巻物語   作:さゑら

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002-B

 閑散な道を一人で歩いている途中。たったったっ、と跳ねるようなリズムの軽い音が迫ってきた。

 その音は、初めは、たたた──と短めの間隔だったが近付いてくるに連れ、たったったっ、たっ、たっ、たっ、と音の聞こえる間隔は伸びていった。ドップラー効果的におかしい気がするな、と受験以降すっかり抜け落ち始めた知識ながらにそんなことを考えもしたが、なんてことはない。

 ただ単に、音の主がドップラー効果を覆す位のトップスピードへと移行しているだけだった。

 その音は、地面を蹴る音だった。

 速くなれば接地時間も短くなり、滞空時間が長くなる。この連続音が人の走って近付いてくる音だと考えればなんの問題もない。当たり前の結論への帰結。

 ただ、突っ込むべき箇所があるとするならそれは多分、その音がどれだけ僕に近づこうと何故がその間隔は伸びる一方だということだろう。

 つまり、減速の兆しが全くない。

 音の主はおおよそ予想がつく。

 大方、僕を見かけて駆け寄ってきたといった所だろう。

 できた後輩である。

 

 できればこの出来具合を破茶滅茶な妹達に見習って欲しい所ではあったけれど、前に火憐ちゃんに会わせた時のことを思い出すとどうにも気が進まない。

 と、僕は足を止め、音のする方へ首を向けるのだった。

 

「へいへいへい! 喧嘩してるか? 阿良々木先輩!」

 

 予想通りの声。しかし予想外の動き。

 後ろを振り向きかけた僕の首は彼女の動きにつられ、空を見上げる形となりやがて最後には元居た場所へと戻ってきてしまった。

 

 それはもう──見事なムーンサルトだった。

 

 神原駿河という可愛い後輩の名誉ため、注釈として言わせてもらうと、本来彼女は先輩に向かって『元気してるか?』みたいなノリで喧嘩の有無を聞いてくるようなサイケデリックな後輩ではないし、また、声をかけると同時に先輩の旋毛を見下すが如く飛び越えていくほどアクロバティックな後輩でもない。本当にできた後輩なのだ。

 確かに、かつては出会い頭に襲われたことや飛び越えられたことがあったかもしれないが、それはもう昔の話。彼女の暗黒期、ストーカー時代の話だ。

 悲しいことに、僕よりひたぎと仲睦まじく生活している今の神原は、本人も文学少女を自称するほどに落ち着いた可愛い後輩になっている。

「腐っても本好きだぞ!」とは本人の談。

 ……やっぱこいつ本好きじゃねえわ。

 本好きに謝れ。

 

 しかし、今の第一声は僕の聞き間違いで、本当は本当に『元気してるか?』と言っていた可能性を忘れてはならない。それが先輩に対する正しい口の利きかたなのかはともかくとして。

 煙を上げて着地、制止、ポージングを決めた後輩に若干引きつつも僕は彼女に向き直った。

 知り合いの半数以上が怪異という僕にとって貴重な『人間の少女』である神原へと向き直った。

 

「どうしたんだ、阿良々木先輩?そんな後輩のパンツを目の前にして、食うか食われるかの葛藤に襲われた時のような顔をして?」

「食わねえよ……ていうかお前。お前神原、お前、食われるってお前、もうそれパンツ被ってるだけじゃん! というか後輩のパンツを目の前にして、そんなアブノーマルな選択肢なんて出ねえよ! そもそも後輩のパンツを前にする状況なんてねえよ!」

「おっ、そのツッコミは紛うことなき阿良々木先輩だな。やんごとなき阿良々木先輩だな。──よし、ところで、阿良々木先輩。喧嘩してるか?」

「なにが『よし』なんだ。春休みの月曜日、それも朗らかな日の下でそんなバイオレンスが横行してたまるか」

 

 神原の言う『喧嘩』とはもしかして、僕と誰かの関係に歪みが生じているかどうかの話──例えば僕とひたぎの仲の話──なのかとも思ったが、二人っきりで合格祝いをする程度には仲睦まじい自覚があるし、そもそも神原の発言に深く考えること自体が不毛なことに気付いて虚しくなった。

 なんだか釈然としないため首を傾げた拍子に違和感が目に入る。

 

  違和感の正体はすぐに判明した。

 神原が珍しくロングスカートをはいている。

  え、マジで?

