話は冒頭に登場した
僕はあの時、彼女のナニカを振り切った姿勢に深い感動と依然とした畏敬の念を描写した。それは彼女が自らの
奔放でいて気遣い屋な神原が、僕のことを大層買ってくれているように、僕は彼女をとっても買っていた。それは、もう。
過不足なく。そして大大に。
多分、そう。彼女みたいなをイイオンナ、というのだろう。
そんなことを、恥ずかしげもなく、臆面もなく、心の底から思っていた。
面と向かって言ったなら『いやいや阿良々木先輩』と大袈裟で謙遜が過ぎた不遜が返ってくるだろう。
だから、僕はいうのだ。『それすらも』と。
さて、そんなイイオンナである神原駿河にも系譜というものがある──つまりは、母親がいる。
【臥煙遠江】という早逝の女傑である。
神原駿河の母親でありつつ、なんでも知っているお姉さんの妹でもある彼女ではあるが、しかし、僕は実のところ、一回も彼女と会ったことがない。冷静に考えてみれば、死者と出会うのは不可逆的に無理なのでソレも当然の話なのだが、そこは地獄から舞い戻るのを地でいく僕である。なぜだか、そんな当たり前の未衝突を不思議に思ってしまう次第である。
とはいえ、会った事はないとはいえ。そうも言えぬような曖昧な邂逅はゆるっと一度、果たされている。
写し鏡──もとい移す鏡の中に入ってしまったアディショナルタイムのような頃合いに、一度、僕は彼女と混浴を果たしていた。
物語の表紙を飾った老倉よりもヒロインヒロインしたイベントを人妻と繰り広げてしまっていた。
いや、繰り広げちゃってんじゃねえよ、という話なのだが。ホントに何しちゃってるんだよという感じなのだが、それは僕自身も思っちゃっていることなので、平にご容赦してほしい。
もしも、聞こえが悪かったら困るので、ユーモアに言い表してみると、そう。僕らは湯灌し合った。
互いに互いを湯灌するなんて、ガロンの世界観でも行われるまい。
背徳を通り越した悪徳。害悪極まりない。
決して、夫を持つ亡霊と彼女持ちの
それはさておき。
曖昧な衝突と未完成な出会いの狭間という溶け合ってしまいそうな関係性を夢の中で繰り広げた僕らは、今一度、またしても非核心的な出会いを繰り返す。
並行世界で、もう一度。
「久し振りだね、暦」
「距離感バグってますよ」
そんな感じの相対の開会であり、再開の開催だった。
「まあこうやって、度々会ってもみれば、最愛の関係にもなるってものじゃん?」
「あなたの夫が泣いてますよ。……そもそも、度々っていうか一度しか会ってないし、浮気にもなりませんから」
「けど、その一度は風呂場だぜ?」
「……え、江戸時代じゃ普通だから」
「はっはー。てやんでいっ」
というか、命からがら逃げてきた直後だというのに、一体僕は何を言っているんだ。
着地に失敗したらしく、じくじくと頭右足をかばいながら立ち上がる。……えぇと、ここは、どこだ?
「ま、代替に、毎晩私が鳴いてるんだから、恨みっこなしでしょ?」
「湯浴みっこは足し引き相殺して良いことじゃないでしょ……」
「けど、
「上手いこと言えてませんよ」
それを聞く感じ、上手いこといってるとも思えないし、夫婦関係。
そして、どうやら神原の下ネタのルーツはこの女傑からのものらしいことも分かった。比べるのもなんだけど、やはり奔放がすぎる!
