Fate/Imaginary Boundary【日本史fateホロウ】   作:たたこ

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夜④ 世界の鍵を握る者

 こちらにいるセイバーヤマトタケルと同じ背丈。しかし微風に翻った濃紺の下は、包帯・もしくは晒しにきつく巻かれて、古傷が見える体だった。彼は右手に握られた黒い鞘に収まった剣を掲げて――「――音に聞こえし大通連」

 

 低いながらも良く通る声と共に、中空に浮かぶ一振りの紅い剣。

 大通連、それは田村の草紙における天女・鈴鹿御前が所持していたとされる三振の宝剣のうちの一。同じ型の大塔連は見る見るうちに数を増やしていく。

 

「いらかの如く八雲立ち 群がる悪鬼を雀刺し」

 

 夜陰に響く声と共に、光を纏った宝剣は数を十、二十、百といや増していき――水上に立っていた黒い男を中心に何重にも円をつくっていく。

 眩いばかりの光に眼がくらみそうになりながらも、その危うい切っ先が向けられるのは当然――硬直していたキャスターは危険を感じ取り、ハルカを護るように前に立ち、鏡を構えた。

 

「――! なんでっ……!? いやっ、ハルカ様、結界を張ります!」

「うむ、まずいな? 一成と姫たちは後ろに下がっておれ! セイバー」

「わかっている。全て叩き落とす!」

「我は皇統を永らえし者、我は皇統を助けし者」

 

 セイバーが最も前面に立ち、その後ろにアーチャーが控える。

 彼が素早く腰から取り外した脇差程度の太刀は、鞘から抜かれることもない。その剣は人を断つための剣ではなく、皇統の象徴(レガリア)、神縛りの剣。

 

 かつて春日聖杯戦争で、セイバーに意に反した行動をとらせた宝具であるが、使い方はそれだけではない。これはいわば対神性持ちに対する令呪。対象を拘束することもで可能であれば、強化することもできる。

 

「一成榊原さん! アーチャーの後ろに!」

 

 明が一成の腕と理子の腕を引き、アーチャーのすぐ背後に引きずり込む。彼らが影に隠れる方が早いか、それとも中空に吊られた剣の軍勢の方が早いか。

 

文殊智剣大神通(もんじゅちけんだいしんとう)天元発破天鬼雨(てんげんはっぱてんきあめ)!」

尊きを受け継ぎし剣(つぼきりのみつるぎ)!」

 

 号令と共に一斉に降り注ぐ剣の嵐。一つ、二つ、三つ、四つ、五つ、六つ、永劫とも思える煌めく刃の雨霰。

 河川敷に、川の水面にと何区別なく降りそそぐ紅い凶刃。血を抉り、水しぶきを上げ、剣の煌めき以外の視界が奪われる中、キャスターは高速祝詞により結界を張り、限界まで剣戟を受け止める。

 アーチャーはこの剣の嵐が、正確に狙いを定めているのではなく、大雑把に範囲指定で打ちこまれていることを認識していた。

 数本食らってもいい、致命傷さえ避けられれば――!

 

 そのために、第一の盾たるセイバーがほぼすべての剣を薙ぎ払う。元々敏捷Aを持つセイバーだが、アーチャーの宝具により全ステータスが底上げされている。

 彼は眼にも映らぬ速さで、剣を振るう事で起こす風圧だけで墓石を空高く舞い上げた。

 

 剣、槍の多くは石に激突して威力が減殺され、残った得物はセイバー自身にへし折られていく。だが、空高く光る剣の数はまだまだ残っている。

 

 キャスターはその場に結界を張っている為、降り注ぐ剣をもろに受けている。耐えてはいるが、立て続けに受ける攻撃に結界は軋みを上げている。彼女の後ろに控えるハルカは、緊迫した声で言った。

 

「大丈夫ですか、結界が壊れて一毛打尽にされては事です。私に宝具を使って、致命傷を避けつつ回避するのは」

「……! なんの! これでも神話の巫女さんなのです!」

 

