皆様ご機嫌よう。
ティナ・アルベルトと申します。
連邦共和国にて魔導大佐を拝命しております。
かつて帝国と呼ばれた国は、大戦での敗北に伴いその体制を大きく変える事となりました。
帝政の崩壊と共和制への移行。
戦勝国である連合王国と合州国が共に帝国の地の全てを必要としなかった事で、共和国領、協商連合領、ダキア領等と此度の大戦で帝国が手に入れた土地を始め、開戦以前から帝国領であった多くの土地をも手放す事を条件に、ライヒはその存続を許されました。
共和国は最後までライヒの完全な占領を粘っていたようですが、大した戦果も無いのに領土を取り戻せたのだから黙っていろと言う連合軍側の意向により、結局それ以上の追及はありませんでした。
これは連合王国と共和国の歴史的に微妙な関係性も影響しているようですが、今はそれ以上を言及する必要は無いでしょう。
戦後の責任についても多額の賠償金などは課されましたが、その一部を合州国が貸与えてくれたおかげで辛うじて経済破綻は免れました。
帝国側が最大の戦犯として提示したターニャ・デグレチャフが既に亡くなっている事、また皇帝陛下が国外へ逃亡した為に帝国と言う国が崩壊した事で、戦争の規模に対して敗戦国としては大分軽いものでありましょう。
これは疲弊しきった各国としても問題の早期解決を図り、我が国に無理難題をふっかけて戦後処理を長期化させるのを嫌った為だとも考えられます。
確かに敗戦国である我が祖国は、その戦後処理によって今もかなり疲弊し、混乱していると言っても良いでしょう。
それにこの敗戦で多くの力を失い、これからは苦難の時代が続くでしょう。
それでもようやく訪れた平和と、その中で新たな一歩を歩み始めた祖国の姿は喜ばしいものであります。
わたしもこの国の軍人として、今は自身に出来る全力を尽くしていきたいと思います。
いつものように執務室にて業務をこなしていると、突如備え付けの電話が鳴り響く。
「はい、こちらアルベルト大佐」
「済みません大佐殿。お客様がお見えです」
どうやら電話の相手は副官であるらしい。
「客?誰だ、幕僚監部からか?」
「いえ、その、何と言うか。とにかく大佐殿にお会いしたいと言っていますので、よろしくお願いします!」
それだけ言って切れてしまった。
おかしい。
優秀な副官が意味の分からない客人を通すはずも無いし、それに何だか珍しいくらい興奮していたような?
面倒事だろうか。
とは言え無視する訳にもいかないんだろうなぁ。
ティナは副官の対応については後で考える事にして、仕方なく立ち上がった。
協商連合。
一度は奪われた祖国に戻って来たメアリーは、久し振りに我が家を訪れる。
既に合州国軍は退役している。
もっと揉めるかと思ったけれど、思いの外すんなりと辞める事が出来た。
元々義勇軍であった事と、メアリーの志願した背景が配慮されたようだった。
それにメアリーは自分が軍人に向いていない事を思い知った。
結局最後の最後まで上官だったドレイク中佐には迷惑を掛けっぱなしだったし、何度か戦場に立ったけど最後まで一人も殺す事は出来無かった。
別に人殺しをしたかった訳じゃないし今となっては良かったと思っているけど、それでも軍人には向いてないんだろうなぁとメアリーは思っていた。
絶対に倒すと誓った父の仇ですら、結局撃つ事が出来なかったのだから。
メアリーが撃とうとしたあの瞬間、あの人は穏やかに微笑んでいた。
ああ、きっとこの人はわたしに撃たれるのを望んでいるんだ。
それに気付いたメアリーは、しかしそのせいで躊躇してしまった。
結局逸れた弾丸は、彼女の身体を掠めるにとどまった。
でももう限界だったのだろう。
きっとわたしが撃っても撃たなくても関係無かったに違いない。
彼女はまるで糸が切れたように落下していった。
死んでしまっただろうか。
それとも生きているだろうか。
でももうメアリーにはどちらでも良かった。
もうメアリーには父の仇を取る気持ちは無くなっていた。
悲しくない訳では無い。
でも、メアリーも戦場に立ったから分かる。
きっと仕方の無い事だったのだ。
今にして思えば、あの人の不可解な態度も分かる気がした。
