いつの間にか力の入っていた体を深くソファーに預け、深く息を吐いた。
「すると、お前たちは恋愛をして、試験を受け、合格したという訳か。そして、正式に恋人同士であることを認められた……。差し詰め、夕張の腕についているそれは、心拍数などを計測する機器か何かなのだろう」
「そう言うことだ」
そう言うと、山岡は夕張の肩を抱いた。
「俺たちは合格者第一号だ。それも、三日前に合格したばかりだ」
「三日前。なるほど。通りで初々しい訳だ。心拍数も上昇しているようだしな」
夕張が顔を赤くする。
全く、どういった経緯があって、この二人は……。
本当、三年という月日は、何もかもを変えてしまうものなのだな。
「……そうか。「適正パートナー試験」……か……」
「お前もいずれは鹿島と受けるのだろうが、試験は滅茶苦茶難しいぜ」
「だろうな。試験制度設立からずいぶん経っているようであるが、お前たちしか合格者がいないってのはな。受験者が少ない訳でもないだろうし」
「受験者はまず「パートナー試験」に合格しなければならない。そこを通過するのはそこまで難しいことではないが、「適正パートナー試験」はそうもいかない。「適正パートナー試験」で求められるのは、知識などではないんだ」
「パートナーとして適正か……。つまり、ただ単に愛し合っているだけではなく、お互いが自分たちの立場を理解しているか……とか?」
「その通りだ。単純であり、簡単に思えるだろうが、そこが一番難しい。気持ちを共有し、どんな時も同じ考えを持っていなきゃいけないんだ。そうでないと、考えに相違が生じ、適正ではない行動をしてしまう可能性がある」
その適正というものがどんなものなのかは知らないが、ある程度の推測はつく。
「だから、試験内容は面接一本だ。今まで、十回試験が開催され、合計して七組が試験を受けた。が、結果は見ての通りだ。こればかりは勉強してなんとかなるものじゃねぇからな」
「お前達もそれだけの回数を受けて来たのか?」
「あぁ。大変だったが、やっとこいつを抱きしめることが出来た」
そう言って、山岡は再び夕張の肩を抱いた。
夕張も思うところがあるのか、深く目を瞑り、そのぬくもりを感じていた。
「……っと、惚気すぎたな。悪いな。試験に受かって舞い上がってんだ」
「いや。安心したよ。希望が見えた」
「そうか。さて、そろそろメインイベントと行くか」
「メインイベント?」
「帰るんだよ。第二寮に」
駐車場へ向かう道中、すれ違う連中全員が、俺の帰還を笑顔と敬礼で迎えてくれた。
「俺が知らん奴も、俺の事を知っているのか」
「有名人だからな。――鎮守府での活躍もそうだが、今本部にいる連中のほとんどが、お前と鹿島の関係を知っている。それ故の決断、決意もな」
「そんなことまで……」
「三年前に居た頭の固い連中は、もう引退した。今は艦娘と人の共存に情熱を注いでいる若手が、ここを動かしている。三年前から共存の為に戦っていたお前は、ここでは英雄扱いされてるんだぜ」
英雄扱いされるほど、立派な事はしていないがな。
むしろ……。
「あ……」
と、夕張が声を漏らした。
何か、マズイものを見たかのように。
「おっと……」
続いて山岡も、同じく。
二人の視線の先には、髪の長い少女が立っていた。
艦娘……ではあるようだが、誰だったか……。
「そうか……。あいつ、今日は本部へ報告に来ていたんだったな……」
そいつは、俺の方を振り返ると、目を見開いて固まった。
紫色の瞳。
「司令……官……?」
その声……その呼び方……。
「暁……?」
身長も見た目も、すっかり大人っぽくなっている。
が、徐々に崩れて行くその表情に、まだ子供っぽさが残っていた。
「司令官……! うぁぁぁ……!」
暁は昔のように、抱っこを求めるようにして走ってくると、そのまま俺に抱き着いた。
「司令官……司令官……うぅぅ……!」
「暁……。大きくなったな……。もうすっかり、立派なレディーだ……」
しゃがみ込み、抱きしめてやった。
わんわん泣く暁に、思わず俺も泣いてしまった。
