やっとのおかえりまで   作:中島何某

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ほうれん草の常夜鍋

 

 プルルル、と聞きなれた電子音が耳を打つ。相手が出るのを待とうとベッドに腰掛けると、座った瞬間プツ、と途切れる音がして通話はすぐに繋がった。

 

「もしもし、沖田?」

 

『はいはい沖田さんでーす』

 

 いつも通り気の抜けた返事がきて、いつも通り脱力する。隣の部屋に住む幼馴染はいつもこんな調子だ。まあ、幼少期に比べ元気になったことを喜ぶべきなのだろう。あの下半身あの世に突っ込んだ娘が元気になるとは現代医学様様だ。

 

「いまちょっと時間大丈夫か?」

 

『はい。

     ――――っていうか拓真さん、部屋に居ますよね?」

 

 電子の音と、くぐもった生声が突如二重に響き、ぎょっと携帯から顔を離す。

 

「こっちですよー、こっち」

 

 音の正体はベランダから聞こえ、扉を開けると衝立越しに沖田が顔を出していた。危ないので腕を伸ばして頭を押さえ、奴のベランダ側にぎゅうぎゅうと押し込む。

 

「わっ、ちょ、ちょっ! もう! ……ところでなんの御用です?」

 

「いや、大したことじゃないんだが。お前明日の夜の予定ってなんかある?」

 

「えっ、明日ですか?」

 

 衝立越しに、少し戸惑ったような声が聞こえる。

 

「あのー、申し訳ないんですけど、沖田さん明日の夜は予定入ってて。デートならもっと早く誘って下さい」

 

「…………なんで俺がお前をデートに誘わにゃならん」

 

「あれ違うんですか? この天才美少女沖田さんにディナーのお誘いだったのでは?」

 

 またひょっこりベランダから顔を出し、本当に何故自分がデートに誘われていないのか不思議そうな顔をする幼馴染に俺は瞼が半分ほど落ちるのを感じた。

 

「危ないっつってんだろ」

 

「むきゅ」

 

 もう一度その小さな頭を内側に押し返し、はあ、と溜息をつく。

 

「いや、明日の夜部屋に居ないなら居ないでいいんだ」

 

「どうしてです?」

 

「んー……明日宅飲みしようってんで、うるさいかと思って。もし帰ってからも騒いでたら電話してくれれば抑えるから」

 

「そうだったんですね。私も明日の夜は道場の人たちと外に飲みに行きますし、二次会で誰かのお宅に流れ込むかもしれないので、あまり気にしなくてもいいですよ」

 

「おう、分かった。気を付けてな」

 

「大丈夫ですよぅ、もう二十歳なんですから!」

 

「…そーね」

 

 ひとつ文句を沈黙と一緒に飲み込む。コイツが外で酒を飲むとなると、顔だけは可愛らしいのでナンパだのキャッチだのに引っかかりやすいので、相手がちょっとでもしつこかった場合酒の勢いのまま道端で男共を伸したりしないか割と心配になるのだ。……前科ありなんだよ。

 まあ道場の人たちと一緒なら大丈夫だろう。なんせ過半数が夜でも分かる程度には眼光が鋭くてナンパやキャッチが怯むからな。沖田が集団からはぐれなければ問題ない。

 

「楽しんでこいよ」

 

「はい。拓真さんも」

 

 それからベランダもそろそろ冷えると、俺達はその日はそれっきり解散してお終いにした。

 

 

 

 

 

 たん、たん、といつもより少しばかり落ちた速度で階段をのぼる。一人暮らしで大学から一番近い俺の家で一応鍋パの名目で飲み会を行うべく、俺より授業が終わるのが早いメンバーは持たせておいた鍵で入室済みとの連絡が来ている。酒も買ってきたとの連絡が入り、俺には料理をしてくれだの惣菜を適当に買って来いだのわちゃわちゃとメッセージが届いて、最寄りのスーパーでそれらしい物を買ってきた次第だ。

 自宅前に辿りつき、手から腕にスーパーの袋をずりおろし、ポケットに入っている鍵でなんとか扉を開ける。ガチャリと扉を開けた刹那、廊下兼キッチンに凭れかかる見知った人影が目に入った。

 

「――って、クッセエ!」

 

「おかえり」

 

 うすら笑いで煙草をふかすソイツはウィリアム――まあ今回の飲みの参加者で、俺が参加している就活の時に名目で使われるようなボランティアサークル仲間だったりする。サークル自体は自主参加、飲み会も殆ど無いので個人的につるんでいると言っても過言ではない。

