ガチャガチャとした音が幾重にも重なり、騒音となって空気を、そして体ごと鼓膜を揺らす。階段の方向には、百体を上回る骸骨の魔物“トラウムソルジャー”がひしめき合っている。一メートルほどの魔法陣はその数を減らすことなく、未だに骸骨を呼び出し続けている。
倬は杖を使い、どうにか立ち上がったものの、ただただ茫然とその状況を見つめるだけだ。この場から逃げ出すことを求め、階段を見つめる生徒達も棒立ちになってしまっている。
あっけにとられる生徒達の後方から、目の前の騒音を掻き消さんばかりの咆哮が上がった。
「グルァァァァァアアアアア!!」
メルド団長が言った“ベヒモス”の咆哮だ。鋭利な爪と巨大な牙を打ち鳴らすように身体を震わせている。トリケラトプスを想起させる四足の魔物は、体長十メートルは下らない。頭部の兜を貫くように生えた角からは、炎が放たれている。
圧倒的な咆哮に、我に返ったメルド団長が全体に向けて指示を出す。
「アラン! 生徒達を率いて“トラウムソルジャー”を突破しろ! カイル、イヴァン、ベイル! 全力で障壁を張れ! ヤツを食い止めるぞ! 光輝、お前達は早く階段へ向かえ!」
「待って下さい、メルドさん! 俺達もやります! あの恐竜みたいなヤツが一番ヤバイでしょう! 俺達も……」
「馬鹿野郎! あれが本当にベヒモスなら、今のお前達では無理だ! ヤツは六十五層の魔物。かつて、“最強”と言わしめた冒険者をして歯が立たなかった化け物だ! さっさと行け! 私はお前達を死なせるわけにはいかないんだ!」
光輝とメルド団長とのやり取りなどお構いなしに、ベヒモスがその巨体を躍動させ、突っ込んでくる。
突進による被害を防ぐべく、カイル、イヴァン、ベイルの三人が同時に二メートル四方で最高級の紙に書きつけられた魔法陣を使い詠唱をする。
「「「全ての敵意と悪意を拒絶する、神の子らに絶対の守りを、ここは聖域なりて、神敵を通さず、“聖絶”!!」」」
純白の輝きを放つ半球状の障壁が橋の中央に生徒達を包み込むように顕現し、ベヒモスの突進を受け止める。膨大なエネルギー同士の衝突で、激しい衝撃波が空間に広がっていく。ベヒモスの足場は粉々に砕け、巨大な石橋が弾むように揺れる。
パニックになる生徒達の悲鳴が響き渡り、震動に耐えきれず倒れ、蹲る生徒も見受けられる。
本来、三十八層に出没する魔物である“トラウムソルジャー”は、二十層までの魔物とは比較にならない力がある。動ける生徒達も、がむしゃらに階段へと進もうとするが容易ではない。
騎士団員アランが態勢を立て直すべく、生徒達を落ち着かせようと声を張り上げるが、恐怖に駆られた子供たちの耳には届かない。
杖を両手で掴み、何とか立っているだけの倬の目に、女子生徒が突き飛ばされ、転んでしまうのが映る。そのすぐ傍に一体の骸骨が赤黒く眼窩を光らせ、剣を構えている。
(っ!)