「ごめんな……。大変だったな……。ごめんな……」
しばらくそうしていると、本部の連中が集まってきて、泣き止まない暁を宥めてくれた。
「じゃあ、今は第六駆逐隊が第二寮に戻って来ていて、暁は本部との連絡係を?」
車の中で、暁はこの三年間の事を何もかも話してくれた。
「そうよ! 司令官が帰ってきたら、驚かせようと思って!」
「そうだったのか。偉いな暁」
撫でてやると、嫌がることもせず、ただ身を任せていた。
「えへへ」
こうしてみると、やっぱり暁なんだなと思う。
「暁ちゃん、今度パートナー試験を受けるのよね」
「そうなのか!?」
「うん。暁ね、学校の先生になりたいの。その為にたくさん勉強したし、「独立試験」の先生もやったのよ。えっへん!」
「そりゃ凄いな。あ、もしかして、「独立試験」の満点取得者ってのは、お前か?」
「ううん。暁は二位だったわ。残り一点足りなくて……」
「満点は山風だ」
山岡がミラー越しに、得意げな顔を見せた。
「山風って……あの山風か?」
「他に誰がいる。とは言え、満点だったのは筆記だけで、実技試験は合格ギリギリだったがな」
暁が教師を目指していて、山風が「独立試験」の満点取得者か……。
まるで異世界にでも来たかのような変わりっぷりだな……。
「けど司令官、今日帰ってくるなら帰ってくるって言ってよね。皆、司令官が帰ってきたら、盛大に迎えようと計画していたのよ?」
「吹雪から聞いて無かったのか? 俺が帰ってくること」
吹雪は一か月前に、ここへと帰還していたはずだ。
「ううん。何も」
「あいつ……なんで……」
「吹雪なりの演出だ。あいつが帰って来た時、お前が帰ってくることは内緒にしてほしいと言われた。驚かせたいんだと」
「意地悪な奴だな……」
「誰に似たんだかな」
そう言うと、山岡と夕張はニヤついた目でこちらをみた。
「司令官はそんな意地悪じゃないわ!」
「暁……」
「ちょっとタラシなだけよ」
「おい」
「たwらwしw アーハッハッハッハ!」
「違いねぇや! だっはははははは!」
「お前ら……!」
下品な笑いを包んだ車の先に、小さく第二寮が見えていた。
第二寮の反対側に車を停めてもらい、暁には先に帰ってもらった。
もちろん、俺が帰ってきたことは内緒にしてもらっている。
「ありがとう山岡」
「おう。こっそり入って、驚かせてやれ」
そう言って、山岡達は去っていった。
「さて……」
外壁の塗りなおされた第二寮は、まるで新築のようで、初めてここに来た日の事を思い出させるようであった。
寮に入ると、驚くほど静かであった。
この時間だし、部屋で勉強でもしているのかもしれないな。
「好都合だ」
誰にも会うことなく、管理人室にたどり着いた。
どうやら鹿島も不在らしい。
「…………」
久々に入った部屋は、女性らしいと言うか、なんとも可愛らしい内装になっていた。
「そうか……。代理の管理人は――さんだったな」
あの人の趣味は、確かにこんな感じだったな。
ふとカレンダーを見ると、昨日の日付が丸で囲まれていて、そこに小さく――さんお別れ会と書かれていた。
その隣の日には、新しい管理人が来るというような内容も。
「新しい管理人……か……」
どうやら本当に、俺が帰ってくることは知らされていないらしい。
ふと、付箋のたくさん貼ってあるファイルに目が行った。
引継ぎ資料と書かれている。
「どれ……」
開いてみると、そこには三年間の日誌と、大まかな出来事がまとめられていた。
「凄い量だ」
パラパラとめくり、簡単に読んでゆく。
「ハハハ……。しょうもない事ばかり載ってんな」
しばらく眺めていると、あることに気が付いた。
付箋の位置。
そのすべてが、俺に関連することの書かれているページに貼ってあった。
『9月5日 夜中、卯月ちゃんが部屋に来る。どうしたのかと聞くと、「司令官の夢を見た」とのこと。寂しくなり、眠れなくなったらしい――』
『4月1日 エイプリルフール。皐月ちゃんが「司令官が帰って来た」と嘘をついて、それを信じた皆が大騒ぎ。霞ちゃんが「帰ってくるわけがない」と、皆を落ち着かせる。しかし、霞ちゃんのあの表情……きっと――』
