魔界戦記ディスガイア~魔界の王子とプリニー教育係~ 作:あららどろ
「く、くそっ……何て危ない奴だ……」
フロンにヒールで治してもらったものの、エミーゼルの肩は今だに鈍い痛みが続いていた。
前を行くエトナは、悪びた様子もない。最も、それが悪魔らしい態度なのだが。
だが考えてみれば、こういった経験は初めてかもしれない。
大統領という息子という立場故か。過ちでも自分を少しでも傷つけた悪魔は跪き、許しを請い、命乞いをした。そしてそんな奴らを、大統領の息子という権力のもとでいたぶり、処刑してきた。
そんなエミーゼルを恐れ、周りの悪魔どもはみんな自分に跪いていた。だから、自分はそういう立場にいるのだと思い込んでいたのかもしれない。
だけど、考えてみれば、自分の取り巻きはエミーゼルの暴の前に膝をついたのではなく、父の力を恐れただけなのだ。あのプリニーの言う通り、自分は暴力が支配する魔界において、真の意味で一度も暴力に晒されたことがなかったのかもしれない。
これまでの人生の中で、1度でも自分の力だけで相手を跪かせたことがあっただろうか。無いと断言できる。自分の力だと思っていたのは、父親の力と、父がくれた取り巻きたちだ。
「ヒールをかけてもらったんだろう。ぐずぐずするな」
ラハールが、遅れているエミーゼルに向かって苛立った声で言った。
「わかったよ……」
このプリニーの親は魔王だったらしい。そういう点ではエミーゼルと似ている。
ラハールは自分勝手で、無駄に偉そうで、面倒くさい奴だ。でももしかしたら、客観的に見たら自分もそうなのかもしれない。
違うのは、あの魔王がその態度に見合った――この暴力が支配する魔界で、そのわがままを貫き通せるだけの力を持っているということだ。
「エミーゼルさん、大丈夫デスか? まだ痛むんデスか?」
デスコに言われて、自分の目に涙が浮かんでいることに気が付いたエミーゼルは、慌てて袖で涙をぬぐった。
「ち、違う! これは眼に砂が入っただけだ!」
「そうデスか! 確かに、ここはちょっと砂っぽいデス……デスコも、服の中砂まみれデス」
「お前のそれ……服なのか?」
「はい! 頑張れば脱げるデス!」
「頑張るって……それ本当に服なのか……?」
「む。とまれ」
先頭を歩いていたヴァルバトーゼの合図で、全員が歩を止める。
前方には、メガネをかけた鋭い目の女性型悪魔がいた。
「ここまで侵入を許すとは……セキュリティの見直しが必要ですね」
メガネのブリッジを指で押し上げて、悪魔は言った。感情を感じさせない、冷徹な声色だった。
「お前がここの局長か」
「いかにも。どのようなご用件でしょうか?」
「情報局は俺たちが制圧した。只今を以て、情報局は俺たちの支配下となる」
「愚かな……」
局長は口角をほんの少しだけあげて、小さくため息をついた。そして、愚か者を憐れむような瞳でヴァルバトーゼらを見る。降伏するつもりはなさそうだ。
「従うならよし。従わぬなら、力づくで服従させるまでだ!」
ヴァルバトーゼが強い声色で言う。
もはやいつ戦いが始まってもおかしくない。そんな緊張した場で、エミーゼルが一歩前に出た。
「おや? あなたは……」
局長はエミーゼルを見て、僅かに呟いた。その言葉を聞いて、エミーゼルの胸の奥に冷たいものが走った。
これ以上聞くのが怖かった。信じていたものから見捨てられたという事実を認めたくなかった。
だが、その恐怖を乗り越えてでもはっきりさせておきたかった。
「局長。オレ様の顔に見覚えはないか」
局長は何も言わなかった。ただ、意味ありげにメガネに触れただけだった。
「何も言わないのか……」
エミーゼルは嘲笑するように言った。頬を水がつたったが、もはやぬぐうことも隠すこともしなかった。
