絶華   作:雨守学

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第5話

「交流会か」

 

本部より、駆逐艦を対象とした交流会のお知らせが来た。

 

「誰と交流するんですか?」

 

「海軍の中で選抜された奴の家族とだとさ。まあ、主に本部の連中と、寮長の家族ってところだ」

 

「え!? じゃあ、提督さんのご家族も!?」

 

「ああ。妹を出す予定だ」

 

「提督さん、妹がいたんですか!?」

 

「言ってなかったか?」

 

「初耳ですよ! どうして教えてくれなかったんですか!?」

 

「聞かれなかったからな……」

 

鹿島は何やら手をバタつかせて怒っていた。

 

「とにかく、そう言うことだ。駆逐艦には、お前から周知させて欲しい。俺は本部に、家族の申請をしに行かなければならないからな」

 

「……分かりました」

 

鹿島は少しムッとした表情を見せ、部屋を出て行った。

 

 

 

本部で申請をした帰りに、休憩室で山岡に会った。

 

「よう、お父さん」

 

「まだ言ってるのか……」

 

「まだ言われてるんだろ? ほら、コーヒー」

 

「ありがとう」

 

「お前も家族の申請か?」

 

「ああ。と言っても、妹しかいないけどな」

 

「そうだったな……。俺も妹を出すことにした。親父もおふくろも、もう歳だからな」

 

「両親は元気にやってるのか?」

 

「ああ。お前の事もたまに聞かれるよ。元気にしてるかってさ」

 

「よろしく言っておいてくれ」

 

「分かった」

 

そこに、飯田も合流した。

 

「お疲れ様です」

 

「よう飯田ちゃん。さぼり?」

 

「山岡さんと一緒にしないでください」

 

「俺はさぼってねぇよ。いつでもまじめだ。そうだよな?」

 

「ん? ああ、そうだな」

 

「先輩はそう思ってないようですけど?」

 

「そうだなって言ってたの聞いてなかった?」

 

山岡がそう言うと、飯田はくすくすと笑った。

こう普通に話していると、この前あったことが、まるで夢か何かだったかのように錯覚する。

 

「さて、俺は帰るわ。後は、若いお二人さんで」

 

「同い年だろ」

 

「そうだったな。じゃ」

 

山岡が去ると、飯田は恥ずかしそうに俯いた。

 

「山岡さん、気を遣ってくれたんですよね。なら……期待に応えないといけません」

 

そう言うと、飯田は一枚のチラシを俺に渡した。

水族館がオープンしたというようなことが書かれている。

 

「先輩、今度「買い出し」に行くんですよね?」

 

「買い出し」とは、外の世界に行って、買い物をするということだ。

基本的に艦娘たちは、「街」で買い物をするのだが、外の世界で欲しいものがある場合、申請し、買って来させることが出来る。

宅配という手もあるが、検査が厳しく、注文してから艦娘の元にモノが届くまで数か月かかるということもあり、「買い出し」は重宝されていた。

 

「ああ」

 

「私も買い出しに行くことになっているんです。良かったら一緒に行きませんか? その方が、ガス代も節約できるし……。それで、余った時間で、この水族館に行ってみません? 大きな水族館らしくて、ペンギンがとってもかわいいそうですよ!」

 

「買い出しへ一緒に行くことは賛成だ。だが、水族館の件は駄目だ」

 

俺がそう言うと、飯田から笑顔が消えていった。

 

「……鹿島さんがいるから……ですか?」

 

飯田の目が、じっと俺を見つめていた。

 

「……「買い出し」は仕事だ。仕事が終わったら帰る。いつもやっていることだ」

 

「…………」

 

「……俺もそろそろ戻らないといけない。「買い出し」の件は、また連絡する」

 

「……先輩」

 

去ろうとする俺を、飯田は引き留めた。

 

「なんだ……?」

 

「本部はあれから……寮長とパートナーである艦娘との関係に目を光らせています……。私もその一人だということを忘れてはいけませんよ……」

 

三人で話している時の飯田は、もういなかった。

 

「やましい事は何もない。なんなら、お前もうちの寮に来い。その方が、わざわざ俺がここに出向かなくてもよくなるしな。監視も出来るぞ」

 

返すように、俺は飯田の目をじっと見つめた。

 

「……考えておきます」

 

そう言って、飯田は振り返ることもせず、休憩室を出て行った。

 

 

 

交流会当日。

駆逐艦たちは、本部にある大きな集会場に集められていた。

 

「お兄ちゃん、久しぶり!」

 

「おう。よく来たな」

 

久々に会った妹は、どこか大人びていた。

恰好だけだが。

 

「しっかし、遠いよねー。バスで二時間もかかったよー」

 

「そらご苦労だったな」

 

「それで? 艦娘はどこ? 私、羽黒ちゃんに会ってみたいんだけど! あの困り顔が可愛いよねー……フヒヒ……」

 

「羽黒は来ないよ。今日は駆逐艦との交流だからな」

 

「なーんだ、残念」

 

妹は艦娘をよく知っている。

実際に会わせるのはこれが初めてだが、へたすりゃ俺よりも詳しい。

 

