巻物語   作:さゑら

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021-B

 ある日。

 色々あった、とある日に、臥煙さんと会話を交わした。

 有事の際に必要限で不可欠なやり取りしかしてこなかった僕と臥煙さんなので、当時は『さて、どんなもんで会話をしたもんか』と思わないでもなかったけど、意外にも彼女はファンキーなキャップを触りながらも饒舌に世間話に花を咲かせてくれた。

 

「なんだい、こよみんは存外バカなんだねえ」

 

 なんて軽口をきいてくれるくらいには、心砕いてくれた。

 勿論、第一声からこれであったわけではないし、これは、様々なやり取りがあり僕がレスポンスした後の更なる返しの一言だったけど。

 僕と臥煙さんが初めてあった湖の上で、そよ風が吹く中、会話は成立し続いていたのだ。

 

「そりゃあ、なんでも知ってる臥煙さんに比べたら僕なんて馬鹿かもしれないですけれど」

 

 思わず口をついた言葉だったけど、思わず口に出してしまっただけに僕は、直ぐに反論したことを後悔した。こんな子供みたいな反論しているようじゃ、そりゃあ僕はバカなわけだ、と。

 案の定、臥煙さんは泥まみれで帰宅した息子を見たような目で哄笑していた。

 

「ははは。違うよ、こよみん。私はそんな知識がないだとか知性がないだとか地頭が悪いだとか愚かだとかそんなことを指してバカだと言っているんじゃないんだ」

「僕も自分のことをそこまで馬鹿にしてなかったよ」

「本当かい? ならやっぱり君はバカじゃないか」

 

 なんて、バカであることを再確認したのかバカではないと言い直してくれたのか、いまいち判別のつかない事を臥煙さんは言う。

 彼女の言葉は当たり前のことを言う調子でそれが殊更に辛辣に感じたが、しかし、こうして僕と臥煙さんがベンチに腰を下ろして話す構図は違和感しかなかった。けど、一方で僕は不思議と僕は臥煙さんに親近感にも似た変な慣れを感じていた。そのせいか、僕は馴れ馴れしくも口を開いた。

 凝りもしない言葉で、性懲りも無く。

 

「あの、臥煙さん」

「どうしたんだい、そんなシケた面しちゃって。まるで大人と子供の境目に瀕して人生の岐路に立たされて迷子になりかけた青年のような声色で」

「い、意地が悪い……」

「そりゃそうさ。なんてったって、私は大人だからね」

「大人はそんな知ったかぶりをしませんよ」

「私はなんでも知っているからセーフなのさ」

「なら。分かっているなら、教えて下さいよ」

「……なにを?」

「何をしたら良いのかを、です。今回の騒動で僕は、扇ちゃんを創造し、神様を偽造しました。扇ちゃんは僕の青春の帳尻を合わせようとしてくれたようですが、その実扇ちゃんの存在が僕の記帳をさらにあやふやにしてしまった。──そう、この僕が、僕という帳簿を滲ませたんです」

 

 例えば、忍に血液を提供するように。

 あるいは、羽川が怪異を受け入れたように。

 もしくは、神原が何も願ってはいけないように。

 僕はその責任をどう取るべきなのだろうか。

 どのような辻褄をどのように合わせるべきなのか。

 僕はその答えを持見合わせて、ない。

 

「だから僕は、二人に責任を取らなくちゃいけない……と、思うんです」

 

 曖昧であるからこその怪異。そう言われてしまうと、扇ちゃんと八九寺という元怪異コンビの存在の帳尻を合わせるのはどうなのかと思わなくもない。しかし、それ以上に椅子取りゲームみたいに神を据えてハンカチ落としみたいに扇ちゃんの存在の辻褄を合わせるのは、僕にはどうにも違うように思えて仕方がなかった。

 というか、それを許したせいでの今回の一件だったわけだし。

 

「なーんだ、こよみんは私にそんな事を教えて欲しいのかい?」

「そ、そんなことって」

「そんなことさ。……要はさ、こよみんは私に閉めて欲しいんでしょ、仕舞って欲しいんでしょ? 君の青春を、この一年間を。そしてあわよくば占めてもらってこれからの人生を締めて欲しいんでしょ。『そう決められてしまったから』なんて言いたいんでしょ?」

「違いますよ。それは、全然僕の意志と合ってません。僕はただ、彼女達にどう責任を取ったらいいのかを知りたいだけです。扇ちゃんに時々会いに行って何か行うだとか、八九寺のいる白蛇神社にお参りに行くだとか、そういうことを専門家として貴女に聞きたいんです」

