やっとのただいま
「聖杯、無事回収。……けど、まずい、ここを根城にしてたドラゴンが帰ってきたみたいだ!」
「お疲れ様。転移の準備は出来てるから、見つかる前にレイシフトしてしまおう!」
「うん、お願いダ・ヴィンチちゃん。さすがに俺だけだとドラゴンは相手に出来ない」
ドラゴンの巣の金銀財宝に混ざる聖杯だけを引っ掴み、俺はこの特異点からの脱出を試みた。
それにしても、今回の冒険は随分急ピッチだった。この小さな特異点の聖杯が魔力を溜めている途中で近隣に影響を及ぼしていたものの、準備中だったためかサーヴァントが召喚されておらず、代わりに盗賊や自警団におったてられ、しかもカルデア側のサーヴァントは不具合でこの特異点に顕現出来なかった。逃げまどっていてこの二日間碌なものを食べていないし仮眠もあまりとれていない。実に草臥れた。
「帰ったら、なにか美味しいものをご用意しますね。先輩」
「ありがとう、マシュ。みんなで食べようね」
長丁場だったため管制室側も長時間拘束だったので、二人してくたびれた笑みをこぼた。じきに体が霊子に溶けていく。
ああ、お腹がすいた。それに疲れた。帰ったらたら泥のように寝て、たらふくメシを食いたいなあ。次の戦いまで、すこし、ほんの少しだけ休息を――
「お、もういいのかい? リツカくん」
「…………え、」
ふいに、まるで幽体離脱していた魂が肉体にぴったりと戻って来たように突然、目が覚めた。俺はベッドに寝かされていて、声の主をきょろきょろと探せば、価値ある美を造形した万能の天才が穏やかに微笑んでいた。ピンと張る感覚に腕を見れば、点滴が繋がれていた。
「ここ、は、俺の部屋?」
「ああ。断捨離後と見紛うばかりのカルデアにおけるキミの部屋さ、マスター」
カラカラと笑ったダ・ヴィンチちゃんはんーっと手を組んで椅子に座ったまま背伸びをした。開発部に所属する上現在カルデアの指揮をとっている忙しい彼女――メイヴの特攻が乗らないので彼女と呼ぶ――をまさか就寝時に呼ぶはずもなく、なにがなんだか分からず俺はそれを呆然と眺めた。そこにふと、影が落ちる。
「アンタは聖杯を使って眠っていたんだ」
「エミヤ! ……いや、なんだって?」
アサシンのエミヤが椅子に座るダ・ヴィンチちゃんの隣にふっと現れ、冷めた瞳でそう言った。
聖杯を使って眠っていた?
俺は別に睡眠障害が出ていた覚えもなければ、日々適度な運動と食事によって夜になれば自然と眠れる健康優良児だ。わざわざ聖杯を使うまでもないし、願望器が勿体なさすぎる。意味の分からない言葉に首を傾げていると、説明役の大御所が待ってましたとばかりに割り込んできた。
「古海霧 拓真という名前に覚えはあるかい?」
「覚え――――覚えもなにも、」
ダ・ヴィンチちゃんの言葉に、俺は果たして愕然とした。
「それは、俺だった」
彼女は頷いた。
「詰まるところ、キミのほんの少しだけ休みたいという至極当然の欲求を、聖杯が大仰な願望にすり替えてしまったのさ」
「な、――――」
絶句する。彼女はそんな俺を責めることなく、テキパキと点滴を取り外していく。
「聖杯の魔術をリソースに固有結界、或いは精霊種の空想具現化に近いものを展開していたようだね。要は休息の具現化だ」
「その上、時間操作による停滞。それを体内でとどめていたようだ」
ダ・ヴィンチちゃんの言葉にエミヤが続けた。俺が眉を顰める内にまた彼女が言う。
「体内、というか極端に言えば脳内だね。キミの脳内、はたまた夢が特異点にでもなっていたと言うべきか。これはおそらくリツカくん自身の『少しだけ』という願望が反映されていて、キミが体感した時間よりかは非常に短い時間しか現実では経っていないはずだ」
「ああ、うん、確かに、季節も移っていたし随分長いこと経った気がするけど」
狼狽えながら答える俺に、エミヤは実に冷たく、つまらなそうに言葉を羅列した。己の責任を果たすだけだと言わんばかりに。
「それも此方では5日間だ。だから言っただろう、聖杯なんて碌なもんじゃないって」
首元に落としたフードをぐっと被り、用はこれまでと言わんばかりだ。ダ・ヴィンチちゃんはによによ笑っているし、俺はいつものように彼の言葉を聞いた。耳の奥で、形を持った天の杯の清らかな声が聞こえた気がした。
「分野は専門だったが、結局特に役にも立てなかったね。外に出てみるといい。アンタの脳味噌に再召喚された奴もそうじゃない奴も、列をなしてアンタを待ってる」
「あっエミ……行っちゃった」
「行ってしまったねえ」