 

 『可愛い』とか『綺麗だ』とか、普段とのギャップに萌える前に、そんな格好で僕の身長を超える跳躍を見せたことへのうっすらとした恐怖を覚えた……が、それにしたって珍しい。度重なるあいつの部屋の掃除の中で、こういった服を数着持っていることは知っていたが(神原曰く、祖母からの贈り物らしい)、まさかこんな形でお披露目されるとは思いもしなかった。

 釈然しない気持ちはどこへやら、彼女のスカート姿に愕然とする僕を他所に神原は数回頷いて頓珍漢なことを語り出す。

 

「うむ、私も阿良々木先輩が喧嘩をしているなんて露ほどにも思っていなかったぞ。実の所、阿良々木先輩のご明察の通り、私は学校へバスケットボールのコーチを頼まれてこれから教えに行くところなのだ。まさかこんな所で会えるとは思っていなかったが、やはり視界に入ったからには挨拶ぐらいするのが後輩としての行事だと思いこうやして参上させてもらった」

 

 いや、ツッコミどころが多すぎる。

 なぜ喧嘩の話を持ち出したのかが結局分からないし(なにが『実のところ』なのか……)、僕は神原の外出目的を一切推察できていなかった。

 色々と買いかぶり過ぎだ……。

 それにいくらバスケットボールをプレイしないとはいえ、コーチングに専念するにしたってロングスカートはないだろう。

 後輩にキレられるぞ。

 一つ一つに突っ込むとキリがないと僕は見切りをつけ、一番気になる(身にはならないだろうが)彼女の身につけているスカートについて聞いてみた。……酷い字面だ。

 

「ふーん、バスケットねぇ。だけど神原。お前の格好はどうみてもお花畑にピクニックに行く前の少女だぜ? そんな格好じゃプレイは勿論、コーチングだってままならないんじゃないのか?」

「いやだなぁ、先輩。こんなお天道さんの見守る中でプレイだとかコーチングだとか……興奮してしまうではないか!」

「興奮してしまわないよ。スポーツの神様に謝れよ。解釈を誤ったことを謝罪しろよ」

「断る。私は何も間違ってない。いや、むしろ本当に間違っているのは阿良々木先輩なのではないだろうか。阿良々木先輩は本来私と同じ意味で用いたのではないか? 何を持って私を間違っていると断定するのだ。何も間違っていないではないか!」

 

 こうも語気を強めて断定されてしまうと僕が悪かったような気がしないでも、ないな。

 なにを言っているんだこいつは。

 なんで逆ギレしたんだよ。

 今回に限っては完全にこいつのミスである。

 むやみやたらに先輩を変態にするんじゃない。

 なんでどうでもいい所で頑ななんだ。

 

「……まぁ、その格好、似合ってるよ。お前の部屋に埃かぶっていたスカートとは思えないぜ。馬子にも衣装なんて言うけど、この場合は馬装にも美女って感じだな」

「やめてくれ、先輩。阿良々木先輩みたいな頭脳明晰才色兼備馬耳東風な人に言われても嫌味にしか聞こえない」

「嫌味を言ったのはお前だよ。一気に自惚れ野郎みたいになっちゃったじゃねえか」

 

 わざとか?

 わざとなのか?

 そんな疑問を他所に、神原は照れたようにスカートをつまみ上げる。

 

「ああいや、これはスカートではない。スカートに見えるワンピースなのだ。それにこれはつい先日買ったものでな、今日初お披露目なんだ」

「へぇ、そうなのか。……もしかして、さては、本当はお前。バスケのコーチとか言っておきながらデートでも行くんじゃないのか?」

「いやいや、阿良々木先輩。確かに私は人よりもレズの気配が強いことは認めるが、なにもそんな可愛い後輩に手を出そうだなんて考えたことはないぞ。私は戦場ヶ原先輩一筋なのだ」

「……別に僕、そのデートの相手が女子だなんて言ってないし、思ってもみなかったよ? それに、そのセリフ。全裸合宿を企画した奴が言っていいセリフでもないしな。あと、戦場ヶ原ひたぎは僕の彼女だ」

 

 とんでもねえことを言いやがるぜ。

 どこができた後輩なんだ。

 

「しかしそうか、似合っているのか。……うん、それは『良かった』。ワザワザこれを選んだ甲斐があった。お褒めの言葉、心から感謝するぞ、阿良々木先輩」

「お、おう。気にすんなよ」

 

 謙遜してみたものの、感謝された気がしない。

 高圧的なわけでもないし、へりくだっているわけでもない。敬ってくれているのだって伝わる。

 だけどなんだか、こう──褒めたことを褒められたような、褒められた人間じゃないのは分かっているんだけど……。

 うーん。

 憎めない。

 安心した表情で自分のスカート、もといワンピースを見下ろす彼女はただの可愛い後輩にしか見えない。

 喋らなければ美人を地で行く後輩だ。

 けど、僕の知ってる後輩だと神原が一番まともなんだよな……。

 常識を疑うなあ。

 

「ところで、阿良々木先輩。昨晩私がセイコヨを妄想してる時に気がついたんだが『エクササイズ』と『戦参(いくささん)ず』ってなんだか語感が似てないか?」

「語感……セイコヨ……? あっ、まさかお前。セイコヨって生死郎×暦のことか?! てめぇよりにもやってなんでその組み合わせなんだよ! というかその語感ネタもToLOVEる13巻のお静ちゃんのボケじゃねえか! あと、お前のその妄想と語感ネタになんの互換性があるんだよ!」

 

 語感の互換ネタ。ツッコミ入れつつも、なんとなく想像できてしまう自分が嫌だった。

 

