記憶を呼び起こす。
自分が目覚めた場所は、何処だったか。
北都グループの研究施設だった。
目が覚めて、一番最初に見た人は誰だったか。
北都グループの研究医だった。
ではなぜ、北都の息がかかった施設でコールドスリープしていたのか。その経過を、北都が観察していたのか。
10年前の“東亰冥災”──大規模異界における被害者だから。ということだろう。
優しくしてくれたのも、お金を出してくれたのも、将来の道を提示してくれたのも、そう考えると納得がいった。
結局のところ、データが取りやすいように身近に置いておきたく、監視を続けるために仲良くなり、手放さないよう将来までの道筋を舗装した、ということだろう。
言うまでもないことだけれど、文句はない。
命を救われ、社会復帰の手助けをしてくれた。無一文で孤立無援な自分に、立ち上がる為の力をくれた。その時点で、返せないほどの恩を受け取っている。
恩人たちがそれを求めていると言うのであれば、答えよう。自分なりに、精一杯。
今の話を受けて考えるべきことは、自分が何故コールドスリープをすることになったか。という点だろうか。後は、北都グループがどうしてそこまで自分の監視を続けたがっていたのかが、少し気になる。後者はいつか征十郎さんにでも聞くとして、前者は……どうしてだろう。
確か最初に説明をされたのは、原因不明の病気に侵され、治療の目途が立つまで起こすことが出来なかったという内容。
今まではそれを信じていたけれど、どうもおかしい。
眠ってから目覚めるまでの期間は8年ほどだったという。いくら科学の進歩が目覚ましいからと言っても、そこまで急速に発展し、治療の目途が立つだろうか。
加えて、異界由来の病気と言うと、すぐに思い浮かぶのが“BLAZE”の方々。彼らのように異界の要素を身体に取り込むことで何かしらの中毒になったということであれば、まあ分からなくはない。けれども、それでコールドスリープまでするだろうか。というところ。
やはりこの辺りは、考えても分からない領域か。
「つまり、あれか? 今回の異界化には、ハクノが関わっているってことか?」
洸の声に、思考を中断させる。
そういえば、一連の異界発生の起点として、自分の目覚めについて語られたのだったか。
「そういう風に見ている人間もいます。良い関わりか悪い関わりかは終ぞ分かりませんでしたが」
美月の答えに、ひとまず安堵する。これで『岸波君が引き起こしていると考えています』とでも言われたらどうしようかと思った。
まあ、異界への関わり方で良いものなんてなかなか思い浮かばないけれど。
「そういえば聞いていませんでしたが、ミツキ先輩の所属する“ゾディアック”は人が多いし、色々な意見があったはず。そんな中で岸波君を杜宮へと編入させたのは、やはり岸波君の存在を……疑う勢力が強かったためですか?」
「疑うって?」
「自分が、異界を引き起こしている存在ではないか、という疑惑だろう?」
洸の問いに答え辛そうにしていた柊の言葉を引き継ぐ。
まあ、そうだろう。北都グループの中でどれだけの人数が異界に関与しているのかは分からないけれど、それでも母数が大きくなればなるほど、不安を持つ人の割合も増える。
「……ええ、その通りよ。それで言いたくはないけれど、岸波君に後ろ盾などは存在しないわ。親も家族もいなく、友達がいたとしても事故の影響で長期間会っていない。つまりは、“消したところで痕跡は残らない”。ということになる。となれば抱えるリスクを恐れ、排除しようという声もあったんじゃないですか?」
「……まあ、そういうことを考える人が居たのも事実です。岸波君に杜宮に来てもらった理由の1つが、そういう方から引き離す目的ですね。後は岸波君とシャドウの発生とに因果関係がないことを証明するためでもあります。誓って、私やお爺様には岸波君を害そうという思惑はありませんでした。言い訳がましく聴こえるかもしれませんが、それだけは言っておきます」
「言い訳だなんて思わない」
実際、征十郎さんも美月も、自由にしろと言ってくれていた。過ごし方を考え、多くのものを得るのだと助言を貰っている。
何か罠に嵌めるのであれば、そんな面倒なことはしないだろう。
「ま、ハクノ先輩ならそう言うよね。なんたって柊センパイの一大事って時にわざわざ口説きに行くくらい、北都センパイを大事に想ってるみたいだし」
「へえ?」
細められた柊の目が自分を捉える。
祐騎が空気を換えようとしてくれたのは分かる。
分かるけれど。
「もう少し言い方ってものがあるだろう、祐樹」
「でも事実でしょ。ね、北都センパイ」
「……ええ、まあ、口説かれましたね」
「ほらぁ」
「ほらぁ。じゃない」
……まあ、若干空気が緩くなったので、良いけれども。
「今までの話の内容を纏めると、柊や美月の所属する組織は、大規模な異界化の発生を警戒しているっていうことで良いんだな?」
「ええ、そうね」
柊が頷く。これで最初の洸の質問に対する答えになったか。
さて、他に質問は……
「……なあ、ちょっと良いか?」
「なんでしょう、高幡君」
「なんでお前ら2人が、いや、岸波を含めて3人が杜宮に来たのは、偶然か?」
志緒さんの問いに、自分を含めて数人が首を傾げる。
自分はともかくとして、柊と美月は異界の調査に来ているんだよな?