『11月23日 第六駆逐隊が帰ってきて――「司令官」と――』
『1月18日 霞ちゃんが――「司令官と比較して――」と、私を――』
『2月13日 鹿島さんが――彼の――を――』
「――……」
あの日から今日まで、俺が第二寮の連中を忘れる日は、一日たりとも無かった。
それは皆も同じだと、この日誌から伝わってくる。
「皆……」
その時だった。
「あれ……?」
この声……。
「知らない靴……」
忘れるわけがない。
「誰か、いるのですか?」
鹿島の声だ。
鹿島は恐る恐る管理人室に入って来た。
俺はそっぽを向いて、引継ぎ資料を読む振りをした。
「あ……」
背中を見て、鹿島は何かに気が付いたようであった。
「あ……えと……。新しい……管理人の方ですか……?」
俺と気が付いたわけじゃないようだな。
無言で頷くと、鹿島は安心したというように、息を漏らした。
「そうでしたか。すみません……お迎えできずに……。あ……私はパートナーの鹿島です。よろしくお願いいたします」
「…………」
「えとえと……すみません……。まだ……お名前……お聞きしていませんで……。その……あう……」
絡みづらい奴と出会うと、こうもうろたえる癖は、あの頃と全く変わっていないんだな。
「…………」
「…………」
静かな時間が流れる。
振り向き、正体を現すこともできるが、そうはしなかった。
というよりも、出来なかった。
俺は、妙に緊張していたのだ。
振り向けば鹿島が居る。
そう考えると、何もできないし、声も出なかったのだ。
「あ……引継ぎ資料……見ていたんですね。そっちは日誌関係で、業務に関してはこっちに」
そう言って、鹿島は俺の前にある本棚から、一冊のファイルと取り出した。
「はい、こちらで――……」
「あ……」
まるで、時間が止まったかのように、この世界から音が消えた。
輝くような白の中に、艶やかな薄紅。
エメラルドに似た瞳の奥に、俺のアホ面が映っていた。
「…………」
「…………」
どれだけの時間、見つめ合っていたかは分からない。
先に沈黙を切ったのは、鹿島であった。
「提督……さん……?」
小さく震える薄紅。
それが徐々に、力強く噤んでゆく。
「…………」
どう返せば良いのか分からなかった。
俺はただただ、その吸い込まれそうな瞳を、じっと見つめていた。
「……な」
「……?」
「なんて……ないですね……ありえないです……。私……とても疲れて……。すみません……ちょっと……休みますね……」
そう言って、フラフラと部屋を出ようとした。
「ま……待て……!」
やっとの事で出た言葉は、ガラガラだった。
「鹿島……!」
華奢な手。
ガラスのように繊細で、冷たい。
だが、力強く握っても、壊れることは無かった。
「痛っ……」
「あ……悪い……」
手を放すと、鹿島は痛みを確かめるようにして、手を撫でた。
そして、もう一度俺の顔を見た。
「提督……さん……」
「……お帰りの一言ぐらい、欲しかったよ」
「……その前に……普通……ただいま……ですよね……?」
「あぁ……そうだったな……。ただいま、鹿島」
「…………」
「鹿島?」
「……本当に……提督さん……なんですか……?」
「違うと言ったら?」
そう言って笑ってやると、鹿島は表情を崩し、俺に抱き着いた。
俺の表情も、共に崩れて行く。
「鹿島……」
「提督さん……! 提督さ……ん……うぁぁぁ……」
「鹿島……くっ……うぅ……」
俺の泣き声をかき消すようにして、鹿島は大声で泣いた。
それは寮中に響いたようで、皆が何事かと管理人室に飛び込んできて……。
後は想像にお任せするが、結局騒ぎが収まる頃には、陽はすっかり沈んでいた。
「ひっ……うぅ……んっ……んっ……」
夕食は、まるでお通夜のようであった。
「卯月、お前大きくなったんだから、いい加減俺の膝から降りて、ちゃんとした姿勢で飯を食え」
「嫌だぴょん……ひっ……司令官が……っ……いじわるしたから……ひっ……罰だぴょん……」