身体を動かせなければ、声すらも出ない。
ついに少女の頭へ向けて剣が振り下ろされた。
倬が見ていることしか出来なかったその時、突如、トラウムソルジャーが態勢を崩す。振り降ろされた剣が地面を叩くと、その地面が波打ち、周囲の骸骨を道連れに端へと追いやられる。ガタガタもがく骸骨たちはそのまま奈落へと落下していった。
視線を動かすと、橋の淵から離れた所に座り込む少年の姿があった。南雲ハジメだ。彼は地面を何度も錬成し、魔物達を落としてみせたのだ。
状況が飲み込めない女子生徒にハジメが駆け寄って、手を差し伸べ、立ち上がらせている。
(あぁ、くそ。まったく、なんだよ。あれ。……そっか。うん、
その様子を眺めるしか出来なかった倬の心を、この場におよそ似つかわしくない感情が満たしていく。
(これは……、嫉妬か……)
くすりと湧いてくる嫉妬の感情を笑う。静かに目を閉じて、【祈祷師の手引き】に書かれていた言葉を思い起こす。
――祈祷師が、その職を全うせんとするならば、如何なる時でも“瞑想”し、魔力と冷静を保つことが求められる――
それに続く一節を小声で呟く。
「……祈祷師とは“瞑想”と共にある天職と心得よ」
右手で掴む杖を正面に立て、左手を手帳の入った胸元に当てる。深呼吸を一回、周囲の騒めきを、震動を、意識から遠ざけていく。暗黒の意識の中に僅かだが、魔力が回復する熱を感じる。
目を開くと、ハジメが橋から続く通路側、ベヒモスと光輝達の方を見ているのが分かった。倬はその反対側、トラウムソルジャーの軍団と生徒達を見つめる。
“瞑想”の副次効果で冷静さを多少取り戻したと言っても、恐怖が消えたわけではない。このまま動かずに救われるのを待っていたい。そんな思考が頭をよぎる。でも、それでも、何もしないワケにはいかない。
(“意地があんだよ、男の子にはなぁ!”ってね)
倬は前方を見渡し、状況を確認する。魔法陣から湧き出る増援は止まることを知らない。混乱の中、ひたすらに魔法を乱発し、武器を振り回す生徒達。騎士アランが何とか犠牲者を出さないように生徒達に声を掛けながら孤軍奮闘しているが、如何な優秀な騎士とて人一人の力には限界がある。
冷静さを欠いた生徒達の中に、少しでも周りを見ようとしている者を探す。すると、二人の女子生徒が寄り添い合って、きょろきょろと周辺を気にしながら身を守っているのを見つけた。駆け寄って声を掛けるが、必死さのあまり聞こえていないようだ。
「我、この身を包む大気を留め、静寂を招かんと、祈る者なり、“
倬を中心に半径一メートル弱の風属性の結界が展開される。この結界は外から入る音の大きさを半減する効果がある。急に騒音が遠ざかった事に、身の回りを確認した二人の女子生徒が倬の存在に気づく。倬は時間が惜しいと早口になって再び話しかける。
「中村さん、谷口さん。ごめん。頼みがある」
「えっ? し、霜中君?」
突然現れた倬に驚きつつも何とか反応するのは鈴だ。
「中村さん、闇系妨害魔法で一度に複数の骸骨の足止めって出来る?」
「え……、う、うん。十秒位なら。なんとか……」
「上等。……谷口さん、なんでもいい、前に出すぎてる人に防御結界張って欲しい」
「な、何でもって言っても。なにか。良いの、えーと」
えーと、えっと。と混乱した頭で考えが上手くまとまらない鈴。その様子に「わかった」と一言告げて、鈴の背後に回り、杖を自分の体にもたれかけて鈴の肩に両手を置く。
「へっ!?」
「いい? 谷口さん、俺に続いて詠唱して。中村さん、近くの
「わ、わかった」と恵里が返事をしてから、詠唱を始めるのを聞いて、もう一度、鈴に確認する。
「谷口さんはアランさんに結界を。いくよ」
鈴の頭越しに前方を見つめたまま、一音一音ゆっくりと言い聞かせるように詠唱を始める。詠唱と言っても、たった一節だけだ。
「“ここに光の加護を望む”」
鈴もつられるようにして詠唱を終える。“結界師”である鈴は即座にその魔法を理解し、倬と同時にその魔法名を力強く唱え上げる。
「「“光絶”」」
