「父さん!」
幼い少年の声が耳に飛び込んできたことで、書類整理に勤しんでいたクロトは仕方なそうに手を止めた。
「またお前か。さっき今は忙しいと言ったばかりだろう?」
だが、エムは父親の遠回しな牽制に怯むことなく、社長用デスクの前まで近づいていった。
「父さん!さっきのゲンムは父さんなんでしょう!?なんであんな……」
「馬鹿な冗談はよせ。そんなわけが……」
すぐに否定しようとしていたクロトだったが、エムの瞳を目の当たりにして口を止めた。まっすぐ自分を射抜く眼差しはまるで水晶のような輝きを放っている。クロトは直感的に悟った。完全に気づいてしまった息子を騙すことは不可能だと。
「そうか。お前にゲームのテクニックを教えてきたのは私だったな。まさか動きだけで気づかれるとは」
思わぬ形で息子の成長を感じ取ることになったクロトは額に手を当てながら考え込む。いずれは知ることだったとはいえ、果たして今ここで秘密を話してしまって良いのかと。頭の中でシミュレーションを繰り返して考え抜いた挙句、やがて腹を括って息子の願いに応えることを決めた。
「エム、私は……」
しかし、そんな親子の真剣な対話に水を差す者がいた。
「やあ、クロトさん!」
その声を耳にした途端に、クロトは片眉を吊り上げて深いため息を漏らす。どことなく、嫌な奴が来たといった様子である。
「今日はずいぶんと客が多いな」
こうして愚痴を漏らしている間にも、声の主がフローリングの床をカツンカツンと鳴らしながら近づいてくる。クロトは仕方ないとエムに目配せする。
「……エム、少しの間下がっていなさい」
父に言われた通りに出口に向かうエムと途中すれ違う瞬間、声の主である男はにっこり笑いながら手のひらをエムにかざした。エムは男の異様な雰囲気を感じ取ったのか、恐る恐る会釈しつつもそそくさと社長室を後にしていく。
退室するエムをニヤニヤしながら見送ったその男は、張り付いたような笑顔を維持したままクロトの方に向き直った。
「ご機嫌麗しゅうございます!クロトさーん!」
年齢はクロトと大差無いほどだろうか。だが、存在感抜群な濃い顔立ちと日本人離れした長身は彼の年齢の推測を困難にさせていた。おまけに立ち振る舞いもずいぶんな幼稚さを感じさせる。少年の無邪気さと大人としての完成度の両方を無理矢理詰めたかのような奇妙な男だ。
そして、やたら漂白された白一色の上下スーツと相まって、常に愛想笑いを浮かべているにも関わらず近づきがたい危険な雰囲気を醸し出していた。
クロトはそんな奇妙な客人に対しても、いつも通りの平静を保とうと努めている。
「ご無沙汰しております。もうしわけない。あの子は少々人見知りが激しくて……」
「いえいえ、こちらこそ。ちょっと怖がらせてしまったみたいですねー。すいませーん」
男は妙に甲高い声で本気かわからない謝罪をしながらおどけている。しかも、張り付いたような笑顔は保ったまま。仮にも名だたる大企業のトップを前にしているはずなのだが、横柄な態度を貫き通した士とは別のベクトルで肝の座った男である。
「あの子が貴方の息子さんですか?確か……エム君でしたっけ?クロトさんそっくりだからすぐわかりましたよ!いやー、可愛いらしいですねえ。私もあれくらいの年頃には近所のお姉さん達から、それはもう天使のようだと愛されてまして……」
「もうしわけございません。実は今後の予定も立て込んでいまして。出来れば御用件は早めに申し付けては頂けないでしょうか?」
男への苦手意識がつい漏れ出てしまったのか、回想に耽っている男の過去話をクロトは急ぎ気味に遮った。
「おっと、失礼。ついつい昔話に花を咲かせてしまいましたねえ。いやー、失敬失敬!」
何処からか扇子を取り出して、ポンと自身の頭をポンと叩いた。さらに開いた扇子でパタパタと扇ぎ始める。何処までもふざけた調子の男だ。その様はトリックスターの代名詞である道化師を彷彿させた。
「それで、今日は何の御用でしょうか?例の計画は私に全て一任するというお話だったはずですが?」
