絶華   作:雨守学

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第6話

「提督さん!」

 

「司令官!」

 

病室に駆けこんできたのは、鹿島と吹雪だった。

遅れて霞もゆっくりと入室した。

 

「おう」

 

「おう……じゃないですよ! 急に倒れて……心配したんですからぁ……うぅぅ……」

 

「泣くことは無いだろ」

 

「し、司令官……それで……大丈夫なんですか……!? 大きな病気とか……」

 

「ああ、ただの疲労だってさ。寝不足とか、食生活とか……まあ色々指摘を受けたよ」

 

「そうですか……」

 

吹雪はほっと胸を撫で下ろすと、鹿島を慰めた。

 

「ふん……そんな事だろうと思ったわよ……。全く……」

 

「霞ちゃん、一番心配してたんですよ。司令官に何かあったら……って」

 

「そうなのか?」

 

「ち、違う! 私はただ……何というか……。と、とにかく! 無事ならさっさと帰ってきなさいよ!」

 

「それなんだが……そうはいかなくなってしまってな……。大げさだとは言ったんだが、しばらくここに居なきゃいけなくなった」

 

「え……? それって……それだけ深刻ってこと……?」

 

「そういう訳じゃない……とは思うが、一応、精密検査と、生活リズムの改善をしてくれるそうだ」

 

そう言うと、霞は急に黙り込んでしまった。

 

「その間、司令官の代わりは鹿島さん一人で?」

 

「代理を本部から派遣するとは聞いている。誰かはまだ……」

 

「私です」

 

声の方を見ると、飯田が立っていた。

 

「飯田……」

 

「飯田さん……」

 

「私が先輩の代わりです……。先ほど決定しました」

 

病室がしんと静まった。

飯田が俺に目線を送る。

 

「……悪い。飯田と話すことがあるんだ。出てもらえるか」

 

鹿島は涙を拭くと、小さく頷き、吹雪と共に病室を出た。

だが、霞はその場を動こうとはしなかった。

 

「霞?」

 

「霞ちゃん?」

 

霞はどこか不安そうな目で俺を見つめた。

 

「心配してくれてるのか?」

 

「……違うわよ」

 

「大丈夫だ。すぐ戻るよ。約束する」

 

小指を出すと、霞もそっと小指を絡めた。

 

「絶対だからね……」

 

「ああ」

 

吹雪に促され、霞も病室を後にした。

飯田と二人になったものの、しばらく沈黙が続いた。

 

「……愛されてますね」

 

「……どうかな」

 

飯田は椅子に座ると、俺の言葉を待った。

 

「……悪かった」

 

何の事だとは言わずも、飯田は分かっているようであった。

 

「いえ……。私も……言い過ぎました……」

 

そう言い終えると、飯田はまたぽろぽろと涙を流した。

 

「私……自分の言ったこと……後悔してて……もう先輩と……お話しできないと……うぅぅ……」

 

「……俺も同じだ。お前に酷いことを言ってしまったって……。お前は一生懸命、気を遣ってくれていたのに……邪魔だとか……迷惑だとか……酷いよな……」

 

飯田は激しく首を横に振った。

 

「事実です……」

 

「いや……」

 

多分、飯田も俺も、喧嘩の内容にそこまで執着はしていないのだろうと思う。

本題は――。

 

「……どうして……先輩は私に謝ってくれるんですか……? このまま喧嘩してた方が……その……先輩にとってはいいことなんだと思います……」

 

「……俺たちの関係は、何も恋愛だけじゃない。昔からの友人で、仕事仲間だ」

 

「…………」

 

「古い友人として……仕事仲間として……お前と仲直りしたいと思った……」

 

「先輩……」

 

「……俺からも一つ聞いていいか?」

 

「はい……」

 

「吹雪の件、不当だと上に申し立てしたらしいな……。それも一人で……」

 

「…………」

 

「本部から外されるかもしれないのに、そこまでした理由はなんだ……?」

 

目を合わせると、飯田は俯いてしまった。

 

「飯田……」

 

「……もちろん、吹雪さんの事を考えてのことです」

 

「…………」

 

「……でも……先輩と……仲直り出来たらって……思いも……」

 

それが本音なのだろう。

飯田は、言い終える最後まで、俺の目を見ることをしなかった。

 

「……ずっと考えていた。もし、お前が俺と仲直りするためにそこまでしたというのなら……俺はその想いに応えることが出来ないと……。お前を泣かせてしまうと……」

 

「先輩、違うんです……。そういう思いがあっただけで、私は……!」

 

「飯田……これ以上何かしてもらっても……俺がお前の気持ちに応えることは出来ない……。お前の気持ちを……無下にしてしまうだけだ……」

 

「…………」

 

「憐憫の情でお前を好きになることもない……。お前が思っているほど、俺は優しくないんだ……。だからもう……」

 

飯田はやっと顔を上げた。

そして、何かを言おうとしたのだろうが、俺の表情を確認し、閉口した。

 

「……「買い出し」ありがとう。引き続きで悪いが……第二寮の事、頼んだよ」

 

飯田は深く目を瞑り、ゆっくりと深呼吸をしてから、再び俺と目を合わせた。

 