“光絶”、対象の眼前に光の壁を作り出す結界魔法だ。初級魔法だが鈴の持つアーティファクトによって結界魔法の効果は最大限に引き上げられる。騎士アランと槍を振り回している男子生徒の目の前に光の加護がもたらされる。
恵里もまた、妨害魔法を発動させたことで、それまで空を切っていた槍がトラウムソルジャーを押し倒すことに成功していた。
鈴が何となしに倬の顔を見ると、血の気が引いたその額に沢山の汗を浮かばせているのに気づく。初級魔法であっても、通常の魔法を祈祷師である倬が使えば、その魔力消費量は通常の二倍以上になってしまうためだ。先ほどの短い“瞑想”分の魔力回復だけでは賄いきれなかったらしい。
「だ、大丈夫?」
「“平気へっちゃら”……、と言いたいとこだけどね……」
汗を拭いもせず、自分の杖を両手でつかみ、地面に突き立てることで姿勢を保つ。そして、杖に向けて詠唱する。
「“ここに秘した魔力を、今こそ、わが身に”」
倬がツェーヤ・オバンサと共に借り受けるアーティファクトを検討した結論。それは、「魔力枯渇に陥る前に魔力回復をしてしまえ」と言うものだった。実際には、アーティファクトを起動させる為に僅かに魔力を消費してしまうので、結局、一般の中級魔法はまともに使えないままだ。
使用回数はたった一度。それでも、アーティファクトに組み込まれている純度の高い魔石に前もって込めた魔力によって、全快近くまで回復できる。
右手を何度か握り直し、身体の復調を確認する。
「二人とも、とりあえず今のやり方でいい。周りが見えてきて、何か思いついたらなら、後は任せる」
倬がそう言い捨てて、前に進もうとする。すると、羽織っていたローブが引っ張られ、軽くつんのめった。半身になって後ろを窺うと、鈴の手がローブの裾を掴んでいるのが見えた。
「あっ、ごめん……」
鈴は咄嗟に掴んでしまったことを謝りながらも、この状況に募る不安から、手を放すことが出来ないでいる。倬は、元々細い目を更に細め、気が利かなかったことを反省して、少しでも落ち着かせようと、のんびりとした声音を装って言う。
「心配しないで、一人で逃げたりなんかしないよ」
鈴も恵里も、そんな事を心配しているわけではない。それを知りながらも、冗談っぽく言葉を続ける。
「だって、俺、祈祷師だよ。あんなにウジャウジャいたんじゃ、一人だけ階段まで、なんて無理無理。大丈夫。あんな骨粗鬆症患ったような骨格標本なんざ、みんなで、ぶっ飛ばそう」
恵里が苦笑いを浮かべながら倬の言葉に反応する。
「こ、骨格標本って」
「あはは、こんな時に、変なの」
続いて鈴が幾分か気の抜けた顔をみせた。もう、その手は倬のローブから離されている。更に続けて質問を投げかける。
「霜中君は、どうする気なの?」
階段の方に視線を戻したまま倬が答える。
「せめて何人か、後衛だけでも一か所に固めたい。んで、その指揮をアランさんに頼みに行く」
その言葉に、覚悟を決めたように鈴が自分の両手を胸元で握りしめる。
「……うん。わかった。鈴も、何とか頑張ってみるよ」
瞳に力を取り戻した鈴と、同意するように頷く恵里。
二人のその姿に、自然とふにゃりとした笑顔を浮かべてしまう。両手でパンっと頬を叩いてその笑顔を押し込めて、気合を入れ直した。
突然自身の顔を叩いた倬に、ポカンとした顔の鈴と恵里をそのままに、「それじゃ、いってきます」と言って、走りだす。
睨み付けるようにして、前方で必死に責務を全うしようとしているアランと、周囲のトラウムソルジャーを見つめる。蹲る男子生徒の腕を引きながら、周囲の生徒にも冷静になる様に声を掛け続けている女子生徒や、何とか魔物を押しとどめようと体を張っている大柄な男子生徒、「当たれ、当たれ」と叫びながら岩石を撃ち放つ男子生徒達が目に入る。
石橋を蹴る足に、より一層の力を込めて、駆けながら唱える。
「我、この身と繋がる大地の如く、憂いに揺るがぬ体躯をば、祈る者なり、“
土系補助魔法“硬々”、詠唱の通り、防御力を上昇させる類の属性魔法である。その身体に纏った大地の加護を頼りに、倬は大柄な男子生徒が相手取っている骸骨に向かって走る。
