巻物語   作:一葉 さゑら

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023-B

「ねえ、この事件の名前って何が良いかしら? 『阿良々木暦増幅事件』と『阿良々木暦分裂事件』のどちらかと思うのだけれど」

「強いて言うなら『阿良々木暦混在事件』じゃないか」

「ふうん……日本語は細かいニュアンスが多くて面倒だわ」

 

 遠山と神崎のやりとりが耳に入る。僕ならばさしずめこの会は『阿良々木暦判別裁判』とでも名付けただろうか。

 ぐるりと2つの長いソファに座る5人──僕を起点として時計回りに拳銃を僕に向ける神崎アリア、ソファを別にして峰リコ、武偵世界の阿良々木暦、手錠を掛けられたジャンヌダルク、ソファ戻って遠山キンジ──を恨めしく見渡して、僕は緊張した雰囲気に乱れる呼吸を整えた。

 

「まあ良いわ。人は揃ったようだしそろそろ始めるとするわ。……今回はジャンヌがここにいられる時間も限られていることだし、コヨミと事件に関するスパイダーウェブの作成とプロファイリングは飛ばすことにして、時系列の整理から行うってことでいいわよね」

 

 神崎は目を爛々と輝かせている。

 しかして、見方が変われば味方が変わるとはよく言ったもので、かつて穏やかに僕と話していた時の彼女の態度は、今や一転して、僕を裁くのを今か今かと狙っているかのようだ。

 生粋の探偵気質といえば聞こえは良いのかもしれないが、去年の一年を過ごしきった僕からしてみれば彼女のそれは、なんだか何かに囚われているかのような危うさを孕んでいるように感じてしまう。

 

「それを分かりやすく定義付けるなら……そうね。では、一連の事件の始まりは『阿良々木暦の失踪日』としましょう。コヨミはどうやら春休みの日の地ある日を境に蒸発したそうじゃない」

「……失踪、か。そうは言ってもいつのまにかいなくなっていたしなぁ」

「本人が目の前にいるんだから、あんたが覚えているかなんてどーでもいいわよ」

「ああ。確かにな」

「うんうん! で、コヨコヨ的にははその辺どーなのっ」

 

 コヨコヨは止めろ、そう呼んでいいのはひたぎと羽川だけだ。

 なんて峰を睨もうしたが、残念失念、彼女の言葉を皮切りに既に僕は僕以上の人等の眼から睨まれていた。全員から、とは言わないまでも半分ほどからは、既に。

 残りの目ん玉がどちらへ転がっているのかといえ、そう──、この部屋には神崎が言うところの『本人』──阿良々木暦が2人もいるのである。

 どちらかが偽物だと思割れている以上、僕の方へ半分の眼が向いたことは嬉しくもあり、悲しくもあるなぁ。なんて思いつつもう1人の僕を見れば彼もまた僕を見ていた。

 にらみ合い、にらめっこの状態だ。

 

「……僕は言えるぞ」

 

 ゾワっとする物言い、いや、物聞きだった。

 初めて聞いた阿良々木暦の声。ただでさえ自分に精巧に似せた人形を見ているようで気持ちのいい感じはしなかったというのに……ああ、これはヤバい。

 危険だ、という意味でヤバい。

 鏡写しのような声だ。まるで心の中が二つに増えてしまったかのように錯覚してしまう。時々ふと沸き立つように心内に広がる独り言が常駐し始めたかのようである。

 僕は思わず顔をしかめる。

 神崎はそんな僕の様子を見てなにを勘違いしたのか、ふん、と鼻を鳴らすと「アンタは答えられないのね」と訳知り顔で言った。

 

「おい、偽物」

 

 阿良々木暦が発言するたびに僕は蹲り、頭を掻きむしって声にならぬ声を張り上げたくなる衝動に駆られる。この感覚は多分この先ずっと続くのだろうか、と思わずの憂慮が発生するレベルである。

 けどこの一言に関しては、何も僕の心持ちだけのせいというわけでもなかった。

 かつて僕は延々と偽物を語り尽くしたはずだが、よもやこんな時になって再びその言葉を聞くとは思いもしなかった。

 それも、去年のさらに去年の僕の口から。

 端的に言って、彼の一言目は皮肉以外の何モノでもない。

 

