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やや肌寒くなってきた空気を吸い込んだ。
病院の外へ出て、取り敢えずどこかへ腰を掛けたくなり、歩く。
敷地内、駐車場の隣に、小さな空き地のような場所があった。
比較的綺麗な花壇の縁に、腰を下ろす。
「ふぅ……」
ため息が零れた。
疲れではない。呆れだろう。
何に対して? 自分に対してに決まっている。
思い返すのは、初めて杜宮へ来た頃のこと。
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「……ねえ、どっかで会ったこととか……ないよね?」
「……やっぱり逆ナンだったか」
「やっぱりってナニ!? いや、真面目な話さ、なんかこう……キミを見てるとよく分からない気持ちが起き上がってくるのよ」
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「なんか気持ちが昂るような──何かを感じたんだけどなぁ」
「……恋?」
「遠慮なく聞くね!? アイドルに恋する暇なんてないんだから。……どっちかって言うと、言い表し様のない不快感かな? 焦燥感とか、嫌悪感とか」
「第一印象から、か」
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ああ、確かに。
自分が抱いていたように、璃音もその感情を口に出していた。
それに、自分はそれこそ異界化の際、感じたはずではなかったのか。
身の毛もよだつ感覚に、覚えがある、と
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>──突発的な悪寒に苛まれている最中、この異常事態に、どこか引っ掛かりを得る。
>この感覚は、既視感に近い何かだろう。
>けれどもだとしたら、どこかで体感したことが、あるのか?
>自分の感覚が正常であるかを疑いつつも、藁にもすがる思いで記憶を遡る。
>思い出を振り返った先、その果てにて巡り合ったのは、玖我山 璃音の存在だった。
>そうだ。
>あの時、最初に璃音と会った、昼間のこと。
>当時も喫茶店の前で、言いようのない違和感と、嫌悪感に苛まれた。
>自分の中の直感が、偶然と判断するべきではないと訴えかけてきている。
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そのあとに色々あったことなんて、言い訳にすぎない。
どうして忘れていたのだろう。
どうしてもっと早く、このことを誰かに伝えられなかったのだろうか。
「失礼」
強い悔いを感じながら、掛けられた声に振り返る。
「……京香さん」
雪村 京香さん。
美月の付き人。秘書、というべきなのだろう。
……2人で話す機会、というのはかなり久々な気がする。
さきほどまで対面にはいたけれども、しっかりと正面に見据えて話をするのは本当に久々だ。
彼女はいつだって、大して表情を変えない。
だから、何を考えて、どういう気持ちでここに来てくれたのかも、分からなかった。
「こちらにいらっしゃったのですね。……ああ、そのままで。何を考えていらっしゃったのですか?」
ひとまず立ち上がろうとするところを、手で制される。
とはいえ、京香さんを立たせたまま、というのも気分がよくない。
ベンチは……少し遠いが、なくはない。
「京香さんさえ良ければ、あちらで話しませんか?」
「……私は……いえ、そうですね。そうしましょう」
同意が得られたので、スーツ姿の京香さんと一緒にベンチまで歩く。
隣を歩くのももちろん久々だが、やはり姿勢がきれいな人だな、と思った。
「? 何か?」
「いえ、すごいなぁ、と」
「お褒め頂き恐縮ですが、突然何を」
「京香さんは、後悔していることって、ありますか?」
「……本当に突然ですね」
確かに、話が急すぎたかもしれない。
けれども、背筋を伸ばしている大人に、聞いてみたくなったのだ。
どうやったら、そうやって歩けるのかを。
自分は、悔いるほど何かを積み上げてきたことがないから、直近で味わい続けている後悔に、正しく向き合えているのかが分からない。
姿勢を正して歩くに足りる、何かがやはり必要なのだろうか。
「京香さんもご存じの通り、自分には過去の記憶がない。だから、前を向いていようと思った。振り合える過去がないのであれば、せめてこの後にできる道には、後悔が残らないように、全力で生きようと決めてました。……それが」
唐突にそこに壁が現れて、戸惑っているというのが今の自分だろう。
その気持ちを、そのまま伝えてみる。
どうすればいいのかと。
どう向き合えば良いのかと。
「後悔しないで、良いように……なるほど」
内容を吟味するように、京香さんは目を閉じ、言葉を反芻する。
そして、一度頷いた。
「誰だって、私であっても、後悔をしたくはありません。後悔すると分かっていて、行動はしません。後悔しないよう全力で、という貴方の気持ちや志は、決して間違ってはいないでしょう」
「……そうなんでしょうか」
「はい。ただ、岸波さんは“過去”というものを絶対視し過ぎている。記憶がない分、想いを大切にし過ぎてしまっているのでは、と思います」
「過去を大事に……?」
そう、なのだろうか。
初めて言われた気がする。
逆に、前を向いている、と言われたことはあるけれども。
「確かに過去は取り返しのつかないものです。なかったことにはできないでしょう。それでも、人生というのはそのマイナスだけで決まるものではない」
「じゃあやっぱり、後悔はしないように生きるしかないんじゃ」
「後悔しないように生きてしないのであれば、誰だってしませんよ」
……それは、そうだろうけれども。
これは、意識の問題で。
「後悔はしても良い。失敗をしても良い。それでも人生としてプラスに持っていくのが、幸せを探すということではないかと……失礼。少し説教のようになりましたね」
「……幸せを探す」
「今回のことであれば、例えば玖我山リオンさんの視点に立ってみましょう」
璃音の視点?
