最果ての北の海に面した灯台で、夜が明けるのを待っていた僕。
そんな時、仕事仲間の霧崎さんが、この灯台近くに、絶滅したはずのドラゴンが現れると言い出した。
本作は、レイ・ブラッドベリ作のSF小説「霧笛」のパロディ作品です。
最果ての北の海に面した灯台で、僕らは夜が明けるのを待っていた。霧の深い夜には、灯台に炎を灯し、霧笛を鳴らすのが、僕らの仕事である。
それが終わると、地下にある薄暗い休憩室で、朝が来るのを待つことになる。寒く寂しい夜は、まるで永遠のように感じられるものだ。静寂に包まれ、音といえば、霧笛のうなりと波の音だけ。角笛を思わせる、低く重厚な音が、周期的にこだまする。
灯台は、まだこの辺りが貿易でにぎわっていた時代に、周囲を航行する飛空艇のために作られた。この辺りは、寒い時期になると、沖で渦巻く冷たい海流が作り出す深い霧で、航路が閉ざされてしまうからだ。霧笛の音と灯台の光は、空飛ぶ船の道しるべだったが、この灯台も今や、過去の遺物となりつつある。かつての主要経路だった北方航路がすっかり廃れ、南方航路が飛空艇輸送の主力になったのが原因だ。
誰もいない海に向けて、鳴らされ続ける霧笛の音は、どこか悲しげだった。灯台が、かつての日々を忘れられず、自分がまだここにいると、叫び続けているように感じられるからだろうか。
そんな灯台に僕がやってきたのは、軽い暇つぶしみたいなものだ。ここでの仕事は、期間限定のバイトに近い。特にやることもなく、1人で暇を持て余している僕には、ぴったりの仕事だ。機能のほとんどが自動化された今となっては、灯台に人を置いておく理由も見当たらない。完全に無人化されていないのが、不思議なものである。することといえば、巨大な魔導ランプの動作確認をすることくらい。正直なところ、退屈と寒さに耐えることに、一番苦労する。
「ねえ、この灯台の近くで出るって話、知ってる?」
唯一の仕事仲間である、霧崎さんが僕に話しかけてくる。先程まで読んでいた怪しげな論文は、どうしたのやら。霧崎さんは、この灯台の管理者であり、一応研究者、あと、気象観測員らしい。実感は湧かないけど、一応、僕の上司で雇用主でもある。頭は良さそうだが、わざわざこんな仕事をしているあたり、結構な変わり者に違いない。この人の雑談は専門の学術的の話が中心で、かなりマニアックな話題を、僕に一方的に話し続けるという感じだ。
「出るって、幽霊か何かですか?」
「違うよ。そんな非魔法科学的なものじゃないさ、ドラゴンだよ、ドラゴン」
「ドラゴンが……既に絶滅したっていう、あの?」
「そう、絶滅したはずのドラゴンが、ひそかに生き延びていたんだよ」
霧崎さんの言葉に、僕は困惑していた。僕の記憶が正しければ、野生のドラゴンは、とっくの昔に絶滅したはずだ。
「ドラゴンって、ワイバーンの見間違いじゃあないですか」
「そんなことないさ、世界最後のシードラゴンだよ。ワイバーンとは似ても似つかない見た目だし、はるかに大きい」
「シードラゴン……聞いたことないですね」
「つい数百年前まで、海に生息していた巨大なドラゴンさ、世界最後の一匹だよ。私の勘が正しければ、彼女は、今日ここにやってくる」
いつになく真剣な表情の霧崎さんが、少し怖かった。だけど、それほど大きな生き物が、今まで発見されていないというのは、不可解だ。それに、ここにやってくるってどういう意味なんだろう。
「彼女は、冷たい海の底で休眠しているのさ。一年に一度だけ、眠りから覚めて、仲間を探しにこの近海にやってくるんだ」
「そんな奇跡みたいなことがあるはずが……」
「幻獣生物学の世界じゃ、よくあることさ。ユニコーンだって、つい最近、野生の個体が再発見されたんだ」
僕には、その辺りの話はよく分からない。ドラゴンが海の底で休眠するなんて習性、初耳だ。正直、霧崎さんの話は信じられなかった。
「そこの本を取ってきてくれ。彼女について詳しく書かれているんだ」
