絶華   作:雨守学

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「僕はここで待っているよ」

 

そう言うと、拓人くんは本部の駐車場に車を停めた。

 

「僕がいては、霞君も話しにくいだろうしね。秘密の話もあるだろうし」

 

きっと、彼が島田さんのままであったのなら、それは許されなかったであろう。

けど、今は――。

 

 

 

待ち合わせ場所に、霞ちゃんはいた。

羽織っている大きなジャケットは、提督さんのものだった。

 

「霞ちゃん……」

 

霞ちゃんは何も言わず、缶コーヒーを手渡した。

 

「ありがとう……」

 

「うん……」

 

それからはお互い、特に何か話すわけでも無く、ただコーヒーを飲んだ。

呼び出されたものだから、何かあるのかと思っていたけれど、こうしていることが目的だとでも言うように、霞ちゃんは私の方すら見なかった。

 

「…………」

 

時間だけが過ぎて行く。

 

「あの……」

 

「なに?」

 

「私に……何か用事があったんじゃ……」

 

「別に。貴女には無いわ」

 

「では、なぜ……」

 

「用があるのは島田の方。今、あいつと島田が話しているわ」

 

あいつ……提督さんの事だ。

 

「どうして……」

 

「さぁね……。知りたいんだって……島田の事……。本当……変な人よね……」

 

確かに変だと思った。

けど、提督さんらしいとも思った。

 

「だから、それまで私は貴女を足止めしてるって訳……。変に気を遣って話しかけてくれなくていいわよ」

 

そう言うと、霞ちゃんはそっぽを向いてしまった。

静かな時間が流れる。

 

「霞ちゃん……」

 

「なに?」

 

「霞ちゃんは……まだ提督さんの事……好き……?」

 

一瞬の躊躇いがあった後、視線を変えずに、霞ちゃんは答えた。

 

「好きよ。でも、これは恋じゃない。貴女とあいつとの関係のような、そんないいものじゃないわ」

 

言葉とは裏腹に、霞ちゃんはどこか誇らしげだった。

 

「……ねぇ、鹿島さん」

 

「はい……なんですか?」

 

「私の事……嫌い……?」

 

「え……?」

 

「たくさん酷いことして……パートナーの座を奪って……。私が憎いでしょ……?」

 

「そんなことは……。だって霞ちゃんは……私たちを守るために……」

 

「そうだとしても……貴女には私を恨む権利があるわ……。私がもっと上手くやっていれば、こんなことにはならなかったし……。やり方だって……酷いものだった……」

 

「…………」

 

「成長しなかったら、本気であいつを貴女から奪うつもりだった……。それ前提で動いたこともあった……。すべてがあなた達を守る為だけに行ったことではないわ……」

 

私は何も言えなかった。

掛ける言葉が、見つからなかった。

 

「私が出来ることは……償いきれない償いは……こうやって貴女をここに留めておくことくらい……」

 

悔やむように、霞ちゃんは深く目を瞑った。

 

「許してもらおうとは思っていないわ……。一生恨まれても仕方が無いと思っているし……その恨みをぶつけてもらってもいい……」

 

立ち上がると、私の前に立った。

前に二人っきりで話した時の威圧感はもう無くて、一人の少女が、無垢な少女が、そこにはいた。

 

「ごめんなさい……。ごめん……なさい……」

 

霞ちゃんは涙を流しながら、ただただ謝り続けた。

その姿はまるで、親に――或いは友人に――大変な事をしてしまった自覚をもって謝る、子供のような謝罪だった。

 

「霞ちゃん……ごめんね……」

 

私も同じように謝り続けた。

そして、その小さな体を抱きしめた。

こんなにも小さな体に、どれほど大きな不安を隠していたのだろう。

どうしてそれに気が付けなかったのだろう。

霞ちゃんのしてきたことなんてくすむほどに、私たちがして来て事は罪であると思えた。

だから――。

 

「ごめんね……ごめんね……。辛かったよね……。苦しかったよね……。でも……もう大丈夫だよ……。私も提督さんも……もう大丈夫……。だから……もう貴女一人で抱え込まないで……。霞ちゃん……」

 

提督さんのジャケットの匂いが、私と霞ちゃんを抱くようにして、仄かに香っていた。

 

 

 

ぼうっとしていたから、僕は思わず声をあげてしまった。

 

「すまない。驚かせたか」

 

そう言うと、その彼は傘の水を切ってから、助手席へと乗り込んだ。

 

「ちょ……」

 

動揺する僕とは裏腹に、彼は冷静というか、どこか友達に接するようにして、話しかけた。

 

「急にすまないな。こうでもしないと、話す機会も無いと思ってな。霞に協力してもらったのだ」

 

彼は返事を待つと言うように――或いは僕の動揺がおさまるのを待っていた。

 

「……どうして僕が来ると?」

 

「来るさ。霞の呼び出しと聞けば、放ってはおかないだろう? ここで待っているってのは、ちょっと意外だったがな」

 

「そうですか……。それで? 僕に用事って言うのは? 脅迫でもして、鹿島さんを取り戻そうって腹ですか?」

 

彼は挑発に乗らない。

いたって冷静だった。

それが逆に――。

 

「違う。知っておきたかったんだ。お前のこと」

 

「僕の事……?」

 

「あぁ……。お前、下の名前を拓人って言うんだったな。その名を聞いたとき、どこかで聞いたことあると思ってたんだ。それも、かなり昔にな」

 

嫌な記憶がフラッシュバックする。

同時に、鹿島さんとの時間も――。

 

「……当時、新人にいじめられている奴がいると聞いたことがある。確かそいつが、拓人と呼ばれていた」

 

「…………」

 

「鹿島が異動になる前、俺はこっそりあいつの姿を見に行ったことがある。銀色の髪に、細い目。ガキくさい顔つきをしていたのをよく覚えている。そしてその横に、どこか暗い感じの男がいた。聞くところによると、そいつが拓人という男だったらしい」

 

「…………」

 

「二人は楽しそうに夢を語っていた。そりゃもう、ピカピカの夢だった。語っている本人たちの目も、どこか輝いて見えた」

 

