様々な点を修正いたしました。ご指摘ありがとうございました
熱い。
自身の心臓が煩いほど動悸し、肺が必要以上の酸素を求める。
余りの苦しさに左手が無意識に心臓の辺りを握りしめる。
だが、苦しい筈の口元から笑みが零れる。この瞬間が最高に楽しいと、本能が告げるように。
眼前に映るのは、木製の盤とその上に並べられた駒のみ。
正面に座る人などは既に眼中に無い。唯、目の前の盤にのみ集中する。
盤に彩られた多種多様の駒、そして手持ちの駒、全てを総動員し、脳の中で「正解」となる物を死ぬ気で模索する。
考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ。
脳が焼きつくのでは無いかと錯覚するほど頭を回転させる。ここまで頭を回転させたのは三段リーグをあと一つで超えられると思った時以来だ。
ふと頭が回転を止める。それは、盤の上の「正解」を導き出した合図だ。これを打てば勝てる、という会心の一手を閃く。
だが、直ぐには指さない。利き手である右手を袴にぎゅっと押し付け、ひたすら堪える。
これが正解なのか、それとも悪手なのか、今一度考える。だが、その余裕は既に手元に無かった。
「あとごじゅーう、いち、に、さん…」
もう考える暇は無い‼︎‼︎
盤の上にある駒を取り、叩きつける様に指す。指した刹那、力と言う力が抜けて行き、その場に倒れそうになる。
全身を貫く脱力感を気力だけで押さえ込み、視線を盤に向ける。間違えではなかったか、他に良い手は無かったか、祈る様な気持ちで探る。
……無い、な。
無い。後13手で詰み、それが、俺の頭で導かれた結果だった。
対戦相手は顔を歪めつつ、盤上を睨みつける。何処かに突破口はないのか、逆転の一手は無いのか、唯ひたすらに模索する。
その作業を終えたのか、顔に悔しさを滲ませ相手がゆっくりと頭を下げ、たった一言を絞り出す様に告げた。
「負けました」
渋い声が、襖に仕切られた純和風の部屋の中に響き渡り、畳に浸透して行く。
玉座戦、第6局
147手にて、佐藤 翔也玉座、投了
勝者、烏丸 博之四段。16歳
この日、『玉座』の称号と、多額の優勝金を手に入れた。
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翠色のカーテンから光が溢れ、青年の顔を照らす。青年は苦しそうな呻き声を上げた後、身体を起こす。
「…ん?」
目を開けると、そこは寝室ではなかった。周りには『将棋世界』と書かれた雑誌があちこちに散乱し、コンビニ弁当の空箱が床に転がっている、昨日俺が過ごしたリビングそのものだ。
「詰将棋考えてたら寝てたのか…」
眠たい眼を擦りながら辺りを見回すと、昨日使っていた将棋盤が見当たらない。
「まさか……」
顔を青ざめつつ、恐る恐る青年は視線を下に向ける。
すると、涎の付いた流麗な将棋盤(三〇〇万円也)と床に散乱した荘厳な将棋駒(五〇万円也)が視線に飛び込んできた。
「ぎゃぁぁぁぁ‼︎俺の将棋盤ちゃんがぁぁぁ‼︎」
余りの惨状に青年は思わず奇声をあげる。すると隣の部屋の壁から『ドンドン‼︎』と抗議する音が聞こえ、怒りの声が飛び込んでくる。
「烏丸先輩!朝から五月蝿いですよ‼︎」
隣から聞こえて来たのは若々しい青年の声だった。その声には不満がありありと載せられていて、怒りの度合いが良く分かる。
その声に反発する様に部屋の主人も声を荒げる。
「うるせぇ「クズ竜王」‼︎俺の大事な将棋盤ちゃんに悲劇が起こったんだから仕方ねぇだろ⁉︎」
「「クズ竜王」って!ちゃんと『九頭竜竜王』って呼んで下さいよ‼︎」
「うるせぇこのクズ‼︎竜王取ってから11連敗のクソザコには「クズ竜王」がお似合いだ‼︎」
「またバカにしましたね⁉︎良いですよ、その喧嘩、将棋で買いますからね‼︎」
穏やかな筈の朝に喧騒が巻き起こる。
金曜日の朝からけたたましい声を張り上げる青年の名前は『烏丸 博之』
年齢は19歳。『公益社団法人将棋連盟』所属八段、クラスはB級二組
所持タイトル『玉将』『玉座』
騒がしい後藤に対して抗議を上げる青年の名は『九頭龍 八一』
