織斑一夏は自立したかった。
中学時代、幼少時に慣らした剣道部へ入らずにバイト三昧の日々を送ったことや、進学先に就職率の高い藍越学園を志望していたことは、ひとえに姉の織斑千冬を助けたいというためだった。
小さい頃に両親から捨てられ、千冬が一人で育ててくれたことに対し、一夏は負い目と恩義を抱いていた。早く一人前になって、姉に楽をさせてあげたい。その思いで、幼いながらに出来ることをやって来た。
ずっと守られてばかりだった一夏は、いつしか自分が誰かを守りたいという思いを抱くようになった。それは家事であり、甲斐性であり、もしくは力強さであった。
(強くなりたい……)
大切な人を、大切なものを、守り通すことができる強さを。
(千冬姉のように……)
果たして、その思いを叶えるめの一歩を、偶然にも踏み出すことができた。IS操縦者。男性でほぼ唯一の、自分にあった可能性。
織斑一夏はIS学園に入学した。それは周囲に流されたような部分もあったが、自分の決断に変わりはなく、決して後悔はしたくない。
そしていま、クラス代表決定戦、目の前には怪物が立っている。
普段は捉えどころの無い、自分を幸運児だとうそぶくやつで、情けも容赦もある友人だ。
しかし、いざ戦いの場では、手加減は相手への侮辱と捉える、気持ちの良い戦士だった。
一夏は怪物に吹き飛ばされ、アリーナの壁にぶち空けられた穴から、よろめきながらも立ち上がった。肩で息をし、剣『雪片弐型』を杖に立ち、自分のISの状態を確認する。
すでにシールドは過半を切り、攻める糸口は見つからない。もはや力の差は歴然だ。
それでも諦めはしなかった。
俺はこの学園でひとり立ちし、この仲間たちと強くなる。そう誓ったのだから――。
◇
クラス代表決定戦、第二試合。
その一夏とトミーの戦いを、二人の友人である箒は見守っていた。
戦いはトミーが圧倒していた。それはISの搭乗時間の違いもあるが、相性が決定的だった。
一夏は専用機乗りであるが、その機体の武器は一振りの剣しかなかったのだ。いかに優秀な機体といえど、接近戦しかできないのであれば、空を飛べないトミーにとって飛んで火にいる夏の虫。
一夏はフェイントやカウンターを駆使して何とか食らいつこうとするが、相手は剣のほか鞭のような尻尾鋏に銃火器も用意とあって、全くスキを見せなかった。
今しがたトミーの巨体からぶちかましを受け、一夏の身体が外壁に突っ込む姿に、箒は息を呑んで両腕を抱いた。
「頑張れ、一夏……!」
箒は呻くように口にした。両腕を抱く手に力がこもる。そうしなければ、自分が飛び出していってしまいそうだった。
「負けるな、一夏!!」
箒は腹の底から声を上げて、幼馴染の名を叫んだ。
◇
(聞こえているさ、箒……)
一夏は戦いの前にかけられた言葉を、再び呼びかける箒の声に、口元に笑みを作った。
(大丈夫だ、箒。俺はまだ負けていない)
いかに痛めつけられようと、圧倒的に不利であろうと、まだ試合は終わっていない。自分はまだ折れていない。
それにトミーとの練習の段階で、試合運びがこうなることはすでに承知していたはずだ。対策に立てた戦術が、まるで通用していないだけ。残った作戦はただ一つ、気持ちで勝負することだ。
一夏は立ち上がり、胸を張って叫んだ。
「どうした、トミー! 俺はまだ戦えるぞ!」
こちらの様子を伺う相手に呼び掛ける。
「『グローリー・シーカー』はどうした! 『グラウンド・ブレイカー』は弾切れか? 今のスキ見逃すなんて、この勝負をバカにする気か!」
トミーは戦いでは容赦しない。それが礼儀だと捉えているからだ。そのことを知る一夏にとって、スキを見逃したトミーに憤りを覚えていた。
その一夏の叱責に、トミーは武器を上に向けて攻撃の意思が無いことを示した。一夏はさらに声を上げようとすると、
「――飛ぶんだ、一夏」
トミーは答えた。
「飛べ、一夏! 地上での戦いでは、僕と【グレイ・アイディール】は負けはしない!」
トミーは声を荒げた。らしくない姿だった。普段はそんな強い言葉を使うようなやつではないのに。
「言ってくれるぜ……!」
それが自分の弱点を指摘していることを、一夏は理解していた。
一夏は飛ぶことが苦手だった。
大地を踏みしめ、翔るように疾走して戦うほうが性にあっていた。空は、あまりにも空虚すぎて怖いように感じた。遊園地のアトラクションで、足場のない絶叫マシンが苦手なようなものだった。
だが、もうそんな事など言っていられない。正直このまま戦っても勝ち目は無いし、苦手を克服しなければ次の段階に進めないと思った。
それに、
(センパイのアドバイスだからな)
一夏にとって、トミーは同じ部活のセンパイのように見ていた。同級生でも経験が違うのだから、その指示には大人しく従った方がいい。下手に意固地になる奴はいつまでたっても強くなれない。そう幼少時の剣道で経験していた。
「やってやる、やってみるさ!」
一夏は意を決し、真っ直ぐに上空へと飛んだ。視界の中に青が飛び込んでくる。よく晴れた4月の春の空だった。陽光が心地良く自分を照らしていた。
そのままどこまでも行けるような気がして、ぐんぐん上昇していって、
「いてっ」
途中で見えない何かにぶつかった。学園の全天周バリアにぶつかったのだ。これ以上は諦めて後ろの地上を振り返ると、会場が両腕に入るほど小さかった。
あれほど目の前で威圧感を示していたトミーのLSも、まるで消しゴムのカスのようだった。あまりの小ささに、自分が苦戦していた先程までの戦いが、途端にちっぽけなものに感じた。
人は高いところから地上を見ると、悩みや苦しみが矮小化されるという。それを目の当たりにしているようだった。
「……いくぜ、トミー」
一夏は呟き、剣を構えて勢い良くダイブした。一直線に地上へ堕ち、視界の建物が拡大してくる。恐怖は歯を食いしばって堪えた。
ある高さから、トミーの対空射撃が始まった。あんなに脅威だった銃撃が、豆鉄砲のように緩慢に見えた。
一夏は身体を捻って回避していく。教えられた回避軌道のそれではない、滅茶苦茶な動きだった。だいたい、
(サッ、とやって、スススッと動くんだ!)