 アーチャーは壺切御剣に魔力を注ぎ込みながら、宝具の主――教会の屋根の黒い影を見上げた。あれもまた、ヤマトタケルだという。ならば――

 

「セイバー、そなたへの宝具展開を止める! 数秒、自力で耐えよ。一成! 宝具展開、続けるぞ! ――尊きを受け継ぎし剣《つぼきりのみつるぎ》!」

「……!」

 

 セイバーに宿っていた光が喪われ、彼の速度が落ちる。だがセイバーは顔色一つ変えず、その剣と体だけで降り注ぐ刀剣を破壊し続けている。

 

 方や、激しく揺れる結界を即時修復しながれ耐え続けるキャスター。剣の一振りがすぐわきを貫通して突き刺さり、ガラスが砕け散るような音が響き渡る。

 セイバーのおかげで降り注ぐ弾数は減っているとはいえ、もう限界も近い。ハルカは腰を低くして、いざとなれば懐の宝石をさく裂させて爆風を巻き起こし、剣の軌道を逸らすことを考えたその時――夜空を埋め尽くすほどの刃物の数が激減していた。

 月明かりに反射する光も減って、あと少し耐え凌げばと希望を持った。

 

 そして最後の剣をセイバーが叩き終り、嵐は過ぎ去った。

 

「……ッ、」

 

 キャスターはその場にへたり込み、大きく肩で息を繰り返した。結界が壊れた隙に飛び込んできた剣によって、衣服のあちらこちらが切れていた。アーチャーの後ろに控えていた明、理子と一成は幸いにも無傷であった。

 セイバーは両手足から血を流してはいたものの、流石は神剣の加護持ちであり、すでに血は止まりかけていた。

 

「……おいアーチャー! 腕ッ!」

「言うても腕だけじゃ。大事ない」

 

 アーチャーの左腕には、大通連の一振りが突き刺さっていた。直衣の袖の部分を引き破り、ぽたぽたと血を流してはいるものの、致命傷ではなく、サーヴァントとしての肉体維持に支障はなかろう。

 だが、これ以上自身の武器である弓を引くことはできない。彼はセイバーとは正反対に、「飲水の病」という自身の負傷の快復を遅らせてしまうマイナススキルを持っている。

 

 しかしアーチャーは落ち着き払って――屋根に立つ男を見据えた。

 

「腐ってもヤマトタケルのようじゃ。だが、腐ってはいるようだのう」

 

 アーチャーは片手に持つ壺切御剣を振ってから消した。最後、アヴェンジャーがの降らす剣が数を減らしたのは壺切御剣の対象が、セイバーではなくアヴェンジャーになったからである。

 だが、アヴェンジャーはセイバーよりも神性が下がっているようで、宝具の威力を抑えることはできたが、動きを支配することはできなかった。

 

 それに、なにより。壺切御剣越しに感じた、アヴェンジャーの魔力は――。

 

「アーチャー、それ以上はやめておけ」

 

 背を向けたまま言われたセイバーの言葉に、アーチャーは素直に従った。呪いの掃き溜めとなったもうひとりのヤマトタケル。

 その魔力に干渉することは身の破滅だ。しかし、アーチャーたちはアヴェンジャーを殺しにきたわけではない。ただ、事態を知りに来たのだ。

 

「……今の宝具は、立烏帽子・鈴鹿御前のものであろう」

 

 当然、アヴェンジャーは鈴鹿御前ではない。黒髪が肩で雑に切られていて、片目を布で巻き、黒いマントと鉄のブーツ、蔦に捲かれた太刀と恰好の相違点はあるものの――それは間違いなく、日本武尊だった。

 だが、セイバーの日本武尊とは決定的に異なっていた。

 

「……何故、あなたがここに……」

 

 息を荒げているキャスターは、あり得ないものを見つけた瞳で、アヴェンジャーを凝視していた。そのかそけき声に気づいたのか、盛大に溜息をついた。

 

「……はァ~~しくじった。碓氷明、お前、キャスターに会いたがるとはな。お前はただただ、ありえない時を平和に過ごしたかっただけだと思ってたんだが」

 

