「チェルシー、くれぐれも、くれぐれも! よろしく頼みしましてよ!?」
60インチの大画面ディスプレイいっぱいに、セシリアのドアップが映し出されていた。
画面の向こうではスクリーンを掴んでいるのだろう、ディスプレイの両サイドがセシリアの手でふさがれている。
「お嬢様、先ほどから会話がループしておられます」
画面の前で折り目正しい侍女服に身を包むセシリアのメイド、チェルシー・ブランケットが笑顔を張り付けたままセシリアの涙声を受け流した。
いまのチェルシーは侍女モード。セシリアの悩みを親身に聞くお姉さんモードではない。
最初こそセシリアの鬼気迫る勢いに、すわ何事ぞと真剣に応じたが、しばらく聞いて主人がいつもの妄想癖を爆発しているのだと切り替えた。
「繰り返し話したくもなりますわ! トミーさんの旅仲間の方は女性だと言うではありませんか! わたくし何が起きるか心配で心配で……」
「異性とは申しましても、トミー氏の職場の同僚ということではありませんか。さらに旧知のラウラ氏が言うには妹分なのだとか。そこまで懸念することもないでしょう」
「その妹という立ち位置も危険でしてよ! 親しい関係を利用して密かに近づき、トミーさんのスキを狙って本性を、……ああっ! なんて破廉恥な!?」
今日は一段と妄想逞しいな、とチェルシーは笑顔の仮面の裏で思った。
「杞憂かと存じます。お嬢様と、ある意味で比肩するラウラ氏は信用しておいでのようですし」
「いーえ! 手緩いですわチェルシー! ラウラさんは人見知りの風がありますの。つまり、身内と判断した者には脇が甘くなる傾向がありましてよ! わたくしが注意しても、『トミヤの妹分なのだから、私の義妹分でもあるわけだ。きょうだい仲睦まじいのは良いことだろう』なんておっしゃるのよ! ラウラさんは獅子身中の虫という故事を、祖国の歴史から学ぶべきてすわ!」
チェルシーはピクリ、と僅かに顔色が強張った。
引きつった表情はほんの一瞬だけで、すぐに侍女の仮面をかぶりなおす。
「それに、トミーさんったらせっかくのご旅行だというのに、ご勤務先からお使いを頼まれたそうですのよ!」
「……どうしてお嬢様がトミー氏のご動向を逐一ご存じでいらっしゃるのですか?」
「日に三度連絡をよこすよう申しつけておりますもの」
「なるほど」
「本当は通話を願い出たのですが、時差もありますし、わたくしの勉学がおろそかになっては心苦しいと断られましたの……。そのような配慮など無用と申したのに。お優しいトミーさん……」
今度彼に会った時は主の非礼を詫びねばならないな、とチェルシーは従者としての義務感を覚えた。
それにしても、最近トミー氏への執着が強くなってはいないか? とついでに少し懸念する。
「そのお使いにしても、我がイギリスのIS関連企業に配達を任されるような話ですのよ? 祖国の企業が粗相をするとは思いたくありませんが、トミーさんはLS操縦者という立場がどういうものであるのかを、もっと自覚なさるべきですわ! 世間ではどんなに忌み嫌われて、メディアをはじめバッシングをしているか……。ああっ! まさか悪い輩につかまって、人体実験やモルモットにでもされたりはしないかしら!? やはり今からでも追いかけて……」
などと突飛な供述を繰り返す主人の迷妄に、これはしばらく終わらないな、とチェルシーはこっそりため息を着いた。
少なくともお昼休みはパアだろう。今の時刻は日本では授業も終わって夜だろうが、イギリスは8時間の時差があり正午を回ったランチタイムである。テーブルの上の昼食は未だ手を着けていない。
くう、とチェルシーのお腹が可愛く鳴いた。