クロトの少々素っ気ない対応にも男は特に機嫌を損ねた様子もなく、相変わらずの不気味な笑顔を浮かべたまま、ゆっくりとクロトへと歩み寄っていく。
「まあ、そのはずだったんですけど、今回はちょっと野暮用で。いやー、しかし仮面ライダークロニクルの普及とデータ収集は上手くいっているようですねえ」
クロトは一瞬拍子抜けしたような顔をするものの、なんだそんなことかと気持ちを切り替えていつもの営業スマイルを作る。敏腕経営者の彼にとって、この手のプレゼンテーションはお手の物だ。
「おかげさまで、うちの業績はますますウナギ登り。おまけに株価も過去最高を記録しています。この調子ならば計画実行の暁には予定以上の成果をご用意出来るかと……」
「うんうん、大変結構!さすがは天才ゲームクリエイター芸間クロト率いる幻夢コーポレーションさん!技術を提供をした我々としても実に鼻が高いというものです!」
うんうんと頷く男だったが、人差し指を立てて残念そうに天井を見つめだす。舞台役者顔負けの仰々しさだ。
「しかーし!いつの世もどんなに綿密に準備した計画でも、必ず邪魔しようとする目障りな存在が発生するのもまた常」
やたらともったいぶっているが、いったい何の話がしたいのか?そんな疑念を抱き始めているらしきクロトに、男はそっと耳打ちする。
「……聞いてますよ。プロトガシャットが盗まれたって。それもディケイドの仲間にね」
ディケイドの名を耳にすると同時に、クロトの表情は険しくなった。プロトガシャットの盗難事件は表沙汰にしないように内々に処理した。そのためにクロト自らゲンムとしてプロトガシャット奪還に赴き、現場の人物達にも徹底した漏洩対策を敷いたのだ。ゆえに社外の人物に知られるわけがない。
「どうしてそれを!」
「はっはっは!私に隠し事なんて不可能ですよー!まあ、正直言って盗まれたこと自体は別にどうでもいいのです。ちゃんと奪い返してくれましたし、クロトさんは同じ轍を踏むような方ではないと信じていますからねえ私は。それよりも……ディケイド!そう、ディケイドです!」
慌てふためくクロトを楽しそうに見つめながら、男は社長室内を行ったり来たりし始めた。
「やれやれ。まったく、目ざとい男だ。あいつの側にはディエンドとクウガもいる。計画を嗅ぎつけて、すぐにでも邪魔を仕掛けてくるでしょうねえ。このままではせっかくの計画が水の泡だ。そうなる前にディケイドを始末しなければ」
「……ふっ」
焦点のあっていない目でしばし取り乱していたクロトだったが、ようやくいつもの余裕を取り戻す。
「ならば、私がディケイドを排除しましょう。先程奴と相まみえましたが、なあに大したことはありませんでしたよ。貴方がたはずいぶんと奴を危険視しているようだが、正直過大評価では?」
クロトは敏腕経営者らしく自信満々に対応策を口にする。だが、男は何故かキシシと歯を立てて不気味な笑い声を漏らす。
「おっと、その判断は些か早計というものですよ。ディケイドを侮ってはならない。あらゆる世界を渡り歩き、ショッカーを始めとする悪の組織をいくつも打倒してきたその力は伊達ではありません。よっこらしょっと」
そう言って男は社長用デスクの上に腰掛けた。今日だけでも2度も客人の尻を乗せられるはめになったデスクはギシギシと悲しみに満ちたきしみ音を立てた。
「それにクロトさんとゲンムは計画の要。貴方の力を疑うわけではないが、正面からぶつかり合えば互いに無事では済まないでしょう。そうなっては元も子もない」
男の話を聞いてクロトは低く唸る。男の言っていることにも一理あると考えているようだ。実際、彼は奇襲を仕掛けてディエンドからプロトガシャットを奪い返しただけ。まだまだディケイド達の実力を全て把握しているわけではない。極秘裏に進めてきた計画遂行のためにも、リスクは少しでも避けるに越したことはない。
「では、どうすれば?あいにく私はゲンム以外の戦力を有してはいないのですが」