「…………」

 

「気が付かなかったよ。あの時の男が、お前だったなんて。ずいぶん男前になっていたしな」

 

彼の冗談に、僕は笑うことが出来なかった。

 

「……あの頃の夢はどうした? 鹿島は、叶えようとしてるぜ……?」

 

夢……。

 

「……僕の夢は」

 

彼の顔を真っすぐ見た。

目がキリっとしていて――男前というのは、こういうものなのだと実感した。

 

「僕の夢は、彼女に……鹿島さんに愛されることです……。皆に愛されなくてもいい……。彼女にだけ愛されたい……」

 

「それが今の夢か」

 

「はい」

 

彼はニッと笑って見せると、「男だな」と僕の肩を叩いた。

 

「俺も同じだ。譲る気はないぜ」

 

「僕だってそうだ……!」

 

「なら……勝負だな……」

 

「勝負……?」

 

「どちらが鹿島にふさわしい男か……。あいつの心を奪った方が勝ちってのはどうだ? 負けた方は素直に手を引く」

 

「……いいでしょう。しかし……貴方はいいのですか? 元と言えば……」

 

「今更罪悪感か? 中途半端な男だな。お前はお前のやり方を突き通せばいい。俺は俺のやり方であいつを取り戻す」

 

なんという男だ……。

それだけ自信があると言うことだろうか……。

 

「だったら……僕は手を抜きませんよ……。鹿島さんには指一本どころか、視線にすら晒させません……」

 

「そうか……」

 

彼は目を瞑り、深くため息をついた。

 

「卑怯な奴だと思っていたが、案外男らしくて驚いた。鹿島を信じていない訳じゃないが……俺も手は抜けないな……」

 

そう言う彼は、どこか嬉しそうだった。

寛容ないい人。

僕にはそう見えた。

とても、恋敵には――。

 

「さて、そろそろ行くかな。悪いな。急に呼び出して」

 

「いえ……」

 

「じゃあな」

 

彼は出て行くと、遠くに停めてあった車に乗り込んだ。

しばらくすると霞君も乗り込んで、暗い闇の方へと消えて行った。

 

 

 

拓人くんはどこか真剣な表情で運転をしていた。

提督さんとどんな話をしたのか気になったけれど、私から話しかけることはしたくなかった。

 

「…………」

 

椅子に深く腰掛けると、ほんの少しだけ、提督さんの匂いがした。

目を瞑り、その匂いに集中する。

 

「彼の匂いが残っているのかな」

 

まるで心を読んだとでも言うように、拓人くんは笑って見せた。

けれど、すぐにまた真剣な表情に戻った。

 

「気になっているんでしょ。彼と何を話したのか……」

 

私は答えなかった。

 

「色々話したけれど……なんというか……いい人だった……。君が惚れるのも、分かるよ」

 

「…………」

 

「彼は僕の事を知りたいと言っていた。きっと彼は、僕の中にいる君の記憶を知りたかったのだと思う」

 

「拓人くんの中の……私の記憶……?」

 

「うん。彼は知っていたよ。僕と君が過去に会っていたことを。だからじゃないかな」

 

それを聞いて、素直に嬉しいと思った。

私の知らないところで、提督さんが私を求めてくれている。

あまり経験のないことだった。

 

「本当にいい人で……僕は……」

 

拓人くんは深くため息をつくと、零すように言った。

 

「僕は……彼に勝てるのかな……。君を……ものに出来るのかな……」

 

自信のないその表情は、あの頃と何も変わっていなかった。

だからなのか、私は――。

 

「自信が無いのなら……手を引いたらいいんですよ……」

 

「……そうだね。でも、それはない。手は引かない。諦めない」

 

「だったら……弱音なんて吐いてる暇はないんじゃないですか……?」

 

「その通りだね……。うん……。ありがとう。気付けになったよ」

 

そんなつもりは無かったのだけれど……。

…………。

いや、そんなつもりだった。

落ち込んでいる拓人くんを慰めた。

何も言わなければ、勝手に折れてくれたのかもしれないのに。

 

「…………」

 

提督さん……私は――。

 

 

 

とんでもない提案だったはずなのに、司令官は快諾してくれた。

 

「本当にいいの……?」

 

「あぁ。お前の言う通り、いい案だと思う」

 

「でも……自分で言っておいてなんだけれど、そうするってことは、鹿島さんとは……」

 

「仕方のない事だ……。問題なのは、あいつが俺を信じてくれるかどうかだ……」

 

「それは大丈夫なんじゃないかしら。鹿島さん、あんたに夢中だし」

 

「それはお前も同じだろ?」

 

「ふふっ。そうなのだろうけれど、何だか否定したくなるわ」

 

「否定するのがお前らしいよ」

 

「なら否定しておくわ。このクズ。調子に乗ってんじゃないわよ」

 

そう言ってやると、司令官はどこか嬉しそうに笑った。

 

「しかし……お前はいいのか?」

 

「いいって言ってるでしょ。嘘でもいいから、あんたとそういう関係になってみたかったし。というか、受かる前提で言ってるけれど、あんたこそ私の事をちゃんと知っておかないといけないんだからね? じゃないと……」

 

「その点は平気だ。お前の事は誰よりも知ってるからな」

 

本当、こういうこと言っちゃうんだから。

 

「ずるい……」

 

「ん? 何か言ったか?」

 

「別に……」

 

「……霞」

 

「なに?」

 

「ありがとな……」

 

「……うん」

 

 

 

「「適正パートナー」試験の特別審査員をやってくれ」

 

そう聞いたとき、俺は面倒くさくて断ろうとまで思った。

だが、受験者一覧を見て、その気持ちは一気に変わった。

 

「何考えてんだあいつ……」

 

 

 

「よう山岡。急に呼び出してどうした?」

 

霞を連れ、奴はいつもの感じでやって来た。

 

「どうしたもこうしたもねぇだろ。どういうことだよ!?」

 

「何がだよ?」

 

「とぼけんじゃねぇよ。お前と霞、二人で「適正パートナー」試験を受けるって……。馬鹿じゃねぇのか!?」

 