見渡すと、場所はどこか廃屋の小部屋らしかった。
斧乃木ちゃんの【例外の方が多い規則】によってここにダイレクトシュートを決められた僕は、立ち込める土煙の中、その視界を晴らすように放たれた軽快な台詞に、反射的に返事をしていた。心境としては、廃墟に入り込んでしまった時に虚ろに向けて虚勢を張った声を上げるとかのような感じだった。
「いやいや、阿良々木くん。亡人の裸婦を『印象薄い記憶』に分類するほうが疑問だぜ」
たしかにその通りだ。
けれど、その話は置いといて。
今はそうではない。
「いやいや、そうじゃろう。置いとくでないわ、その話を。その不謹慎で浮ついた情事を」
「って、忍?」
「のう、お前様。儂の知らぬ所で見過ごせない事があったようじゃが」
「……なにもなかったよ」
「うんうん、何にもなかったぜ。阿良々木くんに起こったのは、未亡人ならぬ美貌人にして亡人のお姉さんと裸で触りっこしただけで、何にもなかった。なぁ? ……ま、いわんや、何人もないことなのかもしれねーけどさ」
「ほう?── ほほう?」
取り繕う暇もなく、取りつく島もなくなってしまったので、僕は目を逸らした。逸らした先の光景、斧乃木ちゃんは、瓦礫の上に座り、ゲームを触っていた。ニンテンドーの元祖二画面のやつ。
時代感あふれるけれど、あれって、あんなに分厚かったっけ? 弁当みたいだ。
「視界どころか現実からも目が逸れているぞ、お前様」
「……い、異議あり!」
「なんじゃ」
「あの時は、お前を探すためにしょうがなかったんだ!」
「そんなっ。私のことそんな風に思っていたの!?」
「ええと、遠江さんはちょっと、黙ってて下さい」
「……誤魔化すにしてももっと創意工夫を凝らして、一生懸命せい」
「じゃあ、直球勝負で」
「うむ、わしが寝る前に解決せい。しからばこの件は流してやらんこともない」
「──了解」
ならば、問わせてもらう。
忍の顔はとうに僕から外れ──あるいは、逸れて。臥煙遠江へと向いていた。どうやら、浮ついた情事は彼女の500年の前には数秒保たない話題だったようだ。
だから、この常套句で冗句のようなやり取りはもうしまい。
きっとここから先は、よりカクシンテキな話になることは想像に難くなかった。
「臥煙遠江さん。あと、斧乃木余接ちゃん。あなた方は、本当に僕たちのことを知っているのですか?」
「知っているか知っていないかなんてのは、どうでもいいのさ。大事なのは、その先の先。未来の話だろう?」
カクシンテキな話にならなかった。肩透かしもいいところである。
見事なまでのはぐらかし。重なる戯言はかき消さないほどの煙となり僕を霧中へと誘う。まるで夢中である。
というか、確信的な決意を返して欲しい。
いい加減核心的な話をさせてほしい。
ここまで煙に巻かれてしまうと、寧ろ、こうやってはぐらかさなければいけない理由があるのかと勘ぐってしまいそうになる。
が、しかし。
専門家としては、それはある意味正しい態度かもしれない。
だって、専門書は結論と理由に小難しいレトリックをつけた物になりがちであるし。
だって、純小説はありふれた風情を陰鬱に、かつ叙情的に書き殴った物になりがちだし。
だって、政は当たり前の事柄を当たり前の別柄に誤解されるような言い回しをするものになりがちだし。
コケにされていると言われてしまえばそれまでだが、分かる人には分かるコケなのだと言われてしまえばきまりが悪い。
これが素人の虚仮威しであれば薄ら寒さに凍えながら『何をそんな斜に構えて、物知り顔で陰鬱なこと語ってんだよ。いい歳してまだ思春期か?』と何様な態度で断罪を試みたくなってしまいなくなるし、鏡写しに水をかけ合いたくなってしまうが。しかし。
けれど、遠江さんはそうじゃない。彼女は立派にいっぱしの専門家である。そうでなくとも、畏るべき専門家集団のトップを担う素養を持つ女傑である。
そうも考えれば、コケの良し悪しは分からずとも、コケの有無に対しては理解を示してやろうという気にはなりはしまいか。
納得はせずとも知ったかくらいはしてやろうという気概は出てくるものだ。
なにせ世の中には、知っていることだけは知っている人もいれば、何でも知っている人もいる。知ったかぶることを知ったかぶる人もいれば、ただ知った風である人もいる。
