「提督さん!」
「司令官!」
病室に駆けこんできたのは、鹿島と吹雪だった。
遅れて霞もゆっくりと入室した。
「おう」
「おう……じゃないですよ! 急に倒れて……心配したんですからぁ……うぅぅ……」
「泣くことは無いだろ」
「し、司令官……それで……大丈夫なんですか……!? 大きな病気とか……」
「ああ、ただの疲労だってさ。寝不足とか、食生活とか……まあ色々指摘を受けたよ」
「そうですか……」
吹雪はほっと胸を撫で下ろすと、鹿島を慰めた。
「ふん……そんな事だろうと思ったわよ……。全く……」
「霞ちゃん、一番心配してたんですよ。司令官に何かあったら……って」
「そうなのか?」
「ち、違う! 私はただ……何というか……。と、とにかく! 無事ならさっさと帰ってきなさいよ!」
「それなんだが……そうはいかなくなってしまってな……。大げさだとは言ったんだが、しばらくここに居なきゃいけなくなった」
「え……? それって……それだけ深刻ってこと……?」
「そういう訳じゃない……とは思うが、一応、精密検査と、生活リズムの改善をしてくれるそうだ」
そう言うと、霞は急に黙り込んでしまった。
「その間、司令官の代わりは鹿島さん一人で?」
「代理を本部から派遣するとは聞いている。誰かはまだ……」
「私です」
声の方を見ると、飯田が立っていた。
「飯田……」
「飯田さん……」
「私が先輩の代わりです……。先ほど決定しました」
病室がしんと静まった。
飯田が俺に目線を送る。
「……悪い。飯田と話すことがあるんだ。出てもらえるか」
鹿島は涙を拭くと、小さく頷き、吹雪と共に病室を出た。
だが、霞はその場を動こうとはしなかった。
「霞?」
「霞ちゃん?」
霞はどこか不安そうな目で俺を見つめた。
「心配してくれてるのか?」
「……違うわよ」
「大丈夫だ。すぐ戻るよ。約束する」
小指を出すと、霞もそっと小指を絡めた。
「絶対だからね……」
「ああ」
吹雪に促され、霞も病室を後にした。
飯田と二人になったものの、しばらく沈黙が続いた。
「……愛されてますね」
「……どうかな」
飯田は椅子に座ると、俺の言葉を待った。
「……悪かった」
何の事だとは言わずも、飯田は分かっているようであった。
「いえ……。私も……言い過ぎました……」
そう言い終えると、飯田はまたぽろぽろと涙を流した。
「私……自分の言ったこと……後悔してて……もう先輩と……お話しできないと……うぅぅ……」
「……俺も同じだ。お前に酷いことを言ってしまったって……。お前は一生懸命、気を遣ってくれていたのに……邪魔だとか……迷惑だとか……酷いよな……」
飯田は激しく首を横に振った。
「事実です……」
「いや……」
多分、飯田も俺も、喧嘩の内容にそこまで執着はしていないのだろうと思う。
本題は――。
「……どうして……先輩は私に謝ってくれるんですか……? このまま喧嘩してた方が……その……先輩にとってはいいことなんだと思います……」
「……俺たちの関係は、何も恋愛だけじゃない。昔からの友人で、仕事仲間だ」
「…………」
「古い友人として……仕事仲間として……お前と仲直りしたいと思った……」
「先輩……」
「……俺からも一つ聞いていいか?」
「はい……」
「吹雪の件、不当だと上に申し立てしたらしいな……。それも一人で……」
「…………」
「本部から外されるかもしれないのに、そこまでした理由はなんだ……?」
目を合わせると、飯田は俯いてしまった。
「飯田……」
「……もちろん、吹雪さんの事を考えてのことです」
「…………」
「……でも……先輩と……仲直り出来たらって……思いも……」
それが本音なのだろう。
飯田は、言い終える最後まで、俺の目を見ることをしなかった。
「……ずっと考えていた。もし、お前が俺と仲直りするためにそこまでしたというのなら……俺はその想いに応えることが出来ないと……。お前を泣かせてしまうと……」
「先輩、違うんです……。そういう思いがあっただけで、私は……!」
「飯田……これ以上何かしてもらっても……俺がお前の気持ちに応えることは出来ない……。お前の気持ちを……無下にしてしまうだけだ……」
「…………」
「憐憫の情でお前を好きになることもない……。お前が思っているほど、俺は優しくないんだ……。だからもう……」