 彼はどっかりと屋根の上に腰をおろし、キャスターたちを見下ろしていた。

 夜にしては明るいが、彼の後ろに月が浮かんでいるせいで、アヴェンジャー自体の顔は逆光でうまく伺えない。

 

「世界の根幹にも、始まりにも、興味ないもんだと思ってたぜ。最後の時まで、お前は真実に蓋をしておいてくれるって……なあ魔術師じゃない明さん(・・・・・・・・・・)。相変わらず俺は人を見る目がない」

 

 明は何も返さない。アヴェンジャーも返答を期待していないようで、それ以上の言及はなかった。

 

「キャスター。走水でも死ななかったお前が、意気地のないこった……やるってんなら最後まで好き勝手暴れろ」

 

 アヴェンジャーは、ゆっくりとハルカ、一成、アーチャー、理子、明を見回して――傷だらけの腕を振り上げた。

 その周囲には、先ほど分裂して襲い掛かった宝具の大通連の他に、小通連・顕明連・合わせて三振りの剣が浮いていた。

 

「少し俺が発破をかけてやるよ、死ぬ気で守りな――我は鉄打つ、製鉄の天皇(おう)

 

 アヴェンジャーが手を振り下ろすと同時に、中空からずぶりと――刃渡り七十センチ超の直刀が姿を見せた。

 刀身には七星紋、北斗七星の他には雲形文・三星文・竜頭・白虎の四神が刻まれていた。理子はその剣の名に思い至り、息を呑む。

 

「――!? 七星剣!? 、それは聖徳太子の……!」

 

 七星剣とは、中国道教の思想に基づいて、北斗七星が意匠された剣のことである。国家鎮護・破邪滅敵を目的として造られ、刻まれた北斗七製は宇宙の中心である北極星(天帝)を護ることを示している。

 本来は儀式用の剣であり、切れ味が望める代物ではない。

 

 しかし当然、その剣の真価は切れ味にあるのではなく――「星の光よ」

 

「……キャスター、援護を頼みます」

「……!?」

 

 アヴェンジャーの唇が開くと同時に、突然ハルカは走り出した。先と同様に、あれが宝具を打ちだそうとしているのは火を見るより明らか。

 彼は何を目的としているのか、何故聖杯戦争が終わっているのに襲い掛かってくるのか、ハルカには全く分からないが――このまま甘んじて宝具を受ければ死ぬ。

 それが分かっていて、突っ立っているだけではいられない。たとえこの身が仮初だとしても。

 

「……ハルカ様ッ……!」

 

 既にキャスターの真名を知ったハルカは、今敵として立つ男が、彼女の生前の夫であったろうことを察してはいた。

 だから今戦おうとしても、本当に彼女がこれまで通り自分を助けてくれるか確信はなかった。

 

 だがしかし、彼女が自分を助けてくれなくともやられる。自分が動かなくともやられる。ならば体を走らせるしかない。それに――

 

(用途が広くはないため、使うことはないと思っていましたが……)

 

「――ben zi bena, bluot zi bluoda(骨は骨へ、血液は血液へ)

 

 風を切るハルカの袖口から、細いひものようなものが飛び出した。

 闇夜に溶ける黒色のそれは、一見ただの紐であるが、影景あたりが見れば瞠目せざるを得ない代物だった。隅々までハルカの魔力はいきわたったロープは、自由意思を持つように一直線にアヴェンジャーへと躍りかかる。

 

 ――間に合うか。

 

 アヴェンジャーが掲げる剣は一筋の光を放ち、天高く上っていく。

 それは剣のカタチをとりながらも、守護するべきモノがここにあるという道標に過ぎず、人を斬るための道具ではない。

 

 ゆえに剣ではなく、星の指揮棒(タクト)

 

「|Wolf syntyi Silitysrauta metsässä,Hän menee ulos häkistä《鉄の森から生まれた狼、自ら食い破るか》――」

「天の北極より座標固定――北斗七星(たいきょく)

 