奴と霞は目を合わせると、おかしそうに笑って見せた。

 

「確かにそうだな」

 

「確かにってお前……」

 

「まあ、なんというか……色々考えた結果なんだ。その考えは今言えないけど……見守っておいてほしい」

 

その目は、あの日――鎮守府で見た目と同じものだった。

 

「……本気なのか?」

 

「あぁ」

 

「霞、お前もか」

 

「えぇ」

 

二人が何を考えているのかは分からなかったが、今俺がこいつらに出来ることと言えば、その言葉を信じてやることだけだと思った。

 

「……分かった。俺も特別審査員として試験に参加することになっている。何かできることはあるか?」

 

「特にないよ。山岡は山岡で、自分の仕事をまっとうしてくれたらいい。そもそも、お前に変な小細工が出来るとは思えないがな」

 

その言葉に、霞も笑みを見せた。

こいつ、こんな顔が出来るのか……。

それもこれも――。

 

「……それもそうだな。分かった。応援してるぜ」

 

「あぁ。ありがとう、山岡」

 

 

 

提督さんと霞ちゃんが「適正パートナー」試験を受けると聞いたとき、誰よりも驚いたのは私ではなくて、拓人くんだった。

 

「理解が出来ない……。何をどう考えたらそうなるんだ……」

 

対して私は冷静だった。

受け身でいることはいけない事だと思うけれど、私は提督さんを信じているから――待っているから……。

 

「彼の事だ……。きっと何かを企んでいるに違いない……」

 

「なら、やめさせたらいいじゃないですか……。私と提督さんにしたように……」

 

「……あれは」

 

そこまで言って、拓人くんはいい訳をやめた。

 

「いや、そうだね。そうすることも一つだろう。でも、今回は素直に受けさせようと思う。受かったらもう、君と彼は「適正パートナー」になれないしね。それを分かっていて、何故こうするのかは理解できないけれど、こっちとしては好都合だ」

 

「適正パートナー」になれない。

そう聞いたとき、私は不思議と、ある疑問にぶつかっていた。

『「適正パートナー」でなければいけない事ってなんだろう?』

そして、一つの答えが出た。

 

「…………」

 

頭がスッとした。

今まで拓人くんに持っていた同情だとか、これから起こる事への不安だとか、そう言ったものは頭から消えていた。

きっと、提督さんも同じだと思う。

だから――

 

「僕たちも試験を受けようか……なんて――」

「――えぇ、そうですね」

 

拓人くんは喜ぶとも驚くとも違う表情で、ただただ呆然としていた。

 

 

 

私は彼と一緒に、特別審査員として参加した。

第二寮の寮長さんが霞ちゃんと試験を受けることは知っていたけれど、まさか――

 

「島田です」

 

「パートナーの鹿島です」

 

この二人も参加しているだなんて……。

なんかもう……滅茶苦茶ね……。

私の彼も知らなかったみたいで、呆れを通り越して、疲れ切った表情を見せていた。

 

「えーっと……じゃあ……まず私から……。島田さんと鹿島さんは……本気でこの試験を?」

 

「もちろ――」

「――そうです」

 

食い気味に入って来たのは、鹿島さんだった。

 

「それは……その……どういった経緯で?」

 

「彼を愛しているからです。私は、彼と共に生きて行きたいと思っています」

 

鹿島さんは島田に微笑むと、島田はどこか不安そうな表情を見せた。

 

「そ、そうですか……」

 

私が動揺しているのを見かねて、彼がフォローを入れてくれた。

 

「今度は俺だ。お互いの事についてどれだけ理解しているのか、いくつか質問させてもらうぜ」

 

きっと、彼は二人を落とす気だったのだと思う。

だからこそ、厳しい質問を投げかけ、少しでもおかしな点があれば指摘した。

けれど……。

 

「それは……」

「それについては、もっと彼と親密な関係になってからお話ししようと思っていましたから、彼は知らないと思います」

 

島田のボロを鹿島さんが全てフォローしていた。

島田はともかく、鹿島さんは本気だった。

でもそれは、島田に夢中だという意味ではなく、もっと別の、他の何かを成そうとしている感じだった。

私には分かる。

鹿島さんは、本当に愛する人の為に戦っている。

私が、私たちがそうだったように――。

 

「……なるほどな。俺からは以上だ。二人はきっと、いいパートナーになるだろう」

 

彼もそれを分かっているのか、それ以上問い詰めることはしなかった。

 

 

 

試験の結果が出た。

僕は落ちたものだと思っていたけれど、正式に鹿島さんの「適正パートナー」として認められた。

同じく、霞君と彼も――。

 

「…………」

 

「あまり嬉しそうじゃないですね……。私と「適正パートナー」になりたかったのでしょう? 叶ったじゃないですか」

 

「……それは嫌味かな? 君の方こそ、冷たいんだね。彼と霞君が「適正パートナー」になったのに、何も思わないのかい?」

 

「素敵なパートナーだと思います。霞ちゃん、提督さんの事をよく知っていますから、きっといい仕事をするのだろうと思います」

 

「仕事、か……。君にとって「適正パートナー」は仕事の関係だと?」

 

「逆になんだと思っていたのです?」

 

彼女の冷たい目は、より一層冷たいものになっていた。

 

「とは言え、恋人試験だなんて揶揄されるくらいですし、私も最初はそういう目的で受けようと思っていました。でも、だから何です? 恋人になるのに試験やら烙印を押される必要があるのですか? 私たちはもう艦娘でないし、いずれ人として世に出て行きます。その時、果たして同じように恋人として出てゆくことが出来るのでしょうか? 世に出ると言うことは、人権を手に入れると言うこと。貴方に私を恋人にする資格はあるのでしょうか?」

 

「…………」

 

「「適正パートナー」なんて、ここでのお遊びでしかありません」

 

「だったら、何故君は乗って来た。このお遊びに……」

 

「貴方と同じですよ」

 

その目は、今まで見たどんな目よりも恐ろしく、文字通り体が凍り付くほどであった。

 

