「どうぞ、上がってって」
と、言われても。
俺は「は、はぁ」と顔を引きつらせつつ、リビングへとお邪魔した。
案の定、家の中には直葉しかいないようで、俺は台所へと姿を消した直葉を見送ってから、静かな居間でため息を響かせた。
しかし、直葉はどうしたのだろうか。玄関からリビングまでのとても短い距離の中でも、なんだか何処かうわの空といった様子だった。
心配は心配なのだが、なにせ原因が分からない。
俺は直葉が戻ってくるまでの間、必死に思考を巡らせた。
しかし、俺の努力は虚しく、直葉はすぐに湯気の立つお茶をお盆に乗せ、帰ってきた。
「はい、どうぞ」
暖かいほうじ茶が目の前に差し出される。俺は遠慮がちに受け取り、なんとか微笑む。
直葉もそれに笑い返したが、俺と同様にどこか嘘臭かった。
「……それで、どうしたの?」
「あ、あぁ、そうだった。これ」
二口ほどお茶をすすった直葉の質問に、俺はリンゴの入ったビニール袋を差し出すことで答えた。
「リンゴ……?こんなにたくさん……」
「なんか、知らない間に家にいっぱいあってさ。多分、ウチの父親が会社から貰ってきたんだと思うんだけど……なにせ、量が多くって」
「おすそ分け……ってこと?」
「う、うん」
「そっか……うん、アリガト」
直葉は俺が差し出すビニール袋を手に取った。しかし、虚ろな目はそのままだ。
なんだか……釈然としない。
いつもならば、「もっと良いものを~」などと冗談を言う直葉なのだが、今日は素直にリンゴを受け取るだけだった。
とうとう、我慢できなくなった俺は直葉に声をかける。
「す、直葉ちゃん」
「……どうしたの?」
「その……大丈夫?どこか具合が悪かったりする?なんだか、顔色も優れないし……」
「アハハ、そう?」
「そ、そうだよ」
直葉は虚構の笑いを浮かべるが、勿論俺にはお見通しだった。
そして、俺たちはしばらく無言になった後、直葉は「あっはは」と観念したように笑って、
「アルムくんはなんでもお見通しだね」
と、言った。
「なんでも……ではないけど。流石に、そんなに様子がおかしかったら俺でも分かる」
「そっか……はぁ……よりにもよって男の子にバレるだなんて……」
「な、なんかマズかった?」
「ううん、別にそんなんじゃないよ。まぁ……でも、思い切って言ってみようかな」
すると、直葉は残ったお茶を全て飲み干し、まるで遠い日のことを思い返すかのように話し始めた。
「あのさ、アルムくん。VRMMOって知ってる?」
って、いきなり質問か。
つらつらと思い出話でも語りそうな雰囲気だったのにな。
まぁ、型にハマらないのが直葉だし、こんな裏切り方も直葉と何度か過ごしているうちに経験していた。
しかし、また妙な質問だ。
直葉はそういったジャンルとは疎遠だと思っていたが……一体、どうしてだろう。
「あ、あぁ、知ってる。今じゃあ結構有名だし」
「そうだよね。あの事件以来、認知度は更に高まったもんね」
あの事件とは……きっと、SAO事件のことだろう。今じゃあ、知らない者はいないほどに有名で、社会の教科書にも載りそうなほどの、トンデモ事件だ。
実際に経験したワケでは勿論ないが、追加情報を目にするたびにこっちまでヒヤヒヤさせられた。
それほどまでに、凶悪な事件だった。
お陰で、ゲームに対する危険意識が高まったんだっけ。
別に、ゲームが悪いってワケじゃあないのに。大人はとにかく批判しなければ気が済まないらしい。
「そ、それで?VRMMOが一体……?」
「私ね……実はそのVRMMOのゲーム……やっててさ」
「へぇ、意外!そういったものはしないもんだと勝手に」
「アハハ、実際はやり込んでるんだけどね。で、そのゲームはさ……空と妖精が主題で──」
「あっ。もしかして、ALO?」
「し、知ってたの?」
「知ってるも何も、実は俺もやってるんだ。まだまだ学ばされることは多いけど、毎日楽しんでる」
「そうだね、あの世界には無限の可能性があるからね。強い敵、仲間との友情、未知への高揚。……全部、仮想空間の産物に過ぎないってのは仕方ないけど、それでも私はあの世界に、気づいたらどっぷりとのめり込んでいたんだ。
うん、のめり込んでた」
「のめり込んで……?」
「アハハ、笑ってくれてもいいから聞いてくれる?実はね、あの世界でさ、すっごく不思議なヤツと会ってね。剣と魔法のゲームなのに、戦いもしないで、草原で寝てるの。しかも、完全に寝るってわけじゃなくって、特に目的もなく空を眺めてるの」
(なんだか親近感がとてつもない)
「すっごいマイペースな人なんだ。しかも、とんでもない技を持ってるのに、自信が無くってさ。ホント、ワケがわかんなかったよ。でもね、ソイツと一緒に過ごしているうちにだんだんと理解できるようになってって……仕舞いには」
そこで直葉は一度黙り込むと、とても辛そうな顔をした。
痛みに苦しむような、何かを我慢するような表情を浮かべた。
唇を震わせて、何かを躊躇しているようだった。
(そっか……)
俺はその瞬間、悟った。
直葉が言いたいことを。
(けれど、直葉ちゃん。それはきっと、イバラの道だ。それでも進むつもりなのか……?)
