巻物語   作:さゑら

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005-B

 およそ9ヶ月ぶりにもう一度白状させてもらえるなら、僕は今回も忍が行うタイムスリップの成功を信じていなかった。

 全然。

 ピンからキリで言えば、さらにその下。

 つまり0割。

 0パーセント。

 

 全く信じていなかった。

 

 多分、僕の中にはまだタイムスリップやタイムワープが非現実的なものであり、そう軽々しく行えない神聖的なものであるという意識があったのだ。

 一度経験したにも関わらず。

 一度経験したからこそ。

 易々と何回もできるものじゃないと思っていたのだ。

 

 というか、いくら好物のドーナツが発端とはいえ、それでもまさかドーナツ程度のことでここまで大掛かりなことを実行に移すなんてことはないとタカを括っていたというのが正直なところだ。

 

 前にも言った記憶があるが、僕はこのタイムスリップ云々の話を忍の『ごっこ遊び』だと考えていたのだ。

 忍が気まぐれに初めて気まぐれに終わらせていく、そんなごっこ遊び。

 仮定の遊びにして過程を楽しむ遊び。

 言ってしまえば、いつものお約束の遣り取りだ。

 

 自信満々に『ミスタードーナツアフリカ上陸計画』なる物を見せてきた昼下がりのように。

 一気呵成に作ったであろう低クオリティな変態仮面のコスチュームを持って僕の睡眠を妨げて来た朝ぼらけのように。

 

 そんな他愛ないごっこ遊びだと。

 忍を舐めて痛い目見たくせにまた舐めてしまった。

 喉元過ぎれば熱さ忘れて火傷も直ってしまった。

 ただ、今回僕が甘く見ていたのは忍本人ではなく忍のドーナツに対する執着心だったけれど。ドーナツだけに。

 

 ドーナツ大好きかよ。

 それでいいのか600歳。

 

 だけど、その辺に漂っている非科学的なナニカになって過去に戻ってしまおうなどと、今時中学生でもしないであろう類の妄想に巻き込まれたとはいえ、僕がゴールデンウィークだからと浮かれていたのは紛れもない事実である。

 

 特に、神原に余計なことを言っていた自覚もある。

 

 子供が子供の世話を焼くなど、まるでいい歳してママゴトをするかのような羞恥。その上、その内容が首ナイフ問題並みの見当違いなのだからタチが悪い。

 タイムスリップをタイムストリップと言い間違えるようなものだ。

 一文字違いが大問題である。

 上下を入れ替えたらとんだサービスタイムになってしまった。

 恥ずかしいお節介を焼いたものだ。

 

 しかし、それでも僕のことを先輩だなんて呼んでくれるのだから直江津高校きっての麒麟児は器が違う。

 器量が良くて、丁度良い。

 ちゃんとしていて、しゃんとしている。

 

 一本筋が、通っている。

 

 僕みたいな筋が枝分かれして、千切れ途切れで、破れかぶれな人間とは根本的に違うのだ。

 けれど、歩んできた人生が違うということは、そういう所が違うということなのだろうとも思う。

 例えばタイムスリップで真っ先に思い浮かんだ八九寺なんかは一本筋が筋肉になって歩いているような少女だし、戦場ヶ原は筋で衣服を編んで着て歩いている。そんなことを言っていたら羽川は筋を通り越して一人一枚岩だ。

 

 どいつもこいつもブレない。

 キャラが濃いというかなんというか。

 

 そんな彼女達だからこそ、そんな性質とはまるで正反対な僕みたいな根無し草に興味を示したのだと思うし、僕は彼女達に馬鹿みたいにすり寄っていった。

 観客と道化のような関わり合いだ。

 だから徐々に僕が負い目を感じ始める。今の関係性に疑いを持ってしまう。それこそが負い目になると知らずに思い込んでしまう。まさに泥沼の様相。

 

 そういう意味で言えば、八九寺とのファーストコンタクトの時に忍野に言われた通り、まさしくあの時の僕は調子コイていて余裕がなかったと言える。

 その結果が、忍野扇の爆弾と去年事件の全貌に直接繋がることになってしまったのだが……。

 

 閑話休題。

 

 ええと……どんな話をしていたのか忘れてしまいそうだが、つまり、忍のこんな剽軽な実行が成功するとは思っていなかったのだ。

 