飯田はやっと顔を上げた。
そして、何かを言おうとしたのだろうが、俺の表情を確認し、閉口した。
「……「買い出し」ありがとう。引き続きで悪いが……第二寮の事、頼んだよ」
飯田は深く目を瞑り、ゆっくりと深呼吸をしてから、再び俺と目を合わせた。
「大丈夫です。これも……「仕事」ですから……」
そう言って、微笑んで見せた。
その表情にどんな意味があるかは分からない。
だが、飯田は俺の為ではなく、海軍としての仕事をまっとうすることを誓ってくれたのだ。
少なくとも、俺はそう捉えている。
「ありがとう……飯田……」
・
・
・
病室を出ると、鹿島さんが駆け寄って来た。
「鹿島さん……」
「先ほど、本部の方が私のところに来ました。提督さんの代行が飯田さんになったって、正式な通知が……」
そう言うと、鹿島さんは通知の紙を私に見せた。
「期間は一週間……ですね……。提督さんの検査も、それだけかかるってことですよね……」
「……ごめんなさい。多分、私のせいです……」
「い、飯田さんのせいじゃないです! 私がもっと、提督さんの食事とか生活に気を遣ってあげれていれば……」
お互いに気まずい時間が流れる。
「……準備が出来たら、私の車で第二寮へと向かいましょう。それまで、先輩の傍にいてあげてください」
「あ……はい……。分かりました……。吹雪さん、霞ちゃん」
三人が病室に入ると、廊下はしんと静まり返った。
「…………」
先輩のあの表情……。
私を憐れむような表情だった……。
実らない恋を追い続ける哀れな女を見るような……そんな目をしていた……。
そんな表情を向けられて……そんな目で見られても……私はまだ、貴方を諦めきれない……。
それはきっと、相手が鹿島さんだから……。
相手が……艦娘だから……。
「今は「仕事」仲間でいいです……。でも……いつか……」
第二寮に着くと、皆が私を囲った。
歓迎されているのかと思ったけれど、先輩の容体が心配で駆けてきたようだった。
「心配しなくても大丈夫だよ。ちょっと疲れただけみたいだから……」
「でもでも……司令官……入院してるんだよね……? ボク……司令官の為に何か出来ないかな……?」
「司令官死んじゃうの……? そんなの嫌よぉ……」
「みんな落ち着いて……」
何とかなだめようとするけど、暁ちゃんが泣き出したのをきっかけに、皆パニックになってしまった。
「みんな……あのね……大丈夫なのよ? 一週間くらい検査するだけだから……」
私の声も届いていないのか、状況は悪くなる一方だった。
そんな時、手を一つ叩く音が響いた。
皆が一斉に音の方へと目を向ける。
鹿島さんだ。
「皆さん、提督さんからご伝言があります! 静かに聞いてください!」
その一声で、皆が一斉に黙り込んだ。
伝言を話している間も、真剣に耳を傾けている。
鹿島さんが凄いのか、先輩が凄いのか……。
「――なので、心配には及びません。今は、提督さんの為にも、皆が一丸となってこの寮を守りましょう! 提督さんが帰って来た時、がっかりされない様に! いいですか?」
「「「はい!」」」
そう言うと、皆はぞろぞろと自室へと戻っていった。
「すみません……。何もできなくて……」
「いえ、慣れてますから。お部屋にご案内しますね」
「はい……」
鹿島さんに頼らなきゃいけないことは分かっている。
出来なくて当然だとも思う。
けど、鹿島さんよりできないことが悔しいと思った。
相手が鹿島さんだから……先輩の想い人だから……。
「仕事」なんだから、そういう感情は捨てなきゃいけないのは分かってる。
けど……それでも――。
・
・
・
夕方になると、病院内を自由に移動できるようになった。
「どの病室もガラガラだな」
もしかしたら、俺しか入院している奴いないんじゃないか。
そう思えるほど静かで、まるで廃病棟でも歩いている気分だ。
「お、図書室か」
おそらくは駆逐艦たちを意識した部屋なのだろうが、外から見る限りびっしりと本が並んでいる。
大人向けの本もありそうだな。
イヤラシイ意味じゃないぞ。
「!」
部屋に入ると、はんてんを着た女性が椅子に座って本を読んでいた。
後姿しか確認できないが、俺はその背中に見覚えがあった。
「鳳翔……?」
鳳翔は驚いた様子でこちらを振り返った。
