カヴァス?いやいや俺は   作:悪事

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第二話

 喫茶アーネンエルベ。異なる世界と場所に交わる一種の特異点。(いわ)く、全てがあり得る奇想天外な土地。そこは万象遍く可能性の交錯する場であり、同時に全てを許容する空間である。このようにお題目を打ち立ててみても、つまるところなんでもありな無礼講の乱痴気騒ぎを許されるというだけの場所こそが喫茶アーネンエルベなのだ。

 

 今日のアーネンエルベは常とは少し店内の雰囲気が変わっていたが、なんとか店は原型を保っている。店の奥に座す灰の巨狼は恐れ知らずの純朴少年、静希草十郎から出されたドッグフードを完食してから動きはない。それを観察、いやこの場合は警戒している金髪赤眼の女性。どちらもやろうと思えば喫茶店どころか惑星規模の破壊をもたらす極大の危険な存在。片や異界より来訪した魂魄を喰らい自己を拡張する究極に数えられる一個体(アルティメットワン)。そして、女性の方も地球という惑星における究極の一に該当し得る原型存在(アーキタイプ)。普通ならば喫茶店でどうこうしているような存在ではないのだろうが、まぁ異例中の異例というやつだろう。

 

 そんな二体の怪物たちがいるフロアの裏側、スタッフのいるべき厨房では青子と有珠たちに草十郎が談笑しながらも、注意を払ってフロアを見ている。もっとも草十郎は店で狼が暴れれば掃除が大変だからという少し気の抜けるような理由なのだが。正直、あの獣が暴れようものなら店どころか周囲がごっそりと削り消えるだろう。それを正確に理解する魔女の二人は獣と吸血鬼の姫君を注視しているが、有珠がどうやら飽き始めてきたこともあって青子は自分がしっかりしなければと腕を組んで事態の推移を見守る。

 

 そんな彼女の緊迫した雰囲気を汲み取れない山育ちの青少年は、にっこりと微笑んで一言。

 

「蒼崎、そんな怖い顔しているのは接客業としては、如何(いかが)なものか。今、有珠が紅茶を淹れてくれたんだ。少し休憩するといい」

 

 事態の重さを何も知らない少年の言葉にこめかみを痙攣させ、青子は無言で草十郎の首に巻かれた首輪の魔術を起動させる。魔術の発動により彼の首輪が所有者の首を絞めにかかった。それは止めてはいけない頸動脈ももちろん、締めつけているので草十郎は十秒としないうちに顔を青くして手をパタパタと振り、“勘弁してくれ”とギブアップ宣言のジェスチャーを行った。

 

 少年の必死の懇願に溜飲を下げた青子は魔術行使を中断、厨房に備えられた席に座り紅茶に口を付けた。自身の相棒が手ずから淹れた紅茶、店にあった高めの紅茶を使っているだけあって流石に美味だと感想を頭に浮かべる。青子の対面に腰掛けている有珠は紅茶や店にあった選りすぐりの高めなお茶菓子を厨房のテーブルに乗せティータイムに勤しんでいる最中。

 

 そんな彼女たちを見て、これはフロア方面のサポートを期待できそうにないと悟った草十郎は新たな注文やお客が来るまでフロアの方で待機していると彼女らに言い含め厨房を出ていった。青子たちは、店にいくつかの探知、探索魔術を仕掛けて店内の様子を厨房から観察する。つまり、魔術による監視カメラもどきということになる。これで何があっても事態の把握は可能ということになる。まぁ、若干慌て気味の吸血鬼のお姫様と草十郎が話し込んでいるのを見ている有珠の機嫌が下降傾向にあるのは困りようではあるが。

 

「それにしても吸血鬼の姫様なんて規格外を相手にしてアイツ、よく笑っていられるものね」

 

「彼、こちらの常識に疎いから。私たちも彼女もちょっと変わったところがあるだけという認識で行動しているのでしょう。……それよりフロア担当が一人だけという喫茶店は不自然じゃない?」

 

「それ、私もフロアに出て接客しろって言ってる?」

 

「遠回しに言ってみたのだけれど、不満?」

 

「草十郎はともかく、なんで私まで向こうで愛想振りまかなきゃいけないのよ!」

 

