カヴァス?いやいや俺は   作:悪事

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アーネンエルベの一日
第一話


 平穏な日常というものは時として、人の危機意識を鈍らせるものだという。戦争から懸け離れた国では防犯や危機意識の低下が騒がれる事例が存在している。危機意識というものは、ある程度のシリアスがあってこそ正常に機能するもの。つまり、極端なほどに平穏な空間ではとんでもない異常事態でさえ、あっさりと受け入れられるのではないか?これから語られる物語は、どっかの塔に監禁された魔術師の思いつきによる悪戯の産物である。

 

 

 そこは日本、とある街のとある住所にある普通さを見せつつ異常を内包する喫茶店。そこはノスタルジーを感じさせつつも、古臭さを微塵と見せぬ良好な雰囲気を醸し出していた。カウンターは木製ながらも艶が出るほどに磨き上げられ、数々のテーブルも同様に掃除が行き届いている。窓際のテーブルには燦々と陽光が差し込み、逆に店内奥のテーブルは窓際に比べると明るさは劣るものの落ち着いた光量でランプが灯され穏やかな雰囲気を感じさせる。

 

 街に一つはありそうな穴場的な喫茶店として、この喫茶店は訪れるべき客を穏やかに待っていた。この喫茶店は数多の世界と時間を超克したある種、特異点。特異点といっても人理がやべーとか、世界のピンチなどとは関係のない場所。ギャグ時空ならではの割りとなんでもありな飲食空間。

 

 

 その店の名はアーネンエルベ。ドイツ語の店名ではあるが、イギリス人店長の経営する店。建造に並行世界を行ったり来たりする爺ちゃんの手が加えられた“魔法使いの匣”。普段から穏当な雰囲気のありふれた喫茶店として、この場は異なる世界の客人の来訪を待っている。しかし、この喫茶店は常とは異なるような状態に変化していた。その変化とは大きく分けて二つ。変化といっても極端に異常な変化を遂げてはおらず、言われれば気づく程度の変化でしかない。

 

 まず、一つ目の変化、平時なら日替わりのメニューが書かれているような黒のボードの真ん中にデカデカとペット可とチョークで書いてある。飲食店でありながら、ペット可というのは衛生面でネガティブ要素に成りかねないが掃除が行き届いているのなら動物の鑑賞ができそうというポジティブ要素に転じるやもしれない。二つ目の変化は天井が大きく広がっていることだ。店内も広く拡大され広大な空間になっていた。これならば、2m強の巨人や10トン級トラックでも店内に入りそうだ。もっとも、ありふれた普通の喫茶店にそんな大型の物体を格納(かくのう)するような事態が早々に起こるとは思えないが。

 

 

 まぁ、その変化を気にしないジョージボイスの店長はグラスを拭いていた。彼はどこか黒い愉悦を浮かべた笑みを取り、手入れされた店内を見渡している。どこか黒幕っぽい雰囲気を出しているが、どうやら今日のメニューを考えているらしい。そんないつも通りの店に今日もどこかの世界より訪れた客が現れる。扉のベルが軽やかな音を立て本日最初の客が来店した。

 

「おや、いらっしゃ…………」

 

 扉を開けて現れた客は通常の想定を軽々と飛び越えるような来店者であり、言葉を失って絶句している店長は驚愕のあまり顔面を床に叩きつけるように気絶し退場していった。

 

 

 

 店長が気絶した後、第一の客の次に新たな人物が登場する。扉を開けて来たのは、朴訥な雰囲気をした高校生くらいの青年。中肉中背ながらも服の下は日々の生活の中で効率的に鍛えられたような肉体を秘めている。実のところ、彼は客としてではなくバイト、従業員としてアーネンエルベに訪れた。彼は店内を見て回り、店長の影を探そうとしている。

 

「……すいません、店長。今日、臨時で手伝いに来た静希です。木乃美の紹介で来たのですが……ん?店長が床で寝ている、だと?」

 