「大丈夫です。これも……「仕事」ですから……」

 

そう言って、微笑んで見せた。

その表情にどんな意味があるかは分からない。

だが、飯田は俺の為ではなく、海軍としての仕事をまっとうすることを誓ってくれたのだ。

少なくとも、俺はそう捉えている。

 

「ありがとう……飯田……」

 

 

病室を出ると、鹿島さんが駆け寄って来た。

 

「鹿島さん……」

 

「先ほど、本部の方が私のところに来ました。提督さんの代行が飯田さんになったって、正式な通知が……」

 

そう言うと、鹿島さんは通知の紙を私に見せた。

 

「期間は一週間……ですね……。提督さんの検査も、それだけかかるってことですよね……」

 

「……ごめんなさい。多分、私のせいです……」

 

「い、飯田さんのせいじゃないです! 私がもっと、提督さんの食事とか生活に気を遣ってあげれていれば……」

 

お互いに気まずい時間が流れる。

 

「……準備が出来たら、私の車で第二寮へと向かいましょう。それまで、先輩の傍にいてあげてください」

 

「あ……はい……。分かりました……。吹雪さん、霞ちゃん」

 

三人が病室に入ると、廊下はしんと静まり返った。

 

「…………」

 

先輩のあの表情……。

私を憐れむような表情だった……。

実らない恋を追い続ける哀れな女を見るような……そんな目をしていた……。

そんな表情を向けられて……そんな目で見られても……私はまだ、貴方を諦めきれない……。

それはきっと、相手が鹿島さんだから……。

相手が……艦娘だから……。

 

「今は「仕事」仲間でいいです……。でも……いつか……」

 

 

 

第二寮に着くと、皆が私を囲った。

歓迎されているのかと思ったけれど、先輩の容体が心配で駆けてきたようだった。

 

「心配しなくても大丈夫だよ。ちょっと疲れただけみたいだから……」

 

「でもでも……司令官……入院してるんだよね……? ボク……司令官の為に何か出来ないかな……?」

 

「司令官死んじゃうの……? そんなの嫌よぉ……」

 

「みんな落ち着いて……」

 

何とかなだめようとするけど、暁ちゃんが泣き出したのをきっかけに、皆パニックになってしまった。

 

「みんな……あのね……大丈夫なのよ? 一週間くらい検査するだけだから……」

 

私の声も届いていないのか、状況は悪くなる一方だった。

そんな時、手を一つ叩く音が響いた。

皆が一斉に音の方へと目を向ける。

鹿島さんだ。

 

「皆さん、提督さんからご伝言があります! 静かに聞いてください!」

 

その一声で、皆が一斉に黙り込んだ。

伝言を話している間も、真剣に耳を傾けている。

鹿島さんが凄いのか、先輩が凄いのか……。

 

「――なので、心配には及びません。今は、提督さんの為にも、皆が一丸となってこの寮を守りましょう! 提督さんが帰って来た時、がっかりされない様に! いいですか?」

 

「「「はい!」」」

 

そう言うと、皆はぞろぞろと自室へと戻っていった。

 

「すみません……。何もできなくて……」

 

「いえ、慣れてますから。お部屋にご案内しますね」

 

「はい……」

 

鹿島さんに頼らなきゃいけないことは分かっている。

出来なくて当然だとも思う。

けど、鹿島さんよりできないことが悔しいと思った。

相手が鹿島さんだから……先輩の想い人だから……。

「仕事」なんだから、そういう感情は捨てなきゃいけないのは分かってる。

けど……それでも――。

 

 

夕方になると、病院内を自由に移動できるようになった。

 

「どの病室もガラガラだな」

 

もしかしたら、俺しか入院している奴いないんじゃないか。

そう思えるほど静かで、まるで廃病棟でも歩いている気分だ。

 

「お、図書室か」

 

おそらくは駆逐艦たちを意識した部屋なのだろうが、外から見る限りびっしりと本が並んでいる。

大人向けの本もありそうだな。

イヤラシイ意味じゃないぞ。

 

「!」

 

部屋に入ると、はんてんを着た女性が椅子に座って本を読んでいた。

後姿しか確認できないが、俺はその背中に見覚えがあった。

 

「鳳翔……?」

 

鳳翔は驚いた様子でこちらを振り返った。

 

「やはり鳳翔か」

 

「て、提督……?」

 

 

 

鳳翔は本にしおりを挟むと、机の上にそっと置いた。

 

「久しぶりだな、鳳翔」

 

「提督もお元気そうで何よりです。あ……提督って呼ばない方が良いですか?」

 

「いや、昔の通り提督で構わないよ」

 

「では……昔の通りに」

 

鳳翔は、吹雪のすぐ後に指導した艦娘だ。

とは言え、吹雪よりも先に艦娘として誕生していたから、指導と言う指導はあまりできていない。

よくできた艦娘で、俺が困っている時に助言をしてくれたりしていた。

 

「まさか、こんなところでお会いできるとは思ってもいませんでした。終戦後、提督にご挨拶しようと思っていたのですが……状況が状況でしたので……」

 