「彼女は確かに、異変に苛まれ、アイドルとしての道を一旦外れて遠回りすることになった。これは後悔のポイントに間違いない。そして、岸波君が気にしているのもそこ、ではないですか?」
「……そうです」
“自分と出会わなければ、こうならなかった”。
自分がいなかったら、璃音はアイドルのままでいられた。
なら、自分は彼女に出会うべきではなかったのだろうか。
紐解いていけば、この思考がどうしてもついてくる。
大切な友人の経歴に、傷をつけた原因になってしまった、という後悔は、確かに今胸の中にある。
その一方で、前だけを向くのであれば。
璃音と出会ったから、今の自分が居て。
自分と彼女の出会いから、今のX.R.Cがあって。
ここまで来るのに、彼女との出会いは、必須であったように思える。
だから否定はしたくない。というのも本音だ。
「しかし玖我山リオンさん自身は、異界化に巻き込まれたこと自体は後悔していた……かどうかは分からなくても、それ以降は楽しそうにしていたかと思いますよ。お嬢様が加わった後、はたから見ていて、良い仲間たちだと、私も思いました」
「……」
「岸波さんと同じです。玖我山リオンさんも、岸波さんと出会うことで、色々なものを得ることができていたはず。それこそきっと、アイドルのままで居たら、得られなかったようなモノも」
……璃音が、得られたもの。
アイドルではない玖我山璃音にとって、大事になったもの。
「仮に岸波さんと出会ったことが不運であっても、貴方と得た思い出や経験は、かけがえのないものだったのではないかと思います」
「……そう、ですかね」
「岸波ハクノが、玖我山リオンと過ごした日々を宝物のように思っているのであれば」
……そうか。
そういえば彼女は、アイドルに復帰することを決めつつも、X.R.Cのメンバーで居てくれようとしてくれたんだった。
璃音にとっても、アイドル活動と同様に、失いたくないものだと、思ってくれていたということだろうか。
……そうだと、良いな。
「ですので、不必要な責任を背負うことはないかと。今、岸波さんが悩まれるべきことは」
「彼女を助けるとして、記憶を取り戻す道を、探すかどうか」
その通りです、と京香さんは頷く。
1つ心配事が片付いても、気持ちが休まることはない。
それでも、自分が考えなければならないことだ。
「1つ助言をするのであれば、あまり悩まなくていいのではないでしょうか」
「……はい?」
あまり、悩まなくていい?
どうして、そんなことが言えるのだろう。
だって、人ひとりの行く末を決めることなのに。
「話を聞くに、貴方がしたいことを決めて、周りを納得させる。今回の件はそれに尽きるのでは」
「……そうですね」
「であれば、もう少し、自身の気持ちを見て上げるべきと思います。今の岸波さんは、玖我山リオンさんや周囲の方々のことばかりを考えて、自分の意見が持てていない状況かと思いますので」
自分の、意見。
確かに、ない。
ないことはないけれども、ないと思い込んでいる。
それは、璃音についての最善を、考えるべきだと、思っていたから。
「どうか、ありのままの、答えを」
それは、説くように。願うように。
京香さんから自分へ向けた、エールだった。
「貴方の意見がない答えに、貴方の満足はありません。彼女の最善であっても、貴方と彼女の最善ではない」
「…………」
「ありのままの貴方だから、出せる答えがあり、その答えにこそ、価値がある」
価値。
価値、か。
──人は生きている限り、自分の価値を磨き続けられるのだ。
北都征十郎さんの言葉を思い出す。
今の自分が。
記憶と経験を積み上げた自分が、出せる
理性だけでは、足りない。
一般論だけでは、足りない。
自分の想いと、過ごした時間で、判断しなければいけない。
そうして出す答えに意味がある、はずだ。
みんなは、何と言って自分に答えを委ねたか。
──自分の決めたことに従う、と。
──岸波白野にとっての、後悔のない選択を、と。
そう託されたのだ。
今までどうやら、意味を取り違えてしまっていたらしい。
自分が決めるのは、璃音にどうあって欲しいか、ではない。
璃音とどうありたいか、を決めるべきなのだろう。
やれ助ける責任だ何だと考えてきたが、的が外れていたにもほどがあった。
どうあって欲しいか、だなんて、それこそ答えの押し付けで。
答えを出した後の責任なんて、眼中にないみたいだ。
……ああ。京香さんの言う通りだ。
結構、簡単なことだったんじゃないか。
「……良い目をされている。その様子では。答えが出たようですね」
「はい。おかげさまで」
「それでは、そろそろお戻りになられた方が良いかと。あまり遅くなってしまうと、明日に響きますので」
「っと、そうですね。美月と話してきます」
ベンチから、腰を上げる。驚くほど、簡単に立ち上がれた。
「京香さん、ありがとうございました」
「お礼を言われるほどのことは何も。それよりもいち早く、お嬢様やお仲間の皆様に、貴方の思う最善をお伝えください」
「何も、は謙遜がすぎると思いますが、いつか必ずお礼はします! それではすみません、お先に失礼します!」
京香さんに背を向けて、病院へ向かって駆けだす。
「礼は不要です。返しきれない大恩の一部を返しただけなので」
病院に向かって走る中、京香さんが何か言った気がしたが、それが自分に向けられたものではなさそうなので、そのまま足を止めずに進むことにした。
「……なんて、何の記憶もない"今"の貴方に言うべきでは、ありませんね」