 一般的な田舎、と言うには少しばかり外れた山奥の田舎から都会へ下りてきた彼にとって、都会の普通や当然というものが判別しようがない。もしかすると店長が床に寝ていると言うのも、もしかすると都会においては特別ではあるが驚くようなことではないのかもしれないと納得し、どうすればいいのかと途方にくれる。

 

 此処で店長を起こすのが正解なのかと少し悩むも、自分一人では判断しかねると店内据え付けの電話の受話器を取り、このバイトを紹介してきた木乃美へ連絡を取ろうと動く。

 

 

 青年は木乃美の番号を打ち込もうすると、視界の中にとんでもないモノが飛び込んできた。それは店長を気絶にまで追い込んだ存在であり田舎育ちの青年、静希草十郎にとっては異常かどうかも判断できないものだった。彼は象やキリン、ワニなどの生き物さえ知らないのだから、今、視界に映る生物の異常性に気づけないのも無理はない。取り敢えず、木乃美に電話をかけてみるが、どういうことか通じない。

 

 

 仕方がないと草十郎は自分の下宿先である坂の上に建つ屋敷の黒電話へ電話をかけた。都会の細やかなルールに疎い青年は山より下りてから頼りにしている女傑の助力を得ようと試みる。

 

『はい、もしもし?』

 

「あっ、蒼崎かい?ちょうど良かった少し力を貸してはくれないか?」

 

 電話口で蒼崎と呼ばれた女性、坂の上のお屋敷に住まう一人の魔女である蒼崎青子は、この屋敷に同居している草十郎のいつも通りな言い振りに頭を痛めながらどう言うことかを問う。

 

『待った、確か今日って木乃美くんの紹介したバイトだったじゃない。普通の喫茶店なんだから、何でもかんでも私にわざわざ電話しないで店長とか同じ店員に話を聞きなさいよ。学校で困ったことがあったら、多少なりとも融通はするけど学外は貴方が自分の力で解決すべき問題よ。草十郎、社会勉強と思って多少の苦労は飲み込みなさい』

 

 そう言い募ると、むうというぐうの音も出ない反応が電話先から聞こえてくる。とそこで青子は少し変なことに気づく。普段から屋敷の家賃を払うため、いくつかのバイトを並列して行なっている草十郎だが、彼は高い順応性を持つため並大抵の事態はどうにか出来ている。そのためバイトで困ったことがある、という相談はこれが初めての物だったのである。

 

 そんな彼が思わず、電話をしてまで相談するほどの事例。珍しいという印象と同時に木乃美という問題児の紹介したバイト先、善良な田舎育ちが困惑するような何かがあるのかもしれない。少しの当惑の末に詳細を知るべく草十郎の話を聞いたのだが、どうも要領を得ない。何でも店長が床で寝ているとか、店内に大きな狼がいるとか訳がわからん。おそらく、狼というのは草十郎が初めて目にする大型犬種のペットか何かだろう。衛生管理が叫ばれる現代で動物を店内に入れてもOKとは挑戦的な店だと思うが、店長が床で寝ているというのはあまりにもおかしい。

 

『草十郎、あんた道を間違えたんじゃない?そこ、本当に喫茶店?』

 

「失敬な、これでも土地勘はいい方だと自覚している。こんな周囲に特徴が山のようにある街中でなんてどうやっても迷いようがない。蒼崎、俺を子供扱いしていないか?」

 

 それもそうか、周囲が草や木々で囲まれて目印になりそうなものが乏しい山と違い、街には目印になりそうなものが溢れかえっているほどだ。山で生活してきた彼にとっては、よほどのことがない限り迷いようがないだろう。であるなら、場所ではなく店内がおかしいということになる。

 

