後日談、というか今回のオチ。
まあ、状況は全然落ち着いちゃいないんだけど。
僕は愛すべき妹達に起こされることなく起床した。
『知らない天井だ』なんて言うことはもう、流石になかった。
高校を卒業した時点で、火憐ちゃんと月火ちゃんが僕を起こしてくれることはなかったが、僕は実家暮らしだったので目を覚ませばいつも下階では姦しい声が聞こえてきていた。だから特段、独りで起きることにはなんの感傷もないのだが、それでも起きて顔を上げても静寂が家を満たしていることには一抹の寂しさを覚える。
まあ、それでも太陽は相も変わらずいい感じに顔を見せているので、僕は布団から身を起こし、出かける準備を済ませ、仕上げに洗面台の鏡に向かい、ヘアスタイルを整える。
姿写しの向こうに見えるのは昨日と変わらない長髪の青年。
ここで、もし、鏡に写っていたのが短髪の青年だったなら、いい感じの余韻を持つホラーエンドになったのかもしれないが、そんなことはなかった。
腕時計を見ればそろそろいい時間である。
僕は誰に言うでもなく一言「行ってきます」と添えるとドアに手をかけた。
そうして外に出て数分。道すがら考えていたのは先日の事件のこと。
『そんな未来の君を、止めて、大人しく元の世界に帰って欲しい』
特に、遠江さんの言葉のこと。
まさか、ドッペルゲンガーでもなくこの世界の阿良々木暦でもなく、ましては他人でもない、他の誰でもないただこの自分が犯罪のオンパレードを行うことを宣言される事になるとは夢にも思っていなかったが、意外な事に、話の本題はその後にあった。
『ゆえに、君には近々過去に戻ってもらうことになる』
もちろん僕は、そんな遠江さんの依頼を受ける意向を示した。
受ける理由なんて必要ないくらいに、既に、僕は立場として被害者ではいられなかったし、未来の自分とはいえ、自分の尻拭いくらいはいい加減できなくてはならないという使命感に駆られたからでもあった。
『過去に戻る、と言っても君達の世界流で行うのではなく、私達の世界流で執り行うことになるから、それまでは待機してもらうことになるんだけどね』
と言って、遠江さんは諸々の理由や事情を説明してくれた。
本題というだけあって、内容は入り組んでいて理解するのにそこそこの時間を要したが、それでもなんとか表面をなぞることはできた。
「……おはよーなのだ!」
「あれ、平賀? どうしてここに? ここは男子寮だぞ」
「あやや、聞いたのだ! 阿良々木くんと遠山くんの部屋で爆発事故があったって! 大丈夫だったのだ?!」
「あー、なるほど」
遠江さんとのその後を語るならば、こちらも語らねばなるまい。
そう、結局あの裁判染みた話し合いは、爆発オチにて終了していた。幸いなことに、ジャンヌ・ダルクは捕縛されたまま、無事逮捕まで至ったらしいが、部屋の中は滅茶苦茶になってしまった。
そのため、僕と遠山は一時的にそれぞれ別の小部屋に押し込められているのであった。なお、ドッペル騒動についての言い訳その他は今日行う予定である。てか、ケータイには、見るのも恐ろしい位、神崎からの着信があった。
「いや、なるほど。じゃなくて」
「ああ、ごめんごめん。心配してくれてありがとな。……けど、大丈夫だよ。貴重品は全部無事だったし。爆発も人一人殺せるくらいの規模だったから、そう危なくもなかったから」
「なら安心なのだ」
自分で言っといて、どこが安心なのだか分からないが、そう、人一人。ここで言い訳をしても意味もないので、ぶっちゃけてしまうと、斧乃木ちゃんは僕らの脱出と同時に僕のドッペルゲンガーを殺してしまっていた。結局、あれがどっちの世界のどのような怪異だったのかは分からずじまいだったけれど、遠江さん曰く、これもまたドッペルゲンガーの対処の一つということらしい。
力関係として本人よりドッペルゲンガーの方が上なら、他人がドッペルゲンガーを始末してしまえばいいという。
対処されたのが僕の生き写しということもあって、後気味は決して良くないが、これにて決着。
この【世界の僕】という立ち位置は、晴れて、この僕が任命されたということらしかった。
「……名実ともにドッペルゲンガーになっちまっあなぁ」
「んん?」
「なあ、平賀。お前、もし自分の体が二つになったらどうする?」