そう言うと、卯月は俺の皿からエビフライを奪い取った。
「司令官……ごめんなさい……。サプライズのつもりだったのですけど……」
吹雪がそう言うと、皆がキッとにらんで見せた。
「い、いや……お前は悪くないよ。効果はあったようであるし……」
「そうですけど……。うぅ……まさかこんなにも効果があるとは……」
「鹿島、お前が大声で泣くからだぞ」
「だ、だってぇ……ぐすっ……」
「鹿島さんは悪くないぴょん……! 司令官が全部悪いの……!」
「そうかもしれないが……。フッ……」
「何がおかしいぴょん!?」
「いや、変わってないんだなと思ってな」
そう言って撫でてやると、卯月は頬をムッと膨らませた。
「うーちゃんは大人になったぴょん! お胸だって大きくなったし……!」
「そうか。そりゃ悪かったな」
「ぷっぷくぷ~……」
膨らむほほをついてやると、ぷすぅと空気が抜けた。
夕食を食べ終わると、再び皆が集まってきて、今度は笑顔で俺を囲んでくれた。
「久しぶりだね! 司令官!」
「おう、皐月。お前も大きくなったな。相変わらず元気そうで安心したよ」
「えっへへ~」
一人一人が声をかけてくれる中、霞だけは食堂の片づけに勤しんでいた。
「…………」
一瞬、目が合ったが、ふいと目線を外されてしまった。
三年前なら、照れ隠しなんだろうと思うだろう。
だが、成長し、反抗期の女の子のような雰囲気の霞がそこに居て、俺は声をかけることが出来なかった。
もしかしたら、俺の事を恨んで……。
その日の夜は、皆の強い要望で、食堂に布団を敷き、お泊り会のような事をすることになった。
「司令官の隣はぁ、うーちゃんに決定ね」
「じゃあ、ボクも隣ね!」
「ちょ、ちょっと! 他の皆も司令官の隣がいいのよ? 平等に決めましょう?」
「暁はレディーだから、我慢するぴょん」
「な……! た、確かにレディーだけど……というか、暁は別に……!」
「じゃあ黙ってるぴょん」
「いいから早く決めろ。じゃんけんでもなんでもいいから」
そう言うと、皆じゃんけんを始めた。
しれっと混ざる鹿島を、吹雪は憐みの目で退かせていた。
「…………」
霞もここには来ているようであるが、遠くの隅っこに布団を敷き、さっさと眠ってしまったようであった。
「霞ちゃんですか?」
鹿島は枕を持って、隣に座った。
「あぁ……。やっぱり、三年間も離れていたもんだから、俺の事……」
「それは無いと思いますよ。霞ちゃん、きっと恥ずかしいのですよ。成長はしても、提督さんの事は大好きでしょうから」
「そういうもんかな……」
「そういうものですよ。さて、そろそろ寝ましょう。明日も早いですから」
そう言うと、鹿島はそのまま寝転がった。
「……しれっと隣に寝るな」
「えー……?」
「あー! 鹿島さん!」
「ウフフ、バレちゃいましたか。私だって、提督さんと一緒に寝たかったんだもんっ」
「可愛く言ってもダメー!」
逃げる鹿島と、それを追いかける駆逐艦達。
三年前には、あまり見ることのなかった光景だ。
それほどに、絆が深まったのだろうな。
「それにしても……」
鹿島の奴、好意を隠さなくなってるな。
やはり、三年前と大きく変わったのは、そういう事を表に出来る環境が整っているというところか……。
「…………」
消灯時間になっても、会話がやむことは無かった。
それでも、深夜帯に入る頃には、皆ぐっすり眠ったようであった。
こういうところは、まだ子供なんだな。
「…………」
俺は中々寝付けず、眠くなるまで、両隣の卯月と響の寝顔を眺めていた。
「幸せそうな顔をしやがって」
しばらくして、やっと睡魔が襲ってきたころ、誰かが立ち上がり、こちらへと向かってきた。
俺は起きていてはマズイ気がして、とっさに目を閉じた。
すると、そいつは俺の布団に入り込み、そっと寄り添って――。
薄っすらと目を開けると……。
「霞……?」
霞はビクッと体を痙攣させ、上目づかいでこちらを見た。
恥ずかしいのか、顔を真っ赤にさせながら。
