鳳翔が全てを告白した。
その情報はこの施設内だけではなく、外の世界でもニュースになっていて、世間は騒然としたようであった。
「批判を避けられない事は分かっています。でも、これで分かるはずです。艦娘は……人間と何も変わらない存在であると……!」
提案は鳳翔からあり、動いたのは飯田であると聞いている。
身を切る覚悟で情報を開示したらしく、結果によっては処分も検討すると言われてなお、引き下がらなかったようであった。
「飯田さんと鳳翔さん……大丈夫でしょうか?」
「飯田……鳳翔……」
当然、艦娘たちもこの事実に驚いており、人と艦娘の関係を改めて考えるきっかけになったようであった。
「飯田ちゃん、あれから連絡が取れないんだ。きっと、俺たちに迷惑かけられないと思って、拒否してるんだろうな……」
「…………」
あれから数日、当然の事ながら批判は相次いでいるが、これと言って大きな問題にはなっていないようであった。
「けど、悪い傾向になっていないようだぜ。若者を中心に、艦娘への関心は高まっているようでさ。元々、艦娘にはファンが多かったし、この事をきっかけに人と変わらないのなら……と、交流を求めてくる声も出てくるだろう。現に、うちに艦娘宛のファンレターが来るようになった」
「そうか……」
「……責任を感じてるのか?」
「まあな……。飯田と鳳翔がそこまでしたのは……きっと……」
そう言うと、山岡は俺の頭を叩いた。
「な、なんだよ?」
「飯田ちゃんも鳳翔も自分からやったんだよ。元々、艦娘と人の関係をよくしようと働きかけていたしな。お前が責任を感じるのは勝手だが、それを表に出すな。心に閉まっておけ」
「……そうだな。悪い」
とは言え、完全に他人事ではないから、心配だ……。
その日の夜。
消灯後の見回りをしていると、何処からか息苦しそうな声が聞こえて来た。
「…………」
それはどうやら吹雪の部屋から聞こえてくるようで、耳を澄ますと、中で苦しそうにしている吹雪の声が聞こえた。
「吹雪……? 大丈夫か?」
部屋をノックすると、中からドタドタと慌てるような音が聞こえた後、吹雪が出て来た。
「し、司令官……。どうしたんですか……?」
「こっちの台詞だ。何だか苦しそうにしていたが……大丈夫か……?」
「は、はい! 大丈夫です。何でもありません!」
「そうか? 何だか顔が赤いようだが……。熱でもあるんじゃ……」
「ほ、本当に大丈夫ですから! お、おやすみなさい!」
「お、おう……お休み……」
吹雪は部屋のドアを閉めると、すぐにカギも閉めた。
「…………」
「それって……」
部屋の戻り、鹿島に聞くと、顔を真っ赤にして俯いてしまった。
「何か心当たりがあるのか?」
「え、えぇ……まあ……。私も……その……吹雪さんのそれを……聞いたことがありまして……」
何だか歯切れの悪い感じだ。
聞いてはいけないようなことなのだろうか……。
「……提督さん、これは吹雪さんには言ってはいけませんよ? 提督さんがここの寮長だから……皆さんの親代わりだから、言うんですからね……?」
「あ、あぁ……分かった……」
鹿島は深呼吸をした後、恥ずかしそうに言った。
「吹雪さんは……えと……その……じ……自慰を……しているようなんです……」
「じ、自慰……? それってつまり……その……なんだ……そういう自慰か……?」
「ほ、ほかにどんなことがあるんですか……! 何度も言わせないでください……。セクハラです……」
「す、すまない……」
自慰……。
だからあんなに苦しそうな声を……。
「……吹雪さん、鳳翔さんの事を聞いてから、そういうことを意識してしまったようで……。元々、慰める方法と言うのは、授業でもやっていたみたいですし……」