「やはり鳳翔か」
「て、提督……?」
鳳翔は本にしおりを挟むと、机の上にそっと置いた。
「久しぶりだな、鳳翔」
「提督もお元気そうで何よりです。あ……提督って呼ばない方が良いですか?」
「いや、昔の通り提督で構わないよ」
「では……昔の通りに」
鳳翔は、吹雪のすぐ後に指導した艦娘だ。
とは言え、吹雪よりも先に艦娘として誕生していたから、指導と言う指導はあまりできていない。
よくできた艦娘で、俺が困っている時に助言をしてくれたりしていた。
「まさか、こんなところでお会いできるとは思ってもいませんでした。終戦後、提督にご挨拶しようと思っていたのですが……状況が状況でしたので……」
「そうだったのか……。しかし、どうしてここに? どこか悪いのか?」
「いえ……ちょっと……」
鳳翔は一瞬、暗い顔を見せた。
「……提督はどうしてここに?」
「疲労で倒れて、ここに運ばれてきたんだ」
「だ、大丈夫なんですか?」
「ああ。精密検査の為に一週間ほどここにいることになったんだ」
「そうでしたか……」
鳳翔はほっとすると、図書室を見渡した。
「この病院は、ここくらいしか暇をつぶせる場所がないんですよ」
「そのようだな」
「でも、面白い本がたくさんあって、時間も忘れてずっとここに居てしまったりして」
「邪魔じゃなければ、俺もここに通ってもいいか?」
「もちろんです。一人で退屈していたところですし、また昔のように、難しい言い回しの解説など頂けると嬉しいです」
「ああ、任せておけ」
そう言うと、鳳翔は恥ずかしそうに本を開いた。
「早速で申し訳ないのですが……ここの言い回しってどういうことでしょうか?」
「「こころ」か。これはだな――」
・
・
・
私がここに来て三日目。
第二寮について分かったことがいくつかある。
一つ目に、ここの艦娘は皆おてんばな事。
「痛いぴょ~ん……うぇぇ……」
「卯月ちゃん大丈夫?」
「走り回ってたら、ボクとぶつかっちゃったんだ……。ごめんね卯月……」
「皐月ちゃんは大丈夫?」
「ボクは平気だよ」
昨日も似たようなことがあったし、けがが絶えないというか……。
そう言えば、第二寮は絆創膏とかの発注が多かったような……。
二つ目は、仕事を手伝ってくれる艦娘が多い事。
「あ……そろそろお風呂の掃除をしないと……」
「それなら吹雪さんがやってくれてましたよ」
「じゃあ、洗濯物を……」
「それは霞ちゃんが」
「資料をまとめ……」
「私がやっておきました」
「……私は何をすればいいですか?」
「では、一緒にお料理をお願いしてもいいですか? 飯田さんからお料理を勉強したいって思ってたんです!」
「わ、分かりました……」
寮長以外に、パートナーが仕事を手伝うことはあるけれど、寮の艦娘が指示もされてないのに手伝うなんて……。
しかも霞ちゃんまで……。
三つ目は……。
「こうですか?」
「そうです。そしたら、今度はこうやって剥いて……」
「わぁ、飯田さん上手ですねぇ」
「母親がよく教えてくれたんです。鹿島さんもすぐに出来ますよ」
「本当ですか!? えへへ、なら、頑張っちゃいます!」
鹿島さんが本当にいい人って事。
鹿島さんにとって、私は恋敵で、嫌な事言われた相手で……。
仕事とはいえ、普通は避けようとするものだけれど、鹿島さんはむしろ近づいてきてくれる。
「…………」
どうして……私なんかに……。
消灯時間近くになると、まるで誰もいなくなったかのように、寮はしんと静まった。
「…………」
今日も鹿島さんに頼りっぱなしで、私が活躍できたところは無かったな……。
気を遣われてるのも分かってるし……なんだか自分が駄目な人間なんじゃないかって思えてきてしまう……。
先輩の代わりなんだから、気にすることは無いってわかっているけれど、競ってしまう自分がいる。
「はぁ……」
そんなことで落ち込んでいると、部屋のドアが叩かれて、卯月ちゃんが入って来た。
「飯田さん、ちょっといーい?」
「卯月ちゃん。うん、大丈夫よ。でも、どうしたの? もうすぐ消灯時間だよ?」
「分かってるぴょん。ちょっとだけ」
そう言うと、卯月ちゃんは私の膝の上に座った。
そう言えば、先輩のレポートに、卯月ちゃんは甘えん坊だって書いてあったけれど、もしかして甘えに来てるのかな?