「私、そういうの(愛想よく接客)は苦手だから。青子なら得意でしょう。生徒会長も務めている経験もあるでしょうし、厨房で店の監視なら私一人で十分よ。それなら余暇のある貴女がフロアで静希君の補佐に回る方が効率的でしょう」

 

 有珠がもっともらしいことを順序立てて話しているが、要するに月のお姫様と草十郎の二人きりの会話が不満だから、私が行って中断させて来いというわけか。それだけ不満なら、自分で草十郎を連れ戻せば良いものを。この回りくどい真似は異性なら可愛らしいと感じるだろうが同性の場合だと七面倒としか感じられない。まぁ、フロアをあの山育ちに任せっきりが怖かったのも事実だしフロアに行く気は元々あったから、特に反対する気は無い。

 

 けど、どうせ私たちがフロアに行けば、今度はこっちが退屈になり自分から出てくるはずだ。それなら、最初から出てくればいいと思いつつ、青子はエプロンを軽く整えて厨房を出る。自分のとこの可愛らしい相棒が拗ねるのも面倒だし、草十郎を連れてこようとすると店奥の方に横になっている狼と目が合った。

 

 背筋に冷たい何かが走る。あれは危険だと魔法使いとしての思考が空転し、人間としての思考が恐怖を訴えてくる。巨狼が前脚を動かした時、咄嗟に腕を翳して魔弾を撃とうとして。

 

「蒼崎、ちょっと待った」

 

 制止を受けた。

 

「此処では物騒なのは無しで行こう」

 

 草十郎の普段通りの語りに腕の力が抜けていく。彼のお陰で冷静になれた、魔術とは何の関わりも無いし持つこともない青年だからこそだろうか。素直に感謝できる可愛げに欠けていることは自覚しているが、此処は直接礼を言うべきか。

 

「草十郎……その、さ。ありがとう」

 

「むっ?ああ、まぁどう致しまして」

 

 いきなり礼を言われ、目を白黒させた草十郎はよく分からないまま礼を受け取り、横になっている巨狼の近くにまで寄って行ってご機嫌を取るように狼の鼻先を撫で始め……

 

「いやいや!その狼がとんでもなくヤバい怪物だって、今の流れで分からんのか!?マズいってば、そいつ身動きすればあんたなんてすぐさまミンチに出来るの!」

 

「そうかな、こうして大人しく横になっているし躾けはきちんとされていると思うが」

 

「こんな怪物相手に躾けとか出来る奴がいれば世界は今頃滅んでるわよ」

 

 そうかなぁ、と首を傾げながら草十郎は巨狼から手を離してカウンターの方へ戻っていく。それを見ていた青子とアルクェイドは頰を引きつらせ、“店で一番肝が座ってるのは草十郎”だと目配せをし合うのだった。すると、厨房から有珠が珍妙なものを抱えてフロアへやってくる。

 

 カウンターという厨房とフロア両方に近い関係もあり、それを最初に目撃したのは草十郎だった。

 

「……有珠。なんだい、それ?」

 

「猫よ」

 

「猫なのか」

 

 気の抜けるような会話にまたぞろ厄介なものでも持ってきたのかと青子がカウンターの方を見ると、そこには有珠に抱えられ脱力しきった猫、いやネコ耳はあるものの猫というには些か奇妙なナマモノ。直立の二頭身で、目がデカく、造形も奇怪なそれは端的に言えば不気味、酷な言い方をするならキモかった。

 

「どーも、猫です。……いにゃ、そうじゃねー!お嬢さん、いきなり無実のキャットをひっ捕らえて晒しもんとか、鬼畜すぎゃ〜しない?というか、アニメでも銀幕でもにゃいから、容易に手駒に出来ると思いきや衝撃的な予想外!会話する暇さえ無いまま打撃をもらったゼ」

 

「有珠、この猫?はどうしてこんな弱っているのかな?」

 

 草十郎の質問に軽く口元に手を当て、ごく自然にお伽の魔女は回答する。

 

「さっき、不意に現れて私を捕まえるなんて、口走るものだから近くにあったニボシ入りの袋で頰を叩いたの。静希君、これどうしましょう?」

 

「……手加減抜きのフルスイングだったにゃ〜。しかも袋詰めニボシ……意外と固い……」

 

「そりゃ、ニボシ入りの袋で叩かれるなんて経験する人、そうそういないだろうね。ところで君は最期の言葉が“袋詰めニボシ、意外と固い”なんてので良いのか?」

 