「直葉ちゃん。言いたくないんだったら、無理しなくても──」
「いや、アルムくん言わせて」
どうやら、決心はついたようで。
そう言い切った直葉の眼は、先ほどまでの虚ろさは消失し、代わりに今まで通りの明るさが灯っていた。
俺は直葉のその確固たる意志に、思わず口をつぐんだ。
彼女から
そして、とうとう直葉は紡ぎ出した言葉を吐き出した。
「アルムくん。私ね──好きなんだ。あの人が好き」
「……うん」
「いつも一緒にいて楽しかった。彼の傍にずっといたい、そう思った。この想いは仮想なんかじゃない。本物の……私の──恋心」
「恋心……か」
「おかしい?笑ってくれて構わないよ?」
「そ、そんなことしない。直葉ちゃんの想いは仮想じゃないから。……笑わないに決まってる」
「……優しいんだね、アルムくん」
「そんなことないよ」
「いや、そんなことあるよ」
俺の謙遜する態度に、直葉は微笑んだ。若干、角の取れたような微笑みだった。
さっきまでのような嘘っぱちや、弱々しい笑みとはまた違った……『いつも』に近い微笑みだった。
「その人と……上手くいくといいね」
「応援してくれるの?アルムくん」
「当然だよ。直葉ちゃんを応援しない馬鹿はここにはいない」
「ホント、優しいなぁ。……でもね、多分私の恋心は叶わない」
「ど、どうして?諦めるの?」
「諦めたくはないよ。でもね……その人、私以外の女の人と一緒に空を飛んでいた時……とっても楽しそうだった。それをね、見てしまったの」
「直葉ちゃんがいながら……なんて野郎だ」
「アハハ、同情してくれるんだね。でも、そういうことだから。私はどこまでいっても──『負けヒロイン』なんだよ」
『負けヒロイン』。
その言葉が重く、俺にのしかかった。それほどまでに、その言葉には様々な念が込められているように感じ取れた。
けれど、俺は強烈な違和感を感じた。
(直葉ちゃんが……『負け』?)
(ハハッ…………似合わねぇ)
当然だ。この快活な女の子に負けだなんて不吉な言葉は到底似合わない。
そうじゃないだろうが。直葉に……直葉にピッタリ合致するのは──。
(『勝ち』だけだ)
「──でもさ」
「え?」
「俺にはさ、直葉ちゃんが『負ける』だなんて考えられない。きっと、いや絶対に。絶対に、君は『勝てる』!」
「『勝てる』……?」
「うん、直葉ちゃんは素敵な人だ。ソイツに直葉ちゃんのいい所を思う存分に示してやればいいんだ!直葉ちゃんに釘付けにしてやればいいんだ!」
「で、でも……」
渋る様子の直葉に、俺は追い討ちをかける。
「俺がサポートする!直葉ちゃんはソイツに惚れてるんだろ?だったら、仮想世界での恋が馬鹿馬鹿しいなんて、そんな前提を覆すほどに成就させる!俺が直葉ちゃんを──」
「ね、ねぇ、アルムくん。確かにアルムくんは優しい人だよ?でもさ、どうして……そこまで熱くなれるの?」
そこで俺の口は止まった。
確かに、そうだ。
いくらお隣さんの恋だからといって……ここまでヒートアップできるものなのだろうか。
しかし、そこには正真正銘、直葉の恋を叶えてあげたいと切に願う俺がいた。けれど問題は、それがどうしてということだ。
「さ、さぁ?」
「さぁ、って……」
「で、でもさ。きっと俺の奥底に眠る情熱とかだったりして……」
「何それ、フフッ」
「お、おかしい?」
「おかしいよ。うん、おかしい。誰にも言えなかったこのことをいざ言ってみれば、応援するだなんて……予想外すぎて」
直葉にとっても一世一代の大告白だったに違いない。
彼女の真剣さを目の当たりにした俺は少なくともそう感じた。
だからこそだろうか。
馬鹿にしてやろうだなんて気持ちは微塵も湧かなかった。
ということは、俺のこの言動はただの──親切心なのかもしれない。
けれど、直葉の手助けをする動機としては立派な部類のはずだ。
「直葉ちゃん」
「はい」
「きっと、きっと成就させてみせるから。これから……頑張ろう?」
「頑張るのは私でしょ?まぁ……アルムくんがいてくれたら百人力なのは確かだし。うん、よし!なんだか、いける気がしてきた!──フフッ、根拠は無いけど!」
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