 ハルカの詠唱の方が僅かに遅い。あと数秒の後には星を超えて穿たれてしまう――と、刹那、何か素早い線のようなもと銀色に輝く何かが、彼の脇を過ぎ去って――アヴェンジャーの肩に突き立った。

 線のようなものは放たれた矢であり、大通連・小通連に弾かれたが銀色に輝く――草薙剣は見事中った。

 

「――そなた、幸運値低いであろう」

 

 申し訳程度の止血――一成による治療をほどこされたアーチャーが、震える左腕で弓を持ち、残心の状態を保っていた。

 藤原道長の弓は幸運の弓、言上げの弓――本来的に矢が標的を射るかどうかは彼の技量よりも、相手と彼の幸運値により大きく左右される。

 彼の矢を援護に、草薙剣を投擲したのはセイバーである。

 

「――!」

 

 アヴェンジャーの眼が見開かれるのと、そのわずかな隙で光明を見出したハルカの詠唱がなるのは同時だった。

 

 

「――貪婪の狼を呑み込む枷(グレイプニル)!」

 

 同時、細い紐に見えたそれは凶悪に牙を剥き――津波のように身を大きく躍らせてアヴェンジャーに襲いかかった。

 彼は今展開しようとしている宝具で、紐を焼き尽くしてしまおうと指揮棒を振りおろ――すことができなかった。

 

「……ッ!!」

 

 機動が目にすら映らず、気が付いたら全身を縛されていて、アヴェンジャーは身動きが取れなくなっていた。彼の手から剣が滑り落ち、一度真っ赤な鉄に戻ってから霧散した。

 ただ魔力を込めただけの紐では、こうまではならない――力を込めても全く意味がなく、ただ抜けていくような感覚が、彼を襲っていた。

 アーチャーの宝具ですら、ここまでの拘束力はありえないはずだ。

 

「……まさか役に立つとは。ヤマトタケル、狼の加護を受ける者……」

 

 ハルカは川縁で息を落ち着かせながら、水面で拘束されているアヴェンジャーをまじまじと見据えた。

貪婪の狼を呑み込む枷(グレイプニル)」――北欧神話において、神々に大いなる災いをもたらすとされた災禍の狼・フェンリルを拘束し続けた紐の名前だ。

 勿論神話に存在する現物をハルカが操っているのではない――グレイプニルは妖精ドゥエルグの技術と猫の足音、女の顎髭、山の根元、熊の神経、魚の吐息、鳥の唾液と今や世界の裏側に行ってしまったであろう素材からでしか生成できない代物。

 

 だがハルカは、エーデルフェルトにあらずしてエーデルフェルトと認められたその印に、一級の聖遺物である鳥の唾液を一滴手に入れ、「貪婪の狼を呑み込む枷(グレイプニル)」を創り上げた。エーデルフェルトの養子となる前の彼の実家は、幻獣狩りを得意とする一族だったのだから。

 

 神話の謂れだけあって、この紐は人間に対してはただの紐でしかない。

 有効な魔術礼装として働くのは魔獣・幻獣の類に対してであり、絶対の拘束力を発揮する。本物であれば神獣さえ御しうる代物だが、ハルカのそれは流石にそこまでの力はない。ただし――元の伝承に従い狼に限っては、特に強く働きかける。

 

 ハルカは紐を操り、拘束したアヴェンジャーを地面に転がした。殺すつもりはない――それよりも、一体彼は何をしようとしているのか、気になる。

 今まで隠し事をしていたキャスターではあるが、キャスターも驚いた顔をしており、本当に彼のことを知らなかったのだと思わせた。

 

 身動きできないというのに、アヴェンジャーは黙ったままで顔色一つ変えない。

 ちらりと、ハルカより奥にいる理子とその隣の一成、明とそしてセイバーと一瞥した。

 

「……幻獣縛りの礼装か。「大和を護れ」と言った俺が滅ぼしているというのに、まだ三峰の狼の加護があるとな――義理堅い奴だ」

「……貴方は一体、何なのですか。何故私たちを襲ったのですか……」

 

