アイリス王女のお誕生日会は、ルクーゼンブルク公国首都にある迎賓館が会場となっていた。
ヨーロッパの王宮のイメージがそのまま現れたかのような外観が、夕闇を前に見事にライトアップされている。屋内のシャンデリアもきらびやかで、庭園には色彩の変わる噴水を中心に意匠を凝らした装飾街灯が煌々と照らし出していた。
来客は、屋内はもちろん玄関先にまで溢れかえっていた。
貴族様や王族様たちは一目でそれと分かるゴージャスな衣装を着飾り、企業関係者さんはキチッとした正装で、そしてIS関連者さんたちはほとんどが女性ということもあって、個性的なドレスに身を包んでいた。
格好でそれぞれの立場が一目で見て取れるというものだが、見渡すまでもなく、お客さんの過半はIS関連者さんだと見分けがついた。
なぜかというと、僕を見る視線が一様に険しいものだったからだ。
(
談笑する婦人方が僕を見るなり口元を隠してひそひそと声音を低くしたり、笑顔が一転してしかめっ面になったり、露骨に舌打ちをする様子が、僕の歩くところそこかしこで散見された。
人混みの中を進む時はまさに圧巻で、まるで海を割って歩いたという聖典の指導者のごとく、勝手に道が開けるのだからまいってしまう。
(いくらなんでも、これじゃあ会社の評判が落ちかねないなあ)
僕はM.R.エレクトロニクスの代表として来ていているのだが、このザマじゃあさすがに自粛せざるを得なかった。
会社の使節役はエクシアに任せ、チェルシーさんにサポートをお願いして、外に出て待つことにした。
二人は心から僕のことを心配してくれて、本当にありがたかったが、だからこそこの場で一緒にいてはならないと引き下がった。僕のとばっちりを二人に飛び火させたくない。
会場はまだ開会のあいさつもされずごった返している。今日の主役であるアイリス王女はおろか、公族の方々もお見えになっていない。
せめてアイリス王女がどんなお顔なのかくらいは拝見したかったのだが、僕がいることで無駄な騒ぎが起きてもまずいし、退散しておくべきだろう。
そう自分に言い聞かせて踵を返す。足は不思議と重かった。
それに、胸の中はざわついて、腹の底がグツグツしていた。
(……IS学園を休学して、旅行に出てからこの方、ずいぶんと感情的になったもんだなあ)
いつもの女性方からのバッシングに、いちいちむくれてしまうなんてさ。
我ながら思いがけない憤りに戸惑いつつも、不機嫌が顔に出ないように懸命にこらえて会場を後にした。
何気なく右肩に手を当てる。
ルクーゼンブルクの空港で先に分かれた
別れの言葉はただ一言、
「しっかりな」
という励ましに、いっぱいの気遣いを込めてくれたのだと振り返る。
(もちろんです。ヤケなんて起こしませんよ)
肩を強く抑えながら外に出た。
もう日が落ちていた。見上げる空は雲で蓋がされ、なんだか息苦しいように感じた。
しかしとにかく、一人になりたかった。
周囲からの敵意の視線から逃げ出して、暗闇の中で息をつきたかった。
玄関は明るすぎて煩わしい。まばゆい迎賓館の光によって、宵闇は庭園の向こうに追いやられていた。
その中に飛び込もうと歩を進める。
通り抜ける東欧の風は初夏だというのに肌寒くて、ブルッと身を震わせた。
「あれ、君、ひょっとして
ひょんな掛け声に、おや、と思いがけないものを感じた。名前を呼ばれたのもあるが、男性の声だったからだ。
「あなたは……」
会場の明かりを横に照らし出された姿は、でっぷりとした中年の方だった。
顔にも無駄な肉が着いて、綺麗にセットされた髪が対照的にキマっている。もとはかなりの美男子だったのか、目鼻立ちに整っていたような名残があった。
ただ、濁った瞳とニタついた口元が肥満と相まって、いっそ醜悪な印象を受けた。
いわゆる、一目見たら忘れられない顔つきだったので、すぐにどこの誰だったのか思い出せた。
「以前に、一度お目にかかったことがありませんでしたか? 確か、
「おお! よく覚えていてくれていたねえ。ありがとう。まさかこんなところで再会できるだなんてうれしいよ」
賛助さんは肉を揺らして駆け寄ると、がっちりと両手で握手してきた。
「閣下は元気かね? あれからめっきり会えていなくてねえ。もう歳だろう? 幾つだったかな」
「七十近くだったかと思います。昨日お会いしましたが、ご健勝そうでしたよ」
「そうかそうか。いや、まったくなによりだ。それはそうと、君の話は聞いているよ。IS学園でいろいろあったそうだねえ。ああなに、ワシは別に君のことを悪く言うつもりはないから、安心したまえ」
「は、はあ……」
いちおう、アウェーで貴重な僕の味方でいいんだろうか?