「飯田さん、お仕事してたのー?」
「レポートをまとめてたの。もう終わったから、ちょっと休憩してたところかな」
卯月ちゃんは小さな手をもじもじとさせながら、何か言いたそうにしていた。
「何か私に言いに来たのかな?」
「……あのね、司令官……まだ元気にならない……?」
「え?」
「司令官は、うーちゃんのわがままを聞くのが仕事なんだぴょん。なのに、もうずーっと帰ってこないなんて」
先輩も大変だなぁ……。
「そっか。私じゃ先輩の代わりになれないかな?」
「飯田さんはいい人だから、わがままなんて言えないぴょん」
「先輩はいい人じゃないの?」
「いい人だぴょん。わがままを言っていい人」
「そっちのいい人なんだね……」
そう言うと、卯月ちゃんは急にしょんぼりした表情を見せた。
「うーちゃんがわがまま言ったから……司令官はずっと帰ってこないの……?」
「え? ううん、そうじゃないよ。先輩はただお休みしてるだけで……」
「本当……? うーちゃんの事……嫌いになってない……? いい子じゃないから……嫌になったから……司令官は……いなくなっちゃったんじゃないの……?」
そんなことは無い。
きっと先輩は、色んな事が心の重荷になって倒れてしまったんだと思う。
それには、私も大きく加担していて……。
「飯田さん……?」
「……大丈夫。卯月ちゃんのせいじゃないよ。先輩、すぐに帰ってくるって言ったから」
「…………」
「……卯月ちゃん」
抱きしめると、とても小さな体なんだと、改めて思った。
「寂しいよね……。早く帰ってきてほしいよね……」
「……うん。寂しいぴょん……。早く……帰ってきてほしいぴょん……」
なんやかんや言っても、この子たちにとって先輩は、かけがえのない存在なんだろう。
まるで親のように――。
「…………」
そっか……。
この子たちには、先輩が必要なんだ……。
子が親を必要としているように……。
先輩もそれを分かっていて……。
なのに……私は……。
・
・
・
入院から四日も経つと、本を読むよりも、鳳翔との会話に夢中になっていた。
それは鳳翔も同じのようで、図書室に俺がいない時、わざわざ病室を訪ねてきてくれたりした。
「検査はもう済んだのか?」
「これからです。最近は検査も短くなっていて、もう少しで退院できそうです」
「そうか」
鳳翔が何故入院しているのかは、相変わらず分からないままだ。
本人も話さないし、こっちもあれから聞くことをしていない。
「しかし、俺もお前も、お見舞いの一つもあれから来ていないな」
「皆さん、忙しいですからね。提督のお見舞いも、きっと気を遣ってくださっているんだと思いますよ」
「だといいがな。案外、帰ったら居場所が無かったりして」
そう言うと、鳳翔はくすくすと笑った。
「今日はどんな本を読んでいるんだ?」
「「斜陽」です」
「太宰か。太宰好きなのか? この前も、「パンドラの匣」や「ヴィヨンの妻」を読んでいたが……」
「この方の書く恋愛描写が共感できて……つい読んじゃうんです」
「共感か……。お前も恋愛をしたことがあるのか?」
「えぇ……まぁ……」
言葉を濁すようにして、鳳翔は俯いた。
何か隠し事でもあるように。
「そう言えば、「こころ」も読んでいたな。あれは夏目漱石の作品だが。どれも、晴れやかな恋愛描写とはいえない作品ばかりだな」
「…………」
「鳳翔、共感できると言ったが、それはどういった意味――」
「鳳翔さん。検査のお時間ですよ」
呼ばれた鳳翔は、俺に小さく会釈すると、何も言わずに部屋を出て行った。
そして、その日は一度も、鳳翔が顔を出すことは無かった。
五日目の夕方には、飯田がお見舞いに来てくれた。
「これ、皆さんからです」
段ボールいっぱいに、手紙とお菓子、千羽鶴が入っていた。
「大げさだ」
「皆さん心配していますよ。特に、卯月ちゃんは毎日部屋に来ています」
「あいつ、甘えん坊だからな」
しばらくの雑談の後、話題も尽きて、静かな時が流れ始めた。
「……鹿島さん、よくできた方ですね。私、助っ人として来たはずなのに、何もできなくて……」
「他の艦娘と違って、似たようなことをずっとやってきた奴だからな……」
「そうでしたね……」
再び沈黙が続く。
「悔しいです……」
それは、口からぽろっと零れ落ちたものだったのだろう。
飯田自身も少し驚いたあと、諦めたように肩を落とした。
「鹿島さんに出来て……私に出来ないことがある……。どうしても……競ってしまうんです……」
「……相手が鹿島だからか」
「はい……」
正直だな。
きっと、誰にも相談できない事だから、吐けて楽になったのだろうな。
「「仕事」じゃなかったのか?」
「分かってますよ……。でも……やっぱり割り切れない……だって……」
「あいつが艦娘だから……だろ……」
「……!」
「違うか……?」
