「着~いた~!」
飛行機での長旅を終え、ようやくルクーゼンブルクに到着した。
途中モスクワでの乗り換え以外はずっと座りっぱなしだったので、さすがに体が疲れている。久方ぶりに惰眠をむさぼって、頭が少しボーっとしていた。
キャリーバックを置いて軽くストレッチを済まし、空港の外に出ると、
「わあ……!」
青々とした朝の空が目に飛び込んで来た。
大きく背伸びをしながら胸に吸い込んだ空気は、日本とは比べ物にならないくらい爽やかだ。
頬をなでる風は少し肌寒く、出発前にセシリアが巻いてくれたストールが風になびいた。
「東欧の朝晩は今の時期でも冷えましてよ」
と心配そうにループノット巻きをしてくれた優しさが冷えから守ってくれる。
初夏の朝日はこれから暑くなるのを予期させる強さがあるが、ラウラに被せてもらったハンチング帽がいい具合に日差しを避けてくれた。
「お前の額のアザも隠れるからな」
と、頭を撫でながら載せてくれた帽子のつばをトントンと叩いた。
目深に被り直して、しばし目を閉じる。
出発に際して見送ってくれた、大切な、愛しい仲間たちの顔が瞼の裏に浮かび上がってきた。
一夏や箒、シャルロットや鈴、お清さんに本ちゃん、IS学園のみんな。
かけがえのない、僕の宝物たち。
ふいに、胸がいっぱいになってきた。
「……さあ、行こうか!」
湿っぽくなった気分を晴らすように声をあげ、キャリーバックを引きずって歩きだす。
目的地はルクーゼンブルク市街地中心部。市内を流れる川に面したカフェで、旅仲間と合流する予定だ。
空港から地下鉄までのシャトルバスが出ているらしいが、せっかくなのでタクシーを選んだ。
お金は使う機会が無いぶん溜まっているし、寿司詰めの車内で僅かな車窓を覗くよりも、ずっと風景を堪能できると思ったからだ。
タクシー乗り場は混んでいたが、チップを弾むとすぐに乗り込むことができた。
「やあやあ、ようこそルクーゼンブルクへ!」
運転手のおじさんが愛想よく帽子を振ってくる。
観光客が多いからか、対応も流石にこなれていた。
「今の時間だったら、お兄さん日本からのお客さんだね? へへ、モスクワから来たって言ってもね、顔色を見れば乗り継いできたんだなってわかりますよ。それに日本の方にはご贔屓にして貰ってますからね。……にしては、お兄さん顔立ちが日本人っぽくないね? なに、日本の学校に通っていた。なるほどねぇ、あの国は学問も進んでますからねえ」
よほどおしゃべり好きなのだろう。少し話題を返すと、怒涛のようにおつりが返ってきた。
「天気が良くて爽快だって? そりゃあそうですよ。日本は、あれだ、今は梅雨の時期でジメジメしているそうですからね。こっちはカラッとして気持ちが良いでしょう。そういやあ、前のお客さんとの話で盛り上がったんですがね、ルクーゼンブルクにも四季があるって知ってましたかい? 日本のお客さんはね、四季は日本にしかないと思っているらしくてね、みんなびっくりしていかれるんですよ」
流暢なしゃべりに巻き込まれながら、窓の外に目を遣った。
蒼天の下、絵にかいたような中世ヨーロッパの街並みが広がっている。
あらゆるところに塔がそびえ立ち、家々の赤い屋根と教会のブロンズ色が見事にコラボレーションしていた。
「綺麗な街だなぁ……」
僕がそうつぶやくと、運転手さんはさも嬉しそうに、そうでしょうそうでしょう、と頷いた。
「ルクーゼンブルクはね、先の戦争の破壊に巻き込まれずに済んだ幸運な国なんですよ。その後東側陣営に組み込まれましたけどね、まあだいぶ苦労はしましたが、西側陣営の高度経済成長に巻き込まれなかったもんですからね、昔ながらの町並みが再開発されずに残ってるってわけですよ。おかげで今や中世の町並みが残る観光都市、って銘打っていましてね。そら、左前を見てごらんなさい」
言われるままに顔を向けると、風情を残す市街地の中を流れる広い川に、物語の絵本に出てきそうな橋がかかっていた。
きっと由緒ある有名な橋なのだろう。
