わたし達は今、視界不良の豪雨の中を飛んでいます。
どれほどの視界不良かと言うと、隣を飛んでいるはずの仲間の姿すら見えません。
宝珠の反応を頼りに飛んでいるので、実際は問題無く編隊を維持出来ているのですが、そこにあるはずの姿が見えないと、一人ではぐれてしまったのではと言う錯覚すら覚えます。
しかもこの身に叩きつけられる風雨はどんどん強くなっています。
唯一の救いは、寒さと雨に濡れるのは防殻によって防げている事でしょうか。
それでもこうも雨に打たれては、気分が晴れる事は有りませんが。
そもそも何故こんな事になっているのか、始まりは数時間前に遡ります。
オース・フィヨルドでの降下作戦を終えたわたし達は、そのまま近くの軍港で休暇名目の待機を命じられました。
編成直後から休む間もなく出撃続きだったわたし達に対しての、参謀本部のご好意なのだと思いますが、わたしとしてはこの情勢下での突然の休暇に少し拍子抜けしてしまいました。
一応待機命令ですので、流石に全員が休める訳ではありませんが、それでも半日交代で貰える久々の休みを皆、満喫している様です。
ターニャなどは大喜びで、地元の名士達との会食に向かいました。
はしゃぐターニャは可愛かったですが、わたしとしてはあまりはしゃぐ気分にもなれず、駐屯地のベッドで体を休めるに留めています。
ベッドに横たわっていると、思い出されるのは先日の戦い、そしてそこでわたしが命を奪った敵魔導師の指揮官らしき男の事です。
確かに既に多くの命を奪ってはいます。
しかし今までは軍人として一線を引いていましたし、相手も敵兵士として割り切っていました。
ですがあの男に関しては何と言えば良いのか、個人としての強い意志を感じたのです。
何故あそこまでターニャに固執していたのかは分かりませんが、彼にも譲れない物があったのでしょう。
わたしも同じですから、何となくそう感じるのです。
あの時、わたしもあの男も軍人としての役割よりも、自分の感情を優先して向き合っていた様な気がします。
だからこそ、なのでしょうか。
その命を奪った事実が、わたしに重くのしかかるのです。
もちろん命の重さに優劣などありませんし、今までわたしが奪った命も等しく尊い物でしょう。
ですが、あれほど感情を向け合った相手です。
軍人としてより一個人として考えてしまうのです。
それに、あの男の目を見た時に感じたあの感覚。
そして一瞬見えた光景。
もうはっきりとは思い出せないのですが、とても怖くて嫌な感じがしました。
あれは一体何だったのでしょう。
また、あんな感覚に襲われる事があるのでしょうか。
もしそうなったら、その時わたしはちゃんと動けるのでしょうか。
今回は何とかなりましたが、ターニャを守ると言う誓いがもし果たせなかったらわたしは……。
……いえ、こんな事を考えていては駄目ですね。
わたしは軍人として、敵を倒すだけです。
それ以上は考える必要がありません。
考えても意味の無い事ですから。
結局わたしは暇を持て余し、早めに勤務に戻る事にしました。
「おや?アルベルト中尉、どうかされましたか?」
休みのはずのわたしがうろうろしていたのを不審に思ったのでしょう、当直の士官にそう訊ねられました。
「いえ、何となく。じっとしていると落ち着かないので」
「ああ、ここの所、作戦続きでしたからね、お気持ちは分かります。しかし、休まれなくて宜しいのですか?」
「仕事をしていた方が、気も紛れますので」
そこまで言った時、目の前の士官の宝珠が呼び出しを告げる反応を示しました。
「……少々失礼いたします。……いかがされましたか、少佐殿?」
どうやら相手はターニャのようです。
しかしターニャは今、会食中ではなかったでしょうか。
何となく、良い知らせでは無い気がしますね。
案の定ターニャから告げられたのは、休暇の打ち切りと即時召集の命令でした。
……はぁ、また忙しくなりそうですね。
わたし達に下された命令は、ノルデン沖の指定海域における、敵艦隊の捜索遊撃任務でした。
何でも北洋艦隊が集結中の協商連合艦隊を捕捉、これを逃走する敵主力艦隊と判断しその捜索にわたし達が駆り出されたと言う訳です。
しかし、そもそも航空魔導師と言う物は洋上飛行するように訓練されてませんし、広大な海で艦隊の捜索など無茶と言っても良いでしょう。
しかも今から向かえば、指定海域に着く頃には日も沈んでいる事でしょうし、それに天気もあまり良くありません。
その上近隣海域では中立国である連合王国の艦隊も確認されているようで、誤射に注意との事です。
ターニャがどんどん不機嫌になるのも分かる気がしますね。
とは言えいつもの通り、やれと言われればやるしか無いのですが。
そうして雨の中、夜の海でのフライトと相成り冒頭へと戻る訳です。
いつまでも止む気配の無い雨と、自分が今どこにいるのかも分からなくなりそうな不安感に、そろそろ弱気になって来た頃です。
突然、下から複数の爆発音がしました。
目を凝らして見ると、いくつか艦影らしきもの。
まさか、真下にいたとは。
「大隊、突入態勢を取れ!」
突然の不意遭遇戦となりましたが、流石は我らが二○三大隊、ターニャの一声で即座に突入します。
爆裂術式による急降下爆撃の真似事もしましたが、所詮魔導師の火力。
結局、一隻も沈める事が出来ず、いくらかの
対してこちらは重傷六名、軽傷多数と言う結果。