「お前……どうした?」
霞は何も言わず、俺の胸に顔を埋めた。
「…………」
恐る恐る手を伸ばし、そっと頭を撫でてやる。
その感触を確かめるようにして、霞は俺に身を任せた。
「…………」
しばらくすると、その体は小さく震えだし、ついには――。
「霞……」
すすり泣く声を押し殺すようにして、霞は俺の胸の中で、小さくなった。
どれくらいそうしていたかは分からないが、霞はやっとの事で泣き止んでくれた。
「…………」
「…………」
沈黙が続く。
話したいことはたくさんあるはずだろうが、今はこうすることが、霞にとっては精一杯なことなのだろうと思った。
「霞……」
「…………」
「……引継ぎ資料、見たぜ。約束通り、第二寮を守ってくれてたんだな……。ありがとう……。大変だったろ……」
霞は首を横に振ると、顔をあげて、俺の目をじっと見つめた。
「貴方の……貴方の苦労に比べたら……」
久々に聞いた霞の声。
昔と違い、落ち着いた声で、霞のものとは思えないほどであった。
「いや……そんなことは……。って、いつもの「あんた」はどうした?」
「……私だって、もう大人なのよ。それはもう卒業したの……」
「そうか……。けど、大人は皆が寝た後に、こうして抜け駆けすることはしないだろうけどな」
「……相変わらず意地悪なのね」
そう言った霞の目は、他の駆逐艦の誰よりも、大人っぽく見えた。
「ずっと……貴方が帰ってくるのを待ってた……。帰ってきたら……どんな悪態をついてやろうかって……」
「…………」
「でも……私も焼きが回ったわ……。こんな事をして……。子供みたい……」
「子供だろう」
「今は……それでもいいわ……」
珍しく素直な霞。
三年の間、本当に成長したんだな……。
「……そろそろ戻るわ。明日、早いんでしょ……」
「あぁ」
霞は涙を拭くと、そっと布団を出た。
「また明日、ゆっくり話そう。聞きたいこともあるし、お前も言いたいことがたくさんあるだろう」
「うん……」
「じゃ、お休み」
そう言った時、霞はそっと俺に近づき、頬に手をあてた。
「霞?」
そして――。
「――……。お休み……」
それは、子供の軽いそれとは違い、明らかに大人のものであった。
霞は静かにその場を離れると、暗がりの中へと消えていった。
「…………」
まるで夢でも見たかのように、俺はぼうっと、何もない天井を見つめることしかできなかった。
翌朝。
昨夜の事のせいで、俺は少しだけ寝不足であった。
「ふわぁ……」
「しれいかぁ~ん、寝不足ぴょん?」
「あぁ……ちょっとな……」
「駄目だよ司令官。いつもはボク達に早く寝ろーって言ってるくせに」
「悪いな……。というか、なんでトイレまでついて来てんだ? お前ら……」
俺が気張っている扉の向こうで、卯月と皐月は座って待っているようであった。
「司令官がどこかに行かないか見張ってるぴょん」
「何処にもいかないよ。だから、向こうへ行ってくれないか?」
「嫌だぴょん」
「司令官、うんち?」
「あぁ、うんちだ。とっても臭い。気絶するほどだ。試しに嗅いでみるか?」
扉のノブをガチャガチャ鳴らしてやる。
「うへぇ~!? 出てこないで~! エンガチョー!」
「逃げろー!」
足音が遠くなり、やがて聞こえなくなった。
「ったく……」
本当、まだ子供だよな。
「ふふっ……」
朝食を済ませると、皆が管理人室へと遊びに来た。
だが、昼を過ぎる頃には、皆はばらけて行き、部屋には俺と鹿島だけになってしまった。
「やっぱり、これが普通の光景なんだよな。悲しいことに」
「いいじゃないですか。やっと二人っきりになれたのですし。ふふっ」
そう言うと、鹿島は肩を寄せた。
「おい」
「大丈夫ですよ。これくらいなら」
鹿島の言っていることがどこまで本当なのかは分からないが、少なくとも、こいつが気を抜けるほどの環境になったのは間違いなさそうだ。
「「独立試験」も全員合格していますし、「街」も、外から来てくれたボランティアによって、毎日開放状態になっているんですよ。だから、皆そっちに夢中なんですよ」
