第一話 チチの選択
未来から来たというトランクスからその手紙が渡されたのは悟空が心臓病の薬を飲んで落ち着いてからだった。
薬を飲んだことで苦しそうだった息が落ち着いたものに変わっても未だ目覚めない悟空。人造人間に命を狙われていることを考えれば何時までも自宅に留まるのは危険だったので、ホイホイカプセルの飛行船で悟空を亀仙人が暮らすカメハウスに移すことになった。
その時にチチはトランクスから手紙を渡された。
『これは?』
古ぼけた手紙を渡されたチチは困惑してトランクスに問いかけた。
『末来のチチさんから預かってきました』
トランクスは預かったものの渡していいかと悩んでいる様子であったがチチはそれほど深く考えることはなく手紙を受け取った。
チチとトランクスの関係はそこまで深くはない。それ以前まで話をしたことはなく、顔を合わせたのだって初めてだ。
未来の自分からの手紙に興味は惹かれたが、薬を飲んで安静にしている悟空の命を狙う人造人間から身を隠すために移動しなければならなかったので直ぐに読むことはせず、荷物の中に入れっ放しにしてそのまま忘れてしまっていた。
手紙の存在を思い出したのは、金髪になって不良になった悟空と悟飯に連れられて自宅に帰り、二人がチチが作った大量の昼ご飯を食べると大きな気を感じたとかで天界に向かったことで手が空き、一人で荷物を整理していた時だった。
『自分に手紙を書くのも変な気分ですが』
と、手紙の冒頭に綴られた言葉に読んでいるチチも同様の気分だった。
悟空が心臓病で死ななかったことで完全に異なってしまった時間軸の自分からの手紙など誰が予想出来るものか、そしてその内容もまた。
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新ナメック星から新しい神として連れて来たデンデによって復活したドラゴンボール。地球に来たばかりのデンデの為に天界に悟飯を残して、悟空はドラゴンボールを集めた。
セルゲーム前夜、ドラゴンボールを集め終えた悟空はチチと夫婦水入らずの夕食を終えて床につこうとしていた。
「オラ、腹一杯だ。やっぱチチの飯は最高だ」
チチは化粧台で髪を梳かしながら、普通の人の十倍以上を食べて一杯になった腹を擦りながらベットに横になった悟空を見て自分の思いを告げるべきかどうか悩む。
「悟空さ、あんなに食べて体は大丈夫なんか? ブロリーとかいう強いサイヤ人と戦ったばかりなのに」
「大丈夫だって、チチ。仙豆のお蔭で傷は治ったぞ」
ほら、と半身だけ起き上がって肩を回しながら笑う悟空に激戦を越えたことによる異常は見受けられない。
「でも、悟飯ちゃんは夜中に飛び起きてたべ」
「そんだけブロリーは強かったからな」
チチが不安げに訴えると、少しだけ悟空は態度を改めて腕を組んだ。
「強い敵は今までも一杯いたでねぇか」
「そういうレベルの話じゃねぇんだ。ピッコロやベジータ、フリーザも強かったけど、ブロリーの強さはなんつうか次元が違うって感じだった。超サイヤ人がオラも含めて四人もいたのに一方的にやられるなんて今までじゃありえねぇぐらいだ。強すぎて、オラだって少しは手加減しろって言ったぐらいだからな。悟飯が夢に見ちまうのも無理はないさ」
「強いってセルよりもか?」
「…………どうだろうな」
腕を組んでいる悟空がブロリーの強さを思い出したのか、体をブルリと震わせた。
「完全体のセルと直接戦ったわけじゃねぇからハッキリとしたところまでは分からねぇけど、ブロリーはみんなのパワーを分けて貰わなきゃ勝てなかっただろうな」
恐怖というわけではなさそうだが、強敵との戦いを楽しむ悟空にしては珍しい仕草だった。
「なんかオラを執拗に狙ってきて、人の名前を連呼してくるから気持ち悪いったらありゃしねぇ」
滅多に人を嫌うことのない悟空にしては本当に珍しい態度である。
「そんなに強いなら地球に連れて来てセルと闘わせたら良かったでぇねか」
「無理無理、絶対に無理だって」
五体を投げだして枕に頭を沈めた悟空が眉を顰める。
「瞬間移動で連れて来る隙なんてねぇし、ブロリーは戦っている間にも気がドンドン強くなってた。あれ以上、強くなられたらみんなにパワーを分けて貰っても勝てねぇぞ」
「セルと闘わせて弱ったところに二人を一緒に倒す、とかは出来ないんか?」
「上手く戦ってくれればいいけど、下手すれば二人でオラ達を襲いかねねぇぞ」
チチとしては良い案だと思ったが、悟空的にはそう都合良い展開になるとは思えないらしい。
確かに仲間たちの協力もあってなんとか倒せた敵が、別の敵と協力して向かって来るなんて考えるだけでも恐ろしいだろう。悟空の話を聞くに、ブロリーというのは悟空を付け狙ったようなので上手くことが運ぶのは難しいかもしれない。