脳内で素早くリスクを計っていたクロトの疑問に対し、男は楽しそうにパチンと指を鳴らして返す。
「簡単なことです。いかに強大な力を持つ世界の破壊者と言えど、奴も所詮は血の通った人間。情にほだされて簡単に泣き所を晒すことでしょう。いや、なんでも?この世界でとある少年と交流を図っているそうじゃあーりませんかー?」
「門矢士……あの男が本当にディケイドなら確かにそうですが……」
この男の言う通り、ディケイドこと門矢士は今この世界で1人の少年と関わりを持っている。クロトの息子であるエムだ。
「いやはや、貴方の息子さんはまだ幼ないながら実に素晴らしい才能の持ち主だ。いずれは随一の戦士へと成長するかもしれませんね。いや、もう既にその域に達していると言っても過言ではないかもしれない」
なにやらきな臭い話の流れにクロトは眉をひそめる。一方、男は目を細め、口角を吊り上げてますます不気味な印象を与える薄ら笑みを浮かべていた。
「そう、ディケイドを倒せるくらいに!」
男の意図を理解したクロトは血相を変えながら、男へと詰め寄った。椅子が転げ回るのも気にも留めない。
「息子に……エムにディケイドを始末させろと!?」
怒り混じりの形相で食ってかかられても、男は全く気にしていないかのようにゲラゲラと下品な笑いを始めた。
「あーあー、誤解の無きよう。別になにも奴を殺すよう命じろと言っているわけではありません。そこまで惨い真似をあんな幼い少年に強いるのは酷ですからねえ。あくまで計画遂行のための時間稼ぎをしてくれとお願いしているだけです」
今にも掴み掛かりそうな勢いで男へと迫って行くクロト。普段の冷静さは完全に消え去り、その瞳は修羅のように血走ってしまっていた。
「ああ、そうだ!計画決行も明日に変更しましょう!いつディケイドの邪魔が入るかわかったものではありませんからねえ。善は急げです」
「馬鹿な!幾ら何でも急過ぎる!」
「ディケイドのせいで計画が全て水の泡になるよりはマシでしょう」
そう言われてしまえば、どうしようもない。なにせクロトがこの男に従い続けて準備を続けてきた計画は、完全に人としての倫理を踏み外した行為である。もし露呈すれば、ディケイドどころか世間が幻夢コーポレーションとクロトを徹底的に糾弾するだろう。そうなれば、全てが一巻の終わりだ。
「良いですか?貴方に選択肢なんて鼻から無いんですよー。『我々』が提供するガイアメモリとロックシードの技術が欠けていては貴方の目的は果たされない。それでも構わないのですかー?」
しばし焦点の合わない瞳で明後日の方角を睨みつけていたクロトだが、やがて拳を震わせつつもゆっくりと椅子に座りなおし、伏せ目で深いため息を漏らした。
「エム……すまない……」
男はそれを了解と受け取り、これ以上にない程の満面の笑みを浮かべた。
「毎度あり!今度ともご贔屓に!」
「死者を蘇らせる、だと?」
エムの捜索を続けるというユウスケを残して光写真館に戻った士と夏海は、テーブルで向き合う海東が語る幻夢の野望とやらに泡を食っていた。本人曰く、幻夢コーポレーションの機密情報も一緒に奪ったという海東は涼しげな表情で頷く。
「ああ、それが芸間クロトの目的さ」
まるで大したことではないかのような口ぶりではあるが、一般常識から考えたら充分とんでもない、にわかに信じがたい話だ。しかし、士達の知る海東はこんな荒唐無稽な嘘をつくような男ではない。嘘をつくなら、もっとそれらしい内容で本気で騙そうとしてくる。人格面は正気言ってアレだが、最低でもそれくらいの知恵は回る人間なのは間違いからだ。
「こいつはまた……虚を突かれたな」
ポーカーフェイスが基本の士が珍しく動揺している。この世界に来て間もない士にとって、仮面ライダークロニクルは妙な点こそあるものの、あくまでゲームの域を超えた存在ではないつもりだった。
それが死者の復活とは、少々話のスケールの飛躍が唐突すぎる。そもそも、いったいゲームと何の関係があるというのか?