「利用できるものは利用する。提督さんも同じことを考えています。だから、このお遊びに乗ったんです」

 

「同じこと……? 会うどころか、連絡すら取っていない君たちが同じことを?」

 

「思えますよ。それが分からないから、貴方は踊らされているんです」

 

「…………」

 

「島田さん」

 

それからの事はよく覚えていない。

ただ、僕の知る彼女は、もうそこにはいなかった。

 

 

 

合格してから数か月。

私たちの使っていた別荘は、日替わりで使われることになった。

島田と鹿島さんは、放送で見る限りは仲睦まじい感じが見てとれたけれど、私達とは違い、一線が設けられているようであった。

霞ちゃんたちはというと、いつもの感じというか、友達同士の会話という感じで、何事もなく終わっていた。

外の世界でも不自然さを唱えるものが出てきていて、いろいろな説が日々飛び交っている。

中には的を得ているものも――。

 

「ねぇ……どうなると思う……?」

 

「何がだ?」

 

「何がって……合格した人たちの事よ……。何を考えているのか、私にはさっぱりで……」

 

「俺にもわからねぇよ……。多分、それぞれがそれぞれの思惑を持って動いているんだろうぜ」

 

「思惑……。いつまで続くのかしら……」

 

「動きがあるとすれば……これだろうな」

 

そう言うと、彼は一枚のプリントを渡した。

 

「「適正パートナー交流会生放送(仮)」?」

 

「あぁ……。まだはっきりとは決まっていないが、あの別荘で三組のカップルを集めて、交流会させるんだとよ。書いてある通り、生放送らしい」

 

「って事は……鹿島さんと第二寮の寮長さんが会えるって事?」

 

「そうなるな……」

 

「でも……生放送なんでしょ? 余計なことは出来ないんじゃ……」

 

「生放送だからこそ、出来ることがある。もしかしたら、一波乱あるかもしれねぇぞ……」

 

そう言った時の彼は、どこか嬉しそうだった。

 

「……そうなった時、私たちはどっちにつくの? 鹿島さん? それとも……身を案じて海軍……?」

 

答えは決まっていた。

けど、あえて確認した。

 

「聞くまでもねぇ。俺たちは――」

 

 

 

交流会を生放送することが正式に決まり、放送日も一般に告知された。

メディアはこぞってその事を取り上げ、SNS上でも急上昇ワードに上がるなどして話題を呼んでいた。

 

「先輩」

 

私は本部にいた先輩を呼び止めた。

 

「飯田。久しぶりだな」

 

「えぇ、本当……。何度か話しかけようと思っていたのですが……何を言ったらいいのか分からなくて……」

 

「そうだったか。まあ、色々あったしな」

 

まるで大したことないと言うように、先輩はいつも通りだった。

 

「生放送……一週間後ですね。私、放送の管理を任せられているんですよ」

 

「それは重要な役目だな。頑張れよ」

 

「はい。それで……あの……この事で……私に何か出来る事……ありませんか……?」

 

「いや、大丈夫だ。お前はお前の仕事をまっとうしてくれたらいい」

 

「え……でも……」

 

「心配してくれてありがとうな。俺は大丈夫だ」

 

そう笑う先輩の表情は、誰にでも見せるような笑顔ではあったけれど、私は素直にそれを受け取れなかった。

 

「先輩……駄目ですよ……。一人で抱え込もうとしちゃ……」

 

「え?」

 

「私にも……協力させてくださいよ……。どうしていつも……蚊帳の外に追いやるのですか……?」

 

「いや、そんなつもりは……」

 

「そんなつもりでしょう……? 私を巻き込まない様にしようと……気を遣って……。そんな事……してほしいだなんて言った覚えはありません……」

 

先輩は優しいから、いつだって私を巻き込まない様にしている。

でも、その優しさはいつだって、私を傷つけていた。

 

「先輩が何かしようとしていること……分かります……。それが身を削ることだって事も……。私には何もできないかもしれません……。それでも……もう気を遣われるのは嫌なんです……」

 

「飯田……」

 

先輩は深く目を瞑った後、私の頭を撫でて、言った。

 

「そうだったか……。ごめんな……。でも……何をするのか言えないし……それに巻き込むつもりもない……」

 

泣きそうになった。

私はこの人の邪魔をしてばかりで――あまつさえ護られてばかりで――。

 

「ただ……見守っていてほしい……。俺のすることを……。それが……今飯田に頼める最大の頼み事だ……」

 

「見守る……」

 

「あぁ……。決して邪険にしているわけじゃない……。ただ……それが必要なんだ……」

 

先輩は頭を下げると、私の手をぎゅっと握った。

 

「頼む……」

 

これが精いっぱいだと言わんばかりに――。

 

「……分かりました」

 

「ごめん……。すべてが終わったら、きっと――」

 

「いえ……大丈夫です。こうして頼ってくれたし……。ねぇ先輩……」

 

「なんだ?」

 

「私は……私は……お二人の隣に立てるでしょうか……? 山岡さんと……先輩の隣に……」

 

それを聞いた先輩は、キョトンとした顔をしていた。

 

「……ごめんなさい。意味分からないですよね……。ただ、私は――」

「――ずっと隣にいただろう」

 

「……え?」

 

「飯田はずっと俺たちと一緒だったろ。苦しい時も悲しい時も、何でも共有できていたじゃないか」

 

「で、でも……私は護られてばかりで……」

 

「それと同じくらい、俺たちも護られてきた。いつだって俺たちは、隣で支え合ってきただろう。何を今更」

 

先輩が笑う。

その表情が、徐々に歪んでいった。

 

「っと……そろそろ行かないとな……。じゃあ、またな。全てが終わったら、きっと笑い話にして見せる。だから、見守っていてくれ。隣でな」

 

先輩が去った後、私はとうとう涙を――が、それはハンカチによって掬われた。

 

「いい奴だよな。あいつ」

 

「山岡さん……」

 

「泣いてる暇ねぇぞ飯田ちゃん。あいつの言う通り、俺たちはずっと一緒だった。だからこそ、あいつの言うことをただただ聞いているわけにはいかねぇだろ」

 

「!」

 

「生意気なあいつに、一泡吹かせてやろうぜ。隣にいるって事は、一緒に居るって事は、こういう事なんだってよ」

 

袖で涙を拭く。

そうだ、泣いている暇はない。

 

「山岡さん、たまにはいいこと言いますね」

 

「ずっと言ってきたんだぜ。隣に居て気が付かなかったのか?」

 

「灯台下暗しってやつですよ」

 

「はっ、上手いこと言いやがるぜ」

 

「フフッ、それで? 具体的には何を?」

 

「それはこれから考える」

 

「……やっぱり私の思う山岡さんのままですね」

 

そうだ。

私たちは一緒。

ずっと隣に居た。

支え合ってきた。

だったら――!

