カッコイイ薬売りさんを書いていければと思っています。
愛している 恋している
愛している 焦がれている
愛している この身体の その全てで
愛している 恋い慕う
愛している 求めている
愛している この心魂の その全てで
たとえ どんなに時を経て 貴女が俺のことを忘れても
たとえ 過ぎた時の果てで 貴女がどれだけ変わっても
愛している その心魂を
愛している 貴女と言う存在を
貴女に約束しよう 永遠の想いを捧げると
貴女に誓おう 永久の愛を
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別に現状に不満があったと言うわけではない。
確かに仕事が面倒くさいとか。
家事とか夫の相手が面倒だとか、そう言う些細なことはあった。
だけど、その程度、誰もが持っているものだと思う。
結婚年齢の上がっている昨今、この程度の悩みは珍しくないと思っているから。
私もご多分にもれず、一昔と言うかどうか。
所謂、嫁き遅れと言われて然るべき年齢になって、ようやく結婚できたクチである。
それでも恋愛結婚であったし、夫には些細な不満や苛立ちはあれども、
大きな問題はなかった。
傍から見れば、多分と言うか、確実に夫婦円満だったと思う。
それでも乙女心とでも言うのだろうか。
自分ではない何かに憧れる気持ちは、三十路になっても、恥ずかしながら持っていた。
たとえば、モテモテのお金持ちの令嬢である自分だとか。
ゲームで言えばチートですらあるような、選ばれしキャラの自分だとか。
シチュエーションこそ色々あったけれど、とにかく、自分でない自分に憧れてはいた。
今の自分が持っていない全てを持っている、理想の自分。
誰しもが憧れたことがあるのではないだろうか。
普通は中学生とか、それくらいには卒業しているはずの、理想に憧れている時代。
恋に恋している、青い少女と何ら変わりのないことだ。
良いか悪いかと言えば、きっと悪いことなのだろう。
現実逃避とあまり変わらないだろうから。
でも、憧れた。
働いても働いても、楽にはならない生活。
嫌な上司に、嫌いな同僚。
うだつの上がらない私。
出世する同僚に嫉妬して。
あるいは、結婚や出産をする、幸せそうな女友達に嫉妬して。
将来に希望の持てない、今の自分たち。
夢見るくらい、妄想するくらい、許されるだろうと思っていた。
現実は辛い。本当に辛い。
悲しかったり、キツかったり、苦しかったり。
幸せを実感することなんて、ゼロではないけど、数えるほど。
だから。
だから、夢見ては、いた。
とってもカッコイイ異性に恋焦がれて、愛されて。
束縛が重いと、幸せな愚痴を言えるくらいの、理想の自分。
他人が羨むほどの、美しい顔。
女性が妬まずにはいられないほどの、完璧なプロポーション。
憧れたことくらい、嫉妬したことくらい、きっと誰でもあるはず。
たとえばパラレルワールドとか。
もしくは、来世とかでも良い。
いつか、嫉妬と羨望の対象になってみたいと。
思ってはいた。
夢見ては、いた。
だって、絶対に叶わないと知っていたから。
絶対に『私』では叶う日は来ないと、理解していたから。
だから、無邪気に憧れていられた。
憧れていたの。
美しいと称される全てのモノに。
焦がれていたの。
求められる全てのモノに。
私は。
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「ああ 目が 覚めたよう ですね」
不思議な抑揚の声が聞こえた。
耳にしっとりと馴染む、とても心地の良い声。
このまま再度、目を閉じてしまいたい。
私はすう、とぼやける視界をそのままに、もう一度目を閉じることにした。
「起きて いる のでしょう?」
不思議な抑揚で、だけどどこか心地よい声に促されて、私は渋々目を開けた。
上手く焦点が合わない。
確かに視力は良くないが、どうしてこんなにもブレるのか。
重い頭を何とか回転させて、私は考える。
そもそも、ここはどこなのだろうか。
視界を動かして、周辺を見渡す。
見える限りでは、どこか立派な日本家屋のひと部屋に居るようだ。
どうやら私は寝かされているらしい。
何なんだ、いったい。