「はい、海東君!これは私の新しいオリジナルブレンド!」
彼らの苦悩を知ってか知らずか、突然流れをぶった切って3人が使っているテーブルの上に夏海の祖父である栄次郎がコーヒーカップを置いた。中はもちろん栄次郎謹製の出来立てコーヒーが並々と注がれており、ふわふわ心地好さそうな湯気を立てている。
時折空気の読めていない行動をとる栄次郎であるが、その好々爺らしい雰囲気の賜物か、不思議とそのお節介を腹立たしいと感じることはない。話の腰を折られたにも関わらず、海東も嬉々としてコーヒーカップのふちを口へと運んでいく。
「ありがとうございます。では、遠慮なく……うーむ、素晴らしい香りだ!少々苦味が強いが、それだけに力強くてスッキリした味わい。うん、最高ですよ」
「あっ!わかるー?いやー、少し豆の配合のバランス変えてみたんだけど、これがまさにベストマッチ!でねえ!ははは!」
海東の感想に満足したらしい栄次郎はニコニコしながら、窓際の鉢に植えた花に水を入れる。だが、窓の外の光景を目にした途端、老齢ですっかり白くなっている眉をしかめて唸り始めた。
「しかし、雨もずいぶん酷くなってきたねえ。これはしばらく止みそうにないなあ」
日が暮れてからポツポツと降り始めていた雨は、今では強風と雷を伴ってますます激しさを増していた。当然、月明かりなど到底見えたりはしない。窓越しからも耳に残る強烈な雨音は士達の中で燻り続ける先行きの見えない不安もあって、彼らの心情を著しくかき乱していく。
「でも、本当に出来るんでしょうか?死んだ人を生き返らせるだなんて……」
夏海は祖父の淹れたコーヒーを口に含みながら、海東から聞かされた真相を反芻して頭を捻っていた。
人はいつか死ぬ。必ず死ぬ。かつて存在消失からの復活を遂げた士であっても、いずれは寿命で永遠の眠りを迎えるだろう。もし、この人としての理を乗り越えることが可能だとしたら、それはもはや神に等しいのではないだろうか。
「もちろん、そっくりそのまま人間として復活させるわけじゃない。けど、君達も見てきたはずだ。超技術や摩訶不思議な力によって、死してなおも異形の存在として新たな生を受けた、あるいは永遠の命を得た奴らを」
だが、そんな人から外れた所業を達成してみせた者達は、海東の言う通りに間違いなく存在した。士と夏海はハッとして記憶の底から蘇らせる。
ある世界にて現れた人類の進化体を名乗る生命体。人としての死からの覚醒によって誕生する、オルフェノクと呼ばれる存在がいた。
ある世界にてあらゆる生物の原点とされる不死生物。文字通り、死という概念を持たない、アンデッドと呼ばれる存在がいた。
また、とある組織はその恐るべき科学力を用いて、常識を超えた強靭な命を生み出していた。
全て彼らが旅の中で見てきた者達だ。そして、海東曰く、このエグゼイドの世界にも人知を超越した驚異的な力が存在するという。その源の名はバグスターウイルス。
「死者の復活を目論んだ芸間クロトは、この世界に突如発生したバグスターウイルスに目を付けた。士、もう君は気づいているだろけど、バグスターは幻夢コーポレーションが表向きに発表しているような投影された映像の類じゃない。実態を伴った正真正銘の生命体だ。体を構築しているのはバグスターウイルスを含んだデータっていう特異性はあるけどね」
また、バグスターウイルスは人の遺伝子情報を保存する特性も有しているのだという。つまり、死んだ人間の遺伝子情報を元に、その人物を外見から記憶まで完璧に再現可能というわけである。
「データ……なるほど。読めてきたぜ。死んだ人間をバグスターとかいう存在にして生き返らせる。そして、そのデータを集めるための仮面ライダークロニクルとガシャットだったってわけか」
