鹿屋基地が設立され2年が経とうとしていた。
当初6隻しか居なかった艦娘も今や18隻へと増えていた。提督が望んだ戦艦や空母は現れず、戦力の大半は駆逐艦ばかりではあったが賑かになっていた。
睦月は皆より早く布団から抜け出し、日課である海辺の散歩をしていた。この基地に配属以来欠かすことの無い儀式のようなものだ。波打ち際に着くと辺りを見渡し誰も居ないことを確認すると服を脱ぎ裸になった。
『 パシャ パシャ 』
晩秋の冷たい海水に身を沈めるように沖へ向い歩きだす。肩まで浸かる辺りで一気に潜り全身を海中に沈める…
「……(我慢しなきゃ! 私が我慢していれば…)」
提督との関係を他の仲間に気付かれないよう… 睦月は毎朝海に身を沈め…その汚れてしまった身体を浄めるかのように…その日の涙を全て出し切るかのように
―― 泣いた ――
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海辺から戻った睦月の耳に基地の喧騒が聞こえてきた。
まだ6時を過ぎたあたりのはずが、既に多くの人声がする…… 様子がおかしい
「どうしたんだろ? ‥まさか敵襲!? 」
咄嗟に睦月は深海棲艦の襲撃を疑い基地へと走り出した! ここ鹿屋基地は戦略的価値は低い沿岸警備基地であり、深海棲艦から攻撃は散発的なものでしかなかった…これまでは。
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基地に戻った睦月の目に飛び込んできたのは!?
多数の軍用車両と大勢の憲兵の姿だった。
この基地の憲兵で無いことは車両に書かれている『佐世保鎮憲』の文字が物語る。
「なんで佐世保鎮守府の憲兵さんが? あっ!? 」
見えたのは…
後ろ手に手錠を嵌められた基地憲兵隊長と部下の憲兵達の姿だった! 後ろには提督の副官も連行されて車両へ乗せられようとしているではないか! 姿は見えないが提督の怒声が建物から聞こえてくる…
咄嗟に睦月はそのまま海岸へと踵を反し逃げ出していた。
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逃げなきゃ! 逃げなきゃ! 逃げなきゃ!
あの様子だと提督も逮捕されたのだと悟った睦月は夢中で逃げ出していた。恐れていたのだ… 仲間達に提督との関係が発覚することを! 否、既に発覚している…
「もう戻れないよぉ… 」
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それからどれほどまで走っただろう? 随分と遠くまで来ていた。
何処をどう走ったのか分からない。睦月にとって陸地は知らない場所ばかりなのだから… 民家が建ち並ぶ住宅地や田畑が広がる農村を抜け、疲れはて歩く足取りは重くなりトボトボと宛てもなく彷徨ううちに辺りは暗い夜になってきた。
「どこ‥ここ? 高い建物がいっぱいで明るい…人も車もいっぱい…」
徐々に電灯の灯りが明るく照らす街中に入り込んでいる。街どころか基地の外に出たのが初めての彼女には異世界に見えた。家路を急ぐ人の群れ、ビルのショーウインドウには様々な品物が並ぶ中で睦月の目をひいたのはガラス窓越しに並ぶ数々の料理だった。
『 グググゥゥ 』
お腹の虫を鳴らしながら窓越しに並ぶ料理を見つめる睦月。そういえば… 朝から何も食べてない。
艦娘と言えど最低限の食事は採ることが好ましいと軍令部からも指導があるように、人間の身体を持つ彼女にも空腹感があり辛いのだ。ましてや目の前に並ぶ料理はどれも見たことの無い美味しそうな見た目をしている。
『ママー! あのお姉ちゃん何してるの? 』
『しぃ! 見ちゃダメ! 』
通りすがりの親子連れが足早に過ぎて行く。傍目から見て睦月は頭の可笑しな娘にしか見えないのだろう。彼女が涙と涎でぐじゃぐじゃになりながら見つめるのは料理模型なのだ… 食べられません。人間なら誰でも知っていることが彼女にはわからなかった。
「おいしそう… ラーメン300円? カレーライス400円‥お金がいるんだ! お金…もってない。食べられない… あれ? …いい匂い」
