「──【影法師】。『ドッペルゲンガー』の名前の方が世間では浸透している。その時々によって『自己像幻視』という超常現象であったり、『離魂病』という病気になったりする、なんともまあ、定義からしてアヤフヤな怪異じゃ。アヤフヤでなくなった時が最期じゃと考えると、そのアヤフヤこそが本質とも言えるかもしれんがな。……まあ、概要としてはそんなところかの」
「ドッペルゲンガーねえ。都市伝説の怪異って聞くと、なんだか今まで遭った怪異よりずいぶん身近に感じるな」
春先のビル風が足を冷やしていく午後8時。
僕は忍と先の出来事について話し合っていた。
平賀から聞いた、あの不可解な話についてだ。
「ちなみに都市伝説ではなく、地方民話において離魂病は『自身が妖怪であることに気づいてない者』のことを指す用語として度々出てくる。
「ふうん。それが病気ってやつか。……ええと、ドッペルゲンガーって他人を巻き込んだメリーさんみたいな話だったよな?もう一人の自分が好き勝手に動いているという話を沢山聞いて、最後にはドッペルゲンガーと出会って終わるって感じの」
都市伝説らしい、雑な余韻を漂わせる終わり方が印象的だ。
丁寧にバッドエンドを描写されても困るが、古典話が持つ筆の払いのような終わり方に比べるとどうもそれが浮き彫りになっている気がする。
筆ペンとマジックペンの違いのような。
人伝いの物語が体をなしている時点でそれはもう一つの怪異現象であるけれど、それはそれ、といったところなのかもしれない。
「微妙に違っており、しかし概ね合っておる」
「適当なことを言った自覚はある」
そうか、と忍は相槌を打つ。
そして「しかし、解せぬ」と、苦々しげに吐き捨てた。
僕はソファの背に体重を乗せて聞き返す。
「解せぬ?」
「お主も聞いておったであろう?あの銀髪娘の話を」
「そりゃあ話していたのは僕だから聞いてはいたよ」
「あの時のお前様は無自覚にミラクルを起こしていた。砂鉄しかとれぬ砂場で砂金を探り当てるような奇跡。端的に言うならば、儂らに対して果てしないほどのアドバンテージをもたらす情報を聞き出していた」
「情報? なんのことだよ」
「儂らが知っておくべき『この世界と儂らの世界の差異』じゃ」
僕の膝の間に挟まって体を揺らす忍。
今の彼女はすこぶる機嫌がいい。
帰り道に見つけたミスタードーナツで好きなだけドーナツを買い与えたお陰だろうか。
自分の金じゃないと思うとつい、財布が緩んでしまった。
僕の夕飯も兼ねているからいいけどさ。
忍はポンデリングを玉の数だけ千切り小さな口に運ぶ。
「これはその情報からの推測じゃが」と前置き、
そして告げた。
「この世界の『怪異』──ここはあやつに倣い『神仏妖怪』と称するならば、その『神仏妖怪』と儂らの世界の『怪異』。この二つは似て非なるモノ、否、完全な別物である可能性がある」
「……『神仏妖怪』ってジャンヌ・ダルクの言っていた、この世界の吸血鬼のことでいいんだよな?」
「うむ。あの魔剣自体もそうじゃな。あの時は流れに乗って軽口を叩いてしまったが、改めて考えると聖剣がたった数世紀の内に魔剣にまで身を落とすとは、考え辛い。否、考えられない。ならば、あの魔剣がそもそも『儂の知っていた聖剣とは違うものだった』と考えた方が合理的と言えよう」
そうなれば、
「ならさ、ジャンヌが意図的に性質を歪めた可能性はないのか。自然に堕ちるまでもなく落とされたってことは」
「──いや、だとしたら余計おかしな話じゃろう。なぜ聖剣という、唯一無二の自己同一性を捨て、たかだか自らの異能に相性のいい剣に仕立て直す必要があるのじゃ」
「……ううん。僕は聖剣の希少価値を知らないけれど、そう聞くと確かにそんなことする意味はないかもしれないな。けどさ。だけどさ、それがどうしたっていうんだ?その『神仏妖怪と怪異の違いが』どうしたっていうんだ?」
一体それのどこが重要な情報だというのだろう。
忍が吸血鬼としてのメリットデメリットを極限まで特化したタイプなら、ジャンヌ・ダルクの話した吸血鬼は汎用性を極めきったタイプ。
本人にすれば大きな違いなのかもしれないが、僕からすればどちらも規格外なことには変わらない。
忍が知っている怪異だろうが、見慣れない神仏妖怪だろうが、人外であることにそう違いはなくて、相違ないはずだ。
ややこしくなってきた話にぐるぐると目を回しそうになる。
くるりを僕を見上げた忍は、そんな僕を見下すように笑った。
