西に沈み欠けている太陽が神社の境内を赤く染め上げていた。
帰路につくカラスの群れが一休みしている鳥居には『篠ノ之神社』と記されている。
初夏の爽やかな夕凪がそよぎ、社を守る鎮守の森がサワサワと囁いた。
拝殿前で手を合わせている箒のポニーテールも風になびき、夕焼けに染められた姿は一枚の絵になるほど幻想的だった。
「知っているか、トミー」
振り返りざま、拝殿近くの神木に寄りかかっているトミーに話しかけた。
「神社の境内に入ってから雨や風が吹くというのは、神様に歓迎されている表れなのだそうだ」
「…………」
返事はない。
無表情で、話を聞いているのか判断に困る風貌だが、視線だけは箒に向いていた。
「相変わらずか。まあ、いい。そのまま私の話を聞いてくれ。……神様の前だからこそ、素直に胸の内をさらけ出せそうだ」
苦笑を漏らしてから、一息ついて、箒は語り始めた。
「私は、IS学園を辞めようかと思ったんだ」
サワ、とまた風がそよいだ。
「学年別トーナメントの敗北を受けて、自分の身の程を思い知らされた。私はIS操縦者に向いてない、所詮適正B評価なんだ、とな」
木の葉がポニーテールに絡みつき、慣れた仕草で払い落とされる。
「これでも中学のときは、剣道で全日本一位になったことがあるんだ。自分の剣に誇りがあるし、この力がきっと一夏の役に立つと信じていた」
だが、と空を仰ぎ見る。
「私は敗れた。念願だった一夏と一緒に戦うことができたというのに。ましてや相手は相川さん、日本人が敵であったにもかかわらずだ。日本一という実績も、所詮剣道の世界だけの話で、ISには関係ないんだと痛感させられた」
それでも、と掌を視線の先に掲げた。竹刀たこがいっぱいついていた。
「私には、この剣の道しかないと思ってしまうのだ。大会のあと気を晴らそうと遮二無二道場に通って剣を振った。だが、太刀筋が歪んでまるで稽古にならなかった。情けないものだ。私の剣もISも、私を裏切ってしまったようで、膝を折ってしまいたくなった」
箒は一旦話を切り、トミーに相対して表情を引き締めた。
「お前の休学話を聞いたのは、そんな時だ」
「…………」
「浅ましいが、私はこう思ったよ。それでもトミーよりはマシだ、とな。世間に悪評を広められ、薬漬けの実験体で、おまけに学園の勉強からも遠ざけられたお前と比べればまだ良い方だ、と。……怒ってくれ」
トミーは相変わらず何も言わず、反応も示さなかった。
「トミー……、私は、自分に腹がたったのだ。どこかで安心している自分に、気を取り直してしまう自分にだ! きっとこれから学園の勉強に一層精を出し、次こそはと修練を積むだろう。だがそれが、お前と比較して得た軽薄な甘心によるものであることを、私は何より我慢ならなかったんだ!」
なあ! と箒は叫んだ。
「私はお前に謝罪をしたいんじゃない、お前にこの気持ちを投げつけて、打ち返して欲しかったんだ! 腹黒い私の邪心を、お前のまっさらな清い心で引き裂いて欲しかったんだ! だからトミー、私を叱り飛ばしてくれ!」
お願いだ! と悲痛な表情でトミーに迫る。
夕日に照らされた箒の姿は、まるで水を求める火のように赤く焼けて痛々しい。
神木の作る影の中にたたずむトミーは、困ったように眉尻を下げただけで、口を開きはしなかった。
◆
「箒のやつめ、それで思いつめた顔をしていたのか」
鎮守の森の藪の中からささやく声がする。
暗闇の中、もぞもぞ動く影があった。
「ちょっとラウラさん、わたくしにも見せてくださいまし! トミーさんの具合は如何なのですか?」
「押すなセシリア。ただでさえ狭いのだ」
「ラウラさんは