ようやく合点がいった士は背もたれに背中を預ける。
「そう。でも、実際の肉体形成にはかなりの量の人間の遺伝子情報を含んだバグスターウイルスが必要らしいんだ。だから、奴はあのゲームを通じて全てのゲームプレイヤー達の体内で培養させたバグスターウイルスを抽出していた。それを利用して死者を蘇らせるつもりなんだろう。もっとも、あの男が何のために誰を生き返らせる気なのかまではわからなかったけど」
バグスターウイルスは発症すれば苦痛の末に消滅するという危険な病原体だと判明しているらしい。最終目的はなんであれ、無数の人を生贄にしようなどとは決して許される行為ではない。
「まあ、僕から言わせてもらえば、バグスターとして再生させた人間なんて、同じ見た目と同じ記憶を持っただけのただのバケモノだよ。オルフェノクやワームと一緒さ」
士と夏海と厳しい視線が海東に突き刺さる。確かに異形の怪人達の中には人を襲う邪悪な者が多く存在する。とはいえ、その全てがそれを良しとしているわけではない。
怪物でありながら人としての心に目覚めてしまった悲しき宿命を背負いながらも、自ら進んで人類と共存の道を選んだ異形の者も確かに存在した。そんな彼らを十把一絡げにバケモノと一方的に切り捨てる海東の考えは、彼らと絆を結んできた士達にとって看過出来ない暴言である。
「おっとごめん。気に障ったかい?そう言えば君達は彼らを人間と同等の存在として扱ってるんだったね。でも、僕と同じ感想を抱く人間は少なくないと思うよ」
海東とて仮面ライダーである以上、彼なりのポリシーがある。一見正義感など皆無な刹那的快楽主義者に見える海東だが、いざ人類の危機が迫れば仮面ライダーとしての責務は果たそうとするだろう。その時、己の正義に従って、人に仇をなす怪人は躊躇いなく排除する。この覚悟に怪人との馴れ合いなど邪魔だというのが彼の中で決められた絶対的なルールであった。
おまけに海東のプライドは想像以上に高い。例え他者に比べて多少の情は抱く士相手であっても、説教した程度ではそうやすやすと自分の考えを変えたりはしないだろう。士達もそんな海東の強情さを理解しているため、叛意を強制したりはしない。
おかげで今の光写真館内は一触即発とまではいかなくとも、剣呑とした空気が漂い始めていた。
「みんな!大変だ」
そんな時だった。びしょ濡れのユウスケがバタバタと大慌てで写真館へと戻ってきた。着ているレインコートは泥水が跳ねて相当に汚くなっている。おかげで写真館内にも飛び散る羽目になっているわけだが、当のユウスケは気にする余裕が全く無い。よっぽど焦っているのが様子から見て取れた。
「大変なんだ!メイドさん達にエムが何処に行ったか聞いてみたんだけど、まだ帰ってきてないし、行き先も知らないって!」
「なに?」
仮面ライダークロニクルの開発者の一人息子が消息を絶った。それだけでも不穏な気配を察せずにいられない。だが、厄介ごとはここに留まらなかった。
「それもエムだけじゃないんだ。お父さんのクロトさんにも連絡付かないらしい。変だと思って幻夢コーポレーションに寄ってみたら、会社でも社長が急に行方不明になって大慌てだった……」
「本当なんですか!?」
よりにもよって黒幕の男の足跡が途絶えてしまったのだ。
「おやおや、先手を打たれたか。大方、僕らに邪魔される前に目的を果たそうって算段だろう」
そこまで言って海東は残っていたコーヒーを一気に飲み干した。
「ごちそうさま。僕からは以上だよ。それじゃあ、またねみんな」
「おい、お前はこれからどうするつもりだ?」
ドアを開けようとする海東に、士は目を合わせずに問い詰める。
