このページに飛んでこの前書きを読んでいただいているということはアナタはこの拙作を読んでやろうという心の広いお方ですね、どうもありがとうございます!
楽しんでいただけるようこれからも頑張っていきますのでどうぞお手柔らかにお願いします。
なんといいますか警告タグのR15をこの作品につけるのはそれだけで犯罪臭がしますね。なんといっても相手にするのは小学生ですから。
一応タグは保険ですのでそれほど深く考えないでください。
俺の親父はしょっちゅう外国に出張していて、出張先はアメリカであることが多かった。
俺が小学生になりたての時、親父が家に一人のアメリカ人を連れてきた。
黒人で少し大きなガタイをしていて、初めは怖かったが、すごく柔らかく微笑んでくれて一気にその怖さは無くなった。
彼の名前はシャキール・オニール。親父がシャックと呼んでいたので俺もそれにならってシャックと呼んでいた。
日曜日にシャックに誘われて近くの公園に行った。
シャックはまだそんなに日本語に慣れていなかったから、親父に英語で説明したら、親父がめちゃくちゃうれしそうに
「それなら近所に公園にあるな。真、シャックがお前にいいもん見せてくれるらしいぞ」
そう言ったのだ。
向かった先の公園は、ジャングルやブランコ、鉄棒などの遊具が多少あるくらいの何の変哲もない公園だ。
だが、その公園にはあるものがあった。
バスケットゴール。
かなり後の方になってから、シャックが実はアメリカのNBAというプロの最前線で戦っている超有名選手であることと、親父が大のバスケファンであったことを知ったが、当然その時の俺はそんなことは知らない。
公園でシャックが華麗に決めていく技の数々に目を奪われた。
ボールと一体になっているかのような滑らかな動きから、背中から戦車の砲弾のようにボールを放ってゴールを決めたり、すごいスピードでゴールにドリブルで切り込んでいったり、どの動きにも躍動感があり、迫力があった。
特に、最後に跳躍からリングが取れてしまうのではないかと思うような勢いで放たれたダンクシュートはその轟音と共に頭からしばらくの間まったく離れなかった。
その時からもう、俺はバスケのとりこになっていた。
バスケ教室に通って、バスケを知り、そのとき同時にシャックのすごさも本当の意味で知った。
シャックに憧れて始めたはいいが初めは、ひたすらハンドリングやパス、ボールつきといった基礎練習ばかりで、シャックのやっていたような俺の憧れるバスケとは程遠いものだった。
始めて、一か月ほどたってだんだんシャックのインパクトも冷め、教室を止めようと思った時、タイミングよくシャックがまた家に来た。
その時には、少しシャックも日本語が上達していて、シャックに早くうまくなりたいから、技を教えてくれるように頼んだ。
そしたら、シャックは俺とパス練習をしようと言い出した。
シャックのパスはカッコよかった。
自分のパスがいかに未熟かを知った。
さらにシャックは、シュートを打った時のように背中からボールを投げて俺にパスしたり、様々な形で俺にパスを出してくれた。
「どうだい?パスも結構かっこいいだろ?」
その日以来、俺のバスケ教室の練習の景色が変わった。
ただのつまらなかったパス練習が、次はどういう風にパスを出してみようか、とわくわくし、それまでとはまるで反対の感情を抱いて練習に取り組んだ。
それから俺は中学に進学し、体も徐々に出来上がっていき、今までと変わらずどこまでも楽しんでいつまでもバスケをしていた俺はどんどんとバスケが上達していった。
それと同時に俺は周りとの差を次第に感じ始めた。
そりゃそうかもしれない。だって俺が憧れて目指したプレイはアメリカのトッププロのプレーで、そのうえ俺は直接その技を見せてもらって、小学生の低学年からずっとバスケをやっているのだ。
明らかに俺のプレーは浮いていた。
少なくとも中学のクラブにおいて、俺は完全にのけ者だった。
バスケを遊び程度でやっている友達にはかっこいいともてはやされたが、クラブでは先輩なんかは先輩としてのプライドがあったりするのか俺のプレーは気に障ったらしい。
そんな時に、親父がアメリカ留学の話を俺に持ち出した。
少し迷ったが、俺はその話にのってアメリカに行った。
アメリカに行ってからの俺のバスケ生活は充実以外の言葉では表せなかった。
アメリカは日本と違い非常にバスケが発達している。
自分の見ていた世界の狭さをそのとき俺は知った。
アメリカでの俺のバスケの実力は中の下程度だった。
日本で天狗になっていた俺の鼻っ柱はきれいにへし折られた。
とんでもない動きをする奴らがごろごろ同じ年の奴の中にいた。
下の学年にさえ足元にも及ばないやつもいた。
だが、俺は意外と歓迎された。
こんなにボコボコにされても、それでも。
日本人の割にはやるな、と。
だがそんな認められ方はまったくもってうれしくなかった。
同じ人間のくせして、何様だよ、と思った。
お前らなんかに俺は負けない!