「そ、そうだったのか……」
「……だから、提督さんは知らないふりをしてあげて欲しいんです。そう言うのがバレるって……私達艦娘でも恥ずかしいことだって分かってますから……」
鳳翔の話を聞いてから……。
つまり、昇華したということか……。
まあ、吹雪が一番早いだろうなとは思っていたが、まさかもう来るとは……。
しかも、こんな形で知ることとなるとはな……。
「吹雪さんも、もう大人になりつつあります。異性を意識し始めているのか、最近提督さんに余所余所しくないですか?」
「言われてみれば……そうかもしれないな……」
「それだけじゃないです。私、見ちゃったんですけど……吹雪さん、洗濯係の時、提督さんの洋服をぎゅって抱きしめて……匂いを……」
思春期の女の子みたいだ……。
いや……もうそうなのか……。
「見守ってやりたいが……何だか心配だ……」
「言いたいことは分かりますけど……。今は放っておくしかないんじゃ……」
「……お前はどうなんだ?」
「え?」
「お前はそう言う体の変化にどうしていたんだ? やっぱり、放っておいてほしいか?」
「な、なにを言ってるんですか!? 私はそんな……」
「吹雪の事が心配なんだ。参考までに聞かせてくれ!」
俺が熱心に頼むと、悩んだ後、鹿島は恥ずかしそうに小声で言った。
「そ、そう言うことは……時間が解決してくれると思いますし……。私の場合……一人になれることが多かったから……見られることもなかったし……」
やはり鹿島も……。
「でも……吹雪さんは一人になることが少ないですから……配慮が必要かもしれません。恥ずかしいでしょうけど……本人に事情を説明して、一人の時間を作ってあげて……その……してもらうとか……」
「俺にその役は出来ないな……。鹿島、頼めるか?」
「というよりも、私しかいないじゃないですか……もう……」
「悪いな……」
「いいですけど……。その代り、私にも……聞かせてください……」
「何を?」
「提督さんの……その辺りの事情を……ですよ……」
「俺のは別に……普通だ……」
「その普通を聞いてるんです! 私も言ったんですから、今度は提督さんの番です! 言わないのは不公平です!」
「わ、分かったよ……。俺は――」
吹雪の事情を知ってから数日。
鹿島にその辺りの話をしてもらい、俺は吹雪と少し距離をとることとなった。
「吹雪さん、やっぱり提督さんと居るとモヤモヤするみたいなので、少し距離をとった方が良いかと思います」
「そうだな……。普通は父親を嫌がったりするものだが、俺は実の父親じゃないから、匂いで嫌われることもないし……。気持ちが落ち着くまでそうしたほうが良さそうだな」
「吹雪さん自身も戸惑っているようでした……。今後もそうした子が増えてくる可能性がありますから、今の内に何か対策を考えた方が良いかもしれませんね」
対策か……。
こういう時、飯田が頼りになるのだが……。
「……とにかく、今は吹雪の気持ちが落ち着くのを待とう。それが一番の対策になるのなら、今後、俺はあいつらと少し距離をとろうと思う」
鹿島は納得のいかない様子であったが、それしかないと思ったのか、小さく頷いた。
「なるほど、それで外出を多くしてる訳か」
俺の話を聞いて、山岡は大いに笑った。
「笑い事ではない」
「そうだったな。悪い悪い。しかし、よくモテるよなぁ。秘訣とかあるのか?」
「面白がってくれるな……。お前のところはどうなんだ?」
「うちは性に対してオープンに考える奴が多いから、困ったことはねぇな」
「時間がたてばそうなるものだろうか」
