リミテッド・ストラトス   作:フラワーワークス

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XVI セシリアは見た!

 夜といえど、IS学園は真っ暗ではない。

 多くの生徒たちが暮らす学生寮には門限があり、破った者には織斑寮官の厳しい処罰が待っている。だが、教員や研究者といった大人たちは、学生たちが寝静まった後もそれぞれの作業で残っていることが多かった。

 IS学園はIS操縦者を育成する教育機関であるが、同時にISの研究や運用テストを行うアカデミックな場所でもある。あらゆる国の法律や規則に縛られない治外法権を持つ学園の特性上、特定の企業と密接になることはタブーとされているが、学究的な分野であれば企業からの出向者が学園に在席することも可能であった。

 研究施設は校舎と校庭を挟んで向かい合う形となり、連結している訳ではない。普段の学生生活の範囲からは枠外にあった。

 その研究室の一つに、訪れる影がある。

 夜も深夜ニ時と遅く、昼夜を問わない研究施設とて非常灯以外の明かりはほとんど消えている。その闇に紛れるように、影は壁伝いに身を低くしながら研究室のドアノブに手を当てた。

 ゆっくりと回るドアの取っ手が音をたてずに止まり、鍵がかかっていることを確かめると、影は懐から何やら細い金属棒のようなものを取り出した。それを鍵穴に差し込み、慣れた手つきで操作すると、ガチャリ、という音を立ててロックが外れた。

 影は、慎重に、その部屋の中へ侵入した。部屋は常夜灯だけがついており薄暗かった。壁際には薬品棚が連なり、部屋の中央に病棟にあるようなベッドが備えられていた。その上の膨らみと、中から聞こえる寝息を見つけると、影は口元を歪めて忍び寄った。

 と、その時、携帯端末の着信のような音が鳴った。ドアが自動で閉まると同時に照明が点灯し部屋を明るくする。弾かれたようにベッドの上の布団が翻り、目を覚ました部屋の主人、トミーが身構えながら入り口に目をやった。

 しかし、そこに人影はない。すると、トミーは動揺も見せず瞳を空色に光らせた。彼の中では周囲のものがレーダーのようにスキャンされ、上下左右、後ろまでもその視界に捉えられた。越界の瞳(ヴォーダン・オージェ)と呼ばれるIS適合性向上処置、その失敗が産んだ副産物だった。

 トミーの視力を弱めた引き換えの能力が、彼の左下後方から近づく者を見つけた。トミーは振り向かずに左腕を伸ばしてその首元を掴み、身体を回転させる流れでベッドの上に引っ張り叩きつけた。

 う、と小さく呻くその正体は、

 

「……ラウラ?」

 

 トミーが義姉と慕う、今日再会したばかりの小柄な少女、ラウラ・ボーデヴィッヒその人だった。

 

「いきなりベッドに押し倒すとは、やるじゃないかトミヤ」

 

 ラウラの軽口に、しかしトミーは彼女の身を起こしながら心配そうに問いかける。

 

「どうしたのさ、こんな夜更けに。いったい何があったの?」

「いや……、なに、お前が一人部屋で寂しい思いをしているのではないか、とな。こうして私が一緒に寝てやろうかという義姉心だ。感謝しろ」

「それは、なんとも、気を使わせてしまったね」

 

 トミーはいぶかしみつつも、表面上そう労った。

 ラウラはバツが悪くなると頓狂に高慢な態度をとる。たいていが照れ隠しであり、また恥ずかしさを誤魔化す場合の素振りだった。

 その事を良く知るトミーは彼女に追求するでもなく、

 

「でも、僕は寂しくなんてしていないから、大丈夫だよ」

 

 と、ドア付近の警報機を止めながらラウラの話に乗って答えた。話の内容はつくろいではない。

 

「こうしてラウラも学園に来てくれたしね」

 

 彼の本心であった。

 そうだろうそうだろう、とラウラがすまし顔で胸を張る。

 

「ところで入口のそれは、遅延警報機(ディレイ・アラーム)か。侵入者を逃しにくいが、もし銃を持っていたら危ういぞ」

「もともとここの研究室に付いていたものさ。研究資料の盗難防止にね。ドアのロックが厳重でないのは、おびき寄せて捕まえるための算段らしいよ」

「研究室のか……」

 

 ラウラは部屋の機材を見渡した。病棟か実験室のような内装はとても人の生活する空間とは言い難く、隅にまとめられているトミーの生活用品がその空間に場違いだった。

 ラウラは棚の薬品を眺めながら、

 

「トミヤ、お前は誰かと一緒に暮らさないのか?」

「え?」

「この学園の生徒たちは、多くが寮で二人一部屋の生活を送っている。私はお前の身体の事情も知っている。こんな寂しい所ではなく、私と同室で暮らさないか?」

 