 

「いやマジでくっせえんだけど」

 

「そう?」

 

 身長は小さいくせに態度はふてぶてしい、奴は俺の顔に知らぬふりをして「早く入ったら?」などとまで言いのけた。うまそうに紫煙をふかす奴を背後にし、腕にスーパーの袋を下げたまま扉の内鍵を閉め、玄関のへりを利用して靴を脱いで足で端のほうに寄せておく。それからひとつ溜息をついた。

 

「お前マジでひとんちでガラム吸うのやめてくれ」

 

「アハハ、ごめんね」

 

 開口一番臭い、と称したその原因、この男が吸っている煙草の銘柄に問題がある。ガラムとかいう巻き煙草はブラックデビルが可愛く思える程甘ったるいのだ。多分そこら辺の喫煙所で吸ったら刺されるくらいに。ガンガンに回してくれている換気扇が太刀打ちできないほどだ。

 

「うまいのに。まあもう止めとくよ。グリーンとブルーは中に居るぜ」

 

 返すよ、と預けていた鍵を俺に手渡しつつ、誰からの誕生日プレゼントだったか、ヴィレヴァンかドンキで買ったようなみょうちきりんな灰皿に煙草を押し付け、廊下とワンルーム部分で区切られている扉の奥を指差して彼は言う。灰皿にはマルボロとHOPEらしきフィルムも押し付けられていたので、グリーンこと同じサークルのロビンと、同じ学部のクー・フーリンが奥の部屋に臭いから退避しているのだろう。

 

「あ、おかえんなさい」

 

「よう、先に来てたぜ」

 

 扉の先にはだらけた男が2人、置いてあった漫画を読んで寛いでいた。このだらけた表情を見るとこめかみに皺が寄らざるを得ないというか、アホらしくなってくるというか。

 

「煙草くらい幾らでも吸やいいけどさあ、おめーらビリーに煙草の一本渡すとか出来ねーのかよ」

 

 へら、と優男のグリーンが笑う。

 

「いやー面目ない」

 

「しょうがねえだろ、俺もコイツも最後の一本だったんだから」

 

「ほざけタルカジャ使い」

 

 つまり最後の一本は自分で吸いたくてこの惨劇を避けなかったと見る。ブルーの腰辺りを蹴り飛ばしてワンルーム故に部屋側にある冷蔵庫の前からどかし、スーパーから買ってきた食材を入れようとその扉を開けると、親の仇のように酒が突っ込んであった。酒で芋洗いが出来そうだ。

 

「食い物冷蔵庫に入んねえし鍋の前に酒開けるべ」

 

「おっ、いいねえ」

 

 取り敢えず面積をとるビールをテーブルの上に誘致する。エールだのラガーだの瓶缶無造作なそれを男共が好き好きに取り、俺もスーパーでよく見るクラフトビールを手にしてカンヌキを引っ掴む。

 

「フル、乾杯の音頭」

 

「ねーよ。忘年会かっつの」

 

「えー、音頭が無いとしっくり来ないなあ」

 

「だってさグリーン」

 

「はあっ?」

 

 ブルーの発言にイエローが続き、そのままロビンに移し替える。面食らった顔で渋々缶を持ち上げるからこそそういう配役になるのだという言葉は胸にしまっておこう。

 

「あー……なんです? お集まりの皆様のますますのご活躍とご健勝をお祈りいたしまして、乾杯」

 

「かんぱーい」

 

 だるそうな音頭に、やる気のない唱和がかえり、次の瞬間もう誰も音頭の内容を覚えていない様子でビールを煽る。…お、この白ビール割とうまい。さすが全米ナンバーワンなだけある。1/3程飲んだところで、そういえばと思い出して切り出した。

 

「唐揚げとか惣菜買ってきたけどあっためる?」

 

 冷蔵庫に入れて間もないので冷たくはなっていないが、どうすると尋ねると別に温めなくてもいいと雑に返事をされた。それに則って此方も雑にトレーから出すことさえせず唐揚げだの春巻きだのと揚げ物を適当に並べ、よっこいせと立ち上がる。

 

「鍋となんか適当に作るわ」

 

「なにか手伝う?」

 

 立ち上がった俺にイエローが尋ねるも、俺は首を振った。

 

「気を使うならまずその立ち上がる気欠片もない気配を隠せ」

 