 

 

 

放送当日の朝。

私は久々に絶望した。

 

「はい……えぇ……すみません……。なので、今日の放送は……えぇ……不参加でお願いします……。では……」

 

今日まで大人しかった島田さんが、急に体調不良になったのだと言い出し、私たちは放送に参加できなくなってしまった。

 

「悪いね鹿島さん……」

 

「……悪いと思っていないでしょう? 仮病の癖に……」

 

「そんなことは無いさ。あー、頭が痛いし喉も痛いな」

 

私が怪訝そうな表情を見せると、島田さんは本性を見せた。

 

「なんてね。残念だったね鹿島さん。放送に参加できなくて」

 

「別に……」

 

「せっかく彼と会えるチャンスだったのにね」

 

島田さんは笑う。

だが、目は笑っていなかった。

 

「……正々堂々ではなかったのですか?」

 

「卑怯だと言いたいのかな? だとするならば、彼はどうだ? きっとこうなることを予想して、彼は霞君とくっついたのだとしたら? それが正々堂々と言えるのかな?」

 

「…………」

 

「僕は必ず君をものにして見せる。君を彼に会わせるわけにはいないんだ」

 

固い決意だった。

抵抗することもできただろうけれど、せっかくのチャンスが手のひらから零れた事がショックで、何も出来なかった。

 

「……せめて、放送くらいは見せてください」

 

「もちろん。僕も見たかったんだ。彼の絶望する表情をね」

 

島田さんはもはや、拓人くんを捨てていた。

私に好かれることが無いとこの数か月で学んだようで、ただただ、提督さんが堕ちることだけを願っていた。

それだけが、彼の希望なのだろう。

 

「…………」

 

提督さん……。

 

 

 

放送が始まる直前だった。

飯田ちゃんから連絡があり、鹿島が不参加になるのだと聞いた。

 

『山岡さん……どうしましょう……』

 

「落ち着け。俺たちに出来ることはただ一つだ。打ち合わせ通りにやる……」

 

『……分かりました。私の方も準備万端です』

 

「健闘を祈る」

 

『そちらも』

 

電話を切ると、夕張が心配そうにこちらを見ていた。

 

 

 

鹿島さんの不参加を告げられても、司令官は冷静だった。

 

「司令官……」

 

「そうか……。まあ、仕方ないな」

 

「でも……」

 

「それでも、俺はここにかける。霞……今までありがとう。お前には迷惑をかけないようにやる。だから……」

 

「うん……。でも……大丈夫……。私も……覚悟しているから……」

 

「え?」

 

「ほら、始まるわよ」

 

けたたましく鳴るアラームと共に、放送が始まった。

 

 

 

放送はコメントがリアルタイムで表示されるもので、放送開始早々、画面はコメントで埋め尽くされた。

 

「おお、すげぇな」

 

「皆さんこんにちはー」

 

夕張さんと山岡さんは放送に手慣れているのか、上手に進行をしていた。

 

「つーわけで、今日は三組で……って思ったんだが、残念ながら鹿島とそのパートナーは参加できなくなってな……。ま、俺たちだけでも回せるから、最後まで見てくれよな」

 

「よろしくねー。ほら、霞ちゃんたちも」

 

「よ、よろしく……」

 

「よろしくな」

 

霞ちゃんの慣れない感じは、視聴者によく受けていた。

それからは何事もなく放送は進んでゆき、いよいよ私たちの作戦を決行する時間になった。

 

「さて……」

 

パソコン以外の連絡手段をすべて絶つ。

部屋の鍵は厳重にロックして、それに備えた。

 

 

 

夕張と目を合わせる。

それが合図だった。

 

「さて、そろそろ質問も尽きた頃だし、俺から二人に質問しようと思う」

 

「質問?」

 

「あぁ……」

 

コメントの中に、OKという小さな文字を見つけた。

飯田ちゃんの合図だ。

 

「お前たち、今日の放送で何か言いたいことがあるんじゃないのか?」

 

 

 

それが何を意味しているのか分かったのは、きっとあの場にいる人たちと、私達だけなのだと思った。

島田さんはそれを察して、すぐに本部へと電話をかけた。

 

 

 

その振りに、司令官の表情が固まった。

予想外だったのだと思う。

自分一人でやろうと思っていたことに、山岡達が気が付いていたのだから。

そして、自ら巻き込まれに来たものだから。

その覚悟に、私も乗っかった。

 

「えぇ。そうよね、司令官……」

 

 

 

僕は本部に電話をかけた。

体調を心配する言葉を遮り、叫ぶ。

 

「今すぐ放送を中止してください!」

 

 

 

きっと、飯田も絡んでいることなのだろう。

それどころか、夕張も覚悟したような目をしている。

 

「えぇ。そうよね、司令官……」

 

霞もそれに乗っかるように――。

 

「お前ら……何を……」

 

「お前、飯田ちゃんに言ったよな。ずっと隣にいたって……。一緒だったって……。支え合って来たって……。今も同じだろ?」

 

「だからって……どうして……! このままじゃ、お前たちも……!」

 

「覚悟の上だ……。そうだよな、夕張」

 

「うん。それで私たちが何もしなかったら、きっとこのままずっと、ここから出られないのだと思うの。この先に進みたい。この人と共に。貴方が道を開くというのなら、私たちも協力する。自己犠牲だなんて思っていない。これは進むための覚悟なのよ」