まあ男性同士だし、少しは気が楽になった。
「賛助さんも、今日はIS委員会のお立場でご出席ですか?」
「まあ、そうなんだがね。こうも女性ばかりだと心休まる暇もないもんだな」
「あ、わかります。僕も会場の空気に馴染めなくて、いま外に出てきたところなんですよ」
「可哀想にねえ。ワシも仕事だから仕方がないとはいえ、いやはや、――肥溜めみたいなところだわい」
「え……?」
「ん、ああ、失敬失敬。何でもないよ。えーと、君もアイリス王女の誕生日会に招かれたのかい?」
「あ、はい、会社の代表に選ばれてしまいまして」
「ははあ、さてはきっと、あの人使いの荒い常務に走らされたんだろう。そうに違いない。まったくひどいもんだねえ、こんなオオカミの群れに放り出すなんて」
「そんな、オオカミだなんて言いすぎですよ」
ハハ、と苦笑でごまかすが、賛助さん、発言がぶっそうすぎやしないか?
僕はひやひやしながら周囲に気を配った。
「うっはっは、いやまったくだ。これじゃあオオカミさんに失礼だったね。言い直そう。君も大変だねえ、なにせ――」
賛助さんの顔が上目遣いに近づいた。
「こんな女郎共の遊宴に放り出されるなんて、ねえ」
「……!」
僕は何も言えなかった。
目の前の、半分影で覆われた顔は憎々し気に歪んでいた。声音はひそめられ、底冷えするような嫌忌に満ちている。
今まで出合ったことがないほどの憎悪の塊に、女尊男卑への怨念めいたものを感じた。
閣下も、常務さんも、というか僕を補佐してくれる男性方はみんな、反女尊男卑主義を掲げている。
中には直情的に振る舞う人も少なくないが、目の前の男ほどドス黒い忌々しを撒き散らす者はいなかった。
こんな人が、どうして女尊男卑の牙城である、IS委員会の賛助という立場でいられるのだろう?
そう当惑していると、会場の方からけたたましい叫び声がつんざいてきた。
「まあ! 嫌なものに出会ったしまったものザマス!」
今度は誰だ、とそっちを見ると、
「こ、これは、マダム……」
賛助さんがすぐに応えた。さっきとは打って変わって、腰が引けておどおどとした臆病そうな雰囲気になっている。
「まあったく、こんなめでたい席に野郎同士で何を密談しているのかしら!? さっさと立ち去るがいいザマス!」
しっし、と猫を追い散らかすように手を振ると、賛助さんにも負けないような全身の肉がブルンブルンと大揺れした。
なまじ格好が肌を露出するレースのドレスなだけに、人一倍の大ボリュームが嫌でも目についた。こういうのを、ダイナマーイ、というのだろうか?