「具合は どう ですか…?」
少しは気遣いの色が見える声に、私はようやく声の主へと目を向けた。
何色と言えばピッタリと言い表せるのだろうか。
私の主観で言えば、亜麻色、とでも言えばいいのだろうか。
それも本当に、本当に淡く薄い色をしている。
そんな色素の薄い薄い長い髪を、紫の布で纏めて覆った頭。
本当に日本人かと疑うくらい、白い、だけど病的ではない透き通るような白い肌。
ようやくはっきりとしてきた視界が捉えたその顔に、私はギョッとした。
一時流行った、ヤマンバメイクとか、分かる人は居るだろうか。
いやいや、分からずとも、ギャルと言えば分かる人は居るはずだ。
そんな人を目の当たりしたような、そんな感覚だ。
私の視界が捉えた、一番近くに居る声の主と思しき人は、正直、そんな顔をしていた。
メイクなのか、はたまた刺青なのか、それは分からないが。
両方の目を隈取る朱色。唇は笑みの形に紫色。
鼻梁にも一筋の朱色が描かれている。
化粧なのか、それとも刺青なのか。まあ、私にはどちらでも構わない。
どちらにしろ、インパクト半端ない、と言うのが感想なのだから。
「まだ 熱が高い ですね」
す、と伸ばされた白い白い手が、私の額に触れた。
女の私より綺麗に伸ばされた爪も、顔に合わせているのか、美しい紫色をしていた。
冷んやりとした、その温度にホッとした。
けれど、明らかに男性だと思われる質感と大きさの手のひらに、思わず身体が固くなる。
白状しよう。
私は夫以外の男性に不慣れだ。
職業柄か、あまり自分を女だと意識しないようにしてきたせいもある。
いや、女性として扱って欲しいとか、まあ思うところは色々あるけれども。
けれども、それは一先ず置いておくとして。
同僚とか同期だとか、同級生とか同窓生とか。
そう言う男は平気だけれども。
そう言うフィルターの無い異性は、何と言うか、苦手だ。
どうしたら良いのか、分からなくなるから。
「話せ ますか?」
気遣っているのか、そうでないのか。
先程から変わらぬ、心落ち着かせるような、しっとりとした声と話し方。
声だけなら、一目惚れした。大好きである。
だがしかし。現状がよく分からないのは、依然として変わらないわけで。
再度、私は周辺に目をやった。
だけれど、分かったのは、ここが日本家屋の一室であるということと。
それから、どうやら私は熱が高くて、何故だかこの部屋で介抱されていると言うこと。
何故、こんな状況になっているのか。
私にはさっぱり理解出来ないが、とりあず会話は出来そうなので、私は頷いた。
それを見てとって、男性は微かに笑ったような気がした。
口紅が笑みの形を象っているから、本当に気がしただけなのだろうが。
「名前 を お伺い いたしたく」
名前。
そうだよな。名前無いと、色々不便だろうし。
良いのだろうか。私が覚えている名前を名乗っても。
何か違うような気がするんだよね。良いのかな、この名前で名乗っても。
どうしようかな、と迷っている間も、化粧の凄い美人さんは私をじっと見ている。
え、なに、何か目力凄いんですけど。
朱色の隈取のせいか、見つめられると迫力凄いんですけど。
なに、この状況。
多分、私、病人だと思うんだけど…え、怖いわ、この状況。
「え」
掠れた声が出た。
かなり長時間、寝たあとのような声だった。
これから察するに、私は結構熱が高くて、長い時間寝込んでいたと思われる。
「と」
それでも、美人さんの目力は変わらない。
怖いわ。なんて圧力。
三十年ほど生きてるけど、初めて見るよ、こんな人。
「あの」
喉が渇いた。何にか飲みたい。
でも、そんなこと言えるような雰囲気じゃ無いね。
この部屋には私と、あとは、目の前の怖い美人さんしか居ないのだから。
「あなたの、名前を」
ああ、喉が痛い。
口をつぐんで、私は舌で口の中と、届く限りの喉を舐めまわす。
喉が渇いているだけではなく、腫れてもいるのだろうと感じた。
「名乗るほどの 者じゃあ ありません 俺は」
す、と美人さんは少しだけ身体を引いた。
「ただの 薬売り ですよ」
それまで美人さん―薬売りさんか―の身体で隠れていた、薬箱が露わになった。
結構大きい。とても重そうだ。
と言うか、薬売り?