 

「夕張……」

 

コメントがざわついている。

これから何が起こるのか、分かるのはここにいる俺たちと、飯田だけだろう。

いや、或いは――。

 

「あんたには私たちが付いている。一人じゃないわ」

 

「霞……」

 

「あんたが言わないなら、私が言うけど?」

 

霞がそう言うと、山岡も夕張も笑って見せた。

 

「……ありがとう。そして……すまない……」

 

「いいって事よ。そら、早く行った方が良いぜ。飯田ちゃん、放送を切らせまいと努力はしているが、時間がねぇ」

 

「あぁ……分かった……」

 

カメラの前に立つ。

コメントは静まり返っていて、俺の顔がはっきりと映っていた。

 

「皆、聞いてくれ……。俺は今日――」

 

 

 

先輩が鹿島さんへの想いや、今までされてきたことを告白し出してから数分。

部屋の扉が大きく叩かれ、怒号が飛び交いだした。

 

「ひぃ……」

 

それでも放送はやめない。

今の私に出来ることは、先輩の想いを届ける事だけだから。

 

「怖くない……怖くないぞ飯田愛美……。ファイトー……!」

 

「開けろコノヤロウ!」

 

「ひぃぃ……」

 

 

 

俺と夕張、霞は別荘の外に待機して、止めにかかるであろう連中を待ち受けた。

 

「うぅ……やっぱり怖いわ……」

 

「安心しろ。お前たちは俺が守ってやる」

 

「私よりも力弱いくせに粋がってるんじゃないわよ!?」

 

「あれはわざと負けてやったんだよ! 俺は小学生の頃、俊足の辰巳と呼ばれていたんだぜ?」

 

「小学生の頃の話だし、俊足が凄いのかも良く分からないんだけど!?」

 

「っていうか、あんた辰巳って名前だったの?」

 

「おう。かっこいいだろ? 辰・巳って入ってるのに、さる年なんだぜ? 笑っちまうだろ?」

 

「そんなこと言ってる暇ないわよ! ほら、来ちゃった!」

 

人数は多くなかった。

 

「よし、行くぜ! 卓球部の実力、見せてやるぜ!」

 

「陸上部じゃなかったの!?」

 

 

 

電話を終え、自分も現場に向かおうとした時だった。

 

「あれ……? 鹿島さん……?」

 

 

 

気が付いたら、私は裸足で別荘に向かっていた。

足の裏が切れようと、関係なく走った。

 

「提督さん……!」

 

 

 

外が騒がしい。

山岡達が、止めてくれているのだろうと思った。

コメントは相変わらず閑散としていて、俺の話を待ってくれているようであった。

 

「……悪い。途中だったな。だから俺は今日、鹿島に告白するためにここに来た。ここまで来た……。あいつが来れないと聞いて、一度は諦めようと思った。一人で戦おうと思った。けど、今外で戦っているあいつら……そして、ここにはいない奴が、俺の背中を押してくれた。だから、俺はもう一度はっきりと言おうと思う」

 

モニターから目を放し、カメラに真っすぐ向いた。

 

「俺は鹿島が好きだ。どんな壁にも屈しない。俺はあいつを愛し続ける。これを見ている皆がどう思うかは分からない。けど、俺はそれにかけてみたい。俺の気持ちを……俺たちの気持ちを知ってもらいたいんだ!」

 

その時、部屋の扉が大きく開き、鹿島が倒れ込んできた。

 

「鹿島……!?」

 

それと同時に、止めに来たであろう連中ともみくちゃになりながら、山岡達も。

 

「わりぃ! 俺達が止められるのもここまでだ!」

 

後ろから霞が飛び出してきて、鹿島を俺の前に立たせた。

 

「鹿島……」

 

「提督さん……」

 

見つめ合うと、喧騒が一気に消えた。

静かになった訳ではない。

ただただ、俺たち二人だけの時間が、そこにはあった。

 

「どうして……」

 

「分かりません……。でも……じっとしていられなくて……」

 

鹿島は裸足だった。

切ったのか、床に血がにじんでいた。

 

「お前……」

 

「えへへ……無理しちゃいました……。ごめんなさい……」

 

「本当だよ馬鹿……。変なばい菌でも入ったらどうするんだ……」

 

「それでも……いいです……。貴方に会えるのなら……」

 

放送でみせる表情とは違い、柔らかな笑顔を俺に見せた。

 

「鹿島……。……お前に伝えたいことがあるんだ」

 

「はい……」

 

徐々に山岡が切られ始め、怒号が大きくなっていった。

それでもかまわず、俺は続けた。

 

「俺は……鍋島修は……お前を愛している……。これから何があろうとも、お前を……鹿島を守り続ける……! だから――」

 

その先は言えなかった。

言わせてもらえなかった。

言う必要が無かった。

その口づけは、今までさんざんしてきたものとは違い、まるで初めてしたかのような――。

甘くもなく、激しくも無かった。

それは、誓いだった。

これから続く、長く苦しい道のりを共に乗り越えようというような、そんな誓いだった。

 

「お前だけを見つめている……」

 

「想うは貴方一人です……」

 

そう呟いたのを最後に、俺たちは引きはがされた。

 

 

 

あれから数日。

俺たちは謹慎を食らい、静かに処分を待っていたが、世間がそれに待ったをかけた。

あの日の生放送が録画としてSNS上で拡散され、大きな波紋を呼んだらしい。

各所の鎮守府やこの施設の麓で、俺たちの免責を求める抗議活動が行われた。

海軍もこれを無視できなくなったようで、ついには俺たちの免責を認め、島田の責任も認めた。

 

「海軍を動かしたその抗議活動の中心には、とあるブログが関係していたようです……。そのブログは……先輩の妹……咲ちゃんのブログだったみたいですよ……」

 

結婚し、子供まで出来ていると聞いている。

一歩間違えれば、自分の身だって危険に晒されてしまうのに……。

 

「妹ちゃん……先輩の事ずっと心配していましたから……。きっと、私たちと同じように、先輩の力になりたかったんだと思いますよ……」

 

