ヨセフグラード襲撃から始まり、その後も十日ほどかけて遊撃任務をこなしたわたし達は、ようやく帰還した東部方面軍の後方基地において盛大に歓迎されました。
特に一方的な展開となったヨセフグラード襲撃が良かったらしく、聞く所によると帝都にいる方々もわたし達を賞賛してくれているらしいです。
大隊の皆も基地の皆さんと祝杯をあげますが、ターニャは相変わらず挨拶だけして部屋に戻ってしまいました。
何でも二十四時間は治らない急病だから軍務以外で起こすなと言う事です。
わたしもお酒は飲めないですし、それに何よりもターニャに改めてお礼がしたいです。
すぐにターニャの後を追いかけました。
ターニャの部屋の扉を軽くノックします。
「ターニャ、もう寝てしまいました?」
「……ティナか。まだ起きている。入って良いぞ」
「すみません。お邪魔します」
「構わん。何となく来る気はしていたしな」
そう言えば、前にもこんな事がありましたね。
あの時はこんなにも戦争が長引くとは考えていませんでした。
「どうした?」
「いえ……、あの時わたしがターニャを止めなければ、ターニャの言うように共和国を完全に倒しておけば、戦争は終わっていたのでしょうか」
「……どうだろうな。共和国を叩いた所で連合王国が態度を変えなければ今と変わらんし、連邦に至っては宣戦布告して来た理由など、おおよそ合理的な物では無いだろうからな。意外と大した変化は無いかも知れん」
「そう……ですかね」
「多分な」
ふふ、それならあの時ターニャは何であんなに必死だったんですか?
わたしに気を使ってくれたんですかね?
そうなら嬉しいですけど、今回はそれが目的ではありません。
ここに来たのは伝えたい事があったのです。
それを忘れてはいけません。
「それより、ターニャにお礼が言いたくて。あの、わたしの為に作戦を変更して頂きありがとうございました」
「何だ、まだ言っているのか?別に良いと言っただろう」
「それでも、です。あの時、ターニャがわたしの言う事を信じてくれたのが嬉しかったのです」
「ティナの事は信用しているからな。あれくらいなら、問題無いだろう」
「え……?た、ターニャ?」
ターニャの言葉にわたしはとても驚きましたが、同時にとても感動してしまいました。
何だか涙まで出て来たのです。
「……泣くほどの事か。相変わらず涙脆い奴だな」
「すみません。わたしはターニャの事を大切に思ってますが、ターニャがわたしの事をどう思っているか聞いたのは初めてでしたので、嬉しくて」
「そうだったか?まあ、最初は良く分からない奴だと思ったが、今は信頼している。一番長い付き合いだしな。これからも頼むぞ」
「ターニャ!」
わたしはとうとう堪えきれずターニャに抱きついて、泣いてしまいました。
ターニャも何も言わず、しばらくそのままでいてくれました。
ターニャの胸で泣くなんて士官学校時代以来です。
こうしているとあの時の事が思い出されて、何だか無性に恥ずかしくなってきました。
「ぐす……。ご、ごめんなさい。ありがとうございます。もう大丈夫です」
「もう良いのか?……何だか昔を思い出すな」
やっぱりターニャもあの時の事を思い出していたみたいです。
「流石にわたしも、もう恥ずかしいのですよ。昔の事は忘れて下さい」
「そうか?別にそんなに変わったとは思わんがな」
なんて、ターニャはそう言いますが変わったと思いますよ。
特にターニャは。
でも何だか懐かしい気持ちになったのは確かですね。
「あ、それなら昔みたいに一緒に寝ませんか?」
「断る。そもそもそれだって同じ部屋だっただけだろう。一緒に寝た覚えは無い」
即答でした。
結局ターニャに断られたわたしは、それでも寂しかったのでヴィーシャと一緒に眠る事にしました。
ヴィーシャはこう言う時ターニャと違ってあんまり嫌がらないので嬉しいです。
それにヴィーシャとの寝心地はなかなかのものでした。
とても安心出来て、何だか癖になりそうなのです。