霊体化して姿を消した彼に、ダ・ヴィンチちゃんは惜しくもなさそうに、ただ微笑ましそうに言った。さすがダ・ヴィンチセレクトの一人とでも言うべきか。
「古海霧拓真の人格に覚えはあるのかい?」
興味深そうに聞かれたが、途惑いつつも首を振る。
「無い、とも言えないけど。あるとは断言できない。あれは確かに俺だったけど、俺の性格かと言えば違うし」
「観測するに、此度の特異点はキミの知る日常の維持が最重要だったように思う。二度目のぐだぐだ粒子の大盤振る舞いを見せた明治維新の時とは反対だね。『終わらせない』、『終わらない日常』だ」
「終わらない日常……」
それは確かに、2015年の末から2016年の末までに、俺が、俺達が求めたものだ。生きていたいという願望。それが当時聖杯では叶わず、2017年になってから誇大されて叶うなんて可笑しな話だ。うーん、考えるに確かにとってもぐだぐだしてたかもしれない。日常とはそういうものだというあらわれか、だから一番近くに沖田が居たのだろうか。
「キミの知る日常にとって、今のキミは非日常の対象だったのかもしれない。休息をとる『日常』の維持のため、藤丸立香という概念を隠すために用意されたスキン――それが『古海霧拓真』なのだろう。どこにでも居そうで、どこにも居ないただ一人だけの人間。算術平均ではなく均衡を取る為に聖杯とキミが形作った生育環境と人格。要はまあ、自分で人格と設定を選べないオリキャラだね」
顔だけでなく声まで美しい彼女が歌うように述べる。黒歴史の生産に苦笑いすると、ダ・ヴィンチちゃんはそんな俺を見てスッと表情を真面目なものにした。
「ただ、ならば何故キミの知る『日常』を壊しかねないサーヴァントたちが特異点に再召喚されていたのかという話になる。一応同級生やら先生やら設定は付与されていたようだがね」
「え、ああ――そういえばエミヤもさっき『再召喚』って」
掛けられた言葉を思い出し、首を捻ると彼女は座っている椅子で足と腕を組み深々と頷いた。
「恐らくキミには、早めに起きなきゃいけないという使命感があった。意図以上の休息を避けるための予防措置だったんだろう。なにかあっても無理矢理カルデアのサーヴァントに起こして貰おうって寸法で。長期休暇の後は仕事に行くのが嫌なものだからね」
バチン、とウィンクされ思わず笑う。確かにその通りだ。夏休み明けの俺が学校に行きたくないように、盆明けの父は実際会社に行きたくなかったように思う。行かなきゃいけないと分かっていてもだ。
「一応、自分で起きれたかな?」
「ああ。キミがもう十分だと思えば夢は覚めちまうんだからね。一年以上管理職を兼ねて肉体労働をした成果に権威主義のお偉いさんの監査が待ってるってのに、纏まった休暇が5日でいいとはキミも欲がないねえ」
「褒め言葉として受け取っておくよ。それで、再召喚っていうのをもうちょっと詳しく聞きたいんだけど」
肩を竦めてそう問う。エミヤが言うには召喚されていないサーヴァントも居ると言うし、狂化によって日常から浮いてしまうサーヴァント以外にも、見ていない輩は居た気がする。不思議に思って聞けば彼女はもう少し詳細に教えてくれた。
「私が、サーヴァントがキミを起こす役割を担っていたのだろうと言ったのは、サーヴァント一人ひとりが脳内、はたまた夢である特異点で形を成した際、十二分に肉体は形成できるが、兵器という程の力を持てないらしいルールが解析できたからだ」
「ルール……」
ぽつりと呟いて考える。当たり前のように受け流していた事実の中に、聖杯が細工をした設定があるということだ。
例えば、女の子との仲だとか。サーヴァントの女の子たちはみな可愛い。現世のモデルと比べたら、モデルの方が可哀想だというくらいに理不尽に。それでも俺が彼女たちに浮かれていなかったのは、ダ・ヴィンチちゃんの言うように管理職、或いは上司であるという以上に、彼女たちが『サーヴァントだから』だ。
しかし古海霧拓真にとって、目の前に現れた女性は立派な人間だった。好みや性癖もあるにはあるだろうが、誰ひとりにも性愛を抱いていなかったというのは、俺にしても彼にしても健全な男子としてはちょっとどころかドン引きだ。恐らくこういう細かいところに、ルールがあったのだろう。
「キミの常識か聖杯の選択か、世界に同じ人間は二人といないというルールもあったようだ」
同じ人間は二人と居ない。成程、当たり前すぎて泣けてくる。
「カルデアに召喚されていたサーヴァントはキミの知る現実世界と余程の乖離がない限りその世界の住人という設定ありきで再召喚されていたようだが、さっき言ったように世界に同じ人間は二人と居ないってルールもある」