霧崎さんは、僕に指で合図する。その先にあったテーブルの上には、一冊の生物図鑑が開かれたままに置かれていた。アレを持って来いとのことらしい。「世界絶滅幻獣大全」と題されたその本は、霧崎さん曰く、古本屋で見つけたというもので、30年以上も前に発行されたものだった。
ペガサス、人魚、フェアリー、ヴァンパイア、鳳凰……。
ページの中には、はるか昔に絶滅したはずの種族たちが、生き生きと描かれている。この当時はまだ絶滅していたと思われていたらしい、ユニコーンの姿もあった。そして、生物の絵の下に書かれた図鑑の説明文が、次々と僕の目に飛び込んでくる。
【ワーウルフ(絶滅種) 獣人目 ワーウルフ科 ワーウルフ属】
東ヨーロッパの森林に生息したとされる獣人型の亜人種。肉食性で、家畜や人を襲ったため、駆除の対象となり、生息地の減少も相まって、絶滅した。絶滅時期は曖昧だが、19世紀初頭には完全に絶滅したとみられる。
【セイレーン(絶滅種) トリトン目 マーメイド科 マーメイド属】
地中海に広く分布したとされる人魚の一種。その歌声に聞き惚れた結果、舟の舵を取り損ねて、沈んだ船があったといわれる程、美しい声だったという。海洋汚染や長きに渡る乱獲によって、20世紀初頭に姿を消した。
【グリフォン(絶滅種) グリフォン目 グリフォン科 グリフォン属】
背中に翼を持ち、飛行能力に優れていたとされる幻獣。中央アジアの草原地帯に住んでいたが、生息地の減少などにより、絶滅に追い込まれたと考えられている。絶滅以前の個体に関する記録に乏しく、野生での詳しい生態は不明。現在では、家畜化された近縁種がわずかに生存している。
図鑑を渡すと、霧崎さんはページをめくり、その中のひとつで手を止めた。
「彼女だよ、彼女が毎年、今日みたいな11月の霧の深い日に、海の底からやってくるのさ」
僕の目の前に示されたのは、海から顔を出し、吐息のように霧を吐き出している一匹の巨大な海竜だった。サイズの比較として、横にクジラが並べられており、全長50メートルは超えていそうであった。その下には、こんな説明文が書かれていた。
【シードラゴン(絶滅種) ドラゴン目 ドラゴン科 ブルー・ドラゴン属】
ドラゴン科の中で唯一、海に生息していた種。火山地帯に生息するレッド・ドラゴン、森林で暮すグリーン・ドラゴン、とは離れた系統であり、雪原地帯で暮らすブルー・ドラゴンの近縁種であったと推定される。北太平洋、オホーツク海、ベーリング海に分布したようだが、17世紀中頃から18世紀初頭の間に、乱獲によって、絶滅したと考えられている。発見から絶滅までの期間は、50年程度と短いものであったため、詳しい生態は不明。
「このドラゴンが……? 200年以上前に、絶滅したんでしょ?」
「まだ生き残ってるよ。私、ここで毎年、仲間を探す彼女の声を聴いてるんだもの。ほら、今だって、聞こえてる」
「霧笛の音が反響しているだけじゃないですか」
「違うさ。ほら、良く耳を澄ましてごらん。灯台の霧笛の周期に混じって、彼女の声が聞こえてくるだろ」
霧崎さんは、僕のことをからかっている。そんな風に考えながら、期待せずに耳を研ぎ澄ました、その時だった。かすかに鳴っている、低く、深い、幻想的な声が、僕の耳に飛び込んできた。とても小さな音だったが、一度聞こえてしまえば、頭から離れない不思議な旋律。霧笛に似たそれを聞いた瞬間、なぜだか、ドラゴンの声だと確信できた。今はもういない仲間のドラゴンに対し、自分がここにいると主張し続ける、悲しげな歌声。孤独と絶望に満ちていながら、とても美しい。僕は、その声に聞き惚れて、何も言葉が出なかった。
「君は、私と同じくらい好奇心の強い人間だよね。今年こそは、彼女に会えるかもしれない。一緒に来てくれるかい?」
霧崎さんは、僕に微笑みかけてくる。
「ええ、ホントにドラゴンが生きているとは、思えませんけど。せっかくだから、付き合いますよ」