「バレたか」

 

 イエローはケツに根が張ったようにリラックスしているし、テレビをつけたブルーは料理を待つ亭主関白な夫染みている。グリーンは無言で此方を窺っているが狭い廊下についた台所に男二人が並ぶと邪魔臭くてしょうがないので別に声をかける必要もない。

 

「俺も酒飲みながら作るからそっちも適当にやってて」

 

「塩と砂糖間違えないで下さいよ」

 

「善処しまーす」

 

 塩と砂糖は間違えなくても醤油をボチャっとかやらかす可能性は否定できない。酒飲んでも記憶無くさないけど握力というか注意力は落ちんのよねやっぱ。酔っぱらう前に包丁使っとくに限るわ。

 ひとまず土鍋に水を張り、昆布を取り出して水を固く絞った布巾で拭いてから水につけておく。冷蔵庫からもやし、きゅうり、ホウレン草、ササミなんかを取り出して、土鍋と別の鍋にお湯を沸かしてから、まずホウレン草を水につけてバッシャバッシャと篩う。もう土が出るわ出るわ。何度か水を入れ替えてある程度汚れが取れたらお湯に根本からホウレン草を付け、葉の部分もぐいぐい鍋に押し込んで数十秒、冷水にとりアクをとるために暫く水につけておく。

 

「タクマ、僕らビールの他にも開けちゃうけどいい?」

 

「いーよー。勝手にやってろってば」

 

 ビリーに声をかけられて作業のついでに返すと、次に冷蔵庫をガサガサやる音が背後から聞こえる。時々理由もなく酒を飲みに集まっては大量の酒が持ち込まれるのだが、すっからかんにして帰って行くのだから随分丈夫な肝臓をした奴らだ。まあ残されるのよりはいい、家で晩酌すると俺のように後から纏めて酔いが回ってくるタイプは歯止めがきかなくて困るのだ。

 一口ビールを飲んでからまた鍋に水を張り、もやしを水に突っ込んでからコンロの火を回す。ササミは筋をとって料理用酒に浸し皿にラップをしてレンジにかけておく。キュウリを斜め切りした後に千切りにしている間にふつふつとお湯が沸いて、もやしをザルにあけてよく水を切り、粗熱をとってほぐしたササミ、キュウリとボールに入れて醤油、酢、砂糖、ごま油、白いりごまと混ぜ合わせる。味見をして雑に作ってもうまいそれに感嘆してから大皿と小皿を取り、小皿に幾らかよそったあと残りを大皿に盛り合わせた。

 

「おらオメーらサラダだぞ」

 

「おお、さすが!」

 

 惣菜のトレーをどかして真ん中に大皿を置き、ブルーの称賛を受けてそうだろうと頷く。適当に作ってもうまいし酒も進むし肉も入ってるし男子大学生でも好感度高いサラダだ。まあ俺はウサギの餌みてーな葉っぱサラダも好きだけどね。

 部屋から廊下の帰りしなに餃子の皮やらなんやらを取り出して廊下に帰り、小皿によけたサラダをつまんでビールをまた一口あおる。

 

「そういやトマトジュースって苦手です?」

 

「別に。好きでも嫌いでもないけど」

 

 餃子の皮をまな板の上に並べながら、グリーンの質問に答えて振り返ると幾つもの蒸留酒を奴らは床に並べていた。まーた度数の高そうなもんばっかり、と思うと同時に眉がピクリと動き、それをフォローするようにグリーンは薄く笑った。

 

「いえね、おたくそんなに酒強くないでしょ。……いやまあ他のメンツがザルってのもあんですけど」

 

「うん、だから。ショットだけだと単調だし、アルコールの強さも調節しやすいから今回はカクテルでも作ろうかと思ってね」

 

「ほー」

 

 グリーンにイエローが補足する。そういやビリーはこじゃれた飯屋だったかでバイトをしてるんだったか、と思い返し、ああだからカクテルに使うトマトジュースが飲めるか聞いたわけね、と頷く。

 ビリーは立ち上がって俺がキッチンに持ち込んだビールを奪い、あらかじめトマトジュースを注いでおいたグラスにそれを並々と注いだ。

 

「と、いうことでまずは一献。レッドアイだよ」

 

 グラスを差し出されて一口、ビールだけの時より荒くなった泡と一緒に飲むと、その赤い液体はビールの苦みが抑えられ、しかしトマトジュース程の酸味や重たさもなくすっきりとしたものだった。