 有珠から渡されグッタリした猫っぽいナニカをカウンター席に乗せ、草十郎は謎の生命体とのコンタクトを試みる。そんなシュール過ぎる光景に青子とアルクェイドは絶句していた。

 

「うっわ、また出た。あのナマモノ。ほんと、どこでも急に現れるものねぇ。きちんと退治しておかないと、あっという間に増えちゃうわよ。青子……って、どうしたの?」

 

「ーーーあの微妙過ぎるビジュアル、珍奇なスタイル、加えてエセっぽい猫要素、総合的に言えば不気味な未確認生命体だけど……うん、個人的に有り」

 

「しっかりした良い子だと思ったんだけどなー。青子、趣味の方が……」

 

「彼女、そういうところがあるから。静希君の首輪だって、彼女の案で着けられたものですし。ええ、ロックなのよ。全体的に趣味が」

 

 猫もどきを見て、頷く青子と青子の一面を見てリアクションしているアルクェイドと有珠。草十郎はあのナマモノと何のわだかまりも無いまま話しをしている。

 

「蒼崎、すまない。このネコ、アルク?さんが冷やしたいから氷を持ってきてくれと」

 

「っ!し、仕方ないわね。すぐ、持ってくるからジッとしてるように。良い、くれぐれもジッとしているのよ」

 

 そう言い残し、青子は厨房の方に駆けていった。ネコアルクの耳を凝視していたことから、おそらく撫でる気満々らしい。そんな弱り切ったネコアルクはチラリと店奥の方に意識を向ける。すると、そこにいたのは厳つい面相をした巨大な狼の姿が。

 

 

「ンニャーー!!何ですかー!いつから平和な喫茶店が世紀末もビックリな殺伐空間にぃ!」

 

「そんなに怖がることはないと思うが。さっきから大人しく横になっているだけだし、そこまで驚くようなことでもあるのかい?」

 

「ヘーイ、ボーイ?逆にあんな生命体が世界に解き放たれたら、どうなると思ってるん?世界は三日で火の海、というか滅亡だニャー!!絶対に軽いギャグでもガチ対応するヤツじゃにゃーですか。あちし、大抵のことならギャグ補正でどうとでも復活出来るけど、あの狼さんはギャグ補正だろうと魔法だろうと問答無用で貫通してくる攻撃を繰り出すカ・イ・ブ・ツ。相性、悪すぎニャー!!」

 

「怪物具合で言えば、直立不動で人語を使い熟す猫も相当だと思うんだが……」

 

「まぁ、あの巨狼を相手に冗談ふっかけるほど向こう見ずではなかったようね。あー良かった。下手すると店というか惑星もろとも灰にする怪物だもの。というか、何処から来たのかしら?あれ、吸血鬼の真祖とかよりも希少で危険な異界存在のはずなんだけど」

 

「その割には静希君、普通の動物みたいに撫で回してたけど?アルクェイドさん、貴女も試しに撫でるのに挑戦してきたら?」

 

「ブッハ!?有珠、無茶言わないでよ。あれってば、この私でもどうしようもない位階に生息してる獣なのよ。迂闊に近づこうものなら、あっという間に……うっわ、想像したくないんだけど嫌に絶望的な想像しか出来ない」

 

「ん?でも、そう言う割にはアルクェイドさん、店を出ないのだが、どうしてなんだ?」

 

「そりゃ、危険だからでしょ。店を出るとき背を向けたら食べられちゃうかもだし、ほっといて私の預かり知れぬところであの巨狼が世界を滅ぼすために動き始めたらお終い。だったら、危険でもある程度は近距離にいた方がマシってもんよ」

 

「そういうものか、都会の喫茶店というのは世界の危機にさえ対応しているものなんだな」

 

「いや、にゃいから。そんなアポカリプスチックな喫茶店」

 

 冷静なのか天然なのか余人には判断しにくい淡々とした草十郎の呟きを、ギャグ担当だが他にするべき人材がいないためにネコアルクがツッコミを入れる。それを見ている灰の巨狼は、ただ沈黙を守り巨大な壁のごとく店の奥の方で横になったままであった。

 

 

 

 

 