「ええい、これだから素人は。だいたいこの
「っていうか、なんでこんな一式がラウラの部屋に揃ってんのよ」
カモフラージュネットの後ろで鈴がぼやいた。
隣のシャルロットもヤブ蚊を気にしながら苦笑する。
「いくらラウラが現役軍人さんだとはいえ、学生さんが持っているアイテムじゃないよねえ」
「ああ! 虫よけスプレーを撒くなシャルロット! 匂いが風に乗ってバレてしまうかもしれないだろう」
「えっ、ご、ごめんラウラ」
「いーじゃないの、そこまで本気で隠密行動する必要ないでしょうが。にしても日本の夏ってほんと虫が多くて嫌になっちゃうわ」
扇子をパタパタしながら服をはだける鈴に、
「ちょ、ちょっと鈴! いくらなんでも破廉恥だよ! 一夏もいるんだから加減して!」
「だあって暑いんだもん。一夏もずっと双眼鏡にかじりついているんだから問題ないわよ」
「もう、ネックを引っ張って扇ぐなんて不埒すぎるよ。いくら胸元の風通しが良いからって……」
「――あ”? いま、何て言ったのかな、シャルロット?」
「いい加減にしないか! 本当にバレてしまうだろう!」
「そうですわ! 静かにしている一夏さんを見習いなさい!」
セシリアの言う通り、一夏は一人黙々と双眼鏡を覗いていた。
そこまで箒とトミーが心配なのか、それとも、そのどちらかを特別に案じているのか。
鈴とシャルロットは小さいうなり声を上げながら、一夏の様子を恨めしそうに見ていた。
「しっ! ……誰かが来たようだぞ」
「えっ、ひょっとして、見つかっちゃった?」
「話声を聞くに、そうではないみたいですが」
「雪子おばさんだ」
一夏が口を開いた。
どちらさまですの? というセシリアの問いに答える。
「篠ノ之神社の管理人さんで、箒の親戚の方だ。俺も千冬姉も小さいころからいろいろとお世話になっているんだ。困ったことがあればいつも相談にのってくれて」
「ああ、そういえば一夏と初詣に行ったときなんかに会ってたわね」
「へえ……」
「鈴は話したことなかったっけか? 頼りになる人だぞ。と言っても、あんまり甘えるわけにはいかないけどな」
「昔っから人に甘えんのが下手なんだから」
「自分でできることは自分でやりたいんだよ」
「……」
幼馴染トークの間に挟まったシャルロットがみるみる闇オーラを醸し出していく。
セシリアは、触らぬ神になんとやら、とトミー達の観察に切り替えた。
「場所を変えるようですわね……」
「手を洗う場所の椅子に座ったな」
「あの雪子さんというマダム、気品があっていらっしゃいますわね。お声も柔らかくて暖かい」
「ああ。トミヤの悩みを聞き出してくれそうだ。……って、後ろがやかましいなまったく!」
「シャルロットさん、辛抱できなくなったみたいですわ」
◆
手水舎に設置された長椅子に、トミーを真ん中にして横に並んだ。
箒に紹介を受けた雪子は、
「いつも箒ちゃんがお世話になって」
とたおやかに応じてくる年長の女性に、トミーも無言を貫くわけにはいかず、不器用に受け応える。
「まあまあ、そんなに怖がらなくてもいいのよ。ここにあなたを傷つける者なんていないから」
雪子の言葉遣いは何気なさそうでいて、トミーの心に素直に染み込んできた。
目をしばたたくトミーに、雪子は笑みを深める。
「悩んだら内に籠っちゃう性格なのかしら。箒ちゃんがそうだったから、なんとなくそう感じちゃったわ」
「……箒も?」
「そうなのよ。小さいころ近所の男の子たちにからかわれた時なんか、むっつりふくれっ面なのに何にも言わなくてね」
「ちょっと、雪子おばさん!」