「そうだったのか……。しかし、どうしてここに? どこか悪いのか?」

 

「いえ……ちょっと……」

 

鳳翔は一瞬、暗い顔を見せた。

 

「……提督はどうしてここに?」

 

「疲労で倒れて、ここに運ばれてきたんだ」

 

「だ、大丈夫なんですか?」

 

「ああ。精密検査の為に一週間ほどここにいることになったんだ」

 

「そうでしたか……」

 

鳳翔はほっとすると、図書室を見渡した。

 

「この病院は、ここくらいしか暇をつぶせる場所がないんですよ」

 

「そのようだな」

 

「でも、面白い本がたくさんあって、時間も忘れてずっとここに居てしまったりして」

 

「邪魔じゃなければ、俺もここに通ってもいいか?」

 

「もちろんです。一人で退屈していたところですし、また昔のように、難しい言い回しの解説など頂けると嬉しいです」

 

「ああ、任せておけ」

 

そう言うと、鳳翔は恥ずかしそうに本を開いた。

 

「早速で申し訳ないのですが……ここの言い回しってどういうことでしょうか?」

 

「「こころ」か。これはだな――」

 

 

私がここに来て三日目。

第二寮について分かったことがいくつかある。

一つ目に、ここの艦娘は皆おてんばな事。

 

「痛いぴょ~ん……うぇぇ……」

 

「卯月ちゃん大丈夫?」

 

「走り回ってたら、ボクとぶつかっちゃったんだ……。ごめんね卯月……」

 

「皐月ちゃんは大丈夫?」

 

「ボクは平気だよ」

 

昨日も似たようなことがあったし、けがが絶えないというか……。

そう言えば、第二寮は絆創膏とかの発注が多かったような……。

 

二つ目は、仕事を手伝ってくれる艦娘が多い事。

 

「あ……そろそろお風呂の掃除をしないと……」

 

「それなら吹雪さんがやってくれてましたよ」

 

「じゃあ、洗濯物を……」

 

「それは霞ちゃんが」

 

「資料をまとめ……」

 

「私がやっておきました」

 

「……私は何をすればいいですか?」

 

「では、一緒にお料理をお願いしてもいいですか? 飯田さんからお料理を勉強したいって思ってたんです!」

 

「わ、分かりました……」

 

寮長以外に、パートナーが仕事を手伝うことはあるけれど、寮の艦娘が指示もされてないのに手伝うなんて……。

しかも霞ちゃんまで……。

 

三つ目は……。

 

「こうですか?」

 

「そうです。そしたら、今度はこうやって剥いて……」

 

「わぁ、飯田さん上手ですねぇ」

 

「母親がよく教えてくれたんです。鹿島さんもすぐに出来ますよ」

 

「本当ですか!? えへへ、なら、頑張っちゃいます!」

 

鹿島さんが本当にいい人って事。

鹿島さんにとって、私は恋敵で、嫌な事言われた相手で……。

仕事とはいえ、普通は避けようとするものだけれど、鹿島さんはむしろ近づいてきてくれる。

 

「…………」

 

どうして……私なんかに……。

 

 

 

消灯時間近くになると、まるで誰もいなくなったかのように、寮はしんと静まった。

 

「…………」

 

今日も鹿島さんに頼りっぱなしで、私が活躍できたところは無かったな……。

気を遣われてるのも分かってるし……なんだか自分が駄目な人間なんじゃないかって思えてきてしまう……。

先輩の代わりなんだから、気にすることは無いってわかっているけれど、競ってしまう自分がいる。

 

「はぁ……」

 

そんなことで落ち込んでいると、部屋のドアが叩かれて、卯月ちゃんが入って来た。

 

「飯田さん、ちょっといーい?」

 

「卯月ちゃん。うん、大丈夫よ。でも、どうしたの? もうすぐ消灯時間だよ?」

 

「分かってるぴょん。ちょっとだけ」

 

そう言うと、卯月ちゃんは私の膝の上に座った。

そう言えば、先輩のレポートに、卯月ちゃんは甘えん坊だって書いてあったけれど、もしかして甘えに来てるのかな?

 

「飯田さん、お仕事してたのー?」

 

「レポートをまとめてたの。もう終わったから、ちょっと休憩してたところかな」

 

卯月ちゃんは小さな手をもじもじとさせながら、何か言いたそうにしていた。

 

「何か私に言いに来たのかな?」

 

「……あのね、司令官……まだ元気にならない……?」

 

「え?」

 

「司令官は、うーちゃんのわがままを聞くのが仕事なんだぴょん。なのに、もうずーっと帰ってこないなんて」

 

先輩も大変だなぁ……。

 

「そっか。私じゃ先輩の代わりになれないかな?」

 

「飯田さんはいい人だから、わがままなんて言えないぴょん」

 

「先輩はいい人じゃないの?」

 

「いい人だぴょん。わがままを言っていい人」

 

「そっちのいい人なんだね……」

 

そう言うと、卯月ちゃんは急にしょんぼりした表情を見せた。

 

「うーちゃんがわがまま言ったから……司令官はずっと帰ってこないの……?」

 

「え? ううん、そうじゃないよ。先輩はただお休みしてるだけで……」

 

