53話 剣士の友情
雨が降っていた。
熱帯地方のスコールのような激しい雨だ。
地球温暖化の影響か、近年では日本でもゲリラ豪雨と呼ばれるような大雨がたびたび起きている。
夏真っ盛りな8月の雨とあって、暑さとジメジメとで不快指数は最悪だった。
夏休みに入って帰省しようとするIS学園の生徒たちにとってはまったく災難となった。
終業式から五日間、雨は間断なく降り続いている。天気予報によれば一週間はこうだというから、あと二日はぐずつく模様だ。
海外から来ている生徒達は日本の酷暑と湿気から逃げるように帰ろうとするが、急に雨脚が強くなってずぶぬれになりながら空港に到着するという「あ~も~マジ最悪!」といった光景が随所で見られた。
学園では、すでに在校生のうち半分の姿がいなくなっている。
そんな普段よりにぎわいが去った校内の、本館から少し離れた位置に建っている武道館では気合のある掛け声が響いていた。
剣道部の練習が行われているのだ。
「ヤァアアーーーー!!」
白道着に黒袴を着た剣士は積極的な攻勢に出ていた。太刀筋は荒く身のこなしも獰猛な、荒武者を思わせるような動きだ。
一方、上下白の胴着に白の防具を着た『四十院』と言う名の女流剣士は、柳に風といったふうにゆらりゆらりと間合いをとっていた。
二人とも並みの動きではない。
高体連とは別の位置にあるIS学園剣道部は、高校総体には出場しないまでも各種大会に参加し優秀な成績を収めている。
ISの運用は運動能力と密接にからんでいるため、入学する生徒たちはたいていスポーツの素養が高い。もちろん整備科選考者のように頭脳派なれど運動音痴な生徒も一部いるが、入学に際し高い倍率の壁を超えられる生徒だけあって、総合的なポテンシャルは非常に高かった。
いわば一流の強豪校と遜色ない剣士たちが腕を磨くIS学園の訓練場には、今日はたった二人だけだった。
にもかかわらず圧倒的な緊迫感がみなぎっている。
ドン!
といきなり篠ノ之が一歩踏み込んだ。
剣の間合いにはやや遠い。フェイントだ。
釣られたのか、四十院の竹刀がやや上がる。
好機とみた篠ノ之はすかさず送り足で態勢を整えた。
一足一刀の間合いにはまだ遠い。しかし強靭な瞬発力が距離を飛び越える。
同時に剣がわっ、とひるがえった。目にもとまらぬ一刀が相手の面に振り下ろされる。
「めぇぇええーーん!!」
入った!
と思われた剣が空を切った。
四十院の身が掻き消えるように横に流れたのだ。
手に持つ竹刀は返す勢いにまかせて横薙ぎを放つ。
「胴ーー!」
物打ちと呼ばれる竹刀の有効打位が篠ノ之の横っ腹を強かに打った。
剣道の技で一番カッコイイと言われる抜き銅が決まったのだ。
打った後の抜きも残心を見事に決める。
まぎれもない一本だ。
篠ノ之は不覚を悟ったのか、ガックリと膝を着いた。
振り返る四十院へ攻撃する気配はもはやない。
四十院は正眼に構えた剣を収めると無言のままに一礼をした。
決着だ。
中学時代、剣道全日本一に輝いた篠ノ之箒が、クラスメイトで部活仲間の
◇
「箒さん、あなた、何かに心を乱されているのではないですか?」
面を外し
箒は面を外した格好のまま顔を向けようともしない。
「いや、別に……。そんなことはない」
「嘘ですよ」
神楽はおっとりとした垂れ目をいからせる。
「臨海学校から帰ってきてからずっと、どこか落ち着きがないご様子でした」
控えめながら、神楽の声音は気品がある。
旧華族の出自というだけあって、行儀作法をわきまえている者の振る舞いだった。
「今日、箒さんを稽古にお誘いしたのも御気分をうかがうためです。互いに剣士同士、武道の中で語り合えるかと思いましたが、まさかこれほどささくれ立っておいでとは思いもよりませんでした」
箒はうつむいたまま黙りこくっていた。
したたり落ちる汗にも気に留めず、手拭いでふこうともしない。
「何が、おありになりましたの?」
箒は応えない。
神楽は身をただし、正座して箒に向いた。