「なるほどな……」
「そんな中で、鹿島だけは提督さんに夢中です! ウフフ」
それにしたって、抜けすぎてる気はするが……。
「私、ずっと提督さんとこうしたかったんですよ? 提督さんはそうじゃなかったですか?」
「俺だってそうさ。けど、そうは出来ないと思っていたし……もしかしたら、お前はもう俺を……なんて事も考えたことがある」
「それは酷くないですか!? 鹿島はいつだって、提督さんが大好きです!」
「ああ、だから安心している。お前の気持ちが変わっていない事、そして……その気持ちを隠さなくてもいいような環境が整っていることもな」
それを聞き、鹿島は少し嬉しそうにして、頬を寄せた。
「お前たちが頑張ってくれたおかげだな」
「いえ……皆で頑張ったからです。艦娘と人……皆が力を合わせた結果です」
「そうか……。そうだな」
静かな時間が流れる。
「……山岡さんと夕張さんの事は聞きましたか?」
「……あぁ、「適正パートナー」なんだってな」
「その試験……すごく難しくて……まだあの二人しか……合格していないそうなんですって……」
「らしいな……」
鹿島は何か言いたげではあったが、あえてなにも言わずに俺を待っていた。
「なに……俺たちなら、すぐに受かるさ」
その言葉を待っていたといように、鹿島は小さく頷いた。
「頑張ろうな」
「はい……」
夕方近くになると、本部からの呼び出しがあり、いくつかの手続きをさせられた。
「っと……これで最後か」
「お疲れ様です、先輩。書類、お預かりします」
「飯田」
「お久しぶりです。すみません。昨日、本当はお出迎え出来ればよかったのですが……」
「いや、お前も忙しいのだろう。仕方ないさ」
飯田も吹雪と同じタイミングで、ここに戻って来ていた。
「どうですか? 三年ぶりに帰って来た感想は」
「何もかもが変わっていて、驚いたよ。制度も変わっているし、雰囲気も三年前とは真逆だ」
「でしょうね。「街」にはいかれましたか?」
「いや?」
「「街」も凄く変わっていますよ。独り暮らしの訓練用に、アパートも建っているんですよ。「街」で働く艦娘用のですけど」
「そうなのか。いよいよもって、艦娘を外に出す訓練が本格化してきているな」
「はい」
それからしばらく、飯田と話し込んだ。
――鎮守府では、こうしたゆったりとした時間は取れていなかったから、飯田と会話をすること自体、なんだか久々な感じがした。
「ふふっ、先輩とこうしてお話出来て、凄く嬉しいです。本当は、ずっとお話したかったんですよ?」
「そりゃ悪かったな。俺も、気を抜いてはいけないと思っていたし、こうした時間を大切にする余裕が無かったんだ」
「でも、帰ってきたら、やっぱり先輩は先輩ですね。安心しました。きっと、鹿島さん達もそう思っていますよ」
「あぁ。俺もあいつらが変わって無くて、安心したよ」
そう言った後、ふと霞の顔が浮かんだ。
あいつだけは、ちょっとだけ変わっていた。
それがいい意味なのか悪い意味なのかは、まだ分からないけれど。
「そう言えば、山岡さんと夕張さんの事、聞きましたか?」
「あぁ、本人達に見せつけられたよ」
「それはご愁傷様です。先輩も、鹿島さんと?」
「その予定だ。まだ何も情報を得てはいないがな」
「だと思いました。でしたら、これを」
そう言うと、飯田はUSBを俺に手渡した。
「管理人室にノートパソコンが支給されていたのに気が付きました?」
「いや、気が付かなかったな」
「事務や連絡手段の為に支給したものです。それでこれを開けてみてください。試験のデータが入っています」
「試験のデータって……大丈夫なのか? こんなもの渡して……」
「別にカンニング的なものではないですよ。試験の要点をまとめておいただけです。試験は面接だけですから、答えも何もないですよ」
「そうか。悪いな」
「いえ。お礼なんていいですからね?」
「……何がお望みだ?」
「これから少しだけ、「街」へ出ませんか? 教えたいこともありますし」
「それは吹雪に教わるよ」