「咲……」

 

 

 

免責が認められてから更に数日後。

俺たちはやっと解放され、それぞれが在るべき場所に帰れることになった。

鹿島達は特に責任を問われることも無かったようで、あの日の内にそれぞれの寮に帰っていたらしい。

 

「やっと夕張に会えるぜ」

 

「山岡……すまなかったな……。色々と……ありがとうな……」

 

「なに。結果こうして出られたんだ。結果オーライさ」

 

そう言うと、山岡はニッと笑ってみせた。

が、すぐに表情を戻し、何やら真剣な口調で話し始めた。

 

「そういや、島田の奴の事だが……どうやら――鎮守に飛ばされることになったらしい。それも今日」

 

「――鎮守府に?」

 

「あぁ。除隊処分になるはずだったらしいが……強く抗議する奴がいて、免れたんだとよ……」

 

強く抗議する奴。

そんな奴がいたのか。

 

「そいつは……島田と一緒についていくと言っていた……。自分にも責任があるからと……」

 

それを聞いて、俺は居てもたってもいられなくなった。

 

「まさか……」

 

「行ってやれよ……。今頃、門の前あたりにいるだろうぜ……」

 

 

 

門の前には、一台のバスが停まっていて、ちょうどそいつと島田が乗り込もうとしている時であった。

 

「霞……!」

 

霞は俺の方を向くと、小さな笑みを見せた。

そして、バスから離れ、俺の傍へと歩み寄った。

 

「何しに来たのよ。せっかく解放されたんだから、鹿島さんに会いに行ってあげたら?」

 

いつもとは違い、優しい口調でそう言った。

 

「お前……どうして……」

 

「どうしたもこうしたもないわ。今回の件は、私にも責任がある。だから、その責任を取りに行くってだけの話よ」

 

「お前に責任は無いだろう! お前は俺たちを守ろうとした! 何一つ悪い事なんて……!」

 

「でも、島田を止められなかった」

 

そう言う霞の目は、今まで見たどの目よりも決意に満ちていた。

 

「私は島田を正しい道に導けなかった。それが出来なかったのは私の責任よ」

 

「そんな……」

 

「だから……――鎮守府で、島田と共に罪を償おう……。そう思ったの……」

 

「けど……どうして島田を庇ったんだ……? 放っておけば、そいつは……」

 

島田もその理由を知らないようで、霞の方をじっと見つめていた。

 

「……恩があるのよ」

 

「恩……?」

 

「あんたがいなくなって……独りぼっちだった私に……手を差し伸べてくれたの……。たとえそれが、私を利用するためだったとしても……嬉しかったの……」

 

霞は島田に向き合った。

いたたまれないのか、島田は目を伏せ、俯いた。

 

「私と話している時のあんたの笑顔、とっても輝いてて、本当に楽しそうだった。私を利用するだけのクズだったら、あんな笑顔は出来ないわ……。きっとあんたは……優しい人間なんだと思う……。ただやり方が間違っていただけで、根はいい人なんだと思う……」

 

「…………」

 

「私はあの時……あんたに救われた……。やり方や結果は間違っていたかもしれない。それでも、あの時あの瞬間、私は救われた……。だから……」

 

雲間から太陽の光が零れ、俺たちを照らした。

 

「今度は……私があんたを救う番……」

 

霞が微笑むと、島田は泣き崩れ、ただただ謝り続けた。

 

「ごめんなさい……ごめんなさい……」

 

子供のように泣く島田を、霞はいつまでも、泣き止むまで、慰め続けた。

 

 

 

「そろそろ行かなきゃ……」

 

島田もバスに乗り込み、残りは霞一人となった。

 

「本当に行くのか……」

 

「行ってほしくない?」

 

「あぁ……」

 

素直にそう言ってやると、霞は俺の足を思いっきり蹴飛ばした。

 

「痛っ!?」

 

「そんな事、鹿島さん以外の女に言っちゃ駄目よ!」

 

本音だったのだがな……。

だが、確かに霞の言う通りかもしれない……。

 

「でも……」

 

霞は蹲る俺を抱きしめると、俺にしか聞こえない声で言った。

 

「嬉しい……。ありがとう……」

 

「霞……」

 

「ね……お願いがあるの……」

 

「なんだ?」

 

「ぎゅってして……。あと、撫でて……」

 

それは、霞らしからぬ、甘えるような声だった。

 

「フッ……いいぜ」

 

抱きしめ、頭を撫でてやる。

こうしていると、まだまだ子供だったのだと実感する。

 

「ありがとう……司令官……。大好き……」

 

 

 

第二寮への足取りは決して軽くは無かった。

霞との別れもあったし、鹿島にどんな顔を見せればいいのか分からなかった。

何を話せばいいのか。

どう接したらいいのか。

色々考えすぎて、不安になるほどであった。

 

 

 

第二寮に着くと、皆が出迎えてくれた。

喜ぶもの、涙するもの、怒るもの、色々な反応があって、先ほどの不安はどこへやら、俺は思わず笑ってしまった。

 

「なに笑ってるんだぴょん!」

 

「いや、すまんすまん。つい、な」

 

だからだろう。

 

「提督さん」

 

鹿島はいつものような感じで――特別変わらない様子で、そこに立っていた。

 

「鹿島……」

 

「……お帰りなさい、提督さん」

 

鹿島の様子に、みなも安心したように、「お帰りなさい!」と声を揃えた。

 

「……あぁ、ただいま」

 

俺もいつもと同じように、微笑みを返した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「吹雪、点呼取れたか?」

 

「えーっと、鹿島さんがまだです」

 

「鹿島が?」

 

「寮の方へ行ったようですけど……」

 

「何やってんだあいつは……」

 

 

 

寮に戻り、管理人室の扉を開けると、鹿島が立っていた。

 

「何やってんだ? そろそろ出発だぞ」

 

「すみません。最後なんで、見ておこうと思いまして……」

 

何も置かれていない管理人室は、ここに来た当初を思わせた。

 

「こうしてみると、やっぱり狭かったんだなって……」

 

