IS学園付属図書館、メディアルーム。
その密閉型の個室にて、正面ディスプレイに映る侍女、チェルシー・ブランケットは、主であるセシリアの話を静かに聞いていた。
「そうでしたか、『彼』の記憶は、もう……」
以前聞かされた『彼』と瓜二つのクラスメイトが、まさか本当に主人が懇意にしていた『彼』本人であると聞いたときは内心驚いたが、その続きを窺ってセシリアの落胆ぶりに納得が行った。
「……」
セシリアは打ち明けると黙って椅子の上で両膝を抱えていた。
暗闇の中、ディスプレイの光のみが照らす彼女の顔はおぼろげで、画面を移さない瞳は曇っているようにチェルシーには見えた。
(これは、相当まいってらっしゃるわね)
習い事でヘマをした時も、剣の訓練で負けたときも、セシリアは決まって膝を抱えて俯いていた。それでもなだめすかして顔を上げれば何とか気を取り戻せていたのだが、流石に今回の件はどう対処すればいいか、長年の付き合いである従者のチェルシーにも計りかねた。
それにしても、最後にセシリアのこんな姿を見たのは、確か、
「……ねえ、覚えてる? 貴方のご両親が亡くなられた時のこと」
年上のお姉さんの口調で語りかける。
セシリアの視線は動かない。
「とっても忙しくて、悲しむ暇なんて無かったわよね。いろんな手続きがあったし、いろんな人が詰めかけてきたし。親類が親切を装って遺産を奪おうともしたわよね。遺言に従って遺産は全てあなたに遺されたから」
セシリアの顔が少し沈んだ。
「あの時ね、私は、ちょっとくらい遺産を渡しても良かったんじゃないかと思ったの。だって、本当に目が回るくらい忙しかったんだもの。それに、貴方がちゃんと遺産を管理できるのか心配だったのもあるわ。たくさんの従業員を抱えたカンパニーを渡されたんだもの、きっと無理じゃないかって思ってた」
チェルシーは白状するように伏し目がちに語った。
「でも、貴方はご両親の遺産を守り抜いた。カンパニーの経営も、色んな方の力を借りて、色んな人と渡り合って、見事に苦難を乗り切った。小さな貴方のどこにそんな力があったのか、私たち使用人はみんな驚いていたわ。そして、貴方が単なるお嬢ちゃんから、オルコット家のお嬢様になったことを認めさせられた。みんな貴方のことを褒めたてていたわ。亡きご当主様もきっとお喜びになるでしょう、って」
チェルシーはうつむき加減のセシリアに、優しい顔で語りかけた。
「けれど、貴方はそれで満足しなかった。いくら成功しても、おべっかを使われても、表面上しか喜ばなかった。どうしてなのか、私にはわかっていたわ。本当は誰に褒めて欲しかったのか、貴方のデスクの上にある写真を見て。セシリア、きっと貴方は……」
「――やめて」
セシリアは何かに気づいたかのように顔を上げて呼び止めた。しかしチェルシーは口を閉じなかった。
「『彼』に、褒めてもらいたかったんだよね」
「チェルシー、やめて」
「セシリアはちゃんと頑張っているよ、って、セシリアは偉いんだね、って、言って欲しかったんだよね」
「チェルシー!」
「だから、貴方はずっと『彼』の影を追っていた。ありのままの貴方を認めてくれた大切な人を。そうでしょう、セシリア?」
――そうだ。
ああ、そうだったのだ。
分かってしまった。
何が嫌なのか、なぜトミーに近づこうとするのか。
彼が生徒会へ呼び出された時に付き添ったのも、屋上で食べてくれた手作りランチも、暴走して倒れた彼を看病したことも、ぜんぶ、
(――『彼』に、褒めてもらいたかったんだ)
瓜二つの他人かもしれない。本人であっても自分のことを覚えていないかもしれない。なのに彼の、トミーの側を離れなかったのは、彼の中に『彼』の幻を見たからなのだ。
それが今、『彼』の記憶がなくなったと聞かされて、もう『彼』に褒めて貰えなくなってしまったと知らされて。それがたまらなく、たまらなく嫌だったのだ。
何ということだろう。
それは、なんて、
「なんて……、身勝手で、厚かましいオンナなのでしょう……!」
結局、すべて自分のエゴだったじゃないか。
トミーのことなど何も考えていなかったじゃないか。
最低だ。
酷いオンナだ。
そうまでして『彼』に振り向いて欲しかったのか。
褒めてもらいたかったのか。
自分の承認欲求のためだけに……!