年齢は16歳。『公益社団法人将棋連盟』所属八段、クラスはC級二組
所持タイトル『竜王』
双方の職業、プロ棋士
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「…で?最近どうよ?」
小汚いマンションの一室。二人は紫の座布団をフローリングの床に敷き、将棋盤を挟んで正座している。
持ち時間は30分、切れたら1分の練習将棋をしながら、後藤は九頭龍に向けて問いを投げかける。
「…さっき言ってたじゃ無いですか」
烏丸の質問に嫌悪感を露わにして九頭龍は答える。その様子を見て張本人は同情するどころか煽り始める。
「うん。11連敗おめでとう☆さっさと『竜王』の位を俺に寄越せ」
「あんただけには絶対に譲らねぇから⁉︎」
「勝率3割から脱却してから言おうね、『クズ竜王』さん」
「うっぜぇ…!」
無駄話をしながら、二人は盤を睨みつける。例え練習であっても負けたら死にたくなるのが将棋なのだ。
パチン、と子気味良い音が室内に響き渡る。それに対して間を空けずにまたパチンと音が鳴る。
「………」
「………」
互いに指した後、沈黙が二人を支配する。対局時計の音だけが虚しく辺りに響き渡る。
沈黙が支配する中、烏丸はふと口を開いた。
「なぁ九頭龍。お前、明日清滝九段との対局だよな」
「そうですけど」
「恩返し、頑張れよ」
「…はい」
『恩返し』
弟子が師匠に勝つことで「今までありがとうございました‼︎」との気持ちを伝える、将棋界の伝統。
将棋界に取って「師匠」と「弟子」は極めて重要になる。
そもそも将棋界でプロ入りを果たすのならば必ず誰かに『弟子入り』をしなければならない。
そして『師匠』は『弟子』となった人物から金銭を受け取らない、完全に無償で手ほどきをしなければならないのである。
そして『師匠』に取って『弟子』は将来、敵となるかも知れない存在なのだ。無償で将来の敵を育てる。はっきり言って『弟子』をとるメリットなど殆ど無い。
だが、それでも『師匠』は『弟子』を取る。何故ならば、『自分もそうして貰ったから』だ。
『師匠』となる人にも『師匠』は居た。その『師匠』の『師匠』にも『師匠』はいた。
将棋界とは、そうやって紡がれてきた歴史の世界なのである。
だからこそ、『弟子』が『師匠』に勝つ事に意味が有るのだ。
互いに将棋を進めていくと、烏丸はふとリビングに置いて有る時計を見る。時計の短針は12を示していた。
「さて、時間もいい頃だし飯行くか」
「…所で烏丸先輩」
「ん、なんだよ?今から飯に…」
九頭龍は盤面を指差し、烏丸にイイ顔で笑って言い放った。
「これ、詰んでますよね?キッチリ9手で」
「………さて、今日は牛丼でも食べるか」
「逃げんなてめぇ‼︎」
「うるせぇ‼︎お前の見間違えだバーカ‼︎」
「負けを認めろ!」
「…チッ、そんなに勝ちたいなら言ってやるよ『あ☆り☆ま☆せ☆ん』これだ良いだろ⁉︎」
そのまま烏丸は財布をだけ持って家から出て行く。その後を九頭龍は慌てて追いかける。
その姿は、まるで親しい兄弟の様だった。
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関西の騒がしい街中を二人で歩き、目当ての有名牛丼チェーン店『す○屋』の店内に入る。
店内には平日にも関わらず、結構な人が入っていた。
「結構混んでるな」
「ですね、なんででしょう?」
「あれだろ、スーパー何ちゃらの所為だろ」
「スーパーフライデーですね」
「そうかい。さっさと座るぞ」
「今日は先輩の奢りですよね?」
「はぁ?な訳ない…」
「さっきの対局、俺勝ちましたよね?」
「…良いだろう」
渋々、と言った口調で後藤が了承すると、窓側の四人席の席に二人で陣取る。
すると二人の元に店員がやって来て水とお手拭きを置きに来る。
「ご注文はお決まりですか?」
「俺はネギ玉特盛、卵抜きで。八一は?」
「俺は三種のチーズの大盛りで」
「ネギ玉の特盛卵抜きがおひとつ、チーズの大盛りがおひとつですね。少々お待ち下さい」
伝票を持ち、注文を受けた店員はそのまま厨房の中に入っていた。
二人は冷たい水で喉を潤し、世間話に花を咲かせる。