きっとそれは罪悪感。
おおよそ軍人として相応しく無い感情だけど、多分間違ってない。
そんな人が父の仇だったから、だからそれは仕方の無い事。
許すつもりは無いし、忘れる事も無いだろう。
それでもメアリーは復讐にとらわれる事をやめて、これからは再び穏やかに暮らしていく事を決めたのだった。
ちなみにだけど、ドレイク中佐は生きている。
と言うかあのラインで戦死した人はほとんどいなかった。
あれほどの攻撃を受けて何故と思ったけど、実はあの時悪魔の攻撃はそのほとんどが示威攻撃で、直撃した者はいなかったそうだ。
確かにあの攻撃で怪我をした人は一杯いたし、運が悪く亡くなってしまった人もいない訳では無い。
でも、あいつは俺達を殺す気が無かったんだろうなとドレイク中佐は言っていた。
結局あの人は何がしたかったのだろう。
でももうそれを知る事は無いだろう。
メアリーは少しだけ目を閉じ、あの奇妙な魔導師を思い浮かべて、すぐに気を取り直す。
長い事空けていた家は所々に埃が溜まっている。
さて、まずは大掃除しなきゃ。
今はまだお父さんが亡くなった事に気落ちしているお母さんも故郷に、この家に戻ってくれば少しは元気を取り戻すかも知れない。
それならばと、メアリーはこれからについて決意を固めるのだった。
身体の感覚が薄い。
今自分が立っているのか、横たわっているのかすら分からない。
それどころかこの浮遊感はもしかしたら本当に浮いているのかも。
そんな事を考えていると、突然頭の上から声が掛けられました。
「気が付いたか」
その声には聞き覚えがあるような。
うーん、どちら様でしたっけ。
えっと、前に会った時もこんな感覚があったような。
そのときは、確か……。
……もしかして、神様?
「左様。久し振りだな」
あ、やっぱりそうだったんですね。
それならわたしは死んでしまったのでしょうか。
「そうでもあると言えるし、まだ違うとも言えるな」
……?
どう言う事ですか?
「お主の肉体はまだ辛うじて死んではいないが、しかしほとんど瀕死だ。
このままではいずれ死に至るだろうし、大した違いは無い」
ああ、じゃあやっぱり死んでしまったのではないですか。
「驚かないのだな」
まあ分かっていた事ですし。
それよりお尋ねしたい事があるのですが、よろしいでしょうか?
「構わん、何だ?」
あの、ターニャは、みんなは無事なのでしょうか。
「ああ、その事か。問題無い。お主が気に掛けていた者達は全て無事だ」
ああ、良かった。
これで心置きなくお別れ出来ますね。
「もう未練は無いと?」
無い訳では無いですけど、自分で選んだ事ですし仕方ありません。
それよりわたしの意義を果たせた事の方が大きいです。
「そうか。それほどに思える相手が出来たか」
ああ、そう言えばお礼がまだでした。
みんなに会えたのは神様のお陰なのです。
本当にありがとうございました。
「その信仰心、確かに受け取った。お主ならば涅槃に至る事も出来るだろう」
あはは、ありがとうございます。
それではよろしくお願いします。
「…………」
どうか、されましたか?
「いや、こうも上手く行ってしまうと、多少欲が出てくるな」
?……何の話でしょうか。
「折角なのだ。もう少し信仰心を高めておきたいものだ」
えーと、つまりわたしは何をすれば良いのでしょうか?
「簡単な話だ。お主は今まで通り、創造主に対する感謝を感じておれば良い」
はあ、それはもちろんですが……。
「ならば話は早い。幸いお主もまだ完全に死んだ訳では無いしな。これぐらいならどうとでもなる」
っ!?
それって、もしかして!?
「傷は全て治してやる。ああ、折角だ。ついでにその髪も元に戻しておいてやろう」
もう一度みんなに、ターニャに会えるのですか!?
あ、ありがとうございます!
本当にありがとうございます!!
「良いぞ、その調子だ。どうせならば周囲の者にもその信仰心を広めるのだ。特にあの背教者には徹底的にな」
は、はい!
誰の事か良く分かりませんが、わたしの周りにももっと神様に感謝するように言えば良いのですよね?
それなら、お任せ下さい!
