機械の竜が光を放つ。
それが無数の白い生物の群れを薙ぎ払った。
ここは海上。
母なる海の上で、人の手の上に乗るサイズの小さな白い生き物が、人を手の上に乗せられるサイズの巨竜に蹂躙されていた。
それは一方的な虐殺。
強く大きい者が、弱く小さな者を蹴散らしている。
にもかかわらず、蹴散らす巨竜の纏う雰囲気には、正義を実行しているという確信のようなものが感じられた。
「恐ろしいほどの残虐さだね」
『インキュベーター。君達の所業こそ、残虐と定義されるものである』
機械竜は白い生物を踏み潰す。
『この宇宙には、最初から有り余るほどのエネルギーが満ちている。
別の生物からエネルギーを奪わずとも済むように、全てがデザインされている。
宇宙の延命を目的とした搾取は、宇宙を頂点とした残虐な食物連鎖でしかない』
「いや、これは奇跡さ。
地球という小さな星の命を数えられる程度に消費する……
その程度で宇宙が延命できるという時点で、ありえない奇跡だ。
感情というエネルギーは凄まじいよ。これは、条理を超越している」
『自然に発生する命の多くは、発生した瞬間から終わりの時を定められている。
それは、宇宙の命でさえ例外ではない。
宇宙の命を永らえさせるために他の命を奪い、費やすことは残虐である』
装着された巨剣で、白い生物をまとめて切り潰す。
『我らは円環の理に則る者。
歪んだ円環を破壊する者。
破壊、絶望、捕食。食物連鎖は絶望を前提とした歪んだ円環である。
契約、希望、絶望。魔法少女と魔女による連鎖関係も、歪んだ円環である』
インキュベーターなる生物を残虐だと罵りながら、残虐にそれらを殺戮する巨竜は、目を覆いたくなるほどに矛盾の塊だった。
それは殺人鬼を残虐だと罵倒しながら、躊躇いなく殺人鬼を刺し殺すような攻撃過程。
『私は全てを破壊する』
暴走する正義。この竜を形容するならば、その言葉こそが相応しい。
白く小さな生き物達は、海に沈んでいく無数の同族達の死体を見送りながら、口々にその巨竜の名を呼んだ。
「あれは」
「あれの名は」
「シビルジャッジメンター、『■■■■■■■』……!」
鹿目まどかは迷っていた。
巴マミという魔法少女と出会った。
美樹さやかは魔法少女の契約を終えた。
迷いは、"契約して二人と同じになるか"というその一つのみ。
迷う必要なんてない、と心は言っている。
迷う理由なんてどこにもない、と理性は言っている。
誰かの助けになる自分になりたい、魂が言っている。
なのに何故迷うのか。
夢の中でその理由を見た気がするのに、その夢の内容を思い出せない。
暁美ほむらという転校生が来てから、まどかは自分のもののようで自分のものでないような『何か』に悩まされている。
どこかで何かを見たような、見たことがないような、そんな不思議な感覚。
それが、まどかの契約に二の足を踏ませているのだ。
既視感のようで、記憶のようで、夢のような『何か』。
暁美ほむらとの出会いから始まった『それ』は、その日出会った大きな機械の竜との出会いが、終わらせた。
「うわっ、なに、これ……」
まどかとさやかが、それを見上げる。
それは大通りから少し離れた場所に鎮座する巨竜だった。
座った状態でも50m、立てば60mはありそうだ。
なのに道行く人達は誰もその巨竜に気付かない。
視界に入っても気にしない。
いや……
それはキュゥべえと同類の存在である、ということの証明だ。
この竜は魔法少女、あるいは魔法少女の資質を持つ者にしか見えていない。
その時点で特別だ。
その時点で特異だ。
街中に巨竜が在っても何も思われないということは、街中で魔女が人を殺しても何も思われないことに等しい。
怪物が、世界と社会の隙間で蠢いている。
まどかとさやかはその巨竜を見た瞬間、初めて魔女の存在を知った時と同じ衝撃を受けていた。
「まどか、あんまり近寄らない方がいいよ」
「う、うん。マミさんまだかな……これだけ大きいと、見えてないわけないと思うんだけど」
足元から巨竜を見上げて二人は思う。
城のようだ、と。
下から見上げれば城と見紛うてしまうほどに、その巨竜は大きく、独特の威圧感を持っている。
二人は頼れる先輩の到着を待っていたが、先輩を待つ一分一秒が、途方もなく長く感じられてしまう。
すると、巨竜が何か魔法陣を出した。
魔法陣は周囲の何かを調べ、次いで巨竜は光を放つ。
放たれた光がさやかとまどかを包み、光は二人の存在を根底から『理解』すると同時に、竜の"世界を守る"という意志を二人へと伝えていた。
「さやかちゃん、今の」
「うん。このロボット(?)、魔法少女みたいな魔法陣出してたわ……」
正確には独特のフォーマットに改竄された、『鹿目まどかという魔法少女の魔法陣』である。
だがそれを見たことのある魔法少女はこの世に一人しか居ないために、その一人以外の魔法少女が見たところで、機械竜の魔法陣は『魔法少女の魔法陣』にしか見えない。