「うーん、イタリアとアメリカに同時留学したいのだ」
「そりゃいい考えだ」
殺すでも生かすでもなく活かす。
いや、この場合は行かすのだろうが、確かにそれは有意義な答えだった。
「そーいえば、アララギくん」
「ん?」
「あれから銃の調子はいかがなのだ?」
「すこぶるいいよ。今ならランクも上がりそうだ」
「なら良かったのだ。……あと、それでね、ちょっとお願いしたいことがあるんだけど、学校に着いたらラボによって貰っていい?」
「ああいいよ。丁度、バイト関連の話もしたかったしな」
「ん! 約束なのだ!」
そう言って彼女はタクシーを止めると乗り込んで先に言ってしまった。さすが武器商人、ブルジョワジー。
「……さて」
庶民派な僕はバス停へと歩みを進める。
今日は5月8日。アドシアードの片付けも済み、本格的に学校が始まる日だ。全然知らない未知の世界に飛び込むということもあり、変な緊張感が僕を満たしている。
そういえば、遠江さんは別れ際に気になることを言っていた。
『僕に監視者を寄越す』と。
さっきもいったが、流石に自分のやらかしくらい、いい加減理解しているので、僕はそのことは四の五の言わず受け入れたが、一体誰が来るのだろうか。普通に考えたなら、僕の世界よろしく斧乃木余接ちゃんが来るのだろうけれど……。
「のう、お前様」
「あれ、忍。まだ起きていたのか」
「いやなに、聞き忘れておったことがあってな」
忍は顔のみ影から覗かせる。
ホントに聞きたいことがあるだけらしく、聞いたら直ぐに引っ込むつもりのようだ。
「聞き忘れたこと?」
「うむ。まあ、今となっては些細でどうでも良いことなのじゃが」
「ふうん。……なんだよ」
「あの人形娘のことじゃ。アレは一体、何者なんじゃろうなと思ってな」
「そりゃあ、人形で式神な怪異だろ」
「それは、そうじゃ。力も儂らの世界のあやつと同程度じゃったからな。……しかし、儂らの世界のお前様の作り出したお前様の異世界ならともかく、ここは並行世界という怪異の存在すら怪しい異世界じゃ。だというのに、それなのになお、あの人形娘は儂らの世界のアイデンティに接続しアジャストしておった。……そんな機能、あまりにも強大だとは思わんか? 機能を通り越した力であるところの能力を超えた超能力とは異にする異能力とは一線を画す権限。あそこまでいくと、まるで権能のようじゃ」
「権能」
それは、能う権利であり、つまりは摂理である。斧乃木余接の全く変わらない振る舞いが、そんなメタ性の保有に匹敵しているということなのだろうか。
「──
「それは、遠江さんを盲信するなということか?」
「……まあ、わかってればそれで良いのじゃが──が、ゆめゆめ忘れるなよ。お前様と儂はいわば一心同体。おはようからおやすみまで、儂のゆりかごからお前様の墓場まで、そんなツーマンセルなのじゃ。……じゃから、儂を失望させるでないぞ」
「ああ、わかってる」
斧乃木ちゃんがそんな大仰な存在だとは思えないけれど、あの二人の立ち位置がわからない以上、安心し切るのは得策ではない。
全く、気の休まらない状況である。
僕の言葉を聞いた忍はとぷん、と影の中へと消えていった。
あくびもしていたし、しばらくは出てくることはないだろう。
さて、空を仰げば、雲はない。いわゆる快晴だ。
まっさらな青。白ひとつない真っ青。
見慣れない舗装路は予想を裏切らない熱波を放ち、花粉を放つ街路樹は綺麗な緑葉を揺らしている。
僕が平安貴族だったら一句読みたくなるくらいの清々しい日である。ならば、いつまでもこんな陰湿な憂いを纏っているのは健康的でないだろう。
だから、今日ばかりは、僕は進もうと思う。
花をスカートに携え、服より華やかに
実直に、それでいて、謳歌として。
能天気、あるいは阿呆でいることはすげー得意だ。
大学生になったからといってそこは変わらない。
むしろ、大学に入ってからというものの、一層、得意になった気さえする。
家族があって、友達ができて、恋人ができて、そうやって。
人の縁が広がることで僕は確かに幸せになった。
執着が生まれ、弱みが増えて、情けなくなった。
カッコつけることはできないし、格好だって悪くなった。
調子に乗って異世界にだって来てしまった。
それでも!