「かかか。大いに違っておるわ。寺と社ほどに違う、御門違いじゃ。……良いか? 何度も言うたように、怪異は人間の裏舞台、舞台裏じゃ。その上、あろうがなかろうが事足りてしまう類の【現象】でもある。そしてそれ故に、通常交わることはない幻想でもある」
遭わない限り、か。
「だが恐らく、かの吸血鬼を始めとした神仏妖怪は違う。遭うまでもなく、会えてしまう。おはようと挨拶して、辛苦を共にできてしまう。巷説伝説小説なにもあったものではない。儂らからしたらまるでファンタジーじゃ」
ファンタジー、ね。
いろいろ思うところはあるけれど、少なくともホラーであるよりは幾分マシだ。
つまり『神仏妖怪』は表舞台、あるいはそこに近い場所にいる存在で『怪異』とは性質を全く異にするものだということなのだろう。
少しの疑問は残るが概ね納得した。
「ぶっちゃけ存在が違うのじゃ。性格が違って格が違う。次元が違ってコンテンツが違うのじゃ。儂らを概念・現象と見立てるなら彼奴らは紛れもない物体。剣で突かれて苦しみ、銃で撃たれて死ぬ生物じゃ。根本からして繋がっておらん。系譜を異にしておる」
「その言い分だと、この世界の異形がまるで人間と変わらないと言っているように聞こえるけど良いのか?」
「そう言っておるのだからそう聞こえて当然じゃろう。これに関しては軽薄な小僧もイキって同意すること間違いなし、なのじゃ」
「忍野が……」
わざわざその名を持ち出すということ本当にそうなのかもしれない──って、あれ?
「……ちょっと待て。それならおかしくないか?
──ならなんで、この世界に『怪異』がいるんだ?」
まさか、『神仏妖怪』と『怪異』が混在する世界なのか?
いやいやいや。なんなら超能力が立派な一つの学問として認められている世界だぞ。
ならば、超常は人間と同じ──表舞台に存在していると考えたほうが自然だ。
この世界に『神仏妖怪』と『怪異』の2パターン存在するとは考えにくい。
その方が矛盾がなくて、おかしくない。
ああ、なるほど。
だから──解せぬ、なのか。
ようやく、僕の思考が忍に追いつく。
「勿論、今回の件が『怪異のドッペルゲンガー』ではなく『神仏妖怪のドッペルゲンガー』である可能性は十二分にある。それに重ねて推理すれば、『ドッペルゲンガー』が人為的なもの──例えば極めて精巧な変装じゃったとか──の可能性だってある」
「僕に変装する理由がわからない」
「発明娘のバイトを騙って詐欺を行うためとかはどうじゃ?」
「僕が携帯を持っている限り、その可能性は低い」
「まあ、なんにせよ。儂らがこの世界に来てしまった理由が今回の異変にあるかもしれん。明日からは気をつけたほうが良いじゃろう」
もしも今回起きた怪奇現象が現象のまま解決に向かうなら、そこに帰還への鍵が落ちているに間違いない。
さしあたっては、平賀に事情聴取してみるのが手っ取り早いだろう。
忘れかけていたが、銃の交換もしなければならないし。
銃か……。
少なくない日数を過ごさなければいけない以上、授業を見据えてある程度は打てるようにならなきゃいけないだろう。
百発百中は無理だとしても攻めてその半分。
半人前であれるように頑張ろう。
情けない決意を固める僕を他所に、忍は眠そうに一つ欠伸をすると、
「まあ、犯人は現場に戻ってくるとはよく言ったものじゃが、いくらなんでもこんな学校を舞台にしておいて、昨日今日で戻ってくるなんていうことはないじゃろう」
と最後にぼやくと影へと潜っていった。
ずいぶん急に寝入ったなぁ。と思ったが、特に挨拶をすることもなく僕はそれを見送った。
「……あ、ドーナツ全部食われてる」
そんなオチもついた所で今夜は就寝。
そして、翌日。
起きて、翌朝。
僕は数時間と経たない内に知ることになる。
僕を相手取っていた犯人は随分と手際が良いことを。
そして、すこぶる手癖が悪いことを。
僕相手にその行動力は役不足だろうに。
朝起きたら、僕の携帯がなくなっていた。
『僕の』とは、この世界の僕の方だ。
つまり、平賀あやの顧客情報が入った重要端末が盗み出されてしまった。
不思議なことに忍を起こして確認してみたが『足音はしなかったし、儂とお前様以外の匂いは絶対にしていなかった』と断言された。
自室の鍵はキチンと施錠されていたので、僕が無くしてしまった可能性もある。が、いくら探せど携帯は出てこない。
推理小説でよくあるパターンとして、犯人が部屋のどこかで隠れてやり過ごそうとするというものがあるので、一応床下から天井裏まで探してみたが、何一つとしてめぼしい発見はなかった。
部屋の外では神崎と遠山が怒鳴りあう声がしている。
痴話喧嘩か?