「いいや、それこそ違うね。君にそんな自責主義で他利主義な面があるわけないだろう。

「いいかい? こよみん、君の青春はもう終わっちゃった。人生でたった一度きりで一人きりの時間はもう時間切れしちゃった。

「だけど、どうだい? 君の人生は劇的に変わったかい、それとも何も変わらなかったかい。人生観は逆転したかい、それとも反転したかい。交友関係は一新されたかい、それとも腐れぐずったかい。出会いと別れが訪れたかい。泣いちゃいたくなるようなエモーショナルさに襲われたかい、それとも死にたくなるような怠さに襲われたかい。押入れに引きこもって耳も顔もふせちゃいたくなったかい、それとも顔を上げて耳を澄ましたくなるような清々しさに身をつまされたかい。なんだい、どうだい。君の人生ははじまったのかい。それとも、君の人生はロスタイムに突入したのかい。

「──なぁ、こよみん。君は不安なんだろ? 何も変わらないことが。

「実感がないことが」

 

 僕は臥煙さんの問いになんと答えただろうか。

 臥煙さんの言葉はキツイようでその実、限りなく甘言に近い諫言だった。おしゃぶりを加えた赤ちゃんに対する態度のように柔和な口調だった。

 

「……そう、ですね。包括的現実ってあるじゃないですか」

「あるねー」

「あれって、水面に映った月を拾い上げたことが、本物の月を掬い上げるのと同じだと言ってるようなことらしいですよ」

「正確には違うけどね。……けどね、こよみん。そんな東洋哲学的な禅問答じみた考えの例えを持ち出されても、おねーさんにはなにも伝わらないぜ」

「いえ、なんてことはないんですよ。この話っていうのは、結局の所、ベクトルの内積や複素数の積と似たようなものです。スカラーの程度が色の明度だったら、ベクトルや虚数の程度は色相やその彩度に例えられる。なのにベクトルにベクトルをかけてしまうとスカラーになってしまう。そんな話なんです──ベクトルの二乗とスカラーの二乗が同じになってしまうなんて、考えてみれば変な話ですけど」

 

 かぶっていた帽子を手に取り、くるりと回す臥煙さん。専門家の元締め、なんていう厳つい言葉から想像できないくらい彼女の指は細く、女性らしい。

 

「……おねーさんには年端もいかない学生の講釈たれに付き合う時間なんてないんだよ? そんなテセウスの船みたいな論調は貝木くんだけでお腹いっぱいだよ」

「ええ、ええ。わかっています。あと、あの人と同じにされるのはやめてください──一言、あと1フレーズだけでも聞けば多分、臥煙さんにも僕の言いたいことが伝わると思います。……はい。つまり、僕はここ言いたいんですよ。『青春なんて痛いだけだ』と」

「ふーん。ま、おねーさんからしたら今の君もケッコー痛いぜ。絆創膏じゃ隠し切れないくらいに」

「普段の素行が悪いからですかね。傷の数が多いのは」

「知らないよ、そんなこと」

 

 カツン、と臥煙さんは小石を小石で突いた。

 つまらなそうに、あるいは楽しそうに。

 泣きたくなるくらい透き通る湖面が雲の隙間を縫うようにして降り注ぐ太陽光を浴びてキラキラと輝いている。

 

「言っただろう。私は暇じゃないんだ。いくら専門家の元締めにして総締めたる私であると言っても、青いケツを引き締める役目なんてゴメンだよ。それは助け合いじゃない、ただのなすり付けだ」

「……」

「あ、お尻のなすり付けって意味じゃないからね」

「それくらいは分かります」

「いや、分かってないなー。それは尻拭いって点では正しいんだよ。……ま、君のチンケな悩みとかその辺はおいおい片がつくから気にしても無駄だよ。具体的には春休み中にお風呂の中でふと気がつくはずさ」

 

 我ながら、この面倒くさい葛藤がそんなアルキメデスみたいに行くとは思えないけれど、なんでも知っていると豪語する臥煙さんがそういうと説得力があるから不思議だ。

 貫禄のなせる技なのか実績が伴っているならなのか、いずれにせよ、僕はそんな与太話にも近い言い分を信じてみようという気になっていた。流れも言葉数もない、そんな臥煙さんのたった一言に僕の心が揺れていたのは、僕が彼女のこんな叱咤を待っていたことの裏返しでもあったのかもしれない。