ターニャの声で叩き起こされたわたし達は、それでもすぐさま準備をして大隊司令室に向かいます。
あ、寝ぼけたグランツ中尉がターニャに絡まれてますね。
ご愁傷様です。
とは言え自制せずに飲み過ぎたのでしょうから、自業自得とも言えますが。
まあ今の内にわたしは準備を済ませてしまいましょう。
グランツ中尉、あなたの犠牲は決して無駄にはしませんからね。
東部国境線では連邦の物量に押されかなり後退させられているようです。
そんな中、殿を務める友軍がティゲンホーフ市で包囲され、わたし達はその救援を東部軍司令部から依頼されました。
ティゲンホーフ市には多くの帝国市民も残されているようです。
ならば救援に向かうしか無いでしょうと、そう思っていたのですが。
しかしその直後、参謀本部から機動遊撃任務命令が下り、ターニャも異なる二つの命令に考え込んでしまいました。
「ティゲンホーフに籠もる友軍救援も大事ではあるが……」
「見捨てる、のですか……?」
思わずそう、わたしは口にしていました。
「アルベルト大尉、我々は参謀本部の直轄です。残念ではありますが……」
「それは分かってます。分かって、います。でも……」
ヴァイス大尉の言葉ももちろん理解しています。
わたし達の所属が参謀本部である以上、参謀本部からの命令が最優先です。
でも、それでは見捨てられた友軍はどうなるのですか。
見捨てられた市民は、どうなるのですか。
そんな言葉を辛うじて飲み込みます。
しかしターニャが突然声を上げました。
「待て。いや、これは面白い位置にある」
そうしてターニャは資料を見比べ始めました。
「敵の重砲が遅れている。少なくとも付近には確認されていない。ならば、ティゲンホーフは我々にとって前線拠点になるのではないか?」
「機動遊撃戦の前線拠点としてですか。なるほど」
ヴァイス大尉もターニャの言葉に賛成しました。
つまりは参謀本部の命令である機動遊撃任務の準備として友軍救援を行えると言う事です。
わたしは味方を助ける事が出来る事実に安心しかけましたが、しかし今度はヴィーシャが異を唱えます。
「お待ち下さい。確かに重砲の進出は遅れていますが、前線付近には列車砲が確認されています。その射程圏内に捉えられる恐れがあるかと」
その一言でターニャもヴァイス大尉も考え込んでしまいました。
でもそれは心配し過ぎだと思うのです。
「あの、重砲は確かに遅れているのですよね?」
「ああ、そう見受けられるが」
「そして何故か連邦にはほとんど魔導師が確認されません。ならば、観測員がいないのでは?観測員無しの砲撃など恐れるに足りないと思いますが」
「……なるほどな、確かに。どうやら我々はラインに染まり過ぎてしまったらしい」
「言われみれば……。いや間接射撃と言うのはいつでも存在するものと思っていました」
わたしの言葉にみんな納得してくれたようです。
ヴィーシャもなるほどと頷いてくれました。
「しかし、流石ですね?」
「ふふ、こう見えても二○三に入る前は主に観測員をしていたのです。砲撃における観測員の重要性は理解してるのですよ」
とにかくこれで友軍の救援に赴けますね。
「大隊に医療物資を担げるだけ担がせろ。煙草やウイスキーも喜ばれるだろうが、手持ちが無いからな」
「いえ、酒なら南方大陸の土産が大隊公庫に閉まってあったはずです」
ターニャの言葉にヴァイス大尉が意外な返答を返しました。
ターニャもそんなもの認可してないと言っていましたが、どうやらヴィーシャがポーカーで巻き上げたそうです。
わたしはそう言う席にはあんまり参加しないので知りませんでした。
「ほんのお遊びのつもりだったんですが……」
「へー、ヴィーシャってカード強かったんですね。あ、なら今度わたしとやりませんか?」
「あの、それは構いませんが、流石に大尉には勝てないかと……」
「そう言う事を言っているんじゃ、……いや今はやめておこう。作戦が優先だ」
ターニャは何か言いたそうでしたが、結局諦めたようでした。