一瞬たりとも足の力は抜かない、勢いをそのままに、骸骨の真横から飛びかかるようにして体当たりをかます。
「ん゛ッ」
「おわっ! なっ! なんだっ」
上昇した防御越しにも、痛みを伴って伝わる堅い骨の感触に、声が漏れる。驚く男子生徒を置き去りにして、突き飛ばされたトラウムソルジャーは端まで追いやられ、そのまま橋の下へ落下していく。
それを目の端で確認して、必死に話しかける。
「ど、ド○ベンっ! 力、貸してくれ!」
「ど……ド○べンっ? お、俺のことかっ? “山”しか合ってねぇよ! 永山だっつの!」
倬にド○ベン呼ばわりされた永山重吾が咄嗟に言い返す。それを無視して、倬は更に続ける。
「清水君担いで谷口さん達の前、行ってくれ! 頼むっ!」
その言葉を聞いた重吾の目に、蹲る清水利幸と、その利幸を少しでも安全な場所へと逃がすべく引っ張ろうとしている園部優花が映った。一応、鈴の“光絶”が展開されてはいるものの、無防備な態勢には変わらない。一か所に留まってしまっていることで、突出しているトラウムソルジャーにいつ標的にされてもおかしくなかった。
状況を理解した重吾が無言で頷き、動き出した時、ベヒモスの方向から暴風の如き衝撃波が橋ごと生徒達を揺らす。遂に今までベヒモスの攻撃を防いでいた“聖絶”が破られたのだ。
自分の動揺を無理やり押し込めて、倬が重吾に向けて叫ぶと同時に走り出す。
「……頼んだっ! 期待しているぞっ! “太郎君”っ!」
「くそっ! こんな時にっ! 覚えてろよ、霜中っ!」
重吾が清水達の方へ移動するのを見もせずに倬が向かう先には、先ほどの揺れに膝をついてしまった野村健太郎と迫りくるトラウムソルジャーが居る。健太郎の後方から、辻綾子の水系初級魔法“水球”が飛んでいるが、押しとどめるには至っていない。
そのトラウムソルジャーの頭部めがけて杖を突き出した姿のまま駆け、詠唱を始める。
(一体なら何とか……上手くいってくれよ……っ!)
「我、この身と繋がる大地を、招きて
まだ倬に気づいた様子はない、“水球”をものともせず、剣を高く掲げたまま健太郎に近づいていく。
倬とトラウムソルジャーまでの距離はあと二メートル弱。足が縺れそうになるが、必死で足を動かし、詠唱を継続する。
「ここに枷を積み重ねんとっ」
健太郎を標的に余裕で剣を持ち上げていたはずのトラウムソルジャーが、いつの間にか腰だめに剣を構え、倬に対して迎撃の態勢をとる。
それでも倬の足は止まらない、止められない。トラウムソルジャーが倬に攻撃しようと剣を後ろに引く、直後、そのわき腹に岩の塊が激突。がくっと態勢が崩れる。
倬はよろめいたトラウムソルジャーの頭部に杖を振り落としながら、詠唱を完了させる。
「……祈る者なりっ、“
途端、その眼窩の、鼻腔の、口腔の奥から黒々とした石がせり出し、その重みに側頭部から石橋の足場に衝突する。バキリと音を立てて頭蓋が砕け、トラウムソルジャーはそのまま動きを止める。
肩で息をしていたものをなんとか抑え込み、倬が飛んできた岩の方に視線を向ける。その方向から健太郎も肩で呼吸を整えつつ近づいてくる。杖を掲げ、警戒を解かないままに倬の横で立ち止まり、ぽつりと零す。
「……お前にだけカッコつけさせてたまるか」
その言葉に、一瞬あっけにとられた倬だったが、くつくつと笑いながら感謝と同意を伝える。
「さっきの、助かった。……俺も、一人にだけカッコつけさせるのは御免だわ」
「ちっ……、礼を言うのはこっちだっての」
「いや、そんなことないよ。それより、後衛だけでも立て直そう。辻さん連れて援護頼む」
橋の中央より階段側では、優花や鈴、恵理が中心になって冷静さを取り戻した他の生徒と共に隊列を組み直しつつある。その前衛を重吾が一手に引き受けている状況だった。
倬と健太郎の傍に、やはり肩で息をしながら歩いてきた綾子が、隊列の組み直しが図られているのを知った上で、心配そうに倬に聞く。
「霜中君は? 一緒に行かないの?」
「アランさんに指揮を頼みに行ってくるよ」