「提督さん、準備が出来たそうなので、ご家族を……」

「練習巡洋艦の鹿島ちゃん!?」

 

妹の声に、鹿島は驚き、固まってしまった。

 

「わぁー! 髪の毛ふっわふわー! 可愛いー!」

 

「え、えと……」

 

「すまん。俺の妹だ」

 

「え!? 提督さんの!?」

 

「妹でーす!」

 

「へぇ……確かに提督さんと似てるような……」

 

鹿島と妹は、お互いの顔をジロジロと眺めていた。

何だか面白い光景だ。

 

「あ! 妹ちゃん!」

 

声の方を向くと、飯田が小走りでこちらへ来ていた。

 

「飯田さん! お久しぶりです!」

 

「本当だね! 元気にしてた?」

 

「はい! お陰様で!」

 

「こっちおいでよ。駆逐艦が待ってるよ」

 

「はい! あ、鹿島ちゃん、またねー!」

 

妹は飯田に連れられ、集会場へと消えていった。

 

「悪いな鹿島。妹はああいう奴なんだ」

 

「提督さんとは真逆の性格ですね……」

 

「フッ……そうだな」

 

鹿島はじっと、集会場を見つめていた。

 

「飯田さんとは、古い付き合いなんですか? 妹さんと仲が良さそうでしたけど……」

 

「まあな。山岡と飯田と俺の三人は、高校からの付き合いだ」

 

「そうでしたか……」

 

「何か気になることでもあったか?」

 

「いえ……。ただ……なんというか……飯田さんが羨ましいなって思いまして」

 

「羨ましい?」

 

「はい。提督さんの過去を知っていて、家族とも仲が良くて……。私は、生まれてすぐ提督さんと出会ったから、長い付き合いだと思ってましたけど……提督さんから見たら、短い付き合いなんだなぁって……」

 

そうか……。

艦娘にとっての生きて来た時間は、俺たちとは違うんだ……。

 

「別に付き合いの長さが全てじゃないだろ」

 

「そうかもしれませんけど……」

 

俯く鹿島。

俺は誰も見ていないのを確認して、鹿島の隣に立った。

そして、背中で隠すようにして、鹿島の手を握った。

 

「――……」

 

鹿島は息をのむと、気持ちを落ち着かせるように、そっと息を吐いた。

そして、視線を真っすぐに向け、俺の手を握り返した。

 

「分かったか?」

 

「――はい」

 

しばらくそうした後、俺たちは何事もなかったかのように、そっとお互いの傍を離れた。

 

 

 

集会場に入ると、すでに交流会は始まっていて、艦娘たちは人々に囲まれていた。

 

「あ、お兄ちゃん! こっちこっち!」

 

妹の方に行くと、そこには霞がいた。

ひきつった笑顔をして。

 

「見てみて! この子、超かわいいの! 他人行儀の張り付いた笑顔! 絶対ツンデレ! 霞ちゃん!」

 

「カスミデス……ヨロシクオネガイシマス……」

 

霞……。

 

「霞、俺の妹だ。無理しなくていいぞ」

 

そう言ってやると、霞の顔はいつものツンとした表情に戻った。

 

「なんだ……。そうだったのね……」

 

「キャー! やっぱりー! 霞ちゃーん!」

 

「ちょ……! 抱き着かないでってば!」

 

「おいおい、お前、あまり――」

 

止めようとすると、妹は俺にしかわからない様にウィンクをした。

それを見て、俺は引き下がった。

 

「……ほどほどにしとけよ」

 

「ちょ、ちょっと! 助けなさいよ!」

 

「悪いな霞。それじゃあ……」

 

「んふふ、霞ちゃん、お姉さんとお話しようねー」

 

霞の悲鳴を後ろに、俺は他の駆逐艦の様子を見ることにした。

 

 

 

交流会では、皆で飯を作ったり、ゲームをしたりと、艦娘と……と言うよりも、子供と大人が触れ合う場と言うような感じで進められていた。

 

「先輩。お疲れ様です」

 

「お疲れ。皆の様子はどうだ?」

 

「吹雪さんの評判がすごくいいですね。他にも、電ちゃんが可愛いとか色々聞いてます」

 

「そうか」

 

「これをきっかけに、身内の人間だけじゃなくて、外部の人たちとも交流が出来ればいいですね。これはその第一歩と本部は考えています」

 

今は身内だからいいが、これが外部の人間となった時、果たして……。

この前の記者の件もあるしな……。

 

「……先輩、私は別に艦娘が嫌いだとかじゃないですからね」

 

「え?」

 

「私だって、先輩と同じ気持ちなんですから……。艦娘とはいえ、人と変わらない存在だって……。だからこそ……私は……」

 

そう言って、飯田は鹿島の方を見た。

 

「……今度の買い出しですが、水族館に付き合って貰いますよ」

 

「何故だ……?」

 

「艦娘の欲しいものの中に、水族館のグッズがあるからです。ペンギンの大きなぬいぐるみです。その水族館にしか売ってないんですって」

 

