リミテッド・ストラトス   作:フラワーワークス

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Ⅹ 瞳の奥にあるものは

「あら、おはようござ…、ヒッ……!」

「あっ、おはようトミーくん! やっと復帰出来、たん…だ……」

「おお〜、トミーくんおっは〜! ……なんかグレた?」

 

 訓練事故から復帰したトミーは、すれ違う学生達から奇異の目で見られていた。

 

「おはよう、トミー! もう体の調子は大丈夫……、って怖!? 目付き悪いな?」

「ああ、おはよう一夏。なんだかすれ違う人達から顔を見るなり引かれちゃうんだけど、どうしたんだろう?」

「そりゃあ、その目付きで睨みつけられたらおっかないと思われるぞ」

「別に睨んでなんかいないよ。眼鏡壊れちゃって、誰なのかよく見えないんだもん……」

 

 そう、普段かけている眼鏡を壊してしまったせいで藪睨みになっているのだ。

 今更であるが、トミーは学園では眼鏡キャラとして位置づけされている。分厚く度の強い眼鏡は光の加減がなければその奥を映さず、そのせいでなんとなく不審がられたり、地味な印象を持たれていた。

 その眼鏡がないということは、トミーの空色の瞳が晒されることであり、そして、

 

(目つきが超怖い……)

 

 少しでもよく物を見るための藪睨みが、何だかガンを飛ばしているように見えて周囲から引かれることになってしまった。

 

「予備の眼鏡は持っていなかったのか? そのままだと授業受けるの大変だろう」

「あるんだけど、僕のは少しデリケートな品物でね。ちゃんとした場所で保管していないとダメなんだ。いま送ってくれって頼んでいるんだけど、少し時間が掛かるって言われて」

「ちなみに、どれくらい掛かるんだ?」

「早くて五日だってさ。特殊な調整する手間があるから、しょうがないんだって」

「五日かあ。それじゃあ、明後日のクラス代表戦、ちゃんと見てもらえそうにないんだな」

「そうなんだよね。一夏と鈴の試合、楽しみにしてたのに」

「しょうがないさ。それで、授業の方はどうするんだ?」

「うーん。一夏、悪いんだけど、眼鏡のないあいだ授業を教えて貰えないかな?」

「いいぜ。俺がお前に教えるなんて、なんか普段と立場が逆で新鮮だな」

「ありがとう。頼りになる友人がいてくれて嬉しいよ」

「お安い御用だが、……その流し目はやめてくれ。なんと言うか、色っぽい」

「……やっぱり、眼鏡がないと不便だなあ」

 

 そうため息を着いて廊下を歩いていると、後から呼び止める声がした。

 

「トミーさんっ!」

「あ、セシリア」

 

 見返る視線は大雑把だが、声をかけ小走りに近づいて来た相手は言い当てた。

 

「おはようございます。もうお体は大丈夫なんですの? 授業にはついて行けそうですか?」

「おはようセシリア。おかげさまで、このとおり復調したよ。授業も、セシリアから休んでいたあいだのノートを貸して貰えたし、付いていけそうだ。ありがとう」

「本当に具合は悪くないのですか? 頭の痛みや、吐き気などはございませんか?」

「もうだいぶ良くなったから大丈夫だって。そんなに心配しないで」

「心配もします! 貴方はいつもご無理をなさっているのですから、これくらいのことはさせて下さい」

 

 トミーの部屋を訪れ、彼の事情を知ってからというもの、セシリアからの配慮は重たいくらいに親身になった。

 きっと先日の訓練試合に責任を負っているのと、薬を服用していることなどがばれたせいだろうとトミーは思った。

 

「や、本当に大丈夫だから。それにほら、今日はセシリアが日直だって、昨日ノートを見せてくれた時に言ってたじゃない。早く準備しておかないと、また織斑先生にどやされちゃうよ」

「んもう、このような時に日直なんて、ついてませんわ。トミーさん、くれぐれも無理はしないで。何かあったらすぐに私に教えてくださいね」

 

 言うと、セシリアは風のように去っていった。

 心配性だなあ、とトミーは苦笑する。

 そんな二人のやり取りに、一夏はトミーとセシリアのある変化に気がついた。

 

「セシリアのやつ、眼鏡をしていないお前に違和感を持たないんだな」

「ずっと看病してくれてたから、見慣れたんじゃないかな。彼女には感謝してもしきれないよ」

「お前はセシリアの顔がよく見えなくても、声で当てられるんだな」

「そりゃあ声も話し方も特徴的だからね」

「目つきも、鋭い感じがしなかったぞ」

「そうなの? 意識していなかったけど、普段よく一緒にいるからじゃないかなあ」

「俺には目つき鋭いんだが」

「え」

 