騎士アランと突出している生徒達を見つめて、今にも駆けだしそうな倬の様子に、“そんな事、君がしなくても……”と隊列への合流を提案しようと綾子が口を開く。
次の瞬間。
ベヒモス側から、眩い光が迸る。
光輝の得意技“天翔閃”を更に強化したような、今の光輝にとって必殺技とも呼べる“神威”を発動させたのだ。
突き進む光は石橋を揺るがし、石畳を抉り飛ばしてベヒモスへと一直線。
激突の轟音と光属性の砲撃による余波は、この空間の影と言う影を白く塗りつぶすかの如き光の奔流となる。
徐々に光が収束していく中、その光を背に、倬は健太郎と綾子に向けて言い捨ててから動きだす。
「“ノム”さん、援護よろしく。辻さん“監督”のフォロー頼んだ」
「は?」
「え?」
走り去る倬に「ふざけた呼び方しやがって」と呆れる健太郎の声と、「もうっ!」と憤る綾子とが耳に届く。
(んー、“健太郎お兄さん”のがよかったかな……)
先ほどからふざけているように見えるが、これが倬なりの平常心の保ち方なのである。そんな倬に、魔力回復の魔法が届けられる。綾子が、せめてとばかりに唱えた魔法だった。ほんの僅かな回復量であっても、その魔力回復の仄かな温かさに、更にエンジンを掛けるべく、内心で叫ぶ。
(“ひゃっほーーう、さいっこうだぜぇ!!”……な、ん、て、ねぇっ!)
ベヒモスが響かせるキィーーーという甲高い音を無視して、トラウムソルジャーを躱しつつ走る。ここまで倬が無事に走っていられるのは、恵理や、気を取り直して隊列に加わった吉野真央達が上手く妨害しているおかげだ。
目標の騎士アランが、光の奔流に気を取られ、棒立ちになってしまった生徒を敵の凶刃から庇っているのが見えた。その生徒は「ぼさっとするんじゃない!」と怒鳴る声と、アランが居なければ致命傷だった事実にへたり込んでしまっている。
尻もちをついてしまった生徒の前に立ちはだかる様にして立ち止まる。
予想外の生徒がいつの間にか傍に現れた事に、アランが目を見開く。
「君は……、霜中か!?」
なんでこんなところにっ! と言いたげなのを察して、先んじて叫ぶ。
「アランさん! 指揮を! お願いします!」
「っ! さっきからの援護は君がっ?」
「谷口さんたちですっ! ともかく一度下がりましょうっ!」
後ろ向きに、倬の横まで下がってきたアランが、横目で後方に出来上がった隊列を確認する。前に出すぎていた生徒達も倬の後ろの一人と既に隊列に向かっている五人までに減っていた。
アランが倬を再び見ると何やらブツブツ詠唱を始めている。
「……“
アランに向けて与えられた魔法、“逞熱”は火系身体強化魔法だ。体中に活力を漲らせ、一時的に筋力を上昇させ、魔力による膂力の補助も得られる。
倬が担いで、アランが援護でもいいのだが、ちょっとした身体強化だけでこの場を人一人を背負って走り抜けると言うのが、今の自分には厳しいと判断したのだった。
「仕方ない……、無理するじゃないぞ」
アランはそう言いながら、へたり込んだままだった生徒を肩に掛ける様に担ぎ、後ずさる。
相手が逃げ腰になったことを察したトラウムソルジャーが、前方の倬めがけて殺到してくる。
(ああは言ったものの、あれ? どうしよう……やばい、なんも思いつかん)
“アランに指揮を頼む”と言う目的がとりあえず達成された事で気が抜けてしまい、反応が遅れてしまった。頭をフル回転させているつもりだが、空回りを続ける思考は、この場に適切な魔法を選び取ることを拒絶しているようだった。
焦り始めた倬の目の前を、半円を描くようにして太い石の円錐が勢いよく何本もせり出し、戦士たちの肋骨を突き破って串刺しにする。
“土術師”健太郎が中心となって、複数の生徒で土系攻撃魔法“土槍”を同時発動させたのだ。支援魔法を得意とする生徒達の協力もあって、その威力は相当に高められ、トラウムソルジャーを圧倒する事が出来た。その上、本来なら対象を貫いた後、崩れ去るはずの“土槍”がその姿を保持したまま、バリケードを築いていた。
(“ヒューーッ、見ろよ、やつらの魔法を……”以下略!!)