確かに皆さん助けを待っているのですから、あまりお喋りしている暇はありませんでした。
速やかに準備を進めましょう。
医療品や弾薬などの救援物資を背負ったわたし達は盛大に見送られて、この時東部軍の皆さんからお酒や煙草などの嗜好品も一杯持たされました、ティゲンホーフ市に向かって飛び立ったのでした。
ティゲンホーフの救援に向かったわたし達は、実際完璧にその役目を果たしたと言ってもいいでしょう。
包囲を完了しつつあった連邦軍の側面から強襲。
幾度と無く繰り返した対地襲撃を速やかに敢行するわたし達に対して、敵はその混乱を収める事が出来ず、また敵の混乱に応じてティゲンホーフの友軍が攻撃を開始。
包囲網は呆気なく蹴散らされたのでした。
ティゲンホーフ市の友軍に盛大に歓迎されたわたし達は、そのまま同市に泊まり本来の目的である機動遊撃に移ります。
現在東部前線は中央部のみが著しく後退しており、弧を描くように窪んでいます。
そしてティゲンホーフは前線の北部に位置する為、何と敵主力より後方になるのです。
ならばわたし達は敵の側面ないし後方から襲撃を掛ければ良く、これこそ機動遊撃の本懐でありましょう。
それに連邦軍はまともに連携が取れていないらしく、進行中の敵前衛部隊と後詰めの後衛部隊がバラバラです。
後衛の進軍速度を無視して突出し過ぎた前衛は、いまや完全に孤立しています。
速やかな動員によって帝国は敵前衛をタンネーン・ニ・ベイクにて包囲に成功。
まるで、かつて西方にて行われた誘引撃滅の再現です。
わたし達には敵前衛の殲滅の間、敵後衛の進行を阻止する役目が与えられました。
「大隊各位、対地襲撃隊列用意!我々の目的は敵の殲滅では無く足止めだ。一撃離脱を心掛けろ!離脱後速やかに襲撃隊列を組み直せ。何度でも繰り返す事になるぞ」
「「了解!」」
どこか突破されそうな所があればそちらに飛び、一撃加えて敵を足止め。
また、立て直りそうな部隊があれば今度はそこに向かって突撃します。
そうしてわたし達はひたすらに対地襲撃を繰り返しました。
しかし、いくら繰り返しても敵が減ってる気がしません。
それどころか、どこからか新しい部隊が出現する有り様。
以前ターニャが連邦は畑で兵士が穫れると言っていましたが、マジなんじゃないでしょうか?
そう疑ってしまうほどの敵の物量には、流石に辟易します。
「ちっ、きりが無いな。隊を分けるぞ、このままでは押し切られる!中隊規模で分散!ヴァイス大尉、敵左翼に回れ!」
「了解しました。第二中隊続け!」
「グランツ中尉、第三中隊を預ける!右翼担当だ!」
「はっ!第三中隊行くぞ!」
ヴァイス大尉とグランツ中尉はそれぞれ中隊を率いて左右に展開しました。
「少佐、わたし達はどうするのですか?」
「悪いがお前には足の速い奴を連れて引き続き遊撃を頼みたい」
と言う事はターニャが中央担当ですね。
それなら少しだけターニャの方に多めに残しておきましょう。
とは言え優秀な方は貰っていきますけど。
「了解しました。……あの、よろしければヴィーシャをこちらに貸して欲しいのですが」
「何……?ああいや構わん、好きなのを連れて行け」
「良いのですか?ありがとうございます!」
出来れば残った中では最も機動力があるヴィーシャと一緒に行きたかったのです。
流石にターニャも駄目だと言うかと思いましたが、少し迷っただけで許可してくれました。
ターニャには申し訳無いですが、こちらもあまり余裕はありませんし、正直助かりました。
その後、出来るだけ機動力があり、かつ余力のありそうな者を数名選びます。
「では皆さん、すみませんがよろしくお願いします」
「「了解」」
そうして再びあちらこちらに飛び回り、対地襲撃を繰り返します。
わたし達は疲労困憊となりながらもそれでも敵を前に進めまいと奮戦し続けました。
いやでも実際かなりキツいですよ。
「ほんと、きり無いですね」
「わたしも流石に疲れました……」