「そんなことないわ」
チェルシーが優しく言った。
「そんないことない。聞いて、セシリア。大丈夫、貴方は何も悪くないわ。むしろ当然のことよ。愛する人に、振り向いて欲しいと思うことは」
愛する人――。
「セシリア、貴方はいま、恋をしているの。『彼』と出会ってからずっと、初めての恋がいつまでも続いているの。胸が苦しいでしょう? 切ないでしょう? それが恋というものなのよ」
セシリアの瞳が揺れた。頬が朱色に染め上がってきた。胸が高鳴り、キュッと締め付けられるような苦しさがあった。
「いつか新しい出会いがあって、『彼』への想いが過去のものになると思っていた。懐かしい幼い頃の思い出に変わるだろうって。それがまさか、変わらずに温め続けていて、こうして『彼』と再開できるなんて、思ってもいなかったわ」
「そ、れは……、でも……彼は、『彼』じゃ……」
「ううん。貴方も本当は分かっているはずよ。トミーさんには『彼』の欠片が残っていることを。なぜって? そんなの当たり前じゃない。皮をかぶった偽物なんかだったら、聡明な貴方はこんなに悩まないはずだもの」
そうでしょう? と微笑むチェルシーの言う通りだった。
十三八の中に『彼』の幻を見るということは、トミーのに近くにいればいるほど、『彼』とダブるようになっているのだ。クラス代表決定戦の時に見た剣礼はまさにそれだった。
差異があったら直ぐに気付く自身はあった。それだけ今でも『彼』の思い出は残っている。なのに、これほど悩みを抱えているのは、悩んでしまうほどそっくりに見えてしまうからなのだ。
しかし、この恋という名の感情をどう扱えばいいのか、セシリアという少女は戸惑っていた。
「チェルシー……。わたくしは、この気持ちを、どうすればいいのでしょう……。トミーさんは、『彼』では……、『彼』なの、に……」
「焦らないで。答えを急ぐ必要はないわ。そして悩む必要だってないの。貴方が後悔しない答えは、貴方の中にきっとある。苦しくて辛いかもしれない。愛おしくて貪欲になるかもしれない。けれどもそれを大事にして。そうすれば、貴方はもっと綺麗になれる。きっとカレが、振り向いてくれるほど綺麗に」
「そう、なれるかしら?」
「なれますとも。だって、貴方は、私たち自慢のお嬢様なのですもの」
ね? というチェルシーの微笑みに、セシリアもようやく破顔した。
泣きはらして赤くなった目元に、これまでとは違った雫が流れた。
セシリアは深く、息を吐いた。胸の中のつかえが取れたような爽やかな気分だった。
画面上のチェルシーも、ふう、と息をついた。そして、少し伏目がちに呟いた。
「でも、羨ましいな。セシリアの大切な人は生きているって分かって……」
「羨ましい、とは、チェルシーにも安否の分からない親しい方がおられるの?」
「ええ……。妹が、いたの。何年もずっと探し続けているのだけど……」
「そんな!? なぜ、もっと早くおっしゃってくれなかったのですか! しかも何年もだなんて……! すぐに我が家の関連企業や系列企業を使って捜索を……」
「お嬢様、公私混同はなりません」
「急に使用人口調に戻らないで! 身内のことなのよ? 心配になって当然ですわ!」
「だからこそ、です。それに、私もほうぼう手を尽くして探しています。お嬢様のお手を煩わせる必要はありません」
「煩わせるだなんて、他人行儀になさらないで。もし、お時間が必要なら工面しましてよ?」