「……それは、なぜこの広い東亰で、杜宮に拠点を構えているのか、という確認ですか?」
「ああ、その通りだ」
柊の返しに納得した。
確かに、異界に備えるという意味では、杜宮に来る必要性はなさそうに思う。
他の町でも良かっただろうし、ここで2組織がかち合わせたということは、騒動の中心が杜宮であるというようにも思えてくるけれど……
「そうですね、強いて言えば、一番施設が充実しているから、でしょうか」
「私も同じですね。協力者が多い土地だから、という形になります」
それはつまり、異界に対する備えが最もされているということ。
裏を返せば、それだけこの場所が重要ということではないか?
「まあでも、この杜宮に施設が充実した理由は、あまりよく分かっていないのよね。ミツキ先輩はどうですか?」
「そうですね……元々お爺様がここで暮らしていたということもあるかと思います。そのお陰か、以前の東亰冥災ではここがかなり重要な反撃拠点だったみたいですし」
「へえ……ハクノはどうなんスか、ミツキ先輩」
「岸波君は私が居るからですね。高校に通いながらサポートするとなると、私しか適任がいないので」
それはそうだ。高校生で北都グループに在籍している人なんて限られるし、異界に関わっている人間ならもっと少ない。美月が対応することになるのは、仕方のないことだろう。
迷惑を掛けて申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
とにかく、杜宮を拠点にしているのは、10年前の名残ということが大きいのだろうか。
「……さて、いったん休憩にしましょうか。いきなり詰め込みすぎても大変でしょう」
「……まあ、そうッスね。正直東亰冥災の下りだけでも疲れたって言うか……」
全員が頷く。
それはそうだろう。自分たちの幼少期に起きた大きな震災が他人事ではないと言うのだから。
「……では、30分くらい後でまた集合しましょうか。幸い、今日はこの後も宴会場を使えるみたいだし」
柊の言葉に、全員が賛成の反応を返す。
張り詰めていた緊張感は完全に消え、疲労感が伝わる溜息が、あちこちから零れ始めた。休憩にするのが少し遅かったくらいだな。
まあ何にせよ、自由時間だ。各自好きな行動をして、一回頭の中をリセットする必要がある。
自分はどうやって時間を潰そうか。と考えていると、美月から声が掛かった。
「岸波君。少し残ってもらえますか?」
特にやりたいことも、待たせている人もいないので頷きを返すと、美月はほっとするような表情を浮かべる。
わざわざ休憩の時に言うということは、何かみんなの前では言い辛いことなのだろうか。
……まあ、先程までの話の流れからして、北都グループと自分のことだろうけれど。
空気を読んでくれたのか、全員がすっと立ち上がり、宴会場を後にしていった。
残されたのは、2人のみ。先程まで光っていたサイフォンのディスプレイも、一時的に真っ暗になっている。
「岸波君」
気が付くと、美月が近くまで歩いて来ていた。
どうしたのだろうか、と彼女を眺めていると、彼女は突然膝を降り、床に座り込み、頭を下げる。
「今まで騙すような真似をしてしまい、申し訳ございませんでした」
若干、震えたような声で、彼女は土下座をしていた。
どうして謝られるのか、理由が思い当たらず返答に困っていると、彼女は続きを語り出す。
「傷つけるような意図はなかったとはいえ、意見を奪い、思い通りに動かし、私たちの都合に巻き込んでしまった。ずっと、ずっとそのことを、謝りたかった」
やはり聞いていても、謝られている内容が分からない。
そんな事実は、なかったと思うけれど。
取り敢えず、話をしっかりしなくては。
「頭を上げてくれ、美月」
声を掛けると、素直に額は地面から離れた。
正直美月が土下座する光景なんて一生見ることはないと思っていたので、頭が追い付いていない。
けれども、動揺しているだけではいけないことだけは分かっている。
「はっきり言って、美月がどうして謝っているのかが、自分には分かっていない」
「それは、そうでしょう。そうなるように、北都が教育をしていたので」
「……どういうことだ?」
「貴方が私たちに感謝の気持ちを抱くよう、教育──いいえ、洗脳と言ってもいいでしょう。とにかくそう仕向けてきたんです」
詳しく話を聞いてみると、自分はそもそも目覚めた際、自分はかなり無気力だったらしい。今ではそんなこともないだろうけれど、主体性がなく、自分から決定して動くこともなかったとか。
そこを北都の研究者たちは、利用したのだと言う。
あたかも恩を与えているかのように振る舞い、報いることが大事だともっともらしい道徳教育を施して。等々。
色々聞いたけれども、やはり彼女を責める気にはならない。
それどころか、北都グループに対して怒りを覚えることさえなかった。
だって、それでも救われたことには変わらないから。人体を弄られたわけでもなく、思考にメスを入れたわけでもない。
教育を受けて、そういう方向に育ったこと。それはあくまで自分の成長だ。責任は彼女になく、自分にあるだろう。仮にあったとしても研究者や、それを命じた大人だ。美月に責任はまったくない。