 臥煙さんは揺れる湖に反射する光から目をそらし、くるっと首を回して僕の瞳を覗き込んだ。緩慢なその動作につられて見た臥煙さんの瞳は、特別大きな目というわけではないけれど、広く見渡すような目だった。

 

「そういえばこよみん。お風呂といえば、こよみんの家のお風呂には鏡はあるかい?」

「ええ、まあ。ありますよ。そう大きいものではないですけれど」

「なら、その鏡を利用することはどのくらいある?」

「どのくらいって……そりゃあ、まあ。じっと鏡を見ることはあまりないですけど、やっぱり見るには見ますよ。毎日」

 

『鏡を見る』。たしかに言われてみれば意識するほどでもない動作だ。けど、してないかって言われると、特段そんなわけないわけで。

 逆に、どんなに見ないようにしよったって、位置の都合上、シャワーが鏡に当たった拍子にチラッと見えちゃうわけで。

 

「『鏡を見る』ねえ……。いやね、風呂場の鏡ってのは対策しない限り直ぐに曇るものだからね。案外気にしない人なんかも多いんだけど、こよみんはどうやら毎日見る人のようだ」

「それがどうかしたんですか?」

「『それがどうかした』だなんて、そんなこと云うなんて、つれないじゃないか、何かいいことあったのかい? ……簡単な話だよ。なんでも知っているおねーさんに言わせて貰えば他愛のない話さ」

「……」

「つまり、世界に自分は2人いるのさ」

「えっと、ああ。それは、鏡の中に映る自分とそれを見る自分ってことですか?」

「そうともいうし、違うともいう。さっきこよみんが自分で話していたじゃないか。水面に映った月と月そのものの話をさ」

 

 月は全ての水面にその姿を映し、水面の月はただ一つの月に包含される。会話が昔の修行僧の戯論に再び立ち返る──それも、うまいこと僕のひけらかしたい知識を利用されたうえで──ことに妙な居心地の悪さを感じる。僕と違ってそれを侃諤に言っちゃうのだから、全く敵わない。

 

「構造主義ですか。勘弁してください、包含的だのなんだのと偉そうに言いましたが、その実僕はその方面の知識はあまりないんですよ」

「そうかい? 怪異に関わる以上、必須に近い知識なんだけどね」

 

 だとしたら、忍は忍野のやつにその辺の知識も詰められたのだろうか。だとしたらその気苦労は、あの時の憔悴具合はなにも僕に対する恨みだけからくるものではなかったんだな。

 臥煙さんはそんな風に僕が忍のことを見抜いたからか、チラッと僕の首筋をみて言った。

 

「しかし、妙な話だよね。吸血鬼が鏡に映らないってのは。浅学薄叡な私なんかはどうもそこに恣意的な思惑を感じてしまうんだけどね」

「普通の人間とは違う点を挙げる、つまり人間味をなくすという意味では成功していると思いますけど」

「おやおや、随分とテキストじみたことを言うんだね。そんな設定の妥当性を評価するような言い方をして。まるで吸血鬼がゲームや小説のキャラクターのようじゃないか」

 

 なんか、この人の放つツッコミは心の底に遺恨を残すようにちくっとするな。チクっと、ではなく、ちくっと。

 身悶えするような柔らかさを孕んだ痛みだ。

 

「……すみません。考慮が足りてませんでした」

「いや、いいんだよ。こよみんも気が緩んでいたのだろう。無理もない。君は今、一年間の積念と責念だけでなく、これまでの人生全てを清算したんだ。いわんや、清算しきってないにしても、それでも振り返ることはした。それはもう使ってが取れてとっても使えたことだろう。ポロっと軽はずみな発言が出てもそれは仕方がないものさ。なんせ君はまだ高校生なのだからね」

「──それは」

「っと、見透かしたことを言って慌てさせてしまったかな?」

「……」

 

 鯉が跳ね、水面が揺れたのを覚えている。ツン、と冬の冷たい匂いが鼻腔を揺らす。太陽は斜めに傾いていた。

 

「しかし、君も難儀なものだ。まだ鏡に映る時期に新しい自分を作ったと思ったら今度は鏡の中の自分を消してしまうなんて。そんな数の帳尻が合ってればいいなんてものじゃないんだよ? 自分ってやつは。その上、結局取ったのは、本人を移項して鏡の中に足して本人を移項して、新しい自分を別の文字に置き換えるなんて解決方法ときた。全く、アレは流石のおねーさんにも予想だにしない未来だったよ。ホントに、頼むからアレコレを全て私がやっただなんて吹聴しないでくれよ」