「ありがとう。でも、ごめんなさい。この話を貴方に伝えなかったのには相応の理由があるの。侍女が秘密を抱えるなんて不相応なのはわかってる。けど、今はこれ以上は話せない。ワガママだけど、今はどうかこのままでいさせて欲しい。許してちょうだい」
「……わかりましたわ。何かありましたら、このセシリア・オルコットが力添えしましてよ。そうですわ、貴方の妹さんのお名前だけでも、お聞かせ願えませんこと?」
「ええ、それくらいなら構いません。私の妹の名前は……」
◆
「眼鏡の配達が遅れるって、どういうことなの? エクシア」
携帯端末の通話越しに、トミーは自分が所属する企業のオペレーターの女性に文句を言った。その表情はジト目で不貞腐れている。
「今回の件を踏まえて、IS操縦者にメガネっ子は危険だということで、視力矯正はコンタクトに変えちゃうそうですよ」
エクシア、と呼ばれたオペレーターの声は若い。むしろ少女のそれだった。しかも役職にも関わらず話し方はアップテンポで、電話応対者特有の無機質な物言いではない。
「なんだよそれ。ドイツにいた頃はそんな話なんて無かったじゃん」
「ドイツでは事件はともかく、事故には遭わなかったですからね。最近トミヤさんの幸運体質落ちてきてるんじゃないですか?」
「良縁に恵まれているし顕在だよ。それで、コンタクトの配送予定日はいつ? 流石に不便なんだけど。この目周りに怖がられるしさぁ……」
声のトーンが落ちていくのを、エクシアはまあまあとなだめた。
「コンタクトは明日には到着する予定ですよ。眼鏡は一応予備として配備されますが、一ヶ月ほどかかるとか」
「そんなに!?」
「だってトミヤさん、そうでもしないとコンタクト使わないじゃないですか」
うぐ、とトミーの声が詰まった。
「だって、コンタクトを目に入れるのって、その、怖いんだもん……」
「あ、いまの『怖いんだもん』って言い方、可愛いかったんで音声もらいますね」
「好きにして。というか、エクシア最近馴れ馴れし過ぎじゃない? 最初はあんなに初々しかったのに」
「そりゃあ一年も担当していれば慣れちゃいますよ。それとも、初期の対応のほうが好みだったんですか?」
「そうじゃないよ。あのオドオドしていた頃に比べて、随分フランクになったなあって」
「自分の年齢も何もかもわからなかったんですもの、しょうがないですよ」
「まあ、ね。うん、いまのエクシアのほうがずっと良いと思うよ」
「えへ、ありがとーございまーす!」
通話の声は明るい。そんな今の姿からは想像もつかないが、最初は会話すらおぼつかなかった。
なぜかというと、エクシアには、記憶が無い。
右も左も、自分の年齢すら分からない少女が、拾われた企業のもとでトミーのオペレーター担当となったのが彼との付き合いのはじまりだった。
唯一、エクシア、という名前だけは覚えていたが、他は何も思い出せず、そのせいで気持ちが内にこもってしまっていたのだ。
「きっとはじめてがトミヤさんだったから、こんなふうになれたんだと思ってます。感謝しているんですよ?」
「そりゃあどうも。実際、エクシアのオペレーションは上達して来ていると思うよ。もし今後僕から担当外されても十分やっていけるさ。自信を持って」
「むー……。わたしはまだ、不安です。担当変わらないよう、トミヤさんからお言付けもらえませんか?」
「お言付け?」
「僕にはエクシアが必要だ、僕から彼女を取らないでくれ! みたいな」
エヘヘ、という声色はいつもよりさらに高い。彼女が好きな日本の少女マンガを、セリフ付きですすめてくる時と一緒だと、トミーは思った。
「……まあ、面白みのない事務的な人に担当変わられてもつまんないし、適当に要望出しといて」