 トミーは目の周りをペタペタとなで、こめかみを少しもみほぐした。

 

「……どう?」

「うん、まったく変わらん」

「ええ〜、僕、別に一夏のこと嫌いじゃないよ?」

「いや、それはわかってるんだが、なんだろう、お前ひょっとして……」

 

 一夏は少し間をおいて、

 

「…いや、いい。やっぱり止めた」

「え、なに、すごく気になるんだけど」

「こういうのは、自分で気付くべきだと思うんだ。さあ、俺たちも早いとこ教室へ行こうぜ。軽く予習をしておこう」

「あ、うん……」

 

 先を行く一夏に、トミーは首を傾げた。

 

(いつも唐変木な一夏が気付いて、僕は気付けないなんて、本当に普段と立場が逆だなぁ)

 

 きっと眼鏡がないせいだ、と自分に言い聞かせ、視覚不良に映る一夏の背中に付いていった。

 

 ◆

 

 結局、トミーはその日衆人環視の中で過ごすこととなった。

 本人は気付いていないが、授業中となりの布仏本音と席をくっつけ顔を近付けて懸命に内容をまとめたり、休憩時間は目を閉じて頭の中で授業を復習したり、不意に首をもたげ、窓の外を眺める姿は、

 

(な、なんだか今日のトミーは感じが違うよ〜……)

 

 本音がそう感想を持つように、クラスメイトから興味の視線を向けられていた。

 人の見ための第一印象を決める上で重要な顔のパーツは、実に九割が目であるという。特にぱっちりと大きな瞳や整ったまつ毛は、華やかさや愛らしさを持たれるらしい。

 それに適ったトミーの瞳は、眉間にシワを寄せた目つきはともかく、ふと見せる艷やかな目元も相まって好奇の視線を集めていた。

 

「や、やあ、トミーくん。今朝ぶりだね」

「ん……、その声と、ショートヘアーは、お清さん?」

「せ、正解! でもその険しい目はやめてほしいな……」

「ああ、ゴメン」

 

 トミーの席を訪ねてきた相川清香に向ける視線はやはりキツイ。名前を間違えないために頑張って見ているせいだった。

 隣の席の本音は間延びした口調で、

 

「あ〜、お清ちゃんを睨みつけるなんて、トミーくんたら悪いんだ〜」

「別に睨んでないよ。こうしないとよく見えないだけで」

「言い訳は聞きませ〜ん。ちゃあ〜んとまあ〜っすぐ見つめてあげてくださ〜い」

「えぇっ!? ちょ、本音!」

「それだとぼんやりとしか見えないんだけど」

「輪郭と声で相手を判断する訓練だよ〜。しばらく眼鏡届かないんでしょ〜?」

「あれ、その話、本ちゃんにしたっけ?」

「細かいことはい〜のだよ〜」

 

 さあさあ、と手で促す本音に、トミーは気が進まないながらも従った。確かに目はしばらくこの調子になってしまうし、睨みつけずに相手を把握できるならそれに越したことはない。

 トミーは眉間を軽く揉みほぐすと、

 

「じゃあ、見るよ?」

 

 確認を一言入れて、清香の顔を見つめた。

 その瞳に、清香は吸い込まれるような感覚を抱いた。

 ぱっちりとした大きな瞳は快晴の青空を映した湖面のように澄み渡っていて、しかしその奥に沈む見通せない湖底のような深淵は、見るものをいざなっているようだった。

 清香は彼の上澄みの底に深い暗闇が潜んでいるように見えた。背中がゾワゾワする感覚と、瞳の奥に飛び込んでいきたいような衝動を覚えて、

 

「……なんだか、お清さんの顔、だんだん近づいて来てない?」

「わあ! ……あ、あの、違うんだよ。明日の朝、また一緒にジョギングしたいなって、思って、声をかけに来ただけなのに。な、なにしてんだろうね、私。それじゃっ!」

 

 逃げるようにその場を去っていく清香の背中は、運動好きなだけあって俊敏で一瞬で教室の外に消えた。

 呆気にとられたトミーは、

 

