戦後間もなくして、シン・アスカはザフトから除隊することとなった。
今もなお影響力のあるデュランダル派の旗頭と成りうる彼をザフトに放置する危険とか、戦艦やMS何百機を単機で撃墜するキラ・ヤマトやアスラン・ザラと同格の彼に力を与えておくのは怖いとか色々理由はあるらしいが、彼はそれに唯々諾々と従った。当然のごとく付けられた多数の監視も気にせず、心ここにあらず、といった具合に。退職金だけはたくさん貰った。
シン・アスカは旅をすることにした。かつて自分たちが戦った土地、そこを巡ってみよう、と。
言ってしまえば遅れてきた中二病。戦いに身を捧げてきたため、平和という言葉が実現されそうになって感じた虚無感。燃え尽き症候群にかかった彼は、戦友との会話も少なく自分探しの旅に出ることにした。
ガルナハンでコニールたち元ゲリラと再会し、ベルリンで既に死体もないステラの墓を建て改めて別れを告げ、そうこうしているうちに、約一年。故郷であるオーブに着いてしまった。正直、行きづらい。一度は銃を向けた国、どの面下げて帰るというのか。そんな後ろめたい思いもあった。しかし、共同墓地の慰霊碑に行くくらいはしておきたかった。だからシンは気まずい思いをしながらもオーブに足を踏み入れた。
だが、飯時を外れ入ったラーメン屋で、彼は頬をひきつらせることとなった。
「…シン?お前、シン・アスカか!」
「…ええ、アスハ代表」
昔の自分が罵声を浴びせた女。それで昔の上司の元恋人。現政治家。
オーブの獅子と言われていた者の娘、カガリ・ユラ・アスハが何故か町のラーメン屋にいた。
素早く踵を返した彼の襟首を、カガリはがっしと掴む。どこにそんな力があるというのか、無理矢理振り払えば服が破けそうな無駄な力の入れっぷりだ。
「放して貰えませんかね?」
「おい今私の顔を見て逃げようとしたな?」
「いいえ?ただラーメンの気分じゃなくなったんですよ。そうですね…パスタでも食べようかと」
「なら私も行こう。久々に話そうじゃないか」
「結構です」
「奢るぞ?」
「金なら除隊の時に十二分に貰ってますので」
「そう言うな、こういうときに年上の言うことは聞いておけ。悪いようにはせん」
「現在進行形で悪くなってるんですが、襟が」
言葉を交わしながらも二人の手と重心は動き続ける。伸ばし、捌き、崩し、かわし。身体能力に優れる二人は、無駄にハイレベルな戦いを繰り広げた。風を切る鋭い音、まるでナイフが振るわれるような音が店内に響く。店長と護衛のSPの顔が引きつった。
十数秒の争いの後、二人はじっと睨み合う。やがて諦めたようにシンは力を抜いた。
「…おじさん。豚骨チャーシュー特盛りでチャーハンと餃子12、お願いします」
「は、はいよっ…」
「なんだ、もう終わりか?あと遠慮しないな」
「年上だから奢ってくれるんですよね。なら遠慮せず腹一杯食わせてもらいます。んで、あんまりここで暴れるわけにもいかないでしょ。代表がラーメン屋で暴走なんてゴシップのいいネタだ」
「…ああ、確かにそうだな。うん、そうだ」
「考えてなかったのかよ」
溜息を吐く彼を見て、カガリは服から手を離す。皺がよった襟を正し、シンが座ると対面にカガリが腰かけた。SPは彼女の指示ですぐそばのカウンター席に座る。
気まずい沈黙。もとよりそう交流のない二人だ。それも、二人きりでの会話など皆無。言葉を交わすときには、必ず誰かが近くにいた。
その誰かも居らず、異様な空気のみが漂った。誘ったカガリは、自身の勢い任せの行動に少し後悔すら抱いた。
しかし助け船が対岸から来る。
「…注文、しないんですか」
「え?あ、ああそうだな。塩ラーメンのチャーハンセットを頼む」
「あいよ」
調理の音とテレビからの声が店内に響く。
もごもごした後、カガリが口を開いた。
「…いつ、オーブに来たんだ?」
「さっきですよ。まさかこうして会うとは思ってませんでしたけどね」
「そうだな。私も予想外だった。…墓参り、か?」
「…ええ。それだけじゃないですけど」
また沈黙。
「…よく、来る気になれたな」
「嫌味か何かですか」
「いや!素直な感想だ…正直、オーブには来づらいだろうと思っていたし、来ないだろうとも思っていた」
「…行かないわけにもいきません。どの面下げて、って話ですけど、故郷で、家族の墓はここにしかないですから」
またしても沈黙。今度は、さっきより更に長い。
「…すなまいな。どうにも、お前相手だと、思うところが多すぎて、話が続かない」
「別に続けなくてもいいですよ。無理して話をするほど仲がいい訳じゃないですし」