彼が今後どう行動するかによって、士が海東と再び出くわした際の対応が変わるだろう。場合によっては、彼との命のやりとりも辞さない必要があると彼は考えている。そう念頭に置いておかないといけない程に、海東は制御しがたいトリックスター気質であった。
「決まってるだろう?僕の目的は
「なにが仲間だ。お前が余計なちょっかいを掛けたせいで、芸間クロトは行方を眩ましたんだろう。おかげで八方塞がりだ」
海東が顎に手を当てて考え込む。そこに関しては彼なりに思うところがあるらしい。
「なるほど……じゃあ、これはそのお詫びだ」
そう言って、海東は踵を返して士達の元に戻り、テーブルの上に懐から取り出した一枚の紙を放り投げた。
「こいつは……」
「僕がゲンムのゲーマドライバーにこっそり仕込んでおいた発信機が示した現在地さ。もしもゲンムの正体が僕の予想通りだったら、そこに芸間クロトは潜伏してるはずだよ。おそらく天才ゲーマー君もね」
「お前は油断も隙もねえ奴だな……」
テーブルの上の地図を手に取った士は、海東の突然な大盤振る舞いに疑惑の視線を投げかける。
「どうして俺達にこれを渡す?」
この地図が何なのかは理解したが、こんな貴重な情報をあっさりと渡してしまう海東の行動がいまいち解せない。それは夏海とユウスケも同じだった。
「だから言っただろ?お詫びだよ、お詫び……と返したところで君達には到底信じてもらえそうにないな」
自業自得とはいえ、自分が全く信用されていないことに軽く悲しみを覚えた海東は肩を竦める。
「なあに、これは取引だよ。きっと奴さんは最大限に僕らを警戒しているだろうからね。いくら僕と言えど、正面突破は骨が折れそうだ。だから、君達が芸間クロトを炙り出したまえ。そして、僕は芸間クロトの隙を突いてもう一度お宝を頂く。ついでに奴の計画はこれで頓挫する。どうだい?お互い利にかなっているだろ?」
海東は自分の頭をツンツンと突く。まるで『頭の良い君ならどうすべきか理解出来るだろう?』と言わんばかりである。士は腕を組んでしばし考え込むと、やがて地図を自分のポケットへとねじ込んだ。
「……なんだか良いように使われてる気もするが、この地図は遠慮なく貰っとくぜ。言っとくが、礼は言わないからな」
決して下手に出ようとしない士の態度にも機嫌を損ねることなく、海東はにっこり笑って扉を開けた。外の雨音が室内に流れ込んでくる。その凄まじさたるや、雨具が無ければ一瞬でびしょ濡れになってしまうことだろう。
さしもの超人ぶりをいつも発揮する海東も、さすがに傘を開いたようだった。
「それじゃあ、みんな。くれぐれも僕の邪魔はしないでくれたまえよ?」
去り際に、海東は指で拳銃を作って士達に向ける。
「BANG!」
カラカラとベルの音を鳴らして海東は写真館から去って行く。普段は陽気なユウスケも今回ばかりは口数が少なくなり、栄次郎もコーヒーカップを洗う作業に没頭している。今の写真館は雨風と雷以外の音は写真館から消失したに等しい。逆に中まで聞こえる程に激しい雨が屋根に打ち付ける音は非常に重々しく、まるで士達にそのままのしかかっているかのようだ。
士は窓の方を見やる。月の光も届かず地上は薄暗い闇が支配する中で、幻夢コーポレーションのビルはロゴが不気味に煌めいて、その存在感を誇示していた。
「父さん、ここは?」
父から見せたいものがあると言われ、エムが連れてこられたのは幻夢コーポレーションの本社ビル地下に造られた研究施設であった。到着早々、その異様ぶりにエムは我が目を疑ってしまう。
不気味な色の謎の薬品や使い道が一切不明なおかしな機械。さらにはカゴに閉じ込められたモルモット達と、怪しげで危険な空気に満ち溢れている。