そんなもの、歴史の教科書の他では、聞いたことが無い。
「では 名乗って 頂けるんで ?」
独特な抑揚。
平坦な声、と言うのとは違う。
何か、語らずには居られなくなるような話し方だ。
単に私がお喋り好き、と言うだけの可能性もそれなりに高いけれども。
「私、は」
じ、と瞬間、薬売りさんと見つめ合う。
ああ、何か、とても不思議な、それでいて美しい。
光の加減で薄い紫にも見える、これまた儚い蒼色の強い瞳が私を見ている。
「蒼!!起きたのかい!!」
すぱん、と乱暴な音を立てて、薬売りさんのすぐ後ろにある襖が開いた。
ふんす、と息荒く仁王立ちする女性が、そこには居た。
誰だろうか、彼女は。初めて見る。
「何を呆けているんだい!?熱は下がったんだろう!!」
ヒステリーでも起こしているんだろう。
甲高い、それでいて濁った声で怒鳴りつける女性の言葉は、頭に響く。
薬売りさんが言っていたように、私の熱はまだ高いのだろう。
頭が痛い。
「女将さん 彼女は まだ」
それに気づいてか、薬売りさんが女性を制してくれた。
十人が十人とも美人と評するであろう男性に、しっとりと制されたのだ。
若干のバツの悪さと、恥じらうような表情を浮かべて、女将は少し息を落ち着けた。
「薬売りさんに免じて、今日は寝ていても構わないけどね!!
自分の食い扶持分はきっちり働いてもらうからね!明日は働いてもらうよ!!
わかったね、蒼!ただ飯食わせる余裕なんざ、ウチにはないんだよ!」
ふん、と息巻いて女将とやらは、ぴしゃりと襖を閉めて姿を消した。
すると途端に、静けさが戻ってくる。
「……蒼です。どうも」
ありがとうございます、と言いながら私は身体を起こした。
結構汗をかいている。相当熱が高いらしい。
状況は良く分からない。だが、しかし。
あの女将さんとやらの言い方からして、明日には働かねばならないようだ。
「ええと、薬売り、さん?」
「はい」
「どうして、ココに?」
「偶々 ですよ」
端的な説明過ぎて分かりにくい。
分かりにくかったが、纏めるとどうやら、こう言うことのようだ。
ここは海辺の町らしい。
商いの途中で立ち寄ったこの町で、本当に偶然、海を漂う私を見つけたのだそうだ。
取り敢えず拾い上げたのは良いものの、薬売りさんにとっては不運なことに、
私にとっては幸運なことに、私は息をしていた。
流石に生きている者を捨て置くのは気が引けると言うことで、
町の中にある、とある宿に宿泊を兼ねて運び込んだ。
そこでまた運が良いのか悪いのか、宿の女将と私は面識がある様子だったと言う。
まあ、先ほどの話しぶりからしても、私のことを女将は知っているのだろう。
とは言っても全く面倒を見る様子は無かったため、
とても面倒くさい思いをしたようだけれど、薬売りさんは私の看病をしてくれたとのこと。
淡々と話す薬売りさんからは微塵も感じ取れないが、凄く面倒くさかったのではなかろうか。
いや、物凄く面倒くさい事態に巻き込んでしまったのだろう。
意識が無かったのだから、不可抗力ではあるのだろうが、何ともはや、申し訳ない。
「どうもご面倒をおかけしまして」
「いえ いえ 勝手にやったこと ですから ね」
お気になさらず、とその白くて美しい手をかざして、私に言う。
さっきから思っているけども、この薬売りさん、美人過ぎないだろうか。
三十年ほどの私の人生でも、こんな美人は見たことが無い。
いやあ、何とも。眼福とはこのようなことを言うのだろう。
我が人生に悔いなし。
「ときに 蒼 さん」
「はい?」
蒼、と言う名前に覚えは無い。
無いが、しかし、私は蒼と言うらしい。
何ともあだ名のような、芸名のような名前である。
「何故 あのように荒れた海に ?」
荒れていたのか。
ふむ、と私は天井を仰いだ。
だが、答えは無い。当然である。あったら苦労も苦悩もあるまい。
見知らぬ場所。記憶に無い、海で溺れた事実。
耳慣れぬ、私を示す名前であるらしい“蒼”という単語。
私が、これが私の名前だと言える名前とは、全く違う。
ちらりと薬売りさんを振り返る。
じ、とあの不思議な色合いの、けれど美しい薄紫色の瞳で、やはり私を見ている。
美しいとは卑怯だ。有利だ。ずるい、と思う。
だって勝てないじゃないか。負けが決まってしまうじゃないか。
「……覚えていません」
「 つまり ?」
私は素直に、そして正直に述べることにした。
記憶と現状が大きく食い違うと言うのに、私にはあまり動揺が無かった。
単に熱が高くて頭が働いておらず、実感が沸かないだけなのだろうが。
これは落ち着いて来たら不安でたまらないだろうな、とぼんやり思う。
「覚えていません。海の中に居たと言うことも。
もっと言うなら、私は蒼と言うらしいですが、その名前にも覚えが無いです」
結構長く話せた。声も掠れていない。
けれど喉は渇いているし、痛む。
風邪なんだろうなとか、今更どうでも良いことを考える。