 それに気づいたのは全くの偶然だった。春の麗らかな日差しに当てられてか、フラフラと気の向くまま黒髪の麗人は街中を徘徊する。この年頃の少年少女にとっては目的地を定めてのきっちりとした行動を行う者の方が少数派に属するだろう。そんな年相応の無目的な散歩の末、路地裏へと入り込みその先でとある喫茶店を見つけた。

 

 “喫茶アーネンエルベ”

 

「?へぇ、これまた珍しいところに出店したもんだな。前来た時は色々と騒がしい奴らがいて落ち着くどころじゃなかったが退屈はしなかった。さて、入ってしまえば面倒ごとが起きるだろうが、まぁこんな平和な日に敢えて愉快そうな場所に行くのも面白いさ。……幹也の奴も今日、仕事で相手してくれなさそうだしな。時間潰しにはなるか」

 

 “和服に革ジャン”という不思議なコーディネートの女性は、ベルの付いた扉を押し開いて少なくとも退屈だけはしなさそうなギャグ空間へと来店した。

 

「いらっしゃいませ、お一人様ですか?」

 

「ああ、連れは居ない。……そうだな、落ち着けそうな奥の席とか空いてる?」

 

「むっ、いやすいません。今は奥は使えないんです。テーブル席かカウンター席なら、すぐにご案内できますけど、どうですか?」

 

「ふーん、じゃあテーブルで。どっか空いてるなら日当たりとか気にしなくていいから」

 

「はい、わかりました。あ、ご案内する前に一ついいですか?」

 

「なに?日替わりとかのありがちな宣伝なら聞き流すけど」

 

「いや、そうじゃなくて。当店、物騒なことはなるべく避けるようにしているんです。だから、そちらも腰の帯に差してある短刀は抜かないで貰えれば」

 

 まるで今日のおすすめをマニュアル通りに勧めているかのようにアルバイトの青年は、短刀を携えてやってきた女性、両儀式の仕込みナイフをごく普通に看破した。そのにこやかな態度と話し方からは予想もつかないセリフを聞いた式は目を瞬いて青年の肉体に焦点を当てた。

 

「はは、面白いな、あんた。こっちは気取られないよう意識していたのに、そんな当たり前みたいに見破るなんて。喫茶店の給仕をしているにしては感が良すぎやしないか?それに仕込み武器は女の嗜みだろ、そんな風にあっさり仕込みナイフを見抜いた奴が物騒なことは無しっていうのも説得力に欠けるね」

 

「別にそんなつもりはないんだけど。仕込み武器に関しては雰囲気と帯周りに違和感を覚えただけで、何も驚くようなことではないから気にしないでください。普段なら気づかなかっただろうけど、今日は接客って事でお客に集中してたから分かったようなものですし」

 

「集中された、されなかったで気づかれるほど、やわな隠し方はしてないんだけどな。あんた、相当の使い手だろ。それも接近戦、いや徒手格闘かな。武器はその総身、磨いた技を以って命を絶つってとこ?さすがアーネンエルベ、こんな普通の人間でここまで外れた変り種がいるなんてな」

 

「……随分な言われようだ。あいにくと俺は殺し殺されたなんて面倒ごとは御免被(ごめんこうむ)る。それにいくら不穏な事をいっておいても、君だって分かっているんだろう。……人殺しはいけないことだ」

 

 草十郎の一言は先ほどまでとは違った重さと実感の込められた独白だった。それを聞いた式は、フラれたかと肩を竦める。最初からこの青年は命というものの在り方を理解する人間だったというだけの話。それなら、この実直な青年に花を持たせるため今日一日は物騒な事を抜きにして茶でも飲むことにしようと式は案内された席へ着いた。

 

「なぁ、これも何かの縁って事で名前聞かせてくれよ」

 

「静希、静希草十郎です。そっちの名前も聞き返すのが礼儀なんだろうが、すまない今はバイト中だから長話をしていると蒼崎に叱られる。それじゃあ、お冷やを持ってくるけど注文が決まったなら呼んでください」

 

 蒼崎というワードに引っかかりは感じたものの、草十郎は話し終えるや否やカウンターの奥、厨房へとすぐ移動してしまった。こうして手持ち無沙汰になったところで都合よく、横から聞き覚えのある声がしてくる。

 

「やっほー、式。久しぶりねぇ。調子が崩されたみたいだけど大丈夫?流石の貴女も草十郎の天然無害っぷりに毒気を抜かれてきたってところかしら」

 