仲間達の魔法に集中力を取り戻し、そのままの形で固定された何本もの“土槍”の根元に細工をして、後ずさりながらアランの後を追う。そして、そのまま、詠唱を開始する。
(さぁ、研究の成果、見せてやるぞ……多分、今日最後の大技だ!)
「我、この身に到る白露を、呼びて
すると、全ての“土槍”が根元から折れ、乗り越えようとしたり、脇を進んでいたトラウムソルジャーがその下敷きになる。
水系攻撃魔法“削水”は所謂ウォーターカッターの魔法版だ。圧縮し細かく振動させた短い一筋の水流によって、堅い岩でも穴をあけたり、削り切ることが出来る。祈祷師用の魔法としては破壊力が高いものの一つだが、本来は、有効範囲が最大で二十センチと短く、形状を維持するのにも魔力消費が多くなるため、詠唱が長くなりがちで使いどころが難しい。
そこで、倬が行った細工が、万が一に備えて少量持ってきていた祈祷師用のインクで、直接、魔法陣を特殊な方法で書くと言うものだった。本来ならば、単独で断続的どころか完全同時に異なる場所に魔法を発動させるには、それ相応の技能が必要だ。だが倬は、一本一本に書いた全ての魔法陣を魔法式とインクで一繋ぎにする事で疑似的にその技能を再現したのだ。これもまた用意してきた奥の手の一つである。
(よし! 時間稼ぎ成功!)
近くに迫ってきていたトラウムソルジャー達の足止めに成功し、一度振り返り、そのまま隊列に向けて移動を始める。
もう少しで隊列に合流できそうなアランが目に入り、拙いながらも、必死に連携した援護が飛んできているのも分かった。
今度こそ本気で気が緩んでしまった。ここまでの疲労感がどっと押し寄せ、足がやたらに重い。先ほどの“削水”複数同時発動で魔力枯渇一歩手前になってしまったのも一因だ。
“本来、三十八層に出没する魔物”に対してその気の緩みは致命的なものだった。
今まで、数に任せて一体一体好き勝手に動いていた骸骨戦士の軍団が、三人一組になって横隊を組み始める。前の二体が向かい合ってしゃがみ込み、左手で突き出した右腕の肘を掴み、その右手で正面の左肘を掴む。組み上がった腕に、もう一体がタイミングを見計らって、勢いよく足を掛ける。すると、しゃがみ込んでいた二体も勢いよく立ち上がり、骸骨戦士が宙を舞った。
倬のすぐ後ろに、鈍くドチャリと音が鳴る。ドチャリ、ドチャリ、ドチャリ、立て続けに飛んできた骸骨戦士は、骨と骨とをけたたましくガチャガチャ響かせながら立ち上がる。
倬が音の方に振り向いた時には、三体の骸骨戦士が高らかに持ち上げた剣で、倬の顔に影を作っていた。突拍子もない事態に、善戦し始めていた後衛組も対処出来ない。
「あ……」
(あ、これ。むり、ごめん、
最期を悟って、脳裏に浮かんできた妹に謝る倬。脚から力が抜け、尻もちをついてしまう。
そこに圧倒的な速度で割り込む、“勇ましき者”が居た。横薙ぎに輝くバスターソードを振るい、三体のトラウムソルジャーを後方の一体を巻き込みながら吹き飛ばす。
“勇者”天之河光輝だ。真剣な面持ちで飛んでくる骸骨戦士の軍団を見つめながら、倬に声だけを掛ける。
「すまない! 遅くなった!」
「あ、あは、あはは。ほ、ほんとだよ……。けど、あぁ、助かったぁ……」
助かった事を理解して、先ほどの死の恐怖を誤魔化す様に笑いながら返事をする。そこに雫と龍太郎が駆け寄ってくる。二人とも、かなりの傷を負っているようだが、気丈に振る舞い倬に声を掛けた。
「遅れてごめんなさい。立てる?」
「あー、あれ? ……駄目っぽいや、腰、抜けてる」
「龍太郎、霜中君を」
「……分かった。おい、早く乗っかれ」
そう言いながら、龍太郎は杖を奪いとった後、背中を倬に向けてしゃがむ。腕を龍太郎の首元で組んで身体を預けると、龍太郎の広い背中に、ふと思いついた冗談を言ってみる。