そうげんなりしていたところへ、セシリアが長話を続けるディスプレイの右下に、メールの着信アイコンが現れた。
助かった。ちょうどいい時間つぶしができそうだ、とチェルシーが密かにデバイスを操作し、件名と差出人を確認する。
「――――」
その表記に、チェルシーは再び侍女としての仮面が外れかけた。
内心の動揺を持ち前の我慢強さで押さえ込み、喉まで出かかった驚きの声を噛み殺す。
いまだ続くセシリアの長口上が、とても小さく聞こえた。
デバイスを動かす手が鉛のように重い。
それでもどうにかしてメールを開く。
差出人は、『
文面は、
「
今夜決行する。 Mを補佐せよ
」
それだけであり、これだけで十分だった。
「……とは思わないかしら!? どうお思いまして、チェルシー!」
主の呼ぶ声に、チェルシーはハッと我に返った。
内心の動揺を悟られぬよう、努めて応じねばならない。
咳ばらいをし、こもった前置きをしてから、
「もっと、トミー氏を信じてみてはいかがでしょうか、お嬢様」
指摘に、セシリアの表情が変わった。言葉が詰まり、口ごもる。
どうやら適当に選んだ発言は、思いのほかセシリアの心に響いたらしい。
同時に、チェルシー自身の心にも痛かった。
(信じてみろ、などと、どの口が言うのだろう……)
チェルシーは胸の奥に冷たく重く暗い物がのしかかってきたように感じた。
◆
低い爆発音が響く夜のとばりの中を、二つの光跡が飛び上がった。
ミサイルよりも早く上昇するその姿は人型。ISを纏った乙女が二人、星も見えぬ闇の中を突き進む。
それを追うようにサーチライトが幾条も連なった。光線は乱雑に振り乱され、地上の混乱をあらわしている。
遅れて警報のサイレンが湧き上がる。あたりの建物に明りが灯り、煮えくり返るような騒ぎが巻き起こっていた。
イギリスの首都ロンドン、その郊外に立地しているIS研究施設は、平坦な屋上から煙を噴き上げて、襲撃の現場であることを物語っていた。
「他愛ない」
曇天の闇夜を行くISのパイロットが、鼻で笑いながら毒づいた。
機体の色は青。蝶の羽のような巨大なスラスターが特徴的で、同様の触覚のようなアンテナが付いたバイザーで目元が隠されている。フレーム自体はセシリアの
「曲がりなりにも国家を代表するIS企業の研究所だというのに、この体たらくとはな。イギリスの凋落ぶりが見えるような無警戒さだ」
「潜入した仲間たちの工作があってこそです。過度な侮蔑は控えなさい、M」
嘲笑に、もう片方のIS操縦者が諫めた。淡々とした声音の中に、抑え込まれた怒りのような響きがある。
装備する機体は
「くだらないな。売国奴にも愛国心があるのか?」
Mと呼ばれた少女は、相変わらず口元を歪めて応えた。
売国奴、と呼ばれた女性、チェルシー・ブランケットは、眉をひそめて睨み返す。
「……うぬぼれが過ぎると、そう言っているのですよ」
「惰弱が過ぎると笑っているのさ。せっかくの最新鋭機を、このようにむざむざと奪われてみせるのだからな」
Mは自分が装備する青い機体を、ファッションチェックをするように見回した。
悪くはない、と言いたげな表情だった。
イギリスが独自に開発していたISの新型機。それを奪取するのが二人の任務だ。
「まあ、私がうまく使わせてもらうさ。先ほど軽く慣らしてみたが、この
「不必要に暴れすぎです。予定ではあと27秒早く退避できていました」
「ハッ。向こうからもISが出てくれば、もっと歯ごたえもあったんだがな。どうにも物足りん」
「あれだけ暴れておいてよく言えたものです。居合わせた研究者たちが哀れでした」
「殺傷はしていない。決まりだからな。それに、カップルの観光地になっているような場所だ。壊したところでどうとでもあるまい」