 ハルカの問いにも、アヴェンジャーは何も答えない。そこへ、左腕を抑えたアーチャーが口を挿んだ。

 

「日本武尊、いや、アヴェンジャー。私たちはもう、この世界の絡繰りを知っている。だがそなたが何故いるのか、何のために行動しているのかは判然とせぬ」

 

 その眼はちらりとキャスター――大橘媛へと向けられた。アーチャーも彼女の様子から、彼女さえもこの日本武尊を想定外としていることを察していた。

 アーチャーたちは明から、ハルカたちはキャスターとライダーから――大体の事情は知らされている。

 

 その彼女たちでさえ、知らぬアヴェンジャー。だが、当の本人は問いに答えなかった。

 

「……俺の目的はお前たちに何の意味もねえよ。っていうか、俺のことを問い詰めるヒマがあるんなら自分のやりたいことをすべきだな。時間、ホントに少ないぜ」

「は? わけのわからないことを……!」

 

 今のハルカも、決して通常通り落ち着いた心境とはいいがたい。本当に通じるかどうかはわからないが、彼はポケットに忍ばせた宝石に手を伸ばした。

 顔を向けないまま、ハルカの敵意を察したアヴェンジャーは口角を釣り上げた。

 

「本当の神代の遺物ならまだしも、今の俺をこれだけで完全に拘束できたと思うのか?悪いことはいわねえから、さっさと放――」

 

 がくんと、アヴェンジャーはいきなり俯いた。電池が切れたおもちゃのように動かない。一体どうしたのかと、ハルカが彼に歩み寄った時、世界が反転した。

 

 ぞわぞわと這い上がる悪寒。酷い風邪に罹患したかのような怖気。

 己の信じていたものが崩れ去っていくような絶望。

 

 ――月夜は、こんなに暗かっただろうか。

 ――木々は、こんなに汚れていただろうか。

 ――夜気は、こんなに濁っていただろうか。

 

 風はなかったはずだ。墓地を囲む申しわけ程度の木々は、無言だった。

 だが今は梢を揺らし、徐々にざわめきを増しつつあった。恐ろしい何か、深淵のまた深淵、遠い黒い太陽を幻視した。

 

「これ、は」

 

 ハルカよりもむしろ、一成の方が深い既視感を憶えていた。

 春日聖杯戦争の最終局面、土御門神社にて彼は相対したモノ。

 空高く贄として掲げられたキリエと、この世全ての――

 

「――ッッ!!」

 

 その時まで誰も気づかなかった。それはいきなり舞台に飛び込んできた人物が、それまで超高速で移動してきたからであるが――ハルカたちの背後から飛ぶように彼らを飛び越えて、振り下ろされる大槌のごとくに重い一撃を、アヴェンジャーに打ちおろした。

 

 そのときずるりと――呪いめいた泥が黒い日本武尊とグレイプニルの間のわずかな間に滑り込んで、潤滑油のように彼を戒めから助け出してしまった。

 

 煌めく銀の鎧、翻る衣の裾、意思持つ剣の神。

 濃紫の上着に武骨な晒し、古傷残る身体に黒塗りの太刀が激突した。アヴェンジャーは不可視の剣を弾き返すと、反撃には移らずバックステップで距離を取った。

 それを追撃しようと、セイバーが最も早く駆け出したが――。

 

天啓齎す導きの金鵄(たかむすひのやたがらす)!」

 

 朗々と響き渡る声と共に、闇夜にありうべからざる強い光に満たされる。

 光り輝く皇紀の煌めき。真夜中の太陽が淀みを、濁りを暗がりを照らしだし、全てを明るみの元に晒し出す。

 この宝具を担う者はただ一人、初代天皇・神倭伊波礼毘古命(カムヤマトイワレヒコノミコト)。セイバーとは異なり、身に纏うものは既に普段着と化した、紅い羽織と上下白の袴。

 と、同時に番えられた矢のように放たれたのはフツヌシで、セイバー目がけて飛んでいく――セイバーであればそれを躱してアヴェンジャーを追うことはできたが、その場で踏みとどまった。

 