「こればかりは性格だろうな。だが「恥ずかしい事」とか「悪い事」という印象を与えてはいけない。あいつらも普通の女の子だ。それくらいの事、するのは普通だ」
「普通……。そう言うものか……」
「お前が変に狼狽していては、吹雪も不安になるだろうし、下手に避け続ければ、その原因を調べようとするだろう。そして、その原因が自分の行為にあったと知れば……」
「…………」
「……まあ、俺も詳しくは分からねぇけどな。こういうのは飯田ちゃんが得意なんだけど……」
山岡は煙草を深く吸うと、ため息をつくように煙を吐いた。
「とにかく、俺は吹雪を避けることには反対だな。むしろ、そういう行為が気になるのなら、もっと一緒に居てやって、別の事に気を紛らわせる方がいい。自分を慰めると書いて自慰だから、別の奴が慰めてやんないとな」
「なるほどな……。合コン惨敗の癖に、いい事言うじゃないか」
「俺は大人の女が好きなの。ガキの子守りが出来ても、大人の女は靡いちゃくれねぇ」
「フッ……そういうものか」
もっと一緒に居てやる……か。
昇華の事ばかり考えていたが、俺は一人の男である前に、あいつらの父親にならなきゃいけないんだった。
そう言う意味では、もっと一緒に居てやって、父親らしいことの一つでもやってやらないといけなかったな……。
それから海軍の所帯持ちを総当たりし、父親と言うものはどういう存在なのか聞いて回った。
子供とよく遊んでやったり、威厳があったり、なんでも買ってくれる存在だったりと……まあ色々と出てくる。
「どんな子に成長してほしいかを考えれば、自分がどんな事をしてやればいいのか見えてくるものだよ」
どんな子に……か。
結局はそうなんだよな……。
話を聞く限り、父親の影響ってのは、かなり大きいようだ。
模範的な父親になりたいとぼんやり思ってはいたが、そんなものは無いんだよな……。
俺次第で、あいつらはいい方向にも悪い方向にも成長する……。
難しい。
寮に帰ると、吹雪が出迎えてくれた。
「お帰りなさい司令官」
「おう、ただいま」
「コート預かりますよ」
「ん、おう。ありがとう」
「お部屋、暖かくしておきましたよ。それと、あとで熱いお茶をご用意しますから、待っていてくださいね」
「あ、あぁ……ありがとう……」
吹雪の奴、何だかやけに気を遣うな。
今まで出迎えはあったが、ここまですることは無かった。
何かあったのか?
「お待たせしました!」
部屋に戻ると、吹雪は熱々のお茶と茶菓子を出してくれた。
「ありがとう」
「いえ。最近寒いですよね。曇っていて、何だか雪でも降りそうな感じです」
「そうだな」
「あ、そう言えば今日――」
吹雪の話題は途切れることが無かった。
少しでも沈黙が続きそうになると、ソワソワと部屋を見渡して、何か話題をつくっていた。
「それからですね……えーっと……なんだっけ……あ、あはは……あ……そうだ! 最近、物忘れが激しくって……」
「吹雪」
「あ、はい! なんでしょうか?」
「何だか様子が変だが、何かあったのか?」
「え?」
「いつも以上に気を遣ってくれたり、無理に話をしようとしているように見えるが……」
「そ、そう……ですかね……? 別に何もないですよ。私の話……つまらなかったですか……?」
「いや、そうではないが……。ちょっと気になってな。何もないのならいいのだが……」
吹雪は作ったような笑顔を見せた後、観念したようにガクッと肩を落とした。
「……すみません」
「……何かあったのか?」
「いえ……。その……最近、司令官とお話出来てないなって思ってまして……。私、避けられてるのかなって……思っちゃって……」
もう感づいていたのか……。
露骨に避け過ぎていたか……?