飯田は何も言わなかった。
「それが普通の考えだ。お前は何も間違ってはいない……」
「…………」
「だが……前にも言った通り……」
「私を好きになることは無い……ですよね……」
「ああ……」
「じゃあ……どうすればいいんですか……? こんな状況で……諦めろだなんて……。無理に決まってますよ……」
「無理じゃない……」
「先輩には分からないでしょう……。そんな思い……したことが無いから……」
「分かる奴には会ったことがある」
「誰ですか……。そんな人……」
「山岡だよ……。お前が振った山岡だ……」
それを聞いて、飯田は気が付いたように口を噤んだ。
「あいつは、お前の事が好きでも、お前の恋を応援していた」
「え……?」
「お前の気持ちを分かってやれと言われた。何故そこまでするのか聞いたら……それが好きになることだと言われた……」
「…………」
「だから……俺は本気で鹿島を愛そうと思った。中途半端な立場では、お前も俺も鹿島も、ただ傷ついてゆくだけだと思ったから……」
飯田は何かに耐えるように、拳をぎゅっと握った。
「鹿島が艦娘だからじゃない。俺はあいつを……異性として見ている。一人の女として……」
それは、飯田が思う「艦娘だから」という考えから離れさせるために言ったことでもあった。
「……分かりました。少し……考える時間をください……」
「飯田……」
飯田は立ち上がると、俺の目をじっと見つめた後、ドアの方へと向かっていった。
「また来ます……」
「ああ……第二寮の事、頼んだ……」
飯田が扉を開けると、そこには鳳翔が立っていた。
「あ……」
「鳳翔さん……?」
鳳翔は飯田の顔を確認すると、どこか悲しい表情を見せ、どこかへ走って行ってしまった。
「鳳翔さん……。そっか……まだ検査終わって……」
飯田は鳳翔の入院理由を知っているようであった。
「……今の話、鳳翔さんに聞かれていたかも知れませんね」
「ああ……そうだな……」
飯田は出てゆくのを躊躇った後、何かを決意したように俺の方へと戻って来た。
「飯田……?」
「鳳翔さんの事で……先輩にお話しておきたいことがあります……」
「鳳翔の事……?」
「この事は……本部の人間にしか知られていませんが……先輩にも関係のあることだと思いますので……」
そう言うと、飯田は鳳翔が入院している理由を話し始めた。
・
・
・
寮は消灯時間を迎えていた。
「…………」
部屋の明かりと、薄暗くはあるけれど、食堂の明かりがついていた。
部屋には誰もいなくて、食堂の方を覗くと、鹿島さんが台所に立っていた。
「あ、飯田さん。お帰りなさい」
「ただいまです……」
「提督さんのお見舞いに行ってたんですよね。ずいぶん遅かったですけれど……お夕食はまだですよね?」
「え、えぇ……」
「おにぎりとお味噌汁作りました。良かったら……」
「……ありがとうございます」
秒針の音が聞こえるほど静かな食堂で、私は鹿島さんに見守られながら食事をとった。
「提督さん、お元気でしたか?」
「えぇ、それはもうとても」
「そうですか。良かった」
中身の入っていない塩おむすびと、少し薄味のわかめのお味噌汁。
先輩の好きな味と一緒だった。
「……聞かないんですか? 遅くなった理由……」
「え……?」
私が意味ありげな視線を向けると、鹿島さんは少し戸惑ったあと、小さく笑って見せた。
「飯田さんがお話したいのなら」
「――……」
それを聞いて、私はやっと自分の答えを受け入れることが出来た気がした。
「飯田さん?」
「……鹿島さんは、先輩のどんなところが好きになったんですか?」
「え……? て、提督さんの好きなところですか……? い、いい人だとは思いますけど……別に……好きなわけじゃ……」
「もういいんですよ。聞かせてください」
私の視線に、鹿島さんは何かを察したのか、恥ずかしそうに先輩の好きなところを話し始めた。
その姿はとても健気で、可愛らしくて、美しくて、私は何度も泣きそうになりながら、彼女の言葉に耳を傾けた。
・
・
・
六日目の夕暮れ。
鳳翔は図書室に現れなかった。
鳳翔の部屋を知ろうと、看護婦に聞いてみても、教えることは出来ないと言われた。
「…………」
俺は、明日の朝にはここを出ることになっている。
その前に、どうしても鳳翔と話しておきたい。
きっとあいつは――。
「ん……」
図書室の返却ボックスに「斜陽」が入っていた。
「「斜陽」か……」
壁には、誰が撮ったのか、きれいな写真が数枚飾ってあって、その中にある夕日の写真が目に入った。
見覚えのある風景の中、影をつくりながら輝く夕日の写真。
「…………」
屋上は風が強く、とても寒かった。
夕日は山間に沈もうとしているところで、最後の力を振り絞り、細い影をどこまでも伸ばしていた。
「やはりここにいたか」