「お清さん、教科書持っていなかったけど、次の授業は研究室なのわかっているのかな?」

「ん〜、すっかり忘れて遅れてくるに一票〜」

「それ清くない一票だよ。すぐに呼び戻さなきゃ」

「それじゃ〜私がお清ちゃんの教科書用意しとくから、トミーは探しに行って来て〜」

「わかった。もし遅れたら先生に……なんて言えばいいんだろう? とりあえず、誤魔化しといて」

「らじゃ〜。二人で駆け落ちしたって言っとくね〜」

「言わないでね!?」

 

 ツッコミを残し、トミーは清香の名前を呼びながら後を追っていった。

 

 ◇

 

 清香は心臓の鼓動が高鳴っていることを自覚した。いまこうして廊下を走っているからではない、別の要因であると理解していた。

 脳裏に浮かぶのはジョギング仲間の、トミーの瞳だ。

 

(ヤバイヤバイ! あんな目で見つめられちゃったら、私じゃなくたって動揺しちゃうよ!)

 

 頭を振って脳内映像を掻き消すが、なかなかうまくいかなかった。深く書いた鉛筆の絵が消しゴムで消しても残ってしまうように、どうしてもさっきのトミーが離れない。

 あんなに綺麗で、透明で、澄んだ瞳なのに、

 

(なんで、こんなに怖いんだろう……!)

 

 彼の中にある、見てはいけない深淵を覗き込んでしまったようで、自分もその深淵に見られているような恐怖を覚えていた。

 その恐れを自覚すると、冷たい汗が流れてきた。幽霊番組もお化け屋敷も大丈夫なのに、リアルな友達の陰影はそれらと違った怖さを感じさせた。

 

「廊下を走るな! バカ者がっ!」

 

 目の前で怖い顔をしている担任の織斑先生の声でようやく我に返り、足を止める。どんなに走っても元気な足が、今はおかしいように笑っていた。

 

「お、織斑せんせぇ……」

 

 その清香の変わりように、織斑先生は振り上げていた出席簿を止めた。

 

「どうした、相川? 元気が有り余っているようには見えんが」

「あの、その、と、トミーくんって、何か事情があったりするんですか?」

「なんの話だ?」

「実は、その、目が……」

 

「お清さ〜ん」

 

 清香を探しているトミーの声に、ヒッ、と身をすくめてとっさに織斑先生の背中に隠れた。

 なんなんだ、と思いつつも、先生は風紀を守る職務を遂行する。

 

「廊下を走るなっ! 一(にのまえ)!」

「わっ、織斑先生、すみません。実はお清さん……清香を探していまして。次の授業、移動教室なのに準備もせずに飛び出しちゃって」

「あ、そ、そうだった」

「お清さん! ……なんで織斑先生の後ろにいるの?」

「私も事情がさっぱり分からん。一(にのまえ)、お前相川に何をしたんだ? あと目つき悪すぎだ」

「ええと、この目のせいみたいなんです。本ちゃん……本音に言われて、目つき悪いからちゃんと真っ直ぐ相手を見るようにしなさいってやってみたら、急に逃げ出しちゃって」

「なんだそれは。お前の目は邪眼の能力でも持っているのか」

「あったら僕もビックリです。こんな感じで見たんですけど、別に変じゃないですよね?」

「どれ」

 

 トミーは先程と同じように織斑先生を見た。その目を覗かれるなり、目つきが鋭くなって、ふん、と鼻を鳴らされた。

 

「……早いところ眼鏡を調達しろ。そうでなければサングラスをかけろ。お前の目は危険だ」

「ええ!?」

「そうですよね!」

「ああ! お清さんまで!?」

 

 トミーはショックにおののき、顔を手で覆い隠した。

 

「僕の目、そんなに酷いんですか……?」

「人の目は何を見たかで変わるという。お前は一見綺麗な目をしているが、その奥は人に見せるな。それに、自分でも見ないほうがいい」

「見れませんよ。鏡を見るのもぼやけちゃうんですから」

「ならいい。ホラ、相川も。コイツは普通にしていれば問題はない。そんなに怖がることはないだろう」

「そりゃあ、普段はイイヤツですけど。何ていうか、その目を見ちゃうと、仮面をしているみたいに思っちゃって」

「わ〜……、友達からの信用が暴落してる〜……」

「わわ! そういうことじゃ、……あるような言い方だったけど!」

 

 織斑先生は出席簿を手で叩いて話を区切らせた。

 

「くだらん痴話喧嘩はその辺にしておけ。授業がもうすぐ始まるぞ。さっさと移動しろ。迎えも来たぞ」

「迎え、ですか?」

「あ、セシリア」

 