「そうじゃないって分かってはいるんですけど……なんだか……不安になっちゃって……。あの……もし私を避けているのでしたら……正直に言ってほしいんです……。嫌いでもいいので……せめて……理由だけは知りたいんです……。あ……もしかして……こうやってお節介されるのが嫌ですか……? それとも……」
「待て待て。とりあえず一旦落ち着け。俺は別に嫌ってないし……そう言う理由で避けてもいない……」
「別の理由があって避けてるんですか……? 教えてください……!」
「いや……そういう意味ではなくて……」
参ったな……。
どう説明したものか……。
「……ほら、お前ももう大人だろう。ここにいる奴らはまだ子供だから、そっちにばかり構わなければならなくて……お前を疎かにしてしまったのかもしれないな……」
「大人……」
「留守も任せられるし、「独立試験」も受かっている。立派な大人だろう」
そう言ってやると、吹雪の表情は明るくなるどころか、一層暗くなっていった。
「吹雪……?」
「……それが大人なら……私は大人になりたくなかったです……」
「え?」
「司令官の言う通り……私は大人になったと思います……。胸も大きくなってきたし……」
大人になったからと言って、胸が大きくなるとは限らないけどな……。
「心も大人になろうと努力してきました……。でもそれは……」
そこまで言うと、吹雪は閉口してしまった。
「それは……?」
吹雪は耳まで真っ赤にすると、かすれた声で零した。
「それは……司令官に……認めて欲しかったからで……」
「俺に……?」
「はい……。私にとって司令官は――とっても大切で――尊敬できる人で――司令官に褒められたくて――褒められるのがうれしくて――……」
言葉は途切れ途切れだが、大切な事だけははっきりと伝えていた。
「だから……最近……司令官に褒められてない事に気が付いて……。そもそも……お話すら出来てなくて……。でも……甘えるのは大人っぽくないから……」
余所余所しかったのはそう言うことか……。
きっと、服を抱きしめていたのも――。
「そうだったのか……。気が付いてやれなくて悪かったな……」
「い、いえ! 司令官は悪くないです!」
「悪いさ。そうだよな……。お前も、まだ子供だもんな……。俺はどこかで、お前にプレッシャーをかけてしまっていたのかもしれない……。他の奴らと比べて大人だから……しっかりしているからと……」
「そんな事……。私は……司令官に期待されて……嬉しくて……」
「だが……何もしてやれなかった……。いつの間にか、お前が努力していることを当然のように思っていた……」
「司令官……」
「ごめんな……吹雪……」
おそらく、最近の吹雪の行動すべてに、俺が関係してしまっているのだろう。
「愛情不足」だったのだ。
こいつらには親が必要なのだと気が付いたはずなのに、俺はいつの間にか、昇華の事ばかりを考えていた。
それに足を取られ、吹雪の気持ちに気が付くことが出来なかった。
「吹雪」
俺はそっと、吹雪を抱きしめてやった。
親として、どのように育ってほしいのか。
俺は今、その答えがはっきりと分かった。
『愛情をたっぷり与えられ、将来、ほかの誰かに与えることの出来る子に育ってほしい』
「し、司令官……?」
「嫌か?」
「い、いえ……あの……その……き、緊張しちゃって……」
吹雪の心臓の音が早くなっていた。
甘えなれていないのか、体は少し強張っている。
「そうか。悪かった」
放してやると、吹雪は顔を真っ赤にして俯いた。
「……俺はお前たちの親代わりとして、寂しい思いをさせてはいけなかったのに、何も分かっていなかった……。これからは親として、全てを受け止める。だから、なんでも言ってくれ」
「司令官……。じゃあ……一ついいですか……?」
「なんでも言ってみろ」
「……もう一度……ぎゅって……して……欲しいです……」
「ああ、分かった」
今度は強張りもなく、力を抜くようにして体を預けて来た。
「たまにこうしてもらってもいいですか……?」
「構わないよ」
「……ありがとうございます。司令官……」
あれから数日。