とてもではないが、ゲーム製作会社に必要な設備とは到底思えなかった。そんな彼の疑念を察したのか、この施設に至るまで沈黙を貫いていたクロトがようやく口を開いた。
「私が秘密裏に用意したラボだ。ここの存在は私とお前以外誰も知らない。幻夢コーポレーションの社員を含めてもな」
つまり実質クロト1人で運用されていた実験施設というわけだ。こんなところで父は一体どんな研究を行っていたのだろうか。今のエムには好奇心と恐怖のせめぎ合いが続いている。
「見ていろ」
クロトは懐から紫色のゲームパッド型の奇妙な機械を取り出した。エムには見覚えがある。ゲンムがチェーンソーのような武器として使用していた装置だ。やはりゲンムの正体は自分の父親だったのだと確信を得つつ、彼が何を行おうとしているのかをエムは固唾を飲んで見守る。
奇妙な機械、ガシャコンバグヴァイザーが起動される。次の瞬間、1つの人影が飛び出した。朧げだったその人影がやがて明確に形作られて女性の姿に変わった時、ショックのあまりにエムは唇をわなわなと震わせる。
「か、母さん……」
見間違えるはずもなかった。その女性は紛れもなく、1年前にエムの前で他界した母親その人だったのだ。
『泣かないで、エム。笑顔のあなたが、お母さん1番大好きよ』
「母さん!」
思わぬ人物の登場に感極まったエムはまっすぐ母親に飛びついていく。だが、エムの母親の体は愛しいはずの息子を通過した。
『泣かないで、エム。笑顔のあなたが、お母さん1番大好きよ』
「そんな……」
母親にエムは目を見開いて唖然としていた。母親は間違いなくそこにいる。エムの視界にしっかり映っている。なのに、何故か触れることが出来ない。おまけに死に際に彼女が口にしていた言葉を延々と繰り返している。この異様な光景に衝撃を受けて立ち尽くすエムに、クロトは静かに説明を始めた。
「それは『今』はただの立体映像だ。あくまでお前の中にある母さんの遺伝子と我々の記憶、そして、これまでプレイヤー達から少しづつ抽出してきたバグスターウイルスを結合させ、『母さんのような物』を一時的に投影しているに過ぎない。今日までの研究はとりあえずここまではやって来れた」
『泣かないで、エム。笑顔のあなたが』
ブツン!
「だが、足りないんだ……」
クロトがガシャコンバグヴァイザーの電源を切ると同時に、女性は霧のように消失する。静けさが帰ってきた実験室で、クロトは力目の前の椅子を引っ張り尽きたかのように座り込んだ。
完璧な経営者と厳格な父親の2つの顔しか他人に見せようとしな彼らしからぬ、憔悴し切った表情で天井を仰ぎ見ている。
こんな疲れ切った顔の父をエムは1度足りとも見た記憶が無かった。
「やはり足りない。本格的に母さんを蘇らせるには、より多くの培養されたバグスターウイルスが必要だ。例えば、仮面ライダークロニクルプレイヤー全てによって培養と増殖が続いてきた膨大な量かつ純度の高いバグスターウイルスが……」
幼いエムにその言葉の全容は理解出来ない。しかし、意味はわからずとも、父が何かとてつもない所業に手を出そうとしていることだけは肌で感じ取っている。
もしかすると、決して許されざる行いなのかもしれない。もしかすると、エムすらも後戻り出来ないくなるかもしれない。しかし、それでもクロトの真剣な表情を見ていたら、エムの中の選択は自然と1つに決まっていてしまったのだった。
「父さん……俺は……僕はどうすればいいんですか!?」
涙を浮かべながら自分の役割を尋ねるエムに、クロトは父親らしく愛情に溢れていた微笑を向けた。
「エム、頼みがあるんだ。私からの願い……聞いてくれるな?」
エムは一切迷うことなく、首を縦に振った。
「当然です!僕は父さんのためだったら!」