 教室の方から来る金髪ロングに、トミーはその名前を言い当てた。

 

「あら、皆さんおそろいでしたのね。日直としてお二人を確認に来ました。さあ、間もなく始業のベルも鳴りますし、研究室まで急ぎましょう」

「確認って、本ちゃんから聞いたの?」

「三人のやりとりが目の端に映っていましたので、それとなく、ですわ」

「それとなく、ねえ……」

「なんですの? 相川さん」

「いやー。トミーくん目がよく見えないのに、セシリアさんはちゃんと当てられるんだなあって」

「そ、そうなんですの?」

「一夏にも言われたけど、そうみたい。セシリアは特徴的だからじゃないかな。さ、早く行こう」

「え、ええ」

 

 先生の手前、走らず小急ぎで向かおうとする三人に、

 

「オルコット、放課後私の部屋まで来い」

 

 織斑千冬が静かにセシリアの耳元で囁いた。

 

「お前の気にしていた、一(にのまえ)の過去がわかった」

「! ……わかりましたわ」

 

 セシリアは動揺を圧し殺し、普段と変わらぬ振る舞いで移動教室先の研究室へと向かった。周りには気づかれない程度に、胸を抑える姿勢を取っていた。

 

 ◆

 

 放課後、学生寮のある部屋の前。

 ノックを三回、入れ、と許可を得て、セシリアは織斑千冬の寮長室へと入室した。一見、なかなかに散らばっている光景が目についた。一人暮らしのOLが仕事に没頭して他に手が回らないような部屋みたいだ、と思った。

 

「オルコット、いま失礼ことを考えていなかったか?」

「め、滅相もないですわ!」

「ふん、どうせだらしないOLの部屋みたいだとでも思ったのだろう。お前たちの考えることぐらいお見通しだ」

(自覚はしておられるのですね……)「いつも大変な激務をなさっているのですから、プライベートでは羽をのばすのも必要ですわ」

「たまに織斑が片付けてくれるから問題ない」

(年頃の弟を持つ姉として問題があるのでは……)「出来の良い弟がいて羨ましいですわね」

「……なんだか無性に腹が立ってきたな。一杯貰うぞ。どうせ今日は仕事上がりだ」

(まだ明るい時間なのですが……)「どうぞ、お気遣いなく」

 

 セシリアの許可を聞くまでもなく、冷蔵庫から500ml缶ビールを取り出して蓋を開けた。喉を鳴らし一気に半分近く飲み干して、ぷはーっ、と実に美味しそうな声を零す担任の先生の姿は、

 

(お姉様と敬愛している生徒たちに見せられる姿ではありませんわね)

 

 あくまで表情に出さず「先生、お疲れ様です」とねぎらうセシリアは社交慣れスキルを遺憾なく発揮して千冬か落ち着くのを待った。

 

「……ったく、たまにはこうして飲みたくなることもある。一(にのまえ)のスポンサーにVTシステムの暴走の件を問い合わせたら何と言われたと思う? そういえば、仕様書に記載しておりませんでしたね、だとさ! なんだ、仕様書とは!」

(たまには?)「トミーさんは、本当に実験体としか見られていないのですね」

「立場上、一(にのまえ)のような奴には何度か会ったことがあるが、上官としてならともかく、教員として任されるのはたまったものではないな」

「……それで、トミーさんの経歴は、如何なものだったのですか?」

「ああ、そうだったな。先方へクレームついでに聞いたんだが、結論から言えば、一(にのまえ)の身体はお前の知人に間違いないそうだ」

「!!」

 

 セシリアは息を呑んだ。口元を両手で抑え、懸命に動揺を抑える。が、瞳は揺れ、足の力が抜け、しゃがみこんで身を震わせた。

 

(生きていた……!)

 

 そう胸の中で反芻すると、ああ、と全身を駆け巡るものがあった。

 胸の中にあった微かな希望が、眩しく輝き始めたように感じた。

 脳裏に幼い日の『彼』とのシーンがフイルムのように流れる。色褪せてセピア色になっていたフォトが、鮮やかな色を取り戻していく。

 

「……感動の手前悪いが、同じなのはガワだけだそうだ」

「……どういう、ことなのですか?」

 

 涙をいっぱいに溜めた目で千冬を見上げた。

 

「中身は別物、……いや、はっきりと言おう。やつの記憶は完全に塗りつぶされている。もはや一(にのまえ)の中にお前の知人は存在しない」

 

 セシリアの瞳から一筋の雫が流れた。

 