吹雪は毎日のように部屋を訪れていた。
もう一人で慰める事もなくなったようで、鹿島も安心しているようであった。
「そりゃよかったな……」
報告を聞いて、山岡はそう吐いた。
「山岡、何だか疲れてないか?」
「ああ……。実はよ……うちの寮から何名か優秀な奴らが出て行ってさ……」
「それはまたどうして?」
「いわゆる問題児の艦娘っているだろ? お前のところだと、霞がその扱いだったか。そいつらを受け入れるところがもう無いらしくてよ……。しわ寄せがうちに来たって訳だ……」
「優秀な奴を引っ張られて、問題児を受け入れたって訳か?」
「ああ……。反対しようと思ったんだが……その問題児たちが、かつて俺が指導した艦娘ばかりでさ……。本部は言わなかったが、俺に責任があると言われている気がして……」
「断れなかったのか……」
「その問題児ってのは厄介でさ……。特に――」
「――パパ」
「パパ?」
声の方を振り向くと、山風がいた。
「げ……こんなところまで……」
山風は駆け寄ると、山岡に抱き着いた。
「パパ……急に居なくならないで……」
「だから、俺はパパじゃねぇっての……」
後から香取が息を切らしてやってきた。
「すみません山岡さん……。山風ちゃん、どうしても山岡さんに会いたいって聞かなくて……」
「今すぐ連れて帰れ。こっちは仕事中だ」
「仕事……してない……。タバコ吸ってる……」
「あ! 山岡さん! タバコはおやめになってって、何度も言いましたよね!?」
「少しくらいいいだろ……。いいから、山風を連れて帰ってくれ!」
「もう……。山風ちゃん、行きますよ」
「後で……構ってね……! 絶対……!」
「ああ、あとでな……」
香取に連れられ、山風は帰っていった。
「こういうこった……。何故か好かれちまってさ……」
「いいじゃないか。父親してるな。パパなんて呼ばれて」
「お前も呼ばれてただろ……。確かに、好いてくれるのはいいかもしれねぇが……。親離れってのも必要なんだ……。山風はちょっと異常だ……」
なるほど……そういう考え方もあるのか……。
どんな状況においても、親ってのは大変だ。
「軽巡寮なのに……ったく……」
「お前も大変だな……」
山岡はタバコを深く吸うと、火をもみ消した。
「……そういや、飯田ちゃんの件だけどよ。何だか凄いことになってるらしいぜ」
「凄いこと……?」
「ああ……。何でも、今回の件で艦娘への関心が高まっているようでさ。その実態を探ろうと、メディアからのオファーが殺到しているらしい」
「本部はなんと?」
「何とも言えないそうだ……。こっちの対応によって、いい方向にも悪い方向にも傾く。飯田ちゃんの運命も、ここで決まるだろうな……」
飯田……。
「何か俺たちで協力できないのか……?」
「俺だってしてやりてぇが……飯田ちゃんと連絡が取れない以上……何も……」
今俺たちに出来る事……。
今まで通り、出来ることをするだけ。
それ以上は何も出来ない。
山岡も分かっているのか、それ以上口を開くことは無かった。
山岡と別れ、寮に戻る途中に飯田から連絡が入った。
「もしもし?」
『ご無沙汰しています』
「お前……心配してたんだぞ……」
『すみません。色々と大変だったもので』
「……そっちは大丈夫なのか?」
『問題ありません』
飯田の声には、どこかキリっとしたものがあって、気を抜けないような状況に居ることが伝わってきた。
『……先輩、これから会うこと……できますか……?』
飯田が指定した公園は、誰もいなくて、とても暗かった。
「先輩」
「飯田」
飯田は少しやせているように見えた。
「心配したんだぞ……」
「すみません……」
「……それで、どうした?」
「先輩にご相談がありまして……。吹雪さんの件なんですが……」
「吹雪……?」
「はい……。単刀直入に言いますと、吹雪さんを外の施設に出そうと思っています」
「外の施設……?」
「――鎮守府です。……私と鳳翔さんの行動は、ご存知かと思います」
「ああ……だから心配していた……」
「その事で、メディアからの取材オファーが集中していることもご存知ですか……?」
「……ああ」