 せっかくの休日、家で雑誌でも読もうと思っていたが予定を変更せざるを得ない。休み明けに木乃美君には相応のお礼をしなければいけないなと思いながら、草十郎に店の住所を聞いてそちらに行く旨を伝え電話を切る。一度、部屋に戻り、よそ行きの服装に着替えてから玄関に行くともう一人の同居人の姿がそこにはあった。光を吸い込みながらも輝くような黒曜石のごとき黒髪、人形のように美という形を具現するように設計されたとさえ感じてしまいそうになる容姿の少女。彼女は久遠寺邸の主人であり屋敷の魔女の一人、久遠寺有珠は休日は自分と同じように室内で日々を過ごす同居人が外出するという意外なことに目を瞬かせ、ジッと見つめている。

 

 不満を口にしないこそすれ、不満を決して忘れない有珠を除け者にするのはリスキーだと青子は判断し、一応だが通過儀礼的に事情を説明し草十郎がいる喫茶店に行くか聞いてみる。すると意外なことに有珠もついて行くと言い出して二階へ着替えに行った。保守的なことを絶対とする傾向の有珠が取る行動としては驚きのもので草十郎が同居するようになってから徐々に見え始めていた同居人の新たな一面。それを何となしに微笑ましくなり小さく笑って青子は変わりつつある相棒の身支度の仕上がりを大人しく玄関で待つのだった。

 

 

 

 草十郎の説明は街に来て日が浅い割りには分かりやすい説明のため、二人の魔女は特別、迷うことなく喫茶店に到着できた。喫茶店アーネンエルベの前には、給仕服を着て竹箒を手に店前を掃除している草十郎の姿が。こちらに気づいたのか、彼は軽く手を挙げてきている。

 

「やぁ、蒼崎。思ったより早かったね、急かしたつもりはないのだが急ぎ来てくれたなら、ありがたい限りだ。むっ、有珠も来てくれたのかい?それなら、中でお茶でもどうだろう。この店の厨房には紅茶の淹れ方のマニュアルがあるから、俺でも上手く淹れられそうだ」

 

「静希くん、紅茶はそんな一朝一夕で上達するものではないわ。でも、そうね。何か、ご馳走してくれるというのなら、ご相伴に預かるけど」

 

「ちょっと、本来の目的を見失ってない?今は店の問題で手助けが欲しいという事でヘルプを呼んだんでしょうに。とにかく、店内の状況の把握から始めるわよ。まぁ、わざわざ私を呼びつけたんだから、多少のお礼は期待しても良いのよね」

 

 青の魔法使いこと蒼崎のあんまりにもない言い振りに目尻に涙を浮かべ、とほほと肩を落とし草十郎は先に店内へ入っていった。そんな彼に続き青子、有珠も店内に入り近くにあったテーブル席に座る。草十郎はティーパックの紅茶を淹れてくると言い残し厨房へ。

 

「にしても、こんな店があったとはね。まぁ、立地が分かりにくいってとこもあるんだろうけど、ある意味で隠れ家的な良店ってとこかしら」

 

「あまり、こういったお店には足を運ばないんだけど、たまにはこういった落ち着いた雰囲気の場所に来るというのも悪くはないものね。紅茶の銘柄で物珍しいものがあれば、行きつけの店舗にしても良いかもしれないわ。静希君が働くというのならだけど。それにしても、こういう店というのは手狭な印象を持っていたんだけど、とても広々としていて…………こっ……」

 

 有珠の末語で意味不明な単語が溢れる。無意味な会話を好まぬ有珠は時たま、言葉を口にしようとして思い直し一言だけ零してしまうことがある。そういった一言を零した後は冷静さを取り繕い、沈黙するのが普段通りの彼女なのだが、今日は口を押さえながら青子の後ろ側の方を震えながら指差していた。草十郎にしても有珠にしても珍しいこと尽くしだなと思いながら、青子は有珠の指差すモノを見てみようと振り返った。

 

 

 

 

 

「草十郎ぉぉぉぉ!!!!」

 