「そういや八一。お前最近銀子ちゃんとどんな感じよ?」
「どんな感じって…。どう言う意味ですか?」
『意味がわからない』と言外に告げる八一に対し、烏丸はさも当然の様に答える。
「えっ?だってお前ら付き合ってるんじゃ無いの?」
「付き合ってませんよ!何言ってるんですか先輩⁉︎」
「えっ」
「えっ」
「何を言ってるんだ此奴?」と言った目線を九頭龍へと向ける。その目には侮蔑の意図がありありと含まれており、その視線が九頭龍をイラつかせる。
「そう言う先輩こそ、女の一人や二人作ったら如何ですか?」
「……いたら苦労して無いだろ?」
「なら姉弟子とか如何ですか?姉弟子結構可愛いし。いいと思いますよ?」
「…お前、それ銀子ちゃんの前で言うなよ?」
「えっ?どう言う事ですか?」
「お前が朴念仁って事だよ。禿げちまえ」
将棋とはあまり関係のない話で盛り上がってると、二人の前に注文した料理が出て来る。
「お待たせしました。ネギ玉特盛と三種のチーズの大盛りです。ごゆっくりどうぞ」
そのまま伝票を置いて店員は急ぎ足で厨房へと入って行った。どうやら、まだまだ忙しいらしい。
「さて、喰いますか」
「ですね。…さっきの言葉ってどう言う意味ですか?」
「女心は秋の空、詰将棋の様に完璧な答えは無いって意味だよ」
「?」と疑問符を浮かべる八一を横目に、烏丸は目の前にある暴力的なまでにネギの乗った牛丼を手に取った。
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「ご馳走様でした。まさか本当に奢ってくれるなんて」
「牛丼だし、そこまで高く無いからな。今度は奢れよ?」
正午を回り、多少日が傾いた街中を二人で歩く。通りには通行人も多く、平日にも関わらず賑やかだ。
俺の前を歩く烏丸先輩は上機嫌に煉瓦造りの通りを歩く。気ままに歩くその後ろ姿が、先輩の性格を表していると思う。
タイトルを二つも持っているにも関わらず、決して気負わない姿勢
10代でタイトルを二つ獲得しているのに、絶対に驕らない精神
何があってもブレない心、その全てが羨ましい
自分の不甲斐なさに、思わず右手に力を入れ、力んでしまう。
自分は『竜王』にマグレでなった。けど、烏丸先輩は「玉将」と「玉座」を実力で勝ち取り、今もそこに居座り続けている。
同じ十代の棋士なのに、何処までも違う烏丸先輩。
だから、俺は烏丸先輩の事が途方もなく眩しく、輝いて見えるんだ。
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「烏丸 博之」
16歳でプロ入りした若手棋士。後一年早ければ史上4人目の中学生棋士となって居た人物。
有名所を言えば、プロ入りして直後に行われた「玉座戦」にのタイトルに挑戦。並み居る強豪を全てなぎ倒して挑戦権を獲得し、そのまま「玉座」のタイトルを獲得した事だろう。
マイナーなタイトルの為あまり世間の注目を集めなかったが、将棋界の中で彼の存在はこの件でかなり大きくなった。
だが、彼の凄まじい所は其処だけじゃ無い。将棋の棋士に取って、「烏丸 博之」の凄さはプロになる前にある。
彼が地獄と言われる三段リーグに入ったのが15歳。三段を抜け、プロ入りを果たしたのは16歳。
『彼は三段リーグに入って直後、対局の全て白星で勝ち上がった』
この事実が、全ての棋士に衝撃を与えた事は言うまでも無い。
三段リーグとは、名実ともにプロ入りを果たすための登竜門だ。そこには何としてもプロ入りがしたい「鬼」が何人も居座る地獄そのもの。
彼はその地獄をスキップするかの様に踏破したのだ。マグレであれ「竜王」になった俺でも辛かった所を、彼は僅か半年で踏破した。
中にはマグレで勝ち上がった、と言う人も居た。だが、彼はプロになって直後「玉座」となり、一年後には「玉将」も獲得し、今も座り続けている。
マグレでタイトルを二つ取り、三度も防衛など出来るはずも無い。
彼の強さは、彼の力を持って証明された。
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「なぁ八一。この後、時間あるか?」