 逆説的に言ってしまえば。

 

 端的に告げてしまうならば、タイムスリップは成功した。

 成功してしまった。

 ──多分。

 

 確証は持てていないけど。

 

 というのも、ここまで語っても尚、未だに僕の視界は幼女の柔らかいお腹で一杯、何も見えない。けれど、抱きつかれてから瞬きをするよりも早く、ちょっとした浮遊感の後異様な匂いが香り出したのだ。

 僕にとって、忍に抱きつかれているだけで浮遊感が起きたこと自体驚くべきことなのに、それに加えて香りの変化があった。これはもう、忍が何かやらかしてしまったことを察するには余りある証拠だった。タイムスリップしたのかは、置いていての話だけど。

 

 鼻につく匂いは三種類。

 一つ目は、煙の匂い。

 包まれたような息苦しさはなく、ツンと香ってくる指向性のある香り。

 二つ目は嗅いだことのない匂い。

 それは辺り一面に漂っている。後に弾薬に添加された硝煙遅延剤によるものだと分かるその匂いは、僕に強烈な違和感を与えた。

 そして最後は、後ろの方から香ってくる吐き気を催す何らかの香り。不思議なことに、その香りは僕にとって途轍もなく懐かしさを感じさせるものだった。

 

 そんな混ざり合う三者三様の異臭漂う中、忍は動く気配を見せない。コアラ抱っこを止めるそぶりが感じられない。

 

「おい、忍。いい加減どいてくれ。やっぱり失敗したんだろ?」

 

 申告しやすいように煽るように言う。前回と違ってスリップ後直ぐに判明したということはどこか遠い異国にでも出てしまうまたのだろうか?

 

「……」

 

 帰ってきたのは無言だった。

 八月のタイムスリップの時のように、案外ぞんざいな態度で軽口を叩き返してくるだろうという僕の予想とは裏腹に、忍から帰ってきた反応はびくりと肩を震わせて僕を抱きしめる力を強めるというものだった。

 

「……忍?」

 

 それがなんだかどうも冗談ならない事態の時に表れる反射に思えて、僕は冷や汗がどっと出るのを感じる。最悪の事態、とは行かないまでも少なくとも8月の時に似ている展開になっているのは確定のようだった。

 

「……おいおい。まさか、また12年前にタイムスリップしちゃったのか?」

「……」

 

 あらゆる確認を含めて再度声をかける。

 無言を貫き、更に力を強める忍。

 忍は自分の顔を僕の頭にうずめたようで、彼女の鼻の頭が旋毛に当たる感触が伝わってくる。これはこれで……なんてことはなく普通に痛い。万力でカリカリやられている気分だ。単純に腕力が強い。

 頭が弾け飛びそうだっ!

 

「痛いたいたいたたた! 忍! シャレにならない強さになっちゃってるから! 僕の頭が潰れちゃうから……あっ」

「……」

 

 情けない声で悲鳴をあげていると、忍は腕に込める力を弱めてくれた。そして、その代わりにワナワナと腕を震えさせ始めた。

 

「おいっ、忍……って、忍? お前、震えてるのか?」

 

 あの忍が?

 笑いを堪えているとかか?

 いや、違う。

 怒っている?

 いや、そうでもない。

 畏れているのか?

 百戦錬磨の600歳の大怪異が?

 死んでも死なないような不死身の吸血鬼が?

 冷や汗どころではなく、震えているというのか?

 

「おい、忍!?」

 

 平行世界が滅びかけていた時でさえ見せなかった異常な態度。それが伝染して、僕まで気が動転しそうになる。畏れの対象が恐れているのがこんなに怖いことだとは思わなかった。怖いというか不安になる。

 ぐらついて倒れてしまいそうだ。

 そのまま滅入ってしまいそうだ。

 恐怖に飲み込まれて何もできなくなる前に、とりあえず忍を離そうと彼女の幼女らしいイカ腹を両手で掴み前へグッと押した。柔らかな肌に自分の指が沈み込んでいくのを見ると、どうにも痛そうで力を緩めそうになるが、今一番痛いのは確実に僕の頭なので、吸血鬼だけに心を鬼にして敢行する。