 

「うま」

 

「んでこれを加えるとレッドバード」

 

「おわっ」

 

 ビリーの後ろからにょきっとクー・フーリンが現れ、ぞんざいにウォッカの瓶を俺の持っているグラスに傾けた。そして使っていない箸でぐるりと掻き回す。…俺が酒に強くないからカクテルをって話はどこいったんだ? 呆れつつまた一口飲むと、アルコールの強さ以外にもクリアさ……キレ? なんだその、別の後味が舌に残った。味の正体を追って変な顔をしていると、ビリーがふ、といつものニヒルな笑みを浮かべた。

 

「うまいだろ? ほらグリーン、やっぱりスミノフの赤なんて買わなくてよかったじゃないか」

 

「へーへー皆様の鋭い舌を疑ってすみませんね。カクテルにしても分かるもんなんすねぇ」

 

「へえ、俺も後で飲んでみるか。冷凍庫に入れとくぞコレ」

 

 どうやらイエローとグリーンのやり取りを見るにちょっといい酒らしい。ブルーがウォッカを冷凍庫に入れるのを眺めつつもう一口飲むと、調味台をガサガサしていたイエローにまた何かグラスに仕込まれた。

 

「今度はなに入れたんだよ」

 

「タバスコだよ。ペッパーじゃなくてハラペーニョだなんていい趣味してるじゃないか」

 

 赤ではなくて青いタバスコを眼前で振られ、そりゃどうもと返す。ていうかお前らに構われると料理が出来ないんだが。

 

「酔って怪我しないようにね」

 

「気を付けるよ」

 

 イヤミに言われ肩を竦める。タバスコを入れても個性が出てうまいなコレ。しかしまさか数口では酔わないとは言えちんたらしてるとこのまま酒を盛られ続けるな、と判断して再びキッチンに向き直った。まな板に並べた餃子の皮にマヨネーズと醤油を混ぜたソースを塗り、既にスーパーで切られているネギをどっさりと、ベーコンをのせる。マヨネーズを塗っていない残りの餃子の皮にはケチャップ、それより少なめのマヨネーズ、チューブにんにく、マジックソルトを混ぜたピザソースを乗せ、最後の数枚の皮にはしらすとオリーブオイルを乗せて、すべての餃子の皮にチーズを盛り付けていく。あとはオーブントースターに数分任せるだけだ。

 

 簡易ピザを仕込んだところでホウレン草をさらした水から引き上げよく絞り、絞り、絞る。……二十代の男四人分とは言えとんでもねー量のホウレン草である。しかし生のまま茹でるとホウレン草の性質上アクが出て食えたもんじゃなくなる場合もあるからなあと搾り続ける。

 水を切ったらざっくり半分に切ってザルにあげて置き、チーンと鳴ったオーブントースターから餃子の皮のピザを引き上げる。さすがに此方は皿に盛り、黒コショウを散らしたら既に空になっていたサラダの皿と取り換えた。

 

「へいお待ち」

 

「おっうまそう。しかし悪いな、家主ばっか働かせて」

 

「んにゃ、俺も食いたいもん作ってるだけだから」

 

 クーの発言に首を振ってネギのピザを頬張りつつビールが三回進化したもので流し込む。あーーーうま。マヨネーズとネギとベーコンとチーズが合わねえはずねえんだよなあ。

 クラスト生地を使った方がうまいと言われるかもしれないが、餃子の皮をトーストした時の独特のパリパリ具合もまたいいのだ。多めにかけた黒コショウのピリッと感もマヨネーズのくどさを感じさせない。それをサッパリしたビールカクテルで流し込むのだから間違いようがない。

 

「しらすピザ、結構いいね。今度湘南か江の島に行った時にも食べようかな」

 

「それいいな。あっちのしらすで食ったらうまそう」

 

「あ、レッドバード飲み終わったね。じゃあ今度はこっちを試してみるといい」

 

 俺が喉に流し込んだグラスを見て、ビリーはグラスにウォッカ、レモン果汁を入れてトマトジュースでそれらを割った。先ほどのビールカクテルの透けるような赤とは違い本来の煮詰まった赤さだ。

 

「はい、ブラッディメアリー」

 

 血みどろメアリーとはなんつうネーミングだと思いながらそれを受け取り口を付ける。

 

「濃っ!」

 

「あはは、だろうね」

 