などと言う、箒の指導など解るはずがないのだから!
「うおおおおおおお!!」
対空射撃の火線からそれ、トミーの姿を完全に捉えた。剣を打ち放つ、その瞬間、
「――ッ!」
トミーの姿が右にズレるや、その背後から尻尾鋏『ペンチ・ヒッター』が飛び出してきた。巨体に隠れて動きや間合を推し量れなかったため、為すすべがなかった。剣道でいう、脇構えを連想し、見事に1本取られたように感じた。
「がはあっ!」
鋏が一夏の身体を咥え込む。シールドゲージがみるみる減少していった。ISでなければ、容易く両断されていただろう。
「このっ、はなせ!」
尻尾に向けて剣を振るう。しかし腕だけで振るった太刀ではあまりにも力不足だった。
シールドゲージがもはやレッドゾーンに近づいている。
(負ける……!?)
一夏は始めて敗北を意識した。気持ちという、最後の武器が折れかかっていた。
ダメだ。俺は、箒に……、
「諦めるなっ、一夏あああっ!」
箒の声が聞こえる。
そうだ、俺は、最後まで諦めないと言ったのだ。
男に、二言はあってはならない……!
「諦めて……、たまるかあああああ!」
勇気を取り戻したその瞬間、一夏のIS"白式"が輝いた。
なんだ、と光を腕でかざすトミーの前で、煌めく剣が振り落とされた。先程までビクともしなかった尻尾鋏『ペンチ・ヒッター』が、容易く切り払われていた。
「『ペンチ・ヒッター』が!?」
トミーの驚愕をよそに、一夏は空へと間合を取った。
見上げると、そこには新たな鎧を身にまとう、織斑一夏の姿があった。
「まさか、一次移行(ファースト・シフト)? 今まで初期状態でやっていたのか!?」
トミーは、道理で動きが鈍いわけだ、という理由と、それでこれだけ動けたのか、という思いが、驚愕と嬉しさ、そして末恐ろしさの混ざった感情となって、一夏に向けていた。
◇
一夏は怪物の持つ鋏を退け、再び空へと舞い戻った。
その光景に、観客席の一人は見惚れるような目を向けていた。毛先が内側に跳ねた青色の髪に、ちょこんと二つのヘッドギアを載せ、眼鏡をかけた少女だった。
「カッコイイ……」
先程まで、怪物に痛めつけられていた姿に目を覆ったり、小さな悲鳴を上げていたのが、光と共に蘇って剣を一撃するその姿に、物語のヒーローを目の当たりにしたような吐息を漏らしていた。
「あれが、織斑一夏……!」
彼女は一夏に対して因縁がある。自分のために作られるはずの専用機が、男性IS操縦者の登場という降って湧いた事態に対し、会社は新たな専用機を作ることとなり、開発の人手がそちらに割かれて遅れることになってしまったのだ。
当初は恨みを抱いていた。しかし最近になって、開発元の倉持技研に余裕が生まれたということで、近いうちに再開したいと連絡を寄こして来たのだ。
そして、今まじまじと見る彼の姿に、少女はこれまでの想いが一転、憧れを抱くようになっていた。
「ガンバレ、一夏……」
テレビの向こうに映る正義の味方を応援するように、少女は小さな声で声援を送っていた。
◇
上空、白い鎧を身に纏い、輝く剣を構える一夏は、地上、鉛色の異様を纏い、無骨な得物を構えるトミーと、剣先を向けあって対峙していた。
「なんだか知らないが、諦めないもんだな」
一夏は歯を見せて笑う。勝負はここからだ、と気合を入れていた。
「よく似合っているよ、一夏」
トミーは目を細めて答えた。一夏が太陽を背にしているだけではない。
「この【白式】の装備がか?」
「いや、空に、だよ」
トミーは思う。やはり一夏は、インフィニット・ストラトスは、空を翔ける姿がよく似合う。地上を這うような動きなど、翼を無駄にするようなものだ。
一夏は答えず、歯を見せた笑みのまま、剣先を相手の目に向けて正眼の構えを取った。
トミーは、重銃『グラウンド・ブレイカー』を量子化し、剣銃『グローリー・シーカー』を両手で持った。顔の前に直立して略式の剣礼を捧げる。一振りの剣だけでここまで戦った、一夏に対する礼儀だった。流れるように右手側に寄せ、バッティングフォームのような八相の構えを取った。