「それを一夏君がかばってくれたの。男の子たちを追っ払ってくれてねぇ。箒ちゃんと一夏君が仲良くなったのはそれからで」
「わー! 雪子おばさん!!」
うふふ、と笑って済ませてしまう雪子に、箒が適うはずもなく座り直した。
「でも、トミー君の場合は、少し複雑そうね」
「……そう、思われますか?」
「なんていうのかしら、トミー君の発する、気、といったらいいかしら? どんより黒ずんでいて、濁って感じるの。ああ、別に霊感がどうこう言うわけじゃなのよ」
「はあ……」
雪子の手が、トミーの背中に回された。優しく、幼子をあやすように撫でるその温もりが、トミーの闇を薄くする。
「胸の中にあるモノを吐き出してみなさい。言葉を繕わなくていいの。口にこみ上げてくるものを、あるがままに外に出してみなさい。焦らなくてもいいわ。私は夜は非番だから」
神社の灯篭に明りがともった。
東の空は夜を告げているが、初夏の夕暮れはのんびりしていてまだるっこしく陽光を残している。
ザアッ、と一陣の風が通り過ぎる。どこかで蚊取り線香でも焚いているのか薬の香りがした。
「――――僕は」
トミーの肩がビクリと跳ねた。
「僕は、頑張ってきた」
息が、苦しそうに吐き出された。
「頭が痛くても、身体が辛くても、非難されても、たとえ仲間が死んでも、僕は、くじけることが無かった。できなかった。辛いなんて、感じなかった。それが――」
呼吸が荒くなりながら、トミーは話す。
「人に植え付けられたものだったなんて知ったとき、なにもかもが空しくなった。どうりで、鈍いわけだ。苦しまないわけだ。幸運だなんだって、楽観的になるわけだ。みんな、そう感じるように、感じないように、仕組まれていたなんて……!」
ギリ、と歯を食いしばる。
「じゃあ、僕は、いったい誰なんだ? 織斑先生は、僕の気持ちは僕だけのものだって言っていた。その僕はいったい誰なんだ!
両手で頭を掻きむしり、顔を覆い隠した。
「薬を止めれば、痛みを感じれば、僕の本性が分かると思ってやってみた。のに、ただただ苦しいだけだった! 薬がないと、頭が痛むんだ。ハンマーで殴られているとか、虫が這っているとか、とても我慢できないくらい痛いんだ。馬鹿みたいにのたうち回って、眠りたくても眠れなくて、我慢できなくて薬を飲んだ。ふざけてる。情けない。たまらなく……惨めだ」
箒は、トミーの皺だらけの制服と、ぼさぼさの髪と、濃い隈のある目元の理由が分かった。
「みんなが僕を呼んでくれる。心配してくれている。でも、僕が僕をわからないのに、どう応えればいいのかわからない」
今まで口を閉ざし続けてきた、その訳も。
「学校も休学になって、もう僕の居場所がなくなったみたいで、自分自身と向き合うのも怖くて、もう、何もかもが……――」
トミーの言葉が止まった。
身を屈め、肩を震わせ、指の隙間から零れ落ちる滴が、言葉の代わりに感情をあらわしていた。
雪子はトミーの背中をさすりながら、
「箒ちゃん、悪いんだけど、お水とお神酒とお塩を持ってきてくれないかしら? 社務所のお台所にあったと思うから」
「わ、分かりました」
お使いに走る箒の後ろ姿を見送りながら、目の前の少年に背負わされた運命の大きさに、小さくため息を着くしかなかった。
◇
いくぶんか落ち着いたトミーに、雪子は水と塩を使ってお祓いを施した。
お神酒を少量おちょこに入れて、トミーの手をとって包みもたせる。
「お神酒はね、身体の内側から清めてくれるの。気休めかもしれないけど、グッと飲み干してごらんなさい」
言われるまま、一口に入れた。量は微量だが、胸がカッと熱くなる。目の曇りも少し晴れ、良いきつけ薬になった。