「人の心がわかろうとわかるまいと、お前は阿呆だな。日本武尊(どちらも)

 

 東征の途にあった神武天皇を導き、敵を威光のみでひれ伏せさせた逸話の具現たる八咫烏の元で、アヴェンジャーのみならず一成やアーチャーも微動だにできない。

 ライダーは悠々と歩きながら、一成たちに近付いた。

 

「ホンッッットイワレヒコは趣味が悪いわね~~! 全部把握しているくせに黙っていて迷っている人たちを放っておくなんて英霊の風上にも置けないじゃない!知ってたけど!」

「ならば好きに風下に置くがよい。しかし、全てを知った上で黙っていることを悪趣味というなら、公以上の悪趣味がいることになるが」

「う、ううっ! (ワタシ)は女の子、乙女心の味方なのよぅ!」

「乙女要素を微塵も感じられないヤツがなにをほざくか」

「セ、セクハラ!! 次会うときは法廷よッ!!」

 

 直刀のくせに何故かくねくねしているように見えるフツヌシを無視し、ライダーは再びアヴぇンジャーに眼をやり、そして彼に対してだけ宝具による拘束を解いた。

 アヴェンジャーはチッ、と舌打ちをすると、礼は言わんと言い捨ててその場を去った。

 

 アヴェンジャーの離脱を確認してから、ライダーは宝具の烏自体を解除した。

 一気に拘束から解かれたアーチャー、一成、理子、ハルカ、キャスター、明は脱力した。先程まで墓地を覆い尽くしていた黒いモノは鳴りを潜め、いつもの墓地に戻っている。

 

 あの悪寒は一体なんだったのかと訝しがるハルカと理子に比べ、一成と明はその正体を理解していた。

 

 聖杯の奥にあったもの。冬木から春日にも受け継がれてしまった、この世全ての悪。

 沈黙する面々の中、中でも一番事態の把握が遅れているハルカは、むしろ場違いにも果敢にライダーへ言いつのった。

 

「ライダー、何故邪魔をしたのですか。よくわかりませんが、彼もこの事態の原因のひとつなのでしょう」

「草。お前のことだ。このままあのアヴェンジャーを消滅させようと戦うという筋書きもあったのだろう」

 

 ハルカはぐっと口をつぐんだ。一成たちも混乱の中にいるが、それに輪をかけて混乱しているのが彼だった。

 聖杯戦争は疾うに終わり、本当の自分は身動きもままならないままで、しかも今の自分とこの世界は結界で、消滅する? シグマはこの世界でも見つからず、何もできないまま終わるのか――何かで鬱憤を晴らさねばやっていられない。

 

「いやなに、あれを消されては少々公も困るゆえ、邪魔立てしたまで。あれが消えることもまた、この世界、結界の終わりだからな」

「うっ……た、確かにそうかもしれないけど……」

 

 変な声を出したのは明――この結界維持の立役者の一人でもある彼女も、最初はアヴェンジャーの存在意義を知らなかった。

 

「……そのところはもう、お前もわかっておろう草。説明するがよい」

 

 ライダーが顎で指示したのは、俯きがちに黙りこくっていたキャスターだった。能面のように血の気が引いた顔で、案山子のように突っ立っていた。

 

「……あれは……あの人は、多分、私が……召喚したんだと、思います」

「いや、そうだと思ってたけど、知らなかった?」明はおそるおそる口を挟んだ。

「えっと……ちょっと、順を追って話します。さっきの話と、被るところも多いですけど……。私は、現実の春日聖杯の残滓から召喚され、土御門神社で療養している、ハルカ様に会い、契約を結びました。正直、ハルカ様は夢現の状態だったので、契約ができるか危ぶんでいましたが……夢でも、聖杯戦争のことばかりかんがえていたのでしょうね。契約はできました」

 

 キャスター自身、自分の記憶を確かめるような話しぶりだった。

 

「すぐ、碓氷さんが土御門神社に来たのではありません。多少……数時間ありました。その間に、私はハルカ様の願いが「聖杯戦争をすること」だと知りました。その願いをどうやったら叶えられるか……もう聖杯戦争は、終わっているのに。そして考えつきました」