「すまないねぇ……。よいしょ。……うふふ、坂上君の背中って広いんだね、は~と」
がくっと膝をつきそうになるのを堪えて、倬を背負い直し、軽く怒鳴る龍太郎。
「叩き落されてぇのか!」
「まって、まって、いやほら、緊張をほぐそうとね?」
「……案外、元気そうね。安心したわ」
「カラ元気でもないよりマシかなぁと。あっ、そうだ……」
倬の態度に苦笑する雫に言い訳をして、ぼそぼそと詠唱を始める。怪訝な表情の龍太郎達を気にせず、魔法を完成させる。そして龍太郎に炎の加護がもたらされる。
「……“逞熱”。じゃ、申し訳ないけど、適当な壁際までよろしく坂上君」
「お前、マジでなんなんだよ。もう口閉じてろ、舌噛むぞ」
既に前方では、光輝の“天翔閃”が倬が折った“土槍”ごと骸骨戦士の軍団を真ん中から吹き飛ばし、両側の連中もまた押し出され次々と奈落へ落下していた。
メルド団長も“天翔閃”に勝るとも劣らない一撃で、突破口を広げていく。
「お前達! 訓練を思い出せ! アラン、俺も前に出るっ! そのまま指揮を頼む!」
団長がそう叫んで、光輝と共に最前線で剣を振るう。
回復を終えたカイル、イヴァン、ベイルの騎士団員三人も含めた後衛の強力な魔法も相まって、目に見えて骸骨戦士が減っていく。今まで身動きが取れないでいた生徒達も、状況が好転したことを実感して、アランの指示に従い戦闘に参加し始める。
一行は、そのステータスをいかんなく発揮し敵群を圧倒していく。
光輝がメルド団長や、他の前衛組数名と共に階段の手前までたどり着き、後方に向けて叫ぶ。
「皆! 続け! 階段前を確保するぞ!」
残りの前衛組や、騎士達が後衛組を取り囲むようにして突き進み、遂に全員が階段前に集結する。集団の前側で、龍太郎に背負われたまま階段前まで来た倬は、なされるままに階段端の一段目に座らせてもらった。
既に体力的にも魔力的にも限界が来ていた倬は、背負われながら途切れ途切れにだが始めた“瞑想”を利用して、少しでも回復するように努めていた。
「さぁ、階段を上って撤退だ」殆どの生徒達はごく当たり前にそう考えていたが、あろうことか、光輝にメルド団長、雫までもが、未だに魔法陣から出現を続けているトラウムソルジャーを相手取り、道を塞がせないように戦闘を継続している。
生徒達は困惑したまま、それの援護にあたる。チラチラと階段を気にしながら、撤退を急かす声も聞き取れた。
すると、全員に向けて必死に伝えようとする切実な声が“瞑想”中の倬の耳にも響く。
「皆、待って! 南雲くんを助けなきゃ! 南雲くんがたった一人であの怪物を抑えてるの!」
倬はその香織の言葉を一瞬、理解できなかった。てっきり、光輝達を階段側に移動させた後、既に後衛に合流しているものと思っていたのだ。魔法適性も、剣を振るう筋力も無い、“最弱”扱いを受けていた南雲ハジメが、たった一人であんな化物を相手に足止めをする等と言う発想が、そもそもなかった。
「何だよあれ、何してんだ?」
「あの魔物、上半身が埋まってる?」
ハジメがベヒモスの眼前にしゃがみ込み、“錬成”によってベヒモスを橋に埋め、抑え込んでいるのを遠目で見て零れた声に、メルド団長が短い説明と共に、新しい指示を飛ばす。
「そうだ! 坊主がたった一人であの化け物を抑えているから撤退できたんだ! 前衛組! ソルジャーどもを寄せ付けるな! 後衛組は遠距離魔法準備! もうすぐ坊主の魔力が尽きる。アイツが離脱したら一斉攻撃で、あの化け物を足止めしろ!」
(……くそ、かっこよすぎんだろ。無茶ばっか、しやがって)
メルド団長の言葉に、更に深く“瞑想”を維持する為、意識を集中させていく。
突如、空間に爆音が轟く。
