「――ブッコロス」
「…………」
昼休みにレキさんとの会話を終え、次は小夜鳴先生に接触するために偶然を装って廊下で話しかけようとしたところで、殺意に満ち溢れた独り言をつぶやかれてしまった。すでに深い傷を負った心に塩を塗られた気分だ。
一瞬オレに向かって言われたのかと思った、変な発音だったけど。その発言にちょっと引いてると、窓の外を見ていた彼がこちらに気付いた。
「……おや、黒野君。どうかしましたか?」
「いえ。その腕どうしたのかな、と思いまして。大丈夫なんですか?」
昨日の工場跡にはあれ以上の痕跡は見つからなかった。だとすれば手がかりは小夜鳴先生を追うことで見つけるしかない。
「ああ、これは昨日のオオカミ騒ぎの時にケガしましてね。この状態で講義に出るわけにもいかないので、お休みをもらおうと思って届け出をしたところなんですよ」
そう言ってギブスを付けた腕を見せてくる。無害そうな笑顔と柔らかい口調で話す姿を見ると、裏があるような人に見えない。
「それは災難でしたね。オオカミについては周知メールで見ましたけど、とても大きなヤツだったそうで。ケガしたのは腕だけなんですか?」
「いやー、不幸中の幸いと言うやつです。すぐに逃げてくれたので、運が良かったんだと思いますよ」
「ははっ。良かったとは言えませんけど、命に関わる事態にならなかったのは幸いですね」
小夜鳴先生は武偵高の先生とは言え、救護科の非常勤講師なので戦闘訓練は受けていない一般人のはずだ。あまり関わりの無いオレの名前を知っているのはまだいいが、そんな人があのオオオカミに襲われてこの程度で済むのか?……ブラドが使用している館の管理人である以上、ヤツと関わりが無いとは考えられない。
彼が襲われた以上はその関わりも無視できない。これがこちらの油断を誘うための自作自演のケガなら良いが、もしあのオオカミが小夜鳴先生の意図しないところで行動し、彼を襲った場合……ブラドに脅迫されて従わされている可能性もあるだろう。
「ええ、本当に。……ああ、すみませんねぇ。これから用事があるので……」
「いえ、こちらこそ引き止めてしまって。それでは、お大事になさって下さい」
彼はこれから『紅鳴館』に向かうはずだ。彼が管理している、ブラドの別荘。そこにヤツが戻ってくるかはわからないが、手掛かりがあるとすればその場所だ。
直接話しただけでは裏が無いように見えるのだが……何故か話していると不安になる人だ。変装している人間とはまた違った気持ち悪さを感じる。
次は化け物退治チームとの情報交換だ。以前から紅鳴館に潜入するための下準備をしていたはずだが、今どうなっているのか。ハウスキーパーを2名を臨時で採用するらしく、それに紛れて潜入する計画らしいことまでは聞いている。
午後から強襲科棟の授業と合わせて、アリアさんと会うことになっていた。
「――なるほど、潜入はアリアさんとキンジで行くんだな」
「そうよ。……あ、あんな衣装着るなんて……嫌だけど」
顔を真っ赤にしているがどんな衣装だろう。ハウスキーパーなわけだからある程度は想像できるが。
館や教務科へはすでに根回し済みであり、キンジとアリアさんが臨時のハウスキーパーとして採用されているらしい。いつも働いている人が休暇を取るための臨時採用なので、館内には小夜鳴先生のみとなる。
「次は小夜鳴先生についてだけど、現場にいたんだよね?不自然なところは無かった?」
「不自然な点どころか、あいつケガしてないわよ。あたしも手当したから間違いない。気付かないフリしておいたけどね」
「……そうなの?」
自作自演の負傷どころかケガすらしてなかったか。……黒だな。
「完全にブラドと協力してるわ。もしかしたら自分でオオカミを操ったのかも」
「確かに、状況的にそれがしっくりくるな」
これはもう拘束するべきだな。ブラドの下僕を操ることができる人間を放置しておくことはできないだろう。そのせいでブラドが動き出すかもしれないが……もう何とかするしかない。
次の動き方を考えているところで、アリアさんが何かを言いにくそうにしていた。
「あんた、理子のこと許してるのよね?」
「……うん、まあそうだね」
アリアさんを前にして言うことでは無い気がするが、どちらかと言ったらそうなる。怒られるかもしれないとも思ったが、どうやら違ったようだ。
「あたしは……許したってわけじゃないけど。……それでも理子が何か背負ってるのは、なんとなくわかった」
「…………」
本人から何かを聞いたのか、多少は2人の関係は軟化しているようだ。壁はあるのだろうが、それでも以前より彼女のことを話すアリアさんにトゲは無い。
「……理子をちゃんと護りなさいよ、ソウジ」
「……どんな状況だろうと護って見せますよ、ご主人様」
予想外の言葉ではあったが、アリアさんも思うところがあるようだ。
自信があるわけじゃない。それでも必ずやり遂げて見せる。そんな決意を新たにしたところで、急に不機嫌そうになったアリアさんは言った。
「話は変わるけど、キンジどこに行ったか知らない?」
「……?知らないけど、どうしたの?」
「いつの間にか消えてたのよ、あいつ。昼休みに、気付いたらいなかったの。電話も通じないし」
キンジが消えた……?電話も通じないとは何かあったのか
「まあ、見かけたら教えるよ」
「まったく、どこに行ったのよあいつ!白雪も実家に帰るって言うし……みんな勝手なんだから」
白雪さんについては聞いてるな。実家でいろいろあったらしく1か月くらい里帰りするそうだ。『星伽』はとても厳しいとは聞いてるし、この数週の間、こちらの穴を埋めるように手伝ってくれたので抜けられても文句は無い。戦力的には痛いかもしれないが仕方ないと言える。だが……なんであいつはいない?