「なんだよ、偽善者」

 

 僕から抑えに抑えて出たのは、そんな大人気ない一言。

 僕が僕である由縁の一言。

 そして、僕がこの話し合いの目標と理性を幾分か見失った瞬間でもあった。

 

「まあ、待て。話し合いで(エペ)を向けるな。それが言語製のものであっても、だ。イギリス人だってできることだぞ」

「いやいや、それをヌイヌイが言う?」

「というかイギリス人でもってどういうことよ!!」

「……まあ待て」

 

 ジャンヌ、峰、神崎、再び峰、そして武偵世界の阿良々木暦。順々に、とは言いがたくわちゃわちゃとしたやりとりが堰を切ったようになされる……かと思いきや、遠山がストップをかけた。

 

「武偵として相応しくやっていこう。ただでさえ今日は色々あったんだ。ロスタイムみたいな推理パートでも決めないなら、武偵じゃないだろう?」

「あら、武偵を辞める人間が武偵を語るなんて珍しいじゃない。もしかしてアンタってば、ようやく辞めるのを止める気になったってことかしら?」

「話の腰を折るなって、アリア。らしくないぞ。──時系列で話し合うんだろう?」

「ええ、勿論よ」

「なら早く一歩目を踏み出してくれ。言っておくが、今の今まで小さな一歩も大きな一歩も踏み出せてないからな」

 

 余計なことを。

 なにがあったか知らないが、遠山の気配が少なからず変化しているような気がする。吸血鬼に近い今の僕の目からしても姿勢や筋肉の力みに変化は見られないけれど、なんというか態度が妙だ。

 それが原因なのか神崎も遠山に対して若干の『弱さ』のようなものを見せているようだし。

 弱さというよりも甘さというか。この場合の甘さは隙というよりも好きのような。感情甘くて勘定誤る、というような。

 ──いや、まてまて、僕の思考が余計な所で有耶無耶にされかけているな。

 良くないぞ、僕。

 

「じゃあ、自分の失踪日を知っている方の阿良々木……そうね、阿良々木Aとしましょうか。教えなさい」

「3月14日だ。ホワイトデーといえば覚えやすいだろ?」

「ええ、そうね。ホワイトデー」

「じゃあ、次に行くわよ……って、阿良々木B、なにぼーっとしてるの?」

「聞いてるよ。あと、Bっていうな」

 

 そう呼んでいいのは羽川とひたぎだけ……とは言わないが。

 いい気はしないから。言っても、言われても。

 

「ちゃっちゃと行きましょう。ジャンヌの引き渡し時間までそう時間はないわ」

「なら次は、偽物が現れ始めた時期だろ。……偽物としては本物なんだ。お前が現れ始めた日にちくらいわかるだろ? なんてったって当の本人のことなんだからな」

「阿良々木B、余計なことを言うな」

「阿良々木Bはあんたでしょ」

 

 なんだか悪い方向に話が流れてきたな。前々から、僕に会話のディレクター能力がないことは(八九寺の度々の指摘から)重々自覚していたけど、まさかここまでとは。

 最悪のケース、数分後には神崎に「タイホー!」と言われかねない。時系列順に確認を問うていくというのが、そもそも悪い。否、推理法としては正しすぎて、僕にとって都合が悪い。そりゃあボロが出るよ。丸裸の状態で高校生クイズに優勝できるくらいの舌弁スキルがあれば別の話なのだろうけど。

 とはいえ、まだ間に合わない段階ではない。

 全く本来、考えようによっては、こういった探偵事が合理性の塊というならば、僕にとってこれほどありがたいものはないはずなのだ。

 約束事にがんじがらめになり、過度な御都合主義は排され、順序立てて進むなんて、まるで怪異現象と相違ない。

 物怪異なんていう、なんてミステリー。彼等だって、現実には即していないだけで理には合っている。

 しからば、かつての経験はこういう時にこそ生かされるべきなのだ。

 今の僕とかつての僕。

 今までの経験と過去の現象。

 なんだい、都合のいい二項対立にすら感じるほどである。

 ただ一点違うのは、犯人がこの僕であり、探偵があの僕であるだけだ。

 

「おーけー、僕。阿良々木Aを名乗る不束者」

 

 ならば、狂気を煙に巻く犯人のように一丁、話を捻じ曲げてやろうじゃないか。会話スキルがなさすぎて会話がありすぎる男の会話は、ともすれば物語だって作れちゃうんだぜ? 