飯田は続けようとしたが、声が出せなくなったかのように、何度も口を開閉した。
その唇は、震えている。
「……飯田」
俺は、飯田が何を言いたいのかが分かっていた。
「お前がそこまでしていることに、少なくとも俺が関係していることは分かっている。そうじゃなかったとしても、お前の行動を俺は支援したいと思っている」
掴んだ手は小さく、冷たかった。
「飯田……」
「……取材は……――新聞社の件から、ここでは出来なくなりました……。だからと言って、このまま断り続けては、やっと開いたこの道を閉ざすことになってしまいます……」
「……――鎮守府に吹雪を送り、メディア対応させようって事か……」
「……すでに何名かの艦娘を選別しています。山岡さんの寮で艦娘の異動が行われたことはご存知ですか?」
「ああ、今日聞いた」
「それもその影響です……。他の寮で優秀な艦娘が――鎮守府へ行くことが決まったので、大きな異動があったという訳です……」
「期間は……?」
「決まっていません……。ただ……長期化が予想されますので……少なくとも……数年は……」
沈黙が続く。
そんな中、空からふわりと、雪が降って来た。
「……雪だ。寒いと思ったんだ……」
飯田は返事をしなかった。
「……飯田」
「…………」
「吹雪にその話は……?」
飯田は首を横に振った。
「そうか……」
雪が本格的に降り出していた。
これは積もりそうだ。
「ごめんなさい……」
やっと口を開いた飯田は、静かに泣いていた。
「先輩や山岡さんに迷惑をかけるつもりはなかったんです……。でも……」
「……言っただろ。俺はお前の行動を支援したいと思っている。お前がそう決断したのなら、俺は全力で支援するよ」
「先輩……」
「……不安だっただろ。よくやってくれた……。ありがとな……飯田……」
そう言って肩抱いてやると、飯田はいつまでも泣き続けた。
孤独だっただろう。
不安だっただろう。
誰にも頼ることが出来なくて……。
誰にも相談できなくて……。
「吹雪の事は任せろ……。俺はいつもお前を応援しているよ……」
「先輩……」
飯田が帰った後、俺はずっと公園のベンチに座っていた。
既にベンチの淵には、雪が薄く積もっている。
「…………」
協力すると言ったが、俺は吹雪に言う勇気が無かった。
やっと俺に心を開いてくれて、これから共に頑張っていこうと約束したのに……。
親として、あいつを見守っていかなければならないのに……。
「吹雪……」
そう呟いたとき、公園の外灯が、ふと暗くなった。
顔をあげると、そこには傘が――。
「司令官」
「吹雪……?」
吹雪はベンチの雪を払い、俺の隣に座った。
「どうしてここに……」
「飯田さんから連絡がありまして。司令官が動けないでいるから、迎えに行ってあげてって」
時計を見ると、もう二時間以上こうしていることに気が付いた。
「……そうか。すまない……」
「いえ……」
沈黙が続く。
雪が音を吸収しているのか、先ほどよりいっそう静かになっていた。
「……飯田さんから聞きましたよ」
俺は返事をすることが出来なかった。
「きっと……司令官が言えないだろうからって……飯田さんが……。えへへ……司令官って、意外と繊細なんですね」
再び沈黙が続く。
「……私、司令官とずっと一緒に居たいと思っていました。何でも受け止めてくれるって言ってくれて……すごく嬉しかったし……私も恩返し出来たらって……思っていましたから……」
「…………」
「だから……飯田さんからお話をいただいたとき……驚いたし……司令官と離れ離れになるって……思って……」
「…………」
「でも……人との共存には必要な事で……いつか、司令官と一緒に居ようとするなら、今は頑張らないといけないって思って……」
「…………」
「だから……私……行こうと思います……。私は大丈夫です。だから司令官……そんな顔しないでください……」
吹雪が俺の手を取った。
温かいその手に、俺はぽろぽろと涙を流してしまった。
「司令官……」
「……お前に……ずっと我慢して頑張ってきたお前に……やっと気が付いて……愛情を与えられると……思っていた……なのに……」
俺は情けない声で泣いた。