鳳翔は驚いた様子で俺の方を見ると、その表情を曇らせていった。
「冷えるぞ。中に入らないのか?」
「……もう少しだけ……ここに居たいんです……」
「……そうか」
鳳翔の隣に立つ。
そこから見える景色は、あの写真とほとんど同じであった。
「綺麗だ。だが、少し寂しい感じもする」
「えぇ……そうですね……」
強い風に吹かれ続けたのか、鳳翔の髪は少しだけ乱れていた。
「飯田から聞いたよ……。お前が入院している理由……」
「…………」
「お前だったんだな……。人と体の関係を持った艦娘というのは……」
昨日、飯田は俺に全てを話してくれた。
…
……
………
…………
「鳳翔さんが入院している理由は……検査の為です……」
「検査……? どこか悪いのか……?」
「……鳳翔さんは……人と体の関係を持った艦娘です……」
それを聞いて、再会してからの鳳翔の全ての行動が、その一点につながるのを感じた。
「例の事件の艦娘が……鳳翔だというのか……?」
「そうです……」
「……まさか……子供が出来たのか?」
「いえ……。ですが、艦娘と人間の性行為はこれが初めてなので……」
「検査をして様子を見ている……という訳か……」
「検査と言っても、酷いものですよ……。体のあちこちを調べられ……女性として恥ずかしいことも……」
「…………」
「それでも……彼女は自分のしたことの償いとして、全てを受け入れています……」
そんなことも知らない俺に、あいつはいつも笑顔で語りかけてくれていたのか……。
「……どうしてそれを俺に?」
「同じ過ちを先輩にしてほしくないからです……」
「……だから、鹿島を諦めろと言うのか?」
そう言うと、飯田は肩を落として首を横に振った。
「違います。正しく付き合ってほしいと思ったから……。アドバイスです……」
「……どういうことだ?」
飯田は病室の窓を開けると、近くにあった椅子に座り、そこからの景色に目をやった。
「鳳翔さん……自分のしたことを償おうとはしているけれど、全てを分かった上で、好きな人と関係を持つことを選んだようなんです」
「…………」
「こうなることを分かっていて……それでも人を愛そうとした……。どうしてかなって……ずっと考えていました……。鳳翔さんらしくないなって……」
確かにそうだ。
鳳翔らしくない選択だ……。
「けど……先輩が鹿島さんを好きでいる理由と同じなんだって、さっき気が付いてしまったんです。どんな危険があっても……それが過ちになろうとも……その道を選んでしまうほど……大切な人なんだって……」
俺と鹿島はそんな大層な関係ではないと思ったが、飯田にとってはそれほどの衝撃を受けたのだろう。
「それに気が付いた時……どうにも出来ないって思ったんです……。鳳翔さんがそうしたように、私がどんなにリスクがあると説得しても、きっと先輩は鹿島さんを選ぶんだろうって……」
「…………」
「だから……私は……せめて先輩が幸せになる道を示したいと思いました……。山岡さんがそうしたように……私も……」
表情は見えなかったが、飯田の背中が小さく震えていた。
「飯田……」
「……それが、先輩に話した理由です」
俺は何も言えなかった。
慰めの言葉も、励ましの言葉も、今の飯田の前では、傷つける優しさになると思ったからだ。
「……もう帰ります。先輩をどうにもできないと気が付いても……気持ちの整理は必要ですから……。今は……一人の時間が欲しいです……」
「……分かった」
飯田はゆっくりと立ち上がると、表情も見せないまま、病室を後にした。
窓の外では、もう夕日が沈んでいて、藍色のグラデーションの中に一番星が見えていた。
…………
………
……
…
「お前の読んでいた小説……共感できるという意味が分からずにいたが、今になってやっと分かったよ」
「…………」
「気が付いてやれなくてごめんな……鳳翔……」
鳳翔は首を横に振ると、俺から目を逸らした。
その反応を見て、一つの確信を得た。
「……昨日、俺の病室でお前が逃げ出したのは、飯田がいるからだと思っていた。飯田が俺に、お前の事を話してしまったのではないかと恐れて……知られたことが恥ずかしくて……逃げたのだと……」
「…………」
「でも……俺が知ったところで、お前は逃げ出すこともせず、ただここにいる。それで確信した……。お前は……俺と飯田の話を聞いてしまったんだろ……?」
鳳翔は唇をかみしめた後、小さな声で「はい」と言った。
やはりそうか……。
鳳翔は、俺と飯田の話を聞いて、俺が鹿島を愛していることを知った。
そして、俺と鹿島の関係が崩れてしまったのは、自分のせいだと思ったのだ。
罪悪感から、逃げ出してしまったのだ。
「ごめんなさい……。ごめんなさい……」
鳳翔は涙を流すと、その場に蹲って、いつまでも泣き続けた。
ごめんなさい、ごめんなさいと、呟きながら。