「ほう それは それは」
物忘れの病ですかね、と薬売りさんは笑った。
本当であれば笑い事ではないと思うのだが。
だが、私は“蒼”の私は忘れても、そうではない私のことは覚えている。
三十年ほど生きた『私』であることを覚えている。
だからだろうか。薬売りさんに合わせるように、笑うことが出来た。
「そうかも、ですね。でもまあ」
忘れて良かったんじゃないですかね、と。
私はそう言って笑って。
薬売りさんは、笑う私の前で少しばかり。
目を見開いた気がした。
笑ったくせに、と私は皮肉な気持ちで、美しいその顔を見ていた。
今でも とても よく 覚えている 初対面
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高く、澄んだ音が空に響く。
響かせているのは、私の奏でる笛であるが。
ふ、と息をつくと同時に、私は演奏を止めた。
人生の中で初めて笛なんてものを演奏した、はずなのだが。
不思議なことに、私の手にこの笛はとても良く馴染んだ。
そして、考えずとも、奏でる方法を私の身体は知っていたようだ。
違和感も戸惑いもなく、難なく私はこの笛を奏でることが出来た。
目が覚めて、熱が下がって数日。私は気づいたことと、知ったことがある。
私の名前は蒼、と言うらしく、さらには町の人間ではなく旅人であるらしい。
旅芸人か何かであるようで、楽器全般、何でも出来る。
あとは唄やら舞やら、そう言う系統は何でも全般、ほぼ完璧にこなすようだ。
私の記憶は無いが、どうやら失くしているのは『思い出』と呼ばれるもののようである。
笛の吹き方、琴の奏で方、舞の舞い方。それから生活の仕方。
そう言うものは思い出そうとせずとも、覚えているらしく、こなすことが出来る。
それから、容貌が飛び切り良い。途轍もなく、良い。
サラサラと指通りの良い、真っ直ぐな長い髪。
真っ白い肌に、形の良い綺麗な爪に指。ふっくらと可愛らしい、色良い唇。
ぱっちりと大きく開いた、美しい眼。
普段着が和装なので分かりにくいけれども、完璧な体つき。
つまりは出るとこ出て、引っ込むところは引っ込んでいる身体と言うことである。
これが私なのだと言うのだから、最初のうちは夢だと思った。
と言うか、今でも夢だと思っている。
いつ覚めても不思議ではないが、だから、存分に楽しもうと思ってもいる。
ただ。
ちらり、と道の方へ目線を向けると、そそくさと視線を逸らす人々がいる。
反対側へも試しに目を向けると、サッと目を逸らし、何人かの人が逃げていく。
そう。ただ、私こと“蒼”にも難点のようなものがあった。
藍より深い青い色をした髪。蒼より冷たい青い瞳。
青髪青瞳。だから“蒼”。
まんまやんけ、と思った私は責められまい。
「蒼さん」
ぎこちなくなった周辺の雰囲気を破る、しっとりとした声に私は振り向く。
色素の薄い髪の毛に、私に負けず劣らずの真白い肌。
派手な着物に、刺青だか化粧だかで装った顔。
そうそう。
ここ最近で分かったことと言うか、知ったことの中のひとつ。
今、私が暮らしているここは、文明等的には、日本の江戸時代に酷似している。
本当に江戸時代かどうかは、正直なところ、相当怪しいけれども。
似通っているところが多々あるので、江戸時代なんだろうな、と結論することにした。
そんな江戸文化の中で、彼の風貌は決して親しみやすく無いと思うのだが。
何故だろうか。彼はよく人に囲まれている。
人柄もあるのかもしれないが、九割、彼の見た目の効果だと思う。
つくづく、美人は得だと思う。僻みだと言われても良いが、やっぱりそう思う。
まあ“蒼”みたいな例外も存在しますけどもね。
「もう 身体は すっかり ?」
「はい。もう全快と言っても良いですね」
私を助けあげて、看病までしてくれた薬売りさん。
本名は知らない。何度か聞いたけれども、教えてくれなかった。
まあ、私が“蒼”なんだから、別に薬売りさんが薬売りさんでも良いと思う。
もう聞き出すのが面倒くさいと言うことも、少しあるけれども。
「その節は大変お世話になりました」
「いえ いえ 俺は 大したことは してません ぜ」
相変わらず不思議な抑揚で話す人である。
それが不思議と耳に心地良いのも、事実なのであるが。
「薬売りさんは、まだ町を出ないんですか?」
「ええ まあ」
私の看病をしていた期間も入れると、短くない日数が経過している。
薬が売れているならば、彼が滞在していることも、おかしくはない。
だが、行商人っぽいのにも関わらず、この地に長期滞在しているのは、違和感がある。
ことりと首を傾げて、私は薬売りさんを見た。
「何か?」
「いえ。大したことじゃ無いんですけど」
私は正直に思っていることを話した。
何故、この町に滞在し続けているのかと、問いかけながら。
「蒼さんこそ まだ この町に?」
「ああ。それはまあ、成り行き、ですよ」
「成り行き」