「ボクが死んだというのは誤報なのか? それとも……」
「エミーゼル様が死んだという情報を流したのは政腐の命令によるものです」
局長は淡々と言った。その顔からは相変わらず感情が読み取れない。
「ふ、ふふふ……そうさ。わかりきっていたさ……でも、それでもボクは信じたくなかったんだ……」
全てを失った。今この瞬間――自分が生きている意味を見失った。
エミーゼルはその場に崩れ落ち、愚かな自分への嘲笑を込めて笑った。
「死んだ人間がウロチョロしていては情報局として示しがつきません。情報を真実にするために、エミーゼル様……覚悟はよろしいですか?」
局長が懐から銃を取り出し、銃口をエミーゼルへ向ける。それを合図に、どこからともなく無数の忍者が姿を現した。
「どうした。小僧。父親に見捨てられた程度で諦めるのか?」
エミーゼルを庇うように、ヴァルバトーゼが前に出た。
「だって……だってボクは……父上にとって役立たずだったんだ……」
「お前の存在は大統領の息子という立場がなければ成立しないような脆きものなのか?」
「でも……」
「なら死ぬか? 父に見捨てられただけで、お前も自分を見限るか?」
「嫌だよ……! そんなの、嫌だよ……でも……」
ボクは1人じゃ何もできないんだ。
エミーゼルは声にならない声でそう言った。
涙が止まらなかった。
ただ悲しかった。
もう何も考えたくない。
「死にたくないのならば戦え!!」
泣き続けるエミーゼルの胸ぐらを掴んで無理やり立ち上がらせ、ヴァルバトーゼが叫んだ。その顔は真剣そのものだった。
ヴァルバトーゼの叱咤の意味がわからず、エミーゼルは頭の中が真っ白になった。
普通、悪魔は他の悪魔を叱ることもなければ励ますこともない。悪魔にとって大切なものは自分だけであり、他者は利用するためだけの道具にすぎないからだ。
父親でもなければ、父に命じられた教師でもないというのに、自分を叱るこの男がわからなかった。
「そして自分を見限った父親を見返してやれ!! 自分を見限ったことを後悔させてやれ!!」
でも、この男の言うことを聞いていると、胸の奥から何か熱いものが湧き上がってくる。
この感覚が何かはわからないけれども、この熱いものにすがればもう1度立ち上がれる気がした。
「おい、エミーゼル。俺様は最高の魔王になる」
ヴァルバトーゼと並ぶように、ラハールがエミーゼルの前に立った。
「聞いたところによると、俺様の親父は立派な魔王だったらしい。だがな、俺様はそれよりももっともっと、何百倍も何万倍も立派な魔王になってやる」
ラハールは虚空から魔王剣を取り出して構えた。
それを背後から見ていたエトナが、嬉しそうにほほ笑んだことは、その場にいる誰も気づかなかった。
「お前はどうしたい。父親の影にずっと隠れていたいのか?」
「違う!!」
エミーゼルは叫んだ。
「ボクは……ボクはちっぽけな悪魔だ。自分ひとりじゃ何もできないダメな死神さ。お前たちに何度も負けて、ようやく気付いたよ……」
「でも、だからこそ、ボクはボクの力で周りを認めさせたい」
エミーゼルは、その目に浮かんだ涙をぬぐった。
「局長。ボクが死んだって誤報は取り消さなくていい」
「ほう……?」
局長は、興味深いものを見るようにメガネを押し上げた。エミーゼルは、そんな局長をにらみつけ、精一杯叫んだ。その目には迷いも、怯えもない。
「訂正なんて必要ない! ボクはボクだけの力で、父上に認めさせてやる! 嫌でも魔界全土にボクの生存が広まるくらいの――父上を超えるくらいすごい死神になってやる!!」
エミーゼルが大鎌を抜き放つ。その刃が残した軌跡が、蒼い炎となって燃え上がった。その炎は、彼の決意を示すように強さを増していく。
「ごめんなさい。父上……ボクは今からあなたを裏切ります」