タイミングを見計らい、撤退すべく駆けだしたハジメを追うべく、ベヒモスがその拘束を橋ごと破壊したのだ。同時に激怒の咆哮を二度上げ、その態勢を僅かに低くして突進の構えを見せる。
その間に、階段付近ではハジメの撤退を助ける為の一斉攻撃の手筈が整えられていた。倬も、回復した魔力量は微々たるものだったが、せめてハジメに身体強化くらいかけようと、杖を使って立ち上がる。
その倬の開いた目に、数多の魔法が雨あられの如くベヒモスめがけて降り注いでいく光景が飛び込んでくる。その中の一つ、初級魔法の“火球”である赤い熱の塊に、倬は胸騒ぎを覚えた。
“祈祷師”の天職であると知ってからと言うもの、倬は召喚された誰よりも魔法に対して真剣に調べ、実験してきた。それ故に、その“火球”が描く放物線の不自然さを感じ取ったのだ。
単純にベヒモスめがけて当てるだけなら、あの巨体だ、わざわざ操作性を持たせる必要などない。
ハジメに当ててしまわないためにも、この場合は緩やかな放物線を描く直進の指定だけでいいはずだ。にもかかわらず、その“火球”の軌道は、わざとらしい程に物理法則に則った放物線を描いている。
その下では、万が一にも飛んでくる魔法に当たってしまわないように、体を低くして全力で駆け抜けるハジメがいる。次々に打ち込まれる極彩色の魔法たちによって、思う様に進めないでいるベヒモスとの距離を、三十メートル以上離すことに成功していた。
そう、ベヒモスとハジメまでの距離は三十メートル以上、離れているのだ。ベヒモスを標的に放たれた“火球”が、ハジメの手前でその速度を一瞬でも落とす理由など何一つ無い。
しかし、その“火球”は、ほんの少しの軌道修正の後、咄嗟に足を止めるハジメの目の前に落下し、炸裂してしまう。もしも、ハジメが魔法の軌道が変わったのに気付かず走り続けていれば、直撃していただろう。なんとか直撃こそ免れたものの、爆発の衝撃はハジメをベヒモスの方へと吹き飛ばす程の威力があった。
吹き飛ばされ、平衡感覚を失ったハジメが身体をふらつかせながら立ち上がる。
そのハジメを仕留めんと、ギラリと目を光らせるベヒモスが、その身体に降り続ける魔法を無視して、咆哮と共に頭部の角を熱し、赤く輝かせる。
その頭を振りかざしたまま、その場を無理やりに飛び退くハジメの足元に、飛びかかる様にして激突した。
強烈な衝撃が、石橋全体を波打たせるようにして広がっていく。
激突の中心から全方向に亀裂が走り、遂に橋は、崩壊を始める。
足場を求めて足掻くベヒモスだが、その巨体を支える強度は石橋の何処にも残っていない。どうにか引っ掛けた前足も、ただ、橋の崩壊を速めるだけに終わる。ベヒモスはその悲鳴ごと呑み込まれるかの如く、奈落へ真っ逆さまだ。
次から次へと、崩れていく足場の端に、ハジメが這いつくばってしがみついているのが見える。
倬の耳に、泣き叫び、飛び出そうとする香織の声、それを必死に羽交い絞めにしながら、押しとどめるようと張り上げる雫と光輝の声が入り込む。
倬の目に、ハジメの、絶望を宿した虚ろな目が映り込む。
倬の口が、その震えを抑えることができないまま、無理やりに詠唱を終える。
落下していくハジメを追いかける倬の魔法。
その魔法に、一体、どれほどの価値があるというのだろう。
倬の頭に、この光景が、この後悔が、刻み込まれる。
未だに騒音鳴りやまない忌まわしきこの場所で、撤退の命令を告げるメルド団長の声が、倬を包むカビ臭い埃まみれの、嫌にひんやりとした空気を、虚しく震わせるのだった。
霜中倬は奈落に落ちません。
大変申し訳ありません! 原作主人公、南雲ハジメ君とまともに本作主人公が会話できるのは、四十話以降かなと……。
気長に付き合って下さると大変ありがたく思います。