実をいうと、厄介ごとには巻き込まれたくないという気持ちもあったのだが、僕だって好奇心は強い方だ。何百年もの間、暗い海底で、ひそかに生き延びてきたドラゴンの姿を見たいと思った。
僕らは、灯台のてっぺんにある展望室に上がることにした。そこに行くための階段は、酷く古びていて、一歩を踏み出すたびに、キイキイと鈍い悲鳴を上げていた。
「あの声を聞いたのは、今から7年前のことさ。あれ以来、私は毎年、彼女の声を聞いているよ。それに、霧笛に細工をしたんだ。もしかしたら、今年こそ、彼女が会いに来てくれるかもしれない」
「細工って、いったい何をやらかしたんですか?」
「霧笛の音を変えたのさ。あのドラゴンの呼び声にできるだけ似せるようにね」
霧笛の音が、あのドラゴンの声に似ている気がしたのは、そういう理由だったらしい。
「いいんですか?いつもと霧笛の音が変わったら、この辺りを通る船の船長さんに気づかれません?」
「問題ないさ。今となっちゃ、ここを通る飛空艇なんて見ないからね。霧笛に細工して以来、彼女は年々、この灯台に近づいてくるようになった」
「ところで、霧崎さんはさっきから、このドラゴンのこと彼女って言ってますけど、メスだっていう証拠はあるんですか?」
「私の勘。そんな気がするの」
何の根拠も無い霧崎さんの推論なんて、どうでも良かった。はるか昔に絶滅したはずのドラゴンが、僕らのそばにいる。その興奮で、頭が真っ白になっていた。
そんな話をしている間に、僕らは展望室にやってきた。展望室は、ガラス張りになっている。霧の無い日なら、灯台の炎に照らし出された、暗い夜の海が広がっているだろう。深い霧の中を灯台から射す光が進んでいる。視界はぼんやりしており、世界に薄っすらと幕がかかったようだった。
「会いたい、あなたに会いたい」、そんな風に呼びかけているかのようなドラゴンのかすかな声。「私も、あなたに会いたかった。ずっと、あなたを待っていたの」、霧笛の低い大きな音がそれに答える。
鳴り続ける霧笛に呼応する度に、ドラゴンの歌声は、大きくなっていく。
暗い海の底から、巨大な海竜が、徐々に上がってきているのだろう。時間が経つにつれ、ドラゴンの声に、わずかに喜びと希望が混じってきているような気がした。
「しっ、静かに。彼女がやってくるわ」
霧崎さんの言葉に、僕は霧の中へと目を向ける。
「まさか……あいつが……」
「私も、彼女の姿をこんなにはっきりと確認するのは、始めてだよ。全く君は、本当に運がいい」
ぼんやりとした霧の中で、大きな影が動いている。とてつもなく巨大な何かが、うごめいているのだ。
悲しげな声が、大きくはっきりと聞こえてくる。地球最後の海竜が上げる哀しみの咆哮。孤独に耐えられず、出会うことがないと分かっていながら、仲間を探さずにはいられないのだろう。
影は徐々に大きくなっていく。灯台に向かって、確かに何かが泳いできているのだ。絶滅したはずのドラゴンが、この北の海に確かに存在している。僕は、そう確信した。
「霧崎さん、ドラゴンの姿を写真に収めたり、鳴き声を録音すれば、世紀の大発見ですよね。やっぱり、これを世間に公表するつもりなんですか?」
「そんなこと、しないよ。これは、私と君だけの秘密にするのさ。ドラゴンが実は生きている。それを知っているのは、私たちだけ。素敵だと思わないかい」
「奇遇ですね、僕もそうしたいと思ってました」
人類の中で、僕らだけが知っている秘密。子供じみているとは思いながらも、素敵だという霧崎さんの意見に共感した。
「ところで、霧崎さん、どうしてシードラゴン程の巨大な幻獣が最後の一匹になるまで、乱獲されてしまったんですか?」
僕には、純粋な疑問であった。いくら文明の力をもってしても、これほどの強大なドラゴンを狩ることは、難しいだろう。