「私はダークネスよりも無印のお静ちゃんの方が可愛いと思うんだが、先輩はどうだ?」

「あ、ああ。確かにあの頃のお静ちゃんは現代と戦国時代のギャップが上手く描かれていたし、あの無垢な動作の一つ一つが際立っていて……って違う!」

「なんだ、セイコヨの方が語りたかったのか。だが阿良々木先輩。これはしょうがないことでもあるのだ。物語シリーズに私好みの男キャラが阿良々木先輩と生死郎くんと忍野さんの三人しか出てこないから、私には殆ど選択肢がないのだ。ほら、竿役として顔無しのモブを出すのは私的にNGだし……だから、その、すまない」

「いや知らねえよ! お前の主義思想も趣味嗜好もどうでも良いわ! 確かにお前に選択肢はねえよ。ただしそれはあくまでも僕を使ってバラの花を咲かせないという選択肢だけどな!」

 

 そうなると神原には生死郎×メメしか残って居ないわけだが、想像をしようにも想像を絶する気持ち悪さだった。男キャラなんて貝木とかヴァンパイアハンターとか他にも結構いるだろ。

 好みに合わなかったのか?

 貝木なんて珍しくあんなに尽くしたのに!

 ……いや、もうよそう。

 精神衛生上良くない。

 竿役?とか思ったけど絶対突っ込まない。

 

 というか、シリーズって八九寺じゃないんだから。メタキャラは幼女達で十分だ。

 全くもって、可愛くない後輩だ。

 気が抜けない。

 そうこう話していると、どうやら行き先の方向は同じことが判明したので、楽しいお喋りは継続しつつ歩き出す。その間神原はワンピースが歩くたびにひらめくのが気になるのか、一歩一歩足を進めるたびに布の先を見ていた。

 

「やっぱり慣れない服だと不便があるのか?」

「うん、中々どうしてこのスースーした感じが苦手だ」

「へぇ……お前ならその空いた感じがたまらない、くらい言いそうなものなんだけどな」

「私にだって苦手な性感帯くらいある!」

「快感なんじゃん」

 

 そういえば火憐ちゃんもスカートが苦手そうだったな。なんだろう、ボーイッシュな女子は皆スースーが苦手なのだろうか?

 逆にガーリッシュな女子にズボンを履かせてもまたしかり、別ベクトルの可愛さを発現したりするのだろうか。

 そういえば、別に可愛いとか思ったことはないが、月火ちゃんのズボン姿って見たことがないな。

 ……着せてみるか。

 っと、そうじゃない。

 

「神原。苦手なのになんでそんな服着てるんだ? こう言ったら失礼かもしれないけど、やっぱり自分でも違和感を感じるくらいには『らしくない』服装なんだろう?」

「……ふむ、いや、うん」

 

 神原は唸る。

 そして頷く。

 

「そうだな、阿良々木先輩には言っておこう。実はな、この服は花柄なんだ」

「……? それは見れば分かるよ。若竹色の──今はパステルカラーとか言うんだっけ?──に花が散らばってるのはここからでもよく見える」

「そう、だから、花なんだ」

 

 そうか、と僕はここでピンときた。

 普段の鈍感さからすると奇跡にも等しい閃き。

 神原駿河の落ち着いた声と、軽やかな笑顔が脳を刺激した。

 花とはすなわち、沼地蠟花のこと──今年の四月、花の匂いとともに神原の前に現れて、泥沼のように神原と関わり合い、蠟のように溶けていった彼女のことなのだと。

 

「私はまだ、先輩達に置いていかれたにも関わらず一人で直江津高校に残っているし、そのことになんだか複雑な思いはある。だけど、それでもあいつとの1on1で何かから卒業したのも本当なんだ。独り立ちなんて畏れ多いけど、それでも吹っ切れるくらいには立ち直った。だから──」

 

 くしゃり、と伸びた髪の毛を握って神原ははにかんだ。

 

「一緒にバスケをしてやろうと思って、そう思って今日は来たんだ」

 

 あるいは着たのだろう。

 あの女に勝って──と、神原の何かが終わった日の翌日に聞いた話が脳裏をよぎった。

 僕が1年かかって、素人も玄人も専門家も人間も怪異も神様も現世も地獄も、文字通り地の果ての果てまで迷惑をかけきった末に卒業した青春。それを彼女は一足先に卒業したのだ。

 あの羽川でさえ大人しかったこの時期に、既に神原はもう一人前になったのだ。

 それは決して悪いことでも良いことでもなく、なるべくしてなった変化。

『そんなんだから大人にならない』と妹達は言っていたけれど、僕に合わせてもらえれば、『そんなんだから僕はいつまで経っても子供』なのだろう。

 

「ふうん。じゃ、楽しんでこいよ。まだお前の高校生活は一年もあるんだからさ」

 

 ただ、一人前になろうとも僕たちはまだまだ子供。

 大人になるにはまだ早い。

 青春が終わろうとも、成長が終わることはないのだから。

 であるとすれば、僕に言うことはなにもなく、また、彼女もするべきことはただ一つだった。

 

「──ああ!」

 

 人生を謳歌する。

 それはいつだって子供に許された最大の特権なのだから。

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