「やつの目を見てハッキリとした。一見、綺麗な瞳だったよ。きっとお前の知る彼はそんな目をしていたのだろう。だが、その奥が底なしの闇だった。地獄を見てきた兵士のような深淵だ」

 

 千冬は缶ビールを一口含み、喉を潤した。

 

「一十三八という人格で蓋をして、受けてきた実験の記憶は心の奥底に圧縮したのだろう。マインドコントロールでよくある話だ。もし、その記憶にふれようものなら……」

「どうなるというのですか!」

 

 セシリアは千冬の肩に掴みかかった。

 

「わたくしの大切な『彼』に触れようとしたら、いったいどうなるというのですか! 訳の分からない者達のために『彼』は滅茶苦茶にされたのに! 救ってさし上げることも、手を差し伸ばすこともできないのですかっ!?」

「落ち着け、オルコット」

「落ち着けるはずがないでしょう!? こんな、残酷なこと、許せるはずがないでしょう!!」

 

 千冬は涙で汚れるセシリアの顔に、自分の顔を近付けた。

 

「もし過去の記憶に触れれば、一十三八は壊れてしまうぞ」

 

 冷たい千冬の瞳が、見開かれたセシリアの瞳を射抜いた。

 

「今のやつはイカれた圧縮ファイルを別のデータで蓋をしたパソコンのようなものだ。表面上は問題ないが、圧縮ファイルに何かをすれば、途端に立ち行かなくなるだろう」

 

 セシリアは千冬の肩から両手を離した。

 

「当初はサイレントキラー……ああ、特殊な暗殺者のことだ。それを考えたが、先方のスポークスマンに笑顔で否定されたよ。そんなことをして我らになんの得があるのですか、とな。この間のVTシステムがまさにそれではないかと指摘すると、あれは単なる事故であり遺憾に堪えません、ということだ」

 

 千冬の手の缶が震えた。残ったビールを一気に飲み干すと、グシャリと潰してゴミ箱へ投げた。勢いが良すぎて壁にあたって入らなかった。

 

「オルコット、お前がその幼馴染をどう思っているのかは分からんでもない。だがな」

「――嫌です」

「オルコット」

「嫌です。イヤだ……、いやなの。やだよ、やだ……」

 

 身を震わせて自分の腕を抱くように縮こまった。

 ヤダ、の言葉が次第に嗚咽に変わっていく。

 

「駄々をこねるな。いったい何が嫌なのだ」

「わかりません……。でも、ヤ、なんです……」

 

 それっきり、肩を叩いても頭をなでても、顔を上げずに泣いていた。セシリア自身、何が嫌なのかわからないのだろう。

 千冬はヤレヤレと携帯端末を取り出した。

 

 ◇

 

 一十三八はなぜ織斑千冬に呼び出されたのかと動揺していた。

 

(お清さん、そんなに嫌だったのかな? それとも、欠席が多すぎて補修かな? まさか、スポンサーからクレームとか?)

 

 色々と思い当たることはあるが、とりあえず確かめないことには始まらない。寮長室のドアにノックをして、確認を取って失礼しますと中に入ると、

 

「セシリア? え、うずくまってどうしたの? 織斑先生、何が……って、酒臭! まさか未成年に飲ませたんですか?」

「んなわけあるか馬鹿者」

「それじゃあ、何があったんですか? ねえ、セシリア、大丈夫?」

 

 そう彼女の顔を覗き込もうとすると、

 

「あいた」

 

 殴られた。俯いたまま、手だけでトミーの胸を。

 

「え、あの? 本当に訳がわからないんだけど。っていたいいたい。止めてよセシリア!」

 

 セシリアのパンチは止まらない。頭を彼の胸にくっつけて、何も言わずにポカポカ叩いてきた。

 小さな幼子が言葉にできない不満を兄にぶつけているようだった。

 それを眺める千冬は一言も口を挟まない。ただ座ったままセシリアを見守っていた。

 

「織斑先生、状況を説明下さい。なんでずっと黙ってるんですか。セシリアもどうしたの、いったい何が嫌なの? っていたいいたい。もう、何なんですか、この状況は〜!」

 

 優しさを植え付けられた少年は理不尽に怯むことなく少女をあやした。

 しかしそれがかえって逆効果なのか、彼の胸を叩く手は止まらなかった。

 千冬の目には、

 

(一生懸命ドアを叩いているようだな……)

 

 開かれない扉を何度も何度も叩いているように見えて、いたたまれなさにもう一本ビールを空けた。

 すぐにトミーに怒られた。

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