21.僕の好きなもの -my favorite things-
僕には好きな場所がある。IS学園最上階にある喫茶店だ。
一面の窓ガラスから眺められるパノラマの景色は最高だし、コーヒーの味も格別だ。どこの豆を使っているかは知らないけれど、音に聞こえたIS学園の施設なのだから、きっと良いものを使っているのだろう。
そんなコーヒーを頂きながら、フロアの隅の席で、椅子にもたれてボンヤリと外の景色を見るのが好きだ。
今日の天気は曇り空。西の方角では雨が降っているのかほの暗く、東の方は晩春の陽光が雲間から差し込んでいる。あと一時間もすれば東の晴れ間も遠ざかり、ここも雨に濡れるだろう。
「雨か……」
雨の休日というのも乙なものだ。特に今のような一人の時は尚良い。
別に人と一緒にいるのが苦手というわけではない。たまに、ちょっと疲れるだけだ。
今がちょうどその、たまに、の時なだけ。
「はあ……」
振り返ってみると、IS学園に入学してからこのかた、とても充実した日々を過ごして来ている。
たくさんの友達ができたし、生徒会とも繋がりが持てたし、義姉のラウラと再開できた。
けれど、人との交流が多くなるにつれて、だんだんと気疲れするようになってきた。
みんな良い人たちなのだけど、だからこそ力になりたいと思って行動するうちに、自分の事が後回しになっていた。
朝のジョギングなどで体力作りはしているけれど、心の方は鍛えられない。
「僕はこんなに、ナイーブな性格だったかな……」
ため息を飲み込むためにコーヒーを一口。
……苦い。
ブラック派の自分らしからぬ感想だ。
ミルクと砂糖を加えてもう一口。
……。
甘ったるさを美味しいと感じてしまうほど、今の僕は疲れているみたいだ。
気晴らしに、イヤホンを耳にさして携帯端末から音楽を流してみる。
ゆったりとした、優しい曲。
いろんな国を渡り歩く手前、流行りの曲なんて知らない僕は、自然とクラシックやジャズなんかを聞くようになっていた。
どこに行ってもどこかで耳にする曲だからだ。
ここは喫茶店だし、天気は下り坂。
雰囲気に合わせて、今回はジャズにしてみよう。
みんながよく使う動画サイトを操作して、適当なメドレーを選択。
……いいね。
目を閉じて音楽に身を委ねる。
主旋律を奏でるソプラノ・サックスの音色が心地良い。
ピアノの伴奏に、自然と身体が動くのを感じる。
変な人に思われないよう、動かすのは足と手の指先だけで我慢した。
〜♪
鼻歌が漏れてしまった。
有名なサビの部分が、ジャズアレンジで流れるメロディに浸りきってしまったらしい。
時間はたっぷり10分は経ったろうか。
何にも考えずに曲に魅入れたおかげで、少し気持ちもスッキリできた。
次の曲に変わるところで、コーヒーのおかわりを貰おうかと瞳を開ける。
と、
「こんにちわ、トミー」
目の前に、誰かいた。
「声をかけようかと思ったんだけど、気持ちよく音楽を聞いているみたいだったからさ。そのフレーズは『my favorite things』かな? 僕も『サウンド・オブ・ミュージック』のミュージカルは見に行ったことがあるよ。いい曲だよね」
「……あんまり自然といるもんだから、目を閉じたまま席を移動してしまったのかと思ったよ、シャルル」
「それじゃあまるで夢遊病者じゃないか」
小さなラウンドテーブルの向かいに座るシャルルは、口元を隠しながら可愛らしく笑った。
「コーヒーのおかわりだね? 僕が注文してくるよ。あれ、ミルクと砂糖も使っているなんて、珍しいね?」
「そんな日もあるさ。注文は自分で行くから、気を使わなくていいよ」
「だめ。座っててよ、トミー。思うんだけど、ひょっとして君は疲れているんじゃないかな?」
「そう見えるかい?」
「否定しないということは、図星のようだね」
苦笑する。
「お願いするよ。シャルル」
任せて、とシャルルは変に嬉しそうに微笑んで、カウンターに向かった。
さて、
と、僕はシャルルが戻って来るまでのあいだ、イヤホンをかけ直して音楽に浸り直そうとした。
……そうもできないんだよねえ。
知り合いがいるとわかってしまうと、どうもそっちに気が向いてしまう。
そわそわして、なんだか手持ち無沙汰な感じがする。