 厨房の扉がけたたましい音と共に開かれる。あまりに大音量に草十郎は驚くも、それが青子だと見て紅茶を淹れる作業に戻ろうとする。そんな草十郎の肩を掴んで引っ張り、カウンターの方にまで連行する。

 

「いきなり、どうしたんだ蒼崎。呼びつけた身で文句を言える立場ではないのは理解しているが、せめてお茶を淹れてからにしてくれないと」

 

「それどころじゃない!良いから説明、あれ!何なの!?」

 

 そう言って青子の指差した先に座っていたのは広々とした店内を大きく占領する巨大な狼だった。ただ、そのサイズが異常に過ぎる。縮尺が狂っているのではないかと思うほどの巨大さで、店の内部を我が物としていた。全身に灰色の狼毛を纏う狼は薄っすらと騒ぎ立てる青子たちを見て、一つ欠伸を零し再び目を閉じる。どうやら、積極的に暴れまわるような種の怪物ではないのだろうが、魔術世界に身を置く二人の魔女にとってはこの狼の際立った異常なまでの存在感を無視仕切れなかった。

 

「いや、電話口で言わなかったか。店に大きな狼がいるって」

 

 そういや、確かに言っていた。だが、まさか本当に言葉通りの巨大な狼が出るとは思うまい。

 

「言ってた。そういや言ってたわね。草十郎」

 

「静希君、この狼は一体?」

 

「ん、実は俺も分かっていないんだ。今日、店に来たらいきなり店長が倒れてて、見回すと店にこいつが居たというだけで他に特別なことは」

 

「こんな馬鹿でかくて異常な気配を放っている狼がいるだけで十分、特別なことが起きてるでしょうが!ちょっと、草十郎そこになおれ!」

 

 青子は草十郎に更なる説明を求めたがやはり、この少年はこの異常な店に居合わせただけの無関係な一アルバイトだったようだ。これ以上の情報提供がないとなると分かり、紅茶を淹れるよう厨房へ草十郎を解放する。それにしても魔術を使っている自分や蒼崎橙子と遭遇したりと妙な存在とエンカウント率が高いのではないか?

 

 いやそれどころではない。こんな存在が店にいるというのが知れれば神秘の隠匿がどうこうという話ではない。三咲町の管理者である青子たちの管理責任になりかねない。こうなれば、この狼を隠すために結界でも貼ろうかと思うがこの狼の発している魔力などに阻害され上手く起動しない。

 

「どうする?この狼をこのまま放置するっていうのも色々と問題がありそうよ。唯一の救いは、この狼がやたらと暴れまわるようなもんじゃないってとこだけど」

 

「これなら、私もプロイをいくつか持ってくるべきだったわ。今の手持ちは片目のプロイだけ、出先でこんな場面に遭遇するなんて」

 

 二人の魔女が話し込んでいる中に草十郎が紅茶を持って戻ってきた。

 

「そんな騒ぐことでもないのではないか。あの狼も大きさには面食らったが、ああやって大人しくしているというのなら、特に問題はない。店長が起きてくるまでなら、メニューの作り方が厨房に書いてあるし俺が店を回してみるよ。心配いらないぞ、これでも接客のバイトは経験がある」

 

 そう言って胸を張っている草十郎に蹴りをかましたい衝動に駆られる青子。問題は店とか、接客の経験値とかではなくあの狼という存在の隠蔽が上手くいくかという点にあるのだが、この男何もわかっていないと見た。青子は頭を押さえて、決断を下す。

 

「問題はそこじゃないっての!もう、あったま来た。今から私たちも店員やるから、制服を探してきなさい。あんた一人に任せていたら、缶コーヒーの一つも隠しきれないでしょうが。ほら、有珠も行くわよ」

 

「なんで私まで……」

 

「私たちだけで隠し通せるものでもないでしょう。有珠なら、プロイがなくとも簡単な意識をズラす暗示も出来るし、店を回す人員も一人でも多くいた方が色々とやりようもあるでしょう」

 