「…………」

 

「……楽しみにしてますよ。これもお仕事ですからね……」

 

そう言うと、飯田は皆の輪の中へと消えていった。

 

 

 

交流会も無事に終わり、妹を最寄りの駅まで車で送ることになった。

 

「楽しかったー」

 

「そりゃ良かったな」

 

「今日の事はブログに書いていいんだって。私のブログ、最近ランキングに載るようになったんだよ! これで艦娘の事も多く知られるよね!」

 

「良く書いてくれよ」

 

「分かってるよ。私もお兄ちゃんと同じで、艦娘に出てきてもらいたいもん。皆、あんなにいい子だしねー」

 

交流会は無事、何事もなく終わった。

皆、艦娘と接してみて、印象が大きく変わったという様子で、悪い方向に考える奴は誰もいなかったように見えた。

 

「霞の事、ありがとな。あいつ、人と接するの、あまり好きじゃなくてさ。ちょっと前に、他人から嫌な思いをさせられたりしたのもあって……中々な……」

 

「やっぱりそうだったんだ。何だか余所余所しい感じだったから。でもね、最後は心を開いてくれたんだよ」

 

「流石は幼稚園の先生だな」

 

「本当は艦娘のお世話係みたいのやりたかったんだけどねー。海軍の門は狭いよ」

 

かつては妹も海軍を目指していた。

だが、その頃は戦争も激化していて、結局今は幼稚園の先生をやっている。

 

「……お兄ちゃんの仕事って、大変なんだね」

 

「あいつらやんちゃだしな」

 

「ううん、そうじゃなくてさ……。やっぱり、風当たりが強いというか……。こうやって接してから、改めて世間の声を聴くと、艦娘への誤解と言うか、悪い印象がとても強いなって……。お兄ちゃんは艦娘と居るからこそ、気持ちが分かって辛いんじゃないのかなって……」

 

「心配してくれてるのか?」

 

「心配だよ……。だって、たった一人の肉親だし……」

 

そう言うと、妹はらしくない表情を見せた。

 

「お前の思っているほど、悪い環境じゃないよ。そりゃ、辛いこともあるけど、あいつらはそれ以上に希望を持っている。いつもニコニコ笑っていて、こっちまで笑顔になれるほどだ」

 

「そう……?」

 

「ああ。それに、父親になった気分になれる。あいつら、お父さんとかパパとか言ってきて、案外かわいいもんだよ」

 

「それ……お兄ちゃんの性癖……?」

 

「俺が呼ばせてるわけじゃないよ……」

 

困って見せると、妹は安心したような表情を見せた。

 

「そっか。楽しいなら良かった」

 

しばらくの沈黙が続く。

 

「あのね、お兄ちゃん……」

 

妹は車窓の景色に目をやりながら、小さく言った。

 

「なんだ?」

 

「私ね……プロポーズされちゃったんだ……」

 

「え?」

 

再び沈黙が続く。

 

「そうか。いい返事、してやるのか?」

 

「どうしようか迷ってる……」

 

「どうして?」

 

そう言うと、妹は黙ってしまった。

 

「……もしかして、さっき俺を心配したのは……」

 

「…………」

 

俺は肩の力を抜いて、椅子に深く腰掛けた。

 

「俺もお前も、もういい大人だ。昔と違って、お互いに支えないといけないような環境でもないだろう」

 

妹は俺の方に目線を戻した。

 

「でも……まだ私は……お兄ちゃんが支えてくれた分のお返し……出来てないよ……。私が大学を卒業できたのだって、お兄ちゃんが学費を出してくれたからだし……」

 

「今日の事で十分だよ。それよりも、もう俺から独立して、自分だけの人生を考えて欲しい。俺はお前に支えられなきゃいけないほど弱くはないさ」

 

「お兄ちゃん……」

 

「いい返事、してやれそうか?」

 

「……うん」

 

「そうか……」

 

遠くに、駅が見えて来た。

 

「結婚おめでとう、咲。幸せになれよ」

 

「ありがとう……お兄ちゃん……」

 

そう言って、咲はぽろぽろと涙を流した。

 

 

 

寮へ帰る頃には、もう消灯時間になっていた。

 

「お帰りなさい。提督さん」

 

「鹿島、まだ起きていたのか」

 

「提督さんを待っていたんですよ。消灯時間になっても帰ってこないから、心配して……」

 

「それは悪かったな」

 

荷物を置き、上着も脱がずドカッと座った。

 

「疲れた……」

 

「お疲れ様です。このお荷物は?」

 

「大きい街に出たから、ついでに色々買って来たんだ。菓子がほとんどだがな。皆で食べてくれ」

 

「わぁ、ありがとうございます! えへへ、夜だけど、ちょっとだけ食べちゃいます? 私、お茶いれてきます!」

 

俺の返事も待たず、鹿島は食堂の方へと向かっていった。

 

「フッ……全く……」

 

 

 

お茶を持ってきた鹿島は、それを置くと真っ先に暖房器具の方へと向かっていった。

 

「今日はよく冷えるな」

 