「大丈夫ですか、ヴィーシャ。無理しないで下さいね」
「は、はい。まだ大丈夫です」
「本当に無理そうなら言って下さいね。他の皆さんも限界が来る前に報告して下さい!」
「まだやれますよ!」
「小官も、問題ありません!」
「少佐殿に鍛えられた我が大隊に、この程度でへこたれる者などいませんよ!」
全く、本当にこの大隊の皆さんは頼りになりますね。
しかし誰の顔にも明らかに疲労が浮かんでいます。
そもそもヴィーシャが弱音吐くなんてよっぽどなんですから。
それに残弾も心許ないです。
かと言ってこの状況で取りに戻る事は出来ないでしょう。
弾を使いきっても術式は使えますが、この状態でのそれは自殺行為です。
本当に最後の手段で、出来れば避けたいものです。
「皆さんのやる気は分かりました。しかし残弾、魔力残量が少ないのは事実ですから、常に注意しておいて下さい」
「「了解!」」
何て言ってはいましたがしかし、結局そのまま弾薬も尽きてしまい、本当に最後の手段を使うしかないかと覚悟を決めた時です。
ようやく友軍の本隊がこちらにやって来ました。
と言う事は包囲されていた敵の前衛は殲滅したと言う事です。
敵もそれを理解したのでしょう。
今まで何としてでも前進しようとしていた敵後衛が、急に戦意を失ったかのように後退し始めました。
「ギリギリでしたね。しかし何とかなって良かったのです。では少佐の所に……」
戻りましょうか、そう言いかけてしかしグラリと平衡感覚を失ったわたしは体勢を崩してしまいました。
「アルベルト大尉!」
「あ、あれ?ああヴィーシャ、ありがとうございます」
咄嗟にヴィーシャがわたしを支えてくれたようです。
わたしはヴィーシャに支えられながら体勢を立て直そうとしたのですが、何故か上手く力が入りません。
「あれ、おかしいです。何か上手く飛べません」
「アルベルト大尉、このままわたしに掴まっていて下さい」
「いえヴィーシャも疲れているでしょうし、大丈夫です」
「どう見ても大丈夫じゃありません!良いからわたしに掴まって下さい!……大尉の宝珠は出力が高い分、魔力消費も多いのですから、無理しないで下さい」
ああ、そう言えばそうでしたね。
最近はあまり意識してなかったので、完全に忘れてましたよ。
わたし自身もあまり魔力保有量の多い方ではありませんし、と言う事はただの魔力切れですね。
とは言え流石にこの状況で一人ではどうしようもありませんし、ヴィーシャの好意に甘えるしかありません。
「ごめんなさい、ヴィーシャ。ありがとうございます」
「大尉はご自身の事に無頓着過ぎます。限界が来る前に気を付けろとは、大尉の言葉ですよ。もう少しご自愛下さい」
何て、ヴィーシャに叱られてしまいました。
ヴィーシャには迷惑を掛けてしまいましたし、本当に申し訳無いですね。
そのままヴィーシャに肩を貸して貰いながら戻って来たわたしを見たターニャは、わたしが被弾でもしたのかと驚いていましたが、ただの魔力切れだと言うと呆れていました。
「前から思っていたが、お前は無茶をし過ぎだ。今回は何とかなったものの、それも運が良かっただけだ。わたしを守るのだろう?なら簡単に倒れるな」
「……すみません」
ターニャにまで心配を掛けてしまって、本当に情けない限りです。
これからはもう少し考えて動かないといけませんね。
その後ターニャが司令部に嘆願した事により、そのまま追撃は友軍に任せてわたし達は補給の為に一旦戻る事が許可されました。
ですがわたし自身の状態もありますし、他の皆もほぼ限界が近いと言う事もあり、わたし達が再び出撃する事はありませんでした。
しかし結局、敵がほぼ壊走する形で後退を完了したようですね。
これでお仕事は完全に終了です。
とは言え今回はマジでヤバかったです。
確かに危険度で言えば今までもっとヤバいのは何度もありましたが、今回のこれはそのどれとも違うヤバさでした。
いやー、こう言うピンチもあるんですね。
出来れば二度と御免ですが。