「はあ、そんな、密談などと……」
「なんザマス? まさかこのワタクシにケチをつける気ザマスか!?」
「いやはや、まさか、そんな。IS委員会広報局長のマダムが、わたしなんぞに声をかけて頂けるなんて、いやあ光栄の極みです、はい」
「口だけは本当に達者ザマスね! その口と有力議員という権勢でもって、若い時分にはいったい何人の女性を手籠めにしていらしたのかしら!」
「そんな、マダム、誤解ですよ」
「こんな野郎に引っかかる女も女とはいえ、そんな時代があったこと自体が嘆かわしいことザマス!」
ぐ、と賛助さんのゴマすりの手が
顔は薄笑いを張り付けたままだ。
「はあ、世の中を憂うマダムの清らかな心、まるで世間へもたらす一服の清涼剤のようです。はい」
「あー!! もう、口を開くんじゃないザマス! 汚らしい、行くザマスわよ!」
同じような体格の取り巻きを従えて、ドスドスと迎賓館に向かっていった。
なんていうんだろう、日本の国技のスポーツマンたちを連想するな。ごっつぁんです、っていう独特な言い回しをする方たちみたい。
と、その足を、ふと止めて振り返ってきた。
「ところで、立派な
「!!!」
賛助さんは両目が飛び出んばかりに見開いて、雷に打たれたように硬直した。……ヅラだったのか。
周囲からザワザワと失笑が漏れてきて、一段といたたまれなくなった。
ザマスさんは打ちひしがれる賛助さんを満足げに目で舐めまわすと、オーッホッホッホ、と高笑いを浮かべて建物の中に入っていった。
……すんごい人だったなあ。
IS委員会って、こんな半端ない人が他にもわんさかいるんだろうか。僕は賛助さんに同情せざるを得なかった。
ザマスさんを前にした時の変わり身の早さも、きっとブラック委員会を切り抜けるための処世術なんだろう。
賛助さんはようやく硬化が解かれると、がっくりと両膝に手をついた。背中はブルブル震えている。
僕は恐る恐る横目で顔色を覗くと、
「……クソ」
見てはいけないものを目にしてしまったかのような、総毛だつ思いがした。
顔が真っ暗になって、呪詛のような恨み言を呟いている姿は、地獄の鬼か悪魔のようだ。
「そ、それじゃあ僕はこれで、失礼します!」
軽くお辞儀をすると、その場を足早に後にした。一刻も早くこの場所から逃げ出したかった。
速足は駆け足に、駆け足は疾走に変わった。
通り過ぎる人も、明りも、手入れされた庭園も、僕の眼には映らなくなった。
(なんだ、いったい、なんだというんだ、この気持ちは!)
賛助さんへの、同じ男性同士という中にあったわずかな親しみが、一気にリバースしてめちゃくちゃになってわけがわからない何かに変わった。
胸の奥がゴワゴワして、変な嘔吐感までこみ上げてきて、途端に叫びだしたい衝動に駆られた。
ザマスさんは許せない。男性を侮蔑しきって嘲る姿にはムカムカした。
かといって、賛助さんのように、人間はあれほど闇に染まれるものなのか?
女尊男卑は悪だ? かつての世の中に戻すのだ? 男女の均等を目指すのだ?
僕だって反女尊男卑の理念を否定するつもりはない。けれど、だったらその前の、何人もの女性を侍らせる男性が居たような世の中が正しいとでもいうのだろうか。
もし自分が女性だったとしたら、そんな世の中を変えようとするんじゃないだろうか。そしてその時は僕も――賛助さんみたいな闇になってしまうんだろうか。
今のこの世の中が正しいのか? かつての世の中がおかしいのか? それとも、そのどちらもが間違っているのか?
わからない、分からない、解らない!
(――――!!)
どこともしれない建物の陰で、僕は全身に力をみなぎらせて、歯を食いしばって、……がっくりと芝生の上に膝をついた。
と、懐からポトリと何かがこぼれ落ちた。
チェルシーさんに出せといわれたときに、一つ隠していたんだっけ。
僕は震える手で封を開けて、一本を口にくわえる。チェルシーさんの怖いお叱りも今は吹っ飛んでいて、とにかく一服着きたかった。
(ああ、カッコ悪いなあ……)
こんなに手が震えて、ライターの火がなかなか着かないじゃないか。吸うときはカッコ良くやれって、
何回も着火を失敗して、ようやく着いた明りを逃すまいとタバコを突き出した。
すぐさまに煙を吸い込んで、むせた。
馬鹿みたいにむせかえって、それでもタバコを放さなかった。
ようやく落ち着いてから、やっとゆっくり煙を味わえた。
口の中にたっぷりと含み、よくフレーバーを堪能して、鬱憤と一緒に吐き出した。
(あーあ、ダッセーな、俺)
へへ、と皮肉めいた笑みが浮かぶ。大概、不良が板についてきたみたいだ。
煙が目に染みたのか、視界が歪む。
もう、どうでもいいや。
遠くでにぎわう誕生日会の喧騒を尻目にして、暗がりに向かい合って紫煙を吐いた。
闇が一層広くなって、深い安息を与えてくれるような気がした。
◆
アイリス王女、おめでとうございます。
アイリス王女、素晴らしいISですね。
アイリス王女、ISがよくお似合いですよ。
アイリス王女、将来のIS国家代表の姿が目に見えるようです。
アイリス王女、ISの乗り心地はいかがですか?