 先ほどと比べて味もアルコールもガッツリ濃い。あーでも酒に重量があって攻撃的じゃないというか、結構飲みやすくはあるわ。二回目のピザをトーストに入れつつケチャップベースのピザと一緒に食べると、ビールのようにさっぱりさせるという感じではなく、食い合わせのよい味になって面白い。

 

「レッドアイに卵を入れて朝食にする奴も居るし、ブラッディメアリーはウォッカからジンにとっ替えるとメアリーがサムになったりするんだぜ」

 

「ふうん」

 

「どの時代の人間もやっぱ酒に心血注ぐんすねえ」

 

 鷹揚に返した俺にロビンが酒をあおりつつ所感をのべ、それにクーが肯定する。

 

「酩酊には魔性が潜んでるからな。フルも気を付けろよ」

 

 にやと笑ってウィスキーを飲み干す男の女性関係を思い浮かべ、魔性に転がされたこともあったのだろうかと考えたところで野暮か、と思考を振り払う。ビリーから貰ったブラッディメアリーのチェイサーに瓶に残ったビールを飲み下しつつ、キッチンの土鍋を開けて柔らかく開いた昆布にそろそろいいかと判断する。

 料理用酒を土鍋にだばだば注ぎ、鍋が割れない程度の中火にかける。それからエノキダケの根元を切り落とし、じんわり鍋があったまってきた段階で中に入れておく。

 

「タクマ甘い酒平気?」

 

「おー」

 

 ビリーに聞かれて答えながらブラッディメアリーを含みつつ鍋を見守る。するとワンルームの方から不穏な会話が聞こえてきた。

 

「店で出すときはジン20ccだけど40くらい入れてもいいかな」

 

「バーだとドライはそんくらいだしフルならいけるいける」

 

「あーあー、レディキラーどころか雑魚狼まで死んじまう酒つくって」

 

 ……。すぐそばの不穏な会話を聞き流して、煮たった鍋に肉を入れる。暫くして出てきたアクをすくっているとこれまた不穏な笑顔でビリーにグラスを手渡された。

 

「はい、オレンジブロッサム。甘いよ」

 

「……あんがと」

 

 受け取ると、かわりに近くにおいてあった残りのブラッディメアリーは一気に、まるで一杯目のビールのように飲み干され、シンクにグラスが降ろされた。

 目の前の男の不穏な笑顔はそのまま続いており、仕方なく黄色野郎の前でちび、とオレンジ色の悪魔に口をつける。どうやら100%のオレンジジュースのようで、甘みより柑橘類の苦みの方が強く感じる。ただジンのビリビリしたアルコール分をオレンジジュースが中和してくれてかなり飲みやすい。……飲みやすいからまずいんだったつの!

 

「雑魚狼にチェイサーとしてジュースくれ!」

 

 仕留める相手(レディ)が居ないのになんつー酒だと叫ぶと三人の爆笑が帰って来た。クーみたいなウィスキーショットで飲む奴と比べられても困りますねえ! そうじと目で睨むも、大層愉快そうな顔をされた。

 

「なんだ、俺の『広い入り江の美しい窪地』が羨ましいのか?」

 

「は?」

 

 顔色変わってないがコイツも酔ってんのか? と首を傾げつつ手の平の上で豆腐を切って鍋に入れ、水気をきったホウレン草も投入する。その間にクーは立ち上がって自分用以外にもうひとつグラスを持って近付いてきた。

 

「ラフロイグだよ、まあ一口飲んでみろって」

 

 ほんの二口三口分注がれた美しい琥珀色が眼前いっぱいに広がる。まあこれくらいなら、と受け取る。なんだか目の前の男の笑いに嫌な気配を感じないでもないが酒に罪はない。

 ――と、思って口に含んだはいいものの。

 

「ッ!? なんだこの正露丸!」

 

「アッハハ、ですよねえ! 歯医者のかおり!」

 

 後ろでグリーンが笑ってこのラフロイグとやらをグラスに注いで舐めるようにチビチビ飲んでいる。うわすげえなんだこのウィスキー…スコッチか? うわ、すげえ。グラスに残っていたもう一口を確かめるように飲むも、なんだ、いやすげえなこれ。

 

「感想は?」

 

「んー……」

 

 もういいな、と背後の鍋の火を止めてテーブルの中央に空きをつくって鍋敷きを置く。深皿に既にスーパーでおろされた大根おろし、ねぎ、しょうが、ポン酢を入れてタレを人数分用意しつつ、うーん、と考え込む。

 

「嫌いじゃないけどなんかすげえ酒」

 

「分からんでもない」

 

 酒を勧めた本人がそう頷いたので、多分この酒はかなり人を選ぶものなんだろう。

 

「つーか、料理してる人間にウィスキーストレートで渡す奴があるか」

 

 明らかに10%や20%のアルコール度数でない酒にガツンとこられて、慎重に、慎重に土鍋を持つ。たった二、三歩だがひっくり返しそうなのが酒の怖いところだ。好きだけどさ。饅頭くらいにはこわい。

 というか、もう一度言うが俺が酒強くないからカクテル作るって話はどこいった?