イヤホンから流れる曲は軽快なジャズポップスになっているのに、それに気持ちが踊らない。
結局、イヤホンを外して窓の外を眺めることにした。
雨が降っていた。
「お待ちどうさま」
シャルルが戻って来た。
手にはコーヒーが二つ。
「音楽を聞きながら待っていてくれてよかったのに」
一つを渡しながら言ってくる。
「ありがとう」
皿に砂糖とミルクがちゃんと添えられていた。
「どうも、知っている人がいるとなると気分が乗らなくてね」
「変に緊張しちゃうんでしょう?」
「あ、当たり。驚いたな、シャルルは心理学の勉強でもしているのかい?」
「まさか。経験による実感だよ」
「経験だって?」
「僕は幼いときから、人の顔色を探る癖があってね。なんとなく、わかっちゃうんだ」
「ああ……」
それ以上は訊けなかった。
聞きかじったシャルルの過去から、好きで身につけた能力で無いことは確かだからだ。
「でも、たまに便利に思うこともあるんだ。こうして今の君の状態を当てられる時みたいにね。誰だって、自分の気持ちを察してもらえるのって嬉しいものでしょう?」
「確かに。『あ、この子は分かってくれるんだな』って思うと、余計に信用してしまうよ」
「そう。そうして僕は人の信用を得る手段を上手く使ってきたんだ。そんな僕だからこそ、君のことも分かるつもりだ」
「それはまた、見透かされているみたいでこそばゆいね。それで、シャルルから見て、僕はどう映ったんだい?」
シャルルは僕に顔を近づけて、小さいがはっきりした声で言った。
「君は他人に気を遣い過ぎるタイプだね」
……うん、まあ。
「図星、というより、なんだそんな事か、とでも言いたそうな顔だね」
「君からしたら、僕はとても正直でわかりやすいやつにみえるのだろうね」
「そう思っていたけれど、それとは少し違うと思うんだ」
「へえ、どんなだい?」
「トミーは、たぶん気持ちに鈍感なんだと思うんだ」
おや。
「一夏と同じ、とでも言いたいのかな」
「似て非なるものだと思うよ。一夏は他人の気持ちを察することができないけど、自分自身にはとても正直なんだ。それこそ、信じた道はどんな困難があっても突き進む、みたいにね」
「確かに。シャルルを助けようと頑張っているのも、きっとその表れだろうね」
「……その話は、今の話題と逸れてしまうから、また今度にしよう」
ノロケ話でも聞かされそうだな。
「顔。笑ってる」
「あ、失礼」
「ホントにね。……さて、トミーは一夏と真逆なんだと思うんだ。君は人の気持ちには、まあ一部を除いて敏感なんだけど、自分の感情には鈍いと見えるな」
「その一部ってのが気になるけれど、自分の感情に鈍いというのは、どうしてそう思うんだい?」
「僕は君が人に親切にしていることが、何か義務でそうしているように思うんだ」
僕は口に運ぼうとしていたカップの動きを止めた。
「義務だって?」
「そう。う〜ん、なんていうんだろう。心からの欲求でそうしているんじゃなくて、反射的というか、ロボットの行動みたいに、まるで親切にするように仕組まれているみたいな。そういう感じを受けるんだ」
「……不快だったかな」
「そういうことじゃないんだ。ただ、君が人に優しくている姿を見ていると、僕はこう思ってしまうんだよ。『いったいトミーは、本当は何を望んでいるんだろう』って」
シャルルは一口コーヒーをすすってカップを置き、メニュー表を開いて僕に見せた。
「ねえ、君は今は何を食べたい?」
「いや、特に欲しいものはないよ」
「それじゃあ、僕はこのチョコレートタルトにしようかな。でもちょっと重たいから、君にも手伝ってもらえると嬉しいんだけど」
「もちろん、構わないよ」
「ほら」
シャルルはくすくす笑った。
「いま君は、僕のお願いに何一つ悩まず答えたよね。欲しいものは無いと言ったにも関わらず。本当に君が食べたいものがないのなら、僕のお願いも断ったハズだよ」
「ん〜、それとこれとは違うんじゃないかな?」
「違わないよ。今の君の行動は、人のためになるかどうかという事への条件反射だ。自分のためになるかどうかじゃない。違うかい?」
「それじゃあ、『僕は君のために行動したいと思ったからそうした』。コレなら可笑しくないだろう」
「本当にそう思ったと言えるかい?」
「それは……」