「……わたくし、今日はご返事を聞くまではいつまでもこうしていようと決めています」
そういうと、神楽はじっと箒が動くのを待った。
五分、
十分、
十五分、
何も言わず、微動だにせず、ただ箒の機が熟すのを待ち続けた。
まるで時間が止まったかのように二人の少女は動かない。
ただ屋根を叩く雨音だけが道場を包んでいた。
「……参ったな」
先に音を上げたのは箒だった。
足を崩して、ようやく神楽に向き直る。
「さっきの試合と同じだ。自分の弱さに、辟易してしまったのさ」
神楽は顔を少し傾けて話の先を促した。そのしぐさにはいちいち風格がある。
「せっかく……、せっかく新しいチカラを手にしたのに、ようやく仲間の役に立てると思ったのに。私は、私は結局勝てなかった」
ぐっ、と太腿の上で握る拳に力がこもる。
神楽は清聴する。
箒の言っていることが何を意味するのかは正直わからない。しかし彼女に何かがあったのは確かだった。
それが箒にとって心を
「手を借りまいと思っていた大嫌いな者の助力を受け入れてすらこのザマで……。そんな奴を受け入れてしまった自分の心もみすぼらしくて……」
箒の手が震え、次第に肩も震えだした。
怒りと悲しみがふつふつと湧き上がっているのだろう。
それも自分自身の身を傷つけるような、体内から棘が突き出しているような自責の念に苛まれている。
神楽はあまりにもいたいけに感じて、そっと震える箒の背中に手を回した。
幼子をあやすように包み込み、痛みを和らげるようにさすりあげる。
「私は……、よわいっ! 弱くて、ぁあ……、なんて情けないんだっ!」
箒の口からついに感情がほとばしった。
身体をくの字に曲げて神楽の胸に顔をうずめる。
腹の中にため込んでいた淀んだものを、すべて吐き出すように嗚咽する。
神楽はしっかりと受け止めて、何も言わずに寄り添っていた。
道場には二人だけだった。
神楽はあえて部活動の練習がない日を選んでいたのだ。
外は雨脚が強まり、屋根を打つ調子が強くなる。
箒の嘆きを掻き消そうとしているかのようだった。
雨曇りの薄暗いなか、激しい雨と慟哭がいつまでも響き渡っていた。
◇
しばらくして、箒がようやく気分を落ち着かせると、沈黙を保っていた神楽は静かに切り出した。
「箒さん、一緒に出稽古に行きませんか?」
しゃっくりをしながら箒は顔を上げる。涙や汗で乱れた姿を神楽はぬぐいながら言葉をつづけた。
「私の家は旧いだけが取り柄ですが、それだけに昔ながらの付き合いというのも多少あるのです。その中には、きっと箒さんのためになる方がおりますの」
「わたしの、ためになるかた?」
「ええ。強くなりたいと願うならなおさらです。実はわたくしもその方から何度か手習いを受けたことがありますの。とっても気さくな明るい方です」
いかがですか? と微笑む神楽に箒はうなずき返した。
すさんだ心を受け止めてくれた剣友の神楽であれば、きっと悪いようにはしないだろう。
「わかった……。よろしくたのむ」
「はい。それでは汗を流してから、学園本館の玄関で待ち合わせにしませんか?」
「今日、いくのか?」
「善は急げと申します。部活棟の管理をしている榊原先生にはわたくしから伝えていますので、後片付けはお任せください」
ずいぶんと手際が良いな、と箒は少しいぶかしんだ。
「神楽、ひょっとして最初から私を誘おうとしていたのか?」
「さあ、どうでしょう。ただ心に浮かんだことを出まかせにしているだけかもしれません。そんなことよりも早く準備なさってください。車をすぐに用意します」
「いや、そんなに急かすこともないのでは」
「鉄は熱いうちに打てとも言うでしょう。思い立ったが吉日です。後は野となれ山となれ。ささ、参りましょう」
神楽が箒の手を取って体を起こす。
箒はなんだか神楽のペースに乗せられたような気分だった。
そもそも神楽は自分の調子を通すのが上手い。
普段はおっとりと物静かなお嬢様なのだが、人の上に立つ教育を受けてきたせいか、他人を押しのけるよりすり抜けざまに巻き込んで引きずっていくようなタイプだと箒は見ていた。