 ラウラの見る薬瓶はトミーの常備薬だった。トミーは男性でありながらIS適正を得る代償に、様々な薬漬けの日々を余儀なくされている。

 その事を隠すためにこうして寮に入らず、所属する企業の研究室を間借りしていた。

 ラウラの話は、闘病生活のような一人暮らしを強いられるトミーへの、他ならぬ配慮だった。

 

(ラウラって、何だかんだ言ってても、優しいよね)

 

 とは言っても、

 

「せっかくだけど遠慮するよ。いい年の男女が同じ部屋で暮らすのは不健全だ」

 

 ラウラはトミーに向けて首をかしげる。

 

「織斑一夏は篠ノ之箒と相部屋だったと聞いたが?」

「あれは……、まあ一夏だし。彼に限って間違いはないと断言するよ。箒とは幼馴染でもあった訳だしね」

 

 我ながら一夏への扱いが雑だなとトミーは思った。

 

「ならば私たちは義姉弟だぞ」

「それはそうだけど……」

「ハッキリ言ってくれて構わないぞ。私と一緒は、嫌……なのか?」

「そうじゃないよっ。ただ」

「ただ?」

 

 トミーは純情なラウラの視線から顔を背け、頬を掻きながら言った。

 

「……僕だって、異性を意識しちゃうんだよ。普段学校で会うならまだしも、同棲するなんてさすがに無理だよ。僕がドイツにいた時だって、男子寮で暮らしていたじゃないか」

「トミヤ、お前、義姉である私を異性として見てくれているのか?」

「そうハッキリ言えるわけないでしょっ。だいたいラウラは、その、なんだ、魅力的すぎて、一緒に暮らすなんて肩が凝っちゃうよ」

 

 一夏ならこんなヤキモキしたことにはならないだろうな、とトミーは失礼ながら思った。唐変木なのは女の園で暮らすには合っている性格かもしれない。

 

「魅力的……」

 

 ラウラはトミーの発言を反芻した。

 

「私はトミヤにとって魅力的なのか?」

「たぶん僕以外の目から見てもそう映ると思うよ」

「そうか……」

 

 フフ、とラウラは可愛く笑って、だがすぐに表情を失った。

 

「……夢を見たんだ」

 

 告白するようにラウラは話した。

 

「夢?」

「ある朝、お前が冷たくなっていた夢だ」

 

 ラウラの視線が薬品に向き直った。

 

「自室から出てこないお前を探しに行くと、ベッドの上で眠ったまま冷たくなっていたんだ。なのに、夢の中の私は何とも感じなかった。係の者に連絡して、部屋から運び出されるお前を気にすることも無く、訓練に向かった」

「…………」

「訓練から帰る途中、立ち寄ったお前の部屋にはもう何もなくなっていた。なのに、私は、……私はつまらなそうに、涙一つ零さずに部屋を後にしたんだ」

 

 悲痛な表情で彼女は言った。

 そのラウラの話に、トミーは自分の過去を思い出していた。

 右も左も分からない頃、どこかの合宿所で寝泊まりしていた時期、ラウラが言うような体験が実際にあったのだ。

 昨夜まで同室で笑い語らっていた赤毛の子も、黒髪の子も、浅黒い肌の子も、みんな先に逝ってしまった。

 係の者に連絡して、相部屋仲間が運び出される姿を尻目に、いつも通り訓練所へ向かう。一日が終わってヘトヘトになって部屋に戻ると、ガランとしていて静かだった。

 なのに、寂しさは全く感じなかった。

 

(どうしてだろう)

 

 気にもとめなかった記憶を振り返り、今更ながらにそう思う。

 

(僕は、彼らを――)

 

「トミヤ」

 

 ラウラが自分の名前を呼んでいる。

 気がつけば、すぐ目の前で心配そうに佇んでいた。

 

「今夜、お前の部屋に泊めてくれないか?」

 

 ラウラはトミーの手を取って言った。

 

「今夜だけでいいんだ。また寝たら、あの夢を見てしまいそうで怖いんだ」

 

 その瞳は揺れている。

 

「私がトミヤにとって魅力的なら、そう思う先を私にしても構わない。だからお願いだ、私を、一人にしないでくれ」

 

 それはまさしく懇願だった。

 トミーはラウラの話ぶりから、相当悪夢に苛まれていることが伝わった。

 ラウラは夢見が悪い。そのことをトミーは実体験で知っていた。軍の訓練で共に野営をした時、寝ていたラウラが酷くうなされ、突然敵に間違われてナイフを喉元に突き付けられたことは一度や二度の話ではない。