 

「事件の真相について正直に話そうじゃないか」

「何よ、突然生き生きし始めちゃって」

「時を行き来してるからな……なんて戯言はともかく、時系列通りに語るんだろ? なら、僕が仕切ってやる。現状、偽物メーターなんてものが僕とそいつの間で揺れ動いているなら、僕の方に軍配が上がっているんだ。誤魔化しとかも直ぐに分かるだろ?」

「ちょ、ちょっと待てよ。いきなりでしゃばるなよ、僕」

 

 阿良々木A(と僕がいうのは癪だが)の静止を無視し、話を続ける。

 

「その前に、この事件に必要なのは何も時系列だけじゃない。だよな、遠山」

「……まぁな。まだ俺の中でも憶測の段階だし、とやかく口を出すつもりはないが。この一連の謎にはもう一つ鍵があるはずだ」

「無論、その程度のことは時間の蚊帳の外にいる我々もわかっている──お前が言いたい『鍵』というのは『阿良々木暦』が何人いたのか、だろう? もっとも、私がいえたことではないが」

 

 ティーカップを片手にジャンヌがほくそ笑んだ。

 

「その通り。だからこの際だ、それを念頭に話を進めよう。まず、僕が知ってる阿良々木暦を改めてあげさせてもらうと一人は勿論、春休みに失踪した阿良々木暦とこの場にいる二人の阿良々木暦。あとは平賀さんが会ったという阿良々木暦だ」

 

 ちらっと周りの顔色を伺う。

 夕日が影となり分かりにくいことを加味しても、動揺を態度に表す人はいなかった。

 先ほどまで阿良々木Bが身をどこかに潜めていたという話が本当ならば、ここ最近でもっとも早くに平賀さんと会った阿良々木暦は僕で間違い無いだろう。あの着信履歴が異様に多かった携帯がその証のはず。

 となると、平賀さんが会ったという僕以外の、あの、ヴィンテージ銃を預けた阿良々木暦は目の前の阿良々木暦である可能性もあるということだ。

 

「いや、新宿のラグジュアリー店にいたアンタもいたじゃない」

「なら、同じ時刻にリコと話してたコヨコヨも?」

「ラグジュアリー店にいたのはジャンヌ・ダルクの変装で間違いない。それと、峰と話していた阿良々木暦は僕だ」

 

 そして、そうだ。その裏では平賀さんが再び阿良々木暦と会っていた。

 ……あれ? 平賀さんは2回も僕以外の阿良々木暦とあっていることになるのか。しまった、時系列順の話じゃねえのに、分からんことが多すぎるぞ。この方向は間違ったか。

 

「えっと、コヨミの話ぶりからすると阿良々木暦はこれまでに4人いることになるけれど、どうなのかしら」

「その前に、アリア。今あげた阿良々木暦群を時系列に直せば共通の阿良々木もいるんじゃないか?」

「なるほど! さすがキーくん!! てことは、同時に最大3人のコヨコヨが出ていたってことだから──」

「いや、今の阿良々木Bの話の中に『僕』は一人もいない」

 

 いよいよもって時系列も会話に舞い戻り、推理パートとしての順当さを感じ、僕は光明を見出し始めた──なんてモノローグを付けようと思ったがしかし。

阿良々木Aが軽い調子で峰の台詞を刺し殺した……殺してしまった。

 

 しん、と卓が静まり返る。

 

 不自然な沈黙だった。「あ、そうなんだ。そりゃいいヒントだぜ」なんて一言は場を見渡してもどこにも落ちていなかった。けれどそれは多分、決して意味のない沈黙ではなく、恐らく、ここに集まった面子が並の探偵達に比べて数段優秀だったゆえに舞い降りた沈黙だった。

 つまりは、この阿良々木Aの発言が「ちょいちょいちょーい」なんて一昔前のバラエティで見かけるような誰かのツッコミを誘発する以上に重要な一言だったのである。そして、数段頭の回転が速い彼らは瞬間にしてそれを感じ取ったんだろう。