吹雪の努力を知っていたからこそ、辛かった。
「ごめんな……ごめんな……」
俺の姿を見て、吹雪もぽろぽろと涙を流した。
「大丈夫です……。大丈夫……。司令官がそう思ってくれただけで……私は幸せです……。私の気持ちに気が付いてくれて……ありがとうございます……。大好きです……」
いつまでもいつまでも、泣き続けた。
それほどに、辛かった。
吹雪の気持ちを知っているからこそ――吹雪の努力を知っているからこそ――……。
――けど、一番はやっぱり……俺の我が儘だけど……吹雪と別れる事が辛かった。
吹雪の異動が決まってからは、とても早かった。
別れを惜しむ間もなく、吹雪は出発することになった。
「みんな、元気でね。絶対、お手紙書くからね」
皆、吹雪に群がり、宝物だと言って色々と渡していた。
泣くものもいた。
「吹雪さん、お元気で。辛かったら戻って来てもいいんですからね?」
「大丈夫です! たくさん活躍して、皆さんにいい報告が出来るように頑張ります!」
今回の件には、飯田も同行するようであった。
「飯田」
「飯田ちゃん」
「お二人とも……。ふふ、何も最後の別れでもありません。私はちょくちょく報告で帰ってきますから、その時はお話でもしましょう」
「そうか……」
「先輩は吹雪さんのところに行ってあげてください。待ってますよ」
「ああ、分かった」
再び吹雪の方を向くと、いつの間にか皆がいなくなっていた。
「えへへ、皆さんには席を外してもらいました。司令官と二人でお話したくて」
「そうか……」
沈黙が続く。
「……必ず、戻ってきます。だから……待っててほしいんです……」
「ああ、待っている……。俺もそれまで、頑張るよ。許可があれば、遊びにも行こう」
「本当ですか? えへへ……嬉しいです……」
「……寂しくなるよ」
俺が悲しそうな顔をすると、吹雪は俺の袖をそっとつかんだ。
「司令官、ちょっとしゃがんでください」
「こうか……?」
しゃがむと、吹雪はそっと口づけをした。
「また会う約束のキスです! えへへ……」
「……なんだそれは」
「え? こうしてキスすることって……また会いましょうって意味だって飯田さんが……」
飯田の方を見ると、悪戯そうにニヤニヤ笑っていた。
「い、飯田さん……嘘ついたんですか!?」
「だって吹雪さん、先輩の事が好きだって言ってたから」
「も、もう! し、司令官!? 違うんですよ!? これは騙されてですね!?」
「あ、あぁ……分かってるよ。しかし……そんな事に騙されるとは……心配になってしまうな……」
「あ……う……それは言い返せません……」
落ち込む吹雪を撫でてやる。
本当、最初に会った時よりも大きくなったもんだな……。
「行ってこい吹雪。待ってるから」
「司令官……。はい! 吹雪、行ってきます!」
元気よく返事をし、吹雪は飯田の元へと走っていった。
そして、飯田に対して抗議をしていた。
「仲良くやっていけそうだな。あの二人」
「山岡、お前いいのか? 飯田、行ってしまうぞ」
「言っただろ。俺も新しい道へ進むって。寂しくなんかないさ」
「フッ……そうか」
吹雪たちを乗せたバスが見えなくなるまで、俺たちは大きく手を振って見送った。
あれから数日。
新聞や雑誌、テレビなどで――鎮守府の特集がたくさん組まれ、艦娘に対しての関心は留まる所を知らなかった。
「吹雪さん、元気そうでやってるみたいですね」
吹雪の現状もまた、記事や映像で分かった。
別れて寂しいと思っていたけれど、こうも毎日顔を見ると、何だかいつもと変わらないような気すらした。
電話もちょくちょくかかってくるしな。
「そう言えば、吹雪さんがいなくなってから、霞ちゃんが凄く頑張ってるんですよ」
「霞が?」
「えぇ。この前も、「独立試験」を受けるんだって勉強していましたし、掃除や洗濯も自分から率先してやってるみたいです」
霞は吹雪を尊敬していたからな。
あいつがいなくなった今、自分がやらなきゃいけないと思っているのだろうか。
「今、アイロンがけを食堂でしてますよ。様子を見に行ってあげてください」
「ああ、そうだな」
食堂では、霞が洗濯物をたたんでいた。