「そう」
蒼であることや、蒼としての様々な知識や技術は、おおよそ飲み込めた。
相変わらず“蒼”と言う人間のドキュメンタリーを丸暗記したような、そんな感覚だったが。
だが、そこまで至れたけれども、“蒼”の次なる目的地だったり、やりたいこと等々。
そう言った類は全く、思いつかず、思い出せもせず。
目的も何もなく旅立っても良かったのだが、何となくそれも違う気がして。
ズルズルと今日までこの町に滞在するに至る、のである。
「では」
知らず俯いていたらしい。
耳に届いた薬売りの声に、私は顔を上げた。
今日も綺麗な顔をしている。男なのに、何とも羨ましい人間である。
「あの日 どうして 荒れたあの海に居たのか」
思い出せましたか。
再度問いかけてくる薬売りに、私は困惑した笑みで返す。
「それは」
「それは?」
言うべき、ではあるまい。
私が蒼であることに違いはなくても、“蒼”ではないのだから。
『私』を捨てられない限り。
あるいは“蒼”を思い出せない限りは。
たとえ恩人である薬売りであったとしても。
言うべきでは、あるまい。
「……忘れて、しまったようです」
「さようで」
表情ひとつ変えず、薬売りは引き下がった。
それに少しの不審感を抱いたけれど、藪蛇になってはたまらない。
私は沈黙を選んだ。これがいつでも、どこでも無難なのは変わらないのである。
「さて もう日も暮れた 蒼さん」
宿へ戻りましょう。
さも当然のように差し出された手に、私はさらに戸惑う。
意図が分からない。
「夜道は 危険 ですぜ」
ああ。そう言う意味か。
送ってくれるのだろう。私はひとつ笑うと、彼の手を取った。
あの日のように、心地良く冷んやりとした手だった。
滑らかな肌。心地良い体温。美しく整えられた紫の爪。
遠くから響く波の音と、それらだけが、私の脳裏にくっきりと刻まれたのが分かった。
やはり、綺麗な人はそれだけで有利だ。
ずるいし、妬ましい。
でも。
だけど。
美しいから 仕方ない のだろうとも 諦めた
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風が強く吹く。
視界いっぱいに広がる青い海には、白波が立っている。
大荒れと言うわけではないと思うが、穏やかとは言い難い波模様だ。
海に向かう私の背後には、小さな祠がある。
大きな木に隠れていて、うっかり見落としてしまいそうなほどの祠だ。
私は祠と木と、崖下には海が広がる場所で、今日は三味線を弾いている。
この三味線は、何故か宿に置いてあったものだ。
女将さんも、大将も楽器なんて弾けないのに不思議である。
貰い物だと大将は言っていたが、この三味線を見たときの、女将さんのあの表情。
今更だが、曰く憑きとかだったらどうしよう。
女の怨念とか、憤死した亡霊が取り憑いているとか。
やめよう。考えると怖くなるし、考えると幽霊が寄ってくるとか言うし。
はあ、と溜息を吐いて、三味線を抱え直した。
相変わらず風は強い。
びゅうびゅうと吹いているが、耳元では最早ごうごうと音がしている。
一つに束ねただけの髪の毛は荒ぶり過ぎて、ボサボサだ。
それでも私はここで三味線を弾く。弾かねばならない、と何故か思うからである。
多分、失くした“蒼”の記憶が、私にそうさせるのだろう。
思い出せないなら、考えても仕方がない。
だから私は、何も考えずにひたすら、ただひたすら時間の許す限り音楽を奏でる。
私は最近ずっと、仕事の無い時はここで楽器を弾いている。
今日は三味線だが、昨日は笛で、その前は何だったか。
仕事がある時は仕事終わりか、仕事前か。
芸事での仕事が多いから、大抵は仕事前に弾きに来るのだけども。
「やはり ここでしたか」
がさりと草を踏み分ける音がして、すっかり顔馴染みになった男が現れた。
名前は知らない。ただ薬売り、と私を含め、人は彼をそう呼んでいる。
「今日は仕事が無いもので」
日がな一日、練習を兼ねてここで曲を弾いていようと思っていた。
そう言う私に、彼は無言で風呂敷包みを差し出した。
うん?と首を傾げる私の前で、薬売りさんは包みをゆっくりと解いていく。
中からはおにぎりが出てきた。
「もう 昼時 ですよ」
「これは私に、ですか?」
「でなけりゃ 渡したりしません ぜ」
それもそうか。と言うか、昼時だったのか。
どかりと腰を下ろし、おにぎりを食べ始めた薬売りさんを見下ろして、
どうしようかと少し考えた。
しかし、ここから離れなかったと言うことは、一緒に食べると言うことなのだろう。
この段階で席を外す方が失礼だろう。
ひとつ息を吐いて、失礼しますと断って、私は薬売りさんの隣に腰を下ろした。
「……え、美味しい」
おにぎりを一口頬張れば、びっくりするくらい美味しかった。
まだほんのりと温かいから、出来立てなのだろう。
「そりゃあ 良かった」
「え?まさか」
まさか薬売りさんの手作り!?