「本当……? うーちゃんの事……嫌いになってない……? いい子じゃないから……嫌になったから……司令官は……いなくなっちゃったんじゃないの……?」

 

そんなことは無い。

きっと先輩は、色んな事が心の重荷になって倒れてしまったんだと思う。

それには、私も大きく加担していて……。

 

「飯田さん……?」

 

「……大丈夫。卯月ちゃんのせいじゃないよ。先輩、すぐに帰ってくるって言ったから」

 

「…………」

 

「……卯月ちゃん」

 

抱きしめると、とても小さな体なんだと、改めて思った。

 

「寂しいよね……。早く帰ってきてほしいよね……」

 

「……うん。寂しいぴょん……。早く……帰ってきてほしいぴょん……」

 

なんやかんや言っても、この子たちにとって先輩は、かけがえのない存在なんだろう。

まるで親のように――。

 

「…………」

 

そっか……。

この子たちには、先輩が必要なんだ……。

子が親を必要としているように……。

先輩もそれを分かっていて……。

なのに……私は……。

 

 

入院から四日も経つと、本を読むよりも、鳳翔との会話に夢中になっていた。

それは鳳翔も同じのようで、図書室に俺がいない時、わざわざ病室を訪ねてきてくれたりした。

 

「検査はもう済んだのか?」

 

「これからです。最近は検査も短くなっていて、もう少しで退院できそうです」

 

「そうか」

 

鳳翔が何故入院しているのかは、相変わらず分からないままだ。

本人も話さないし、こっちもあれから聞くことをしていない。

 

「しかし、俺もお前も、お見舞いの一つもあれから来ていないな」

 

「皆さん、忙しいですからね。提督のお見舞いも、きっと気を遣ってくださっているんだと思いますよ」

 

「だといいがな。案外、帰ったら居場所が無かったりして」

 

そう言うと、鳳翔はくすくすと笑った。

 

「今日はどんな本を読んでいるんだ?」

 

「「斜陽」です」

 

「太宰か。太宰好きなのか? この前も、「パンドラの匣」や「ヴィヨンの妻」を読んでいたが……」

 

「この方の書く恋愛描写が共感できて……つい読んじゃうんです」

 

「共感か……。お前も恋愛をしたことがあるのか?」

 

「えぇ……まぁ……」

 

言葉を濁すようにして、鳳翔は俯いた。

何か隠し事でもあるように。

 

「そう言えば、「こころ」も読んでいたな。あれは夏目漱石の作品だが。どれも、晴れやかな恋愛描写とはいえない作品ばかりだな」

 

「…………」

 

「鳳翔、共感できると言ったが、それはどういった意味――」

「鳳翔さん。検査のお時間ですよ」

 

呼ばれた鳳翔は、俺に小さく会釈すると、何も言わずに部屋を出て行った。

そして、その日は一度も、鳳翔が顔を出すことは無かった。

 

 

 

五日目の夕方には、飯田がお見舞いに来てくれた。

 

「これ、皆さんからです」

 

段ボールいっぱいに、手紙とお菓子、千羽鶴が入っていた。

 

「大げさだ」

 

「皆さん心配していますよ。特に、卯月ちゃんは毎日部屋に来ています」

 

「あいつ、甘えん坊だからな」

 

しばらくの雑談の後、話題も尽きて、静かな時が流れ始めた。

 

「……鹿島さん、よくできた方ですね。私、助っ人として来たはずなのに、何もできなくて……」

 

「他の艦娘と違って、似たようなことをずっとやってきた奴だからな……」

 

「そうでしたね……」

 

再び沈黙が続く。

 

「悔しいです……」

 

それは、口からぽろっと零れ落ちたものだったのだろう。

飯田自身も少し驚いたあと、諦めたように肩を落とした。

 

「鹿島さんに出来て……私に出来ないことがある……。どうしても……競ってしまうんです……」

 

「……相手が鹿島だからか」

 

「はい……」

 

正直だな。

きっと、誰にも相談できない事だから、吐けて楽になったのだろうな。

 

「「仕事」じゃなかったのか?」

 

「分かってますよ……。でも……やっぱり割り切れない……だって……」

 

「あいつが艦娘だから……だろ……」

 

「……!」

 

「違うか……?」

 

飯田は何も言わなかった。

 

「それが普通の考えだ。お前は何も間違ってはいない……」

 

「…………」

 

「だが……前にも言った通り……」

 

「私を好きになることは無い……ですよね……」

 

「ああ……」

 

「じゃあ……どうすればいいんですか……? こんな状況で……諦めろだなんて……。無理に決まってますよ……」

 

「無理じゃない……」

 

「先輩には分からないでしょう……。そんな思い……したことが無いから……」

 

「分かる奴には会ったことがある」

 

「誰ですか……。そんな人……」

 

「山岡だよ……。お前が振った山岡だ……」

 

それを聞いて、飯田は気が付いたように口を噤んだ。

 

「あいつは、お前の事が好きでも、お前の恋を応援していた」

 

「え……?」

 

「お前の気持ちを分かってやれと言われた。何故そこまでするのか聞いたら……それが好きになることだと言われた……」

 