 からかうようなアルクェイドの声を聞いて式は隣り合った席にいた吸血鬼を認識した。

 

「ん?ってお前、バカ女。また、かち合ったのかよ。つくづく奇縁だな、オレたち」

 

「そっちの憎まれ口も相変わらずね。というか、いい加減バカ女はやめてほしいと思いまーす。これでも私はできる女なんだから」

 

「出来るって何がだよ。ドジか?それともヘマか?うっかりってのもあるぜ?」

 

「どれも違うから〜まったく、口と性格の悪さは相変わらずの筋金入りね」

 

 口角を上げ、互いに互いを揶揄う軽口での鞘当てを済ませた式は置いてあったメニュー表を眺め、そんな式にアルクェイドは憂鬱そうに話しかける。

 

「式も災難ね、というか面倒なことのある場所に居合わせるのも才能なのかな?」

 

「まぁ、此処じゃ面倒で愉快なことが起こるのは日常茶飯事だろ?にしても言うじゃないか、あんたとやりあえるってんなら、良いぜ。災難もろとも斬り伏せ殺してやるよ。もっとも、物騒なことは無しだって、さっきの給仕の奴が言ってたんで、こっちからは仕掛けないけど」

 

「違う違う、災難って私じゃないって。もっと、ヤバいの」

 

「はぁ?じゃあ何か、さっきの草十郎、お前がそんな警戒するほどの達人なわけ?」

 

「いや、そっちも違うわよ」

 

 そこまで言ったところで、アルクェイドの席の近くでグッタリしている猫型の怪生物を見かけた式は苦々しい顔をする。

 

「またかよ、そのネコっぽいナマモノいい加減出番多すぎやしないか?確かにこいつは面倒の種で災難の元か。そんなとこに置いておかないで、店の外に放り出せばいいのに」

 

「あ〜、こいつも外れ。というか、これならまだ可愛げがあったんだけど……」

 

「ふむ、じゃあ草十郎が言ってた蒼崎の関係者?橙子の知り合い?」

 

「少なくとも人間じゃない」

 

「謎かけじみてきたな。じゃあ、あれだウチのドル箱の王様じゃないの?」

 

「……いや、そうじゃニャくて。あちきですらドン引く災害クラスのトンデモ生物なんです」

 

 そう言ってネコアルクとアルクェイドは式の座った方とは逆の店の奥の方を指差す。確か、草十郎いわく店の奥は今は使えないと言っていたが……

 

 

 絶句した。少なくとも感じ取れる限り、喫茶店にいること自体に違和感を抱く巨大な獣が鎮座していたのである。危険という認識が芽生え途端、腰の帯に差していたナイフを抜く。先ほどの草十郎との約束を忘れたわけではないが、此処に存在を固定化している獣には約束、義理、信念、誇り、全てをなりふり構わず生き残るため全霊を以って挑まねば柘榴(ざくろ)と散る未来が現実のものになる。

 

 獣の肉体に死の線が“存在”しないことを確認し、奴の正体を探るように魔眼が持っている全能力を稼働させる。元より死の概念の可視化など「」に繋がる『両儀式』の持つ能力の一端に過ぎない。直死の魔眼、世に言うところバロールの権能に匹敵し得る魔眼は、万物を殺すのではなく対象の終焉を確定させる未来視の究極。生の果て、未来に存在する未来を直視する魔眼。

 

 そう、死とは生きる全てが辿り着く逃れることのできない未来の果て。それを認識する魔眼に死が映らない怪物など、人の生きる社会にとって危険でしかない。式は両眼の機能をフル回転させ、巨狼の終焉を見極めようとするが、巨狼の死の線は相変わらず映らないまま。

 

 己の無機質な死のイメージだけが増幅し、自分の息遣いが遠いもののように感じ始めた。

 

 もはや、これまでかと蒼の瞳を閉じた式は意識が薄れていき、此処に式ではなく『両儀式』と呼ばれる世界の極点、最大級の掟破りが顔を見せた。

 

 閉じられた瞳が開かれ、それに呼応して変化が生じる。式の髪が腰のかかるまでに伸び、彼女の普段着である革ジャンと着物が刹那に十二単の豪奢な着物へ変わっていった。それに合わせ、式の持つ気配も人のそれからある種の超越者としての気配を漂わせる。

 