 本音は自分が苦労している中で一人、同居人が紅茶を飲んでいた時のストレスを危惧してのものだが、神秘の隠匿を持ち出された以上、有珠にも断る選択肢はなかったようだ。テーブルの上のティーパックで淹れた草十郎作の紅茶を飲み切り、彼の持ってきた女性用給仕服を更衣室で着て店に戻る。

 

「ふむ、二人とも凄く似合ってると思う。それと手伝ってくれて助かるよ」

 

「どういたしまして、こんな状況でもなければ多少は喜べたんでしょうけどこう切羽詰まっていると、喜ぶよりもこの状況をどうしようかで頭が回らないわ」

 

「……そう、似合っているかしら。……たまの衣装替えなら、ええ悪くないわね」

 

 事態の収拾に必死な青子を置いて、有珠は素直に草十郎の飾り気の無いセリフに一喜一憂している。なんというか、基本的に人を寄り付かせないため多くは知るよしもない事だが久遠寺有珠という少女は飾り気のない人物を好むメルヘンチックな浪漫主義の魔女なのだった。

 

 気絶した店長をロッカーに詰めて終え、新たに三人の店員がアーネンエルベで働くことになった。もっとも、青子はこの店が隠れ家的な店でそう簡単に客が入ることもないだろうとタカをくくっていたわけだが。

 

 

 

 カラン、と軽いベルの音と共にアーネンエルベへの客が来店する。

 

「どうも〜、マスターひっさしぶり〜。ってあら?新しいバイトさん?」

 

 月光のような金髪、赤く煌めく両眼、街中に現れればそれだけで話題になりそうな美人が草十郎を見つけ、フレンドリーに話しかける。

 

「はい、今日一日だけの日雇いのバイトなんですけど、実は店長が倒れてしまいまして」

 

「えっ、嘘。あの店長が?生半可なことじゃ膝さえ付きそうにない店長が?うーん、まぁこの店ならよくあるような事なんだろうけど。それにしても貴方はともかく、貴女たち二人がバイトって冗談でしょう。現代では絶滅危惧種のお伽の魔女に五番目の魔法使いなんて」

 

 金髪の女性の軽口に二人の魔女は警戒も新たに客へ向けるとは思えないような強い眼差しを送る。

 

「本当に警戒という部分が鈍ったものね、以前ならちょっとした外出でもワンダースナッチを隠し持っていたのに。まさか、プロイ無しで外に出るほど平和呆けしていたなんて……」

 

「そうね、まぁこれからの課題はさて置き、今は目の前の問題の方に注力しましょう。見たところ、一般人というのは無理がある客みたいだし。こっちが魔法使いだって気づいたんなら、それなりの頭はお持ちのようだし。死徒じゃなくて真祖、それもよっぽどの格の持ち主じゃなくて?」

 

 

「あっ、まぁそうね。そっちのことを知っててこっちのことを何も知らせないってのはフェアじゃないし。私、アルクェイド。アルクェイド・ブリュンスタッドで〜す。貴族っていうか、どっちかっていうと朱い月の代行?真祖の姫なんて呼ばれているけど、今は平和に生活してる普通の真祖かな〜」

 

「へぇお姫様なんだ。それは凄い、山から降りて初めてお姫様を見た。木乃美達への自慢話になりそうだ。握手とかしてもらえますか?」

 

「ええ、良いわよ。それで貴方は……」

 

「静希、静希草十郎です。今日限りのバイトですが、今後とも店をご贔屓に」

 

「……って何を普通に話し込んでるのよー!草十郎!」

 

 ぺシーン、手首のスナップを効かせた平手が草十郎の頭をはたいて鈍い彼と真祖の会話を中断させた。もっとも、草十郎に真祖の危険性の何たるかを知らせていないため理不尽ということは理解しつつもどうにも彼の危なっかしいところはツッコまざるを得なかった。

 

 

 