 

「なる、ほど」

 

 台風の目のような間を切り裂いて、真っ先に重々しく口を開いたのはジャンヌダルクだった。彼女は登場人物の中では一番外樣に近い人物だった。

 

「と、なると、やはり。『教授』の言ったこともあながち間違いではなかったということか」

「『教授』が間違ったことを言うわけないだろ」

「『教授』? なに峰は語調を強めてんだよ」

「……なんでもない。それよりも! そっちのコヨコヨが身を潜めてたのはいつまでのことなの?」

「さっきも言っただろ──先ほど、だ。今さっき。今の今までのその先。さっきお前らに声をかけた時だ」

「……だよねー、はは。笑えないジョークだよ」

「笑えないジョークってそれはもう、ジョークじゃないだろ」

「うん、そう。むしろ悲しいほどに、真実だね」

 

 と。

 峰はアリアのコーヒーを不味そうに口に含んだ。そして吐き出すことなく嚥下した。大概態度の悪い所作だったが、その光景をアリアは見咎めるに留めた。

 やり取りで察するに余りあることだが沈黙の理由と阿良々木Aの発言が重要な理由を解説すると、それは『先程まで身を潜めていた』の『先程』が僕らが思っていた以上に『先程』だったからだった。

 えっと……、なんだっけ? では済まされない。

 御都合主義で耳が遠くて鈍感な主人公も流石に聞き咎める。

 小さい方の妹ならば、とてもいい笑顔を浮かべるだろう。

 大きい方の妹ならば、とても大きな声を上げるだろう。

 選択の余地なく、円滑なオチもなく。

 このヒントが導き出す答え。きっとそれは、推理小説では起きちゃいけない結論だった。

 

「阿良々木暦がこの場に足りない」

 

 誰がこぼした言葉だっただろうか。

 円卓には落ちた一枚の推論。

 二人の本人と、二人の変装名人がいて。

 それでもなお。

 それはまさかの登場人物不足の他ならなかったのだ。

 

「「「「……」」」」

 

 場の空気が死んでしまい、僕としても余計なことは言いたくない。進行役を買うとは言ったが、それはあくまで良い方向に会話を持って行きたかったからだ。なので、今の僕らにどんな思いと推測が渦巻いているかを更に説明する前に、阿良々木Aの発言によってする必要がほぼなくなってしまった『時系列の整理』を僕の主観ながらに行ってみることにする。

 

 まず、僕がこの世界に来たのがゴールデンウィークのことだった。そこで出会ったのが、阿良々木暦の死体だ。

 その日のうちに平賀と熱にうなされた遠山と出会い、次の日にまた平賀と出会った。ああ、その前に神崎とも会ったっけ。

 たしか、この日は行き当たりばったりな癖してハードでタイトなスケジュールで蘭豹に怒られたり地下倉庫に行かされたりしたんだ。そこでジャンヌダルクと出会い、その後に阿良々木暦の別個体の存在を知った。その後もコンビニで遠山と会って神崎の愚痴を聞かされたりしたり忍から怪異の講釈を聞いたりした。

 次の日には異世界に対する緊張感は薄れていた気がする。ピント薄く張った緊張の水面は緩んだように波打って、それよりも別の自分がウヨウヨ闊歩する現実に心が波立っていた。そんな中、平賀さんに銃をもらい、峰と会い、僕以外に二人の阿良々木暦がいたのを知る。

 そして、来るべき今日。

 戦場ヶ原に「あなたの順応性は高すぎてなんだか気持ち悪いわ」となんの飾りつけもなくどストレートに言葉で殴られた経験がある僕らしく、なんだかんだ武偵としての日常を過ごしてきた今日。

 ジャンヌダルクとイザコザを起こしたり阿良々木暦と出会ったりしながら今に至るというわけである。

 

 こうして見てもらえれば分かるだろうが、『阿良々木暦』が同時多発的に出現していたのは峰リコと初コンタクトを取ったあの時だけなのである。

 峰リコと話す僕。

 何故かラグジュアリー店に居た僕。

 そして、平賀文と会っていた僕。

 まあ、変な話である。僕が僕以外に何人もいるのだから。

 しかしそれだって、僕以外に変装した人間が二人いただけなら話は早かった。いや、普通に考えたらそうなのだろう。いち早く僕が『阿良々木暦A』でないことに気付いた人物がいたっておかしくないのだから。実際、峰はそれを怪しんで僕のもとに来たわけだし。