ギョッとして隣を見やれば、飄々と海を見ながらおにぎりを食している。
でも、よく考えればそうだろう。
私が逗留している宿の女将さんは、多分私のことが嫌いである。
嫌いと言うか、忌避していると言うか。
女将さんから見れば、私はゴキブリと同じようなものなのだろう。
いかん。考えたらちょっと気持ち悪くなった。
ともかく、そんな存在であるところの私におにぎりなんて、作らないだろう。
大将はそこまで気が回らない。
私が昼食を抜こうが忘れようが、そんなことは毛ほども気にしないはずだ。
そして私の知り合いは、この町には薬売りさんと女将さんと大将。
この三人しか居ない。いや、仕事で関わったりする人は居るが、それは別としておく。
これらを考えれば、自ずと答えは出るはずだ。
どうしておにぎりを見た瞬間に、解答にたどり着けなかったのか。
「ありがとうございます。頂いています」
遅まきながらお礼を述べると、微かに笑ったような気配があった。
本当にこの人は、気配で感情表現する人である。
もう少し、顔面の筋肉使っても良いと思うんだが。
いやでも、客商売であるし、仕事のときはもっと表情筋を使っているのだろう。
薬売りさんみたいな人は、微笑むくらいが一番美人に見えそうだ。
大笑いしてたりすると、せっかくの美貌が三割減くらいしそうな気がする。
ああ、でも、顔の装いが迫力あるから、怒ったら顔が怖そうだ。
美人の怒り顔は迫力あるってよく言うし。
見たくないな。絶対怖いから、怒らせないようにしよう。
「蒼さんは」
つらつらとくだらないことを考えながら、おにぎりを咀嚼していると、
隣に座る薬売りさんが、ぽつりと言葉を投げかけてきた。
薬売りさんの方を見るが、彼は海へと視線を向けたままだった。
なので私も前へと視線を戻し、海を見ながら何でしょうかと返す。
「いつまで この 町に ?」
「うーん」
私には、この町に拘る理由は無い。
ただそれは言い換えれば、わざわざ旅立つ理由も無いと言うことだ。
名の通りに青々しい私を忌避する人ばかりのこの町は、決して過ごしやすくはない。
しかし、それはおそらく、どこへ行っても変わらないだろう。
そんなことを考えていると、色々と面倒くさくなってしまうのである。
滞在し続けることもうざったいが、旅立つことも面倒くさい。
そもそも、男装してはいるが、女の一人旅である。
面倒事も多かったようだし、目的も理由も忘れている現状では、旅立ちの方が面倒だ。
もともと私は面倒くさがりなのだ。
しなくて良いなら、何事もしたくないし。
働かなくて良いならば、積極的に働こうとは思わない。
不労所得があればなあと、常々思っていたくらいなのだ。
多分、出て行けと言われるまでは出て行かないだろう。
たとえ居心地が良くなくとも、大きな変化よりは余程マシだと思うからである。
「決めてないですねえ。気が向くまでは、ここに居ますよ」
「気が向くまで ですか」
「ええ、気が向くまで、ですね」
旅立つ理由は無いし、積極的に旅立ちたくはない。
それも大きいが、もう一つ。
何となくだが、まだここに居なければならない気がするのだ。
“蒼”がそう思っている、ようなのである。
おにぎりを食べきって、お茶を飲むと、再び三味線を構えた。
薬売りさんがこちらを見るのが分かったが、気にすることなく三味線を弾き始める。
唄は入れない。
一人で唄っていても仕方ないからである。
今は薬売りさんが隣に居るが、仕事以外で唄うつもりはない。
“蒼”は唄もとても上手いが、私は人前で唄うのは恥ずかしいのだ。
だから結局、仕事以外では唄わないことになる。
「そいつは 困りました ね」
雨だれのように、ポツリと降ってきた言葉に、驚いて私は手が止まる。
何が、と思って隣を見れば、いつの間にか薬売りさんがこちらを見ていた。
あの不思議な光のある薄い蒼色の瞳で、こちらをじっと見ている。
負けじと見つめ返してみるが、多分五秒くらいで、私は目をそらした。
詳細は忘れたが人の瞳は長く見続けてはいけないのだと、何かで読んだことがある。
