硝煙煙る灰色の大地を眼下に収め、わたしは懐かしい空気を感じます。
かつては一度死を覚悟した事もある、あのラインの空に再び戻ってきました。
北方に目処が着いた今、帝国にとって片付けるべきはラインのみ。
そこに遊撃部隊であるわたし達が赴くのは、当然と言えるでしょう。
とは言え本日はいつかの様に塹壕に籠もっての観測任務では無く、対地支援戦闘。
敵陣地まで飛んで行き、強襲するだけの簡単なお仕事です。
航空魔導師の面目躍如と言った所でしょうか。
しかも敵魔導師も無く、対空砲火も少ないとくれば、油断はせずとも安心は出来ると言う物です。
わたし自身もあの時よりも多くの戦場を経験し、成長していると思いますし。
それに共に飛ぶのも、一緒に生き残って来た頼もしい仲間たち。
何より今回はターニャと一緒です。
しかし、そのターニャがとんでもない事を言い出しました。
何と五分間の砲撃支援を要請、しかもわたし達が突入後も止む事は無いそうです。
ターニャ曰く、
「あれだけ対砲兵訓練を積んだ挙げ句、友軍の砲弾にわざわざ当たる間抜けなど我が大隊には存在しない」
との事ですが、それとこれとは話が違うと思うのです。
ほら、ヴィーシャなんて顔が引きつってますよ。
自軍の砲陣地に帝国軍魔導師が強襲を掛けて来たとの報告を受け、共和国第一八師団第二魔導大隊は即座に迎撃に上がる。
ここラインにおいては最早日常と化した出来事だ。
その日も、いつもと何一つ変わらない仕事のはずだった。
しかし直後に管制から聞こえて来た報告に驚愕する事となる。
何と帝国軍魔導師の上から帝国軍の砲撃が降り注いでいると言うのだ。
誤爆か?
即座にそんな思いが浮かんで来た。
最前線の混乱した状況では有り得ない話では無い。
実際、確報では無いものの先日共和国軍の砲撃により友軍が吹き飛んだと言う噂が流れている。
いや司令部の面子を考えれば、噂があると言う時点でそれは事実なのだろう。
しかし聞けばどうやら今回は違うようだ。
帝国軍の砲撃は共和国軍を的確に撃ち抜き、更にその中で帝国の魔導師は平然と攻撃を続けていると言うのだ。
有り得ないだろう。
自殺行為以外の何物でも無い。
いくら帝国軍魔導師とは言え、そんな事が出来る部隊が存在するとはにわかに信じがたい。
その後、データ照合により敵部隊にネームドがいる事が判明。
登録名《ラインの悪魔》。
数年前流行った戦場伝説の一つだ。
開戦当初の混乱に生じた冗談だと思っていたし、実際一年以上確認されていなかった。
それがまさか実在したとは。
だがそれならば納得も出来ようものだ。
今から自分たちが相対するのは、間違いなく悪魔のような存在なのだろう。
しかもどうやら悪魔は一人では無いらしい。
詳細は不明だがもう一人ネームドクラスがいるようだ。
最低でもエース・オブ・エースは覚悟しておけとの事だ。
全く、今日は厄日だな。
そう思わざるを得なかった。
大隊に補充要員が配置されるとの連絡があったのがつい先ほど。
とは言え損耗も無いのに補充も何も無いだろう、何かのミスではとのターニャの懸念も、ヴィーシャが幼年学校時代の友人から聞いたと言う噂により嫌な予感へと変わります。
何でもわたし達に戦地で教導隊の真似事を押し付けるつもりだとか。
「連中子守をしながら戦争が出来ると信じているらしい」
また子守かよ、とわたしは口に出しませんでしたが、ヴァイス中尉が代わりに言ってくれました。
他の皆も不満そうです。
しかしヴィーシャはなんとかその場を収めようとフォローを入れます。
「ですが……、その、誰しも一度は新兵なのですし……」
「ああ、そう言えば貴官を教えたのもラインだったな、少尉」
「はい、少佐殿のお陰様で」
そう言えばヴィーシャはターニャとはライン以来の付き合いだと言っていたのを思い出します。
「少佐殿直々のご指導とは……」
「ヴァイス中尉、言いたい事が有るなら口にしたまえ」