「鈍感ですね。デートに誘っているんですよ?」
「俺には鹿島がいるからな」
「データ、返してもらいますよ?」
「結局、強制か……」
「それじゃあ行きましょう。ふふっ」
それから飯田と「街」を回り、色々な変化について教えて貰った。
語るには情報が多すぎる故、説明は省かせてもらうが、とにかく、三年前とは比べ物にならないくらいの変化がそこにはあった。
飯でもと思っていたが、その前に飯田から解散を告げられた。
「ただいま」
寮へ入るや否や、大量のクラッカーに出迎えられた。
「うぉ!? なんだ!?」
「提督さん!」
「司令官!」
「せーの……」
「お帰りなさーい!」
「お疲れ様ー!」
「お帰りなさい!」
「おかえりー!」
「お疲れ様でしたー!」
「お帰りなさい」
「……っさい!」
バラバラの祝辞(?)。
飾り付けられた玄関の向こうに、ミミズの踊ったような字で、「三年間、お疲れ様でした! そしてお帰りなさい!」とカラフルに書かれていた。
「お前たち……」
昼過ぎから皆がいなくなったのは、この準備の為だったのか。
「えへへ、まだお出迎え会を出来ていませんでしかので。準備、間に合ってよかったです」
すると、飯田はこれを知っていて……。
なるほど、一杯食わされたわけか。
「ぼうっとしてないで、さっさと上がったら? 荷物、持ってあげるから」
そう言うと、霞は荷物を受け取った。
そして、どこか優しそうに微笑むと、荷物を部屋へと運んでいった。
何と言うか、本当、大人っぽい表情を見せるようになったな。
「しれいかぁ~ん、早く食堂へ行くぴょん!」
「ボクたちが頑張って料理作ったんだよ! 一杯食べてね! 司令官!」
「あぁ、腹いっぱい食ってやる。お前たちの分もな」
「じゃあ早い者勝ちだね! 先手必勝!」
「あ! 皐月、待つぴょん! うーちゃんの分も取っておいてー!」
そう言って、皆食堂へと駆け出した。
「おい、走るな。転ぶぞ。全く……」
「ふふっ、皆さんはしゃいでますね」
「これじゃ、誰が主役か分からないな」
「大丈夫です。鹿島はちゃーんと分かってますから。ふふっ」
こいつも、こうして素直に笑ってくれるようになった。
三年前の出発前夜に見せたあの悲しそうな顔が、まるで嘘のようだ。
「本当……嬉しいです……。また……こうしていられることが……」
「鹿島……」
「これから大変でしょうけど……今は……今くらいは……楽しんでもいいですよね……?」
「あぁ……罰はあたらんだろう……」
「提督さん……」
「鹿島……」
お互いの顔が近づいた時、遠くで俺たちを呼ぶ声がして、我に返った。
「こ、これはまだ早いですね……」
「そ、そうだな……」
「でも……」
「?」
「でも……時間の問題……ですよね……? なんて……」
その照れ顔に、鹿島に恋をした時と同じ感情が、俺の中に、まるで思い出すかのように、湧いてきた。
「さ、さぁ、私たちも行きましょう」
そう言うと、鹿島は腕を組んできた。
「えへ……」
そして、様子を見るようにして、上目で俺を見つめた。
「そうだな」
手を繋いでやると、鹿島は嬉しそうに、満面の笑顔を見せた。
「司令官! 無くなっちゃいますよ!」
「あぁ。行こうか、鹿島」
「はい!」
鹿島の言う通り、これからもっと大変な事が起こるだろう。
だが、今は今だ。
俺たちは、あの悪魔のような三年間を乗り越えて来たんだ。
これくらいの事は許されるだろう。
「皆さん、席に着きましたか?」
「はーい!」
「それじゃあ、乾杯しましょう! かんぱーい!」
「「「かんぱーい!」」」
そう、今は……。
『どうだ? あの二人の様子は……』
「今は何とも……。仲は良さそうですけど……」
『そうか……。引き続き、様子を見て、随時報告を頼むよ』
「分かりました……」
『「適正パートナー試験」は、もう始まっている。同時に「パートナー試験」もね……』
「はい……」
『では、また連絡する。その携帯電話、くれぐれも見つからないように。期待しているよ』
「…………」
『霞君』
「…………」
――続く