「ブロリーのことは忘れて明日のセルゲームに集中しねぇとな」
ブロリーの存在は悟空の中で半ばトラウマ化しているようで、話題を変えるようにセルゲームのことを口にする。
「セルがブロリーより弱いなら、ブロリーを倒した悟空さならセルにも勝てるんでねぇか」
チチの純粋な疑問に悟空は頭の下で腕を組みながら天井を見上げる。
「そう単純な話じゃねぇよ。ブロリーに勝てたって言っても、みんながパワーをくれたお蔭で一瞬だけ上回ったからだ。オラだけの力で勝ったわけじゃない」
悟空が不満げなのは自分一人の力で勝ちたかったからだろう。ベジータと闘った後に悟空が言ったようにサイヤ人の悪い性のようなものである。
「第一、悟飯達はともかく、ベジータは絶対にパワーをくれねぇだろうな」
苦笑を浮かべる悟空に、チチもベジータとはそれほど面識があるわけではないが、態度の端々からプライドの高さが滲み出ていたのでその場面が明確に思い浮べられる。
「なら、セルの方が強いって分かっているのに悟空さの落ち着きはなんだべ。セルの弱点に気が付いただか?」
実力で負けていると分かっているにも関わらず、悟空には焦って鍛えようとしている仕草は全くない。となれば、実力で劣っていると分かっていても勝つ自信があるということ。チチが考えられるのはセルには弱点があるのではないかと疑っていた。
「いやぁ、弱点なんてあんのかな、アイツ」
横向きになって肘を立てて肘枕をしながら心底不思議そうに口にする悟空にチチの方が理解できない。
チチは髪を梳かし終わったので道具を片付ける。
「自分よりセルの方が強いって分かってて、弱点もないならどうやって勝つだ?」
「心配すんなって。なんとかなるさ、多分」
「多分じゃ、困るだよ」
道具を片付け終えたチチは移動してベットの端に腰かけて、枕元の悟空の顔を真っ直ぐに見る。
「やっぱりおかしいだ。何時もの悟空さなら勝てないって分かってるなら修行して強くなろうとするのに」
真っ直ぐに見つめられた悟空は、目を逸らすと肘枕をしてない方の手で頬を掻く。
「精神と時の部屋で限界までやったんだ。一気にこれ以上、やったって意味はねぇ。あそこの中は相当、体にきつい。なにもしてなくてもだ。十分に休めてやった方が良い。ブロリーの所為で崩れちまったが、三日休んで三日特訓、そんでもってまた三日休んで武道大会に臨むつもりだったんだ」
「良く動き、よく学び、よく遊び、よく食べて、よく休む…………亀仙流のモットーだな」
悟空を育てた孫悟飯は武天老師と呼ばれた亀仙人の一番弟子で、悟空自身も亀仙人に師事していた。
現在の人格形成や武道家としての考え方は亀仙人の教えの部分が大きい。慣れているのもあるが、亀仙人への尊敬と感謝を抱いているからこそ悟空も亀仙流の胴着を身に着けて続けている。
「これ以上は体を無理に鍛えても、ただ辛いだけだ。そんなのは修行じゃねぇ」
「勝てないって分かっているのに?」
「勝つさ」
一息で体を起こしてチチの横に座った悟空の顔は、根拠のない自信という割には開き直っているようには見えない。ただ、チチにはなんとなくその理由が分かったような気がした。
「…………もしかして、悟飯ちゃんを闘わせようとしてるんでねぇか」
「え、え……と」
チチが悟飯を溺愛しているのは悟空は良く知っているので言葉を濁す。
人造人間達の脅威に対抗する為に一時的に鍛えるのを認めたが、チチは本来、悟飯を戦わせるどころから勉強させたいと思っている教育ママである。悟空ですら及ばないセルと戦わせようとしていると知ったら怒るだろうと考えた為である。
「怒ってるわけじゃねぇだ」
しかし、悟空の予想の反して言ったようにチチは怒っているわけではない。
「うんと強くしてやってけれって頼んだのはオラだ。その精神と時の部屋だったか? から戻って来た悟飯ちゃんが物凄く強くなっているのは分かるだよ」
現段階の悟飯がどれだけの強さに至ったかは元武道家とはいえ、悟飯を生んでからは実戦から遠ざかっているチチの理解出来る範囲を遥かに超えている。
超サイヤ人がどう見ても不良にしか見えなかったのは別として、格段に強くなったことだけはチチにもなんとなく分かった。
「悟空さの余裕は悟飯ちゃんに関係してるんじゃないだか?」
「ああ、そうだ……」
チチに見抜かれていることに長い息を漏らした悟空は膝の上に肘を乗せて手を組む。
「精神と時の部屋で深く深く封じ込められ、眠っていた力が開放され始めてる。オラが修行を予定よりも早く修行を切り上げたのは、限界まで鍛え上げたってのもあるが悟飯の体のことを考えてのことでもある」