「…………」

 

「だから……俺は本気で鹿島を愛そうと思った。中途半端な立場では、お前も俺も鹿島も、ただ傷ついてゆくだけだと思ったから……」

 

飯田は何かに耐えるように、拳をぎゅっと握った。

 

「鹿島が艦娘だからじゃない。俺はあいつを……異性として見ている。一人の女として……」

 

それは、飯田が思う「艦娘だから」という考えから離れさせるために言ったことでもあった。

 

「……分かりました。少し……考える時間をください……」

 

「飯田……」

 

飯田は立ち上がると、俺の目をじっと見つめた後、ドアの方へと向かっていった。

 

「また来ます……」

 

「ああ……第二寮の事、頼んだ……」

 

飯田が扉を開けると、そこには鳳翔が立っていた。

 

「あ……」

 

「鳳翔さん……?」

 

鳳翔は飯田の顔を確認すると、どこか悲しい表情を見せ、どこかへ走って行ってしまった。

 

「鳳翔さん……。そっか……まだ検査終わって……」

 

飯田は鳳翔の入院理由を知っているようであった。

 

「……今の話、鳳翔さんに聞かれていたかも知れませんね」

 

「ああ……そうだな……」

 

飯田は出てゆくのを躊躇った後、何かを決意したように俺の方へと戻って来た。

 

「飯田……?」

 

「鳳翔さんの事で……先輩にお話しておきたいことがあります……」

 

「鳳翔の事……?」

 

「この事は……本部の人間にしか知られていませんが……先輩にも関係のあることだと思いますので……」

 

そう言うと、飯田は鳳翔が入院している理由を話し始めた。

 

 

寮は消灯時間を迎えていた。

 

「…………」

 

部屋の明かりと、薄暗くはあるけれど、食堂の明かりがついていた。

 

 

 

部屋には誰もいなくて、食堂の方を覗くと、鹿島さんが台所に立っていた。

 

「あ、飯田さん。お帰りなさい」

 

「ただいまです……」

 

「提督さんのお見舞いに行ってたんですよね。ずいぶん遅かったですけれど……お夕食はまだですよね?」

 

「え、えぇ……」

 

「おにぎりとお味噌汁作りました。良かったら……」

 

「……ありがとうございます」

 

 

 

秒針の音が聞こえるほど静かな食堂で、私は鹿島さんに見守られながら食事をとった。

 

「提督さん、お元気でしたか?」

 

「えぇ、それはもうとても」

 

「そうですか。良かった」

 

中身の入っていない塩おむすびと、少し薄味のわかめのお味噌汁。

先輩の好きな味と一緒だった。

 

「……聞かないんですか? 遅くなった理由……」

 

「え……?」

 

私が意味ありげな視線を向けると、鹿島さんは少し戸惑ったあと、小さく笑って見せた。

 

「飯田さんがお話したいのなら」

 

「――……」

 

それを聞いて、私はやっと自分の答えを受け入れることが出来た気がした。

 

「飯田さん?」

 

「……鹿島さんは、先輩のどんなところが好きになったんですか?」

 

「え……? て、提督さんの好きなところですか……? い、いい人だとは思いますけど……別に……好きなわけじゃ……」

 

「もういいんですよ。聞かせてください」

 

私の視線に、鹿島さんは何かを察したのか、恥ずかしそうに先輩の好きなところを話し始めた。

その姿はとても健気で、可愛らしくて、美しくて、私は何度も泣きそうになりながら、彼女の言葉に耳を傾けた。

 

 

六日目の夕暮れ。

鳳翔は図書室に現れなかった。

鳳翔の部屋を知ろうと、看護婦に聞いてみても、教えることは出来ないと言われた。

 

「…………」

 

俺は、明日の朝にはここを出ることになっている。

その前に、どうしても鳳翔と話しておきたい。

きっとあいつは――。

 

「ん……」

 

図書室の返却ボックスに「斜陽」が入っていた。

 

「「斜陽」か……」

 

壁には、誰が撮ったのか、きれいな写真が数枚飾ってあって、その中にある夕日の写真が目に入った。

見覚えのある風景の中、影をつくりながら輝く夕日の写真。

 

「…………」

 

 

 

屋上は風が強く、とても寒かった。

夕日は山間に沈もうとしているところで、最後の力を振り絞り、細い影をどこまでも伸ばしていた。

 

「やはりここにいたか」

 

鳳翔は驚いた様子で俺の方を見ると、その表情を曇らせていった。

 

「冷えるぞ。中に入らないのか?」

 

「……もう少しだけ……ここに居たいんです……」

 

「……そうか」

 

鳳翔の隣に立つ。

そこから見える景色は、あの写真とほとんど同じであった。

 

「綺麗だ。だが、少し寂しい感じもする」

 

「えぇ……そうですね……」

 

強い風に吹かれ続けたのか、鳳翔の髪は少しだけ乱れていた。

 

「飯田から聞いたよ……。お前が入院している理由……」

 

「…………」

 

「お前だったんだな……。人と体の関係を持った艦娘というのは……」

 

昨日、飯田は俺に全てを話してくれた。

 