「本当ですね。特に廊下が……。お風呂から出た子たちが湯冷めしない様に、何か対策を取った方が良いかもしれません」

 

「そうだな。考えておく」

 

それから鹿島と菓子を食べながら、今日の事などについて話した。

途中、咲の事をやけに気にかけていたから、俺は包み隠さず全てを鹿島に話した。

 

「――で、さっき結婚するんだって聞かされてさ。俺に恩返しがあるから返事を待ってもらってたらしいんだけど――」

 

「そうだったんですね」

 

「っと、こんな感じだ。満足したか?」

 

「あ、はい……すみません……。提督さんの事なので……どうしても知っておきたくて……」

 

「いや、構わないよ」

 

鹿島は恥ずかしそうに菓子を一口含んだ。

 

「……実は、それが気になっていて……提督さんを待っていたんです……」

 

「心配はしてくれていなかったか」

 

「い、いえ! 心配はしてました!」

 

「フッ……分かってるよ。しかし、咲はもう結婚するから、あまり俺とは関係なくなるけどな」

 

「え?」

 

「これを機に、あいつとはあまり関わらない様にしようと思ってるんだ。たった一人の肉親とは言え、今のあいつにとって、俺はお荷物だ」

 

本当のところは鹿島に言えないが、咲の言うように、艦娘への風当たりは強い。

もちろん、艦娘を世に出そうとしている俺へもまた――。

結婚する咲には、そう言った苦労はさせたくない。

だからこそ、あまり関わらない方がいい。

咲もそれを察したから、あの時涙を流したのだろうと思う。

 

「そうですか……。でも、寂しくないですか? だって……家族なんですよね?」

 

「俺にはお前たちがいる。そして……」

 

俺はその先を言わなかった。

だが、鹿島は分かってるかのように、小さく頷いた。

 

「……今日はもう寝ろ。気になることも、もうないだろうし」

 

そう言って立ち上がろうとしたとき、鹿島は俺の袖をそっと摘まんだ。

 

「どうした?」

 

「ちょっとだけ……気になることがありまして……」

 

鹿島は本を取り出すと、適当にページを開いた。

 

「ここなんですけど……」

 

小説か。

分からない漢字でもあったか。

 

「どこだ?」

 

「ここです」

 

鹿島の指す一節には、特に難しい言い回しも書いてはいなかった。

 

「……どこか難しいところでも?」

 

「よく読んでください」

 

そう言って、鹿島は体を寄せた。

ふわりとした髪が頬に当たり、こそばゆい。

 

「どこも難しいところは――」

 

それは、鹿島の方を向いてすぐの事だったから、俺は対処することが出来なかった。

 

「――……」

 

鹿島は離れると、俺がしゃべりだす前に――まるで眠る赤子に語り掛けるかのような、小さく落ち着いた声で言った。

 

「すみません。近づきすぎて、唇が触れちゃいましたね」

 

それを聞いて、俺も平生を取り戻した。

 

「――ああ、そうだな」

 

あくまでも「事故」だった。

鹿島はそう言いたいのだろう。

何とも巧妙な手口に、思わず笑ってしまいそうになったのも束の間。

そのもどかしさ、壁や溝――などといった様々な言葉が脳裏に浮かび、悲しくなった。

 

「……よく見たら、そんなに難しいことでもなかったです。すみませんでした」

 

「いや……」

 

鹿島は湯呑の載ったお盆を手に取り、立ち上がった。

 

「そろそろ戻ります」

 

「そうか。お休み、鹿島」

 

「おやすみなさい、提督さん」

 

鹿島が部屋を出るのと同時に、静寂の音が耳を突いた。

段々と大きくなるその音の中で、俺はそっと目を瞑り、「事故」の感触を思い出していた。

 

 

 

それから数日後の朝の事だった。

 

「おはようございます提督さん」

 

「おう。おはよう」

 

廊下に置かれた暖房器具を横目に洗面台へと向かう途中、ふと窓の外を見ると、厳つい車が止まっていた。

 

「あれは……」

 

 

 

褞袍姿のまま寮を出て、車の窓を叩いた。

 

「おはよう」

 

「先輩。おはようございます」

 

「やはりお前の車だったか。相変わらず男勝りな車を選ぶな」

 

「パワーがありますからね。強い女には強い車が似合いますよ」

 

「確かにそうだな」

 

そう言ってやると、飯田は嬉しそうに笑った。

 

「こんな所でどうした。俺を訪ねて来たのか?」

 

「えぇ。けど、ちょっと早く着いてしまいまして……。まだ寮の明かりも点いていませんでしたので、ここで待っていたんです」

 

よく見ると、フロントガラスが曇っていた。

 

「長い事待たせてしまったようだな。立ち話もなんだし、上がって行けよ」

 

「いえ、ここで結構です。先輩が車に乗ってください」

 

「そうか。では」

 

助手席に座ると、飯田はエンジンを吹かした。

 

「エアコンの温度調整はお任せいたします」

 

「今でちょうどいいよ」

 

吹き出し口に手をやると、少しばかりぬるい空気が流れて来た。

フロントガラスの曇りが徐々に晴れて行く。

 