 忍が意外と簡単に手足の力を抜いたため、彼女の体は僕に押されるがままに宙へと持ち上がっていき、数秒もしない内に高い高いのポージングになる。

 力が込められないほどに何かを怖がっていたのだろうか。

 

「……忍?」

 

 忍は口を一文字に結び大きな金色の瞳をつぅ、と逸らしている。綺麗に移ろう瞳孔が転がるビーズのようだ。

 タイムスリップという現象に引きずられているのだろうか、その表情が前回の時間遡行に失敗した時の忍を彷彿とさせる。

 ……いや、前回が『陳謝』の表情というなら今回の場合は『心配』や『不安』の感情がより色濃く出ているように見える。

 僕に怒られないか心配しているのか。

 元の世界に戻れるかが不安なのか。

 それともまた別の懸念があるのか。

 現状が飲み込めていないことも手伝って僕にはまだ、夏休みの時のようにフラ歩いていれば、物語と時間が過ぎるままに帰れるんだろうなぁくらいの余裕がある。

 ということはつまり、そんな呑気な感情がペアリングによって忍に流入しているにも関わらず、忍は何かに怯えているような態度をとっているのだ。

 

 もしかして演技なのだろうか。なんて考えるまでもなく、この状況がマズイなんてことは僕でも分かる。だって、異臭が漂う場所がおかしくないはずがないのだから。

 そうこうウダウダと混乱していると忍は重い口を開けた。

 

「……そのぉ、えっとな、お前様」

「なんだ?」

「……うん。あの、えと……そのじゃな」

 

 知悉とまでは行かないまでも把握くらいさせてくれと、湧き出る焦燥が僕を苛立たせる。責め立てる。

 

「なんだよ、いつもの歯に衣着せぬ物言いはどこに言ったんだよ」

「う、うむ。その……お前様、失神するでないぞ?」

「……は?」

「──後ろ。心を落ち着かせながらゆっくりと後ろを振り向くのじゃ。……いいか? 絶対に水に波立つのも許さんくらいの気概で平常さを保つのじゃ! 分かったのか?!」

「わ、分かった。分かったよ。──要は、そんなに語気を強めて言うほどの何かが後ろにあるってことなんだろ?」

 

 僕だけでなく、忍も落ち着かせる意味を込めて数回深呼吸をしようと思ったが、なにぶん異臭が凄いので忍を再び抱きかかえることで代替とする。暖かい。

 そして、幼女らしい少し早い心拍数でトクトクと血が巡っているのを感じた。

 ……そういえば、僕が遭った怪異の中でちゃんと生きている怪異って忍だけなんだよな。扇ちゃんは微妙なラインとして、そのほかの怪異は総じてあやふやだった。体なくて、型作られていなかった。

 人に宿ったり霊体だったり死体だったりと、こう評すのもなんだが──ちゃんと死んでいる。

 丁と終わっている。

 生き様が整理されていた。

 大抵の怪異が死の上に成り立っている中、生き続けることを強いられた怪異が『怪異の王』と呼ばれるのは偶然か必然か。ひょっとしたら吸血鬼という怪異は『怪異』という概念よりも『UMA』といった生物に近いんじゃないのか──なんて、現実逃避。

 

 よし、戯言はこの辺でお開きだ。

 なんの不自由もなくのうのうと生きてきた僕に似合わない言葉遣いはもうお終い。脳のどこかへ仕舞うべきだ。

 

 振り向く前に己にある自信の程を確認しよう。

 

 春休みの地獄。

 ゴールデンウィークの悪夢。

 夏休みを起点とした一連の騒動。

 どれも凡庸だとか一般的とかからかけ離れた体験群だ。

 修羅場、といっても過言ではないだろう。実際地獄の入り口まで行っちゃってるし。

 逝っちゃってるし。

 それに比べたら後ろの後悔なんて(想像はつかないが)僕が殺される寸前だったとかいう安い洋映画のような展開でない限り心乱す道理はない。

 

 だから、僕は振り向こう。

 なんでもない日常の延長線上を観やろう。

 ニチアサを見るようなドキドキもなく、八九寺を目にした時の胸の高鳴りもない。ただ淡々と小さい妹のパンツを目撃した時のような適当さで。大きな妹の胸を揉んだ時のような気軽さで。

 

 何でもない、街角を。

 さぁ、見よう。

 日常を。

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