嫌な予感……は別にしないな。何故かすごくどうでもいいことのような気がする。放っておこう。
放課後、最終的な報告をしようと、情報科の一室でジャンヌさんと待ち合わせている。ドアの前まで来ると、すでにいて誰かと話しているようだ。相手は理子さんだな。
「お待たせ。昨日のオオカミ事件、小夜鳴先生の情報と合わせて聞いて来たよ」
「ソウくんお疲れー」
「さっそく聞かせてもらおう」
集めた情報を一通り教え、今後の方針を決める。紅鳴館潜入時、2人が隙を見て小夜鳴先生を拘束。後に館内の捜査をすることになった。こちらから攻勢に出る時が来た、『化け物退治』だ。
ついにこの時が来てしまった。オニのようなほぼ不死身の怪物である『ブラド』。とてもおそろしい力を持っていて、あの理子さんとジャンヌさんが協力しても立ち向かう気すら起こさない強大な敵だ。協力者を集い、入念な準備をしてついにこの時を迎えた。ヤツの協力者である小夜鳴先生を確保する。これ以上先延ばしにするわけにはいかないだろう。そのせいでブラドが動き出すかもしれないが、何とかするしかない。
見たことも無い化け物を足止めする方法は何とか目処が立ったが、それでも安全策とまではいかないだろう。ヤツの魔臓の位置が掴めるまで、最悪はこの身を盾にしてみんなを護ってみせる。恐怖もあるが……覚悟はできた。
「魔臓の位置も思い出せたし……ついに来たね」
「ああ、魔臓の位置も…………え?」
「理子が思い出して良かった。これで準備は万全だ」
魔臓の位置わかったの?そうなんだ…………微妙な気持ちだな。いや、いいけど。自分でも第一目標は交戦前に位置の特定、って思ってた。むしろ綱渡り的な事をしなくて済んだことを喜ぼう。依頼でも位置がわからないまま戦闘が始まったらという話だった。レキさんから無慈悲な言葉を受けながら教えてもらった事だって、今後の自分を見つめ直すには良い刺激になったじゃないか。オレの苦悩は無駄じゃなかったはずだ。
それより、理子さんが『思い出した』か。それは大丈夫だったんだろうか。おそらく変態に監禁されていた時に見たんだろう。思い出したくも無いことだろうに。
「……理子さんは平気なのか?『ブラド』に立ち向かうのは」
「……平気じゃないよ、今だって怖い」
ブラドの話を振ると、やはり怯えたような目をする。あまり本人に聞くべきじゃないとは思ったのだが、確認しておきたかった。
少しの間震えていたが、決意をしたような目で彼女は言った。
「ブラドは強い。あたしはイ・ウーで決闘したけど手も足もでなかった。アイツには初代リュパンすら勝てなかった……何をやっても敵わない――そう思ってたけど、ジャンヌと一緒に戦おうって決めたんだ」
「我が一族ともブラドは仇敵だ。3代前の双子のジャンヌ・ダルクがその初代アルセーヌ・リュパンと組んで戦い、引き分けている。だからこそ……今度は倒す。再び『リュパン』と共に」
「…………」
120年以上も前から生きているとすれば、その祖先と戦ったのはブラド本人だろう。そこから因縁が続いている……ホームズ家とリュパン家のように。
「……ブラドはホームズ家の末裔に勝って、初代リュパンを超えた事を証明すれば解放するって言った。だからアリアを狙ってたの」
「……そうだったんだ」
「だが私には信じられなかった。ヤツがそんな約束を守るはずが無いと。だからこの計画を理子に提案したのだ。ヤツに勝つ事で祖先を超えた証にしてやろう、と」
それが2人の決意か。恐ろしい相手に立ち向かうことを決めたんだ。
「……無粋な事を言うけど、2人だけで勝とうとはしなかったんだな。現実的で何よりだ」
「当然だろう。事前の準備、周囲の環境の利用から勝負は始まっている」
「ジャンヌは策士だからねー。その辺は容赦しないよ」
おそらく容赦できる相手でも無いだろう。確実な勝利に向けての準備からが勝負って言うのは共感できる。動く前に考える事が大事だからな。
「魔臓の位置はわかったが、お前にはまだ働いてもらうぞ、黒野」
「それはもちろん。理子さんの護衛任務は続いてるし、アリア様にも『理子を護れ』って命令されたしね」
「アリアがデレた?!あたしの前じゃずっと怒ってるのに……ツンデレだぁ!」
いろいろ障害はあるだろう。それでも強大な敵に立ち向かおうとする2人なら、成し遂げられると思う。
計画も整ったしあとは……一応あいつについても聞いておくか。
「そういえば2人とも、キンジがどこに行ったか知らない?」
「……?たぶん探偵科の授業にもキーくん出てなかったかな?」
「私は見てないぞ」
あれ?本当に何やってんだろう。授業に出ずに連絡もつかない。……嫌な予感は全くしない。ジャンヌさんと白雪さん……確か何か繋がりがあったような。……ダメだ、思い出せない。きっとすごくどうでもいいことだろう。忘れよう。
館に潜入する日にちも決まった。あとは行動に移すだけだ。ブラドは強大な敵だろうが、きっと力を合わせれば倒せるだろう。