「えっ、マジですか!?」
「自分で言っといてなにその反応」
「いえいえいえ! 言ってみるもんだなあっと」
やったあ! とガッツポーズを決めているような音が聞こえた。いまは仕事中なんだよなあ。
「そういえば、話は変わるけど、エクシアの知人の捜索は進んでいるの? 記憶があったときの足取りとか」
「いいえ? まったく」
「ダメじゃん!? 家族が気になったりするでしょ普通。きっと心配しているかもよ?」
「逆かもしれないですよ。何かショックなことがあったから、こんな状態になったのかも」
「それは、そうかもしれないけどさ」
「いいんです。いまの会社のお仕事に不満はないですし、定時制で勉強もさせて貰えるし。それに……」
「それに?」
ん、とエクシアは一瞬言葉をつまらせて、意を決して話した。
「わたしにはトミヤさんが居ますから。このまま記憶が戻らず、知り合いも見つからなかったら、トミヤさんのもとに置いて下さい」
「え……」
呆然とするトミーに、エクシアは喉で笑った。
「クス、お返事はまた今度。期待してお待ちしてますね。それじゃ、オペレーターのエクシアより連絡でした」
そう言うと、先方から通話の途切れる音がした。
トミーは通話が終わった携帯端末のディスプレイを見た。相手の名前と、エクシアと二人で撮ったツーショット写真が編集された通話画面が、通話終了を伝えている。
赤みがかったショートスタイルの髪と同じ色の瞳の少女が、トミーの腕にくっついて笑顔で写っていた。
「……こういう話って、誰に相談したらいいんだろう」
たぶん、おそらく、エクシアが自分に言ったことは大切な気持ちのこもった話かもしれないと思った。
しかしそういった体験に疎いトミーにはどう対処していいかわからなかった。こういう場合、誰かに相談したほうが無難だろう。
「一夏、は論外として、セシリア、もそういう話題を聞かないし、箒か鈴かなあ」
「なにがだ?」
「うわあああ!!?」
急に横から声をかけてきた箒に、不意をつかれて飛び退いた。
「な、なんだよ箒!? びっくりするだろ!」
「名前を呼ばれたものでな。一夏が参加する明日の代表戦について話したかったのだが、難しい顔をしていて声をかけづらかったのだ」
「つ、通話の内容も聞こえてた?」
「いや。だが、さっきまで楽しそうに話していたと見えるぞ。友人か?」
「んん、僕はそう思ってた」
「相手は違うのか?」
「わかんない……。同じなのか、それ以上なのか」
「なるほど。相手は女か」
ぎょ、と驚愕を向けるトミーに、箒は鼻で笑った。
「なんでわかったの」
「さっきからのお前を見ていれば察しがつくさ」
「僕は未だかつてないほど箒を凄いと思ったよ」
「大げさな上に失礼なやつだ。話は後で聞いてやるから、まずは一夏のもとへ行こう。訓練のチェックをしてほしいそうだ」
「あれ、セシリアは? 対戦相手の鈴の動きを録画していたはずでしょう?」
「分からん。授業が終わった途端どこかへ行ってしまってな」
「ふうん?」
あれだけ鈴の対策を練っていたのに珍しいな、とトミーは思った。
それとも、セシリアもまた、自分と同じように誰か異性と会話をしていたりするのだろうか。
そう思うと、なんとなく、胸がザワつく感じがした。
(なんだ、この感じ)
違和感を覚えて、自分の胸に手を当てる。別になんともない。
「どうした、トミー? 早く一緒に来てくれ。訓練の時間が惜しい」
「ああ、悪い」
謝罪を一言、すぐに箒の後について駆け出した。
さっきの変な感覚への疑問は、すぐに頭の隅に片付けられた。