彼女や彼女の祖父がそういった考えでなかったことは、さきほど彼女自身がみんなの前で語った通りだ。
「……」
「……」
……でも、そうか。自分も少し、美月に対する接し方を考え直す必要がある。
今までは友人だとも思っていたけれど、恩を返す対象という見方が強かった。もちろんそれは今でも変わらない。
けれども、その姿勢を前面に出し過ぎていたかもしれない。それが彼女の罪の意識を促進させたのではないか。
美月自身も胸の内にしこりを抱えたまま自分と向き合っていて、本音を出しづらかったのかもしれない。
……一度冷静になって考えてみるべきだろう。
はたして今までの関係は、友人関係として適切なのかどうか。
「……うん。やっぱり、美月が謝ることじゃない」
「そんなことはありません」
「霧の日に話したと思うけれど、自分が美月と仲良くしているのは、美月が“北都 美月”だからだ。確かに美月は北都グループの人間で、自分の境遇に1枚噛んでいたのかもしれない。けれども、さっき他らなぬ美月が言ってただろう、自分を動かしたのは、自分への疑いを晴らす為だったと」
「……」
「だから、感謝こそすれど、責めることはない。だから美月もその件については謝らないでほしい」
彼女に対する感謝は、本物だ。
岸波 白野が、友人である北都 美月に抱いている感情だと、まっすぐに言える。
そこに何かしらの教育は関係なく、この地で歩み育まれた感性が、自分の抱く信頼は正しいと告げていた。
「それに、友達にそんな土下座なんてされても正直困る」
「……おともだち」
「ああ。自分と美月は友人だと、今でもはっきりと言える。美月も、それは認めていてくれたと思ったんだけれど」
「……それは」
一瞬の躊躇い。視線が自分から外れる。
彼女の中には、まだ迷いがあるのだろうか。
「美月にも思う所があるのは分かった。分かったつもりだ。けれど、自分は北都グループのこととかは関係なく、美月と友達になりたいと思っている」
「北都のことは、関係なく……」
「この前も伝えたと思うけれど、自分が美月を信頼しているのは教わったからだとか誰かに言われたからじゃなくて、自分の目で見て信じられると思ったからだ」
その時に伝えた内容も、勿論その日のこともよく覚えている。
「もう一度同じことを言おうか?」
「……いえ、あんな恥ずかしいことを2度も言わなくて結構です」
若干頬を赤らめた美月が答える。
そんな恥ずかしいことを言った気はしないけれど。というか言い方に棘があるような気が。
「そうでしたね……ここに居る私は、今あなたの前に居る私は、“ただの”北都 美月でした」
“ただの”北都 美月。
その表現は、さきほど彼女が恥ずかしいことと切り捨てた発言の後、ややあって美月に気持ちが伝わった後にも聞いた気がする。
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「そこまで友人に頼まれたのでは仕方ありません。生徒会長……いえ、“ただの”北都美月としてでも良ければ、協力させてもらえませんか?」
────
そういえばあの時も、微妙に会話が噛み合っていなかったんだっけ。
そのズレを祐騎がひとつひとつ結び直してくれ、自分と美月のすれ違いをなくしてくれた。
あの日の経験があったからこそ、こうして美月と話が出来ている。
後で祐騎に飲み物でも奢ろう。
「……なら、この場で改めて約束させてください」
「うん?」
「北都 美月は、友人として、岸波君の、そして皆さんのお役に立つことを」
「?」
「……? どうして首を傾げているのですか?」
いや、だって……なあ。
「友人は役に立つ・立たないを重要視しないだろう」
「──」
「自分が美月に望むことといえば、友人として仲良くしてくれることくらいかな」
自分の言葉に、美月は目を丸くした。
そんなに驚くことだっただろうか。
……いやでも、そんな変なことは言っていないつもりだけれど。
「ふ、ふふふっ、そうですね。ありがとうございます。岸波君」
「いや、どうしてお礼?」
「言いたくなったからです。……こほん。改めまして、今後とも私と仲良くしていただけますか?」
「こちらこそ、今後ともよろしく」
美月が笑顔を浮かべる。
見惚れるほどに綺麗な笑顔だった。
新たな縁の息吹を感じる──
────
我は汝……汝は我……
汝、新たなる縁を紡ぎたり……
縁とは即ち、
停滞を許さぬ、前進の意思なり。
我、“女帝” のペルソナの誕生に、
更なる力の祝福を得たり……
────
「……なんだか少し気恥ずかしいですね。少し風に当たってくることにします。岸波君、休憩時間を割いてくれてありがとうございました」
「こちらこそ、大事な話をしてくれてありがとう」
立ち上がり、襖を開ける美月の背を見送る。
流石に顔を合わせたくはないだろう。自分はここでみんなが戻ってくるのを待つことにした。
コミュ・女帝“北都 美月”のレベルが上がった。
女帝のペルソナを産み出す際、ボーナスがつくようになった。