「え?まぁ、暇ですし…」
「なら良かった。この後居飛車の研究したいから付き合ってくれないか?」
マンションの前に着くと、烏丸は九頭龍を研究に誘う。何だかかんだ馬鹿にしているが、烏丸は九頭龍の事を高く評価している。
烏丸は、例え今11連敗しているとしても、それは「竜王」を取った所為での慢心とか諸々の一時的なものであり、立ち直ったらまた勝ちだすだろう。としか考えて居ない。
中には九頭龍をマグレで勝ったとか言っている連中もいるらしいが「竜王」をマグレで取れたら将棋を死ぬ気でやってない。が、烏丸の言だ。
だが、烏丸の誘いに対し、九頭龍は少し気後れして居た。
「えぇと…良いんですか?」
「あん、何がだ?」
「その、俺なんかが先輩の研究に…ヘブッ⁉︎」
九頭龍の言葉は最後まで続かなかった。何故なら、目の前に烏丸に思い切りデコピンされたからだ。
あまりの勢いに九頭龍の額は赤くなっている。
「な、何するんですか先輩⁉︎」
「うっせぇ。お前、俺が弱い奴と研究する優しい奴に見えるか?」
「お前馬鹿だろ?」と侮蔑の意図を前面に押し出し、正面から九頭龍を馬鹿にする。
その言葉にムキになって反論しそうになるが、言葉の意味を頭の中で噛み砕いて行くと、自分がさっき言った事がどれだけ馬鹿だったか理解した。
研究とは何人かで集まり、将棋について研究する事。それは、双方に取って利になる物で無ければならない。それは将棋界の掟だ。
どちらか一方だけが得をしてはならないのだ。つまり、弱い人物が研究に誘われる事は無い。何故なら「何も学べるものが無いから」だ。
つまり九頭龍の言った自虐を将棋的に解釈すると「俺は弱いから貴方の研究に参加出来ません。貴方、見る目が無いですね(笑)」と言っている様な物なのだ。
それは、「此奴なら俺に何か示してくれるかもしれない!」と思い、誘った烏丸に対する侮辱に帰結するのだ。
「す、すいません!俺…」
余りの恥ずかしさにおもわず頭を下げる九頭龍。この様子を見た烏丸は頭を掻いて間を置くと、静かに話し始めた。
「なぁ九頭龍。お前、『竜王』なんだろ?」
「…そうです。けど、それはマグレで…」
「…『竜王』はな、将棋界に置いて最高の名誉なんだ。それを、マグレで取れるはずねぇだろ?」
さも当然の様に烏丸は九頭龍の事を『竜王』と評価する。謙遜でも嫌味でも無く、真実として。
「…烏丸先輩」
「で、どうする九頭竜『竜王』?研究に付き合ってくれないか?」
烏丸は九頭龍に静かな声で誘いを掛ける。その誘いに、九頭龍は自信を持って答える。
「…はい!俺で良ければ、是非‼︎」
「良し。なら、今日はとことんやるぞ」
九頭龍の返事を聞いた烏丸は白い歯を見せ、屈託のない笑顔を向けた。
その後、マンションの中に歩いて行く。
九頭龍は烏丸に追いつき、隣を歩く。
隣あって歩く姿は、兄弟ではなく、ライバルそのものであった。
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「もう一局お願いします‼︎」
「おま、もう一時だぞ⁉︎良い加減帰れ‼︎」
「まだ、まだ納得出来てないんです‼︎お願いします、もう一局‼︎」
「だぁ〜〜‼︎この将棋馬鹿が‼︎こんだけやって明日負けたらキレっからな⁉︎⁉︎」
その日は夜が更けるまで延々木がぶつかり合う音が鳴り響いたと言う。
翌日の試合に九頭龍が遅刻しそうになったのは、言うまでも無い。
ここまでありがとうございました。お気付きの方もいらっしゃると思いますが、今作には原作でラスボス的存在であり最強の存在である『名人』は存在しません。登場する予定もありません
今回この『名人』を排除した理由は、大きく分けて二つあります。
一つは、原作での発言のあまりの少なさによるキャラが解りにくく出しにくかったからです
二つ目は、ラノベ特有なのですが、原作に登場した男性棋士の数があまりに少なく、オリキャラを登場させるために枠を増やすためです
以上がこの作品のラスボスである『名人』を消した理由です。ご理解していただけると幸いです。
長々と失礼致しました。マイナーな作品かつ駄文ですが、これからもよろしくお願いします