だとしたら、遠山も随分罪深い性癖……好み……傾向……。
ロリコンなんだな。
忍の話を信じれば、遠山は昨日この部屋で寝ていないようなので、携帯について知っていることはないだろう。
半刻あたりかけて、粗方探せそうなところは探し切った僕は、覚悟を決め、甲高い神崎の声が響くリビングへと足を向けた。
躊躇いはあったが、不思議と、喧嘩の中に入ることに嫌悪感は感じなかった。
「おはよう」
多分聞いてないんだろうなあ、と思いつつドアを開けて挨拶をする。
ビュン!と空を切ったような挨拶が返ってきた。
鉛玉。
「こわっ」
思わず戦く。
壁にめり込んだ金属片。
銃口から煙を上げた発砲主はギラギラとした目でこちらを見てる笑った。
「いいところに来たわね、阿良々木暦!その根暗唐変木昼行灯男を
「は?」
「や、やめろ阿良々木!こいつに耳を貸すな!」
「ん?」
「この男は依頼人に手を出す不届き者よ」
「事故だって言ってんだろうがっ!」
なんだ、やっぱり痴話喧嘩じゃないか。犬も食わんな。
ぴょんぴょん跳ねまわる神崎は目の毒だし、目の前で行われる会話は耳に毒だ。
Follow me!と言われても、僕なんかは、彼女が戦場ヶ原ひたぎでないだけ温情に溢れていふれていると思ってしまうので、両者二肩入れをすることがイマイチできない。
仕方がないので、銃はやめてくれと言うに留めてコーヒーをすすることにした。
……あれ?
あれれ?んんん?
むむ?……え?
テーブルに僕の携帯が置かれている。
スピード解決にしたって、早すぎる。
なあんだ、こんな所に書き忘れていたのか。とは流石に考えられない。
見つかった携帯の様子にしたっておかしい。
かけておいた目覚ましは解除されているし、なんだか妙にボロボロだ。
おまけに着信履歴が残っている。
かかってきた時刻は昨晩の10時。
僕がまだ寝てもいなかった時間帯。
気付かないはずがない。
着信元は……!?
何故──から着信がきている?
こんなアドレス、というか──の連絡先なんて持ってなかったはずだ。
念のため、再び携帯に入っている連絡先を確認する。
しかし、
追加も、減りもしない。昨日の携帯の中身そのまんま。
違いはひとつ、この着信だけだ。
……かけ直す?
