湊ちゃんの多趣味とそれに至る経緯
幼少期の暗い闇の中
通常の鎮守府・警備府は、特別な事情がない限り、寮長は戦艦が務める。
だが、この警備府では、加賀が寮長を務めている。
というのも、長門は青ヶ島泊地在籍時に、新車のスポーツカー、WRX STIを購入したのだが、
自動車運転免許を、持っていなかった。
艦娘基本法では国防軍車両に限り、中型車までの運転が認められている。
なので、青ヶ島泊地時代は、『国防軍車両』と言うことにしてもらい、青ヶ島の道路は運転できた。
……環状線一本だけなので、グルグル回るだけだが。
そして、中部警備府に赴任した時に、休暇を取って、限定解除免許を取得した。
その時にJAFにも入会、モータースポーツ国内Bライセンスまで、取得していた。
―――という事情から、多忙になるであろう、寮長を辞退して、常識力の高い加賀に任せている。
ちなみに陸奥は、「柄じゃない」と言い、辞退した。
なお、国内Bライセンスは、免許保有者で18歳以上のJAF会員なら、
誰でも、講習を受ければ取得できる。
艦娘基本法に則って、『年齢制限のあるものは適用せず、成人として扱う』法則で、長門も保有している。
名古屋大侵攻では、鈴鹿も被災地域で、長らく、鈴鹿サーキットも閉鎖されていたが、
有志が、サーキットの舗装部分を補修して、走行会を開いている。という噂を聞きつけた長門は、
休暇の日に、鈴鹿に行くことにした。
ちょうど、休みが合わずに一人だけ休暇の、司令官湊を見つけると、声をかける。
「おお、提督。今日はお休みか?」
「そうなんですよ、電は泊地との合同演習でお仕事ですし」
その答えを聞いて、暫し考える。
「ちょっと、鈴鹿まで行ってこようと思うんだが、どうだ?」
「ああ、サーキットが補修されたって言ってましたね、良いですよ。1100に、鈴鹿仮設サーキットに集合でいいですか?」
湊の返答に、首を傾げる長門。
「いや、私も車を持ってるが……」
「ちょっと、その後予定もありますし、自分の車で行きますよ」
「わかった。では向こうで」
将官用の駐車場と艦娘の駐車場は別なので、それぞれ別れていく。
鈴鹿仮設サーキットでは、今日も、草レースやタイムアタックが行われている。
今は、有志の同好会が管理維持運営しているが、資金等は元々の所有者である、ホンダが出している。
いずれは本格的に修復して、かつてのサーキットが蘇るだろう。
仮設のホームスタンドに、オープンテラスの喫茶店。
そして、走行会に集まる車好き。彼等の表情は、復興への希望に満ち溢れていた。
駐車場に、車を停めて降りると、その熱気を感じた長門は、
「熱いな」
と、呟いた。
その後ろから、パトカーみたいな、少し昔の車が入ってくる。
ボンネットが黒で、車体が白の車である。
「お待たせしました―!」
長門のWRX STIの隣に停めると、湊が降りてくる。
彼女の私服には珍しい、ジーパンにハイネックのトップスにダウンジャケット、というパンツルックだ。
「随分、古めかしい車に乗ってるんだな」
「これ、お父さんの車で、AE-86スプリンタートレノですね。私の車は、実家にありますよ」
ハチロクという車は、モータースポーツ雑誌で見たことがある。そう長門が思っていると、湊に声をかけられる。
「取り敢えず、どうします? タイムアタックで、横に乗ってみますか?」
「提督は、サーキットで走った事あるのか?」
その言葉に、驚きの表情を隠せない長門に、湊は笑う。
「私の趣味の一つですよ」
「では、同乗させてもらおう」
「私は参加手続きしてますので、先に乗っててください。あ、座席の下のヘルメット、かぶってくださいね」
そういうと、湊は受付に走っていってしまう。
車に乗ったときに、長門は、色々と違和感を感じていた。
まず、エアコンもカーオーディオも付いていない。後ろを見ると後部座席がなくなっている。
周りには、鉄パイプのようなバーが、張り巡らされている。
そして、シートベルトが二種類ある。普通のベルトとシートに
シートも、スポーティーなものになっている。
「なんだこれは……?」
「お待たせしました―!」
湊は車に乗り込むと、ヘルメットをかぶり、指出し手袋をつける。
「今日は、タイムアタックらしいですよ?」
長門のヘルメットは、フルフェイスヘルメットで、湊はジェットヘルメット。顔が見えるタイプだ。
自分の番になると、一度ピットに入り、タイヤを交換して、検査を受けて、ピットレーンを慣らしで一周してから、タイムを計測する。
サーキットには、何台かの車が走っている。
「それじゃ、行きますよ」
その湊の言葉と共に、アクセルを踏んで、サーキットの中に入った。
最初は、車とタイヤを温めながら、他の車の邪魔にならない速度で、コースを一周する。
その時点で、公道での速度より、上回った速度を出している。
「なあ、提督。速すぎないか?」
「そうですかー?」
そう言いながら、ホームストレートに入る。
ギアを操作して、トップスピードからスタート。
「うわああああ!?」
あまりの速度に、長門は絶叫する。