「成る程、ヴィーシャが訓練中一度も音を上げなかった理由が、何となく分かった気がします」
「アルベルト中尉……!」
怖!めっちゃ睨まれました。
結局噂は単なる噂にとどまらず、紛れも無い事実となりました。
実戦経験の無い新兵を預けるから、戦争を教えてやれとのご命令です。
何でも新兵の損耗率が無視出来ないレベルらしく、航空魔導師としての在り方をわたし達から学ばせようと言う事らしいです。
まあ確かにターニャのやり方に付いて来れたら、それだけで一気にレベルアップするでしょう。
わたし達と言う前例も有る訳ですし、司令部としてもそこを評価したのでしょう。
ただしそれは、付いて来れるならと言う前提があります。
新兵諸君には少々荷が重いのでは無いでしょうか。
……ご愁傷様と言わざるを得ませんね。
夕飯時にターニャが提案した、補充組の新兵を夜戦と非魔導依存環境に慣れさせる為の訓練。
魔導師と言うのは、とかく術式に依存しやすいものです。
まあ術式が無ければ唯の人と変わりありませんから、当たり前と言えるでしょう。
しかし当然、塹壕の中では身を隠すのが第一優先。
そんな中盛大に魔導反応を垂れ流していては、見つけて下さいと言っている様なものです。
だからこそ、魔導師には咄嗟の時に魔導依存しないだけの自制が必要になるのですが、経験不足の新兵では難しいでしょう。
そもそも訓練学校では何が何でもとにかく術式で身を守れと教えるのですから、全てが全て彼ら自身の責任ではありませんけどね。
各中隊長に副官のヴィーシャを加えた皆で話し合った結果、こっそり敵陣へ向かい何人か敵兵を拝借、後は全力で飛んで帰ると言う方法に決まりました。
行きは見つからなければ接敵は可能でしょう。
帰りは、まあ魔導師ならば真っ直ぐ飛ぶくらいは出来て欲しいと思います。
後は出来るだけ戦闘を避ける事ですね。
お荷物を抱えての戦闘行動など、困難と言わざるを得ませんから。
それはそうと、このスープ変な味しません?
みんな平気なんですか?
……後で確認しておきましょう。
その後、補充組に緊急呼集が掛かりますが、指定の三分で集まって来たのはたったの二班のみ。
遅刻した皆さんは、最前線の塹壕行きがターニャから告げられます。
相変わらずふるいに掛けるのが早いですね。
わたしも昔はターニャは少し厳し過ぎると思っていましたが、ここまで生き残って来た身からすれば確かに彼らの態度は目に余る気もします。
彼らが足を引っ張れば、当然とばっちりを受けるのはわたし達です。
ならばせめて、こちらの指示くらいは守って貰わねば。
機敏さが要求される戦場において、時間一つ守れないような方にはお引き取り願うしかありません。
まあ時間厳守な優秀な皆さんも、ターニャ的に言うならば今から楽しいピクニックですが。
うーん、やっぱりターニャは少し厳しいかも知れませんね。
ターニャ式ピクニック自体は、それほど問題無く終了しました。
宵闇に紛れた匍匐前進でシャベル片手にこっそり近づき、共和国の皆さんに少しの間眠って頂くまでが第一段階。
ここまでは予定通りに終了しました。
後は魔導反応を撒き散らし、敵の追撃をかわしながらの帰還。
二人ほど乗り遅れてしまったのは非常に残念ですが、わたしとターニャで囮を引き受けた事もあり、それ以上の被害はありませんでした。
補充組の彼らも実際の戦場を知って、意識改革くらいにはなってくれたのではないでしょうか。
ピクニックから一夜明けて、わたしは拠点にある講堂で昨夜の出来事についての所見を中隊長ら数人と交わしていました。
「お二人については大変残念でした……。わたし達も、もう少し上手くやれたら良かったのです。しかし皆さん、意外と付いて来れましたね。もう少し手間が掛かるかと思ってましたが」
「いや、実はもう一人、帰還中に大隊長達に近付こうとした者がいまして。慌てて引きずり下ろしましたよ」