俺はその姿に声をかけることもできず、鳳翔に上着をかけてから、その場を後にした。
翌日の朝。
結局、あれから鳳翔は姿を現すことは無く、俺は病院を出ることになった。
「よう。迎えに来たぜ」
「山岡。どうして……」
「飯田ちゃんから頼まれたんだよ。どうしてもお前と顔を合わせられないから、代わりに頼むってさ」
「……そうか」
「……体調はどうだ?」
「ああ、だいぶ良くなった」
「そうか……。乗れよ。洗車してピカピカだぜ」
山岡の車に乗り込むと、ほんの少しだが、飯田の匂いがした。
送ってやったのだろうか。
「んじゃ、帰るか。皆、お前の事を待ってるぜ」
車がゆっくりと走り出す。
サイドミラー越しに遠ざかってゆく病院を眺めながら、俺は鳳翔の事を思っていた。
第二寮へと向かう道中、いつもはおしゃべりな山岡は、何故か黙ったままだった。
「…………」
空は曇っていて、とても寒そうだった。
雪でも降るんじゃなかろうかと言うほどに。
「……飯田ちゃんが言ってたぜ。お前を諦めたってさ」
「……そうか」
「多くは語ってくれなかったが、本当に諦めたようでさ。どこか清々しくさえあった」
「…………」
「……本気なんだな」
「ああ……本気だ……」
俺は山岡の顔を見ることが出来なかった。
――いや、見ない方が良いと思った。
どんな事を思っているのかは分からないが、もし飯田が諦めたことをチャンスだと思っていれば、いくら山岡でも表情に出てしまうだろう。
それを見られることは、山岡にとっては屈辱になるだろうと思った。
惨めな気持ちになると思った。
「飯田ちゃんはお前を諦めて、新しい道を探すと言っていた。それがどういう意味か分かるか?」
俺は少し考えた後、答えを聞こうと、思わず山岡の方を向いてしまった。
その表情は、今まで見たこともないほどに、しおらしく、悲しみの中で無理に作る笑顔のようであった。
「新しい道……。今まで歩いてきた道は……もう通らねぇってことだよ」
……そう言うことか。
新しい道……それは、俺を諦めたからと言って、山岡に向くことは無いと言うことだ。
飯田らしい、気を遣った言い方だと思った。
「だから、俺も諦めることにした。辛いもんだな。今まで色んな女にアタックして、砕けて来た俺だけど……今回ばかりはな……」
俺はかける言葉も見つからず、その場に小さく座っていることしかできなかった。
「……悪いな。退院したばかりなのに、こんな辛気臭い話……」
「いや……」
「……俺も新しい道を行くためにさ、今度合コンに行くんだ。お前も人数合わせに来ないか?」
「俺は……」
「冗談だよ。お前には鹿島が居るしな」
「!」
「きっと飯田ちゃんも同じ気持ちだろうから、俺も言っておくわ。お前と鹿島の事、応援してるぜ」
「山岡……」
「じゃないと、俺も飯田ちゃんも、自分の立場がねぇってこった」
そう言うと、山岡は二ッと笑って見せた。
その笑顔に、俺はどれだけ救われたことか。
「ありがとう、山岡」
「そう思ってんなら、合コン来てくれよ。俺を持ち上げる役としてさ」
「合コンは本当なのか……」
そんな事を話していると、第二寮が近づいてきた。
その前には小さな人だかりができていて、俺を待ってくれているようであった。
寮に着くと、皆からの手厚い出迎えを受け、俺は荷物を自室に置く暇もなく、皆に揉みくちゃにされた。
「み、皆さん! 提督さんは病み上がりなんですから!」
「いいよ鹿島。俺も久々にこいつらと話がしたかったんだ」
「そ、そうですか……。でも、無理はしないでくださいね……?」
「ああ、分かってる」
鹿島はしばらくソワソワして見ていたが、やがて安心したのか、部屋へと帰っていった。
「しれいかぁ~ん、一週間もうーちゃんを放っておくなんてひどいぴょん……。今日はずーっと甘えさせてね~」
「そうだな。悪かったよ」
「ちょっと卯月……あんた少しは自重したらどうなのよ……」
「霞も甘えたいの~?」
「別に私は……」
「じゃあ、霞のかわりにうーちゃんが甘えておいてあげる!」
「……勝手にすれば?」
そう言うと、霞は何故か俺を睨んだ。
後で怖そうだ。
「みんな、いい子にしていたか?」
元気な声で返事をすると、皆一斉に俺がいなかった時の事を話し始めた。
飯田にも世話になったようで、今度「街」に行く約束をしたらしい。
顔を合わせてもいい時に、礼を言わなきゃな。
皆に解放された後、自室に戻ると鹿島が仕事をしていた。
「お疲れ様です」
「ただいま。やれ……あいつら入院前よりパワフルになってないか?」
「提督さんが帰ってきてはしゃいでるんですよ」
荷物を置き、畳の床に座り込む。
一週間ぶりの自室は、何だか安心できるな。
「仕事、手伝おうか?」
「もうすぐ終わりますから」
「そうか」
部屋の模様替えは何一つ変わって無かった。
