クラスの人気者、山内桜良の葬式は、彼女に最も似つかわしくない雨の中行われた。
まるで、神すらもが彼女が想定外に喰い殺されてしまったことを悲しんでいるかのようであった。
当然のことながら僕は彼女の葬式に参列しなかった。
どの面下げて、という表現が一番しっくり来るだろうから。
そして僕は雨音だけが響く薄暗い部屋の中で読み終えた、「ダレン・シャン」の3巻を本棚に戻して、1冊の文庫本を手に取った。
「共病文庫」
女の子らしい丸い字で表紙にそう書かれたそれは、彼女の遺志を宿した最後のものであると言えた。
僕は静かにそのページを捲り始めた。
最初から途中までは僕と出会うまでの彼女の姿、つまり病気以外は普通に女子高生として過ごす彼女の日常が綴られていた。
彼女らしい溌剌とした文体が却って僕の心を罪悪感で鋭く突き刺した。
そしてあの日の記述にとうとうたどり着いた。
『20××年 4月 22日
今日、初めて家族以外の人に病気のことを話した。相手はクラスメイトの志賀君。廊下でうっかり落としちゃったこの共病文庫を読まれちゃって、話すしかなくなった。だけど、クラスメイトが病気で死ぬって話をしてるのに全っ然驚かなかった。これなら内緒にしたままでいてくれそう。彼のことは前から気になってたし、このまま仲良くなれたらいいな。』
そこには僕の名前がそのまま記されていた。彼女は僕のプライバシーなんて考えなかったようだった。
『20××年 4月 23日
図書委員になった。彼は私のことを探るように見てきた。図書委員の仕事については、きちんと教えてくれた。けどやっぱり難しいや、ゆっくり覚えていけばいいかな』
しばらくは平穏な彼女と僕の日常が書き込まれているだけだった。
まるで、読んだことのある本を読んでいるかのようだった。
しかし、覚えている内容と違う日が出てきた。
『20××年 7月 21日
とても悪くて、いい日だった。彼が少しだけ恐かった。だけどその後はいつも通り、少しぶっきらぼうな彼だった。』
きっと、僕の名前が書いていないのは彼女の配慮なのだろう。
彼女は見た目よりもずっと多くのことを考えていたことが、今読んでいる本からも見て取れた。
『20××年 7月24日
入院することになった。2週間くらい。何やら数値がおかしいみたいで、少し、いや、かなり不安。でもまだ皆には隠してて、盲腸ってことにしてる。』
『20××年 7月 27日
一人でいると不安で、気を紛らわせようと思っていたら、志賀君に見られた。ほっとしたけど、志賀君の顔色が悪くて、表情もどこか沈んでいたから軽く聞いてみた。すると、彼は私の隣にいていいのか、なんて悩んでくれてた。嬉しかった。私が無理に付き合わせてるのかなって思ってたから。それを悩ませるタカヒロにまた少し腹が立ったけど、怒っても仕方が無いので忘れることにする。少し偉そうに語ってしまったけど、彼はちょっぴり照れてた。面白かったけどからかうのはやめておいた。』
照れてない。僕は内心で強く否定しながらページをめくった。
『20××年 7月 28日
寿命が半分に縮まった。』
言葉が出なかった。同時に彼女の最期の行動にも少しだけ納得がいってしまった。
『20××年 7月 31日
彼がまた来てくれた。それは嬉しいんだけど、彼の顔色が日に日に悪くなっていくし、痩せていっている気がする。大丈夫だろうか』
『20××年 8月 2日
最近彼がよく来てくれるけれど、どこか危うい感じがして、私のことより不安。』
『20××年 8月 3日
学校の夏季授業に行ってる彼が言うに、私たちに変な噂が立っているらしい。なかなか面白いことになってる。私はいいけどね〜。それと、彼の体調不良の原因がわかった気がした。』
彼女にはお見通しだった、という訳か。自らの滑稽さに僕は笑わずには居られなかった。
彼女が追及しなかったのは隠し通せてる訳ではなくて、気を使っての事だったのか。
『20××年 8月 5日
彼はもう限界のようだった。ここ数日ずっと悩んでいたけれど、覚悟を決めた。
彼に病院を抜け出さないかと誘ってみたけれど、上手くいかなかった。その方が楽だったのに。』
続きはなかった。
僕が綴られるはずだった「続き」を喰べてしまったから。
最後まで、僕と彼女は正反対だった。
共病文庫を本棚に戻そうとして、手が震えて共病文庫を落としてしまった。
拾おうとして僕は驚いた。
2つ折りになった封筒が、表紙とブックカバーの間から顔を覗かせていた。
僕はその中から数枚の便箋を取り出した。
折れ曲がったそれには、共病文庫と全く同じ癖の文字達が並んでいた。
拝啓 志賀春樹様
君の名前に様をつけるのはなんだか変な感じがするけど、この方がかっこいいのでこうしておくね。
君がこれを読んでいる、ということは私は無事君に食べてもらえたんだね。
ひとまず良かった。
本当は共病文庫に残したかったんだけど、それだったらほかの人に見られた時にまずいかなって思ったのでこっちに書くことにしました。
何から書けばいいのか、わからないんだけど、私ね、君の正体を知ってたんだよ。
もちろん最初からじゃなくて、途中からね?