一瞬の静寂の後、一夏は虚空を踏み出した。気合を吐いてまっしぐらに。その表情が鬼気迫る。
トミーはお腹の底に力をためた。ぐっ、と大地に沈むように。顎を引いて目がギラつく。
「おおおおおおおお!!」
「―――――ッァア!!」
一夏の放つ裂帛の気迫と、トミーの貯めに貯めた底知れぬ気合が、刃と共にぶつかりあった。
◆
闘技場の端の選手控え席にある、アンティーク調の豪奢なベンチに、トミーは肩にタオルをかけて背もたれに体重を預けていた。
ほけー、っと見つめる視線の先で、一夏とセシリアの試合が始まろうとしていた。
胸元に下がるドッグタグを右手でなぞり、何度めかのため息をつく。
「あーぁ……」
にへら、と口元が歪む。
セシリアとの試合は、空に逃げられるまでは健闘できたし、一夏との試合も、白式がファースト・シフトするまでは圧倒していた。礼儀も払い切ったし、見事な戦いぶりだったと我ながら思った。
(でも、結局全敗かぁ……)
一夏の剣『雪片弐型』は、トミーを剣銃『グローリー・シーカー』ごと切り裂いて見せた。絶対防御が働いてトミーの身体に傷はないが、正直死を意識した。それほど【白式】の、一夏の単一仕様能力(ワンオフ・アビリティ)《零落白夜》は必殺だった。
格闘ゲームでいえば、ゲージぎりぎりまで追い詰めたのに、超必殺技を食らって逆転負けしたような気分だった。
思い出して、また、ため息が口から出そうになったが、頬に当てられた冷たさに引っ込んだ。見れば、箒が微笑を浮かべて、スポーツドリンクの缶を向けている。
「お疲れ様、トミー。見事な試合だったぞ」
見惚れるほど凛々しい笑みを浮かべて労ってきた。もしトミーが女性だったら惚れてしまいそうな顔付きだった。残念ながら彼は男だ。
サンキュ、と手で受け取る。よく冷えていた。間もなく一夏の試合が始まるというのに、急いで買って来たのだろう。器量の良い子だな、とトミーは思った。
箒が視線を会場に向けると同時、試合が始まった。二人とも空を飛んでいる。一夏は空への苦手意識を克服したようだった。
「一夏ってさ」
トミーのつぶやきに、箒は顔を向けずに、ん? と、返した。
「強いよな」
苦笑と一緒に漏れた言葉に、なんだ、と箒も笑みを浮かべた。
「当たり前だ。一夏は私の幼馴染なのだからな」
自信満々に彼女は言う。
「そういうもんかな?」
「そういうものだとも」
うむ、と一人納得していた。
試合では、射撃主体のセシリアに不利を悟ったのか、一夏は剣を輝かせて突っ込んだ。直線的すぎるな、とトミーは思った。今後の課題にして、練習で克服していこう、と思い遣った。
それにしても、
「綺麗な剣だなあ……」
とトミーは口にした。
煌めく剣は眩しくて、空を翔る一夏の姿はとてもカッコよく見えた。
相手先のセシリアも、青い機体と優雅な飛び方は、なんて素敵なんだろう、と思った。
本当に、空を飛ぶインフィニット・ストラトスは、息を呑むほどに美しい。
「……あれ?」
その視界が、急に歪んだ。
目元に手をやると、濡れているのだと分かった。いつの間にか涙を流していたのだ。
「変だな?」
きっと一夏の剣の光が眩しくて目にキタのだろう。そそくさと肩のタオルで拭き取った。
それにしても、こんな人のいる場所で涙を流すなんて、と少し気恥ずかしさを覚えた。
とはいえ、隣の箒は一夏の応援を頑張っているし、観客の視線も空で戦う二人を見ていて、誰も自分を気に留めやしないだろう。そう思うと、少し安心してゆっくりと涙を拭えた。
「あー……、だめだ」
しかし、涙はいっこうに止まらなかった。しょうがないから、タオルで頭を隠して前かがみの姿勢になった。涙がいくつもいくつも地面に落ちた。
「わー……、とまんない……」
一夏とセシリアが戦う空は、今日はとても良く澄み渡っていた。日差しは心地良く、風は遠く、青はどこまでも続いていた。
トミーの座る選手控え席は、日の傾きで日陰になっていて、まだ少し肌寒さが残っていた。
春のうららかな日の午後のことだった。