 彼女はもはや、式にして式に非ず。彼女こそ「」の位階に位置する意識の具現。その名を“両儀式”、根源より世界を俯瞰し夢として観測する絶対者なり。両儀より根源へ至り、太極にて世界を見つめる者。彼女は式の見る夢のような存在、普通ならば生まれることも目覚めることもないはずの阿摩羅の意識。世界の法則にさえ干渉する彼女が現れた理由、それは自己生命の保存という生命本能による行動に他ならない。

 

「ああ、酷い悪夢ね。殺そうにも殺しようがない魔物と出会うなんて。全く、軽い気持ちで暇を潰そうとして寿命をすり減らしたのでは、元も子もないじゃない。先立たれることになる彼の気持ちも考慮しなさい。ああ、こんな快い昼下がりに似合わない悪夢だこと」

 

「にゃっ!?にゃんと、こっちの銀幕ヒロインの中の人が出た!お〜、これにゃらあのギガントな狼だって子犬の前脚を捻るかのごとくスッパーンと両断してくれるはず!まぁ、出来たら店内のガチ戦闘は避けて欲しいんだけど、店の外でお願い出来にゃい?」

 

「なら、直接あんたがあの狼と彼女の間で言ってきなさいよ。間違いなくミンチか刺身かの二択でしょうけど。というか、まさか一目で境界の具現が出張ってくるとか、今日のアーネンエルベは本当に危険地帯だったかぁ〜。これはどこかの惑星から別の怪物でも引っ張り込んでこないと収拾つかないわね……」

 

 店内に新たに現れ、入店した両儀式は蒼眼を瞬かせ手に握るのは一本の日本刀。巻き込まれまいと離れる真祖アルクェイドと謎の怪生物ネコアルク。そして、騒動の発端である巨狼は我関せずを保った状態で伏せたまま牙と爪を寝かせているようだ。

 

「“あの狼”はこちらの法則の上位に立っている、だから死の概念もどのような攻撃も無意味に帰すのでしょう。そうね、私が此処でどう足掻いても、どんな行動をしても殺されるでしょうね。この時代、この世界線においては巨狼を殺す手段は存在しない。何故なら、この宇宙の終焉の果てから来訪した魔物なんですもの。如何に死を見通す魔眼だろうと死の権能を持つ神性だろうと死の彼方に位置する貴方(巨狼)は打倒しようがない」

 

 両儀式は諦めを口にしながらも諦観を容認しておらず、“だけど……”と彼女は言葉を繋ぐ。

 

「今の時間軸と世界線で貴方を殺せないのなら、貴方を傷つけ、殺せることが可能になるような時間軸と世界線を創り上げればいいのよ。それがどんな地獄を呼び寄せることになっても、あの子と彼の幸福な世界を壊させはしない。さぁ、殺し合いましょう。そうね、これは私の言うべき言葉ではないのでしょうけど、貴方がどれほどの怪物であろうと、生きている限り殺してみせる」

 

 アーネンエルベ、いや世界が両儀式の静かなる号令に応じて姿を変えていく。それは不死の時代、火の時代の世界の上書き。世界の表層面(テクスチャ)が悍ましい深淵の侵食を受け深みを増す。それは平常時の世界のルールから逸脱した異界。

 

 そう、これこそ現在の世界では傷つけられず殺すことの不可能な怪物を殺すことが可能になる唯一の手段にして、暗黒の異界法則。

 

 舞台が整ったとはいえ、両儀式の勝算は限りなくゼロに近い。如何に巨狼を殺しうる時代に世界を整えつつあっても、それは元々相手のフィールド。殺すことが可能になっただけであって、実際の戦闘では肉体や能力の基礎性能(スペック)で劣っている。勝てるかより逃げることを選択する方が生存の目はあっただろう。けれど、彼女は自分の中の自分と平凡な彼の幸せを願っている。

 

 式は両儀式の見る夢で、両儀式は式の見る夢だ。乙女が夢を守るということに理由など不要。此処に怪物の極致、最悪の魔物である巨狼との決戦に臨む。

 

 死が廃絶された不死の時代。全てが火へと焚べられる火の時代。

 

 昏き魂(ダークソウル)が今、アーネンエルベに浮かび上がり……

 

「……いや、だから物騒なことは外でやってほしい」

 

 メニュー表と水を持ってきた給仕の一言が、そこに待ったをかけた。

 

 

 