ターニャは非常に悔しそうでしたが、まあ敵艦隊の索敵には成功しましたし、わたし達も帰還が許可されました、ここは大人しく帰りましょう。
しかしその帰路の途上で不審船を発見するとは、わたし達は運が良いのか悪いのか。
連合王国所属の漁船ライタール号だと名乗る不審船に対して、ターニャはヴァイス中尉に命じて臨検を行わせます。
まあ見つけてしまった以上無視出来ませんからね。
仕方無いでしょう。
でもヴィーシャ、わざわざこれ以上余計な物を見つけなくてもいいんですよ。
ライタール号を臨検中のわたし達の近くに、新たに連合王国船籍の貨客船と船籍不明の潜水艦が発見されました。
もう何が何だか。
こちらの制止を振り切るように急いで海中に向かおうとする潜水艦に対して、ターニャの指示で威嚇射撃を敢行。
その後、浮上した潜水艦の乗組員を救助しましたが、結局潜水艦自体は沈んでしまいました。
度重なる成功とは言い難い結果に、ターニャは酷く気落ちしている様子でした。
特に敵艦隊を逃した事は完全な失敗だと考えているようです。
わたしとしては、索敵には成功してますし、一応対艦攻撃まで試しているのですから充分だと思うのですが。
しかしターニャは今回の責任を取らされるかも知れないとすら考えているのです。
今、レルゲン中佐が今回の処分をターニャに告げる為に駐屯地を訪れていますが、それを受け取りに行くターニャの様子があまりに見ていられなくて無理矢理付いて来ちゃいました。
まあ、わたしは部屋の外で待機ですけど。
わざわざ面識あるレルゲン中佐殿がいらっしゃったのです。
きっと大丈夫ですよ、ターニャ。
そんな事を考えていると扉が開き、中からレルゲン中佐が出て来られました。
「レルゲン中佐殿、お帰りですか?お送りします」
「いや、大丈夫だ。それよりも、デグレチャフ少佐に……」
「……?少佐がいかがされましたか?」
「いや、デグレチャフ少佐を頼む」
「?……はっ。了解いたしました」
それだけ仰ると、レルゲン中佐は足早に帰っていかれました。
中佐殿に頼まれましたし、ターニャの様子を確認しましょう。
わたしは部屋の中を伺いました。
「ターニャ?大丈夫ですか?」
ターニャは一人、部屋の中で座っています。
やはり気落ちしているのでしょうか、いつもと様子が違います。
「……ターニャ?」
「……ティナか」
「中佐殿はお帰りになられましたが、どうかしましたか?」
「ああ、何とか温情を頂いた。名誉挽回の機会を下さるそうだ」
やっぱり大丈夫だったじゃないですか。
でも、それならターニャの様子はどう言う事でしょうか?
うーん?これは、気落ちしてるんじゃなくて、緊張?
後、少し気負っているみたいですね。
失敗を恐れ過ぎているのでしょうか。
レルゲン中佐殿のご様子からも、多分ターニャが考えているほど事態は深刻では無いと思いますが。
何にせよいつものターニャに戻って欲しいですし、少し安心出来る様にわたしはターニャを抱き締めました。
「おい!?何のつもりだ!離せ!」
「……大丈夫ですよ。何があってもわたしはターニャの味方です。わたしがターニャを守りますから。だから、大丈夫なのですよ」
「……………………ふう。存外、緊張していたらしいな。少し落ち着いた」
「ふふ、それなら良かったのです。皆待ってますから、行きましょう?……それとも、コーヒーでも飲んでから行きますか?淹れて上げますよ?」
「そうだな……、コーヒーを頼む」
「分かりました!すぐに用意するのです!」
少しは元気になってくれたみたいで、良かったのです。
わたし達は今、再び軍港近くで待機しています。
ターニャが言っていた名誉挽回の機会の一つ、北洋艦隊との合同演習を終えた所です。
ターニャ曰く、海軍との共同任務での失態は海軍に協力して晴らせと言う事だそうです。
そう言う訳で、わたし達は艦隊近接演習を行ったのでした。
艦内に突入しての制圧など初めてでしたが、結構上手く出来たのではないでしょうか。
ターニャは今、総括の為艦内の士官室にいるはずです。
共に演習に参加した海兵の皆さんは半舷上陸が許可されているようです。
わたし達も待機とは言え、当直以外は自由時間となってます。
まあわたしは、ターニャがいないのに一人でする事も無いので、休みたそうな顔をしている当直の一人と交代してあげました。
とは言え当直も別段する事は無いのですが。
なんて取り留めも無い事を考えていると、ヴィーシャが話しかけて来ました。
「アルベルト中尉はお休みにならないのですか?」
「……ヴィーシャ。ええまあ、ターニャと一緒なら、喜んでお休みするんですけど」
「中尉殿は本当に少佐殿と仲が良いんですね」
「ふふ、そう見えるなら嬉しいのです。……ヴィーシャはどうなんですか?お休みしないんですか?」
「わたしも副官ですので、残った方が良いかと思いまして」
「うーん、別にそこまで気にしなくても良いと思いますけど。一応わたしも補佐官ですし、ヴィーシャもお休みしたかったら良いですよ?ターニャが何か言ったら、わたしが許可したって言っときますし」
「いえ、そんな。わたしも一人でいるよりは、中尉とお話ししたいですし!」
「そうですか?まあ、そう言う事なら。わたしで良ければお相手しますよ」
「はい!お願いします!」
その後、ターニャが戻って来るまでヴィーシャとお喋りを楽しみました。
女の子同士のお話しは尽きない物なのです。
とは言え一人で退屈せずに済みましたし、ヴィーシャには感謝ですね。