いや。
「……止めておくか」
「何を辞めるんだ?」
制服をボロボロにしつつテーブルに着席した遠山が不思議そうに聞いてくる。
「武偵」
「まじで?!」
「なんでちょっと、嬉しそうなんだよ」
「い、いやなんでもない……はは」
なんで残念そうに笑うんだよ。
まさか、ルームメイトにまで毛嫌いされているとは。
神崎がこちらを見て眉を潜めているのが目に入った。ちらりと彼女を見返すとわざとらしく慌て、誤魔化すようにコーヒーを口に含み、熱さでヒーヒー言い始めた。
こっちはこっちで分からない。
尤も、分かる気もないのだが。
「そういえば、今日の予定はもう決まってるか?」
僕が聞く。
「特に」
「なっ──!」
しれっと答えた遠山に信じられないといった表情の神崎。
なるほど。
喧嘩はまだ継続中、と。
「そういう阿良々木は何か予定あるのか?」
「そうだな、少し強襲科のことを勉強し直そうと思うんだが、教科書とか参考書とかオススメは何かないか?」
「なに
「とんだ脳筋集団だな……。まあ、僕はインテリ系目指してるから」
「……」
最後の沈黙は神崎のものだ。
何か思案するように顎に手を当てて僕を見ている。
何を勘付かれたのだろうか。
こういう腹の探り合いは苦手だから、下手に突かれる前に逃げるべく「おおっと、時間だ」なんていいながら席を立つことにした。
早い話、遁走だ。
「おおっと──「ちょっと待ちなさい、コヨミ」はい」
無理だった。
麻痺したように浮かせた体が固まった。
「あんた、何か隠してるわね」
「……武偵は秘密を持ってなんぼだ」
「アリア。武偵同士でそれはタブー「知ってるわ」はい」
遠山が謝罪するようにこちらを見る。
僕は気にするな、とジェスチャーをして坐り直す。
神崎に向き直る。
「……コヨミ。あなた一体何を隠してるの?」
「言わなきゃいけないのか?」
「言いなさい」
「なぜ?」
「私達の任務クエストに影響するかもしれないからよ」
「にんむ……ああ、『星伽白雪』に関する依頼か。それなら全く関係ないから安心していい」
「証拠は?脳筋の強襲科でも当たり障りない概要くらいは言えるでしょう?」
「おい、強襲科Sランク」
遠山はぼやくようにツッコミをいれる。普通につっこむには胆力が足りないらしい。
それに対して神崎は「私はオルメスだからいいのよ」と一切悪びれない。
なんだか力関係が見えるな。
「そうだな。神崎はどんなことのどんな内容をどんな風に言って欲しいんだ?」
「ナンセンスな質問ね、コヨミ。そんなこと自分で考えなさい」
「神崎はどんな料理が食いたいかと聞かれてなんでもいいと答えるタイプだな」
「惜しいわね。私の食べたいものを察しろと命じるタイプよ」
思ったより傲慢だった。
アリアは毅然として続ける。
「それにその手の質問は料理を作る方も考えることを止めているじゃない。その点を棚に上げている時点で、その質問は意味をなしていないわ」
「なら、問いかけを変えようか。……僕の事情をどのように推測している?」
「そうね、あなたが今『事情』と口にした時点で、武偵高経由の依頼クエスト関連ではないことは確定したわ。勘も含めた推測を披露するなら、おおよそ『アンタの身に何かが起こって、どうするべきか迷っている』ってとこかしら。……だから、コヨミに尋ねたいことは『コヨミに何が起こったのか?』ってことよ」
「……なるほどね」
「否定しないのね」
「神崎が反応を伺っていたからな」
嘘です。図星だったからです。
目を閉じて思案するふりをする。
(武偵という人種がどういうものなのか少しわかってきた)
神崎が話している途中、彼女を窘めていたはずの遠山が僕を舐めるように捉えていた。その大胆不敵な態度にピンと来る。
よく警官が使う、飴と鞭の応用だ。
鞭が神崎アリアで飴が遠山キンジ。
どうして、なかなか性格の良い奴らじゃないか。
遠山が自分のことをEランクだといっていたが、それでも一般人よりは手馴れているようだった。
『あれあれ?先輩。もしかして、こんなこと考えていませんか?』
『阿良々木くん。あなたが今考えていることはなんとなく想像つくけれど、私は超能力を持っているわけでも特別頭が冴えているわけでもないの。ましてや、なんでもなんて──』
『おねーさんはなんでも知っている』
だがしかし、僕の置かれていた環境はお世辞にも一般的とは言えない。
見透かしたような奴や見透かした奴。
察しが良すぎて未来が見えちゃうのような人種を沢山知っている。
だから、今、ここで、僕が。
『一般的』という、出来損ないな僕が。
何をいうべきなのか。
それはあまりにも、簡単なのことだった。
「秘密」