「それで? こんな朝早くからどうした?」

 

「実は、今度の買い出しの件ですけど……リスケになりそうです」

 

「リスケ?」

 

「後で正式に通達されるかと思いますが、吹雪さんを外に出すことが決定したんです」

 

「え!? どういうことだ?」

 

「ここから一番近い――という市に、艦娘を送って交流させる計画が前々から計画されていたんです。日付も決まっていたんですけど、誰を出すかが決まっていなくて……」

 

「それで吹雪か。しかし、どうして?」

 

「実は吹雪さん「独立試験」で最高得点を叩き出したんですよ」

 

そうだったのか。

高得点だったということだけは聞いていたが。

 

「それと、この前の交流会。参加者にはアンケートを配っていたんですけど、吹雪さんへの評価が大半を占めていたんです。それもあって、本部は吹雪さんを選んだということです」

 

吹雪が外に……。

 

「なるほど……。だが、それと買い出しの件は……」

 

ああ、そうか……。

 

「その吹雪が外に出る日と、買い出しの日が一緒なんだな」

 

「そう言うことです。吹雪さんが外に出る日は、先輩も同伴することを避けられないと思います。吹雪さんからの信頼を最も得ているのは、先輩ですから」

 

最も、か。

本人から言われたことは無いが、そう思ってくれているのなら、嬉しくはあるな。

 

「お前も同伴するのか?」

 

「いえ、私は……」

 

「……では、なぜリスケなんだ?」

 

そう言うと、飯田は黙ってしまった。

 

「飯田……。買い出しは艦娘がとても楽しみにしていることの一つなんだ。それをお前の私情で遅らせるのか……?」

 

「…………」

 

俺が大きくため息をつくと、飯田はムッとした顔を向けた。

 

「せっかく情報をいち早く届けてあげたのに……」

 

「それでこんな朝早くから来たのか……。お前がこんなに早く知らせなくても、本部は今日中には俺に伝えるだろう。別に早く知ったからと言って、得は無い」

 

飯田はシートに深く腰掛けると、つまらなそうな表情で車窓からの景色を見つめた。

 

「先輩は本当に私の事が嫌いなんですね……」

 

「別に嫌いって訳じゃない。ただ、お前は少し自分勝手すぎるんだ」

 

「恋は盲目っていいますし……」

 

「言い訳するなよな……」

 

沈黙が続く。

 

「……買い出し、俺の代わりは誰が?」

 

「貴方の嫌いな人ですよ……」

 

「そうかよ……。そりゃ見当もつかないね。俺に嫌いな人はいないからな」

 

「好きでもない癖に……」

 

「心当たりがあるようだな。なら、そいつに言っておいてくれ。くれぐれも私情を挟まないようにってな。どこかの誰かさんみたいにさ」

 

飯田は大層頭にきたようで。

 

「先輩、変わりましたね! 昔はもっと優しくて、そんなこと言いませんでした!」

 

「ああ、そうかい。そりゃ大層な善人で、きっと俺では無かったんだろうな。俺の知っているお前も、お前ではなかったんだ。もっと仕事に忠実で、私情など挟まなかった」

 

飯田は俺をキッと睨んだ。

 

「出てってください! 先輩なんて大嫌いです!」

 

「俺だってお前が嫌いだ。俺の仕事の邪魔ばかりして……迷惑だ……。言われなくても出て行ってやるよ」

 

そう言って、車を飛び出した。

そのすぐ後に、しまったと思った。

 

「…………」

 

振り向くと、やはりと言うか、飯田はぽろぽろと涙を流していた。

 

「あ……いや……」

 

「そうですよね……。私……邪魔ですよね……。先輩に迷惑ばかりかけてますもんね……。嫌われて当然です……」

 

「飯田……。今のは――」

「ごめんなさい……」

 

飯田は車を急速にバックさせると、そのまま本部の方へと走り去っていった。

俺はそれを、ただ見送ることしかできなかった。

 

 

 

寮に帰ると、鹿島が心配そうな顔で俺に事情を聞いてきた。

窓から、言い争っているのを見ていたらしい。

 

「もしかして……私の事ですか……?」

 

「いや、ただの喧嘩だ」

 

「そうですか……ならいいんですけど……。あ、いや……よくは無いですね……喧嘩ですし……」

 

「……それよりも、大変なことになった」

 

「?」

 

俺は、飯田を泣かせてしまった事を悔いていた反面、飯田の気持ちにピリオドを打てたとも思ってしまっていた。

 

 

 

飯田との喧嘩から数日後。

吹雪を外に出す日がやってきた。

 

「しれいかぁ~ん……うーちゃんの買い出しはどうなってるの~?」

 

「代わりに買ってきてくれるそうだから心配するな。それより、今は吹雪にエールを送ってやれ。すごく緊張している」

 

吹雪の方に目をやると、深呼吸をしながら、掌に「人」を書いていた。

 

「吹雪、お前大丈夫か?」

 

「だだだ、大丈夫です! その……外に出ることはとても嬉しいことなのですけど、艦娘の代表でって言われたので……」

 