……

………

…………

 

「鳳翔さんが入院している理由は……検査の為です……」

 

「検査……? どこか悪いのか……?」

 

「……鳳翔さんは……人と体の関係を持った艦娘です……」

 

それを聞いて、再会してからの鳳翔の全ての行動が、その一点につながるのを感じた。

 

「例の事件の艦娘が……鳳翔だというのか……?」

 

「そうです……」

 

「……まさか……子供が出来たのか?」

 

「いえ……。ですが、艦娘と人間の性行為はこれが初めてなので……」

 

「検査をして様子を見ている……という訳か……」

 

「検査と言っても、酷いものですよ……。体のあちこちを調べられ……女性として恥ずかしいことも……」

 

「…………」

 

「それでも……彼女は自分のしたことの償いとして、全てを受け入れています……」

 

そんなことも知らない俺に、あいつはいつも笑顔で語りかけてくれていたのか……。

 

「……どうしてそれを俺に?」

 

「同じ過ちを先輩にしてほしくないからです……」

 

「……だから、鹿島を諦めろと言うのか?」

 

そう言うと、飯田は肩を落として首を横に振った。

 

「違います。正しく付き合ってほしいと思ったから……。アドバイスです……」

 

「……どういうことだ?」

 

飯田は病室の窓を開けると、近くにあった椅子に座り、そこからの景色に目をやった。

 

「鳳翔さん……自分のしたことを償おうとはしているけれど、全てを分かった上で、好きな人と関係を持つことを選んだようなんです」

 

「…………」

 

「こうなることを分かっていて……それでも人を愛そうとした……。どうしてかなって……ずっと考えていました……。鳳翔さんらしくないなって……」

 

確かにそうだ。

鳳翔らしくない選択だ……。

 

「けど……先輩が鹿島さんを好きでいる理由と同じなんだって、さっき気が付いてしまったんです。どんな危険があっても……それが過ちになろうとも……その道を選んでしまうほど……大切な人なんだって……」

 

俺と鹿島はそんな大層な関係ではないと思ったが、飯田にとってはそれほどの衝撃を受けたのだろう。

 

「それに気が付いた時……どうにも出来ないって思ったんです……。鳳翔さんがそうしたように、私がどんなにリスクがあると説得しても、きっと先輩は鹿島さんを選ぶんだろうって……」

 

「…………」

 

「だから……私は……せめて先輩が幸せになる道を示したいと思いました……。山岡さんがそうしたように……私も……」

 

表情は見えなかったが、飯田の背中が小さく震えていた。

 

「飯田……」

 

「……それが、先輩に話した理由です」

 

俺は何も言えなかった。

慰めの言葉も、励ましの言葉も、今の飯田の前では、傷つける優しさになると思ったからだ。

 

「……もう帰ります。先輩をどうにもできないと気が付いても……気持ちの整理は必要ですから……。今は……一人の時間が欲しいです……」

 

「……分かった」

 

飯田はゆっくりと立ち上がると、表情も見せないまま、病室を後にした。

窓の外では、もう夕日が沈んでいて、藍色のグラデーションの中に一番星が見えていた。

 

…………

………

……

 

「お前の読んでいた小説……共感できるという意味が分からずにいたが、今になってやっと分かったよ」

 

「…………」

 

「気が付いてやれなくてごめんな……鳳翔……」

 

鳳翔は首を横に振ると、俺から目を逸らした。

その反応を見て、一つの確信を得た。

 

「……昨日、俺の病室でお前が逃げ出したのは、飯田がいるからだと思っていた。飯田が俺に、お前の事を話してしまったのではないかと恐れて……知られたことが恥ずかしくて……逃げたのだと……」

 

「…………」

 

「でも……俺が知ったところで、お前は逃げ出すこともせず、ただここにいる。それで確信した……。お前は……俺と飯田の話を聞いてしまったんだろ……?」

 

鳳翔は唇をかみしめた後、小さな声で「はい」と言った。

やはりそうか……。

鳳翔は、俺と飯田の話を聞いて、俺が鹿島を愛していることを知った。

そして、俺と鹿島の関係が崩れてしまったのは、自分のせいだと思ったのだ。

罪悪感から、逃げ出してしまったのだ。

 

「ごめんなさい……。ごめんなさい……」

 

鳳翔は涙を流すと、その場に蹲って、いつまでも泣き続けた。

ごめんなさい、ごめんなさいと、呟きながら。

俺はその姿に声をかけることもできず、鳳翔に上着をかけてから、その場を後にした。

 

 

 

翌日の朝。

結局、あれから鳳翔は姿を現すことは無く、俺は病院を出ることになった。

 

「よう。迎えに来たぜ」

 

「山岡。どうして……」

 

「飯田ちゃんから頼まれたんだよ。どうしてもお前と顔を合わせられないから、代わりに頼むってさ」

 

「……そうか」

 

「……体調はどうだ?」

 

「ああ、だいぶ良くなった」

 

「そうか……。乗れよ。洗車してピカピカだぜ」

 

山岡の車に乗り込むと、ほんの少しだが、飯田の匂いがした。

送ってやったのだろうか。

 