 きっと今回も、彼女は眠ることを恐れているのだろう。

 トミーは彼女を落ち着かせるために頭をなでると、

 

「……わかったよ。こんな部屋で良ければ、一緒に休もう」

 

 そうベッドへ誘った。

 ラウラは、本当か! と破顔すると、軽やかにトミーの布団に潜った。トミーの分をちゃんと空けて、おとなしく肩まで布団をかぶる。

 しかし彼はベットの脇に腰掛けたまま布団に入ろうとはしなかった。

 

「どうした、トミヤ? 一緒に……」

 

 と続きを言おうとした口元まで、トミーは布団の裾を持ち上げた。

 

「親しき中にも礼儀あり、だよ。流石に同衾は不躾だ。その代わり、ラウラが寝付くまで、ここでこうしてあげるから」

 

 布団越しに彼女の身体を、トントン、と優しく叩いて、子供を寝かしつける時のようにあやして見せた。

 ラウラは最初不満げな目でトミーを見つめていたが、次第に安らかな顔になっていった。

 布団にはまだ温もりが残っており、あやすリズムは心地よい。それに、

 

(トミヤのにおいだ……)

 

 まるでトミヤに包まれているようだとラウラは思った。安心感が染み入るように全身を満たしていった。

 そんな事は以前にもあった。去年の大晦日の訓練で、吹雪から守ってくれたときだ。

 あの時は眠らないように必死で、感慨に浸ることなんてできなかったが、今は違う。こうして彼の顔を眺めながら、安息に身を委ねることができる。

 それは、なんて、

 

「幸せだな……」

 

 布団の中の呟きに、トミーは聞き取れず、どうしたのと聞き返した。

 ラウラは目を動揺させたが、少し目を瞑ると、布団から口を出してはっきりと告げた。

 

「――愛しているぞ、義弟よ」

 

 トミーはドキリとした。

 正直、胸がキュンとした。

 ラウラは、トミーが言うとおり魅力的だ。美少女と言っても過言ではない。

 そんな少女から愛しているなどと言われれば、胸を熱くしない男がいない訳がない。

 しかし彼女は義弟と言った。つまりそれは家族愛なのだろう。そうトミーは思い至ると、多少の安心感と、幾ばくかのさみしさが去来した。

 だが、返すべき言葉は違えなかった。

 

「僕も愛しているよ。義姉さん」

 

 トミーの言葉に、ラウラは眩しそうに目を細めた。

 布団を目深にかける中で、頬が朱色に染まっていた。

 深く、熱っぽい溜息がこぼれて、じっとトミーの顔を見つめている。しかし安らぎは彼女のまぶたを重くした。

 何度もまばたきして踏みとどまろうとするが、かつてない心の平和にいつの間にか意識が遠のいた。

 間際に、

 

「おやすみ、トミヤ」

 

 と消え入るような声をかけて、安らかな寝息をたてはじめた。

 トミーはラウラがちゃんと寝付けたことを確認すると、タンスからタオルケットを引き出して身体に包み、ラウラの眠るベットの横に身を持たれかけた。

 元は研究室の冷たい部屋に、人の息遣いがする。トミーは一人暮らしでは得ることのできない暖かみを感じながら眠りに着いた。

 五月末の夜は寒さも衰え、季節は春眠を二人に与えていた。

 

 ◆

 

 翌朝。

 まだ朝日が顔を出していない、空が明るみ始めた時刻にラウラは起こされた。

 もの凄い寝起きの抵抗を見せたが、布団を引き剥がされると流石に朝冷えがして無理やり目覚めさせられた。

 

「どうしてこんな早くに起こすのだ……」

 

 せっかくいい気持ちで眠っていたのに、とラウラは眠気眼でトミーを睨めつける。

 トミーは、しょうがないだろう、とあくびを噛みころしながら言った。

 

「僕の部屋を出るところを誰かに見られるわけにはいかないんだから。不純異性交友を疑われて退学になっちゃうよ」

「なるほど。今度来るときはもっと夜の早い時間にするとしよう」

「素直なのは結構なんだけど、昨夜だけって言ってたよね」

「トミヤ、悪夢で苦しむ義姉を放っておいて、気持ちの良い朝日が拝めるのか」

「うわ、人の良心につけこんだ質の悪い脅迫だね」

「だから言っただろう、相部屋にしようと。それで万事解決だ」

「倫理的に解決しないんだけど」

「問題ない。IS学園はどの国の法律や規則にも縛られることがないのだからな」

「……織斑先生に相談しよう」

「冗談だ」

 

 まったくもう、とトミーは苦笑しながら部屋を出た。辺りを見渡して、誰もいないことを確認してからラウラを部屋から連れ出した。

 