「あの橋は今から六百年以上も前に作られたものなんですよ。この街は歴史も古くてね、口の達者な観光協会の連中なんか、千年王都なんて結構な呼び名を付けてるんですよ。お兄さん、日本から来たなら京都もご覧になったでしょ。え、見てない? そりゃあ残念だ。実はね、あの街と仲良くやってるんですよ。うちの君主様ファミリーが表敬訪問なさった時は、たいそう歓迎されたそうですよ。今度は末の妹君アイリス様を日本に行かせたいとか、そうおっしゃられたそうですよ」
へ~、と社会科の先生に先導されているような気分になりながら、ふと右側の町の向こうに眼が行った。
そのあたりだけ異様だったのだ。
「あのあたりは、なんだか感じが違いますね。周りの色に会わないというか、現代的というか」
「ああ、ありゃあ外資企業連の区画ですよ」
ドライバーのおじさんがつまらなそうに、ふん、と鼻息を荒くした。
「この国はISのコアの基となる地下資源が豊富でしてね。それでIS関連企業が他所から押し寄せてきているわけです。政府も経済特区を作ったは良いが、その区域が面白みのないビル街になっちゃいましてね。俺らのような地元の人間から見たら、まあ複雑な心境ってわけですよ」
「そうなんですか……」
僕もその外資系企業に勤めているとは言い出せなかった。
代わりに、というわけではないが、街の説明分も兼ねてチップを上乗せすることにした。
「こいつはありがたい! そうだ、お兄さんいい人だからこれをあげるよ」
そういうと、おじさんは懐からなにやらチケットのようなものを手渡してくれた。
読んでみると、
「ジュエリーショップの割引券? なになに、ガーネットがおすすめ……」
「この国はガーネットが特産でしてね。他所のと違って透明度が高くて、深い赤色をしてるんですよ。それにガーネットは旅人の守り石と言いますからね。お兄さんにピッタリでしょう。本物をあげられりゃいいんだが、割引券で勘弁してください」
「いやあ、ありがとうございます!」
何度もお礼を言いながら、親切なタクシーを後にした。
仕事がら、ルクーゼンブルクに来たのは別に初めてというわけではないのだが、これまでにない特別な出会いに胸が躍った。
この気持ちはきっと、誰かの手で作られたものではなく、僕自身の思いだと信じたい。
さて、待ち合わせ時間には少し余裕がある。
せっかくなので、この割引券のお店に寄り道することにした。
そう携帯端末のマップを開こうとすると、
「あの~」
という声と共に、肩が叩かれた。
はい? と返事をしながら振り返ると、
ぷに
とほっぺに指を突かれた。
にししし、と歯を見せているのは、
「……結構なご挨拶だね、エクシア」
今回の旅仲間で、僕の専属オペレーターが、さも嬉しそうに笑っていた。
「お久しぶりです、トミヤさん! や~、早めについたんで街を散策しようかと思っていたら、ちょうどタクシーから降りるトミヤさんの姿を見かけたんですよ! これぞまさに運命の再会!」
「うん、久しぶり〜」
「軽いっ!? ちょっとトミヤさん薄情過ぎです! こうして会うのは春先以来なんですからね! それに私の今日のおめかしとか、男性として言うべきことがあるでしょう!」
腰に手を当てながら一気にまくしたてられた。
まあ、確かに直接会うのは、IS学園に入学する前以来だけどさ。
端末上でいつも顔を合わせているから、っていうのは、エクシアの言う通り薄情なのかも。
改めて彼女を眺める。
明るいレモン色のシャツを腰に巻いて、白いノースリーブニットとデニムのハーフパンツ。
明るいエクシアらしいカジュアルさが伝わってきた。
ぷくっと頬を膨らませている顔は、何というか、いじらしくも可愛らしい。
僕はなんとはなしに頬が緩んでしまった。
「あ~! なに笑っているんですかトミヤさん!」
「ゴメンゴメン。いつも会社の制服姿しか見てなかったからさ。ちょっと驚いちゃって。うん、エクシアには、そういう元気そうなファッションの方が良く似合っているよ」
「んん~、まあ、及第点としましょう。でも、ファーストコンタクトは減点ですからね!」
「悪かったって。じゃあ、ここでお詫びの品をプレゼントするから、どうか機嫌直してよ」
「あら、チケットを用意していたなんて殊勝ですね。お店は、『ガーネットtur……』って有名店じゃないですか! いいんですか!?」
そうだったの!?