「ここに来て、二人声を揃えて言ったよな。「狭っ!」ってさ」

 

「ウフフ、そうでしたね」

 

「……懐かしいな」

 

「これからもっと、懐かしい思い出になりますよ……」

 

そう言うと、鹿島は俺に寄り添った。

 

「やっと……外に出れる日が来たんだな……。艦娘が……人として認められる日が……」

 

「えぇ……」

 

あれから五年。

夕張が人として外の世界に出てから、艦娘を人として容認する動きが活発化された。

人権が与えられ、国民として、全艦娘が受け入れられることとなったのだ。

 

「今日でここともお別れだと思うと……なんだか寂しいです……」

 

「そうだな……」

 

色々な思い出が、フラッシュバックする。

辛いことばかりだった気もするし、楽しい事ばかりだった気もする。

今ではその全てが、まるで夢だったのではないかと思う事すらある。

 

「あの日……提督さんが告白してくれたこと……今でも思い出して……ドキドキしちゃいます……」

 

「恋人になったのにも関わらず、か?」

 

「恋人になってもドキドキします! 提督さんは……違うんですか……?」

 

「俺はどっちかって言うと……キスの方がドキドキしたからな」

 

そう言ってやると、鹿島は顔を真っ赤にした。

 

「鹿島……ありがとう……。ここまで一緒に来てくれて……。ここまで俺を信じてくれて……」

 

「それは私の台詞です。貴方が手を引いてくれたから、私はいまここにいるんです。私を好きでいてくれて……ありがとうございます……」

 

「鹿島……」

 

鹿島は俺をじっと見つめると、そっと口づけをした。

 

「ここでの最後の思い出です」

 

「なら、「された」ってのはしゃくだな」

 

そう言って、今度は俺の方から口づけをした。

 

「……何十年後かに思い出して、喧嘩しそうですね。あの時、どっちからキスしたかって……」

 

「何十年も一緒に居てくれるのか?」

 

「もちろんです! 提督さんは……嫌ですか……?」

 

不安がる鹿島の手を、俺は優しく握ってやった。

そして、その手に小さな指輪を渡してやった。

 

「これ……」

 

「ここを出たら、結婚しよう」

 

「え? え?」

 

鹿島は何が何だか分からないという感じであった。

 

「結婚って……結婚ですか!?」

 

「あぁ、結婚だ」

 

「で、でも……結婚って……私が出来るものなのでしょうか……」

 

「もう出来るだろ。俺たちと同じなんだから」

 

「で……でも……でもでも……」

 

あたふたする鹿島に、そっと手を差し伸べた。

 

「俺と一緒に……ずっと一緒に……この先も……いてくれないか……?」

 

鹿島が固まる。

時間が経つにつれ、俺の顔は熱くなっていった。

きっと、今の鹿島のように、赤くなっているのだろうな……。

そんな事を思いながら、俺はいつまでも鹿島の返事を待った。

そして――。

 

 

 

バスに戻ると、もう既にほかのバスは出ていて、残りは俺たちだけになっていた。

 

「司令官、遅いよ!」

 

「すまんすまん。鹿島がな……」

 

「鹿島さん!」

 

鹿島は恥ずかしそうに俯いていた。

 

「よし、皆いるな。運転手さん、お願いします」

 

バスがゆっくり動き出すと、皆名残惜しそうに寮の方を見た。

徐々に遠ざかる寮。

近づく外の世界。

期待と不安が、このバスを包み込んでいた。

 

「皆、お世話になった施設に敬礼だ! 敬礼!」

 

綺麗な敬礼が決まると同時に、バスは勢いよく外の世界へと飛び出した。

すると、皆がわんわんと泣きだした。

 

「さようなら……さようならぁ……」

 

その姿に、流石の俺も涙しそうになった。

が、それはある一言によってかき消された。

 

「あー! 鹿島さんが指輪してるー! しかも左のお姉さん指にー!」

 

「えぇ!? どれどれー!?」

 

皆、一斉にシートベルトを外し、鹿島に駆け寄る。

運転手は驚いて、バスを停めた。

 

「お、おいお前ら!」

 

「これって、司令官があげた奴だよね!? 結婚するんだー! おめでとー!」

 

「おめでとうございます!」

 

「やったね鹿島さん!」

 

俺の言葉には耳も貸さず、まるでお祭り騒ぎのようになった。

バスが激しく揺れる。

 

「鹿島、お前も黙ってないで――」

 

「ウフフ、ウフフフフ」

 

駄目だ……。

完全に舞い上がっちまっている……。

 

「はぁ……ったく……」

 

まあ、第二寮らしいと言えば第二寮らしいともいえる。

期待や不安なんて複雑な感情、こいつらには似合わねぇよな。

 

「あのぉ……進みたいのですが……」

 

運転手が困り顔でこちらを見ていた。

 

「……すみません。もうちょっとだけ、こうさせといてもらえませんか?」

 

「はぁ……」

 

このバスのように、俺たちはいずれ進まなきゃいけないし、いつまでもお祭り騒ぎで立ち止まっているわけにはいかない。

けど、もちょっとだけ、もうちょっとだけこの時間を楽しんだって、バチは当たらないだろう。

 

「皆、紹介する! 俺の妻、鹿島だ!」

 

-これから何度も困難に立ち向かうことになるだろう-

 

「あ……えと、妻の鹿島です! えへへ……」

 

「イエーイ!」

 

「ヒューヒュー!」

 

-それでも、俺たちは、時々こうしてバカ騒ぎしながら、進んでゆく-

 

「誓いのキスしろー!」

 

「キッス、キッス」

 

「ちょ、みんな……」

 

「俺は構わないぜ」

 

「て、提督さん!?」

 

「おー! 男だねー!」

 

-いつまでも、どこまでも-

 

「鹿島」

 

「は、はい!」

 

「これからも、よろしくな」

 

そっと口づけを交わすと、再び車内はお祭り騒ぎとなった。

 

終わり




絶華シリーズはこれで終わりです。
次回作はまた別の世界線のお話になりますので、見かけましたら読んでやってください。
ご愛読、ありがとうございました。

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