その一人が現れた。
ギャラクトロンを見上げ、風に黒髪を揺らして、どこか懐かしそうに目を細めている。
子供の頃に壊してしまった玩具を見る大人の目は、子供の頃に別れた友人を見る大人の目は、こうなのだろうと思わせる……そんな目をしてる彼女の名は、暁美ほむら。
「『ギャラクトロン』」
「! ほむらちゃん!」
「……転校生」
「この竜の名はギャラクトロン。
自称でもないし正式名称でもないけれど、まどかがそう呼べば応えるわ」
ほむらに促され、まどかは恐る恐るその名を呼んだ。
「ぎゃ……ギャラクトロン、さん?」
腰を下ろしていたギャラクトロンの瞳に、赤い光が宿る。
ギャラクトロンは立ち上がり、まどかを直視して、膝を折った。
『お久しぶりです、まどか様』
「へ?」
『何も奪わなくとも良い円環。
希望に始まり絶望に終わる構図を否定する円環。
宇宙とは、他の命を食い物にしなくていいものであると、我々は証明し続ける』
「あ、あの……私達、どこかで会ったことあるかな?」
『はい』
"どこかで会ったことがあるか"という問いに、"どこで会ったか"の詳細を語ることなく、はいかいいえで答える。
その答えはいかにも機械的で、非人間的だった。
まどかの問いを理解し流暢に答えているはずなのに、まどかの問いの意図を全く理解していないのは明白だった。
「夢の中ででも、会ったんじゃないかしら」
ほむらが長い黒髪をかき上げて、どうでも良さそうに言い切る。
「まどか、ギャラクトロンに命じなさい」
「命じる……? ほむらちゃん、どういうこと?」
「こいつは放っておくと大惨事を引き起こす。
『人を傷付けないこと』
『人を守ること』
『人の味方で在ること』
くらいは命じておきなさい。あとは、そうね……
『インターフェースの人間に自由意志を残すように』
くらいは命じておいたほうがいいかもしれないわ。執行が、始まる前に」
「ええと……? ギャラクトロンさん。
人を傷付けないで、人を守って、人の味方でいて下さい。
いんたーふぇーす……?の人にも、自由意志を残すようにお願いします」
『分かりました』
ギャラクトロンはそう言い、腕を垂らすようにして降ろした。
瞬間、さやかとまどかの背中に悪寒が走る。
ぶわっと肌が粟立つ。
まるで気付かない内に喉元にナイフが添えられていて、それが今降ろされて、降ろされた後にその刃の存在に気が付いたような、そんな感覚。
ギャラクトロンを前にして、少女の生物的本能が安堵の息を吐いていた。
今、まどかがほむらの言う通りの言葉を発しなければ、数分後には街は廃墟になっていたかもしれない。
それは、ほむら以外の誰にも知り得ぬ話であったが。
「ほむらちゃん、これでどうなるの?」
「どうもならないように釘を刺したのよ」
いつものことだ。
暁美ほむらが訳知り顔で語るのも、肝心なことを何一つ話さず、表面的なことを断片的に話すだけに終わるのも、いつものことだ。
だから、いつものようにさやかの癇に障る。
「あんたこのロボットの知り合い? なんでそんなこと知ってんの?」
「私にその質問に答える義務があるのかしら」
「……アンタ、いちいち癇に障る言い方しかできないの?」
癇に障る言い方しかできないのではなく、ほむらはさやかを気遣う気が全く無いというだけなのだが、言動の結果だけを見れば同じことか。
あわあわしているまどかをギャラクトロンが見つめ、そのギャラクトロンを見上げ、ほむらは口を開く。
「戦友よ。一度だけ一緒に戦ったことがあるだけの」
「ふーん……戦友、ねえ」
ほむらは詳細まで話す気がまるで見て取れず、さやかもあからさまにほむらの言動を信用する気がなかった。
さやかもギャラクトロンの方に視線を移すが、その瞬間ギャラクトロンの胸部が開き、そこから赤い何かが転がり落ちてきた。
「あ、何か出て来た」
なんだろう、と思ったのもつかの間。
転がり落ちてきた赤色が、赤色混じりの人間――魔法少女――だということに気付き、まどかとさやかは血相を変える。
転がり落ちて来た魔法少女は、髪も服も真っ赤なくせに、顔だけは真っ青だった。
「吐きそう」
「えっ、えっ!?」
「ちょっと大丈夫!?」
(あら、今回は通訳に捕まっていたの、佐倉杏子だったのね……)
初対面の魔法少女に、まどかとさやかが駆け寄りその背中をさする。
赤い魔法少女は今にも吐きそうで、ほむらはそんな少女達を見下ろしている。
「前の時は、聞きそびれたけど」
ほむらはギャラクトロンの足元で、その足に触れながらか細く呟く。
「あなたは一体、どこの宇宙のまどかに恩を感じてここに来たのかしら」
傍から見れば、どこの時間から来たのかも分からない少女からの問い。
どこの宇宙から来たのかも分からない、機械竜へと向けられた問い。
まどかを見つめるギャラクトロンは、何も答えなかった。
ギャラクトロン CV:野中藍