とにかく、速い。それに、急制動で曲がる。
そして、ホームストレートに入る、最後のコーナーでのことだった。
「よいしょっと」
リアがスライドしている状態で、ハンドルから手を離し、ぱっと両手を上げる。
「提督ぅぅ!!!手を離すなあああああああ!!!!」
そして、縁石スレスレで曲がった後に、ハンドルを持つと、体勢を立て直し、ホームストレートを駆け抜ける。
もう一周してからピット・インして、タイムを確認する。
その頃には、長門は真っ白になっていた。
「怖かった………」
「まあ、そうでしょうね」
オープンカフェで、まだ足の震えが止まらない長門に、湊は苦笑いを浮かべる。
「しかし、なんでまた、提督がモータースポーツを?」
「そうですねえ、きっかけはあの名古屋の悲劇ですかね?……長門さんもレースやるなら、色々弄らないといけないから、カー用品も揃えないと、ですね。続きは車の中で」
そういうと、お会計を済ませ、二人は長門の車に乗り込み、長門の運転でカー用品店に向かう。
走り出した車の中で、湊が口を開いた。
「私の立案した作戦で、大勢の人を殺したんです。だから私は、人生を精一杯生きないといけない。そう決めて、いろんなことを試していた時期があったんです。元々バンドは、士官学校時代にやってましたし、士官学校入学までも、時間は腐るほどあったので、色々手を出してたんです」
それだけ言うと、ふっと笑って、
「一応ね、
「ゼロが8……億か……」
長門は、前を向いて苦い顔をする。智子の語った、「突然大金をもらった人間は正気を失う」という言葉を、思い出していた。
「怖いから、使い方を必死で調べましたよ。学校には行けなかったですし、人扱いされても、学校なんか行きたくなかったんです。基礎的な勉強は行いました。調整された脳は、物を詰め込むには最適でしたから、知識と言うものは、どんどん私のものになっていきました。ただ、物を詰め込むだけの「作業」……『
その頃には、カー用品店に着いていたが、長門は降りようとしない。
「提督、私ならいくらでも聞こう。話したいのだろう?」
「……私も、全てを精算できて、前に進めるほど、大人じゃないんです。お金の使い方でまず、株投資をしました。それなりにうまくいきました。時間は腐るほどありましたし、人付き合いも、うちに来る、軍の大人達のお相手をするだけでしたから。その大人達も、資産運用をする、
その話に、長門は、何も言葉をかけられなかった。湊の幼少期は、「楽しさ」とは無縁のものだった。
「株投資も、インターネット黎明期で、Windows95が出て、アナログモデムの頃ですね。インターネットの掲示板やチャットで、コミニケーション
「
そう笑いながら言葉をかける長門に、湊もふっと笑みを浮かべる。
「『失敗作』という鎖は、私を負けず嫌いにするには、充分だったんです。負けたくなかった。それで、大検――今の高卒認定試験――を取って、高校現役相当の年に、士官学校に入ったんです。学力・戦略戦術系は、膨大に蓄積された知識とリアルタイムストラテジーで培った判断力で、一番を取ってました」
それだけ語ると、溜め息を吐いた。
「『
それだけ言うと、「本題に戻りますね」と付け加えてから、
「名古屋の後、色んな物をはじめました。戦略ゲームは未だに続けてますし、父さんの車を弄っては、富士スピードウェイで走らせるのも、その一つです。あの時は私自身、鬱病になりかけてたんです。正確には、第二次名古屋攻防戦のあとですかね?想いを寄せていた恵一郎は、私のことを『庇護対象』としか見てなかったと。つまり、恋愛対象としては、論外の存在だったと」
「………辛いな」
「アンドリュー先輩も、草加先輩も、私のことは『妹分』に過ぎなかった。私、男運はないんだと、諦めました。それで、だったら『お一人様』を精一杯愉しめばいい。高梨家が断絶しても、私には関係のないことですし。それで、第13泊地に赴任するまで、いろんなことを休みの度にやってました」
「………」
沈黙が車内を包んだ時、湊が笑顔を浮かべる。
「今は、幸せですよ。電がそばに居てくれます。電が居ない時は、こうやって艦娘の皆が居てくれます」
「……ああ、そうだな。私もあの時、13泊地に提督が来てくれてよかった……あの時は―――すまなかった」
非協力的な時のことを詫びる長門の頭に、軽くポンと手をおいて撫でる。
「それじゃあ、罰ゲームで、長門さんの車のパーツは、私のプロデュースにしましょう。私の奢りで」
「そ、それじゃあ罰ゲームには……」
「はい、行きますよ」
元気よく、車を降りて店に向かう彼女を追いかけて、長門も店へと向かった。
それからと言うもの、長門は度々、鈴鹿仮設サーキットに足を運び、メキメキ上達して、
『WRXのビッグセブン』と、呼ばれることになるが、それはまた、大分先のことになる。
Tips『湊のスプリンタートレノ』
後部座席を外して定員2名できちんと車検を通している車です。
ロールゲージも頭部付近に緩衝材を巻いて整備基準に適合してあります。
公道走行可能なレースチューン車両です。