「良し。では行って来い」
そうしてわたしの意識は急速に引っ張られて、消えていきました。
客人だと言う副官の連絡を受け、ティナ・アルベルトことターニャ・デグレチャフは渋々そちらに向かう。
本物のティナがターニャとして戦死した後、ゼートゥーア閣下から自分がこれからティナ・アルベルトとなる事を聞かされた。
初めは何をふざけた事をと思ったが、これがティナの望みだと聞いては切り捨てられなかった。
それでも最初は簡単に受け入れられる話では無かったし、何故彼女を見殺しにしたのだと部下に詰め寄ったりもした。
しかしティナが本当に死ぬのだと知っていた者は一人もいなかったのだ。
計画ではターニャの身代わりとなったティナは、ある程度の所で二○三に撃墜されたように見せ掛けて密かに回収されるはずだったらしい。
しかし途中からティナは予定外の行動を取り始め、不審に思ったヴァイスらが気付いた時には既に敵に撃墜されていたのだと言う。
もしかしたら最初から死ぬつもりだったのかも知れない。
しかし真実を確かめる方法は既に無い。
ティナはもう戻っては来ないだろう。
ヴァイスらが捜索した時には死体の確認は出来なかったそうだが、彼女が持っていったはずの九五式と、それに通された彼女の首飾りは見つかったのだ。
彼女の形見として受け取ったターニャ自身の目で確認したのだから間違いは無い。
彼女が生きた証はもうここにしか無いのだ。
それならばこれからはわたしが彼女の代わりに生きていこうと、そうターニャは決めたのだった。
確かにライヒは敗れたが、しかし今はまだ国家としての体を成している以上見限るほどでも無い。
ティナが守った国なのだからなどとは言うつもりは無いが、それでもターニャは何となくまだこの国を捨てる気にはならなかった。
一応実益面でも不利な点は無い。
階級はターニャであった時の軍歴などを考慮して、大佐へと昇進。
加えて参謀将校の代わりとして新たに幕僚監部に席を用意されていると言う。
ここまで至れり尽くせりでは何かあるのではとターニャは勘ぐったが、どうやらこれも全てティナからの頼みらしい。
それでも普通は通るはずが無いようなものだが、祖国の為にその命を費やした彼女が残した願いだと、ゼートゥーア閣下が無理やり押し通したらしい。
閣下とティナには頭の下がる思いだ。
ならばわたしも自身に出来る事をやらねばならないだろう。
彼女の願いはわたし達大隊の皆が平穏無事に暮らせる事だと聞いた。
戦争は終わったし、わたしとしても念願の後方勤務となった。
これからは平和な世の中で、国家の為組織の為に邁進していこう。
そう思って仕事に励んでいたし、その分の評価もされている。
忙しいながらも満足な日々を送っていたのだが、しかし今日はそれを途中で邪魔されてしまった。
それにしても先ほどの副官の様子は気になる。
相変わらずターニャの副官を務めるセレブリャコーフ中尉は、ターニャの性格を熟知しているはずだし、あんな態度を取るとは思えなかった。
それにかなり興奮していた様子だった事も気に掛かる。
まさかそれほど逼迫した状況なのだろうか。
しかしターニャにはそれほどの面倒事には心当たりが無い。
とは言えあれこれ思考している内に、客人を待たせている部屋に着いてしまった。
やれやれ、仕方無い。
何事かは分からないが、多少の面倒事は覚悟しておこう。
そう決意して扉を開く。
「お待たせしました。ティナ・アルベルト大佐です」
「ふふ、お久しぶりですね」
ひどく懐かしい声を聞いた気がする。
部屋の中で副官と話していたらしい少女が、その黒髪を揺らして振り返る。
穏やかに微笑んだ顔は良く見慣れたもので。
その特徴的な琥珀色の瞳がわたしを捉えた。
「お、前、は……」
「あはは、死に損なってしまいました」
そうはにかむ少女。
隣に立つ副官はめったに無いくらいの満面の笑顔で、でもそれと同じくらいに涙を零していた。
ああ、本当に……!
思わず駆け寄る。
そうして“ティナからターニャに抱きついた”のだった。
「わわっ!?あ、あはは。これではいつもとは逆ですね」
「うるさい……」
いくつも聞きたい事はある。
沢山言いたい事もある。
でも取り敢えずは。
「おかえり、ティナ」
「はい!ただいま、ターニャ」
親友の帰還を喜ぼう。