「それだけ立派で優秀って事だろ。胸を張っていいぞ」

 

「うぅ……嬉しいような、プレッシャーになるような……」

 

本当に大丈夫だろうか……。

 

 

 

外には、吹雪の要望で俺の車で行くことになった。

 

「いよいよだな」

 

「うぅ……緊張します……。トイレは済ませたし……。ハンカチはあるし……。あと……えーっと……えーっと……」

 

「落ち着け。大丈夫だ」

 

そう言って吹雪の背中を撫でてやる。

緊張しているせいか、筋肉が強張っていた。

 

「しかし、凄い警備だな……」

 

俺の車を囲うように、黒い車や、パトカー、軍の車などが集まって来ていた。

 

「やっぱり……艦娘を外に出すことは……怖いことなんでしょうか……」

 

「そうじゃない。お前を守るために皆集まっているんだ。お前たちは国の宝だからな」

 

とは言え、これだけの警備に、吹雪の言ったようなことも含まれている可能性は否定できない。

世間が艦娘に対して持っているイメージは、これほどに大きなものなのだろうか……。

 

「合図が出た。行くぞ」

 

「は、はい!」

 

車をゆっくり走らせ、俺たちは外の世界へと飛び出した。

 

 

 

気合とは裏腹に、のんびりとした山道が続く。

これだけの集団の中、スピードを出すこともできず、施設を出てから、もう既に二時間以上かかっていた。

 

「こんな山奥にあったんですね……」

 

「ああ。一応、もう外の世界だが、この道を通れるのは海軍の関係者だけだから、ある意味ではまだ外の世界に出たとは言えないかもしれないな」

 

「そう言えば、民家とかもありませんよね」

 

「動物はいるみたいだがな。狸とかイノシシが出るぞ」

 

「え!? 私も見れますか!? 見てみたいです!」

 

「運が良ければな。まあ、今日はちょっと難しいだろうな」

 

「そうですか……。見てみたいなぁ……」

 

吹雪はすっかり緊張も取れた様子で、俺との会話を楽しんでくれているようであった。

 

「お、見えて来たぞ」

 

「え!? イノシシ!?」

 

「残念ながら違う。ほら、海だ」

 

山と山の間に、煌びやかに光る海が見えていた。

 

「あの山を越えると、――市まであと少しだ。緊張は?」

 

「もう大丈夫です。司令官とたくさんお話ししましたから! えへへ」

 

「フッ……それは何よりだ」

 

長いトンネルを抜けると、目の前には海が広がり、吹雪は懐かしむような、感慨深いような声を漏らしていた。

 

 

 

『ようこそ! 艦娘の町、――市へ』

そう書かれたアーチをくぐると、街頭に多くの人だかりができていた。

俺たちを歓迎してくれているようであった。

 

「す、凄い人ですね」

 

「皆、お前を歓迎してくれてるんだ。手を振ってみたらどうだ?」

 

「あ、はい」

 

吹雪が手を振ると、皆も同じように手を振り返した。

 

 

 

車は市役所へと誘導され、そこでスーツを着た、如何にもお偉いさんという感じの人達に迎えられた。

 

「ようこそ、おいでくださいました」

 

そう挨拶したのは市長らしく、吹雪と握手を交わすと、カメラマンが飛んできて、物凄い数のフラッシュを浴びていた。

それが数分続いたのち、俺たちは流されるように市役所を出され、警備員に守られながら車へと戻って来た。

 

「これだけの為にここへ連れてこられたのか……」

 

「何だか忙しいですね……」

 

「全くだ。せっかく外に出たのに、人間の仕事に付き合わせて悪いな」

 

「いえ。遠足に来たわけでも無いですから。私の仕事を全うします!」

 

「ああ、ありがとう」

 

「司令官のお役に立てるなら! えへへ」

 

 

 

それから、市の歴史に触れたり、踊りを見せられたりと、まるで要人のような待遇を受けた。

 

「凄いですね、司令官」

 

「ああ……」

 

「どうしました? 何だか元気が無いようですけど……」

 

「いや、なんでもないよ」

 

「そうですか? お疲れになったら言ってくださいね」

 

吹雪は楽しんでいるようであるが、俺はこの交流に違和感を覚えていた。

というのも、市長との挨拶以降、吹雪が人に触れたり、自由な会話をしたことが無いのだ。

もちろん、SPがいて、一般の市民が近づけないのもある。

しかし、交流と聞いていたから、てっきり人と触れ合う機会があるものだと思っていた。

 

「…………」

 

 

 

結局、吹雪が市に滞在できたのはほんの数時間であり、これと言って一般市民との交流もないまま、町を出ることとなった。

 

「あっという間でしたね」

 

「そうだな……」

 

「皆さん、いい人達で安心しました。もっと非難されると思ってたから……」

 

「そんなこと……」

 

「はい。杞憂でした。皆さんとお話し出来なかったのは残念ですけど、これも艦娘を知っていただける第一歩ですよね! 司令官、私の振る舞いに失礼はありましたか?」

 

