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空の突然出した大きな声に、全員がぎょっとして彼女へ視線を向けた。
「郁島?」「ソラ?」
「……あっ、いえ……その…………待って、ください……」
やってしまった、と言わんばかりに顔を顰める空。
ばつが悪そうに座りなおした彼女は、刺さる視線に身じろいだ。
「……えっと、ソラちゃん? あたし何か、マズいこと言っちゃった、カナー? って」
「……すみません、でも……」
流石の璃音も困惑の表情を色濃くだしている。
漸くでき始めた和やかな空気も、今ので一変してしまった。
けれども空のことだ。考えなしで遮ったわけでも無いだろう。
とすれば、言えない理由でもあるのだろうか。
だが今は璃音が、自分の名前を呼ぼうとしただけだ。大声を出してまで遮る理由なんて……なにがあるだろう。
「──どうしたの? 大きな声が聞こえたけど」
若干凍ってしまった場の空気を入れ替えてくれたのは、戻ってきた明日香だった。
「あ、アスカ先輩!! それが、その……」
空が言葉に窮してしまう。
その様子を見兼ねたのか、洸が口を開いた。
「リオンがいままでオレらをどう呼んでたのかって話になって、順番に確認してったんだが」
「呼び方……ああ、なるほど。ハクノ君のところでソラちゃんが止めた、と」
「……状況が思い当たるってことは、理由まで見当ついてんのか?」
「ええ、概ねは。……ソラちゃんは悪くないわ。まああえて誰が悪いかと言えば、リオンが悪いのだけれど」
「え、あたし!?」
「いいえ、“玖我山さん”は何も悪くないわ」
あえて以前の璃音と今の璃音を区別するように言う明日香。
それは、先ほどまで自分たちが作ってしまっていた壁を、明確に作っているようにも聞こえた。
「一応、本人の気持ちや名誉のことを考えれば、口が裂けても言うべきではないのでしょうけれども……とはいえこの空気で、気にしないで、とは言いにくいわね」
──それに、今更でしょうし。
決して聞き捨ててはいけない小声での呟きを挟みながら、彼女はいつもの場所──璃音の隣で足を畳んだ。
「1つ先に訂正をしておくと、リオンはハクノ君に対して、名前を呼んだことはないわ」
「は? いや、普通に呼んでただろ。な、ハクノ」
璃音から名前で呼ばれたこと?
…………確かに?
名前で呼び合おうという話は、温泉からの帰り道で話した。
確かに話したが、思い返してみると、実際に呼ばれたことは……
「…………ない……かも?」
「え、結構前から呼んでなかった? 少なくとも、僕と会った頃には呼んでたと思うけど」
「だな。いつからかは分からないが、少なくともソラの一件あたりには聞いていた気がする」
洸と祐騎は自分の記憶と異なる認識を語る。
そんなに前から、となると記憶に引っかかりそうだが。
……いや待て。
「私の言い方が悪かったわね。より正しく表現するなら、リオンはハクノ君に、名前で呼びかけたことがない。となるかしら」
「それは、どう違うんだ?」
「……さて、どうかしらハクノ君。思い当たる節は、ない?」
「……あるというか、ないというか……」
思い返した中で、の話で、そうではない可能性もあるけれども。
「……そもそも自分、璃音に呼ばれる時、苗字も名前も呼ばれてない気が……」
「「……んん?」」
首を捻る3人。
そんな中で、先に祐騎が何かに気付いたような顔をした。
「オイ、ちょっと待て。まさか」
「いや……いやいやいや。ないでしょ。え? ウソだよね。そんなひと昔前のゲームみたいな話……ええ?」
「高幡先輩と四宮君は流石に気づいたようね。そのまさかよ」
口を開けたまま固まる志緒さん。
言葉にならないのか、パクパクと口を開け閉めする祐騎。
そんな2人を見た後、洸と自分を見て、明日香はため息を吐く。
「そこの鈍い2人には言わないと伝わらないかしら」
「え、待ってあたしも分かんないかも」
「仮にも本人に言うのが一番……いえ、この状況を作ったことに対する、良い仕返しになるかしら」
明日香の良い笑みを見て、本能がそうさせたのか、ビクッと後ずさる璃音。
それを見て、はぁ、とまたため息を吐いた。
「えっと、本当に言っちゃうんですか?」
「ええ。何か問題があるかしら?」
「リオン先輩、傷付くんじゃないか、と」
「さっきも言ったけど、そもそもリオンが悪いのよ。……文句があるなら、直接言ってくれば良いわ」
「……ぁ」
無表情で。
けれどもどこか悲しげに。
明日香は口を開く。
直接言えば。それは、記憶をなくす前の璃音にしかできないことだ。
怒る権利があるのも、何かを明かされて何かを思うのも。
……いや、彼女の横にいる璃音も、何かしらのとばっちりをくらうのでは? とは思うけれども。
「言ってしまえば、恥ずかしがってたのよリオンは、ずっと。ハクノ君を対面で名前で呼ぶことを」
「……え゛」
「本人はずっと前から呼ぼうとしてたけど、男子を自分からきっかけなしに名前で呼ぶのが気恥ずかしかったみたいで。私達が名前で呼び合う約束をした後も、『今更呼べない~』とかなんとか」
「わー! わー! そこまでにしてぇ!! 恥ずかしぃ……」
確実に顔を真っ赤にしてダメージを受けた璃音に、『大丈夫、玖我山さんは悪くないから』と言い放つ明日香。
その理屈は通るまいが。
……それにしても全然気づかなかった。そうだったのか。
「まあ本人にしてみれば、結構長い期間の悩みだったようね。以前、女子会を開いている時に相談されたのよ」
「……相談されたというか、アスカ先輩が強引に聞き出しただけ、というか」
「ソラちゃん? 何か言ったかしら?」
「いえ、なんでも!」
「……今日のアスカ、圧強くね?」
「いつも強いと思うけど、今日はひとしおってカンジだね」
「な に か ?」
「「ナンデモゴザイマセン」」
小声で話した内容を耳聡く拾われ、朗らかではない笑みを向けてきた明日香から顔ごと反らす洸と祐騎。
「と、とにかく、ずっと悩んでたんですリオン先輩は! それを、こんな形って言ったら、違いますけど……その……」
「意図しない形で、名前で呼んじゃった~ってことにならないように遮ったってことだね。優しいところあるじゃん、郁島」
「……本当はこの話も、実際に呼び始めた後の笑い話にでもするはずだったのだけれど、ね」
そう言って何かを諦めたように笑う明日香の顔が、少し怖かった。