「真祖?朱い月の代行?姫?それにブリュンスタッドとか、何でそんなのが私たちに気付かれず街中に入って喫茶店でお茶をしようとできるのよ!?」

 

 隣で青子に同意する形で有珠も頷く。

 

「えーでも、この店って大体そういう感じじゃない?どこかの異邦人でも吸血鬼でもなんのその。とりあえず、店に入れば丸く収まってしまう感じで」

 

「………………ああ、頭痛い。もう好きにして、とりあえず注文は」

 

 頭を抱えたまま注文を聞く青子、吸血鬼、真祖というワードについて有珠に草十郎が質問し、有珠は当たり障りのない答えで説明をしている。アルクェイドはメニューを手にどれにしようかと考えて、コーヒーだけでも頼もうと顔を上げる。

 

「えーっと、それじゃ……あっ!?」

 

 

 顔を上げた先には、理解不能の存在が其処に居た。灰色の毛並みと生物としての従来の常識を凌駕する強靭にして巨大な四足の獣体。その瞳の奥には死者すら灰と散らせ、生者を焼き払う異界を秘めている。いるべきではない、少なくとも人理の崩壊していないような世界で存在を確立することの出来るようなモノであるはずがない。吸血鬼の真祖、アーキタイプ、地球の究極の一に類する身でも、この狼は敵に回したくない。

 

「ちょっと、何あれ。最近の喫茶店って地獄の淵にでも開店しているの?」

 

「その反応からすると、あんたの持ち込んで来た存在ってわけじゃないみたいね。となると、この狼っぽいナニカは自分で来たの?」

 

「普段のアーネンエルベは物騒なのが集まる場所だったけど、こんな出現して即世界を滅ぼしかねないような怪物の住処になるような場所じゃなかったわよ。え、こんな存在が私の知覚外に居たとか信じられないんだけど。なに、よくこれまで地球滅ばなかったわね」

 

「ま、それは同感。あれ、魔法とか根源とか完全に無視してるでしょ。地球、というか宇宙が何度終わって出来上がれば、あんなのが闊歩するような時代になるんだか」

 

 青の魔法使いと月の姫君は異界の狼に対する同意で何だかんだ親交を深めている。とそんな二人の会話に入る形で平々凡々なのか微妙な草十郎が乱入する。

 

「……二人とも今はそれより大事な話がある」

 

 珍しく真剣な顔で草十郎はアルクェイドの方を向いて見つめてくる。

 

 

「アルクェイドさん、ご注文は?」

 

 蒼崎青子のハイキックが草十郎めがけ飛び、それを山育ち特有の奇跡的な挙動で回避した草十郎とぼんやりと事態の推移を黙して見守る有珠、そしてそんな三者三様に圧倒されるアルクェイド、事態はどのように見積もっても混沌の坩堝にはまり込んでしまっているようだった。

 

 

「わぁ、これ美味しい。有珠、紅茶を淹れるの凄く上手いのねぇ」

 

「ええ、意外なことにこの店、茶葉だけは良いものを揃えてあったようだし。それなりに弁えているような人なら美味しいものを提供できたのでしょう」

 

「ああ、有珠が居てくれて本当に助かる。紅茶の淹れ方はマニュアルがあったが、やはり美味しいものを淹れるというのは容易ならざるものだからな」

 

「それは良いけど、アレ本当にどうするの。今のところ、横になっているけど、下手に動かれたり店の外に出ようものなら大惨事確定。神秘の秘匿どころじゃないわ」

 

 どうも青子以外の面子は、まともに事態を理解していないようでのほほんとした雰囲気を漂わせ、不安になって仕方ない。ダメだ、割りと早くどうにかしないと。

 

 

「美味しい料理を出して見るというのはどうだろう。幸いなことに、この店の料理のマニュアルにはペット用のものがあった。ちょっと厨房に行ってくるから、蒼崎に有珠は此処でアルクェイドさんの話し相手をしてくれると助かる。今はそれほど忙しくもないしね。それじゃあ」

 