「シードラゴンは、北の海の海藻を主食にしているおとなしいドラゴンだったんだ。それに人間に対する警戒心も薄かった。攻撃されても、ほとんど反撃せず、されるがままだったそうだ。だから、簡単に狩れるドラゴンだということで、発見と同時に、生息地にハンターが押しよせんだよ。当時、竜の角や皮は、高く売れたからね。でも、ここまで数が減った一番の理由は、彼女たちが心優しい性格だったせいだよ」
霧崎さんは、悲しげにそう言った。
「それはどういうことですか?」
「彼女たちには、仲間が殺されると、それを助けようと集まってくる習性があった。一匹のシードラゴンが狩られると、連鎖的に20匹近くが犠牲になることも珍しくなかったと当時の記録に書かれていたよ。彼女たちは、人間の悪意と戦うには、あまりにも優しすぎたんだ」
いつの間にか、影は僕らの視界の大部分を占めるほど巨大になっていた。
霧をかき分けて、巨大な怪物が近づいてくる。僕の心臓は、激しく脈打ち、今にも飛び出しそうだった。一方の霧崎さんは、冷静な様子だった。きっと、あのドラゴンに会うために、ずっと準備をしてきたのだ。心の中では、僕以上に、興奮していたに違いない。
周囲の霧が、どんどん深くなっていっていく。ドラゴンの吐息が、霧となって、僕らを取り囲んでいるのだろう。さっきよりも、部屋の温度が下がった気がする。竜が吐き出す冷たい太古の空気が、僕らの周りを冷やしている。そんな風に思えた。
緊張感は、最高潮に達していた。このドラゴンは、おとなしい性格だということだが、それでも万が一、灯台に攻撃してきたら、かなり危険だろう。もっとも、巻き込まれたような形ではあるが、ここまで来ては霧崎さんと運命を共にしても良いと思えた。
ドラゴンの姿を間近で見られる、それができれば、もう死んでもいい。僕は、そんな風にさえ思っていた。霧崎さんも、同じなのだろう。そんなことを考えていた時だった。
突然、まるで雷が落ちたような轟音が響いた。ドラゴンは、霧笛の音が、仲間の鳴き声ではない事を悟ったらしい。その状況に困惑し、大きな咆哮を上げたのだ。
連続して、甲高い大きな声。今までの低く深い声とは違う、泣き叫ぶかのような声だった。
同時に、影に異変が起きる。急に、左右に揺れ動き、少しずつ小さくなっていくのだ。巨大な影は、徐々に薄くなっていき、やがて霧と完全に一体化して見えなくなった。自分の追っていた声の主が仲間ではないと知り、失望したのだろう。そして、再び海の底へ帰っていったのだ。
僕たちは何も言葉を発さなかった。霧崎さんには、こうなってしまうことが、ずっと前から分かっていたのではないか。僕には、そんな気がした。
ふと、あのドラゴンが味わっていたであろう、絶望の深さが頭によぎった。彼女は、何百年も孤独に耐えながら、仲間に会えるのを、ひたすら待ち続けていた。それが叶わない願いだと知りながら、冷たく暗い海の底で、ずっと。
僕たちは、そんな彼女に偽りの希望を与え、弄んだのだ。僕の心に急に、罪悪感が湧き上がってきた。そして、僕は、それを尋ねるべきではないと知りつつも、耐えられずに霧崎さんに聞いてしまった。
「霧崎さん、あなたはどうして、こんなに残酷なことをしたんですか? 彼女が仲間と出会える日は、永遠にやってこない。なのに、なんでわざわざ希望を持たせるようなことを……」
「残酷……確かにそうかもね。でも、私は、彼女にたとえ偽りのものでも、希望をあげたかったのかもしれない。それに、私はあの夜に彼女の鳴き声を聞いて以来、会いたいという欲望を抑えられなかった。だって、あんなに綺麗な声で『会いたい、あなたに会いたい』って、歌っていたんだもの……」
それっきり、霧崎さんは何も言わなかった。僕も、返す言葉が無かった。僕と霧崎さんの心も、世界最後のドラゴンと同じように暗い海の底に沈んでしまったような気がした。
深い霧に包まれた11月の海に、灯台が鳴らす悲しげな霧笛の音だけが響いていた。それは、この地球上で孤独を抱えて生きている、全ての生き物に向けられているかのようだった。