強く心にそう思った。
だが、上から目線なのは仕方ないほどにあいつらは強かった。
動きの切れや規格外な動きなのはもちろんのこと、そのうえ、よく相手の動きも見ていて決してセンスだけではやっていない。しっかり頭を自然とつかっている。
初めは手も足も出なかった。
だが、だんだん目が相手の動きに慣れて、自分でも動ける余裕が出てくるようになってから、実力の構図がだんだん変わりだした。
いつしか、俺はみんなのライバルになっていた。
上の学年の奴らもどんどん俺に勝負を挑んできた。
その時すでに日本人なんて単語は俺の前から姿を消した。
親父の訃報が入ったのはそんなときだった。
不運にも飛行機事故にあったのだ。
急きょ俺は日本に帰国することになった。
親父が死んだことでアメリカに留学していられるような資金余裕はもううちにはない。
中学卒業というちょうどいい区切りだったのでそれも手伝ってアメリカ留学はそこで終了となった。
このことによって母は、これからの生活費を稼ぐために働かなければならなくなったが
幸いなことに親父はなかなか優秀な人間だったようでうちにも多少財産が残っていたので俺も日本で高校に行くくらいはできた。
俺の行くことになった高校は
―――七芝高校だった。
ロリコン集団―――
これが七芝高校バスケ部の代名詞だった。
聞いたところによれば
バスケ部の部長が顧問の娘(小学生)と恋仲となっていろいろとやらかしたらしい。聞いた話はあまりにも尾ひれがつきすぎていてもうすでに真実は俺にはわからないが。
俺も、もともとは、部活に入って全国を目指すつもりだった。
どうやら、俺はアメリカに行っていたせいで忘れていたらしい。
七芝のバスケ部がまだロリコン集団ではなく普通の部活として活動をしていた時、要するに俺が入学したての時だが、一度仮入部として俺はこの部活の見学に行った。
急に世界が減速したように感じた。
自分だけが違う世界にいた。
そして中学のことを思い出した。
あぁ、そうだった。
ここに俺の居場所はないんだ……。
先輩の一人が部活の練習に参加してみるか?と聞いてくれたが俺はそれを丁寧に断って家に帰った。
帰り道、俺が味わったのは
絶望と失望。
日本に帰ってから、俺は人とバスケをしていなかった。
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※ここから先はつまらない愚痴になりますのでどうぞ興味のない方はお飛ばしください。
私はもともと麻雀マンガ―咲―の二次創作をやっているのですが、最近どうもスランプ気味でうまく書けません。
スランプというより勢いがなくなるまったく書けなくなるどうしようもない性格でして。何度か書こうとしましたが1000文字くらいでいつも挫折。
おかげで現在はストップ中。
多分、アニメの二期がやりだしたら勢いは回復するんだろうと思いますけど。
それで、ダラダラとスラムダンクを読んでいたら、天からアイデアが降ってきまして、別の小説のアイデアを考えているうちに、咲の方の話でもやりたい話、というのが降ってくるんじゃないか?なんていう調子のいいことを考えて今回の話を作ることに決めました。
咲の方を読んでいただいていた方ならわかると思いますが相変わらずの主人公最強ものです。
書くからには手抜きは致しません!
これからもよろしくお願いします