「アイロンがけは終わったのか?」
声をかけてやると、霞は俺をちらっと見て、また作業に戻った。
「吹雪がいなくなってから、そうやって頑張っているらしいじゃないか」
「……ほかにやる奴がいないだけよ」
「それでもやろうとしてるのは本当に偉いぞ」
「あっそ……」
こうして頑張っていることは、ちゃんと認めてあげないといけない。
吹雪のことで学んだことだった。
「俺も手伝うよ」
「いいわよ……別に……」
「いや、そういう訳には――」
「――いいったら!」
霞は俺をキッとにらんだ。
しまった……余計な事だったか……。
まだこいつらとの距離をうまくつかめないな……。
「す、すまない……」
「…………」
霞はムッとした顔のまま、再び洗濯物をたたみだした。
「……悪かったな」
去ろうとすると、霞が口を開いた。
「吹雪さんは……」
「え……?」
「吹雪さんは……あんたに褒められるとき……色々してもらってたみたいじゃない……」
「色々……?」
「吹雪さんが嬉しそうに話してた……」
「まあ……そうだな……」
霞がチラッとこちらを見た。
それを見て、俺は察することが出来た。
「なるほどな……。お前も褒めて欲しいのか」
「そうはいってない……」
「吹雪はちゃんとどう褒めて欲しいのか言っていた。俺はまだ、どうしてお前たちが褒めて欲しいのか分からないんだ。教えてくれないか?」
そう言ってやると、霞は黙ってしまった。
さっき怒ったのは、俺の褒め方が間違っていたからだろう。
「吹雪と一緒でいいか?」
吹雪の褒められ方を知っているのか、霞は何も答えなかった。
だが、否定しないのは、肯定と同じサインだった。
俺はそっと、霞を撫でてやった。
「吹雪の代わりは大変だろ。頑張ってるな。霞」
霞はムッとした顔で俺を睨んだ。
「違うのか?」
霞は何も言わなかった。
「なんだよ。言ってくれないと分からないよ」
しばらくそんな話をしていると、鹿島が様子を見に来た。
「提督さん、お電話です」
「おう、今行くよ」
睨む霞を後ろに、俺は部屋へと戻った。
電話も終わり、部屋でくつろいでいると、霞がやって来た。
部屋に入ると、鍵を閉め、俺の近くに座った。
「どうした?」
「……まだ褒めてもらってないんだけど」
それに、俺は大いに笑ってしまった。
「いや、済まない。そうだったな」
「……それで、分かったの? 褒め方……」
「ああ、もう一つだけあったな」
そう言ってやると、霞はそっと俺に抱き着いた。
「こうして……撫でてあげてるんでしょ……」
「悪いが、そうやって撫でたのは一回だけで、本当に特別な時だけなんだが……」
「な……!? ど、どうせ嘘でしょ!?」
「いや、本当だ。だよな、鹿島」
鹿島は申し訳なさそうに台所の方から出て来た。
「か、鹿島さん……居たの……?」
「ごめんね霞ちゃん……。隠れてるつもりはなかったんだけれど……」
霞は顔を真っ赤にして、俺を叩いた。
「痛っ!?」
「――!」
霞は言葉にならない声を出して、俺を睨んだ。
「霞、吹雪はちゃんと素直に甘えて来たんだ。お前もそうやって褒めて欲しいなら、そう素直に言うんだ」
「そんなの言えるわけないわ! うぅ……恥ずかしい……もう!」
「霞ちゃん、提督さんの言う通りです。ちゃーんと言わないと分かりませんよ」
鹿島は真剣に言ってるのか、面白がってるのか分からない笑顔を見せた。
「霞」
「霞ちゃん」
「……もう! 分かったわよ! ぎゅってして! 撫でて!」
「ああ、分かった」
褒めてやると、霞は複雑そうな顔を見せた。
褒められ方は皆それぞれか。
霞はこういう方法だが、ほかの奴らはきっと違うだろう。
ちゃんと調べてやらないとな。
親として。
「良かったね、霞ちゃん」
「うぅ……恥ずかしいったら……」
吹雪たちも頑張っているんだ。
今度はあんな顔をさせない様に、ちゃんと親として成長しなければいけないな。
「提督さん、私もちゃんと褒めてくださいね」
「お前は子供じゃないだろ」
「でも、褒めて欲しいです」
「どうでもいいけど……いつまでやってるのよ! ばか!」
その時まで、またな、吹雪。
――続く