「あ、え~っと、まあ、とりあえず行ってみようよ」
「はい! 私、場所知っているんで案内しますよ。行きましょうトミヤさん!」
そう腕をぐいぐい引っ張ってきた。
ちょっと、こっちはキャリーバックをひきずっているんだから、そんなに急げないんだぞ。
それに気づいたのか、今度は横に並んでこちらのペースに合わせてくれた。
「えへへ」
エクシアがニコニコしながら身を寄せて来る。
心なしか、彼女の頬が髪の色と同じ朱色に染まっているように見えた。
つないだ手がギュッと握られる。
「ありがとうございます、トミヤさん」
不意に感謝の気持ちを述べられた。
「そんなにチケットのお店に行きたかったの?」
「違いますよ。旅行に誘ってくれたことにです」
「ああ。こちらこそ、だよ。エクシアも仕事あったろうに、よく休めたね」
「そりゃあもう、上司に向かって、お願いだから休ませてくれ~! って迫りましたからね」
「だ、大丈夫だったの?」
「ええ。常務さんがすんなりOKしてくれました」
「あの常務さんが? 意外だね」
「いつも気難しい方ですからね。でも、陰ながら、いつも私とトミヤさんのことを案じてくれているんですよ」
「そうだったんだ……」
まだまだ人を見る目が養えてないなあ、と嘆息する。
どんなに想像を膨らませても、ムッツリとして眉間にシワを寄せた常務さんの顔しか浮かび上がらない。
エクシアには、少しでも笑いかけているんだろうか。
お土産、もっと高価なものにしておけばよかったかな。
「さあ、着きましたよ!」
エクシアのはずんだ声に考えを中断した。
彼女が指をさしている先の区域は、車道と歩道が同じくらいの道幅で広く、人通りも車通りも賑やかなところだった。
劇場や美術館の立派な建物がある界隈の、四角い建物が均等に並んだ中に、その宝石店が立っていた。
中に入ると、外の喧騒とは打って変わって静謐な感じがした。
ショーケースの中の商品は、決してきらびやかに輝いたりはせず、お店の雰囲気に合わせて奥ゆかしい光を放っている。
店員さんがピッタリ張り付いてくることもなく、静かに煌めくジュエリーグッズをゆったり見回すことができた。
手前にある値札を見ても、
「……思ったより、良心的な価格だね」
宝石って上限が限りないものだから、そこそこで落ち着いてくれていることに安堵した。
いいお店を紹介してもらったな。タクシーのおじさんの行き届いた配慮に感謝する。
エクシアは目を輝かせてショーケースに食い入っている。
ブローチ、ピアス、リング、チャーム……。
ありとあらゆる装飾品が、ガーネットの赤で彩られていた。
「わぁ――!」
エクシアの足がある箇所で止まる。
「コレ! コレがいいです!」
小ぶりのガーネットが三つ、シルバーリングの上に並んだ、控えめながら深紅の映える指輪だった。
確かにきれいだけど、この商品は……、
「ペアリング、だよ?」
「だからですよ!」
「いいの?」
「トミヤさん、その疑問形、ナシですからね!」
またほっぺを膨らませて怒られた。
わかったわかった、と言う通りにする。
店員さんに用意して貰っている間、隣でワクワクしているエクシアを横目で見て、
――さすがの僕にも、彼女の胸中が察せられた。
僕の視線に気づいたのか、エクシアが微笑みを返してくる。
一瞬その可愛さにドキッとした。
心中がバレないように苦笑を返す。ちゃんとぎこちなくできただろうか?
「お待たせいたしました」
店員さんが用意してくれた指輪を取ろうとすると、
「せっかくですし、お二人で指輪を交換なさってみてはいかがですか?」
妙齢の女性店員さんが笑いながら囃し立ててきた。その左手の薬指には、契約の指輪が煌めいている。
「い、いいですね! トミヤさんも、いいですよね!?」
「う、上ずった声上げないでよ! そ、そだ、僕は親指にしたかったんだけど……」
「「ええ~」」
店員さんからもブ-イングされた。
「いいだろっ! 僕だって指の場所で意味合いが違うって事ぐらい知ってるよ」
「じゃあなんで親指なんですか?」
「左の親指だと、目標達成の願掛けになるっていうだろ? いまは叶えたい願いがあるの」
「む~、そう言われると断りずらいじゃないですか~。じゃあ、私の指にはどこにはめてくれるんですか?」
「……小指で、どう?」
「えっ、そ、それ、意味わかって言ってますよね?」
「右か左かは、任せるよ」
「や、やった……!」
ドギマギしながら、二人で指輪を交換し合った。
僕は左親指に、エクシアは左手の小指に。
「なるほどですね~」
店員さんがニヤニヤしている。
僕はノーコメントを貫いた。
「せっかくですし、記念に写真を一枚とりましょうか?」
まったくサービスの行き届いたお店だなあ!
僕は叫びたくなったが、エクシアは、お願いします! と携帯端末を手渡した。
後で見せてもらったが、二人とも火が出るほど顔が赤らんでいた。
僕たちの旅行は、こうして始まったわけである。
ルクーゼンブルク公国って、いったいどこがモデルだろう?
西欧のルクセンブルク大公国ならともかく、東欧に同じような名前の国や家なんて……
――あった!?
神聖ローマ帝国時代、ハプスブルク家と競った名家。
領国の首都プラハを東方のパリたらしめんとした中興の祖、リンブルク=ルクセンブルク家。
なるほど! これが元であるとすれば、ルクーゼンブルクのモデルはボヘミアか!
謎はすべて解け……、え、ボヘミアは東欧ではなく中欧?
そんな、バカ……な……。
(本文のルクーゼンブルクの描写は思いっきりプラハを意識しています)