「んじゃ、帰るか。皆、お前の事を待ってるぜ」

 

車がゆっくりと走り出す。

サイドミラー越しに遠ざかってゆく病院を眺めながら、俺は鳳翔の事を思っていた。

 

 

 

第二寮へと向かう道中、いつもはおしゃべりな山岡は、何故か黙ったままだった。

 

「…………」

 

空は曇っていて、とても寒そうだった。

雪でも降るんじゃなかろうかと言うほどに。

 

「……飯田ちゃんが言ってたぜ。お前を諦めたってさ」

 

「……そうか」

 

「多くは語ってくれなかったが、本当に諦めたようでさ。どこか清々しくさえあった」

 

「…………」

 

「……本気なんだな」

 

「ああ……本気だ……」

 

俺は山岡の顔を見ることが出来なかった。

――いや、見ない方が良いと思った。

どんな事を思っているのかは分からないが、もし飯田が諦めたことをチャンスだと思っていれば、いくら山岡でも表情に出てしまうだろう。

それを見られることは、山岡にとっては屈辱になるだろうと思った。

惨めな気持ちになると思った。

 

「飯田ちゃんはお前を諦めて、新しい道を探すと言っていた。それがどういう意味か分かるか?」

 

俺は少し考えた後、答えを聞こうと、思わず山岡の方を向いてしまった。

その表情は、今まで見たこともないほどに、しおらしく、悲しみの中で無理に作る笑顔のようであった。

 

「新しい道……。今まで歩いてきた道は……もう通らねぇってことだよ」

 

……そう言うことか。

新しい道……それは、俺を諦めたからと言って、山岡に向くことは無いと言うことだ。

飯田らしい、気を遣った言い方だと思った。

 

「だから、俺も諦めることにした。辛いもんだな。今まで色んな女にアタックして、砕けて来た俺だけど……今回ばかりはな……」

 

俺はかける言葉も見つからず、その場に小さく座っていることしかできなかった。

 

「……悪いな。退院したばかりなのに、こんな辛気臭い話……」

 

「いや……」

 

「……俺も新しい道を行くためにさ、今度合コンに行くんだ。お前も人数合わせに来ないか?」

 

「俺は……」

 

「冗談だよ。お前には鹿島が居るしな」

 

「!」

 

「きっと飯田ちゃんも同じ気持ちだろうから、俺も言っておくわ。お前と鹿島の事、応援してるぜ」

 

「山岡……」

 

「じゃないと、俺も飯田ちゃんも、自分の立場がねぇってこった」

 

そう言うと、山岡は二ッと笑って見せた。

その笑顔に、俺はどれだけ救われたことか。

 

「ありがとう、山岡」

 

「そう思ってんなら、合コン来てくれよ。俺を持ち上げる役としてさ」

 

「合コンは本当なのか……」

 

そんな事を話していると、第二寮が近づいてきた。

その前には小さな人だかりができていて、俺を待ってくれているようであった。

 

 

 

寮に着くと、皆からの手厚い出迎えを受け、俺は荷物を自室に置く暇もなく、皆に揉みくちゃにされた。

 

「み、皆さん! 提督さんは病み上がりなんですから!」

 

「いいよ鹿島。俺も久々にこいつらと話がしたかったんだ」

 

「そ、そうですか……。でも、無理はしないでくださいね……?」

 

「ああ、分かってる」

 

鹿島はしばらくソワソワして見ていたが、やがて安心したのか、部屋へと帰っていった。

 

「しれいかぁ~ん、一週間もうーちゃんを放っておくなんてひどいぴょん……。今日はずーっと甘えさせてね~」

 

「そうだな。悪かったよ」

 

「ちょっと卯月……あんた少しは自重したらどうなのよ……」

 

「霞も甘えたいの~?」

 

「別に私は……」

 

「じゃあ、霞のかわりにうーちゃんが甘えておいてあげる!」

 

「……勝手にすれば?」

 

そう言うと、霞は何故か俺を睨んだ。

後で怖そうだ。

 

「みんな、いい子にしていたか?」

 

元気な声で返事をすると、皆一斉に俺がいなかった時の事を話し始めた。

飯田にも世話になったようで、今度「街」に行く約束をしたらしい。

顔を合わせてもいい時に、礼を言わなきゃな。

 

 

 

皆に解放された後、自室に戻ると鹿島が仕事をしていた。

 

「お疲れ様です」

 

「ただいま。やれ……あいつら入院前よりパワフルになってないか?」

 

「提督さんが帰ってきてはしゃいでるんですよ」

 

荷物を置き、畳の床に座り込む。

一週間ぶりの自室は、何だか安心できるな。

 

「仕事、手伝おうか?」

 

「もうすぐ終わりますから」

 

「そうか」

 

部屋の模様替えは何一つ変わって無かった。

飯田はそう言うところ、しっかりしてるもんな。

 

「ん……」

 

気が付くと、鹿島が手を止め、じっと俺を見ていた。

 

「どうした?」

 

「……いえ。提督さんがいるなぁ……って……」

 

「フッ……どういう意味だよ?」

 