 特に、平賀文と会ったという方はそうなのかもしれない。

 また、他方でラグジュアリー店にいたという阿良々木暦。こちらも変装でもおかしくない。なぜなら、ラグジュアリー店とは女性用下着店であり、目の前の変装名人2人──峰リコとジャンヌダルク──が女性だからである。だから、先程のジャンヌの証言は疑う必要はない。

 ならば、普通ならば、そこに阿良々木Aが居ないというならば、こう考えるべきであろう。

 

 目の前の女子2人が変装して別々の場所にいた、と。

 

 しかし、待ってほしい。

 僕と話していたのは峰リコである。

 と、なると、当たり前の話。峰リコは阿良々木暦になり得ない。成り変わることができないのである。

 つまり、阿良々木Aが当時あの場に居合わせていないというならば、この場にいる阿良々木暦Aと僕、ジャンヌダルクと峰リコ以外に『阿良々木暦』がいないとおかしいのである。

 推理小説の推理パートにおいて、登場人物画まだ登場しきっていないなんて、そんなタブーあってはいけないだろう。

 それはいくらなんでも、控えめにいってズルである。

 

「……髪長い方のコヨミ。あなた、峰リコと会った時のこと憶えているわよね?」

「ああ、うん。憶えている。ていうか、今、思い返していたよ。……なあ、神崎」

「諭す必要はないわ。私の勘が言っているもの。確かにあれはアンタだったわ」

「ちなみに、コヨコヨと話していた峰リコちゃんはちゃんと私だよ。流石にそこは疑われないとおもうけど」

「そこまで疑い出したらキリがないだろ……。神崎には粗方聞いたが、そうか。なら、ジャンヌがあの場にいた内の一人だったりするのか?」

 

 よかった。

 ここまで散々、皆々様一蓮托生で同じ思いを抱いて同じ疑問を持っているかのような言葉遣いをしてきたけれど、その実僕だけ見当違いな方向を向いて『やれやれ、僕はなんて独りよがりなんだ』的なモノローグを入れる羽目になるかと薄々ヒヤヒヤしてたのだが、よかった。

 どうやらやはり、皆持ち待つ議論点は共通しているようだった。

 いつの間にか妙な鋭さは身を潜め、いつものような雰囲気に戻った遠山の問いかけにジャンヌダルクは改めて答える。

 

「そうだな。……うん。し、下着を買いに行った……かな?」

 

 誰だお前。可愛いかよ。

『かな』って。ここに来て、キャラとしての深みを増してくるのかよ。意外性の塊か。高飛車系日本語堪能白髪美人闇組織ハーフで偉人の末裔のくせして乙女の面も見せてくるのか。二次元趣味特攻か。これで二次元趣味に理解を示す系のキャラとかだったら逆に受け入れるよ、僕は。

 ──じゃなくて。

 

「なら、ここにいない阿良々木暦は平賀と会っていたってことか」

「そのようね。ねえ、アンタらの仲間には他にもコイツに化けそうな人はいたりするわけ?」

「いや、それはないだろう。そもそも阿良々木暦に変装して街をうろついていたのはリコの頼みだからな」

「? それがどうして他に居ないことになるのよ」

「今のリコには『イ・ウー』との繋がりがない。頼るツテがないのだ」

「その言い方はヒドいよー! 確かにそうだけどっ」

 

 たはっ、と自身のおでこを叩く峰。

 ユラユラとゆれながら大げさな所作をするものがたら胸元がちらりと目に入る。でけえ。

 

「じゃあ、そのコヨミはどこのどいつよ! Aの方は心当たりあったりしろ!」

「いや、命令形……ってか、Sランクなら自分で推理しろよ……ってイタぁ! 殴るなよ! 分かった、言う。言うから!」

 

 凄い、あの阿良々木暦ってば一言で地雷を抉っていく。

 あの頃の僕って髪も短ければ思慮も短かったのか。思い慮れば神崎はどう見ても頭が回るビジュアルじゃあないことくらい分かるもの……ってこっちを睨んでいらっしゃる! 怖っ、戦場ヶ原よりも勘が鋭い! 