「って、草十郎!?アレ、君が思っているような動物とかとは外殻とか内核からして違うんだけど!?あれが喜ぶのって、魂とか人理とか喰らうっぽい……行っちゃった」

 

「心配しすぎるとバカを見るわよ。月のお姫様。あれであいつは“こっち”(魔法使いの夜)の主人公の一人なのよ。そう簡単には死なないわよ、なんせ一度実際に死に目に合ってるんだから。それになんだかんだとあいつって上手くやるのよね。危険を察知して、それを回避したり解除したりするのが」

 

「へぇ、魔法使いからそこまで太鼓判を押されるような人だったなんて。人は見かけによらないものね。もしかして、なんでも殺しちゃうような魔眼を持っていたり、剣からビーム出したりとか出来る人だったの?やっぱり、彼も特別派手な隠し球を……」

 

「いや、別にあいつそういう珍妙な芸はないけど。そんな物騒なものを持って学生やってる奴なんて普通に考えればあり得ないでしょうに。いや、まぁ徒手格闘(ステゴロ)が異常な腕で千年級の幻想種もただの拳打(パンチ)肘打ち(エルボー)でダウンさせられるんだけど」

 

「何それ、怖い。普通の一般人が何の神秘も無しで幻想種を沈めるとか。それどうすれば、今みたいな関係に落ち着いたの?大体、彼との初対面の時はどんな感じだったわけ。まさか、初対面で唐突にお互いの顔目掛けて拳を叩き込み合ったとか?そっちは物騒ね〜」

 

 

 そういって、紅茶に口をつけるアルクェイドを横目で見る有珠。彼女の所感では、真祖の吸血鬼の日常生活はこちらを上回る物騒なものだと思うが、言わずが花ということで口には出さず自分で淹れた紅茶で喉を潤し草十郎が入っていった厨房を見つめている。

 

「どんな不良漫画よ。そんな初対面、世紀末でもなきゃ流行らないっての。大体、物騒だどうだと言えた柄かしら。真祖の吸血鬼が街中、ウロチョロしてるのよ。聖堂協会やら同じ真祖、死徒たちまで物騒なこととの遭遇率は貴女の方が上なんじゃない?」

 

「ん〜言われてみれば。私って志貴と初めて会った時に十七くらいに腑分けられたし。まぁ、それで今の私がいるんだから、あまり気には止めてないけど」

 

「いきなり、ブッ込んで来たわね。しかも特大のを。少なくとも物騒さならそっちが上よ。こっちはエロ無し、バッドエンドも基本無し、ルート分岐とかも無しの洋館で雑居するだけの極めて真っ当な世界観だから。そっちみたいな伝奇活劇で切った張ったがどうこうという血生臭いのはないから」

 

「そうね、基本的に自分で手を汚すような雑事はあまりないし、静希君がベオを退治した時とかくらいじゃないかしら、血生臭いような事が起きたのは」

 

「本当かなぁ〜実は青子たちも物騒な事をしてるんじゃない?」

 

 アルクェイドのセリフに思うところがある青子、有珠は目を逸らし誤魔化す事に。それを見たアルクェイドは草十郎も中々に苦労しているのだなと察し、まぁ自分が口出しするようなことでも無しと紅茶へ手を伸ばす。それにしても背後の狼の存在を見て魔術や怪異への知見に乏しそうな草十郎があっさりと事態を許容している事は内心、驚いている。異常への順応性が高いのか、それとも“異常を異常”と認識できないために順応することしか出来ないのか。

 

 

 まぁ、その辺りは自分が考えても詮無いことか、と考えるのをやめカップを手に取る。基本的にこの場所では喧嘩乱闘は起きにくい事になっている。かといって余計な波風を立てる必要もない。

 

「あれ?大分、楽しそうに話し込んでいたが、もう打ち解けたようだね。やはり、女性同士というのは話し込みやすいのかな」

 