Mの軽口に、しかしチェルシーは口をつぐんだ。
Mの言う通り、襲撃した研究所には、なぜか一組の
男性の側は今時珍しく甲斐性があるようで、一緒にいた女性を身を楯にしてかばっていた。
背中を向けていたため顔は分からなかったが、躊躇のない動きが目に留まった。
彼のような男性が健在ならば、
「――おや」
唐突に、Mが嬉しそうに口角を上げた。
何事か、とチェルシーも切り替えると、ISのセンサーに感がある。
「……追手ですか」
「の、ようだな。それに、こいつは」
「早い!」
追手のシグナルはものすごい速度で接近してきていた。
二人は襲撃現場から退避している手前、当然ながら全速力で航行している。新鋭の機体はもとより、
にも関わらず、追撃してくる相手はすでに視認できる距離まで来ているとセンサーが告げている。
チェルシーが振り返るが、周囲に機影はない。
高度が違うからだ。
相手の位置は、もっと上。
「雲の上か」
Mが頭上に顔を向けると、ちょうど雲が途切れはじめ、星々のきらめきが広がってきていた。
次いで月が顔を出し、満月に近い月光に照らされる。
その月の中に、シミのように黒い点が光をなびかせているのが見えた。
シグナルのポイントに間違いない。
「あれは――」
ISだろう。
背中にトンボの羽のようなスラスターが四枚、
しかし、その下半身はどうだ。まるでウエディングドレスのスカートのように裾が長い。
大馬力の
その機影が、頭から沈み込む。機首をこちらへ向けて、まっしぐらに突っ込んできた。
「面白い!」
Mが吠えると、機体を転じて迎撃態勢を取った。
手に持つBTエネルギーマルチライフル『スターブレイカー』を構え、追手に向けて撃ち掛ける。
――
急降下する機体のパイロットがそう叫ぶと、胸元の球体が輝きを放ち、周囲にバリアが展開された。
Mの放つ銃撃を弾き、構うことなく向かってくる。
「カミカゼかっ!」
判断するや、Mは蝶の羽に似たスラスターを羽ばたかせて飛び下がる。
「? おいっ!」
チェルシーは動かない。
迫ってくる敵を映す瞳が大きく見開かれたまま、雷に打たれたように静止していた。
Mは面倒に舌打ちしながら仕方なくその背中を蹴り飛ばし、敵の軌跡から退避させる。
直後、いましがたの場所を流星のようなISが突き抜けた。一瞬でもMの動作が遅れていればぶつけられていただろう。
「! ……あ」
「ボーっと突っ立っているな! 足手まといだ!」
Mは怒鳴り散らすと、
「ま、待ってください!」
「なに?」
「あれの相手は私がします! 貴方は奪取した機体を送り届けてください!」
「……貴様」
Mは怪訝そうにチェルシーを睨む。
しかし次の言葉が出る前に、自身のISのロックオンアラートが鳴り響いた。
後ろ、すなわち相手が降ってきた空の上からだ。
反射的に回避軌道を取ると、狙いすまされた光弾が次々と降り注ぐ。
「まだいたか!」
「先ほどの機体と一緒に?」
光弾は僚機のティアーズにも向けられていた。
相手の照準は恐ろしいほど正確で、躱しきれない一撃をフレームで受け止めると、
「くううっ!!」
ISのシールドと絶対防御の上からでも甚大な衝撃をもたらし、被弾箇所の装備を量子化させた。
「チィッ! どんな奴だ!?」
Mが顔を持ち上げ、相手の素性を探る。
まず飛び込んできたのは、大きな手だ。二つ、敵機の左右に
肝心のパイロットの姿は、
「男、だと……!?」
世界で唯一の男性操縦者、織斑一夏。
ではない。
Mは一瞬でそうとわかった。しかし男であるのには違いない。
ISは一人の例外を除いて女性にしか扱えない。
もしそうでないとしたならば、
「まさか、『彼』が……」
「
空を飛べないはずの出来そこないが、月を背に現れた。