私はそれから君についてたくさんのことを考えた。
一緒に居て迷惑じゃないかな、とか。
それでも私は君と居たいって思ったから、私はこの道を選んだよ。
病室にいっぱい来てくれるようになって、私は本当に嬉しかったよ。
沢山ワガママも言っちゃってごめんね?(笑)
君が、私と違うって気づいてからはなるだけ私と同じ食べ物を食べずに済むようにしてた。
いや〜リンゴ丸ごとひとつはさすがにきつかったよ〜。
って、こうじゃないよね。
そろそろ本題に移らないと。
焼肉屋さんでさ、火葬は嫌だって話したの、覚えてる?
火葬ってさ、何も残らないじゃない?
まるで、私が生きた証さえもが消えてしまうような、そんな気がして。
中学の時に病気のことが分かってから、ずっとそれが怖かった。
それで、寿命が半分になって、いよいよその時が近づいてきた時に、君が居てくれたんだよ。
私が思うのはね?君はきっと人間になりたかったんだよ。
君は感情を押し殺すのが上手だから、自分でこんなことはどうってことないんだって言い聞かせて、何ともないふりをしてこれまで生きてきたんだと思う。
でも君は、私という人間と親しくなりすぎた。
自惚れかな?でもそうじゃないって不思議と確信してる。
私と親しくなって、人間をただの獲物だと捉えられなくなって、君は困惑したけれど、今度はその困惑すら殺そうとしたんだよね。
それで、その事実すらも認めなかった。
君が自分の体調について私みたいに見栄を張った時に何となくわかったよ。
君が人間を食べられなくなったのは、私のせい。
なら、その責任を負うべきなのも、私。
だから、責任感の強い君のために私が私の意思でここに書いておくことにする。
私は、君に膵臓を食べられたい。
あの日、病室でした真実か挑戦覚えてる?
私は君が喰種か確かめようと思ったんだけど、それより大事なことがあったよ。
もう一度ここに書くね。
私が死んだ後、悲しまないこと。思い出してくれるなら、春に桜を見た時だけでいいから。
私はこれで幸せ。
本当はあと数ヶ月で死んでしまうはずの私が、君の中で生きられるから。
だから君は、自分を責めないでね。
最後になったけど。
今までたくさんの幸せをありがとう。君はゆっくりそっちを満喫してからこっちに来てね。それからいろんな話を聞かせてね。
涙が、ひとつ、ふたつ。
流れ出してもう止まらなかった。
違う、違う、君のせいじゃない。
僕がもっと自分を把握しているべきだったんだ。
そう言いたかった。
それなのに、伝える相手はもう居なかった。
人間は簡単に死んでしまうことだって知っていたはずなのに、彼女の死がまるで予兆されていなかったもののようで。
悲しむな、なんて不可能だった。
僕は、僕には、彼女が必要だったのに!
とめどない感情が雄叫びとなって口から盛れた。
何よりも、彼女の最後の数ヶ月間を奪ってしまった罪悪感に押しつぶされそうになった。
その時だった。
私が死んだ後、悲しまないこと。思い出してくれるなら、春に桜を見た時だけでいいから。
彼女の声が、命令が、フラッシュバックした。
挑戦でされた命令は絶対に聞かなければならない。
僕は、どうしようもないほどに草舟で、彼女の遺志にすら立ち向かえなくて、結局流されるだけだった。
名目は、与えられた。
僕が涙を流したあの日から、早くも10年がすぎた。
選択に選択を重ねて、僕の膵臓にきっと棲み付いている彼女に、これでいいのだろうか、なんて不安を吐露しながら生きてきた。
彼女の命令には従えなかった。
彼女のことを春以外でも忘れることは出来なかった。
僕はきっと彼女に出会うために生きてきたのだ。
そしてそれは僕だけではない。
誰もが誰かに出会って花開く時を蕾のまま今か今かと待っている。
これからも僕はたくさん間違えるし、たくさん失敗すると思うけれど、僕はそれも受け入れて生きていこうと思う。
捕食することだって、一人一人に感謝を込めよう。
僕に食べられたい、そう言った変わり者の彼女に誇れる人生を送れるように。
「君の膵臓を喰べたい」はこれにて完結です。
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