 

 目尻を下げてあたかも困ったかのような表情を見せる臥煙さんだが、鼻から下が軽薄な笑みを浮かべているところを見るとそれも怪しい話だった。

 だって、その笑み、忍野にそっくりなんだぜ。

 

「……自分」

「ん?」

「自分は、世界に1人なんだと思ってたんですよ」

「そうだね、自分1人さ。君みたいに創りださない限りはね。自分ってのは世界に唯一なんていう稀有な存在だよ」

「けど、違ったんです。忍に出遭って、羽川に助けられて、戦場ヶ原に出逢って。そうやって自分を『阿良々木暦』だと認識する人が増えるたびに自分が増えていったんです」

「それは、さっき君が言った月の話とも、構造主義とも違うことなのかい?」

「はい。増えた阿良々木暦は決して僕に包含されないし、かといって世界に阿良々木暦が増えた分そのままいるなんて思っちゃいない」

「そう思えるのは、こよみんが扇ちゃんを創ってしまったからからなのかな?」

 

 霧のように僕の言葉をはぐらかして水流のように僕を踊らせる臥煙さんの言葉は、いつのまにか和らいだ印象を潜め、欣然としていた。

 

「多分、扇ちゃんは。いえ、あの『くらやみ』は多分、そうやって生まれた阿良々木暦の1人なんですよ。皆と出会って増えたように、僕の心に生まれた阿良々木暦だったんです」

「……そうかい」

 

 臥煙さんは静かにベンチを立つ。

 そして、パーカーのハードの表裏を正して一つ背伸びをした。

 

「本物と偽物。こよみんはどちらの価値が高いと思う?」

 

 ほぅ、と伸びきった彼女の肺から漏れる白い吐息。

 

「その問答なら、昔聞きました」

「貝木くんなんかは『偽物の方が本物になろうとする分だけ本物より価値がある』だなんて嘯いていたものだけどね」

「その答えこそ聞きました」

「なら、こよみんはどう思う? 偽物と本物……いや、わかりやすく言おう。自分と鏡の中の自分、どちらの方が本物だと君は思うかい?」

「そりゃあ、僕ですよ。今、ここで、こうやって貴女と話している僕こそが本物でしょう」

「私には水面の君も同じように口を開けているように見えるけどねえ」

 

 嫌な笑みを浮かべた臥煙さんが水面にいた。

 水面に浮かぶ阿良々木暦の顔は、彼の髪の毛に隠れて見えない。

 

「けど、臥煙さんは水面に映る僕と話しているわけではないでしょう?」

「しかし、その事実は目の前のこよみんがこよみんである証拠にはならないじゃないか」

「そんなのは悪魔の証明です。水面と比べるなんて、タチの悪い」

「悪魔なら実在するよ。だって君の後輩が飼っていたじゃないか」

「あれは」

「結局、偽物も本物も気づいてないのさ。どちらが本物なのかなんてね。私に合わせてもらえれば正義も悪も何もかも、どちらがどっちなんて関係ないんだよ。良いやつっぽいのがいれば悪そうな奴がいる。そうやって世界は成り立っているのさ」

「……それでも本物は、正義はあると思いますけど」

「それもまた、正解なのかもね。──ああ、こよみん」

 

 驚くくらい自分の主張をトカゲの尻尾切りにした臥煙さんはそれから間もなく僕を呼びかける。

 

「さっき言った鏡の話、忘れてくれていいから」

「え?」

「あと、扇ちゃんのことも真宵ちゃんのことも全部なんの心配もしなくていい。君は君の人生を歩みなさい」

「えっと、それは」

「あはは。なあに、気にすんなよ、人は一人で助かるだけなんだ。それに人生は長い。とりあえずのところは来たる大学生活を目一杯楽しみなさい。大人の私がこよみんにあげられるアドバイスはこれくらいさ。よく言うだろう──悩めよ、少年ってね」

 

 言い残すと、臥煙さんは振り替えることなく歩いていった。

 僕との会話は終わり。そういうことだろう。

 次の仕事の時間がきたのかもしれない。

 

「あの、ありがとうございました」

 

 屋根が落とす影に包まれていくその背中に、なんとなく頭を下げてお礼を言ってみた。

 

「いいよ。……ただ、その下がった頭に免じて言わせてもらうなら」

 

 臥煙さんはヒラヒラと手を振って応えた。

 

「私は世界に私以外いらないけどね」

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