「いや、大丈夫だ。完ぺきだったよ」

 

「良かった。艦娘の代表ですから、失敗は出来ないって思ってて……」

 

「きっと、艦娘はいい奴だって思ってくれただろう。俺も鼻が高いよ。良くやったな、吹雪」

 

撫でてやると、吹雪は膝を抱えて喜んでいた。

 

 

 

翌日。

新聞各社の一面は、吹雪の事で埋め尽くされていた。

良いことを書いてある新聞もあれば、悪く書いてあるものもあった。

 

「よう。見たぜ、吹雪の記事」

 

「山岡」

 

「本部に来ないと、新聞も読めないもんな。全く、不便だ」

 

「却って良かったのかもしれない。悪い記事もあるし……」

 

「ああ、そうだな」

 

一瞬の沈黙。

 

「で、どうだった? 奴ら、吹雪と交流してくれていたか?」

 

「それが……」

 

俺は山岡に、違和感の事を話した。

 

「ああ、やはりか……」

 

「やはり……とは?」

 

「お前、あの市について何も知らないんだな」

 

確かに、ここから一番近い市としか知らない。

 

「海に面していただろ。あそこは戦前、漁業が盛んで、海産物を求めて来る多くの観光客を呼んでいたんだ」

 

戦前……。

 

「だが、深海棲艦が現れ、漁業を続けることが出来なくなった。海に近づこうとする人間も少なくなった。観光客は大幅に減少し、宿泊施設や商店も潰れて行った」

 

「…………」

 

「そんなある日、この施設を作る計画が立ち上がった。知ってるか? この施設の建設地候補、いくつかあったがほぼ全滅だったそうだ。近隣の住民による反対運動が起きたんだと」

 

「ほぼ……と言うことは……」

 

「ああ。今のこの場所……近隣の――市だけは快く受け入れたらしい。何故か分かるか?」

 

「艦娘に協力的だったから……とか? 深海棲艦を恨んでいるだろうし」

 

「艦娘も深海棲艦の可能性があるという噂がその時流行っていたらしいから、それは無いだろう」

 

「ではなんだ? 勿体ぶらずに言えよ」

 

「……交付金だよ」

 

「え……?」

 

「施設を受け入れれば、地域振興を約束すると持ちかけられたんだ。市としてはこれを受け入れるほかは無かったのだろう。それに、艦娘を受け入れた町となれば、それを利用して食っていくこともできるだろうしな」

 

それを聞いて、俺はあのアーチを思い出していた。

『艦娘の町、――市』

そう言うことか……。

 

「全てでないにしろ、真の意味で艦娘を受け入れている者は少ないだろう。現に、吹雪と直接交流した人間は市の関係者だけだった。艦娘に信頼を置いているのであれば、一般市民との関わりを見せるのが、一番プラスに働くと分かっているはずだ。それをしなかったというのは……」

 

「仕方なく受け入れている……と言うのか……?」

 

「交付金の恩恵はそれだけ大きいって事なんだろう。しかし、それでも一般市民とは交流をさせてはくれなかった。国は艦娘が人間と交流できたという事実をつくり、市は艦娘を受け入れた町として栄えてゆく。よく出来たシナリオだ」

 

「つまり……吹雪は利用されたって訳か……? 地域振興のエサにされたって言うのか!?」

 

「あくまでも推測だ。落ち着けよ」

 

もしそれが事実なら……吹雪の気持ちはどうなる……?

 

「あいつは……艦娘と人間の溝を埋める大きな一歩になるって張り切っていたんだ……。震えるほど緊張していて……。なのに……」

 

「結果的には大きな一歩になった。どんな真実があろうとも、それは変わりないんだ」

 

「…………」

 

「プラスに考えようぜ。吹雪の努力を無下にしないためにもな」

 

「ああ……そうだな……」

 

俺は再び新聞を手に取った。

山岡の話を聞いた後では、どれも何も知らない間抜けな記事に見えた。

話を聞く前の俺もまた――。

 

 

 

寮に戻ると、吹雪が俺の部屋に来ていた。

 

「あ、司令官! お帰りなさい!」

 

「吹雪。どうした、俺の部屋で……」

 

「勝手にすみません……。ちょっと辞書を借りようかと思いまして……」

 

「調べものか?」

 

「はい。言葉の勉強をしてるんです。この前、市長さんのご挨拶の中で、分からない言葉が度々ありましたので……」

 

「そうだったか。まあ、確かに堅苦しい言い回しの挨拶だったしな。どれ、一緒に勉強するか」

 

「本当ですか!? えへへ、じゃあ、勉強道具を持ってきますね!」

 

そう言うと、吹雪は小走りで自室の方へと向かっていった。

 

 

 

「この言葉、どういう時に使うんでしょうか……」

 

「あまりラフな言葉ではないな。もっと正式な場で使うような言葉だ。例えば――」

 

吹雪は、気になった言葉はなんでも知りたがった。

意味はもちろん、使い方も。

 

「勉強熱心だな」

 

「そんなことないですよ。私はただ、もっとたくさんの方とお話がしたくて……。その為には、言葉を覚えないといけなくて……」

 