匂いの元は傍の歩道に出ている屋台から漂ってきていた。赤い提灯が提げられ秋が深まる寒空の下を暖かに淡く照らしている。
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「オジさん! とりあえず熱燗ね♪ それと大根と白滝と‥」
「俺も熱燗で‥ がんも‥高っ! 」
『おにいさん、大豆が値上りして豆腐類は高めなんだよ』
屋台では若い男女がおでんを品定めしていて豆腐類の値段に驚いている。輸入が滞りだして大豆が高騰している影響らしい。男は悔やんだ…先物取引で大豆を買わなかったことを。
「あら? あなた豆買ってなかった?」
「買ってたよ… 小豆」
豆違いで大損である… 小豆は北海道で豊作だったそうな。
「ちょっと大金入ったからって欲出すからよ! 堅実に生きないといけませんよ? ハフハフ」
女は膝の上に真新しいバッグを大事そうに抱えながら熱々の大根を口にする。
「堅実? バーキン買わせた女の口からそのセリフ出るのか?」
聞こえてきた会話の内容はさっぱりだけど、とても仲の良さそうな二人…
こういう人達のことをカップルとか恋人って呼ぶんだって誰か言ってたっけ…
「オジさん‥お皿に適当に盛ってちょうだい」
『はいよ!』
「そこのあなた! こっちにいらっしゃい」
女の人が暖簾を開いて手招きしている。顔が見える…長い髪の綺麗な女性が優しく微笑んでいた。
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「えっ!? わ‥わたし?」
思わず自分の顔を指差して回りを見回すが、他に誰もいない… 呼ばれたのは私なの?
「そ、あなたよ! 早くいらっしゃいな!」
綺麗なお姉さんはクスリと笑うと早く来いとばかりに隣の男の人に席を空けさせ、その空いた席をポンポン叩いて催促している。
「失礼します…」
睦月はカップルの間にちょこんと座る。
「食べなさい。お腹すいてるでしょ? 」
ホカホカと湯気を上げるおでんが盛られた皿が目の前に差し出される。
「え? いえ‥全然空いて‥ゴクッ 」
『 グググゥゥ ギュルル 』
睦月は否定しかけ‥た途端腹の虫が暴れ声をあげ‥顔を真っ赤にして俯いた。
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「おいしい! おいしいです! グスッ ‥」
ちくわを頬張りながら睦月は泣いていた。初めて食べたおでんが美味しいこと、お姉さんが優しいこと、ついでにお兄さんも優しい… それから…逃げ出した自分だけがこんな美味しいものを食べている? そうだ、基地の仲間達はいつも粗末な食事しか食べていなかった。皆のためと言いながら自分だけが痛い思いをしたくないがための言い訳に提督に身を委ねた…。提督が逮捕されて自分のしてきたことが皆に知れることを恐れ逃げ出した。皆、我慢してた…
それなのに‥また逃げ出した先で自分だけ美味しい料理を食べている。なんて卑しいのだろう…
「あなた…家出してきたの? 」
家出? 私に家なんて…
そうか… 基地が私のお家だった。‥だった
仲間のみんなが家族だったんだ…
でも、もう帰れないよ…
「睦月!」
「睦月ちゃん!」
声に振り向くと仲間の艦娘が立っている。
「由良さん‥みんな…どうして」
「あなたのことを心配して探してたに決まってるでしょ? 姉妹かしら? いいわねぇ‥」
何故みんながいるのかわからないという顔の睦月にお姉さんは言った。みんなが私を心配して探してた?
「心配したわよ睦月。さぁ、帰りましょう」
「由良さん… わたし‥ごめんなさい」
睦月は由良の胸に顔を埋めて泣きじゃくった。
「睦月ちゃん、もう皆に心配かけちゃ駄目よ? またやったらお姉さんが許しません! よ? ウフフ 」
「はい! おでん‥ご馳走さまでした!」
睦月は迎えに来た仲間達に囲まれながら軍用車に乗り帰って行った。
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艦娘達がお礼を言いながら帰って行く姿を見送り、男はまたチビりと酒を飲み呟いた。
「今回は出鼻を挫かれた形になったな…」
「…そうね」