飯田はそう言うところ、しっかりしてるもんな。
「ん……」
気が付くと、鹿島が手を止め、じっと俺を見ていた。
「どうした?」
「……いえ。提督さんがいるなぁ……って……」
「フッ……どういう意味だよ?」
そう笑ってやると、鹿島は何の反応も見せず、そのまま仕事の続きを始めた。
しばらくすると、またこちらをじっと見ては、我に返ったように仕事を始める。
「仕事、本当に大丈夫か? 別にもう体調はいいし、任せてくれてもいいんだ」
「いえ……仕事は平気です……」
鹿島は怖いくらいに表情を変えないままだ。
何だか様子が変だぞ。
「鹿島、お前大丈夫か? 何だか様子が変だぞ」
覗き込むと、目が合った。
すると鹿島は――。
「――……」
今度のそれは、「事故」にしてはとても長かった。
「鹿島……?」
「……五日目の夜……飯田さんから全部聞きました……」
「え……?」
「どんなにリスクが高くても……提督さんは私を選んでくれたって……。私……とても嬉しくて……」
「…………」
「提督さんが帰ってきたら……いつも通りふるまわなきゃいけないって思ってたのに……。私……どうしても自分を抑えきれなくて……」
「鹿島……」
「ごめんなさい……。せっかく私を選んでくれたのに……これからちゃんとしていかなきゃいけないのに……」
「…………」
「ごめんなさ――」
鹿島が言い終えるその直前で、俺は鹿島にキスをした。
俺はその時、初めて鳳翔の気持ちを理解した。
言葉で理解した鳳翔の気持ちと、今この瞬間に感じた気持ちは、とてもじゃないが比較できるものではなかった。
ただ、鳳翔ほどの艦娘ですら、その道を選んでしまうほどに、危険な気持ちであることだけは確かであろう。
「提督さ……んっ……」
最初こそは驚いて力の入っていた鹿島も、段々と力を抜いて、最後は何もかも委ねるように身を寄せた。
「――っ……」
鹿島の体が小さく震えている。
堕ちてゆくのを感じる。
深く、暗く、甘く、熱く――。
どれだけの絶望の中でも、今はそれだけを求めることが希望のような気さえしてくる。
「は……っ……はっ……」
それでも、俺がそこで鹿島を放す事が出来たのは、鳳翔の涙や、飯田と山岡の姿が脳裏に浮かんだからであった。
「……悪い」
息も絶え絶えの鹿島は、呼吸を整えると、平生を取り戻すかのように言った。
「――病み上がりですから、ふらついちゃったんですよね」
「――ああ」
「少しお休みになってください。今、お茶をいれますね」
「頼む」
そう言うと、鹿島はよろめきながら部屋を出て行った。
そして、長い間部屋に帰ってくることは無かった。
その日の夜。
俺は鳳翔宛に手紙を書いた。
今なら、あいつの気持ちに寄り添うことが出来ると思ったからだ。
あの時言えなかった言葉、これからの事のすべてを書き連ねた。
「…………」
この手紙を読んで、鳳翔がどんな事を思うかは分からない。
それでも、鳳翔と同じ気持ちに触れた者がいるということだけは、知っておいてほしかった。
退院してから一週間ほどたった頃、飯田が寮を訪ねて来た。
「先輩の様子を見に来たんです。体調はいかがですか?」
「ああ、おかげさまで食事にも気を遣うようになった。鹿島がしっかりと管理してくれてるよ」
「提督さんの食事は偏り過ぎなんです! もっとバランスよく食べないと……」
「ふふ、それは何よりです」
飯田はよく笑顔を見せるようになっていた。
「しかし、まるで夫婦のようですね」
「ま、まだそこまでは……」
「いずれは……と言うことですか?」
「ど、どうでしょうか……?」
鹿島がチラリとこちらを見た。
「そうなるように努力する」
「!」
「ふふ、先輩ならそう言うと思いました」
飯田、本当に前に進もうとしてるんだな。
新しい道……か……。
「そう言えば、この前鳳翔さんに会ったのですが、先輩へ伝言を頼まれました」
「鳳翔が?」
「「ありがとう」ですって。何かしたんですか?」
そうか……。
「いや……。そうだ。飯田、お前まだ時間あるか?」
「え? えぇ、一応……」
「なら、昼飯食って行けよ。今日の昼飯は、みんなでカレーを作って食うんだ」
「いいですね! 飯田さんが食べると聞いたら、みんなきっと張り切ると思いますよ!」
「では……お言葉に甘えさせていただきます」
きっと、鳳翔は分かってくれたのだろうと思う。
俺が鳳翔の気持ちに寄り添えたことを。
だからこそ、短い言葉での返事だったのだろう。
「そうと決まれば、俺たちも頑張らないとな」
「そうですね。飯田さんに認められてやっと料理上手を名乗れます! 飯田さんは師匠ですから」
「私は厳しいですよ?」
「望むところです!」
まだ全てが終わったわけではない。
それでも、止めていた足が大きな一歩を踏み出すのを俺は感じていた。
「よし、行くぞ鹿島」
「はい!」
――続く