 なんて、阿良々木Aはすっかり怯えた調子で情報を提供するようになっていた。

 

「ひ、平賀が阿良々木暦って言ったんだろ。な、ならソイツは阿良々木暦だよ! 訳わかんねえけど、お前も阿良々木暦って言われたんだろ? なら、お前も阿良々木暦だっ」

「はあ? 脳みそ半分足りてないの? 日本人なんだから日本語くらいマスターしときなさいよ」

「脳みそ半分足りないはお前だろうが、このチンチクリ──ごめんなさい! ごめんなさい! そうです、言葉が足りませんでした。訂正します! 平賀文は『人の顔を見間違えない』んだよ! 確実に100%識別するんだ。顧客の顔は、ゼッタイ」

「……なるほどね」

 

 神崎に蹴られならが必死に出した阿良々木Aの言葉に対し、妙に得心いったように頷く峰。そういえば、コイツは平賀さんに変装を見破られたんだったな。

 思い返せば、平賀さんはこの世界に来たばかりの僕に対してもなんの違和感もない態度を取っていた。少し盲目的すぎる位に信頼を寄せてくれていた。武偵に関する僕の知識の矮小さを記憶喪失だと信じ、急激なバイトに対する変化も成長だと受け止めていた。僕はそれを彼女が僕に対して興味がないからだ、と受け止めていたが。そうか。

 あれは、彼女の自分に対する絶大な信頼と自身の表れだったのか。

 きっと、彼女の『人間個別判別能力』とも言える能力は本質的に無意識下で行われているのだろう。なんとなく、という神崎の推理法のように説明しようと思えばできそうだけど説明できない。むしろ、説明することがあてつけのようになってしまうような代物。

 だからこそ、彼女はそれに信頼を置いているのかもしれない。

 髪が長くなろうが、知識が薄れていようが、なんとなくコイツは阿良々木暦っぽい。ならば、こいつは阿良々木暦なのだろう。

 そんな、書き起こせばやはり僕に対して興味がないだけなのではないだけではないかと疑いたくなるようなプロセスを踏んだ確信を彼女は持っていた。

 だとすればやはり、彼女が伝えた阿良々木暦はやはり、阿良々木暦なのだろう。僕でもない、目の前の僕でもない、ナニカ。

 それはまさに、ドッペルゲンガー。

 単純で純粋な怪異現象。

 ……この世界にも、やはり、それは在るのだろうか。

 

 そんな思考を裂くように、突如、コーヒーを飲んだ遠山はなんでもないように口を開いた。

 先ほどの阿良々木Aのように。軽々と、楽々と。

 

「しかし、平賀さんがここに居てくれたらなぁ。阿良々木暦ABなんてつける間もなくどちらが阿良々木暦か問題についてはスピード解決ってことだろ? どっちも阿良々木暦だって言われたんなら同時に見せて比べてもらえればいい」

「それよ!! 阿良々木暦分裂事件の手掛かりも増えるわ! 阿良々木、電話しなさい!」

「いや、待て。今日の平賀はアドシアードにきた企業への対応で忙しい。それに、もし、見比べた上でどっちも阿良々木暦だって言われたらどうするんだよ」

「えー、よく見たらコヨコヨの顔、全然違うし直ぐ分かるくない? そもそも、髪の長さ違うんだし」

 

 いや、その理屈でいうなら今の時点でもどっちが阿良々木暦かだなんて分かるだろ。問題なのは、僕が成長した顔つきとして違和感ないのことであって……ってそもそも、その問題を解決させないように話題をそらさなきゃ行けないんだっけ? 半分忘れてたけど。

 それにしても、髪の長さ、ねえ。

 ……って髪の長さ? 

 

「……あ」

 

 そうだ。髪の長さ。これって、とても重要な鍵じゃないのか。

 目の前の僕は短くて、僕は長い。

 なら……って、いやいや、そういえば、んんん?

 あれ? 初めに出遭った死体の髪の長さって、どっちだったっけ? 

 

「……ああ」

 

 いや、憶えてる。

 そうだ、あの時の阿良々木暦の髪の長さは、そう。

 ──短かった。


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