「いや。私は、お前と話がしたいんだ。多分、こうしてオーブに来たってことは、心の準備を整えるためにどこか別のところを巡ってきたんだろう?私はオーブからあまり長く離れられないからな、復興とか、どうなっているのかを聞きたい」
「マスコミやら他の政治家から聞けるでしょう?そのくらいなら」
「誤魔化しのない、実際に見てきた意見が欲しいんだ。シン、お前なら私に遠慮しないだろう?」
「………」
シンは少し苛立ちを感じた。自分のことを理解してますよとでも言わんばかりの言い種に。その癖、こちらを窺うような少し卑屈にすら見える態度が苛立ちを加速させる。
目付きが悪くなっていく自覚があった。構うものかと口を開く。
「表通り、首都とかの綺麗所の復興は見事でしたよ。見てきた所は」
「そうか!」
「代わりに、目につかない所は結構スラムでしたけど。体裁を取り繕うのが今のところ限界って所でしょうか」
「…そう、か」
「ちょっと入ったら財布どころか身ぐるみ剥ぎにに来るとは思いませんでした。盗みは常態、暴力が通貨って感じです。程度は違っても、戦闘があった場所はどこも変わらないですね」
今度はカガリが沈黙し会話を打ち切る。目に見えて落ち込んでいた。
世界の経済は、まだ良くない。NJの影響によるエネルギー不足に加え、復興途中での連合の徴兵などによる人手不足、これらが未だに人々の生活に影を落としていた。
「…オーブは、どうだった?」
「比べる必要もないくらい、いいんじゃないですか?食料資材は豊富、電力も困らない。これだけ条件が整ってるんです、上がそれを全部軍備とかに突っ込むような無能かイカれ野郎でもない限り、すぐに戦前以上になるでしょうね」
結構適当に言葉を吐き出すシンだが、強ち間違ってないと言っているうちに思えてきた。
オーブは未だニュートロンジャマーの影響が著しい世界の中でも、地熱発電で豊かな生活が保てている。加えて、プラント評議会に属するラクス・クラインたちとの深い親交のためか、プラントそのものとオーブは太いパイプが繋がっているしオーブはそもそも戦勝国扱い。立場が良いためか輸出入も問題はなく、復興は凄まじく速い。
シンとカガリがこうして飯を待っているのはここ、オーブの本島といえるヤラファス島だが、ここはもう復興の余地がない。モルゲンレーテ社などのあるオノゴロ島は流石に復興が済んでいないが、既にいくつかの工場は稼働している。半年のうちにはヤラファス島とそう変わらないくらいにはなりそうである、というのが識者の意見。
適当に吐いた言葉だったが、カガリはぱぁっと顔を綻ばせる。
「そ、そうか!?へへ…よかった。お前の意見なら信用できそうだ」
「…いや、信用されても」
なんとも言えず、眉を下げるシン。目の前の女の無防備さというか繕わなさというか、気が抜ける。
こいつは、ラクス・クラインやステラとはまた違った意味で天然だ。
と、そこでラーメンが運ばれる。
「はいよ、お待ち」
「ああ、どうも」
「…よく食べるんだな。流石は男、といったところか?」
「元ですが、軍人ですし」
「アスランはそんなでも無かったが…」
「生まれからしてのエリート様と一緒にしないでください」
体力が資本の軍人であったのもあるが、彼はまだ育ち盛りで食べ盛り。加えて活動的な性分のシンにしてみれば、ただの大盛り程度なら腹半分にも満たない――とは流石に言い過ぎか。ともあれ、満腹には遠い。
が、同僚であったレイはこうして食欲のまま食べるなんてことはしなかったし、ルナマリアは女だ。十分なスタイルなのにダイエットを行おうとすることもあったのは、女性ならではの意識ゆえか。こうして馬鹿みたいに大量の飯を喰うのは、同期の仲間内ではヨウランとヴィーノくらいだった。
ちなみにとある牛丼チェーンで例えると、キラは並で満足、アスランは大盛りで満腹、シンは普段はやらないがメガと並一杯で限界。
目の前の代表は、男勝りな口調に反して、そう大量には食べないらしい。特盛くらいなら食ってもおかしくなさそうだったのだが。
「なぁ、何で軍を辞めたんだ?」
「さぁ。戦う理由とか、見失ったからじゃないですか」
「そうか」
どうでもよさそうにずるずるとラーメンを啜る。釣られるように啜り始めるカガリ。目の前の国の代表は庶民臭く音を立て食っていたのが意外というかしっくり来るというか。初対面で代表という偉い立場、偉そうな態度のせいで、高そうなレストランとかでばかり食ってそうな偏見を抱いていたからだろう。