そう言うと、吹雪は辞書をぱらぱらとめくった。

 

「私が言葉をたくさん覚えて、皆さんに声をかければ、お話をしてくれるのかなって……。私が艦娘だから、言葉を覚えてないんじゃないかって思われたら、誰も話しかけてはくれないかもしれませんし……」

 

「吹雪……」

 

やはり吹雪本人も、昨日の交流で人と話したかったのだろう……。

それを……その気持ちを俺たちは……。

 

「悪かったな吹雪……。俺が事情を知っていれば、もっと人と交流させてやれたかもしれないのに……」

 

「し、司令官は悪くないです! お外に出していただけただけも、私は幸せなのに……」

 

「しかし……」

 

俺が俯くと、吹雪はそっと手を取った。

 

「司令官はとてもお優しいですね。でも、私は大丈夫です。確かに、お話出来なかったことは残念ですけど……それ以上に得たものはたくさんありましたから」

 

「吹雪……」

 

「それに……その……し、司令官とお外に出られた事が……とても嬉しくて……。あの……えと……ず、ずっと……ずっと夢に思っていたんです! 司令官と……お外に出ること……」

 

そう言うと、吹雪は顔を真っ赤にして俯いた。

 

「俺と……?」

 

「はい……」

 

そう言えば、吹雪が本部の預かりになって見舞いに行った時も、そんなことを言っていたな。

 

「司令官は私の夢を叶えてくれたんです。悪くなんかないんです。むしろ、感謝しています。ありがとうございます、司令官!」

 

そう言って見せた笑顔に、俺は少しばかり心が救われた気がした。

 

「こちらこそありがとう……吹雪……。そうだな……。お前と外に出れて、俺もとても嬉しかった。それこそ、夢が叶ったかのようにな」

 

「ほ、本当ですか!? 司令官と同じ気持ちだっただなんて……ど、どうしましょう……?」

 

「どうしましょう……とは?」

 

「わ、分かりません……でも……どうしましょう……? うぅ……何だか顔が熱いです……。ちょっと冷ましてきます!」

 

吹雪は部屋を飛び出すと、そのまま寮の外へと向かっていった。

 

「フッ……なにやってんだか」

 

そうだな。

どんな事情があるにしろ、何も得なかったわけじゃない。

山岡の言うように、プラスに考えた方が、あいつらの為にもなる。

今はただ、あいつの成したことを素直に褒めてやろう。

俺たちは確実に大きな一歩を踏み出したんだ。

 

 

 

吹雪が交流してから二三日した頃だった。

上官が吹雪を直々に訪ねて来て、交流による功績を称えると共に、謝罪をした。

どうやら本部内で、吹雪が一般市民と交流できなかったことに対し、不当だと申し立てがあったようだ。

吹雪の気持ちを考えていない、と。

 

「本当に申し訳なかった……」

 

「い、いえ……そんな……」

 

急な事でオロオロする吹雪と、頭を下げる上官。

そんな光景を見ていた鹿島が、小さな声で俺に耳打ちした。

 

「その本部の申立者ですが……飯田さんだと聞いています……」

 

「え……?」

 

「たった一人で上官に申し立てをしたそうですよ……。本部から外される覚悟で……」

 

飯田……。

 

「喧嘩の事と関係してるんでしょうか……? だとしたら、飯田さんは提督さんと仲直りしたいんじゃないですか……?」

 

「…………」

 

「……提督さん。「買い出し」のお礼も兼ねて、飯田さんと仲直りしたらどうですか?」

 

鹿島からその提案が出てくるとは思っていなかったから、俺は少しばかり驚いていた。

だって、飯田と俺が喧嘩していた方が、鹿島にとっては――。

それを感じ取ったのか、鹿島は小さく笑って見せた。

 

「恋のライバルではあるけれど、提督さんと同じくらい、とてもいい人ですから。それは提督さんが一番良く分かっているんじゃないですか?」

 

「鹿島……」

 

「それに、恋は障害があった方が燃えるって言いますし!」

 

「フッ……そうかもしれないな……」

 

もし鹿島の言うように、あいつが俺と仲を取り戻したいと考えているのならば……同じ志を持った「仲間」として、再びやっていくことが出来るのなら――。

 

「…………」

 

仲直り出来ることならしたい。

鹿島も背中を押してくれた。

だが、飯田の想いがちらついて、俺はその決心を固める事が出来なかった。

想いがある限り、俺はそれに応えることが出来ず、また飯田を泣かせてしまうと思ったからだ。

 

「…………」

 

もし……飯田が想いに応えて貰う為に、申し立てをしたというのなら、俺は飯田の恩を仇で返すことになってしまう。

頭の中で、色んな考えがぐるぐると回っていた。

そしてそれは、段々と足元を揺らし始めていた。

 

「提督さん……?」

 

鹿島の声が、小さくなってゆく。

 

「あれ……? なんだか……視界が……」

 

目の前にモヤモヤとした霧のような光景が広がったのを最後に、俺は意識を失った。

 

――続く

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