それを思い出したから。
「蒼さんが 旅立ってくれないと 俺は俺の」
すべきことが果たせない。
そう言う薬売りさんを、私は思わず眉根を寄せて見つめた。
薬売りさんは、やはりまだ私を見ている。
だから、程なくして私は再び、その視線を前に広がる海へと戻す。
びゅうびゅうと強く吹き付ける海風が、私と薬売りさんの髪を弄ぶ。
「すべきこと、とは?」
「モノノ怪をね 斬るんです」
こいつでね。
りん、と鈴のような音と共に、薬売りさんの手に剣が現れた。
柄の部分に鬼の頭のような装飾がしてある。
色とりどりの宝石か貴石か、美しい石が嵌め込んである美しい剣だ。
刀ではなくて剣だと思ったが、さて、実は刀かもしれない。
しかし、どこから取り出したんだろうか。
先ほどの風呂敷包みと言い、この剣と言い、
この人は四次元ポケットでも持っているのか。
と言うか、モノノ怪とな。
「モノノ怪、とは?アヤカシとか妖怪とか、そう言う?」
「あやかし とは 違う」
「どう違うんですか」
と言うか、違い云々以前に、アヤカシだのモノノ怪だのが、
通常運転で存在する世界なのか、ここは。
これが私の夢だとして、とびきりの美人になれたのは良かったが、
多分、ゲームのチート的な能力は持ってない。
そんなわけのわからない存在に出てこられたら、即死亡じゃないか。
「モノノ怪とは」
知らず嫌そうな表情をしていたようだ。
薬売りさんが、可笑しそうな顔をして、続きを話し始めた。
「人の因果と 縁が あやかしに憑き 形を為したもの」
うん。よく分からない。
理解していないのが分かっただろうに、薬売りさんはそれ以上、
説明をしようとしなかった。
まあ、説明されても理解出来たか、とても怪しいけれども。
「人とモノノ怪は 相容れぬもの」
ちりん、と剣が鳴る。
「人の世にある モノノ怪は 斬らねばならない」
「それが薬売りさんのすべきこと、ですか?」
「そう」
ただの薬売りとか言っていたが、薬売りは薬売りでも、
ただのと言う形容詞は外すべきだと、私は思った。
ただの薬売りの人は、モノノ怪を斬るとか言わないだろう、普通。
それはさて置き、何故私が旅立たねばならないのか。
モノノ怪でもあやかしでも、斬るのも斬らないのも、好きにすれば良い。
私は邪魔した覚えはないのだが。
女将さんに追い立てられて仕事をしたり、こうして楽器を弾いたり。
そんな生活をしているだけだ。
とてもじゃないが、あやかしだのモノノ怪だのとは関わっていないし、
ましてそれを斬り捨てるなんて物騒な事の邪魔も助けもした覚えはない。
「蒼さんが居ると どうも モノノ怪が出て来ない」
形が分からねば斬れぬ、と薬売りさんは言う。
そんなこと言われても。
「どうして形が分からないと斬れないんですか」
「こいつが 抜けない のでね」
こいつ、と言って薬売りさんは私に剣を向けた。
人に武器を向けないで欲しい。
たとえ鞘に収まっているとは言っても、剣は剣である。
分かりやすく嫌な顔をしたつもりだが、薬売りさんは意に介した風も無い。
気にして欲しい。
「こいつに モノノ怪の形と 真と 理を示さねば」
剣は抜けない。
そう薬売りさんは断言した。
本当かよ、と思った私は、未だに私の方を向いている剣をむんずと掴む。
掴み取って、めいっぱい力を込めて鞘から抜いてやろうと試みる。
「っ……っ……っ……っだめだぁ!これは抜けないですね」
はあ、と息を吐いて私は剣を薬売りさんへ返した。
そのままそっと、袖口に仕舞う。
しかし、あの剣、そもそも抜けないようになっているんじゃないのか。
溶接されているかと思うくらい、びくともしなかった。
まあ、『私』の時からそうだが、私の筋力は脆弱だから、
抜ける造りだったとしても、果たして抜けたかどうか怪しいが。
と言うか、剣の割りに軽かった。
いったい何から出来ているんだろう。あの剣。
「形は何となくわかりますが…真と理と言うのは?」
「真とは 事の有様 理とは 心の有様」
再び剣を取り出して指で撫でながら、薬売りさんは言う。