悟飯はまだ子供である。精神と時の部屋は気温が五十度からマイナス四十度まで変化し、空気は地上の四分の一で、重力は十倍の真っ白な世界。そんな世界はまだ未成熟な悟飯の体には大きな負担となる。
「悟飯ちゃんが悟空さを越えただか」
「今はまだ戦えばオラが勝つ。セルにも勝てねぇだろう。だが、悟飯は昔から怒れば信じられない力を発揮してきた。アイツは多分、怒りで真の力が開放され、セルをも超えるほど一気に恐ろしいまでの強さを見せてくれるはずだ。セルを倒すには、悟飯のその力に期待するかしねぇ」
一度言葉を止めた悟空は前を見たまま続きを口にする。
「オラがもう一度精神と時の部屋に入ってもセルに勝てるほど強くなれるとは思えねぇ。仮に上回れたとしても下手に追い詰め過ぎれば何をするのか分からない」
「そんなこと――」
「ないとも言えないだろ。実際、オラはナメック星でフリーザを追い詰めた時に星を消されかけた。セルがフリーザと同じように宇宙空間でも生きていられるならやりかねねぇ」
どれだけ善戦したとしても、中途半端に追い詰めて手段を選ばず地球を破壊されては意味がない。反撃の隙を与えず倒すためには、セルを遥かに超える力――――つまりは悟空に近い戦闘力の悟飯が怒りで更なる強さに至ることに期待するしかない。
悟空自身の経験と現状を冷静に分析した上での結論に理屈の上ではチチも理解はした。
「悟空さの考えは分かっただ。でも、悟飯ちゃんはそのことを知ってるだか?」
「いや、話してねぇ。第一、怒れって言われても怒れるわけでもねぇだろ」
意識して怒れる人はいるだろうが、悟飯はそういうタイプではない。超サイヤ人の覚醒条件が怒りなので、超サイヤ人に成れる以上はある程度は怒れるが、潜在能力を一気に噴出させるほどの怒りは想像だけでは中々抱けるものではないだろう。
「悟空さ、悟飯ちゃんは悟空さのように戦いが好きなわけではないべ。優しい悟飯ちゃんがそんな怒りを抱くような状況になるとしたら誰かが傷つけられた時…………仮にセルに勝てたとしても心に傷を負わないとどうして言えるだ」
理屈は理解する。だが、チチは欠片も納得できない。
「悟飯ちゃんが今まで戦ってきたのは地球の危機、仲間の為であって、悟空さのように切磋琢磨するライバルもいなければ、戦う楽しさを得られる土壌もないだ。悟空さは勝手が過ぎる。悟飯ちゃんが可哀想だ。きっと怒りを覚える前に悲しくなるべ」
「チチ……」
知らずにチチの目から涙が流れる。
「何も言わずに託しても責任感の強い子だから背負い込もうとするべ。悟飯ちゃんと、ちゃんと話し合ってけれ」
泣くチチに悟空は何も言えない。言えるはずもなかった。
「トランクスのいる未来では心臓病で悟空さが死んで、悟飯ちゃんも家を飛び出して闘い続けて人造人間に殺されているだ。この世界ではそうならないとしても、悟飯ちゃんはまだオラと悟空さが出会った年齢にもなってねぇんだべ」
未来からの自分の手紙で、悟空が心臓病で死ぬことは知らされていたが残った悟飯もまた人造人間に殺されたと記されていた。
悟空の心臓病は治療薬によって完治しており、セルも完全体になっていてこの世界がトランクスのいた世界に至ることは決してないとしても、手紙には夫と息子を失った悲痛な気持ちが記されていた。
地球の命運がかかった、チチが口に出せるような領域の話ではなくても、母が息子のことを案じなければ誰が心配してくれるというのか。
「どれだけ強くなっても、あの子はまだ子供なんだ。せめて大人になるまでは悟空さが守ってやってけれ」
チチは未来からの手紙を読むべきではなかった。
迷いに迷ってセルゲームの前夜に悟空とそんな話をしなければ、あんな結末になることもなかったのだから。
未来において『絶望への反抗!!残された超戦士・悟飯とトランクス』でチチの生存は牛魔王と共に確認されています。
ブルマの性格から考えて、悟飯が死んだ時にチチになんの連絡も取っていないとは考え難い。
旦那(悟空)だけでなく一人息子(悟飯)を失ったチチを慰める為に、タイムマシンで過去に行って悟空に心臓病の薬を渡すことを話すことは十分にありえると思います。
本作において過去に行く話を聞いた未来チチが過去の自分に手紙を書いてトランクスに託したことから始まっています。
チチはその手紙を読んで悟空も悟飯もいない未来に恐怖を覚えて色々と考える次第です。
悟空の妙な余裕を悟飯やzアニメ版でやってきたクリリンから聞いたことでその理由になんとなく辿り着く、という展開です。
仲間にはその余裕の理由聞かれてもはぐらかしていた悟空も、セルゲーム前夜でチチに問い詰められればその理由を話すでしょう。
チチはその想いを悟空にぶつけた。選択をしたわけであります。
想いをぶつけられた悟空もまた選択することになる………それは次回で。
続きは一時間後に。