 

 その方法が、キャスター大橘媛の宝具を異界創造。「聖杯戦争中の春日」を再現した結界を構築し、その中で本物のハルカと自分、再現したサーヴァントとマスターで戦う。聖杯戦争をするというより、聖杯戦争のシミュレーションに近いが、キャスターに実現できる範囲ではこれが限度だった。

 

 しかし、それでも問題はある。春日聖杯戦争の記録は、聖杯に付属していた碓氷影景の「春日記録装置」から読みだせばいい。だが、結界を維持する魔力は、ハルカ一人では到底足りない――キャスターが自身を聖杯の残滓と接続させれば解決するが、その魔力の性質は推してしるべし。また、魔力が調達できたとしても、結界は修正力で押し潰される。

 

 ならば結局、無理ではないか。そう落胆した時に、碓氷明はやってきた。

 

「碓氷さんが私を始末しに来た、というのは感じました。でも、私はまだハルカ様を助けてなかった。だからまだ、倒れるわけにはいかなかった。一か八か、聖杯の魔力に汚染されてでも宝具を使って場を凌ごうとしたんですけど……私の宝具展開と、碓氷さんの虚数魔術が、奇跡的に被って――虚数空間の中に結界が展開されました。楔の碓氷さんがいることで、私には変わらず、現実世界の春日聖杯からの魔力が流れていました」

 

 そこで、一成がおそるおそる手を上げた。場違いかもしれないけど、と言いつつ、彼は疑問を口にした。

 

「その、聖杯戦争中の春日を再現しようとしたんなら、何でおれたちは「聖杯戦争が終わった」って認識してるんだ? そして、アルトリアさん――本当は春日聖杯戦争にはいなかったんなら、何でいるんだ」

「ぐはっ」

 

 何か痛いところを衝かれたように、キャスターは呻いた。「それは……私の異界創造がヘタクソだったからとしか言えません」

「ハ?」

「自然物を操る空想具現化でもなく、単一の心象風景を写す固有結界でもない、一から自分で世界を作るってハードル高いんですよ! だから春日記録を使ってそれをコピーするつもりだったんですけど、現状、聖杯戦争終結後の今をコピーしてはサーヴァントがいないじゃないですか。だから、いつの時期を模倣して、記憶を改竄して、……ってやってたらボロも出ます……ハァ……しかも結界を作ったのは、碓氷さんに襲われたから急いで――だったので、ハルカ様ですら連れてこられなかったんですから……」

「……は、はぁ」

 

 弟橘媛自体、神話時代の人物とはいえ、彼女はれっきとした人間である。異界の創造――元は神霊・精霊の権能を、人が十全に扱うには荷が重すぎる。

 キャスターは己の至らなさと戦っているのか、顔は暗い。

 

「……話を戻します。私は結界を成立させました。だけどそれから、ハルカ様をこちらで見つけて、安心して眠ってしまってからしばらく、記憶がないんです。ただ苦しくて苦しくて、とても逃げたいほどにおぞましい覚えだけがあって……私、ハルカ様に記憶がないって申し上げたの、半分本当で半分ウソです。この覚えから抜け出してから二日は、本当に忘れていたんです。ここが何で、私が誰なのか」

「でも今は、その苦しいのが何であったのか見当はついています。というか、ずっと不思議だったんです。なんでこの世全ての悪に汚染された魔力をずっと摂取しているのに、私はこんなに普通で正気なのかって――」

 

 聖杯戦争最終段階の記憶を持つものには、キャスターの言う意味がよくわかる。あんなものに触れて正気で居続けられるものなど、そこでひょうひょうとした顔で立っている白髪の初代天皇くらいである。

 

「サーヴァント・アヴェンジャー。覚えてませんが、あの人は私が召喚したのでしょう。この世全ての悪に染まった呪いの、捨て場所として……呼びやすさで言えば屈指ですし、英霊の格も私よりははるかに呪いに耐えられる……」