無知の知の思想をすくい取って満足するような生き方しかできない、平々凡々に平穏平安な僕からすれば、なんとも遠い世界のお話だけれど、そんな彼女達には恐るべき共通点があるのだから。
知を知り、知を記し、知を敷いてみせる。
その極地に至った人間にしかできない現象にして現像。
想像にして創造。
手抜きでない煙──摂理。それは絶域。
なんだか、ラップみたいになってきたが、そういうこと。
要は、煙に巻いたような話だった。
とはいえ、事件は終盤も終盤。五里霧中な結末など、素人の虚仮威しよりも見てられない。目も当てられない。
焦点当てるべきはただ、分かりやすいオチ。それだけである。
落ち着け、僕。
遠江さんは超天才肌である。なんとなくの確信に理由が付けられていないのかもしれない。
結論とレトリックだけの専門書のような状態なのかもしれない。
ならば、僕が翻訳の言葉を、理由を聞き出すしかないじゃないか。
「……未来の話。確かにそれは重要かもしれません。けれど、遠江さん。知を切り捨てる程度には持っている遠江さんなら分かるでしょう? 僕らにとっての未来がなんなのか」
「分かるとも。阿良々木暦くんの未来が君にとっての現在にしか過ぎないことも。私が君の時間に介入したことの意味も。君たちが今後進むべき未来も。ついでに言えば、一連の【ドッペル騒動】の真相もな。……けど、それをこの遠江ちゃんがアンタに伝える由縁がねーのも分かっちゃあいるぜ」
「──それを言うならば、僕も貴女に拐われる通りはないはずですが」
「それはあった。あったからこそ私はソレを行ったわけだからな」
タチの悪い運命論者に捕まった気分だ。
なんと言うか、この人はアレだ。
きっと彼女の庇護下にあった人物に多大な影響を与えてきたのだろう。
はぐらかした調子も、何かに従ったような強情さも、妙に説得力のある喋りも、知ったかのような風体も。
全部全部、どこかで色んな誰かから感じたことがある。
統合された専門性はこうもやりにくいのか。
「けどね、私は一方でこー考えてもいるわけだ。『その誘拐という果を被った君達は、その因を知る権利があるんじゃないのか』ってな」
「と言いうと?」
「『被害者面が気に入らねえ』ってことさ」
彼女はシニカルに花笑み、暗く澱んだ目つきだった。
僕は、ぐうの音も出なかった。
だって、今回の件に関しては、分かりやすく僕は加害者だったから。
僕が世界を跨いだせいで、この世界は冒された。
僕がドッペルゲンガーを生み出したから、この事件が始まった。
断罪なんて烏滸がましい。
立場をわきまえていないのは僕らだったというわけだ。
僕らはこの世界における絶対悪だったという。そんなオチ。
早すぎるしっぺ返し。挙げ足取り。
早すぎて、他人事のように身につまされた気分すらしていた。
「……ん? いやいや、違う違う。そーじゃねえ。いやね、別に阿良々木くんの軽率な行動の数々が因であることをここで箴言するつもりはないんだ。さっきも言ったけど、私がしたいのは過去の話じゃなくて、未来の話だからね。だから、『被害者面』っつーのはそーゆーことじゃない」
「……え?」
「理にかなったことを聞いたって君達がどうこうなるわけじゃない。それは建設的じゃないだろう? 君は自分を責める事の悪を随分と自覚したらしーけど、大人の世界では君を叱ってくれる人なんていないんだぜ?」
責めること、責められること。
今、そんなことを考えるべきではないことは分かっている。しかし、過去と未来、因と果。それを繋ぎ止める要は省みることしかないんじゃないだろうか。
一方通行の時を過ごす僕らにとっては、特に。
「ただね、君は知らなきゃあいけない」
「……未来をですか?」
「いやいや。過去のことさ」
「過去?」
今まで散々否定されてきたワードがポツリと現れ僕の心を鷲掴む。
遠江さんは目つきはそのままに微笑むと僕との距離を詰めた。
「君達にとっては過去じゃないが、私達にとっては過去。けど、対岸の火事とは言わせない。そんな事実にして罪」
「……」
「……事件の真相さ。まさか、さっき君の分身に傾聴させていた戯言、アレが本当に真相だなんて思ってないよね? ──うんうん、だと思った! じゃあ、私が教えてあげる。名探偵ってのは、遅れてやってくるもんだからね」