「つまり、エリちゃんとかネロ、アルトリア、クー・フーリンが一部召喚されてないってこと?」
「そうそう。オルタナティブ――代案が聖杯によってなされた存在はルールの適用も曖昧だったみたいだけどね」
ダ・ヴィンチちゃんは完全に腕から針を抜いた点滴を片付けながら続ける。
「一人だけってルールは意外と厄介だ。クー・フーリンなんかはそれなりに割を食っていたからね」
「精神分裂的な……?」
「うーん、どちらかと言えば精神統合だね。しかも、英霊の一側面がコピーされて形作られるサーヴァントの逆引きと違い、今回の『再召喚』はカルデアに召喚されたサーヴァントだけだから、統合させると事例が多くても偏るし、二人程度と少なくてもでこぼこしたりとバランスが悪くてしょうがなかったようだよ」
メイヴが手に入らない男は嫌いだと言っていたのに、そういえばクー・フーリンのことを愛称で呼んでいたのを思い出す。悪いことをした、とバツが悪く顔を顰めると、ダ・ヴィンチちゃんは絵画とは異なる、生き生きとした笑みをこぼした。
「そういえばいい忘れていたね。――改めて、おはよう。リツカくん。それからおかえり。暴れ足りないサーヴァントはさておき、新しい特異点はまだ見つかってないからもうちょい休めるけどね」
「ありがとう。おはよう。――あと、ただいま。ダ・ヴィンチちゃん」
「うんうん、挨拶に挨拶が返ってくるのはよきことだ。さて、アサシンのエミヤも言ってたけど扉の外の連中にも挨拶してくるといい。起きる前にメディカルチェックは済ませてあるから」
言われて、自室の扉を開けると、それは土砂崩れのように雪崩れ込んできた。
「おかえりなさいっ、先輩! ご無事で何よりです!」
マシュが、ひとすじ涙をこらえきれず俺にしがみ付いた。
「おかえりなさいませ、だんなさま。ああ、ああ! わたくし、夢の中で毎日でも会おうと思いましたのよ。それなのに、愛が大きすぎるとダメだしを食らい、しとやかに振舞えば淑女が過ぎると締め出され――ああ、恋い焦がれて心が体が内から燃え尽きてしまいそうでした……!」
清姫が激情を溢れさせて俺に抱きついた。
「よぉ、坊主。もういいのか?」
キャスターのクー・フーリンがニヒルに、少しくたびれたように笑って俺の頭を乱雑に撫でた。
「おかえり、マスター。夕飯は何がいいかね?」
「うむ、御主人。キャットをひと撫でして癒されるといいのだワン。カルデア以外にはこの悪魔的欲求の肉球は今のところ存在しまい」
「まあ、まあ、お帰りなさいマスター。帰らないのかと心配していたのよ? ……ええ、ほんとうに。心配していましたの。ほんとよ?」
「紡錘の針も見当たらないのに、百年の眠りに落ちた茨のおひめさまになってしまったんじゃないかって、とても心配したのよ。でもマスターは王子様だから、ひとりで目を覚ませたのね。お帰りなさい、マスター」
「おかえりなさい、おかあさん。ナーサリーと13人目の魔女を探したんだけど、見つからなくて困ってたの。でも、もう探さなくてもいいね?」
「お帰りなさいませ、マスター。吾輩、マスターの長い眠りにインスピレーションを得てしまい、いやあ原稿がはかどってしまいましたな! ハハハハ」
「3、2、1ボンッ。いひひひひ、まぁあすたぁ? お懐かしいでしょう? 身を焦がすような爆弾の囁き! なぁんたるロマンチックな音階でしょう! え? 別に定期爆弾便はお望みでない? それでは致し方ありませんねぇ」
「なんだ、やけにあっさり帰って来たのだな。ふん、まあ、私も挨拶くらいは言える。……おかえり、マスター」
「マスター、体に違和感はない? 異変は? ……そう、ならいいわ。おかえりなさい」
様々な「おかえりなさい」が降り注いできて、体を引っ張られ、なにか言う前にもみくちゃにされて、部屋の前に居たサーヴァントの声を全員聞いたと思ったらボロボロだ。
ああ、帰って来たんだ。夢うつつは確かに別たれ、地に足をつけた俺の生まれた世界に。
短いという人も居るけれど、随分待たせたようでもあるので。俺も随分長い間休んでいてしまったみたいなので。やっとこさ、言わなければならないことを縮こまった舌に乗せなければ。
「――――ただいま」
その一言で、ひとまずは今回の騒動はおしまいを迎えるのだ。
本当はもう1話書いてから上げようと思ったのですが、夢の中というネタ被りをしていたためひとまず2話分投稿。
次から新しい話は最終話とその前の話の間に入れていく予定です。
最後を勿体ぶっても仕様がない話なので、連載中だけど完結済みという形にご容赦頂ければ幸いです。