「というわけで、絶賛呪いを貯め込んでいるアレを殺せば、一気に結界が汚染され地獄となろう。即ち終わりだ。ちなみに、死んでも生き返るルールはあれにはない。そもそも「死んでも生き返る」というより、結界成立時――夜中十二時の時点の生存情報に戻るというのが正しい。成立時に生きている設定になっていたものは、死んでも生存していたことに戻される。これはキャスターの力というより、この世全ての悪、そのものの一端か」

 

 割り込んだライダーが、場の暗さに反して軽く言った。「あれが呪いに耐えられるのにも限界がある。あれが死ぬときが、全ての終わりだ」

「じゃあさっき、ライダーが割って入らず、アヴェンジャーを殺害していたら、その瞬間に春日は黒く染まり、終わっていたと言う事か」

「セイバー、お前はあれをあっさり殺せそうに思えたかもしれないが、存外あれを屠るのは厄介で面倒だ。それでも万が一のことを思い、公は割って入ったというわけだ。公はこの世界を最後までエンジョイしたい!」

 

 ふんす、と何故か胸を張るライダーだが、滅びを望まないのは一成たちも同じである。正直、そんな綱渡りの世界を生きているという実感に薄いものの、理子は恐る恐る尋ねた。

 

「……ライダー、その……この事態を解決する方法とか、ないんでしょうか」

「……解決。ふむ、解決とはどのようなことを意味するのか?」

「……あ」

 

 仮に魔力の制限と、呪いの制限がなかったとしても――春日以外の世界がないここで、永劫に生き続けることか。もしくは、本当の現実世界の春日に行くことか。

 そこには、もうひとりの、本物の自分がいる――。

 

 一体、どうすればよいのか――とっさに理子は案が想いうかばず、黙りこくってしまった。

 

「好きなだけ考えるがよい。といっても、アヴェンジャーのあの様子だと……もってあと二日……三日か」

「み、三日!?」

「草共、精々足掻けよ? 滅びを免れないことは、救いがないことと等価ではない」

「ちょっ、待ちなさいよイワレヒコッ! あっ、え~~っと……頑張ってね! 人間のみなさん!」

 

 何をだよ、とツッコミを入れる雰囲気でもない。ライダーは悠々とした足取りで、破壊された墓石を避けながらその場を去って行った。

 

 ライダーはこの状態を何とも思っていないのか、思い悩む様子はなかったが――残された一成たちには、重苦しい沈黙が伸し掛かっていた。

 アーチャーとセイバーは自分のマスターの様子を伺い、キャスターはぶつぶつと、独り言を言っている。

 

「……あの人、なんでこれまで一度も私の前に姿を見せなかったのに、なんで今……それに、この世全ての悪の呪いに耐え続けて、何の得が……」

「……ちょ、ちょっと……やっぱり整理がつかないわ……。一回、自分の家に戻りたい……」

「と、とりあえず……帰るか?」

 

 一成はへどもどしながら、全員の顔を見回した。誰も彼も、返事をしなかったが――ハルカはその空気に一石を投じた。

 

「……アヴェンジャーの乱入によって話の腰が折れましたが、シグマの居場所に心当たりがあるようでしたね、アキラ」

「……」

 

 明としてはその話は忘れていてほしかったのだが、ハルカの執念は並々ではなかった。現実の聖杯戦争の記憶を持つ彼女としては、その気持ちもわかるのだが。

 

「教えてもいいけど、彼女と戦うときは、ちゃんと一目のつかない場所に移動してからにしてくれると約束するのなら」

 

 相手は名門の魔術の家系だけあって、聖杯戦争中の真凍咲のような真似はしないと思っていたが、明は念を押した。そして、山内悟のアパートの名と住所、部屋番号を教えた。

 

 ハルカは一礼すると、棒立ちのキャスターを連れて墓地を去った。

 またしても沈黙が下りたが、誰からともなく静かに歩き出した。

 明とセイバーは碓氷邸に、一成とアーチャーはホテルに、理子は自分のマンションへと戻る――重苦しい沈黙を伴ったまま。

 


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