と、口ごもる。すぐに答えを言えなかった。
そう思い返すことができなかったからだ。
なるほど、僕はシャルルの事を思って行動をしたわけではなく、反射的にそうしたと、そう言われても可笑しくないみたいだ。
「ほらね」
シャルルは、僕の事を言い当てて見せたのに、なんだか残念そうに言った。
「たぶん、君が一夏と組んで僕を助けるために、影ながら自己犠牲的な案を生徒会長に挙げたのも、トミー自身の思いからではないハズだよ」
僕は顔をしかめているのを自覚した。
「……誰に聞いたの?」
「トミー、僕はそのことについては怒っているんだ。僕は君を犠牲にしてまで助かりたくなんかない」
「……」
「だから、君に頼らなくともいいように、僕はこうしようと思うんだ。強くなろう、って。強くなって、この先何があっても実力で黙らせてやる。……そう、織斑先生から話を聞いて誓ったんだ」
「織斑先生だったのか」
楯無さん、チクったな。
いや、それは生徒会長という立場上変なことじゃない。けど、腹案として欲しかったのに。
シャルルに直接伝えられちゃあ、面目丸つぶれじゃないか。
「織斑先生は、学園として僕の事情に関知しない、自分の力で切り抜けてみせろ、って言ってくれた。僕を思う人たちのためにもやって見せろ、ってね」
「最近やたらと熱心にトレーニングをしているのは、そのせいだったのか」
「うん。今度学園で開かれる学年別トーナメント、僕は優勝を狙うつもりだ。優勝して、本当の僕をみんなに告白する。僕の会社やフランスが何か言ってきても、その実績を盾に弾き返してやる。そして」
シャルルは、一息言葉を区切ってから言った。
「僕は、一夏に想いを告げる」
顔を赤らめるでもなく、真剣にそう口にした。
……すごいなあ。
僕は、シャルルを見誤っていたようだ。男子のフリをしているけれど、本当は大人しい女の子だと思っていた。
鈴や箒もそうだけど、恋をする女の子って、たぶん無敵なんだろうな。
「応援するよ、シャルル」
「ううん。悪いけど、トミーは僕を応援しないで欲しい」
「本心じゃないかもだから?」
「君にはみんなの中立でいて欲しいんだ。鈴や、箒たちが一夏を想っているのは僕も知っている。君は二人を無碍に出来ないハズだよ」
「……こうまで言い当てられちゃうと、だんだんとシャルルのことが恐ろしく感じできたよ」
「それは良いね。トミー、君はもっと自分の本心を表すべきだ。いま、君が気疲れしてしまっているのは、本当は言いたい事があるのに言えないでいるからなんだよ。僕の経験則だから、きっと間違いない」
「言いたいことが言えない、か」
「たとえば、そうだな、最近よくセシリアやラウラと一緒にいるよね。二人に振り回されたりしていないかい?」
はい。
よく振り回されてます。
「顔。苦々しくなっちゃってるよ」
「……この顔と同じくらい口も正直になれたらいいのに」
「僕でよければ、いつでも愚痴を言ってくれて構わないよ。その代わり、僕と一夏の仲をとりもって欲しいんだけど」
「おいおい、さっき中立でいて欲しいって言ったそばじゃないのか?」
「中立国にも便宜を図るのはヨーロッパの国では常識だよ」
「怖いなあ。フランスが大国で居続けられるわけだ」
「どうだい、トミー。君にとっても悪い話じゃないと思うけどな」
「シャルル先生の教えに習って、即答は避けることにするよ」
「あちゃ、そうきたか」
「ちなみに、こんなふうに会話を楽しむことも、今後は君の肩を持たなければできないのかい?」
「まさか。僕も君とこうして会話するのは楽しいと思うよ。今度は、そうだね、お互いの好きなものを教え合うというのはどうだい?」
「いいとも。こう言っちゃあなんだけど、シャルルと話すと、心を癒やす良いリハビリになりそうだ」
「君は僕のことを心療内科さんか何かと勘違いしていないかな?」
「初診の先生が良かっただけさ」
僕とシャルルは屈託なく笑った。
そうして、
僕たちは雨の休日を喫茶店で過ごした。
相手に気を使わない自然な会話を楽しむのは、僕にとってエクシアと話すとき以外で久方ぶりかもしれない。
シャルルのような良き友を得られたことは、僕にとって本当に幸運なことだと心の中で感謝した。これは口に出さず秘めておくべきだと、そう思っている。