 異界化された喫茶店の一角が、召喚者の意識の緩みによって解除されたことで元の喫茶店としての風景を取り戻す。それを成し得たのは勇敢な勇者でも悪辣な外道でもなく、どこにでもいる高校生の手柄だった。まぁ、山育ちの幻想種だろうと素手で打倒する技量の男子高校生というのは全体的に見ても少数派だろうが。とにかく、異界化を思わず解いてしまった両儀式はお絞りと水を持ってきた青年に驚きの目を当てる。

 

 

 

「いや、驚くのは仕方ないにしても店の内装を勝手に変えてしまうのは店員としていただけない」

 

 いや、内装というか世界法則を変えられたのであって、実際は世界の窮地的なものだったのだが、草十郎にとっては刀を持ち出して内装をいきなり変えられる程度としか感想はない。物騒なことは勘弁してくれと言い残して両儀式が虚空より持ち込んだ刀を回収し、“それじゃあ”と言い残しシリアスが唐突に壊されてオロオロしている両儀式を置いて草十郎は厨房裏(バックヤード)に引っ込んでしまった。

 

 なお、厨房の方に戻った草十郎は氷を持っていこうとした青子とすれ違う時、刀を持っているところを捕まり青子に渾々と説教を受けるのだが、それは割愛するとしよう。

 

「……静希君、こういうあり得ない状況でもマイペースね」

 

「えっ、それ有珠が言っちゃう?私も大概、自分のペースは崩さないけど有珠も相当なもんじゃない?まぁ、草十郎があそこまで我が道を行く系の男子だったとは思わなかったけど。日本の男子って草食なんて言うけど、あんな草食動物がいたら肉食なんて絶滅するわよ」

 

「というか、いつまでこっちで休憩中なのかにゃ〜黒髪のお嬢さん。ぶっちゃけ、店員なんでしょ?だったら、せめてカウンターあたりにいた方がいいんじゃにゃいか」

 

「私、こういうの向いてないみたい。それに静希君だけで十分にお店が回るのだから、別に私が動く必要もないでしょう」

 

「にゃんという女王様気質!?」

 

 有珠やアルクェイドたちの雑談を聞いているうちに、両儀式も我に返り会話に介入をする。

 

「……ねぇ、貴方たち。あの巨狼がいるのに、どうしてそこまで落ち着いていられるの?」

 

「というか、私が説明する前に式ってば切った張ったを選ぶんだもの。あれは今の所、こっちが刺激しない限り動くことがないから心配はないわよ。なんせ、草十郎がドッグフードを出しても暴れ出さず完食したからね。そういうことだから、ご心配なく」

 

 首を傾げた様子でいる着物の麗人は青子に叱られている草十郎の方へ視線を向けた。

 

「でも、まさか空の具現が出てくるなんて。今日のアーネンエルベは本当に魔窟ね。あ、そうだ。さっきの召喚しかけた異界、本気でヤバイから使用は禁止よ。あの異界だけど私でさえおっかなくて認識さえできないキワモノの極みだから。何、あの死んでも殺す、生きてれば殺す、人だろうが人外だろうが殺す、とにかく殺すって異界は。殺意過剰すぎじゃないかしら?」

 

 青ざめた顔で愚痴るアルクェイドはテーブルに置かれた紅茶を手にする。一方の両儀式はどうやら、危険は無いということを理解したから、具現化している必要はもうないのだが式に戻れていない。

 

「あ〜、あの狼がヤバ過ぎるせいで安全って分かっても本能の部分で動けにゃいのかも」

 

「そんな、嘘でしょう。ここはもう私は退場して式と変わるはずじゃないの?」

 

「戻れにゃいのだから、ここは素直に楽しんでおこうぜ。あちしと一緒に一杯どう?」

 

 明らかに作風というか性格的にアーネンエルベにミスマッチな両儀式は、式と変われないという事実を理解して、どうしようかと混乱している。五、六分ほどオロオロしていた彼女は仕方ないと言いたげにメニュー表を手に取ることにした。

 

 かつて、式を非常識に対しての死神と表現した人形遣いがいたが非常識に対しては滅法強くとも、常識や平々凡々な青年などには相性が悪いということがこれ以上ないというほどに証明されてしまったようだ。

 

 

 




世界の果ての巨狼道場にて

「シフって呼んでくれないから、拗ねてやる!」

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