聞いておいて何だが、どちらにしてもよく分からなかった。
事の有様と言うのは事実で、心の有様と言うのが理由とかだろうか。
となると、つまり、モノノ怪の種類―河童とか化け狸とか―を当てると。
それでいて、仮にモノノ怪が何らかの事件を起こしていると言う前提で考えた時に、
そのモノノ怪が事件を起こした動機を探り、剣に示さなければならないと。
そこまでしないと、剣は使用できないと言うことだろうか。
「面倒くさくないですか?」
私だったらそんな仕事、放り出したい。
「さあ あまり そう思ったことは ない な」
それは凄いな。尊敬する。
「そもそも、それって危ないんじゃないですか?」
「まあ 安全じゃあ ない」
「ですよね」
危険手当とか、保険とかも無さそうだし。
ブラック企業の企業戦士みたいな仕事してるんですね、薬売りさんは。
薬売りかモノノ怪成敗か、どちらが本業か知らないけれども、
どちらか専業にしてしまえば良いのに。
「ここに」
薬売りさんは話を続けるようである。
そう言えば、もともとは何の話をしていたのだったか。
「モノノ怪が 居る それは分かっている だが」
淡く光るような蒼色の瞳を私の瞳に据えて、薬売りさんはさらに続ける。
「蒼さんが 居ると モノノ怪の形が 見えてこない」
そうそう、始めはそんな話だった。
しかし、私が居る居ないは、あんまり関係無いんじゃないだろうか。
「形が分からなければ 真も 理も 分からない」
最初は形から見つけるのか。
本当に面倒くさい仕事をしている人だな。大変そうだ。
私が旅立つことで、それが少しでも楽になるなら、まあ検討しないでもない。
だが。
「私の存在って関係なくないですか?」
いまいち実感が無い。
そもそもここで生活していること自体、実感が無いが。
確かに見てくれはずば抜けて居る私であるが、モノノ怪と言う、
何かこうよく分からない、お化けのようなものに影響するような人間だろうか。
むしろ、薬売りさんの存在こそ、お化けは避けて行きそうなものだが。
だって剣が抜けたら斬られてしまうわけだし。
「いや そんなことは ない ですぜ」
そこで薬売りさんは海を見た。つられて私も海を見る。
先ほどまでよりも、波は荒く、そして高くなっているようだ。
風の強さは変化ないのに、何故だろう。潮の関係だろうか。
「ああ でも 蒼さん」
にゅう、と薬売りさんの白く美しい手が私へと伸びる。
は、と口を半開きにして、思わずその手を見つめてしまう。
その白い手はそのまま私の手元へとたどり着き、三味線を奪い取っていく。
うっかり見惚れていて、防御を忘れてしまっていた。
顔だけじゃなくて、手も綺麗なんですよね、薬売りさん。
ええ、知っていましたとも。
美人め。憎たらしい。
今の私も確かに美人だけども。なんだろう。
薬売りさんって、動きがそもそもとても綺麗なんだな。
そのせいだろう。美人度が三割ほど増している。
「しばらく これらは 奏でないでいて もらえますか ね」
「は?」
「いえ ね」
ほら、と薬売りさんが海を指差す。
その指先を追って、私は海を見た。
台風のような海原になっていた。え、おかしい。
風は強いけど、台風ってほどではないのに。
「三味線も 笛も 楽のものは すべて」
しばらく禁止ですぜ。
笑いながら薬売りさんは言う。
もし弾きたいのであれば、旅立つしかない、と言うことか。
「俺が モノノ怪を斬る までは ね」
薬売りさんがモノノ怪を斬るまで。
それか、私が旅立つか。どちらかと言うことだろう。
「ああ もちろん 舞も唄も ね」
仕事出来ないじゃないか。
どうするんだ。女将さんにどやされるではないか。
恨みがましい目で見つめてやると、薬売りさんはにやりと笑って言った。
「俺が しばらく 養ってあげます よ」
扶養されるのって、そう言えば初めてだな。
凄くどうでも良いことをしみじみと思い出しつつも、私はこくりと頷いた。
不覚にも 少しだけ 嬉しい と感じてしまった でも 不本意ではなくて
続けたい気持ち
2017.10.1