「それじゃあ、朝ごはんの時にまた会おう」

「ああ。これからはまた毎日一緒にいられるのだな」

「そうだね。早く学園に馴染みなよ。僕も力添えするからさ」

「別に、私はお前が居てくれれば十分だ」

「そんな恥ずかしいこと言わないでよ……。クラスメイトはみんな良い人なんだから」

「まあ、お前がそう言うのなら考えてやらんこともない」

 

 相変わらずの照れ隠しを見せながら、ラウラは部屋を後にしようと背を向けた。

 だが、あ、と何かに気付いたのかその身をクルリと振り返る。

 

「忘れ物をしていた」

「忘れ物?」

「ああ。トミヤ、ちょっとかがんでくれ」

「なに――」

 

 と、言いかけたトミーの口が塞がれた。

 柔らかく、艶かしい感触が、不意にトミーの身体を硬直させる。

 数瞬の後、彼の唇から離れたラウラが、紅潮した顔を反らして言った。

 

「一宿の礼だっ」

 

 呆然と佇むトミーを尻目に、ラウラはその場所を走り去った。

 彼女の遠ざかる背中を見つめながら、トミーは今起こったことを振り返って、

 

「〜〜〜〜っ!?」

 

 時間差で込み上げるものに襲われた。

 口をパクパクさせながら、全身が火のように熱くなった。

 とにかく頭を冷やそうと、部屋の中に駆け込んで流し台の水を頭からかぶった。

 

(べ、別にラウラとキスをするのは初めてじゃないしっ。大晦日の訓練ではそれ以上のことまで、……ってそうじゃなくてっ! あれは緊急事態の事だからノーカウントで、つまり今回が初めて、……ってそうでもなくてっ!?)

 

 水がトミーの熱でお湯になって滴り落ちていきかねないほど、顔が真っ赤になっていた。

 何度も顔をバシャバシャ洗って火照りを冷やそうとする。しかし、熱心が頭の中からなかなか離れない。

 ラウラの香りと、唇の柔らかさと、伝わる温もりが、彼の中で化学反応を起こして燃焼しているようだった。

 そんな煩悩と格闘しているところに、

 

 ピピッ、ピピッ、ピピッ

 

 と入り口の遅延警報機(ディレイ・アラーム)が鳴った。

 さっき部屋に入った時にドアを閉め忘れたのだろうか。まったく意識の外だったため覚えていない。

 とりあえずアラームを止めようと顔を上げ、振り向くと、

 

 そこにいるはずのない人物がいた。

 

「〜〜!!??」

 

 トミーは幽霊に出会ったように驚いた。

 金髪を後ろで結び、ランニングウェアを着た、セシリア・オルコットが入口の前に立っていたのだ。

 

「せ、セシ、リア……。なん、で……」

 

 鳴り響くアラーム音が嫌に鋭く、閉まるドアがやけにゆっくりに感じた。

 ガチャン、と部屋が密室になると同時、セシリアが一歩トミーへ進み出た。

 外の明るさが遮られたせいか、セシリアの顔が異様に暗い。

 

「……トミーさん、わたくし、見てしまいましたの」

 

 ゆっくり、ゆっくり、トミーのもとへにじり寄る。

 

「……ラウラさんが、トミーさんのお部屋から出てくるところを」

 

 トミーは氷を背中に流されたように震え上がった。

 部屋を出る際あたりを確認したはずだったが、

 

(ちゃんとコンタクトしとくんだった!)

 

 視力矯正をしていないせいで見逃してしまったのだろう。

 セシリアは歩みを止めずに言葉を続ける。

 

「……そして、ラウラさんが去り際に」

 

 ゴクンッ! とトミーの喉が鳴った。

 冷や汗が滝のように流れ出る。

 

「……トミーさんと口づけを交わしているところを」

 

 あ、これは死んだかも、とトミーは思った。

 

「……トミーさん、これはいったい――」

 

 セシリアはトミーの目の前に到着した。

 

「ど う い う こ と な の で し ょ う ?」

 

 

 

 

 

 

 ……結局、トミーは日課のジョギングにも、朝食の席に姿を表さなかった。

 SHR(ショートホームルーム)間際の時間に、げっそりとしたトミーとにこやかなセシリアが同時に教室へ到着した。

 どうしたんだ、と尋ねる一夏に、

 

「何も聞かないでくれ……」

 

 と重々しく返すトミーは奈落の底を見ているように下を向いていた。

 セシリアは微笑みをたたえて、ごきげんよう、とクラスメイトと挨拶を交わしながら自分の席へ向かっている。

 その姿に、ラウラの敵意の込めた視線が向けられていた。

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