「……私は、洗脳とかそういうのには疎いのだけどね」
雪子はそう前置きを入れて、
「自分が自分でない、と悩むのは、その人の性格や感情の一部が肥大化したり、矮小化してしまうから起きてしまうの。よく悪いことをした人が、魔が差した、なんて言い訳するじゃない? それは一瞬の欲望が膨らんで、理性を押さえつけてしまうことなの」
だからね、とトミーの瞳を覗き込む。
「あなたが自分を取り戻すためには、いろんなあなたの性格や感情に気づいてあげるといいんじゃないかしら」
「いろんな、僕、ですか?」
「そう。さっき、自分の辛さが分からないって言ってたじゃない? それもきっと、あなたの一部が大きくなりすぎたり小さくなって、心理的な不感症になっているんだと思うわ」
そうね、とトミーの持っているおちょこにお神酒を注ぎだした。
みるみるお酒が一杯になって、
「あの、こぼれてますよ?」
「このおちょこはちっちゃいものね」
「いや、そうですけど」
「このおちょこが、今のあなただと考えてみて。どんなに神聖なお酒でも流れ出てしまうわね」
雪子はお神酒の溢れ落ちる先に、水を入れていたコップを差し出した。
「このコップがあなたの気づいていないあなた自身だとしたら、ちゃんと収めることができるじゃない?」
「え、ええ」
「この気づいていない部分は何なのかしら。もしそれがわかったとしたら、今まで感じずに流してしまっていたことも、ちゃんと汲み取ることができるはず」
雪子はコップが一杯になると、注ぐ手を止めた。
なみなみと注がれたコップを、おちょこにチンと当てると、一気に豪快に飲み干した。
「ゆ、雪子おばさんっ」
「大丈夫よ、箒ちゃん。私お酒強いから」
うふふ、とまったく動じない姿は、本当にうわばみみたいだ。
「とみや君、でしたね。これはおばさんからの他愛もないアドバイスなのどけれどね」
「ぜひ、聞かせてください」
「もしお時間があるのなら、旅行に行ってみてはいかがかしら?」
「旅行、ですか?」
「ええ。知らない街や文化の人に出会うと、自然と自分と比較するようになるのよ。日本人が海外に行くと、たいていこれまで気づかなかった日本を知ることができたりするの。それと一緒よ。自分を見つめ直すには、旅が一番なのだと思うわ」
なるほど、とトミーは頷いた。
今は休学中で時間が余っている。織斑先生に許可を貰えれば行けるかもしれない。
いや、ぜひ行こう。
「やってみます」
「素直な子ねえ。そうだわ、かなうなら、ぜひお友達と一緒に行ってみなさいな。旅は道連れよ。それに誰かといたほうが、客観的な意見が貰えたりするものだから」
「友達と……」
むむ、とトミーは考え込んだ。
IS学園の仲間たちは当然バツだ。大事な勉強がある。
クラリッサさん? 当然ダメだ。軍務で絶対忙しい。
他に声をかけれる人となると……。
「なんとかあたってみます」
いた。自分に身近で、自分を慕ってくれているかもしれない女の子が。
「そう、それが良いわ。ぜひ楽しんで来なさいな。ところで気付いたのだけど、あなたって意思がしっかりしているのねぇ」
「そう、ですか?」
「あなたの返事はね、何々してみようと思う、じゃなくて、何々します、って意見がハッキリしているの。気づかなかったでしょ?」
「はい、まったく……」
「うふふ、これであなたのおちょこも、少し深くなったかもしれないわねぇ」
雪子の優しい笑顔に、トミーも表情が緩んだ。
久しぶりの破顔だった。
景気づけに、おちょこのお神酒をグッと飲み干した。
胸が熱くなるのが、お酒によるものか、心の動きによるものか、どちらにしても心地よい熱情を感じた。