「お二人に付いて行こうとするとは……」
ヴァイス中尉から知らされる、驚きの真実。
囮役のわたし達に付いて来てたら、もう一人失う事になっていたでしょう。
ヴィーシャも信じられないと言った顔をしています。
「あれ?でもヴィーシャは普段わたし達に付いて来てますよね?」
「いえ、そんな。いくら何でもあの機動は無理ですよ……」
「第一中隊は、二○三の中でも特に精強ですからな。いやはや、うちの女性陣は皆お強い」
「ヴァイス中尉、それはどう言う意図での発言ですか?……どうやら中尉とは、きちんとお話しする必要がある様ですね?」
「いえ、何でもありません!大変失礼しました!」
「ほら、ヴィーシャも怒って良いですよ?」
「は、はい。分かりました!」
「いえ本当に勘弁して下さい」
わたし達がそんな風に冗談を言い合っていると、外から声が掛けられました。
「グランツ魔導少尉、入室いたします」
「グランツ?かまわん、入れ」
ヴァイス中尉に促されて入って来たグランツ少尉は、補充組では唯一の士官です。
今朝食堂で見かけた時はかなり参っている様子でしたが、朝食を無理矢理にでも摂るだけの元気があるので、大丈夫かと思いそっとしておきました。
流石にターニャも今日は彼らを休みにしましたので、その内気分も落ち着くでしょうと思ったのですが。
しかしここに来るとは、わたし達に何か用でしょうか?
グランツ少尉は先ほどから入り口に立ったままこちらを眺めています。
「何かあったのですか?あなた達は今日はお休みだと思いましたが」
「はっ、恥ずかしながら座学があるものと」
なるほど、思わず周りと顔を見合わせ苦笑します。
それならば、声を掛けて上げれば良かったです。
「貴様らには昨晩、帰還後に今日一日の休養が許可されている。分かっていると思って、朝は何も言わなかったのだがな」
「気が利かず、すみません。一声掛ければ良かったですね」
「いえ、大変失礼しました」
「何、構わん。ついでだ。参加した所見を述べてみろ」
ヴァイス中尉に促され、グランツ少尉も着席しました。
「率直に申し上げるなら、無我夢中でした。気が付けば、基地に戻っていたのです」
「まあ、普通はそうだろうな」
「初めての実戦を生きて帰ったのです。誇って良いと思いますよ?」
そう、生き残ったのです。
新兵など、初戦でその多くが命を落とします。
実力不足ももちろんありますが、何より戦場の空気に呑まれてしまうのです。
だから、それを経験して生き残る事が出来れば、それ以前とではまるで意識が違うでしょう。
経験に勝るものは無いのですから。
「まあ、大隊長殿の教導を生き延びれば大抵何とかなる。そこのセレブリャコーフ少尉など、大隊長達に付いて飛ぶだけでベテランになったほどだ」
「……どなたか、交代してくださりますか?」
「軍務上、それは無理だな」
「中隊長が固まって飛ぶ訳にも行かないでしょう。残念ながら少尉と交代は出来ませんな」
「……そうですか」
「大丈夫ですよ。ヴィーシャもわたしが守りますから」
むくれるヴィーシャに、そう言います。
ヴィーシャもわたしの大切な一人ですから、当然わたしが守るのです。
「おや、では我々は守って下さらないので?」
「あなた達と可愛いヴィーシャを一緒にしないで下さい」
「アルベルト中尉!わたしも中尉をお守り出来る様に頑張ります!」
「ふふ、ありがとうございます。ヴィーシャは優しいですね」
そんなわたし達のやり取りを、グランツ少尉はポカンとした顔で眺めていました。
少しは気が紛れましたかね?
「グランツ少尉、あまり考え過ぎ無い事です。わたし達は軍人で、相手もまた、軍人なのですから」
せっかく生き残ったのですから、これからも頑張って行って欲しいものです。
しかしこの後、彼にとってもわたしにとってもとんでもない試練となる事件が待ち受けている事を、この時のわたしはまだ考えもしなかったのでした。