そう笑ってやると、鹿島は何の反応も見せず、そのまま仕事の続きを始めた。

しばらくすると、またこちらをじっと見ては、我に返ったように仕事を始める。

 

「仕事、本当に大丈夫か? 別にもう体調はいいし、任せてくれてもいいんだ」

 

「いえ……仕事は平気です……」

 

鹿島は怖いくらいに表情を変えないままだ。

何だか様子が変だぞ。

 

「鹿島、お前大丈夫か? 何だか様子が変だぞ」

 

覗き込むと、目が合った。

すると鹿島は――。

 

「――……」

 

今度のそれは、「事故」にしてはとても長かった。

 

「鹿島……?」

 

「……五日目の夜……飯田さんから全部聞きました……」

 

「え……?」

 

「どんなにリスクが高くても……提督さんは私を選んでくれたって……。私……とても嬉しくて……」

 

「…………」

 

「提督さんが帰ってきたら……いつも通りふるまわなきゃいけないって思ってたのに……。私……どうしても自分を抑えきれなくて……」

 

「鹿島……」

 

「ごめんなさい……。せっかく私を選んでくれたのに……これからちゃんとしていかなきゃいけないのに……」

 

「…………」

 

「ごめんなさ――」

 

鹿島が言い終えるその直前で、俺は鹿島にキスをした。

俺はその時、初めて鳳翔の気持ちを理解した。

言葉で理解した鳳翔の気持ちと、今この瞬間に感じた気持ちは、とてもじゃないが比較できるものではなかった。

ただ、鳳翔ほどの艦娘ですら、その道を選んでしまうほどに、危険な気持ちであることだけは確かであろう。

 

「提督さ……んっ……」

 

最初こそは驚いて力の入っていた鹿島も、段々と力を抜いて、最後は何もかも委ねるように身を寄せた。

 

「――っ……」

 

鹿島の体が小さく震えている。

堕ちてゆくのを感じる。

深く、暗く、甘く、熱く――。

どれだけの絶望の中でも、今はそれだけを求めることが希望のような気さえしてくる。

 

「は……っ……はっ……」

 

それでも、俺がそこで鹿島を放す事が出来たのは、鳳翔の涙や、飯田と山岡の姿が脳裏に浮かんだからであった。

 

「……悪い」

 

息も絶え絶えの鹿島は、呼吸を整えると、平生を取り戻すかのように言った。

 

「――病み上がりですから、ふらついちゃったんですよね」

 

「――ああ」

 

「少しお休みになってください。今、お茶をいれますね」

 

「頼む」

 

そう言うと、鹿島はよろめきながら部屋を出て行った。

そして、長い間部屋に帰ってくることは無かった。

 

 

 

その日の夜。

俺は鳳翔宛に手紙を書いた。

今なら、あいつの気持ちに寄り添うことが出来ると思ったからだ。

あの時言えなかった言葉、これからの事のすべてを書き連ねた。

 

「…………」

 

この手紙を読んで、鳳翔がどんな事を思うかは分からない。

それでも、鳳翔と同じ気持ちに触れた者がいるということだけは、知っておいてほしかった。

 

 

 

退院してから一週間ほどたった頃、飯田が寮を訪ねて来た。

 

「先輩の様子を見に来たんです。体調はいかがですか?」

 

「ああ、おかげさまで食事にも気を遣うようになった。鹿島がしっかりと管理してくれてるよ」

 

「提督さんの食事は偏り過ぎなんです! もっとバランスよく食べないと……」

 

「ふふ、それは何よりです」

 

飯田はよく笑顔を見せるようになっていた。

 

「しかし、まるで夫婦のようですね」

 

「ま、まだそこまでは……」

 

「いずれは……と言うことですか?」

 

「ど、どうでしょうか……?」

 

鹿島がチラリとこちらを見た。

 

「そうなるように努力する」

 

「!」

 

「ふふ、先輩ならそう言うと思いました」

 

飯田、本当に前に進もうとしてるんだな。

新しい道……か……。

 

「そう言えば、この前鳳翔さんに会ったのですが、先輩へ伝言を頼まれました」

 

「鳳翔が?」

 

「「ありがとう」ですって。何かしたんですか?」

 

そうか……。

 

「いや……。そうだ。飯田、お前まだ時間あるか?」

 

「え? えぇ、一応……」

 

「なら、昼飯食って行けよ。今日の昼飯は、みんなでカレーを作って食うんだ」

 

「いいですね! 飯田さんが食べると聞いたら、みんなきっと張り切ると思いますよ!」

 

「では……お言葉に甘えさせていただきます」

 

きっと、鳳翔は分かってくれたのだろうと思う。

俺が鳳翔の気持ちに寄り添えたことを。

だからこそ、短い言葉での返事だったのだろう。

 

「そうと決まれば、俺たちも頑張らないとな」

 

「そうですね。飯田さんに認められてやっと料理上手を名乗れます! 飯田さんは師匠ですから」

 

「私は厳しいですよ?」

 

「望むところです!」

 

まだ全てが終わったわけではない。

それでも、止めていた足が大きな一歩を踏み出すのを俺は感じていた。

 

「よし、行くぞ鹿島」

 

「はい!」

 

――続く

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