僕は、幸せだ。
急ぐことなく大人になれて、今まで生きてきて、これからも生きていける。
生きて生きて生きて、そして。
時を巻き戻して、かつての時を繰り返して。
やがて僕は人殺しをするのかもしれない。
ならば、僕はそれを止めよう。
明日の僕を戒めて、未来であり過去の過ちを止めてみせよう。
そして、元の世界に帰って、一つ息を吸って、はいて。
大学のカフェテリア、できればオープンテラス席に行くのである。
こんな青空の下、テラスから見える木々のせせらぎなんかを感じちゃったりしながらコーヒーでも一口ふくむのだ。
それで、僕は自分の席の向こう側にいる最愛の彼女──戦場ヶ原ひたぎが『それで? 何があったの、暦?』なんて問うてくるのにげんなりしつつ、報告するのだ。
本を読むように。あるいは、巻物を解くように。
左から読んで、右から閉じて。
それで、いつもの日常に戻っていく。
その為に一歩。
僕が為の二歩。
照りつける日差しを駆けていく。
「──って、あれ?」
気づけば浮かんでいた笑みと軽くなった足取りに身を任せていると、ゴマのような影が視界を横切る。
目の前──いや、上?
「きゃああああああああああああ!!」
「おいおいおいおいおいおい」
ゴマほどの大きさだと思っていたソレはあっという間にその正体──重力に引かれた少女となっていた。
空気抵抗に晒されたロングヘアが顔を隠してしまい、少女の顔は見えないが、どうやら制服を見るに僕と同学生のようだ。
僕は思わず腕を差し出し、受け取る姿勢を取った。
「むんっ!!」
本当にギリギリだったのか、腕を差し出してから文字通り間もなくして、ずしりと腕に大きな負荷がかかる。衝撃を和らげようと曲げた膝がミシミシと悲鳴をあげる。それは、普通の人間だったら関節が砕けてしまう程度には重かった。
痛さのあまり、目尻に涙がたまる。
と、それと同時に、頭にふとした光景、というか思い出が浮かぶ。
「……ご、ごめんなさい」
女性徒は、腕をぎゅっと握られて謝罪する。
しかし、僕の耳にその声が届くことはなかった。
正確には、僕の耳に届いたものの、言語の形態として脳みそが処理することはなかった。
それは痛みに耐えることに必死になっていた、ということではなく。
その他の情報の波すらも処理しきれていなかったからだった。
てか、いつのまにやら痛みを感じる余裕すらもなくなっていた。
「ごめんなさい。つい、足を滑らせてしまって。……ええと、言い訳じゃないけれど、私、普段からこんな感じというわけではないのよ。なんならむしろ、しっかり者のお姉さんとして名が通っているくらいよ。だから──」
自分の痴態をアワアワと否定する女性徒。
ボサボサになっていた彼女の髪は再び重力に引かれ、顔面を露わにしていく。
「──ゴホン。いやね、まさか屋上の隅にあんな物が置いてあるなんて、流石の私も気がつかなかったわ。ていうか、思いもしなかったわ。助けられた私がいうのもなんだけれど、あなたも気をつけた方がいいわよ。……捨てられたバナナには」
その御顔は忘れるはずもない、どころか考えなかった時だってない。
……ああ、そうか。
5月8日。
一年前。それは僕が彼女に会った日。
「こんな格好でいうのもなんだけれど、今日付けであなたの監査役に着きました、【戦場ヶ原ひたぎ】と申します。以後、よろしく」
抱え込まれた恥ずかしさからか、今まで見たこともないような照れ顔を見せてながらも、毅然とした態度で彼女はそう言ったのだった。
巻き直すべき
そんなわけで、物語は続く。読めど読めど、開けど開けど。
人生のように。
【あとがき】
長らくお付き合いいただき、ありがとうございました。
これにて、【暦ドッペル】完結となります。
色々言いたいことはありますが、それは飲み込みまして。
まずは、次章の目処が立つまでこのssを【完結】にさせていただくことを、ご報告させていただきます。
以降は『TSしまりん日和』の更新をしていこうと思いますので、そちらの方もよろしければ検索してみてください。
ss本編の方はともかく、可愛い支援絵だけでも。是非。
最後に。
感想を書いてくださった方、評価をつけてくださった方、誤字報告を行ってくださった方、そして読んでくださった皆様に、重ね重ね、お礼を申し上げます。
ありがとうございました。