 

「おっと、危ない。はいチェイサー」

 

 玄関廊下についているキッチンからワンルームに土鍋を運び終え、一息つく前にビリーにオレンジジュースを手渡される。

 

「おう、悪い…………って酒じゃねえか!」

 

「ははは! ウォッカを入れたらスクリュードライバーってね」

 

 ケラケラ笑うクソチビはどう考えても酔っぱらいだし、苦笑しながら水を差しだしてきたグリーンはどう考えても飲み会で最後まで酔えずに最後は介抱役に回る損なタイプだ。笑いながら眺めてるブルーは気のイイ奴だけど飲み会では自分だけとっとと帰るタイプ。

 あー……だめだ酒入ると変な情報が頭に流れてくる。意外と熱血漢のブルーとイエローがその実、中庸の冷めた奴でもあるだなんて100年以上前からの事実なんだししゃーないんだよ、うんまあそういうことで。

 

 白んできた頭で箸とポン酢だれの深皿を持って鍋からホウレン草とエノキと肉を一気にとる。酔いが回ってきて繊細な味まで分からんがエノキはしゃくしゃくと食感がいいしホウレン草も歯触りがよくポン酢の酸味で味がしまってる。豚肉をおろしポン酢とネギで食って外れるわけもなし。

 

「あー、結構回ってきてんな」

 

「ほんとだ、目が座ってる」

 

「酔わせたアンタらが言いますか」

 

 聞こえては居るが遠い所から響く声を無視しつつ、ウォッカ入りとは言えかなり薄めに作られたスクリュードライバーを嚥下する。うん、合わんことはないが鍋は甘い酒と食うもんでもないな。

 

「ん、鍋うめえな」

 

「うん、クセがないから毎日食べられそう」

 

「そういや、毎日食べても飽きないから常夜鍋って言うんだっけ?」

 

 ワイワイ言ってる傍でそういやどっかで麦の瓶見たな、と辺りを見渡し、目につかなかったので冷蔵庫を開ける。無造作に数本横たわった酒の中にソレを見つけて(焼酎は別に常温でいいんだが、まあ冷蔵庫に入れておいても悪いもんじゃない)引っ張りだすとさっとロビンに横から取り上げられた。

 

「アンタはもう座ってていいですから。水割りでいいですよね」

 

「おー」

 

「あっ、グリーンぼくにも」

 

「俺は冷やしたウォッカ飲むかね」

 

 尻に根が張ったように重くなった腰をずりずり冷蔵庫からテーブル前に戻し、おもむろに鍋に箸を伸ばして豆腐をなんとか掬い上げ、ロビンに手渡された水割りと一緒にちびちびやる。鍋ものは腹の中があったかくなっていい。この方向性を失ったワケの分からん宅飲みも雑然とした日常を感じて手放しがたい。

 まだもう少しゆっくりしていてもいいだろうか、なんて笑って、上がった口角を三人に見られない内に酒と一緒に飲み下した。酩酊に意志をほぐされて、俺は知らぬ間にまどろみを深くしていた。

 

「フル、寝んのはいいけどあんまり深く落ちるなよ」

 

「おー」

 

 まどろみの奥で空返事をするも、肉体は夢に、頭と耳はうつつに取り残されつつある。現実とも非現実ともつかぬ曖昧な領域で聞いたのは、まるで他人事のような会話だった。

 

「いいじゃないか、今回は酒のせいってことで」

 

「ま、どっちにしろ最後まで付き合うんでしょう? オタクらも」

 

「心配ねえよ。腹いっぱいになってぐっすり寝りゃその内起きるだろ」

 

 




現実の友人の家で許可なくガラムを吸ったら銃殺刑も已む無し。
あと火から目を離したり酔った状態で火や刃物を扱うのは危険なのでやめましょう。
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