アイリス王女、ISの――
アイリス王女、ISは――
アイリス王女、ISで――
「はあ……」
誕生日会の主役、アイリス・トワイライト・ルクーゼンブルクは大きなため息を着いた。
「誰も、私のことなど見ていないのじゃ……」
化粧室の鏡に向けて呟く言葉は、消え入りそうなほどか細く弱弱しい。
幼い少女にはわかっていた。
今日集まったたくさんの客人は、自分の誕生日のためでなく、自分に進呈されるISの方が目当てなのだということを。
加えて、お尋ね者の篠ノ之束に接触したいだけだということを。
もっとも、篠ノ之束はいつも通り雲隠れしてしまったのだが。
それでなくとも、王女の健やかな成長を祝う者はほんのわずかばかりであった。
「つまらぬ……」
ギュッと服の裾を掴んだ。このまま席に戻っても、また自分のISに関わったお話しかされないだろう。
ありていに言えば、自分はISのオマケなのだ。
【セブンス・プリンセス】という名は自分に与えられた称号のはずなのに、ISが名前ごと奪い取ってしまったように感じた。
そう嘆いても、誕生日会を開いてくれた兄や姉たち、国の政務官のためにも戻らねばならない。主役が長く席を空けたら、みな心配してしまうだろう。
(こんなピエロみたいな役を、兄上も姉上も、嫌ほどこなしてきたのじゃろうか)
ルクーゼンブルクは、所詮小さな国に過ぎないのだから。
「はあ……」
止まらないため息を着いて、空気を換えようと、小窓を開けて空を見た。
雲がどんより立ち込めていて、何処にも逃げられないような息苦しさが感じられた。ISがあれば遠く空高く自由になれると思っていたのに。
「ん?」
ふと、鼻腔をくすぐる香りが通った。
風上に向けて視線落とす、その先に、何やら小さな明かりが揺らめいているのが見えた。淡くて、ホタルみたいに明滅している。
「なんじゃ?」
好奇心に駆られて外に出る。ちょっとくらい良いだろう。側近の
迎賓館の裏手にある勝手口を抜けると、吹き抜ける肌寒い風に首を縮込ませた。東欧に位置するルクーゼンブルクは、初夏でも夜は10度ちょっとしかない。
メイドのフローレンスにかけてもらった羽織を被り直して、音を立てずに歩き出した。
たしか、この少し先、自分のISのモデルであるユニコーンのモニュメントがある場所のあたりのはずだ。
建物伝いに進み出で、明りの方を覗き見ると、
「あ――」
少年が、いた。
モニュメントの前、土台に横たわるユニコーンを守るように、腰を掛けた少年が静かにタバコを吸っている。
伸ばした右足に左足を組み、タバコの明りにぼんやり映るうつむき加減の横顔は、
(泣いておるのか……?)
頬を伝うものに僅かな明りが照っていた。
儚い灯はいっそう
その雫を、少女は、とても美しいと感じた。
偽りの笑顔に満ちた虚飾の祭典の中で、その涙だけが真実を表しているように見えた。
「――おぬし」
少女は、ふらりと建物の陰から前に出た。
唯一の誠を示すこの少年が、何者であるのか知らねばならないと、小さな胸が急き立てる。
「おぬし、如何したのじゃ。このようなところで」
驚いた顔の少年の小指で、紅い指輪が静かに光った。
ルクーゼンブルク特産のガーネットだと、姫君はすぐにわかった。