油でコテコテのスープが絡んだ麺を口に含む。旨い。嫌な空気だったり、嫌な奴と食う飯は味かしないとか言うけれど、別にそんなことはなかった。そんな繊細な感性をしていないのかもしれない。
一方のカガリは、何とも言えない歯切れの悪さを感じていた。
昔、あれだけ敵意を目に滾らせ食い付き、一時は完全に命を取り合う陣営にいた男が、今や見る影もなく燃え尽きていた。
それは、よいことではないが…悪いことでもないのだろう。彼は戦う理由を失いつつある。命を奪い合う戦場で見た彼の戦いぶりは、激情と荒々しい力で叩き潰す、恐ろしさすら感じるものだったのだ。
命をすり減らすような戦い方を、もうすることがなくなる。それはカガリも好ましく思うが、彼の炎のような強い意思を宿した眼は嫌いではなかった。それが失われたことは、寂しくもあった。
と、目が合う。
「…麺、延びますよ」
「あっ」
気付けば彼は半分ほど食べ終わっている。対してこちらは二口啜ったくらい。既に少し増えているように感じる。慌てて啜る。呆れたような彼の目が痛かった。
二人は黙々と麺を啜った。当たり前だがカガリの方が食べ終わるのが遅い。シンの方はチャーハンを崩しにかかっていた。
「なぁ、聞いてもいいか?」
「なんです」
「お前、確かルナマリアと付き合っていたって聞いたが…置いてきたのか?」
その言葉を聞いてまず思ったのは、こいつルナのこと知ってたっけ?というものだった。
しかし思い直す。彼女の元恋人は…そこまで考えて、答えることにした。
「ルナとは、一旦別れてみました」
「一旦?」
「戦場で、いわゆる吊り橋的なつきあい方。互いに拠り所とかなくして不安定なまんまズルズル関係続けて、でも戦後にメイリンは生きてて…あいつは立ち直った。俺が一方的に依存してました。好きとかの感情じゃなくて」
「この旅は、その感情に整理をつけるためのもの、か?随分センチメンタルなんだな」
「そういう代表は、ぽっと出のトンビにアスランを浚われた後どうしたんです」
SPが水で噎せた。お前それ聞いちゃうの!?って感じで。
聞かれたカガリは、先ほどのシンの焼き直しのように、非常にどうでも良さそうな顔でチャーハンを嚥下し。
「殴った」
「は?」
「指輪まで渡しといてお前何様だ、って。マウント取って殴った」
唖然としたが、まぁ納得。恋愛経験なんてルナマリアとのそれしかないシンでも解る。そりゃ殴るわ。
しかし、嫌いではなかったが苦手だった上にやたらモテていた元上官が元恋人にマウント取られて連打。笑えてはくるが、気になることが一つ。
「え、メイリンは止めなかったんですか?」
「『泥棒猫の立場からはなにも言えませんし』だと。自分も一発殴れとまで言われたさ。正直、負けた気がした」
「…あー。同期でもそういう強かさじゃ最強でしたし。殴ったんですか」
「けじめと言われちゃあ断れなかった。アスランは今や、その強かな嫁の尻に、完全に敷かれてるそうだ」
「あの人はどんな女と結婚してもそうなりそうですが」
「違いない。ヘタレだからな」
くく、とカガリは笑った。シンも釣られて少し笑った。
思えばこの二人は、笑い合うことなどなかった。仏頂面だったり、張り詰めていたり。互いに頬を緩ませる姿を見せもしなかった。
しかして共通の話題を得て、ちょっとだけ解り合えた気がした。
勿論そんなわけはない。ほぼ赤の他人、解り合うには時間も付き合いの密度も足りない。それでも、店の空気は明らかに良くなっていた。
ぽつぽつと二人で話す。元ミネルバクルーの今。オーブ代表としてのかなりぼやかした愚痴。旅をした現地の人の様子。
時計の針が大分進み、二人は席を立った。当然のようにシンはレジを通り過ぎる。ふふ、とカガリが笑い、シンは振り返った。カガリはカードを受け取っているところだった。
「いや何、本当に遠慮しないなと思ってな。こういうとき、良い格好しようとするのが大半だというのに躊躇いなく動くから」
「貴方に遠慮したって仕方ないでしょう。友人でもないんですから」
「そう、だな。ただの知り合いだ、私たちは」
「ええ。それじゃ、もう会うこともないでしょうけど。ごちそうさまでした」
「ああ、じゃあな。元気でな」
「そちらも」
店に入ったときより明らかに気安く、ただししっかり一線は引いて二人は別れた。
個人的にこの二人の相性は相当いい気がする。どちらかが暴走すればどっちかが止めそうだし、互いに世話を焼いてそうだし。もし付き合いがあれば腐れ縁になりそう
あ、私はシンルナも好きなんで多分また付き合い直してるんじゃないですかね。中の人を思うと別れるイメージが湧かないw