「余計なお世話よ。大体、あんたの素っ頓狂な電話で今、こんな事態になっているんだからね。ちょっとは悪びれるくらいしなさい。というか、あの狼に美味しいものを持ってくるって言って厨房行ってたじゃない。何か、持って来たんでしょうね」

 

「ああ、これお高めのドッグフード。一皿分だけでなんと俺たちの一日ぶんの食費を軽々と超えるお値段だ。いや、都会というのは凄い。動物にここまで贅沢させる余裕があるとは」

 

「いやちょっ!?ドッグフードって!?あんな姿でも中身は誰だろうと対処出来ない怪物よ。草十郎みたいな子が出ていけば、あっという間に丸かじ……」

 

 

 会って間もないアルクェイドが必死で止めようとするが、草十郎はドッグフードの載せた皿を巨狼の前にそっと置いてにこやかな顔をしている。それを引きつった顔で見ているアルクェイド、対し少し呆れ気味の有珠と青子の二人組。灰色の巨狼はその両眼で草十郎を見つめ観察している。

 

 ジッと、巨大な狼とただのありふれた一人の人間が目と目を合わせ対峙する。その時間は長かったか、短かったか。両者、動くことも無く互いの変化と一挙動の全てを観察する。それは達人同士の相対のようでも、はたまた子供同士の見つめ合いのようでもあった。互いの目と目を合わせた対峙の時は巨狼の動きと共に唐突に終わりを告げた。巨狼は草十郎の置いたドッグフードをやむを得まい、と行った仕草をして僅か数秒で完食してしまった。

 

 それを近くより見ていた女性陣は草十郎の行動に驚いていたり、相変わらず妙な幸運を持っているなと感心させられたりとなんだかんだで草十郎の株は上り調子であった。

 

「草十郎って何時もあんな調子で生きてるの?無鉄砲とか無茶をするとかいうレベルじゃないわよ。彼、よく魔術世界と関わって生きていけるわね」

 

「常態、あの調子だからこそ生きてこれたのよ。むしろ、ああいった性格じゃない人間だったら、私の屋敷に住まわせてないわ。普通ならプロイの餌食、かしら?」

 

「まぁ、あの人畜無害さというか、文明慣れしてないせいでどこかズレてるから、魔術世界のことを知って関わろうと、なんだかんだで上手くやっていけるんじゃない?まぁ、もっともなんだかんだっていうところがミソで、少しの油断とかでヒドイ目に遭う恐れがあるんだけど」

 

「さっきまで物騒なこと無し、血生臭いこととは無縁よ〜なんて貴女達言ってなかった?今の話を聞いて、やっぱり草十郎って酷いことに巻き込まれて来たんじゃないの?」

 

 アルクェイドのジト目による質問にも坂の上の魔女たちは涼しい顔で席を立ち、カウンター側や厨房へ戻っていった、草十郎は何やらあの巨狼を一撫でして厨房へ帰還していく。アルクェイドは二人の坂の上の魔女と魔女の同居人が型月の主人公格であることを再確認するのだった。

 

「さすがね、なるほど三人全員が主人公クラスっていうのも頷けるわ。もう少し私も個性を磨かないとダメかな?朱い月のお姫様っていうの地味だし、魔法少女ファンタズムーンで劇場版やんないかしら。そうすれば、私も銀幕ヒロイン。夢の映画スター……」

 

 そんなアルクェイドの夢見がちなセリフの途中で店奥の巨狼が地の底から響くような重低音で一鳴きする。彼女は鳴き声のした方を見ると、そこには存在する世界を間違えた、もしくは存在を確立するのが数千年クラスで早い獣の存在を思い出す。

 

「そういえば、まだこの狼がいるんだった〜!!青子〜有珠〜、草十郎ぉ〜!誰でもいいからこっちに居てぇ〜!食べられちゃう〜〜」

 

 

 




安定の巨狼道場にて

「シフです。とうとう『狼』としか呼ばれないようになってもシフです」

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