要はめちゃくちゃ強引なのだ。
しかし、今のだらしない自分が一人で何かするよりも、ずっと成果が上がるだろう。
箒は神楽に背中を押されながら、まんざらでもない気で流されている自分にそう言い聞かせた。
◇
神楽が呼んだ国産高級車に乗せられて快適な移動を初めて数十分。
「まだ目的地にはつかないのか?」
箒は神楽に問いかけた。
車窓から流れる景色はどんどん緑が濃くなっていく。
いったいどこに連れていかれるのだろう。
「すみません、もうしばらくかかりますの。運転手さん、道路状況はいかがでしょうか?」
「せやなあ」
タクシードライバーみたいなパンツスーツに身を包んだ運転手の女性がカーナビを操作する。
「あかんわ。この雨やからな、だいぶ混んどるし、横道で飛ばすのもおっくうや。姉ちゃんら、観念して菓子食いながらダベっとってや」
調子のいい方言をかましながら、当初から用意された和菓子ボックスを勧めてくる。
ずいぶんと気さくな運転手だな、と箒は思った。
「どこへ、向かっているのですか?」
箒がおずおずと尋ねる。
「なんやお嬢様から聞いとらへんのかい。富士山や」
「フジサン?」
箒は神楽を見遣った。
神楽はお饅頭をぺろりと一口に入れて、右手で口元を隠しながら咀嚼している。
「せや。麓にウチらのアジトがあるからな」
「アジトって、運転手さんの会社ですか? 私はてっきり道場か何かに向かっていると思ったのですが」
「会社っつーのもちと違うな。道場、まー鍛錬場って意味なら同じやな。なーに着いたらわかるわ。この
「名和さん……?」
どこかで聞いたことのある名前だな、と箒は首をひねった。
隣の神楽はペットボトルのお茶を飲み込んでようやく一息ついている。
「遠くまですみません、名和さん。本来でしたら近場の都内にしたかったのですが」
「しゃあないわ。ちょうどクスノキが先におさえとったからな」
「クスノキって……」
箒の疑問をよそに話が続く。
「相川さんが申し込んでいたのでしたね。まさか親切にお受けなさるとは思いませんでした」
「そりゃあ受けるわ。人たらしのクスノキやで? 後輩の女の子の頼み聞いたら喜び勇んで飛び出すわ」
名和と名乗った運転手はケタケタと笑った。
「しっかしIS学園の生徒はみんな真面目やなあ。イギリスのオルコット嬢ちゃんおったやろ? どっから聞き及んだか、嬢ちゃんもウチラに教えを受けたい言うて来たんよ。チグサがバッサリ切っとったけどな」
「それはセシリアさんも残念でしたね」
「ウチにとっちゃ大事なお得意様やから、固いこと言わんでええやんゆーたんやがな」
「なっ、セシリアもなのか!?」
「せやで。でも箒ちゃんは大丈夫や。なんせ同じ日本人やからな」
運転手はバックミラー越しに箒へ笑いかけた。
そばかすが特徴的な顔で、狐目みたいなツリ目が箒を捉える。
まるで商家の女将さんみたいな人だなと言う印象を箒は受けた。
それよりも、
「私の名前、知っているんですね。神楽から聞いたんですか」
「ちゃうちゃう。箒ちゃんの名前は前から知っとったもん。なんせ、ウチおんなじ名前なんやからな」
「同じ名前? ホウキという名前と……、!?」
驚きの表情を上げる箒は、まさか、と声を上げた。
隣の神楽に確かめるように振り返る。たおやかな笑みで返された。
「お気づきになられましたか?」
「さっきから並ぶ名前がおかしいと思っていたんだ! クスノキ、チグサと聞いて、ホウキと呼ばれるのはその人しかいない」
「あちゃ、ちょいヒント出しすぎたかな? まーええわ。ほな箒ちゃん、ウチの名前は何でしょか?」
箒は息を整えてから真っすぐに言い放った。
「
運転手はプップー、とクラクションを鳴らした。
「だいせーかい! ウチこそが日本最強の精兵部隊、三木一草の中でも最弱! ナワホウキノカミ様なるぞ! ……って最弱ってなんやねんシまらんわ!」
自己ツッコミにもう一度クラクションを鳴らして、ホウキは快活な笑い声をあげた。